【娘たちの危ない生活】(2)

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千里はフランス遠征が終わって解散した後、車で千葉市に戻り、自分のアパート近くの月極駐車場に駐める。そして荷物を持ってアパートまで戻ったところで
 
・・・・唖然とした。
 
「何これ〜?」
と声を挙げる。
 
そこには瓦礫の山があったのである。
 

しばらく呆然として見ていたが、立札が立っているのに気付く。
 
「住民の方へ。**不動産千葉北支店までご連絡ください」
とあるので電話してみた。
 
「ああ、村山さん!連絡が取れなくて困っていたんですよ。ご実家の方にも電話が繋がらないし」
 
電話が繋がらないって、また電話料金未払いで停められたのか?
 
「ええ。仕事でしばらく留守にしてたんですよ。それで、アパートが瓦礫の山になっているのですが、何があったんですか?」
 
「26日の夜から27日朝にかけて大雨がありましてね。その時にアパートが崩壊してしまったんですよ。誰か生き埋めになっているかも知れないというので、警察・消防でかなり捜索したのですが、誰もいないようだということで。住人と連絡が取れないというので、警察もかなり焦っていたようなのですが」
 
あはは・・・
 
「どうしても遺体とか見つからないので、恐らくは旅行中だろうということになりまして」
「海外に行っていたので」
 
「そうですか!よかった。では警察の方にはこちらから連絡しておきますので」
「分かりました。でも、これ部屋にあった荷物とかは?」
 
「こちらのスタッフで回収できるだけは回収しましたが、洋服などは泥まみれですし、本とかもかなり濡れているのですが。支店に来て頂ければお渡しできます」
 
「分かりました。参ります」
 

それで取り敢えず行ってみたが、回収したものは取り敢えず、不動産屋さんが所有している倉庫に置かれているということで、そちらに一緒に向かった。どうもかなり悲惨な状況である。
 
「洋服類は取り敢えず洗ってみて、ダメだったら捨てるしかないかなあ」
「泥はなかなか落ちないんですよね」
と不動産屋さんも言っている。
 
夏物衣料とか高い服などは桃香のアパートに持ち込んだ段ボールに入っている。また日常的な着換えも半分くらいは桃香のアパートに持ち込んだ衣装ケースに入っている。ここにあるのは、冬物の着換えの一部と、貴司が置いていた男物の服である。また書籍類については、ふだん使いの本や辞書類は桃香のアパートに持ち込んだ本棚に入っている。ここで被害に遭ったのは、主として使用済みの教科書類や漫画や小説、雑誌の類である。
 
あちこちでもらった賞状やメダルの類い、楽器やパソコン関係、楽曲のデータの入ったハードディスク、CD/DVD関係も雨漏りを恐れて桃香のアパートに運び込んでいたので無事である。
 
しかし・・・振袖をここに置いてなくて良かった!振袖2つの内、渋谷の呉服店で作ったものは桃香のアパート、鳳凰柄のは留萌の貴司の実家である。
 
それとアパートが崩壊したのが、倫代が退院した後で良かったと思った。倫代は19日に退院したので、ご両親も既に北海道に引き上げていたはずである。週末まで残っていたらやばかった。
 

それでいったん不動産屋さんに戻り、事務的な手続きをする。アパートの契約については解約ということにした。敷金を全額返してもらう。更にお見舞い金まで頂いた。
 
取り敢えず荷物を引き取らなければならないので千葉市内の友人からまたまた軽トラを借りてきて再度不動産屋さんに行った。“男手”があった方がよさそうなので、《こうちゃん》に20代くらいの男性に擬態してもらった。
 
「20代・・・に見えないんだけど?」
「そうか?」
「いっそ女の子になる?」
「男手が必要ということじゃなかったの?」
「オカマさんだと言えばいいよ」
 
取り敢えず《千里の従兄》ということにすることにした。
 

それでまた荷物の置かれている倉庫に向かう。
 
「では整理がついたところでご連絡ください」
と言って不動産屋さんはいったん帰る。
 
衣類・書籍類以外では、洗濯機、掃除機、エアコン、家電品類、本棚、調理器具類や食器類などがある。洗濯機は大きな木材か何かの直撃を受けたようで、見ただけで使用不能と思われたし、本棚は折れているし、食器類も陶磁器のものは全部割れている。千里の部屋は1階なので、落ちてきた2階の材木などに押し潰されたのであろう。
 
掃除機は使えそうだったし、エアコンも丁寧に掃除すれば使えそうな感じであった。ホットプレートやオーブントースターなどの家電品はきれいに水洗いして乾かせば復活しそうな気がした。鍋の類い、スプーンなどの金属製食器、パイロセラムの皿などは洗えば使えそうである。またバスケットボールが3個あったのも洗えば問題無いようである。靴類は半分くらい無事である。靴箱の中に入っていたからだろう。
 
廃棄するしかないものは、よければ不動産屋さんの方で処分してくれるということだったのでお願いすることにして、とりあえず仕分けをすることにした。
 

「書籍類は必要なら買い直した方がいいと思う」
と《りくちゃん》も実体化して見ながら言う。
 
「たいていは1年生の時や2年前期に使った教科書なんだよね。あとは漫画や小説の類い」
「タイトルを書き写してリスト作ってやるから、それで検討しなよ」
「そうする。じゃお願い」
 
それで《りくちゃん》《せいちゃん》《いんちゃん》の3人で手分けして雨と泥に濡れてしまった本のリストを作ってくれた。衣類は元々段ボールに入っていたものはかなり無事に近い。洗濯すればいけそうである。衣装ケースに入っていたものがダメージが酷いので、これを「洗ってでも何とか着たいもの」と「捨てても仕方ないもの」に分類を試みたのだが、何とか着たいものはあまり無かった。貴司の服がかなりあるので、貴司に電話してみた。
 
「貴司さあ、うちのアパートに置いていた貴司の服で、大事なものとかあった?」
「え?どうだっけ?どうかしたの?」
 
それで千里が昨日の大雨でアパートが崩壊し、洋服などが全部雨に濡れ泥まみれになったことを伝えると、貴司はびっくりしていた。
 
「それ千里、海外遠征中で良かったね!」
「ほんとほんと。中に居る時に、いきなり崩れたらびっくりするよ」
「びっくりするくらいならいいけど、生き埋めになったら大変だよ」
 
