【娘たちの悪だくみ】(2)

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■貴司が千里に贈ったもの
2006.04 クレーンゲームの人形(九条ひかり)
2007(高1)誕生日 LizLisaのハート柄のお財布
2007(高2)10月 雪だるまのイヤリング
2008(高2)結婚1周年 Suntoの腕時計
2008(高2)誕生日 ミッキーマウスのトートバッグ
2009(高3)誕生日 エスティローダー・ビギナーズセット
2009(大1)11月 アクアマリンのプラチナリング
2010(大1)2月 携帯に取り付けるリング(酸化発色ステンレス)
2010(大1)誕生日 エスティローダー限定セット
2010(大2)XMAS アクアマリンの18金イヤリング
2011(大2)誕生日 ミュウミュウのピンクの財布
2012(大3)婚約 ダイヤ(1.2ct)の18金リング
 
■千里が貴司に贈ったもの
2007(高3)誕生日 G-Shockの時計
2008(高3)卒業祝 コーヒーメーカー
2008.06 フレンチのコース/菓子(たいせつ)+テンガ
2009.06 20THと配列したクッキー
2010.06 スポーツバッグ(スポルディング限定品)
2011.06 マドリードで買ったレザージャケット
2012.02 "適当な服"として買ったラルフ・ローレンのスーツ
2012.06 婚約 タグホイヤーのクロノグラフ
 
これ以外にも2人はお互いにしばしばお菓子を贈っている。
 
2012年の3月,6月の誕生日プレゼントはお互いに婚約の記念品で兼用ということにした。婚約指輪は1月6日にオーダーし2月25日に受け取っている。クロノグラフは5月にふたりでお店に見に行き、6月6日の結納の際に渡した。
 

2013年3月3日の千里の誕生日に関しては貴司は2月17日に会った時、
 
「何か欲しいものない?」
と訊いた。すると千里は
 
「1.2カラットのダイヤが入った18金の指輪と、プロポーズの言葉」
と言った。貴司は「うっ・・・」と声を挙げ
 
「その件は再度話し合うとして、以前イヤリング贈ったし、ネックレスかブレスレットとかは?」
と訊いた。
 
「お金でいいよ」
「そうなの?」
「最初の日は1円」
「1円?」
「翌日はその倍」
「へ?」
「その翌日はその倍」
「待った」
「その翌日はその倍」
 
「勘弁して〜」
「1年間それを続ける」
「それ世界中のお金を全部集めても足りないよぉ」
 
「まあ1年後には0.3010×365=110くらいだから、恒河沙円の恒河沙倍
くらいになるかな」
 
「あははは」
 
2365=10xとすると、365×log 2 = x となり、左辺を計算すると↑のように110となる(log2=0.3010)。つまり1年後には10110円となる。恒河沙は1056なので、正確には0.1恒河沙円の0.1恒河沙倍である。世界に流通しているお金の総額はせいぜい20京円=2×1017円程度である。上記の冪乗ゲームでは2ヶ月も行かない内にこの金額に達する。
 

結局貴司は3月23日に千里に会った時、アクアマリンのペンダントの付いたプラチナのネックレスを渡した。多分20万近くしたなと千里は思った。“誕生日のプレゼント”というレベルを遙かに越えている。千里は貴司の意図を図りかねた。
 
「素敵なネックレスね」
と言って千里は早速それをつけてみた。
 
「似合うよ」
「そう?私も結構好きだな」
「気に入ってくれてよかった」
 
「それでプロポーズの言葉は?」
「済まない。それについてはまた後日話し合いたい」
 
「私と貴司の結婚式の予約をしたいんだけど」
と言って千里はゼクシィ関西をドーンと置く。
 
「済まない。またあらためて話し合いたい」
 

「そういえば阿倍子さんの誕生日っていつ?彼女にも贈り物くらいしたんでしょ?」
「え?」
と言って貴司は考えているが
「ごめーん。分からない。彼女へのバースデイ・プレゼントって考えたこと無かった」
と言う。
 
「彼女何歳だっけ?」
「うーん。。。。34-35歳くらいじゃないかなあ。ごめん。よく分からない」
「生まれたのは神戸?」
「そうかも。よく分からないけど」
 
「ふーん。。。」
 
ホロスコープが書けないと“悪だくみ”がしづらいじゃん、と千里は思った。
 

青葉が★★院に行ったのが2013年3月29日で、その後5人で瞬嶽の庵に行き、一行は30日のお昼頃、★★院に戻った。そしてこの後のことを31日午後まで掛けて話し合い、瞬嶺が今後の長谷川一門のリーダーを務めること、★★院の主座は瞬醒が継承することなどが決まった。青葉は31日の夜遅く高岡に戻った。
 
4月1日、青葉は新しく入るT高校から呼び出されて出て行く。自分の性別のことで何か話があるのかと思ったら、そうではなく、呉羽大政のことであった。
 
来ていたのはT高校に合格した同級生、青葉・日香理・美由紀の3人と、もうひとり呉羽と小学校の時の同級生だったという清原空帆だった。
 
呉羽は男子学生として受験していたのだが、保護者を伴って来校し、女生徒として通いたいと申し入れ、学校側も(青葉のことで校内にコンセンサスが作られていたこともあり)受け入れることになったことが説明される。
 
それで彼女は女子として通学するのが初めてなので、旧知の4人に、他の生徒とのパイプ役になって欲しいというお話だったのである。
 

2018年4月2日、桃香と千里は、上越新幹線+はくたかで、高岡に移動した。
 
「青葉、中学卒業おめでとう」
「桃姉とちー姉も大学卒業おめでとう」
 
それで桃香が持って来たお土産のケーキをみんなで食べた。桃香はシャンパンも持ち込んでおり、青葉に飲ませようとしたが朋子がダメと言い、結局桃香と千里の2人で飲んでいた。青葉と朋子はサイダーを飲んだ。
 
