【女子中学生のビギニング】(4)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-02-19
16日の午後、留萌に帰る両親を見送った後、千里と玲羅は、結局富士子さんの部屋に行き、明理・輝耶の姉妹とおしゃべりしていた。千里がカフェでパフェを食べたことを全く覚えてないので、輝耶が呆れていた!
夕方4時頃、自分たちの部屋に戻り着替える。千里はセーラー服を着て、玲羅は黒いドレスを着る。川夫さんがマイクロバスを旅館に持って来てくれたので旅館に居た人たちはそれで斎場に入った。
バスに乗った人:−
(4) 初子・浩子・雪花・春桜
(4) 玉緒・心子・南奈・海美
(5) 龍男・秀子・富士子・明理・輝耶
(5) 光江・顕士郎・斗季彦・千里・玲羅
合計18人(+運転した川夫)。
バスは女性たちを斎場まで連れて行った後、男性たちを“運搬”しに川夫さんの家に向かった。
通夜が始まるまでの間に、棺の顔の所のふたを開けて、みんなであらためてお別れをした。
18時頃から人が集まるので、浩子さんと、川夫さんの友人女性が受付に立っていた。19時すぎ、司会者が「これより通夜を始めます」と案内する。お坊さんが入場し読経を始める。これが30分くらい続くので、椅子席で良かったぁと思った。正座だと結構辛いところである。
またこういう場所は冬季には結構冷えることがあり、スカートだと辛いこともあるのだが、ここはしっかり暖房が入っていて暖かくて良かった。実際には女性でも結構ズボンの喪服を着ている人がいた。やはり寒い場合に備えてだろう。
読経が終わると焼香になる。故人の妻・初子、第1子の海斗と妻の浩子、第2子の大湖と妻の玉緒、第3子川夫と夫の小足、そして故人の弟の龍男と秀子、故人の妹の天子(光江が手を引いている)、と続いた後は、親族一同適当にお焼香した。千里と玲羅は最後のほうで焼香している。
親族の焼香が終わると、友人や近隣の人のお焼香が続き、お焼香が終わると喪主の挨拶があって、通夜は終了する。
通夜が終わったのは20時半くらいである。
休憩所に入り、仕出しのお弁当が配られるのでそれをいただく。ここも椅子席なので助かる。千里と玲羅は明理・輝耶姉妹に誘われてそちらに座ったので、結果的に、龍男・秀子夫妻とも近くの席になった。
「秀子さんのお名前って、もしかして前畑秀子からですか?」
と千里は尋ねた。
「そうなのよ。私が生まれた年にベルリン・オリンピックがあって、今の若い人たちでは知らない人も多いけど、水泳の平泳ぎで、実況のアナウンサー(河西三省)さんが『前畑ガンバレ、前畑ガンバレ』ってひたすら連呼して、前畑自身は金メダル取ったのよね」
「すごーい」
と玲羅が言う。玲羅は前畑秀子なんて知らないだろう。
「日本人女性初のオリンピック金メダルだったから日本中が凄い興奮で、今なら間違い無く国民栄誉賞だったと思う」
「勲章か何かもらえなかったんですか?」
「どうだろう?」
と秀子さんは首をひねるが、龍男さんも知らないようだ(*11).