それで貴司もどうしても必要な服などは無いと思うということであった。それで結局、ダメージの酷い衣類と、書籍の大半は廃棄することにした。本は全部で600冊ほどあったのだが、陰干しなどすれば大丈夫そうなのが150冊ほど、復旧は困難ではあるものの再入手も困難で、何とかしたいのでページをスキャンしてデータで残そうということになったものが50冊ほど、そして漫画など、廃棄しても惜しくないものが200冊ほど、そもそも復旧不能なもの、激しく破れていたりバラバラになっているものが推定200冊ほどであった。
 
それで必要な物・使える物だけを《こうちゃん》《げんちゃん》《とうちゃん》で手分けして軽トラに乗せる。
 
仕分けができた所で不動産屋さんに連絡し、来てもらった。
 
「では残ったものはこちらで処分しておきますので」
「ありがとうございます。お手数お掛けします」
 

さて、これからどうするかと考えたものの、結局一時的にでも桃香のアパートに同居させてもらうしかないという結論に達する。それでまずは軽トラは崩壊したアパートの近くに借りていた月極駐車場にいったん駐め(荷台全体にブルーシートを掛けておく。このブールーシートも不動産屋さんが「これをお使い下さい」と言ってくれた)、そこに駐めていたインプで、桃香のアパート近くの駐車場に移動し、とりあえず海外に持っていったバッグを持ち、桃香のアパートに行った。
 
「あ、千里おかえりー。帰国したの?」
と桃香が声を掛けてくれる。
 
「うん。これお土産のボルドーワイン」
と言って、グラーブの赤と白を1本ずつ出して渡す。
 
「おお、凄い!本場物のワインだ」
と嬉しそうである。
 
「でも2週間の海外出張って大変だね。休む話は先生たちには通っていたみたい。ノートは玲奈たちが取ってくれてたよ」
 
「ありがとう。でも参った参った」
「何かあったの?」
 
「今日帰国したんだけど、うちのアパートが昨日の大雨で崩れちゃっててさ」
「え〜〜〜!?」
 
「取り敢えず桃香んちにしばらく泊めてよ」
「それはずっと泊まってていいよ」
と桃香は言った。
 
それで2人の「同居」(千里的見解)は始まったのである。
 
ちなみに桃香は「大雨でアパートが崩れたので」という部分はあまりよく聞いていなかったようである!
 

そういう訳で28日は取り敢えず桃香のアパートに泊めてもらったが、29日(土)はローキューツがシェルカップに出るので、稲敷市の江戸崎体育館に向かった。
 
衣類の洗濯、家電品の洗浄などは眷属たちにお願いする!実際には《いんちゃん》と《てんちゃん》で洋服をコインランドリーに持って行って洗濯乾燥を掛け、《りくちゃん》と《げんちゃん》で、家電品等の洗浄を桃香の!アパートの風呂場でしてもらった。ちなみに今日は桃香はバイトで朝から夕方まで不在である。
 
そういう訳で千里本人は、試合会場へ向かい、インプで走って行くので市内で何人かのメンバーを乗せて行った。
 
シェルカップはオープンな大会で、実業団、クラブチーム、高校や大学のチームなど色々なチームが出てくる。バスケ協会に登録のないチームも出てくる。先週既に1〜2回戦が行われており、この日は準決勝と決勝である。この試合には千里と誠美は出ないのだが、客席から応援する。
 
準決勝で当たったのは茨城TS大学であるが、向こうも彰恵と橘花はベンチに入っていない。スターターも1年生(自称TS大学マリーム)中心で、渚紗や桂華もベンチに座って様子を見ているだけの感じだ。千里と誠美がベンチにも入っていないのを見て、頷いている。彼女らは千里たちが出てきた時のために登録していただけという感じだった。
 
それでこちらも結局、麻依子と岬に薫はベンチに座っているだけで出ず、聡美中心に組み立てて試合を進めた。試合は接戦で最後までもつれる。向こうは桂華たちを投入するかな?と思って見ていたものの、最後まで出てこなかった。向こうも麻依子たちを投入するかな?と様子を伺っていた感じもあった。
 
それで結局62-64の1ゴール差でローキューツが勝った。
 
決勝点を入れたのは夏美であった。夏美と夢香は実力的には夢香の方が上で出場機会も多いのだが、お互いに良い意味でのライバル心を持っていて、この試合では2人が競うように点を取っていた。集計してみると、夏美が18点、夢香が16点取っていた。
 
試合終了後はずっとベンチに居た麻依子たちと桂華たちもベンチを出て、お互いに握手を交わした。客席の千里・誠美と彰恵・橘花も握手を交わした。
 

決勝戦の相手は茨城県のクラブチーム、サンロード・スタンダーズであった。昨年の関東クラブ選手権の準決勝で当たっているチームだ。向こうがフル戦力で来るようなので、こちらも麻依子たちを最初から出す。
 
昨年対戦した時は千里と誠美が入っていたが、今回はその2人抜きのオーダーである。序盤その戦力差で向こうが攻め立て、前半を終わった所で相手の8点リードであった。ハーフタイムに千里・誠美も入って検討する。それで相手の中心選手に薫が張り付くダイヤモンド1のゾーンで対抗することにした。
 
するとこれで相手の攻撃力をかなり削ぐことができた。一方でこちらは麻依子・岬・聡美が点を取りまくる。少しずつ追い上げていき、残り1分で追いつく。そして最後は司紗のブザービーターで1点差逆転勝利となった。最後決めた司紗が物凄く興奮していた。彼女はこの1年でほんとに成長した、と千里は思った。
 