「忘れない内にこれを渡しておく」
と言って千里が青葉に博多織の袋に入った龍笛を渡した。
 
「メンテが終わったんだ!」
「職人さんもかなり苦労したみたい。吹いてみて」
「うん」
 
それで青葉が少し吹くと、物凄くいい音がした。
 
「凄い音だな」
と桃香が言うが
 
「これまるで花梨ではないみたいな音だ。竹でもこんな音が出るのは滅多に無いと思う」
と青葉。
 
「私はよく分からないけど、いい音だね」
と千里。
 
「これメンテ代高かったでしょ?」
と青葉が訊くが
「それは青葉の中学卒業祝いということで」
と千里は言った。
 
「ああ、そういうことでいいよな」
と桃香は言っているが、千里がこのメンテ費用代わりに1000万円の寄付をしたことを知ったら、さすがに仰天するだろう。
 

「あ、でも私、ちー姉や桃姉に卒業祝いあげてない」
 
「中学生の妹からもらったりしないから心配するな」
と桃香。
 
「じゃ私からあんたたち2人に卒業祝い」
と言って朋子が千里と桃香に1枚ずつ祝儀袋を渡した。
 
「わっ、ありがとうございます!」
「おぉ、母ちゃん、ありがとう」
 
「青葉には図書カードで」
と言って朋子は青葉には紙の入れ物に入った図書カードを渡した。
 
「ありがとう!」
 

落ち着いた所で桃香は“本題”に入った。
 
「私は青葉の負荷を心配している。中学時代、青葉は頻繁に霊的な相談事に応じるためあちこち走り回っていたし、岩手方面での相談事の処理のため、毎月2度、岩手と高岡を往復していた」
と言って少し言葉を切った。
 
「これは青葉にとってオーバーワークになっていると思う。このままでは青葉は身体を壊す」
と桃香は言う。
 
「それ私も心配していた」
と朋子も言った。
 
「それで私と桃香で話あったんだよ。将来青葉が霊能者として活動していくのなら、その仕事で全国飛び回るのも仕方ない。でも学生のうちは、学業優先でいくべき」
と千里が言う。
 
「だから提案。少なくとも高校を卒業するまでの間は原則として霊的相談事に乗るのは禁止」
 
「え〜〜〜!?」
 
「どうしてもという場合は、月に1件を最大とする」
 
「青葉が岩手にあまり行かなくなれば、それなりに誰かが相談事に乗るようになると思う」
 
「それはそうかも知れない」
 
「結果的に青葉はシェアを失うかも知れないけど、青葉が身体の健康を失うよりは、ずっとマシだと思う」
と桃香。
 
「うーん・・・」
 

結局桃香が雄弁を振るい、千里も朋子もその意見に賛成という中、青葉もその“学業優先”という方針を受け入れることにした。
 
また最低料金を定めて、それで依頼が入ってくるのを抑制する。
 
そしてその件を現在富山方面で仕事の受け口になっている水口詩子さん、そして大船渡で受け口になっている佐竹慶子さんに、直接言いに行こうということで4人の話し合いはまとまった。
 
詩子さんの家はすぐ近くなので、桃香と青葉の2人でそちらに行き、趣旨を説明すると、詩子さんは言った。
 
「それは私もちょっと気になっていた。私が色々細かい相談を持ち込むからそれが青葉ちゃんの負荷になっているかも知れない気がして」
 
と彼女は反省するように言う。
 
それで彼女も青葉の高校在学中は基本的に仕事を受けないが、どうしてもという場合は月に1件(岩手の方のと合算)以内、最低料金5万円以上ということにしようと話がまとまった。
 

4月3日は、千里・桃香・青葉の3人で大船渡に行き、慶子と会った。
 
(新幹線で一ノ関まで行き、その後はレンタカー。運転は千里)
 
「分かりました。青葉ちゃんの負荷にならないように、できるだけこちらで処理します。ハニーポット(蜂蜜の壺:霊的能力のレンタル)だけ貸してもらえませんか?」
 
「まあ、そのくらいはいいでしょう。でも試験中とかは使わないでね」
と千里。
 
「青葉さんの予定表をこちらにメールして頂けます?それで使ってもいい日と使わないで欲しい日を区別できれば」
 
「それは青葉本人ではなく、お母さんに頼もう」
と千里。
 
「うん。そうしよう」
と桃香も言った。
 

それで3人はその日は平田さんの家に泊まった。
 
「ここは広い」
「部屋もたくさんあるんだよね〜」
「寝具もある」
「時々陰干ししてるから使えるはず」
「確かにかび臭くない」
 
「でもここ勝手に使っていいの?」
と桃香が訊く。
 
「この家を継承する人が誰もいないから、私が掃除とか風通しとかをシルバー人材センターに依頼しているんだよ。泊まるくらいはいいと思う」
と青葉。
 
「電気は来てるね」
「うん。電気と水道はずっと私の口座から自動引き落としで払っている」
「だったら、そのまま青葉のものにしてしまえばいい」
「そんな訳には」
「バレないって」
と桃香は言っていたが、この家の権利問題については後でまた検討することになった。
 
3人は翌4月5日レンタカーで一ノ関に戻り、新幹線で東京方面に向かう。そして桃香と千里は東京まで乗って総武線で千葉に戻り、青葉は大宮で上越新幹線に乗り換え、越後湯沢から《はくたか》に乗って高岡に帰還した。
 

4月5日の夜、千里が葛西のマンションで作曲作業をしていたら、バスケ協会の強化部長・吉信さんから電話が入る。
 
「村山さん、君の現在の登録は?」
「すみません。3月31日まではローキューツに籍だけ置いていたのですが、更新しなくていいと伝えたので、4月1日以降は無所属です」
 
「だったら君に所属をつけてあげるよ」
「え?」
「君を特別強化選手として、スペインに派遣したいんだけど」
「スペインですか!?」
 
「スペインは若手の強化システムが凄いんだよ。それでLFB(Liga Femenina de Baloncesto, スペイン女子バスケットボールリーグ。baloncesto=basketball)のレオパルダ・デ・グラナダ(Leoparda de Granada)という所の育成チームに合流して欲しい。受入れ側の居住許可証は取得した。君、スペイン語はできたっけ?」
 