「でもまあそれにあやかろうというので、私の名前は秀子になったのよ」
(*11) 当時は特に何も無かったようだが、戦後の1964年になって紫綬褒章をもらっている。彼女は1つ前の1932年ロス五輪では銀メダルで、帰国後の祝賀会で「なぜ金メダルを取れなかった?」と責められたらしい!それで本当はロスで引退するつもりが後4年頑張り、美事に金を獲得した。ベルリンに行く時は「メダルを取れなかったら死んでお詫びするしかない」といった悲愴な覚悟で行ったという。
「秀子さん、水泳は?」
「金鎚」
「あらぁ〜」
「秀子という名前なのに全く泳げないとはって、随分言われたよ」
「そんなこと言われても困るなあ」
「名前で泳ぐわけでもないしね」
そこに天子さんが自分の湯飲みを持ってやってきた。食事は終わったようだ。普通に椅子を引いて腰掛ける様は、天子が目が見えないなんて思いも寄らない。彼女は「見えないけど分かる」と言う。
もっともランドルト環の0.5の所までちゃんと言い当てられるのは“見えないけど分かる”の範囲を超えていると思う。天子さんはスーパーで介護無しで普通に買物をして、お肉なども必要なグラム数の物を買ってくることができる。そして失明で免許は返上したものの本当は運転ができる!しかし医者は「これで見えるはずがない」と言うらしい。
「いちばん威勢のいいのが死んじゃって、わたしたち2人になっちゃったね」
と天子は、しみじみと言う。
「十四八さんって、活発な方でした?」
「うん。中学でも身体壮健・成績優秀の文武両道。足も速かったし剣道が強かった。戦後になってからだけど七段と師範の資格を取ってるよ。中学校時代もお前の成績なら二高に行けるぞと言われていたのに、自分はこの国を守ると言って少年兵に志願して海軍に入ってしまった」
と龍男さんが言うと
「にこう?」
と玲羅が訊く。
「第二高等学校だよ、仙台の。今の東北大学」
と富士子さんが説明する。どうもこの付近の昔話はかなり聞かされている雰囲気だが、龍男さんは、話を聞いてくれる人ができたとばかり、口調が熱くなってくる。
「頭いいから東京・船橋の海軍通信所に配属された」
「お父ちゃん、船橋は千葉県だよ」
「うん。東京府千葉県だよ」
うーん。まあいいか。
「ニイタカヤマノボレの暗号文を発信した通信所ですね」
「そうそう。海外の極秘情報がどんどん飛び込んでくるから、昭和20年2月のヤルタ会談の情報も幹部クラスは知っていて、8月には戦争は終わるという噂が当時の所員の間で流れていた」
「それ物凄い極秘情報ですね」
「あくまで噂として流れていただけだけどね」
「まあ言えませんよね」
「しかし八戸(はちのへ)は8月15日の全面降伏で救われたんだよ」
と龍男さんは言う。
「8月17日に大空襲が予告されていたからね」
「きゃー」
「やられていたら、俺もアマ(*12)も死んでたと思う」
(*12)“アマ”は天子の愛称。ただし天子の本来の読みは“てんこ”である。
「当時は(青森県)八戸に住んでおられたんですね」
「でも元は北海道ですよね」
「うん。親父(三蔵)は広島村(現北広島市)の出身で、お袋(キク)は岩見沢村(現・岩見沢市)の出身で、ふたりは札幌で出会って結婚したんだよ」
「もしかして恋愛結婚ですか?」
「そうそう。当時は“何て、はしたない”と言われたらしいよ」
「昔は結婚相手って親が決めるものであって、勝手にくっつくのは極めて乱れたこととみなされたみたいね」
と富士子が言うと
「うーん・・・」
と玲羅が悩んでいる。
「でも、よほど好きだったんでしょうね」
「そうだと思う」
「それで三蔵さんは全国的な機械メーカーに勤めていて、八戸に転勤になった。どうも恋愛結婚に対する世間の目から逃れるのも目的のひとつだったらしいけどね」
「あぁ」
「それでうちの兄弟は5人とも八戸で生まれたんだよ」
「5人?十四八さん、浄造さん、龍男さん、天子さん以外にもう1人居たんですか」
「いちばん上に“さっちゃん”という女の子がいたんだよ。でも戦争の混乱で音信不通になってしまって」
「私は“さきちゃん”はまだ生きてると信じてるけどね。だって時々夢に見るもん」