優勝の祝賀会を稲敷市内のファミレスでしたのだが、その時、麻依子が思い出したように言った。
 
「そうそう。N高校の生徒で横田さんだっけ?」
「うん?」
「病気か何かで入院していたんだっけ?」
「まあ病気になるかな」
 
「それで入院中の暇つぶしにって、千里、その子に月刊バスケットのバックナンバーを貸してたんでしょ?」
「あ、うん」
 
「それ、退院する時に返そうと思ってたのに、うっかり先に千里のアパートの鍵を郵便受けの中に放り込んだ後で気付いたらしいのよ」
 
「あぁ・・・」
「それでどうしようかと思って、合宿やってた体育館に来てみたという所に私が居て」
「へー」
 
「それでそのバックナンバー、私が預かっているから」
「わぁ!」
 
あのバックナンバーが無事だったというのは嬉しい。自分が出たインターハイやウィンターカップの写真なども結構収録されていた。
 
「今私もなんか読みふけってしまっててさ。しばらく預かってていい?読み終わったら返すから」
 

「うん、OKOK、ゆっくりどうぞ〜。私もしばらく仮住まいだし」
「それ大変だったね」
 
「何かあったの?」
「いや、一昨日の大雨で、私のアパートが崩壊してしまって」
「ありゃあ」
 
「それで今友だちのアパートに取り敢えず寄せてもらっているんだよ」
「大変だね!」
 
「どっちみち近い内に引っ越ししようと思っててさ、荷物半分くらいその友だちの所に置かせてもらってたから、ギターとかプライスレスな篠笛とか、あちこちでもらったメダルや賞状の類いとかは全部無事」
 
「それは運が良かった」
「賞状の類いがやられてたら悔やんでも悔やみきれない所だったね」
 
「プライスレスな篠笛って何?」
 
「それ、千里が高校時代に京都で不思議な人からもらった篠笛らしくて」
「うん?」
「どうも平安時代のものらしい」
「凄い!」
 
「でも千里以外誰も吹けない」
「へ?」
「何人かの管楽器奏者さんに吹いてみてもらったけど誰も音が出せない。でも私が吹くとすごくきれいな音が出るのよね」
 
「それはたぶん千里が非常識だからだな」
「みんなから、そう言われる」
 
「そういう訳で、その笛は、ちゃんと吹けるものであれば数千万円の価値があるらしいが、千里以外誰も吹けないので、値段が付けられない。それでプライスレスらしい」
 
「凄いのか凄くないのかよく分からん」
 

29日は祝勝会が終わった後も、麻依子たちと結構遅くまで千葉市内のファミレスで話して(話題はフランス遠征のことがメイン)から別れて帰ったので、桃香のアパートに帰還したのはもう夜中すぎであった。桃香は明日は朝6時から電話受付のバイトなので、良かったら起こしてと言っていた。
 
それで千里は朝4時半に起きて朝御飯を作り、桃香を起こして食べさせる。
 
「じゃ桃香、新しいアパートとか見つかるまで取り敢えずお世話になるけど、家賃は半々ということでいいのかな?」
「ずっと居てもいいんだけど。でも家賃は半々でいいかな。共益費込みで6000円だから、3000円ずつにしよう」
「じゃ取り敢えず2月分の3000円と1月分の日割り400円渡すね」
「細かいな!日割りはいいよ」
「じゃ、そこの招き猫ちゃんに入れちゃおう」
と言って、千里は招き猫の貯金箱に400円を入れた。
 
それで朝御飯を終えるとバイトに出かける桃香を送り出したのだが、桃香が出がけに千里のお股に触るので、ギョッとする。
 
「ちょっと桃香!」
「ごめん。ごめん。出かけてくるね、ハニー」
などと言って桃香は千里な投げキスして出て行った。
 
「もう!」
 
千里は《いんちゃん》に訊いた。
 
『なんで私、また男の子になってるの〜?』
『これから夏くらいまでの間は、しばしば男になったり女になったりするみたい』
『いやだよー』
『男の子の時間が残っているんだから仕方ない』
 

ともかくも、その日は、スーパーや家電量販店を巡り、取り敢えず必要なものを買いそろえた。洋服も結構買った。冬物衣料が投げ売りされているので、それを随分買ってきた。エアコンと、スキャナ付きプリンタ、FAX付き電話は修理に出してみることにした。ダメになった本を《りくちゃん》たちが作ってくれたリストで見ていて30冊ほどあったほうがいい本があったので、Amazonで古本!を見て注文を入れた。
 
救えそうな本は眷属の子たちが手分けしてページを全部めくっては1ページごとに吸水用にティッシュペーパーを挟んでいってくれた。それを6畳の部屋に並べて陰干しにする。《せいちゃん》に新たに本棚を2個買ってきてもらい、その上にも並べた。
 
《せいちゃん》にはA3までスキャンできるプリンタとスキャナの複合機2台とハードディスク6台、作業用のパソコン2台を買ってきてもらい、《きーちゃん》と《せいちゃん》で手分けして、本自体は救えないもののデータで残したい本を、ページ単位でスキャンしてもらった。2人で分担してやってもらうために2セット買ってきたのである。
 
家電品類は桃香のアパートのお風呂場で全部洗わせてもらったのだが、《りくちゃん》が細いブラシを使って奥の方に入り込んでいる泥とかをかなりきれいに落としてくれた。後は陰干しして乾燥させる。充分乾いた所で通電して動けば儲けものである。
 
また取り敢えず住所変更をしなければならないので、ネットで済ませられるものはネットで、電話などが必要なものは電話を入れた。この作業は千里ではうまくできないので《すーちゃん》に頼んだ。またアパート近くに借りていた月極駐車場を解約し、桃香のアパート近くにある月極駐車場を契約した。空きのある駐車場は《たいちゃん》が見つけてくれたのだが、場所が中心部に近い所なので、駐車場代を聞いてぎゃーっと思ったが、希望者がいくらでも居るので、空いているのを即契約しないと借りられない。
 

そういう訳で夕方、桃香が帰って来た時は6畳の間はブルーシートを広げた上に大量の本や家電品が陰干しされている状態であった。
 
「なんか凄い」
「ごめーん。屋根のある所で乾かさないといけないから。今夜私、台所で寝るね」
「台所は寒いよ。四畳半で寝るといい。襲わないから」
「ほんとに襲わない?」
 
それで桃香の布団から1m!離して千里の布団を敷き、寝ていたのだが、まだ遠征疲れもあるし、そのあと試合自体には出なかったものの稲敷市まで往復してきて、今日は1日買物などで飛び回っていたので、かなり熟睡していた。そして夜中変な感覚で目を覚ますと・・・・
 
舐められている!
 