「私、小さい頃にアルゼンチン出身の友人が居て、彼女が話すスペイン語はけっこう覚えたんです。でも本国のスペイン語とは少し違うと思います」
 
「ああ、でもアルゼンチンのスペイン語ができたら、たぶんすぐに本国仕様のも覚えられるよね?」
「そんな気はします」
 
「それで9月までの約半年間」
「半年・・・」
「10月からは国内のWリーグのチームを紹介するからさ。そこの育成選手になってよ」
「そうですね・・・・・」
 
千里もそろそろWリーグに行く「年貢の納め時」かもという気はした。育成選手になれば来期からはそのままトップチーム入りの可能性が高い。この時期Wリーグはリーグが開幕するのが秋なのに選手登録は春までに終わっていなければならないという不思議なシステムになっていた。だから今年5月までに登録されていない選手はその後チームと契約しても10月か11月に始まるWリーグの試合に出場できない。
 
「派遣の費用、渡航費・向こうのチームに支払う研修費は協会が払う。現地での交通費、滞在費は自己負担。そのあたり細かい規定は追ってメールするけど、結果的にはたぶん生活費を含めて個人負担が申し訳無いけど月10万円くらい発生することになると思うんだけど」
と吉信さんは言うが
 
「ああ、その程度は全然問題無いです」
と千里は言った。
 

「それでね。これ君のことを知っているある人物(*2)と話したことなんだけど、プライベートなことに突っ込んで申し訳無いけど、婚約破棄は物凄いショックだったと思う。君はきっと新しい土地で少し時間を過ごした方が復活できると思う」
 
「そうかも知れませんね・・・」
「君のパスポートの期限はいつだっけ?」
と訊かれたので千里は自分の常用バッグの中からパスポートを取りだした。
 
「2015年4月まで有効です(*3)」
「だったら大丈夫だね。すぐに渡航のために必要な手続きを進めるから、ビザとかが取れたらすぐ向こうに飛んでくれる?」
「分かりました。行ってきます」
 
千里もここはいったん“退却”して出直した方が良さそうな気がしたのである。現状では貴司の愛人にはなれるかも知れないが、今彼は自分と婚姻するつもりはあまり無い気がしたのである。千里が積極的に貴司を誘惑するから、その生理的快感を貪っているだけなのではなかろうかと、貴司の心に疑問さえ感じる。
 
だって私がおちんちん刺激しても大きくならないし。私とはしばらく性的なことはしないつもりなんだろうな、などと千里は思っているが、大きくならないのは理歌たちの呪いのせいである。
 
「取り敢えずパスポート番号教えて」
「はい。M*-*******です」
それで復唱確認して、吉信部長はすぐに手続きをするということだった。
 

(*2)そのことはずっと後に知ることになるが、千里をU18-21で指導したアンダーエイジ日本代表の高田裕人コーチ(札幌P高校コーチ)である。高田は実際には佐藤玲央美および藍川真璃子ともかなり話し合って千里の育成チーム派遣を決めた。高田は千里がスペイン語ができることを知っていたし、玲央美も真璃子も「あの子はお金持ちだから少々費用が掛かるのは問題無い」と言った。レオパルダは真璃子がコネを持っていた。
 
(*3)これは“パスポートF”である。実は千里がU18アジア選手権に出るために取得したパスポート(パスポートM)はこの年の5月に期限が切れる。それで、きーちゃんがもうひとつのパスポート“F”の方と入れ替えておいたのである。Mのパスポートも、きーちゃんの手で延長手続きがなされることになる。
 

「きーちゃん」
と千里は呼びかけた。
 
「言わなくてもいい。私が院生してあげるよ」
「ごめーん」
 
千里は今年はバスケ活動もしないつもりだったので、大学院に真面目に通学しようかなと思っていたのだが、スペインへの派遣ということになり、それは不可能になった。
 
それで《きーちゃん》に代理で通学して欲しいという話なのである。
 
「神社の巫女のほうもだよね?」
「うん。頼める?」
「まあ頑張ってみるよ。疲れたら巫女は辞職してもいい?」
「うん。その時は相談して」
 
「あと、てんちゃん、すーちゃん」
「何となく用事が分かる」
「申し訳無いけど、市川ラボの貴司の部屋に食糧の適宜追加と洗濯・掃除とかを頼める」
「まあいいよ」
 
「ファミレスの方はどうする?」
「もう退職していいよ」
「じゃ話してみる」
 
しかし彼女らがファミレスに退職したいと伝えたら、これからゴールデンウィークだから今辞められるのは困ると言われ、それが終わったら退職しようとしたら、今人手が足りないからもう少し待ってと言われ・・・ということで、お仕事は続いて行くのであった。結局2人の他にいんちゃんも入れて、一週間交替で市川町と千葉でミッションをすることになる。移動は新幹線で眠っていった。
 

半年間滞在するので、スペインの就労ビザを取らなければいけない(通常のシェンゲン圏共通ビザでは90日間しか滞在できない)。そのために健康診断を受けてくれと言われたので、翌4月6日千里はバスケ協会に行って用紙をもらった上で、指定された病院に行き、健康診断を受けた。
 
これが“ごく普通の”健康診断だったので、千里はホッとした。
 
思えば健康診断と言われて随分性別検査をされたよなあ、などと思う。千里の書類はもう完全に女性になっているので、今後ああいう検査を受けさせられることは・・・無いといいなあ。
 
健康診断は半日で終わり、またバスケ協会に戻ってパスポートとともに診断書を提出した。
 

千里のビザはすんなりと4月12日(金)には発行されたので、スペイン大使館に自分で行って受け取ってきた。そして千里は4月13日にはフランスのシャルル・ド・ゴール空港への飛行機に乗っていた。
 
NRT 4/13 21:55 (AF277 12'55) 4/14 3:50 CDG
CDG 4/14 _7:00 (AF1000 2'05) 9:05 MAD 12:10 (IB8642 1'05) 13:15 GRX
 
この当時はスペインへの直行便が無かった(2016年復活)ので、パリ経由で飛行機を乗り継いだ。グラナダはスペイン南部なので、マドリッドから飛行機で1時間掛かる(鉄道(AVE)あるいは高速バス(ALSA)なら4時間半〜5時間)。
 

レオパルダの本拠地はグラナダ郊外にあった。事務所らしき所に行き
 
「ブエナス・タルデス。メジャモ、チサト・ムラヤマ、デ・ハポン」
Buenas tardes. Me llamo Chisato Murayama de Japon,
 
と言うと
「おお、セニョリータ・ムラヤマ(*4)、お待ちしておりました」
Oh!, Srta. Murayama. Te estamos esperando.
 