と天子は言っている。
霊感の強い天子さんが言うなら、本当に生きているかも知れない、と千里は思った。
「“さき”姉は、昭和27年にお嫁さんに行ってしまったんだよ。相手が内務省のお役人で結婚してすぐに九州の宮崎に飛ばされた」
「それはまた北から南へ大変ですね」
「でも親父は赤紙で招集されて、“さっちゃん”はお嫁さんに行って、十四八兄貴は少年兵に志願して入隊してしまうし、あとはお袋と、浄造兄に俺と“あま”の3人が残った」
「当時何歳くらいですか?」
「“さっちゃん”がお嫁に行った後て、十四八兄は入隊したよな?」
と龍男は天子に確認する。
「そうそう。“さきちゃん”の結婚式の時は十四八兄さんは居た」
と天子は確認する。
「当時、浄造兄さんが16歳、龍兄さんが13歳、私が11歳だったと思う」
と天子。
「数えでですよね?」
「うん。そうそう」
「そして終戦の年になるんだけど、米軍の空襲がほんとに凄かった」
「あれ?空襲の前に終戦したんじゃなかったんですか?」
「大空襲の前にね」
「小空襲はあったんだ!?」
「小空襲、中空襲あったよ」
「ああ」
「7月頃から何度も空襲があった。8月9日には米軍のB29が100機くらい来た」
「きゃー」
と玲羅が悲鳴をあげるが
「B29ではなくグラマンF6Fだったと思う」
と涼雄さん。
「そうだっけ。でも八戸の蕪島沖に到来した帝国海軍の海防艦・稲木がこの米軍の大編隊と壮絶な戦いをしたんだ。米軍機を次々と撃墜して米軍機は八戸市街地まで行けない。最後は多数のロケット弾を撃ち込まれて撃沈するけど、“八戸の盾”となって市を守り抜いた」
「なんか凄い」
とこの手の話題にあまり興味の無い玲羅も感動している。
「それでも米軍は8月17日に大規模な空襲をすると予告していた」
「そして終戦ですか」
「うん。でも奴らは翌日8月10日にも来た」
「しつこい」
「その時に、浄造兄貴と、ミナさんが焼夷弾にやられて死んだんだよ」
「ミナ?」
と千里が訊くと
「“さきちゃん”のお母さん」
と天子がコメントする。
「あれ?お母さんは、キクさんじゃないんですか?」
「お父さんも違うけどね」
「ああ」
「あの子のお父さんは関東大震災で亡くなったんだよ」
「あらあ」
「その時ミナさんは大きなお腹を抱えていて。元々親しかった親父を頼ってきた」
「ということは“さき”さんは、大正12年か13年の生まれですか」
と千里が訊くと
「甲子(きのえね)の生まれだから大正13年生まれ」
と天子が言う。
「甲子園ができた年ですか!」
「そうなのよ」
「まあ。それで私たち一家と一緒に暮らしてた。血の繋がりはよく分からないけど、俺たちは“さっちゃん”は自分たちの姉という感覚だった」
と龍男さん。
「うん。基本的に姉妹と思って育った」
と天子。
「ミナさんが亡くなったことだけでも“さっちゃん”に伝えたかったんだけど、当時お袋がかなり手を尽くしたものの連絡は取れなかった」
「情報統制の厳しい時代でもあったしね」
「うん。どこが空襲されたなんて情報は軍事機密」
「戦後はますます混乱したし」
「まあどこかで元気してることを祈るしかない」
と龍男さんは言った。
その日は斎場で会食をしたので、旅館に戻った後は、そのままお風呂に入った。
今日はお風呂の中で雪花(ゆきか)・春桜(はるみ)姉妹(中3・中1)と遭遇し、結構おしゃべりしていた
「春の桜と書いて“はるみ”なんですけど、よく“はるお”と読まれちゃうんですよね」
「でも“お”で終わったら男の子みたい」
「あんた、いっそ男の子になって、お嫁さんもらって“彩友”の苗字を残す?」
「お嫁さんもらうのもいいなあ」
「輝耶さんも、お嫁さん欲しいと言ってた」
「玲羅ちゃんも、お嫁さんが欲しい顔をしている」
「まあ性別なんて自分で選べばいいものだしね」
「そうですよね〜」
部屋に戻ってから玲羅が言う。
「そうだ。お姉ちゃん、指導碁してよ」
「OKOK」
それで玲羅が鞄から囲碁セットを出してプラスチック製の二つ折りの碁盤を広げる。中に入っている碁笥を取りだして、白を千里に渡し、黒を自分が取る。置き石を5つ置いた所で千里から打ち始めた(*13).