「ちょっと、桃香やめて。私を襲わないって言ったじゃん」
「ごめーん。セックスがダメなら、舐めるのはどうかなと思って」
「舐めるのも禁止!」
「純粋に快楽を味わうだけならいいじゃん」
「私は舐められても気持ち良くない!」
「そうなの?彼氏には舐めてもらわないの?」
「彼氏には一度もそれ見せたことない」
「どうやってセックスしてるのよ?」
「スマタだよ。おちんちんはふだんタックしてるもん」
「よく隠し通せるね!」
 
それで桃香がもう舐めないと誓うので、今夜のことも無かったことにして、その日は寝た。
 

翌1月31日(月)。
 
この日は午後の講義が休講になり、授業が午前中で終わったので、その後役場に行き、住所変更届けを出した。また郵便局にも寄り、転送依頼を出す。更に警察署にも行って、免許証の住所書き換えを依頼した。また友人関係にも住所変更の通知をメールした(メールはきーちゃんに頼んだ)。
 
15時頃、桃香から電話が入る。
 
「千里さあ、来年くらいには性転換したいと言ってたじゃん」
「うん。桃香に精子あげる約束したから、それが終わったら去勢して、来年には性転換手術したいと思ってる」
「その性転換手術するのって、性同一性障害の診断書が2枚いるでしょ?」
「うん」
「もう2枚取ってる?」
「実は1枚しか取ってない。1枚は婦人科の先生に書いてもらっているから、もう1枚、精神科の先生に書いてもらわないといけないんだよ」
 
「実は私の昔のガールフレンドで男に性転換したいと言っている子がいてさ」
「へー」
「お昼に偶然会って、さっきまで一緒にお茶を飲んでたんだよ。その子が既に診断書2枚持っているらしくて。千里のこと少し話したら、もしまだ診断書取ってないなら、病院紹介するよと言っているんだけど」
 
千里はそういえば先日倫代が手術を受けた病院でGIDの診断書をもらった時、《いんちゃん》が「近い内に似たようなことが起きるよ」と言ったことを思い出した。それで答えた。
 
「助かるかも。どこかに行けばいい?」
「もし来られるなら、東京の池袋まで来られない?」
「じゃ30分くらいで行くよ」
と千里は連絡した。
 
そして千里はいったんアパートに戻ると!シャワーを浴びてきれいな下着に着換えた。そして《きーちゃん》に池袋に転送してもらった。先日はいきなり診察を受けたので、結構恥ずかしかったのである。
 
桃香と、その元カノらしき男性が居る。千里は会釈して寄って行った。
 
「こんにちは。村山です。よろしくお願いします」
「畑中と申します。よろしくお願いします。Gクリニックという所なんですけどね」
と彼はバリトンボイスで言った。
 
「名前は聞いたことあります」
「GIDの当事者の間ではわりと有名な病院ですからね」
「へー」
 
それで3人で一緒に電車に乗ってその病院まで行く。電車代は千里が3人分出した。
 

予約無しで行ったが、まずは色々検査を受けてくださいと言われ、採血・採尿、レントゲンとMRIに心理テストまで受けさせられた。またまた自分史を書かされたが、先日一度書いているので、あまり悩まずに書くことが出来た。こないだ無かったのがレントゲンとMRIだが、骨格の状態、内性器の状態を確実に把握しておきたいのだろう。また女性の看護師さんからペニスのサイズ、睾丸のサイズ、バストのサイズを測られたが、バストはいいとして、男性器のサイズ測定は、ちょっと恥ずかしかった。もっとも心が女である千里としては、こういう検査を男性の看護師さんにはされたくない。
 
それで結果的に2時間後に精神科の先生の診察を受けることができたが、先生はあっさりGIDであると診断してくれた。
 
「あなたは完璧すぎる。性同一性障害ではなく、むしろ性器が間違って発達したというのに近い。あなたには男性的な要素がみじんもない」
と先生は言っていた。
 
「普通なら数回通院してもらってから診断を出すのですが、あなたには疑いの余地がないですよ」
「私自身、自分が男だなんて思ったことは一度もないですし、初対面の人で私を男だと思った人も1人もいません」
と千里は言う。
 
「そもそも男性の二次性徴が全く出ていませんね」
「小学4年生の時から女性ホルモンを取っていたので」
「あなたの骨盤は完全に女性型に発達しています。肩とかも女性の形だし、喉仏も無いですね。これ本当は女性なのではと思いたくなりますが、卵巣や子宮はないから、半陰陽とかではないですね」
 
「私、スポーツするので性別を疑われて遺伝子検査されたこともありますけど、遺伝子異常は無くてふつうのXYだと言われました」
「はい。こちらでも血液の遺伝子を確認させてもらいましたが、遺伝子的には普通の男性ですね。むしろ遺伝子と性器以外は全て女性と言うべきかな」
 
「それは割とこれまで何度も言われました」
 

医師は色々な検査結果に再度目を通してから訊いた。
 
「手術はどうします?こちらで受けますか?」
「タイで受けたいと思っています」
「でしたら英語で診断書書いておきますね」
「よろしくお願いします」
 
そういう訳で千里の性同一性障害の診断書はあっという間に2枚揃ったのである。
 

そういう訳で、19時頃には病院を出ることになった。
 
千里は待ってくれていた畑中さんと桃香に御礼を言った。
 
「ありがとうございました。おかげで診断書が2枚そろったので、いつでも性転換手術を受けられます」
 
「良かったね」
と畑中さんが言う。
 
「畑中さんはいつ手術を受けられるんですか?」
「俺は一応予約は入れているんだよ。今年の秋の予定」
「わあ、それは頑張ってください」
 
それで千里は2人を御礼に食事に誘いたいと言ったら、桃香が焼肉がいいというので、近隣の焼肉屋さんに入った。30分くらい食事をした所で電話が入ったので
 
「ごめーん。急用が入ったから私行くね。会計はしておくけど、追加オーダーとかで足りなくなったらこれで払って。あと帰りの交通費と」
と言って、支払い用の1万円札と交通費用に5千円札を渡した。
 