ということで、取り敢えず中に通されてマネージャーの方と色々お話をした。
 
しばらく話をしていて
「あなたは日系アルゼンチン人?」
などと訊かれる。
 
「すみませーん。アルゼンチンの友人からスペイン語習いましたが、日本人です」
と答えておく。
 
「なるほどー」
「こちらに少し居れば本場のスペイン語も覚えると思います」
「バレ(OK)。でも普通に会話するには問題ないみたいね」
 

(*4)スペイン語のセニョーラ・セニョリータの使い分けは、フランス語のマダム・マドモワゼルの使い分け感覚と似ている。既婚・未婚はあまり関係無い。むしろ成人女性であればセニョーラでよい。セニョリータというのは「こども」と分類された女性に対して使用するので、セニョーラと呼ぶべき所をセニョリータと言うと、怒る人もいる。
 
もっとも1970年代頃まではセニョーラ・セニョリータ/マダム・マドモワゼルは英語のミセス・ミス同様に既婚か未婚かで使用されていたので、年配の人の中にはそういう使い分けをする人もいる。
 
しかし、スペイン本国では(南米はまた違うかも)、独立した技能を持った女性は、年齢や婚姻歴に関わらずセニョリータと呼ぶ習慣がある。フライト・アテンダントとか教師などは40歳でも50歳でもセニョリータである。これは日本語の「お姉さん」という呼びかけの感覚に近い。レストランでウェイトレスを呼ぶ時もセニョリータである。
 
だから20代の客が40代のウェイトレスと会話する時、20代の客は40代のウェイトレスをセニョリータと呼び、40代のウェイトレスは20代の客をセニョーラと呼ぶ!
 
そういう訳でこの場合は千里は《スポーツ選手》という特殊な技能者なので、たぶんセニョリータで良い。
 

事務所で1時間ほど話した後、体育館に行きチームの人たちに紹介され、早速お手並み拝見ということになる。
 
まずは挨拶代わりにスリーを連続30本入れると育成チームのメンバーがシーンとしていた。
 
「育成チームじゃなくてトップチームに行った方がいいのでは?」
などと言われる。
 
「でも私これしか才能が無いので、きっとマッチングでは皆さんに負けます」
というと
 
「やってみようよ」
と28の背番号を付けた175cmくらいの黒人女性が言い、彼女と攻守10本ずつやった。
 
確かに彼女は強い。千里は2〜3割しか勝てなかった。
 
「やはり私は弱い」
と千里は言ったが、
 
「リディアにこれだけ勝てたら充分強い」
という声があった。
 
「動体視力が物凄くいいみたい」
とも言われたが
「相手の身体に触れずにボールを弾くのは得意です」
と言うと、みんな感心するように頷いていた。
 
ともかくも千里はこのチームにすぐに受け入れられたようであった。
 

「君の名前はこれ、チサト・ムラヤマでいいの?」
「はい、読み方はそれでいいです」
「チサトってちょっと長すぎる」
「でしたらコラ(cola)で」
「あ、あんたの髪、しっぽ(スペイン語でcola)みたいと思った!」
「じゃコラで」
 
「ちなみにお股にはコラは付いてないよね?」
「ああ。あったけど、邪魔だから幼稚園の頃にハサミで切っちゃいましたよ」
「マジ!?(En serio?)」
 
「希望の背番号とかある?」
「もし33が空いていたら」
「33付けてた**が3月で引退したんだよ。だったらそれあげるよ」
「グラシアス」
 
(スペイン語の c の音は英語のthの音に近い。それでGraciasはグラシアスと音写されることが多いがグラチアスにも聞こえる)
 
そういう訳で三木エレンから将来付けるといいと言われていた背番号33はこのレオパルダで最初に付けることになったのである。
 

滞在が長期間に及ぶが、バスケ協会がチームを通してアパートを借りてくれていたので、そこに入居することになる。それで事務局で鍵をもらい、最初は場所に案内してもらったが、本拠地の体育館から1kmほど離れた所にあった。部屋は日本で言えばワンルームマンションという感じで家具付き・駐車場付きで家賃460eur(約6万円)であるが、これは自分で払ってと言われた(但し家賃の半額相当が協会から補助される)。千里がクレカ払いでもいいかと訊くと「バレ」といわれるので、“例の”カードを提示したら、相手が目を丸くしていた。
 
銀行口座も必要なので、チームの事務の人に同伴してもらって大手銀行BBVAに口座を作る。取り敢えず4000ユーロ(約50万円)入金しておいた。スペインのトップ銀行はサンタンデール銀行でBBVAは2位の銀行だが、ここは南米やアメリカでも展開しているし、東京支店もあるので何かと便利だろうと事務の人は言っていた。
 
結構な金額をいきなり入金したので、銀行の副支店長がレオパルダの人に
「この人の給料はいくらですか?」
と尋ねた。
 
「給料は2000ユーロ(これは育成費と相殺されるので実際にはもらえない)だけど日本バスケット協会から派遣されてきた育成選手です」
 
「あなたの昨年の収入は?スペイン語分かるかな」
と今度は千里に直接尋ねる。
 
「昨年1-12月の間の収入は150万ユーロくらいです」
と千里は流暢なスペイン語で答えた。
 
「・・・・・」
 
それで銀行は千里にクレジットカードも即交付してくれた!
 
しかし実際問題として“例の”カードは日本経由の国際決済になるので、直接ユーロで決済できるこのBBVAのマスターカードはその後も重宝することになる。
 

育成チームの練習は基本的には試合が無い日は、平日の夕方6〜9時の1日3時間ということである。これは学生さんが参加できるようにするための設定である。但し午後2〜5時に任意参加の練習もあるので、千里は当然それにも参加する。午前中は自由時間ということのようである。
 
ESP(CEST) 14:00-17:00 = JST 21:00-24:00
ESP(CEST) 18:00-21:00 = JST Next day 1:00-4:00
 

4月5日(金).
 