それで打っていく。指導碁なので、玲羅に考えさせるように千里は打っていく。大失敗したような場合は
「ここはこうするべきだったね」
と言って、石を戻して打ち続けた。
それで20分くらいやっていたが、そのあたりでどうにもならなくなり、玲羅は投了する。しかし千里は言った。
「玲羅、だいぶ強くなった。5-6級の力があると思うよ」
「あ、部長さんからは今4-5級って言われた。囲碁部ではずっと部長さんと打ってるのよ」
と玲羅。
「それは勉強になるね」
「お姉ちゃんとは今5子だけど、2級の部長さんとは定先(*13)で打ってるから、やはり感覚が違うのよね〜。防具無しで戦ってる感じで」
「そうそう。置き石のハンディって大きいからね。でも今のままなら、部長さんと互先(*13)になるのは時間の問題だろうね」
「でもお姉ちゃんはなんでこんなに強いんだっけ?」
「(P神社の)宮司さんに教わったからね」
「ああ、宮司さん強いんだ?」
「六段の免状持ってるよ」
「すごーい」
「でも六段は30代の頃に取ったものだから、今ではせいぜい二段くらいと本人は言っていた」
「ああ、やはりスポーツと同じで年取れば衰えるよね」
「やはり50歳くらい越えると、落ちていく方が大きいと思うよ」
(*13)五子というのは、玲羅が置き石を5つ置いていること。黒が置き石した後、白が打ち始める(コミ無し)。一般に級位・段位1つの差が置き石1個の差と言われるので、本当に部長が2級で玲羅が4級なら置き石2個相当だが、部長は指導碁のためにあえて差を大きくしているのだろう。置き石2個本当に置いたら指導してあげる余裕が無くなる。千里と玲羅も真剣勝負にするなら置き石が多分7-9個必要。
互先(たがいせん)とはハンディの無い戦いで“握り”で先攻(黒)を決めて、コミ6目半で勝負する戦い。定先(じょうせん)とは、両者の間に僅かな実力差がある場合に用いられるもので、置き石は無いが下位の者が常に先攻でコミ無しで行われるもの。
互先の場合はコミに“半”があるため必ず勝負が付くが、置き碁や定先では引き分け(持碁(じご))が発生することがある。
「でも囲碁は女で強い人もいるよね」
「中国の芮廼偉(ルイ・ナイウェイ)とか凄いよね」
「タイトル戦でも優勝してるんでしょ?」
「2000年に韓国で国手を取った。居並ぶ男性棋士を退けてタイトル取ってるから凄い」
「去年のマキシム杯は惜しかったね」
「決勝戦まで行ったもんね〜」
「そして決勝戦で夫婦対決」
「うん。お互いやりにくかったろうけどね」
芮廼偉が夫の江鋳久(ジャン・ジュウジォウ:中国)と決勝で激突して敗れたのは第四回マキシムコーヒー杯入神連勝最強戦だが、翌年の第五回大会では優勝している:決勝の相手は韓国の劉昌赫(ユ・チャンヒョク:男性)。
「だけど囲碁は男性も女性も同じ土俵で戦ってるから好きだなあ」
と玲羅は言う。
「囲碁は女性の棋士も男性の強い棋士とたくさん対戦できるから強くなれるんだと思う。将棋は男は男、女は女とぱかりやってるから強い女性棋士が出て来ない」
「囲碁には女性のプロがたくさん居るけど、将棋には女性のプロ棋士はいないもんね。男でないとプロになれないんだっけ?」
(将棋の“女流棋士”は“女流棋士”という資格であり、プロの“棋士”ではない!)
「システム的にはそんなことはないんだけど、いまだに奨励会(プロ棋士の志願者リーグ)の激しい競争を勝ち抜いてプロになった人は居ない。過去に惜しかった人は何人かいたみたいだけどね。囲碁は女性の棋士を女流特別枠でプロにして、男性とプロ戦でどんどん対戦させてるから強くなるんだと思うよ。四段になるまでは給料半額だけどね」
「給料安くてもいいと思うよ。強い人と真剣勝負できるのは楽しいよ」
と玲羅は言った。
「囲碁は師匠が居なくても院生(将棋の奨励会に相当するリーグ)になれるし、院生でない一般の人でも“外来”としてプロ試験を受けられるとか、将棋に比べて元々開放的だよね」
「お姉ちゃん、プロ棋士になる?頑張ればプロになれるんじゃない?お姉ちゃんは多分女流特別枠を使えるだろうし」
と玲羅は軽くボールを投げてみたのだが
「私考えるより身体を動かす方が好きだなあ」
と言って、ボールは受け止めずにかわしてしまった。
「剣道のプロになる?今年は惜しかったじゃん。あと少しで全国大会に行けた」
と訊いてみる。玲羅は“このお姉ちゃん”は多分、剣道をしているお姉ちゃんじゃないかなと想像した。