それで千里は会計を済ませてお店を出た。
 
むろん2人にしてあげようという親切心である。
 
電話は不動産屋さんから、「市からお見舞いの品が届いているので、明日にでもお寄り頂ければお渡しします」ということであった。明日でもいいのだが、まだ時間があるので、《きーちゃん》に転送してもらい、閉店間際に不動産屋さんに飛び込んだ。
 
お見舞いの品というのは、お布団であった!
しかも2組もある。
 
おそらく被災した時に、ずぶ濡れ・泥だらけになった布団が2組あったからではという気がした。
 
結局不動産屋さんの男性社員さんが桃香のアパートまでその布団を運んでくれた。社員さんは「この階段を持って登るのは女性には大変でしょう」と言って、玄関の所まで持って登ってくれた。千里はよく御礼を言って「ほんのつまらない賄賂ですが」などと言って、ホテルの汚職事件、もとい!御食事券を2枚渡しておいた。
 

桃香は結局翌日、2月1日(火)の早朝、戻って来た。
 
「飲み過ぎたぁ」
などと言っているので、《予め用意していた》オレンジジュースとアイスクリームを出してくると、美味しそうにアイスを食べ、オレンジジュースを飲んでいた。
 
「きついから学校休みたいけど、試験前だから休めん」
などと桃香は言っている。
 
「学校まで歩けば少しは酔いが覚めるかもね」
「そうするか」
 
一緒に朝御飯を食べてから、千里が茶碗を片付けている間、桃香はパソコンでmixiの書き込みを見ているようである。
 
「畑中さんとの関係は、桃香がネコちゃんなの?」
と千里は茶碗を洗いながらなにげなく訊いた。
 
「まさか。私がネコになる訳無い。私はいつもタチだよ。昨夜も私があいつに入れたよ」
 
「じゃ彼って、FTMだけどネコなんだ?」
「あいつ彼女いるけど、彼女がいつも男役らしいよ」
「それでも男の子になりたいんだ?」
「女の子に騎乗位でされるのが理想だとか言っていた」
「やはり性の問題って難しい」
「うん。正直完全には理解できない人の方が多い」
「確かにね〜」
 
そんなことを言っていたら、いつの間にか千里の後ろに忍び寄っていた桃香が後ろから千里のお股に触った。
 
「きゃっ!」
「ごめんごめん」
「次これやったら、遠慮無く顔面蹴るからね」
 
「すまんすまん。でも千里、まだ少し時間あるしさあ、学校に行く前に1発やらない?」
 
桃香って・・・・ほんとに男の子の発想だよなあと千里は改めて思う。
 
「セックスはしません」
「ケチ」
 

千里はハッキリ言っておかなければならないと思った。
 
「桃香、何度も言ってるけど、私は彼氏がいるから、桃香の求めには応じられないから」
「でも彼氏って大阪なんだろ?普段の性欲解消くらいいいじゃん」
「私は嫌です」
 
「しかし千里に夜這いを掛けて、その度にお腹とかお股とか蹴られるのも辛い」
「桃香が私を襲おうとするからだよ。顔も蹴られないように気をつけてね」
「それも辛い」
 
ふたりは少し話し合ったのだが、千里も少し妥協することにした。
 
「だったら、バストに触るのまでは女の子同士のふざけ合いの範疇ということで、許すけど、お股はやめて」
「気持ち良くしてあげるのに」
 
お股に触られると、おちんちんが無いことがバレるので(今日はあるけど)困るのだが、ここは千里は詭弁を使うことにした。
 
「おちんちんは、自分でもできるだけ触らないようにしてるんだよ。だって触ると自分が男であることが悲しくなっちゃうから。だから桃香にも触って欲しくない」
 
「うーん。。。じゃしばらく控える。でも千里は私のお股には触っていいから」
「それも触らない。だって女の子のお股に触ったら、羨ましくて、すぐにも手術したい気分になるから」
 
「すぐ手術してもいいんじゃない?あ、待って。精子を保存してからにしてくれ」
「それも気が進まないけど、まあいいよ」
「おっぱいは触ってもいいのね?」
「そこまではいい」
 
「キスは?」
「拒否」
「友だち同士でもキスするぞ」
「じゃ友情のキスならいい。舌入れるのも無しね」
「OKOK」
 
なお千里の身体は2月2日の朝に女の子に戻った。
 

2月3-10日は後期の試験がある。千里はファミレスの方は1月下旬以降海外遠征のためお休みにしてもらっていたのだが、10日まで休ませてもらうことにしていた。そして試験なのでたくさん勉強しなければならない。勉強場所を求めて朱音や玲奈が桃香のアパートにやってくるが、すぐに気付く。
 
「千里の私物が増えている気がする」
「それに真新しい布団が2組もある」
 
「私のアパートがこないだの大雨で崩壊しちゃったんだよ」
「うっそー!?」
「元々ガス爆発にやられて、かなり傷んでいたから、今回の雨で一気に崩れてしまったんだろうということで。だから、次のアパートが見つかるまで一時的にここに同居させてもらうことにした。新しい布団は市からお見舞いにってもらった。私は古いピンクのを使うから、新しい布団は朱音たち使っていいよ」
と千里。
 
「使わせてもらおう。でもそれなら同居というより同棲?」
 
「まさか。だって私と桃香はお互いに恋愛対象外だし」
「その主張は何度も聞いているのだが、微妙に疑問もあって」
「いつまで同居の予定?」
 
「取り敢えず私、夏までほとんど時間が取れないんだよね。だから引越先を探すのも秋以降かな」
と千里は言うが
 
「いや、ずっと居てもいいのだが」
と桃香はまた言っている。
 
取り敢えず7月がU21世界選手権、8月がユニバーシアードである。もしフル代表にも招集された場合は、8月はU24(Univ)のユニバーシアードとフル代表のアジア選手権の連チャンになる。
 