龍虎たちの学校で新学期が始まった。龍虎たちは6年生である。6年生ではクラスの再編成はおこなわれず、5年生のクラスがそのまま持ち上がりとなった。そして6年1組の担任は、昨年5年1組を担任した増田先生であった。
 
彩佳と桐絵は
「楽しくなりそう」
とひそひそ話をしていた。
 
「あんたら、何か悪だくみしてない?」
と麻耶が訊く。
 
「別に」
と言って彩佳たちは龍虎の方を眺めていた。
 
そして4月8日(月)には入学式が行われたが、ここで6年生は鼓笛隊の行進で新1年生を歓迎した。
 
もちろん龍虎は青い制服に白いショートスカートを穿いてベルリラを演奏した。(もちろん女子たちと一緒に着換えた)
 

4月10日、日本バスケット協会は5月の東アジア・バスケットボール選手権および(そこで上位に入れば出られる)7月のアジア・バスケットボール選手権に出場する男子日本代表12名を発表した。
 
“代表候補”ではなく、いきなり“代表”である。
 
貴司の名前はそこに入っていた。
 
千里はすぐ貴司に電話をし
「おめでとう」
を言った。
 
「すぐ合宿始まるの?」
「ゴールデンウィークに第一次合宿がある」
「東アジア選手権の直前じゃん」
「まあまさかそこで大きく負けることはないだろうということで」
「なるほどー」
「だから今回は“代表候補”じゃなくて“代表”なんだよ」
「じゃ頑張ってね」
「うん。今月はもうずっと週末も市川に泊まり込むつもり」
「それがいいかもね。移動しない分休めるでしょ?」
「そうそう。それもある」
 
と貴司は答えていたが、千里は彼の話し方に何かひっかかりを覚えた。
 

千里(せんり)のマンションで、阿倍子は掃除機を掛けながら独り言を言っていた。
 
「社員バスケット選手って、こんなに忙しいのか。道理でこれまでも私の所になかなか顔を見せなかった訳だわ」
 
3月30日にここに“押し掛け女房”し、その日の内に貴司が“便利屋さん”を手配してくれた。申し込んだ翌日ということで貴司は特別料金を払ってくれたようである。一方貴司は閉店間際の運送屋さんに飛び込み、段ボール箱を大量に買ってきた。そして30日の夜間に阿倍子と貴司の2人で実家の食器や本などを頑張って箱詰めした。そして31日に便利屋さんの男性2人が荷物をあらかたこのマンションに運び込んでくれた。向こうのガス・固定電話・NHKも解約した。
 
実質1日で引越完了である。
 
(電気と水道の契約だけ維持する:時々行って掃除などするためでもあるが、こちらが料金を払い続けることで最終的に裁判になった場合に“取得時効が中断していない”ことを主張できるようにするためというのもある)。
 
それで阿倍子はスイートホームまでは期待しないものの、当然夜は求められるだろうし、毎日貴司さんの御飯を作って・・・と思っていたものの、貴司は
「悪いけど、平日は日中は仕事、夕方からは練習で家に戻れないから」
と言い、全くマンションに戻って来ない。だったら週末だけ居るのかと思ったら金曜日のお昼にちょっと戻ってきて郵便物をチェックした上で「日本代表候補に選ばれたから土日もずっと練習しないといけないから」と言う。その時
 
「御飯は?」
と訊いたが
 
「すぐ会社に戻らないといけないからパス」
と言って行ってしまう。
 
結果的に阿倍子は4月1日からずっと、このマンションに“1人で”暮らしているのである。
 

千里はグラナダの育成チームで日々練習をしているのだが、むろん育成チーム同士での試合もある。トップチームの試合は秋から春に掛けてがメインであるが、この育成チームの場合は、むしろ春から秋にかけてがメインである。試合は観客が1000-2000人程度入る会場を使い有料入場者を入れておこなわれるが、実際には観客はまばらである。
 
スペインに行った翌週には最初の試合がコルドバのチームと行われた。
 
この試合、コラ(千里)はいきなりスターターで出してもらったが、相手チームの選手をどんどん抜くし、スティールも決めるし、スリーも調子良く入れて勝利に貢献した。
 
「コラ、すごーい」
「相手をほとんど翻弄してたね」
 
「でも向こうも強そうな人は最後まで出て来なかったし」
と千里は言った。
 
それは実はこちらもそうだったのである。
 
「まあこの時期はお互い戦力調整期だからね」
「でも今日の試合でコラは充分レギュラー枠に近づいた」
 

4月21日(日).
 
高野山の★★院で、瞬嶽の葬儀が行われた。葬儀は午前9時からでスペインでは夜中の(21日)2時なので、予め《こうちゃん》に★★院に行ってもらっておき、彼との入れ替わりで千里も参列。焼香をした。
 
青葉も当然参加しているが、千里に気付かなかったようである。焼香のあと帰ろうとしたら、玄関を出た所でバッタリと虚空と会う。彼女は喪服姿で誰かに電話していたようだが、千里を見ると電話を切った。
 
「今日は制服じゃないんだ?」
「高校は3月で卒業したから」
「わぁ、おめでとう!」
「ありがとう」
 
「じゃこんな場で申し訳無いけど、卒業祝い」
と言って千里が祝儀袋を渡すとびっくりしていた。祝儀袋には《祝御卒業》と“プリンタで印刷”されている。
 
(文字を手書きしたものを渡すほど不用心では無い)
 
「なぜこんなのがあるの〜?」
「誰かに渡すことになりそうな気がしたから持ってた」
「やはり千里ちゃんは凄い子のようだ」
「早紀ちゃんの足の小指程度だと思うけど」
 
彼女は千里を見ながら何か考えているようだった。
 
「そしたら今月からは女子大生?」
と千里は尋ねる。
 
「ううん」
「まさか男子大学生とか?」
「それも楽しそうだけど。でもボクは大学にはいかない。歌手になろうと思って」
「へー!」
 
「だから東京に出て、あちこちのプロダクションに売り込み活動しようかと」
「私、作曲家のはしくれだけど、どこか紹介してあげようか?」
「うーん。。。どうにも見つからなかったら頼るかも知れないけど、取り敢えずひとりで頑張ってみる」
 
「ふーん。むしろ“お仕事”のために東京にいるのが都合よいのでは?」
「さすが鋭いね」
「歌手なんて隠れ蓑でしょ?」
「そうだね。千里ちゃんが学生を隠れ蓑にしてバスケと作曲家やってるようなものかな」
 