「無理〜。強い人たちたくさんいるもん。それに今年は地元開催で特別に4人まで代表になれただけだからね。普段の年なら2位までしか全国に行けない。2位と5位の間には、グランドキャニオン並みの隔絶があるよ」
と千里が答えたので、ああ予想が当たったなと玲羅は思った。
「でも剣道のプロとかあるんだっけ?」
「さあ。師範とかの資格を取ればいいんじゃない?」
「ああ。それは取ってもいいけど、師範の資格持ってても、道場経営できるかというのは別の要素だよね」
「そういうのは経営センス無いと難しいだろうね」
「テレビCM打って、剣道した後美味しい料理とスパでリラックス!みたいな施設作るとか」
「それ何か、やだ」
「私も、やだだと思った」
翌朝(11/17)は光江さんが誘ってくれて、光江・弾児・顕士郎・斗季彦・千里・玲羅と6人で朝御飯を食べに行った。朝御飯の後、千里はセーラー服、玲羅は黒のドレスに着替える。8時半頃に、川夫さんの運転するバスで斎場に入る。
親族一同の記念写真を撮って(当然セーラー服姿の千里の写真が残る)から、9時半から告別式が行われた。これは通夜と似たような形で進行する。坊さんのお経が例によって30分くらい続く。昨夜のと同じものなのか別のお経なのかは、そもそもお経の内容がさっぱり分からないので判断のしようがない。その後、弔電が披露され、焼香となる。これも昨夜と似たような順序で焼香した。
葬儀が終わると、続けて初七日法要が行われる。「あれ?」と思ったが、火葬の前に初七日法要が行われるのが、釧路方式らしい。根室だと火葬の後で告別式だったし、葬儀のやり方って地域によって色々なんだなと千里は思った。
10時半頃に告別式が終わり、11時過ぎに初七日も終わって出棺となる。棺は親族が抱えたりせず、台車に乗せて運んでいく(楽でいいと思う)が、周囲に、海斗さん、大湖さん、小足さん!、そして龍男さんが取り囲んでいた。小足さんがちゃんと親族として認められているのは、いいことだなあと千里は思った。
もっとも、川夫さんを故人の娘と思い、小足さんは婿だと思っていた人が多分半分以上は居る(どうも父はずっとそう思っていた雰囲気)。もっとも川夫さんは女性用の喪服ではなく男性用の喪服を着ている。でも雰囲気が女性的だから、ズボン型の女性用喪服を着ているように思った人も結構あったろう。
遠慮の無い輝耶から訊かれて昨夜川夫さんは
「あら、私はオカマじゃなくてホモよ」
と言っていたが、多分トランスジェンダー寄りのゲイなのではという気がした。
「トイレはどちらを使うんですか?」
「何度か警備員さんに叱られたから自粛してる」
「それどちらに入って叱られたんですか?」
「ここは紳士用トイレですから、女性の方は婦人用トイレを使って下さいと言われた」
「つまり女子トイレを使うんですね」
「そっち使えと言われるんだから仕方ないわよね」
「いや女子トイレに入るべきだと思いますよ」
「今日はズボンですけど、スカートくらい穿きますよね」
「あらスカートくらい穿くのは普通じゃん。自分の美容室には普通にスカート穿いて出てるわよ。お店の子たちもお客さんもスカート穿いて下さいよと言うし」
「そうそう。普通ですよね!」
と輝耶は楽しそうに昨夜は川夫さんと会話していた。
出棺が終わると大半の会葬者は帰る(告別式だけで帰った人も多い)。
火葬場には、海斗・浩子、大湖・玉緒、川夫・小足、龍男・秀子、天子と付き添いの光江、が行き、他は斎場で待機した(光江は付き添いだけなので骨は拾わない)。結果的にこちらに残った大人は、富士子・涼雄、弾児の3人である。
仕出しのお昼御飯を食べた後、この大人3人と中高生5人(雪花・春桜・明理・輝耶・千里)で、お片付けをした。小学生以下は控室に入れておいたが、おやつなど食べたりゲーム機などしたりしていたようである。玲羅もゲームボーイをしていたようであった。
14時半頃、お骨が戻って来てから、喪主挨拶があり、解散となる。
「千里ちゃんたちはJR?」
と光江さんから訊かれたが
「知り合いのお姉さんが送ってくれるんですよ」
と答えた。
「へー。じゃその方に挨拶しておこう」
と光江さんは言った。しかし今回は光江さんはかなり大活躍している気がする。何か御礼をあげたいくらいである。
15時頃、きーちゃんが来たので、光江さんと挨拶を交わしていた。
ついでに携帯番号の交換をしていた!