大学は試験中であったが、2月5-6日は関東クラブバスケット選手権が山梨県立小瀬スポーツ公園体育館および南アルプス市櫛形総合体育館で行われるので、行ってくることにする。この大会で上位に入れば3月の全日本クラブ選手権に出場できて、そこで上位になれば全日本社会人選手権に出られて、そこで上位になれば、来年正月のオールジャパンに出場できる。これはオールジャパンへの長い長い道のりである。
 
玉緒が先行して2月4日に甲府に入り、夕方からの代表者会議(ベルクラシック甲府)に出席してくれている。他のメンツは5日朝から総武線などで新宿駅に出て《スーパーあずさ1号》に乗車。甲府駅からバスで30分ほど揺られて、櫛形総合体育館に到着した。女子の試合は今日はここで行われる。
 
「最近ほとんど顔を見ない沙也加だけど、4月から就職するので3月いっぱいで退団したいということだった」
と浩子が報告する。
 
「きちんと就職できたのなら良い良い」
と玉緒が言っている。
 
玉緒は「短大生です」と言うのが恥ずかしいくらいにほとんど学校に行かずにバイトに明け暮れる2年間を過ごして(しばしば「私OLでーす」などと言っている)今春に卒業予定(それで卒業させてくれる所がすごい)なのだが、就職活動もほとんどしていないので、4月からの行き先が無い。取り敢えず今会社事務のバイトしているところで4月以降もバイトを続けることで、会社側と同意しているらしい。
 
「同じくほとんど出てきてない茜については、あまり顔出せないけど気が向いた時に練習に出てきていい?とか言うから、いいよいいよと言っておいた」
と浩子。
 
「じゃ茜ちゃんはそういうことで」
 
現在ローキューツの選手は18名おり、全員出てくるとベンチに入れないのだが、今日はその沙也加と茜が来ていないので16名であり、全員ベンチに座ることができる(この大会は監督・コーチ・アシスタントコーチ・マネージャー1名ずつと選手16人の合計20名がベンチに座ることができる)。但し今回玉緒は、とても自分が出られるような大会ではないからマネージャーということにさせてくれと言うので、マネージャー登録することにした。従って今日は選手15名である。
 
来年以降は大会のレベルとかでベンチに座らせる人を選ばないといけないなあと麻依子・浩子とは話していた。たぶん玉緒などはシェルカップとか栃乙女カップのような気軽な大会要員になるだろう。逆に千里や麻依子はそういう大会では客席応援になる。
 

関東クラブ選手権は関東8都県から2チームずつ代表が出てきて16チームで争われる。今日のタイムスケジュールはこうなっていた。
 
9:00 1回戦AB 10:35 1回戦CD 12:10 1回戦EF 13:45 1回戦GH 15:20 2回戦AB 16:55 2回戦CD
 
ローキューツは10:35の試合に割り当てられていた。勝てば15:20の2回戦に進む。1回戦の相手は栃木2位のチームであった。
 
浩子/夏美/聡美/夢香/桃子
 
というメンツで出て行ったのだが、相手は桃子の背丈を見ただけでビビっている雰囲気である。ティップオフもこちらが取り、こちらが先に攻めて行くがスクリーンとかをしなくてもそのまま点が取れる感じである。菜香子、元代、司紗などを順次投入していくものの、実力差は明白だった。50-88で快勝して2回戦に進出する。
 
午後に行われた2回戦の相手は茨城1位のなかなかギャルズである。茨城県予選の決勝でサンロードスタンダーズに勝ってここに出てきている。那珂市・ひたちなか市付近の20-30代の女性で結成したクラブのようだが、薫の事前分析では、ひたちなか市を拠点とするWリーグ所属プロチーム・ハイプレッシャーズのOGが数人入っているということのようである。現在のハイプレッシャーズには昨年度ローキューツにいた小杉来夢が加入している。
 

凪子/国香/薫/岬/桃子
 
というさっきよりは強いメンツで出て行く。これで前半はかなり競ったゲームとなり、前半終わった所で38-32と向こうが6点リードしている。
 
「どうする?主力投入する?」
「迷うくらいなら、私が出よう」
と麻依子が言って、彼女が後半出て行くことにする。
 
すると麻依子は前半休んでいたこともあり、相手エースを軽く翻弄する。あっという間に逆転して、どんどん引き離す。結局72-84で勝った。
 
この結果、ローキューツはこの大会で4位以上が確定。3月19-21日に浜松市で行われる全日本クラブバスケットボール選手権への出場が決まった(6位以上で進出)。
 

バスで甲府まで戻り、甲府市内の旅館に泊まる。
 
「でもこういう遠征の時、だいたいホテルではなく旅館になっているような気がする」
という声があがる。
 
「まあ多人数の場合は、その方が安くなる場合が多いというのもある」
「お風呂も大浴場の方が疲れが取れる気もする」
という声もあるが
「大浴場に行くと、脱衣場で悲鳴上げられたり、『えっ?』という顔で見られるのが・・・」
という一部の声もある。
 
「確かに女であることをみんなに確認してもらうために大浴場に入っているんだったりして」
「セックスチェックなのか!?」
 
「男なのに女湯に入ったことのある人知ってるけど」
と薫が言うと
 
「そんな犯罪者は即通報しなきゃ」
 
などと千里が言う。
 
その2人の会話を聞いて司紗と麻依子が思わず呆れたような顔をしていた。
 

翌2月6日、準決勝と決勝は男女ともに甲府市内の小瀬スポーツ公園体育館で行われる。昨日の南アルプス市の体育館もこの体育館も、甲府市中心部からバスで30分ほどでアクセスできる。ただ、今日は泊まった旅館が「送迎サービス」の範疇ということで会場まで送ってくれた。
 
おかげで10分程度の所要時間で楽に会場入りすることができた。
 
今日のこちらの試合スケジュールはこのようになっていた。
 
9:00 女子準決勝 10:35 男子準決勝 12:10 女子3決&決勝 13:45 女子表彰式 14:00 男子3決&決勝 15:40 男子表彰式
 
ここまで勝ち残っているのはこの4チームである。
 
江戸娘(東京1位)
ローキューツ(千葉1位)
ビッグベース(埼玉1位)
サザン・ウェイブス(千葉2位)
 