ふたりは友好的に(?)微笑みあった。
 

早紀が唐突に言った。
 
「ところで焼香の時に気がついたけど、遺体が無いみたいね」
「え?なんで?」
「ひょっとして床の下に埋めたのに誰も気付かなかったとか」
 
「まさか」
と言ってから千里は尋ねる。
 
「教えてあげた方がいい?」
「放置で。きっと100年後にはあの山の守り神になる」
「それでもいいかもね〜」
 
ふたりは「またね」と言って別れた。
 
千里はそのまま市川ラボに転送してもらった。
 

市川ラボでは、貴司が数人のドラゴンズのメンバーと練習をしているようだった。現在AM11時である。千里は普段着に着替えると、取り敢えず壁に貼ってある自分のヌード写真(いつの間にこんなの撮ったのよ?と思っている)は裏向きにして!、市川ラボの1階駐車場に駐めているSuzuki Gladius 400 ABS(この市川ラボに置いておく用に30万円で買った)に乗ると、近くのマックスバリュまで行き、牛肉を1kgと、白滝、ネギ、白菜、花麩、焼き豆腐などを買う。そしてラボに戻ってすき焼きを作り始めた。
 
2階の体育館で練習していたメンバー、貴司と七瀬・青池の女性(?)3人がこの匂いに気付く。
 
「なんか美味しそうな匂いがする」
などと言っていたら、千里が登ってきて
 
「皆さん、すき焼きが煮えてきたから、一息入れませんか?」
と言った。
 
「おお、それは素晴らしい!」
といって3人とも下に降りてきて《細川》という表札(げんちゃんが作った)の掛かった部屋に入り、4人ですき焼きを食べた。
 

「ちなみにあなたは貴子ちゃんの妹さんか何か?」
と七瀬さんが訊くので
 
「妻ですよ」
と千里が答えると
 
「え?女同士で?」
と七瀬さんは言う。
 
ん?と千里は思ったものの、話を合わせておく
 
「私たちレスビアンですから」
「へー!そういうのもいいよね」
などと七瀬さんは言っている。
 
「ユバちゃんもバイだよね?」
と七瀬さんが青池さんに話を向けると
 
「うん。私は男の子、女の子、男の娘、女の娘、女の息子、男の息子、ふたなり、どんな子ともいけるよ」
などと青池さんは言っている。なんか良く分からない概念もある。
 

30分ほどおしゃべりしながら食事をした後
 
「じゃ私たちは午後から神戸に行ってくるから帰るね」
と言って、七瀬さんと青池さんは帰っていった。
 
そして彼女らが帰った後で千里は貴司に言った。
 
「いつの間に“貴子”ちゃんって、女の子になっちゃったの?」
「ごめーん。変なことするつもりはない。でもここに最初きた時、なぜか女の子だと思われてしまって」
 
「ふーん」
と言ってから、千里はいきなり貴司の胸に触る。
 
「わっ。びっくりした」
「おっぱい無いね」
「無いよ!」
「ちんちんもあるし」
「そちらはもっと触って欲しい」
 
むろんすぐ触るのをやめる。
 
「女の子だと思われたのなら、性転換でもしたかと思ったけど、してないようだ」
「まだ男やめるつもりはない(実際はやめさせられている気がするけど)」
 
「どうやったら貴司が女に見えるんだろう?」
「女の子と間違われたのは初めてだよ」
「トイレはどっち使ってんの?」
「ここにいる間は女子トイレ使う」
「それで他の女子の水音を聞いて楽しんでんだ?」
「そんな趣味は無いよ!」
 
「だったら女装してなら今日一緒に買物デートとかしてもいい」
「勘弁して〜。それに今日は買物デートよりバスケデートしたい」
 
千里も頷いた。
 
「確かにその方が楽しいよね」
 
それで千里もバスケットウェアに着換え、貴司も汗を掻いた下着と練習着を着換える。千里が貴司のブラをパッチンしたら「わっ」と驚いていた。
 
「ブラパッチンの経験は無いのか?」
「これブラパッチンって言うの?」
「そそ。女の子同士では軽いふざけあい。男の子がちんちん握りあう程度」
「男同士でちんちん握り合ったりはしないよ!」
「え?そうなの?」
 
貴司は龍良さんには握られたなあ、などと思い起こしていた。
 
「あれ?女物の下着つけなくていいの?」
「少なくとも千里の前では男でいたいから」
「貴司が女の子になっても私大丈夫だよ。私レスビアン覚えるから」
「いや、本当に女になる気はないから」
「射精させてその絶頂でスパッと切り落としてあげようか?」
「・・・」
 
「今一瞬迷った?」
「迷ってない、迷ってない。それきっとショック死する」
「今貴司が私の上で死んでくれたら、永久に私のものにできるな」
「まだ死にたくないから勘弁してぇ」
 

それで、洗濯機を回してから、ふたりで上の体育館に行く。最初軽くウォーミングアップ、組んで柔軟体操などした上で1on1をやる。
 
すると千里と貴司は、ほぼ互角であった。
 
「千里、強ぇ〜! 久しぶりに手合わせしたけど、かなり進化している」
「貴司少し弱くなったんじゃない?もっと頑張りなよ」
 
「自分では強くなっていたつもりだった。でも全くなってないことが分かった」
 
貴司も市川ドラゴンズのメンバーとの練習で進化しているが、千里もレオパルダの育成メンバーとの練習で、世界と戦った勘がどんどん戻って来つつあった。
 
この日はシュート練習、パス練習、なども混ぜながら、マッチングを100本くらいやった。
 

「凄く楽しかった。ボクたち会う度にバスケやらない?」
「そうだね。映画見たり遊園地行ったりするより、私はその方が楽しい」
 
それで夕食も一緒にとり、交替でシャワーを浴びてから休む。
 
ちなみに千里はベッドに寝て、貴司は床に敷いたクッションの上で寝る。
 
「今すぐ阿倍子さんに別れの手紙を書いて、私に再度プロポーズしてくれたら一緒に寝られるよ」
 
「ごめん。その件は申し訳無い」
 
「私、ここしばらく忙しくて、千里(せんり)のマンションの方に行ってなかった。明日貴司を送って一緒に大阪に行って少し掃除してこようかなあ」
 
「あ、それは要らない」
と貴司が焦ったように言うので千里は疑問を感じた。
 
「ねぇ、まさか、私に見られたくないものでも置いているとか?」
「見られたくないものって?」
「阿倍子さんのヌード写真とか?」
「え、えっと・・・」
 
千里はその貴司の反応でピーンと来た。
 
「もしかして阿倍子さんと同棲はじめたの?」
 
「ごめん」
と言って貴司は土下座した。
 

そして説明した。
 
「彼女が住んでいた家の権利を巡って揉めているらしいんだよ。それで3月31日までに退去するよう要求されていたんで、取り敢えず僕のマンションに住まわせてくれというので泊めている。でも同棲はしていない」
 