ローキューツの準決勝の相手は埼玉のビッグベースであった。製紙会社の社員を中心に運用されているチームで、実質実業団ということのようである。
 
マジなオーダー、
 
凪子/千里/岬/麻依子/誠美
 
で出て行く。
 

初期段階で向こうがこちらについて何も情報を持っていなかったのは明白であった。何と言っても長身の誠美に2人付いて、いかにも大したこと無さそうに見える千里は放置された。
 
楽々とスリーを決める。
 
しかし最初はそんなのまぐれだろうと思ったようである。
 
ところが2発続けてスリーを入れられると、相手は少し警戒して、千里にも1人付いて岬が放置される。
 
岬が美しくレイアップシュートを決める。
 
やばいかもというので麻依子に付いていた人が岬に付く。
 
麻依子が楽々とレイアップシュートを決める。
 
凪子を放置して麻依子に付く。
 
凪子がレイアップシュートを決める。
 
向こうはタイムを取った。
 

結局相手はゾーンを敷いた。
 
ところが単純なゾーンはスリーの餌食である。千里がいとも簡単にスリーを決める。
 
向こうのキャプテンがコート上で指示を出し、向こうのスモールフォワードと思われる人が千里に付くダイヤモンド1のゾーンに切り替える。
 
誠美の強引な突破を防げない。
 
とうとう前半2度目のタイムアウトを取る。
 
(2004年春以降、タイムアウトは前半2回、後半3回取れることになった。但し2011年春以降は後半最後の2分には2回までしか取れなくなる)
 

結局向こうはマッチアップゾーンを敷いた。ボールマンに1人付き、他の4人でゾーンを組む方法である。ボールがパスされた場合は新たなボールマンの近くにいる人がその相手に付き、他の4人でゾーンを組み直す。
 
ところがローキューツの、少なくとも千里・麻依子・誠美・岬・国香・薫といったメンツの間のパス回しは速い。相手のマッチアップゾーンはこの速いアクションに翻弄される。ボールの移動速度に守備体制の再編成が追いつかないのである。結果的に向こうの守備体制はメチャクチャになってしまう。ほとんど無防備に近い状態になり、こちらの得点をどんどん許す。
 
結果的に第1ピリオドは10-28という酷いスコアになった。しかも相手キャプテンはこのピリオドだけで3ファウルとなり、審判から注意される羽目になる。
 

第2ピリオドで、相手チームはマンツーマンに戻してしまった。結局千里のような優秀なシューターのいるチームにゾーンは無力であると悟ったようである。しかし、ひとりひとりの能力では、千里や誠美を押さえることはできない。どんどんシュートされる。この2人に気を取られる過ぎると、薫や国香にもゴールを奪われる。このピリオドも14-24と圧倒的な差が出る。
 
点差が開いているので第3ピリオドでは千里と誠美を下げる。相手はここぞとばかりに猛攻を掛けてくるが、こちらは気にせずマイペースでプレイを続ける。結局26-18と相手が8点リードして、ここまでの累計は50-70である。
 
第4ピリオド、千里と誠美はやはり休んでいる。相手は必死に攻撃してくるもさすがにみんな疲れが出てくる。プレイが雑になりシュートの精度も落ちる。リバウンドはほとんど桃子が取ってしまう。
 
結局第4ピリオドは22-24で、合計72-94でローキューツが勝った。
 

汗を掻いた服を着替え、軽食を取ってから、出場時間の長かった岬や薫が仮眠する。千里や麻依子などは仮眠まではしないものの横になって身体を休めていた。
 
そして12:10の予定だったが時間がずれ込んで12:20、決勝戦に臨む両チームのメンバーがAコートに並ぶ。隣のBコートでは同時に3位決定戦が行われる。
 
決勝戦の相手は江戸娘である。この時期の江戸娘は創立者の秋葉夕子を中心に神田リリム、上野万智子、大塚アリス、目黒奈美絵という“山手線五人組”が強烈な破壊力を持っていた“第1次黄金期”の時代である。
 
このチームとは2009年8月のシェルカップ準決勝、9月の関東クラブ選抜準決勝、昨年の関東クラブ選手権決勝と3回対戦しており、最初の2回はローキューツの勝ち、3回目は江戸娘の勝ちであった。勝敗は付いているものの、全て接戦で、両者の力はほぼ同じである。今回は結局1年前のこの大会決勝と同じ組合せということになる。
 
ローキューツは
 
国香/千里/薫/麻依子/誠美
 
というメンツで始めた。向こうも秋葉・神田・上野の3人がスターターに顔を揃えており、最初から全力勝負である。
 

相手はごく標準的なマンツーマンで来た。千里には秋葉、誠美には神田がマッチアップする。お互いに相手のプレイスタイルはだいたい分かっており、パワーとスピードがあふれる激しい試合展開となった。
 
どちらも全く溜めを作らず、ひたすら走ってひたすら攻める。客席から「何だ、こいつら?まるで男子の試合だ」という声があがっていた。
 
選手は疲れが溜まらないように、適宜交替させていく。岬、聡美、桃子、夢香、といった所を投入していく。ポイントガードは1,3ピリオドを国香、2,4ピリオドを凪子で行った。千里と誠美は短時間の休憩をはさんで全体の90%くらい出ている感じであった。
 
試合は最後までもつれにもつれる。
 
残り1分になった所で江戸娘が3点リードしていたが、誠美のシュートを神田がブロックしたのがファウルを取られフリースローとなる(誠美のシュートをブロックできる所が凄い)。誠美が1本決めて2点差。江戸娘の攻撃で上野のシュートがリングの端で跳ね上がって外れる(残り51秒)。リバウンドを誠美が取り、速攻から麻依子がシュートするが、神田がまたブロック(残り43秒)。しかしこぼれ玉を麻依子が取って今度は決めて同点!(残り40秒)。
 
江戸娘も速攻して秋葉が2点取ってまた突き放す(残り32秒)。ローキューツも速攻で応酬し、麻依子がまた決めて同点(残り25秒)。ここで江戸娘はゆっくりと慎重に攻め上がった。次の攻撃時間をできるだけローキューツに残さないためである。神田のシュートを誠美がブロックするも、こぼれ球を大塚が拾って決めて、残り5秒で2点差となる。
 
ローキューツは凪子のロングスローインを千里がフロントコードで受け取る。しかしそこに秋葉が来ていて2人の一瞬のマッチアップ。
 
わずか1.5秒の心理戦で千里が秋葉を抜く。スリーポイントラインの所から美しくシュート。
 
シュートした次の瞬間に試合終了のブザーが鳴る。
 
千里が放ったボールはダイレクトにゴールに飛び込み、土壇場で逆転!
 