「阿倍子さんが住んでいるのなら同棲じゃん」
と千里は厳しい顔で言う。
 
「でも僕はずっとここに泊まっている」
「へ!?」
 
「彼女がマンションに来て以来、ずっと僕はこちらで暮らしていて、向こうには週に1〜2度、郵便物のチェックのため会社の昼休みに行っているだけ。面倒だからクレジットの明細とかは全部会社に送ってもらうように変更手続きをした」
 
「それで郵便物のチェックのついでに彼女の身体もチェックする訳?」
 
「そんなことしないよ。誓って言う。そもそも僕は彼女とは1度もセックスしていない。キスもしていない」
 
「でも彼女を妊娠させたんでしょ?」
「あれはなぜ妊娠したのか謎なんだよ」
「それって、本当に貴司の子供だったの?」
「彼女は絶対に他の男性とはしていないと言う」
「でも貴司とはしたんでしょ?」
「性器を接触させたことは認める。でも中には入れてない。いや先端くらいは少し入ったかも知れないけど」
 
千里は腕を組んだ。
 
「それでも貴司は彼女と結婚するつもりなの?」
 
「いや、その件はその・・・」
と、この問題については、どうも貴司は歯切れが悪い。
 

「貴司、怒らないから正直に答えて。私のこと嫌い?」
「千里のことは好きだ」
「阿倍子さんのことも好きなの?」
「ごめん。その質問の答えは保留させて欲しい」
 
ふーん。。。答えないということは好きなのか。まあ好きでも無い女と付き合っているような詐欺野郎なら、貴司に幻滅するけどね。
 
「ねぇ。前にも言ったけど、彼女に払う慰謝料のあてがないなら、私が出す。1000万でも2000万でも、彼女が欲しいというだけ出してあげる。そして貴司が私と結婚してくれるのなら、私は貴司には慰謝料を請求しない。だからそろそろこの問題をハッキリさせてくれない?」
 
貴司は30秒くらい考えてから口を開いた。
 
「こんなこと言ったら殺されるかも知れないけど」
と貴司が言うと
 
「今すぐ殺してあげてもいいけど」
と千里は言う。《こうちゃん》が拳銃を千里に渡そうとするので、取り敢えず押しとどめておく。
 
「千里、高校の時言ったよね」
「ん?」
 
「自分が京平を産んであげられないから、僕が誰か他の女性と結婚して、男の子が生まれたら、その子に『京平』という名前をつけてほしい。それは誰が産んだとしても、千里と僕のこどもだって」
 
千里は腕を組む。
 
「様々な偶然とか巡り合わせで、僕は阿倍子と婚約してしまった。ここ数ヶ月その問題で悩んでいる内に、もしかしたらそれって、京平を作るためなんじゃないかという気がしてきたんだよ」
 
千里は腕を組んだまま目を瞑って、斜め上を向いた。
 
「だから千里には本当に申し訳無いんだけど、僕は阿倍子と結婚して子供を作りたいと思っている。京平をこの世に連れてくるために」
 

千里はかなり考えた。そして言った。
 
「ふーん。話は分かったけど、それを口実に阿倍子さんとセックスしまくるつもりなんだ?赤ちゃんができるまで」
 
「いや。彼女とはセックスしない」
「なんで?」
 
「彼女とセックスすることに罪悪感を感じる」
「なぜ?」
「ごめん。今それをハッキリ僕に言わせないで」
 
千里はちょっと嬉しい気分になった。
 
「だから人工授精するつもり」
「へー!」
 
「でも人工授精を病院でしてもらうためには法的に夫婦でないといけない。だから便宜的に彼女と婚姻させてほしい」
 
実際には貴司はこの時点で多分体外受精が必要だろうと思っていた。
 
千里は3分くらい考えた。そして言った。
 
「その話はおかしい。正式な医療としては認められていないけど、代理母を斡旋しているところはあるよ。法的に夫婦でなくても人工授精をやってくれるところはあるはず」
 
「それも考えたんだけど、やはり彼女と婚約してしまったことが、この方向に進めと運命から言われているような気がしてさ」
と貴司は言う。
 
千里は彼が言うとても微妙なニュアンスを一瞬理解してしまった。たぶん合理主義者には分からないニュアンスだ。
 
「その件は少し考えさせて欲しい」
と千里は言った。
 
「うん」
 
千里は昨年6月に季里子と破談して沈んでいた桃香と話していた時「子供産むためだけに結婚しないといけないの?種だけもらったらいいじゃん」と言ったことを思い出していた。
 
結婚と生殖を別のことと考えてしまう自分はもしかしたら非常識なのかも知れない。季里子のお父さんとか、貴司とかの考え方の方が常識的なのかも知れない。千里は悩んだ。
 

「でもひとつだけ宣言しておくけど」
と千里は自分を振るい立たせるようにしてから言った。
 
「うん?」
「何があろうと、私は貴司の妻だから」
 
そして、千里は左手の薬指に輝くプラチナの指輪を貴司に見せた。
 
装着が素早い!と貴司は思った。さっきまではそんなものつけていなかったはずだ。
 
「その指輪が・・・うちの祖母ちゃんが千里に贈った指輪?」
「うん。貴司の嫁の証としてね」
 
貴司は言った。
「その指輪はつけていて構わない。そして以前僕が贈ったアクアマリンの指輪もつけていて構わない」
 
「うん。そのつもり」
 
「プラスチーナの指輪もつけてていいけど」
「ああ。あれは日常の家事をする時に便利」
「それは言えるよね」
 
「貴司もプラスチーナの指輪、つけないの?」
「実はこないだから移動する時とかにつけてる。バスケ練習の時は外すけど」
「ふーん」
 
プラスチックの指輪ではあっても貴司がそれをつけるというのは、自分の夫であることを貴司が意識してくれているということだ。千里は嬉しくなったが、それが表情に表れないように頑張った。
 