千葉ローキューツが昨年の雪辱を果たし、関東クラブ選手権を初制覇した瞬間であった。
 

試合終了後、神田や秋葉が「くっそー!」という顔で首を振っている。
 
両者整列する。
 
「83-82で千葉ローキューツの勝ち」
「ありがとうございました」
 
お互いに握手したりハグしたりして健闘を称え合った。
 
少し置いて表彰式になる。
 
優勝の賞状をキャプテンの浩子が受け取り、笑顔で会場に向けて手を振った。準優勝の江戸娘、3位のサザン・ウェイブスと表彰された。
 

千里たちが関東クラブバスケット選手権を戦っていた、2月5-6日、旭川では今年の新人戦北海道大会が開かれていた。各地区大会で上位に入った32校が出場している。
 
会場となったのは旭川市総合体育館である。
 
実はこの大会までは旧コートレイアウトで行われるのだが、旭川N高校、札幌P高校の2校は既に新コートレイアウトに変更しており、旭川L女子校や札幌D学園はこの新人大会の間に工事を行う予定である。4月からの新しいコートに身体を慣らしていっている所で、N高校とP高校は若干の感覚の狂いはあったようだが、すぐに元の感覚を取り戻して、ふつうに得点を挙げていた。何よりもこの2チームは実力が飛び抜けているので、順調に勝ち上がっていく。結局この2チームで決勝となった。
 
そして決勝戦では6点差で札幌P高校が勝った。
 
負けたN高校の松崎由実が悔しそうにしていた。
 

大会が終わった後「興味のある人だけどうぞ」と案内されて、舞台を旭川N高校に移して、札幌P高校と旭川N高校の「1年生チーム」同士で練習試合が行われた。新しいコートレイアウトをみんなに見てもらうためである。実際には参加していたほとんどの高校関係者が(男子も含めて)これを見に来た。
 
試合開始前に見に来た人たち全員に開放して自由にプレイしてもらったのだが、やはりレイアップシュートを入れきれないし、シューター組もスリーが届かなかったり、力を入れすぎてバックボードで跳ね返ったりして、なかなか入らない。みんなこれは大変だぞ、と思ったようであった。
 
「うちは1年くらい様子見てもいいんじゃない?と校長に言われていたんだけど、これは絶対ダメです。早く新しいレイアウトに慣れさせないと、下手したら得点が半分に減る。再度校長に強く言いますよ」
と釧路Z高校の尾白監督が言っていた。
 
実際の練習試合は次のレギュラー枠を狙う1年生同士がお互いかなり頑張り、白熱した試合となる。結果はN高校が2点差で勝った。
 

 
千里の大学の後期試験は10日で終了した。千里は無事全部60点以上でひとつも落とさなかったが、桃香は3つも落として「追試だぁ!」と言って騒いでいた。
 
桃香は結局レポートを提出することになったようで、11-13日の連休には必死でレポートを書いていたようである。
 
一方、この連休、千里は千葉県冬季クラブ選手権に出ていた。
 
昨年は7チームが参加したため、変則的な方式で実施されたのだが、今年は1チーム減って6チームなのでわりと普通の形で行われた。
 
3チームずつで予選をやって上位で決勝トーナメントを行う方式である。
 
A組 ローキューツ(選手権1位)、フェアリードラコン(選抜2位)、暴走ギャルズ
B組 サザン・ウェイブス(選手権2位)、サクラニャン(選抜1位)、フドウ・レディース
 
千葉には女子のクラブチームは現在11チーム登録されているのだが、他の5チームは諸事情で参加を見送ったようである。昨年この大会に参加していたブレッドマーガリンは親会社の経営状況が厳しく、実質休部状態になっているらしい。ホワイト・ブリーズは現在部員が4人しかおらず参加できなかったという。しかし何とか人数を増やして春の大会には出たいと言っているしい。このあたりの情報はけっこう浩子がつかんでいる。
 
「ホワイト・ブリーズは実は1人男子が混じっていたのがバレたらしい」
「うっそー!?」
「という噂もあるのだけど、真相は分からない」
「うーん。。。冗談なのか、本当なのか」
「あっても不思議で無い気もするしなあ」
 

男子は16チームあるので11日から試合があっていたのだが、女子はチーム数が少ないので12日からである。この日は予選リーグの6試合が行われた。
 
ローキューツは「私たちが出なくても2連敗することはあるまい」ということで、千里・誠美・麻依子・薫の4人は12日は出なかったのだが、フェアリードラコンには勝ったものの、暴走ギャルズにブザービーターを入れられて1点差で負けてしまった。国香が「ごめーん」と言っていたが、主力を出さない判断をしたのは千里と麻依子なので、国香には責任は無い。しかし向こうは物凄い喜びようであった。そういう訳で決勝トーナメントはこのようになった。
 
A1暴走ギャルズ━━┓
B2サクラニャン━━┻┓
A2ローキューツ━━┓┣
B1サザンウェイブス┻┛
 
13日の午前中の準決勝でサザンウェイブスのベンチから「せっかく予選1位になったのに、なんで準決勝でここと当たるのよ?」という声が聞こえた。
 
ローキューツは昨日主力を出さずに負けているので今日はちゃんと全員出る。それで20点差で圧勝して、決勝トーナメントに進出する。
 
もうひとつの準決勝を勝ちあがったのはサクラニャンであった。結果的に今年の冬季クラブ選手権は、予選リーグ2位のチームがどちらも準決勝で勝つという結果になった。
 
そして決勝戦にも最初から主力を投入したら、前半でダブルスコアになってしまった。そこで後半は主力がベンチに下がって様子を見るが、向こうも前半で疲れてしまったようで、後半は更に点差が開き、32-78で決着した。
 
 
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