「千里、僕が去年贈ったダイヤのエンゲージリングもつけていいんだけど。母ちゃんが預かっているみたいだけど、千里の所に持って来てくれるよう言うからさ」
 
「それは貴司が私に再度プロポーズして自分で私の指につけてくれるまでお断り」
「分かった」
 

そこまで話が進んだ所で貴司は部屋の机の引き出しから、フェイク・ベルベットの袋を取り出した。
 
「これ渡すタイミングを悩んでいたんだけど」
「何?」
「僕たちの携帯に取り付けている指輪を新しいのに交換しない?」
「あぁ」
 
「今つけているのは、お互い入ることは入るけど、少しきついじゃん。だからこれ昨年作った結婚指輪のサイズに合わせて新たに作った。同じ酸化発色ステンレスなんだけど」
 
「その提案は受け入れる。もらう」
「うん」
 
それで千里は貴司から金色のステンレスの指輪を受け取った(*5)。その場で今携帯につけているものと交換する。
 
「今つけていたのはどうする?」
「各自保管しておくということで」
「OK。そうしよう」
「このジュエリー袋あげようか?」
「もらう」
 
「僕たちが結婚できなくても、この携帯のリングは毎年サイズをチェックして交換が必要なら交換していくことにしない?」
 
「その前半については受け入れられないけど、後半の提案は検討してもいい」
「うん」
 

(*5)指輪の材質
 
千里と貴司の携帯リング:真鍮→酸化発色ステンレス(金色)
(真鍮のリングは保志絵・理歌・美姫がアクセサリーショップで買った1000円の品)
千里と貴司の結婚指輪(Tiffany):18金
アクアマリンの指輪:プラチナ
ダイヤの指輪(Tiffany):18金 (1.2ct)
淑子が贈った指輪:プラチナ
 
貴司はこの他にアクアマリンのイヤリングとネックレスも千里に贈っている。
 
千里と信次の結婚指輪:ジルコニウム
ダイヤの指輪:ジルコニウム (0.5ct)
 
信次が優子に贈ったダイヤの指輪:プラチナ (0.5ct)
 
信次は優子と千里に優劣を付けたくなかったので、優子に贈ったのと同じサイズの石を載せた指輪を千里に贈ったのである。結婚指輪は優子が「結婚する訳ではないから要らない」と言ったので作らなかった。
 
桃香と優子の携帯リング:100円ショップで買った怪しげな金属
 
桃香と季里子の指輪:プラチナ
ルビーの指輪:プラチナ
 
桃香と千里の指輪:プラチナ
ダイヤの指輪:プラチナ (0.7ct)
 
貴司と阿倍子の指輪:チタン(金色)
ダイヤの指輪:チタン(金色) (0.3ct)
 
美映は物事にこだわらない性格なので結婚指輪を作らなかった。婚約指輪も要求していない。一緒に記念写真を撮ってフレンチのコースを食べただけである。
 

千里は、少し気分転換しようよと言い、ふたりで一緒にコンビニに行っておやつとヱビスビールを買ってきた。コンビニに行く時、千里は今受け取ったステンレスの指輪を左手薬指につけた。貴司はつけなかったが、取り敢えずいいことにした。
 
ヱビスビールを開ける。
 
「じゃ、貴司が日本代表として活躍できるよう祈って乾杯」
と千里が言って、ビール缶を合わせた。ぐいっと飲む。
 
「美味しい!」
「ほんと美味しいよね。あまり自分では買わないけど」
「そうだね。私も貴司には買ってくるけど自分ではあまり飲まないや」
 
ちなみに貴司は500ml, 千里は350mlのを飲んでいる。
 
そして結局、結婚問題は棚上げして、ふたりは2時間くらいバスケの話題で盛り上がった。そしてけっこう楽しい気分になった所で
 
「おやすみ」
「おやすみ」
 
と言い合ってキスしてから寝た。
 
むろん千里はベッド、貴司はクッションの上である!
 

翌朝は一緒に朝御飯を食べたあと
 
「今日は私が貴司を会社まで送って行くよ」
 
と言い、貴司をGladius 400のタンデムシートに乗せ、会社のビルの前まで送り届けた。下道を通ったが(*6)、2時間半で到着。始業1時間前なので余裕の出勤となった。行程中、貴司が千里に抱きついた状態で心臓がドキドキしているのを感じられて千里は快感だった。
 
会社のビル前でおろしてもらい、キスをした後、手を振って去って行く千里のバイクが目で捉えられなくなった頃、貴司は女のような身体に戻った。
 
ため息をつく。
 
《こうちゃん》は千里に“悪だくみ”がバレないように、しかし貴司には苦しみを与えるように、万が一にも貴司が更に他の女と浮気しないように、そしてギリギリ貴司の「仮面男子生活」が破綻しないようにかなり綱渡りの運用をしていたが、彼の計画に巻き込まれてしまっている《とうちゃん》も《びゃくちゃん》も少し呆れていた。
 
一方千里は途中のマクドナルドで小休憩してトイレに行き、朝マックを食べてから、またバイクで市川まで戻った。帰りは1人なので高速に乗った。
 
眷属に託してもいい所をわざわざ2時間、自分でバイクを走らせたのは、昨夜貴司が言っていたことを自分なりに考えてみたかったからである。しかし結論は出なかった。なお千里は今朝からずっと貴司から昨夜もらったステンレスの指輪を自分の指につけ、代わりに淑子から贈られたプラチナの指輪を携帯につけておいた。
 
市川ラボの車庫に戻ってから、ため息をついてエンジンを停め、キーを抜くと、スペインに行っている《すーちゃん》と位置交換してもらった。時刻はスペイン時間で午前3時である。千里はシャワーを浴びるとベッドに潜り込んだ。
 

(*6)千里は自動二輪免許を取ってからまだ1年7ヶ月しか経っていないので、高速2人乗りができない。高速道路での2人乗りは、2輪免許を取って3年経過している必要がある。
 
千里は高速に乗ろうとしたが貴司に指摘され、素直に下道を走った。実際にはまだ時間が早いので混んでいなかったし、大阪市内でやや交通量が多い箇所も、バイクは渋滞とは無関係なのでスイスイ進んだ。
 
 
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【娘たちの悪だくみ】(2)