その昔は名刺交換していたのが、現代は携帯番号の交換なんだろうなと千里は思った。
それで光江さんたちと別れて、きーちゃんの車に乗った。
「長旅だから寝てていいからね」
「うん、ありがとう」゛
きーちゃんは帰りは来る時みたいにワープなどの無理はしないようで、ごく普通に走っていった。玲羅は眠ってしまったが、千里はずっと彼女と会話していた。
「でも千里はダムでの封印のこととか訊かないのね」
「訊いたほうがいい?」
「いや訊くものでもないし、訊かれてもあまり話せないけどね」
「だったら訊かなくていいよね。私は、自分が知らなければならないこと以外は知らないようにしてるから」
「うん。それは特に霊的な問題に対応する時の正しい態度だよ」
と、きーちゃんは満足そうに言っていた。
千里は、きーちゃんに、弾児さん一家が旭川から離れた後の天子さんのお世話の問題を話してみた。
「目が見えないのに運転もできるって凄いね」
「ちょっと面白い人だよ」
「そういう人なら、千里が誰か眷属を派遣していつも見守ってあげてればいいと思うよ」
「眷属か・・・」
「千里ならきっとできるはず」
と、きーちゃんは千里の力量を測るかのように言った。
「そうだね。ちょっと考えてみようかな」
と千里も答えた。
千里たちは21時頃に留萌に到着した。千里が
「今回の御礼」
と言って、きーちゃんに10万円渡そうとしたが、きーちゃんは
「謝礼は要らないって言ったじゃん。ガソリン代・高速代は行く時にもらったし」
と言うので
「あれ〜〜?そうだっけ」
と千里は首をひねった。(ガソリン代を渡したのはBで、この千里はR)
「きーちゃんも黙ってもらっておけばいいのに」
と玲羅は言っていたが。
もっとも家に着くと母が、きーちゃんに感謝して
「せめてもの御礼」
と言って、留萌のお菓子“テトラポット”とポチ袋を渡した。きーちゃんはこれは受け取った。
たぶん中身が大したことないので、このくらいはいいかと思い受け取ったのだろう。
11月18日(火).
千里はいつものようにP神社での勉強会に出ていた。
「へー。親戚の大伯父さんのお葬式に行ってたのか」
「お経が長いからもう眠くて眠くて」
「ああ。あれは良い睡眠薬だよね」
「訳が分からないもんね」
「最近は結構日本語訳されたお経も読まれているけど、漢字の音読みでないとありがたみが無いという意見もあるみたいで、日本語お経はあまり人気が無い」
と蓮菜は言っている。
「意味の分からないもの聞いても意味ない気がするなあ」
と美那。
「“まるでお経みたいだ”という言葉もあるもんね」
「その“まるでお経みたい”なのが何十分も続くと、もう寝るしかない」
と恵香。
「短いお経もあるよ。般若心経(はんにゃしんぎょう)なんて266文字しか無い」
「へー。それならすぐ終わりそう」
「どんなの?」
「これ」
と言って、蓮菜がパソコンの画面を見せる。
「訳(わけ)が分からん」
「千里読める?中国語じゃなくて日本語の音読みで」
と蓮菜は言った。
それで千里は読んだ。
「かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ、しょうけんごうん・かいくう、どいっさいくやく。しゃりし、しきふいくう・くうふいしき、しきそくぜくう・くうそくぜしき・・・・・」
「これは・・・・」
「お経ではなく祝詞(のりと)に聞こえる」
「え?そう??」
「読み手の選定を誤った」
と蓮菜は手を額の所に当てていた。
「祝詞なら、かけまくもかしこき観自在菩薩の御前にて、舎利子かしこみかしこみ、まうさく、って感じじゃない?」
と千里。
「さっきと同じ調子だ」
と恵香。
「完璧に神仏混淆してる」
と美那。
「でもその訳は間違ってるな。これは観音様が舎利子に語りかけているのであって、観音様に舎利子が言ったのではない」
と蓮菜は言った。
「でも観音様の像って美しいのが多いよね。やはり日本は基本的に女神信仰が強いよね」
と恵香は言ったが
「観音様は男だと思うけど」
と蓮菜は言う。
「嘘!?」
「千里はどう思う?」
と蓮菜が訊く。
「男だと思ってた」
と千里。
「え〜〜!?」
「確かに女神的な捉え方もあった。昔あるお坊さんが座禅してる時にどうしても性欲を抑えきれずに悩んでいたら、観音様が夢に現れて、自分を抱くといいと言ったんだって(*14)。その後は自分の性欲を制御できるようになったと」
と蓮菜は言ったが
「無理して性欲を抑える必要ないと思うけど」
と千里は言っている。
「性欲があるのは当たり前なんだから、自然な気持ちでいればいいだけ」
「でも自然な感情で女を襲ったら」
「女と寝たければちゃんと口説く。相手の同意を得ずに性交したら犯罪。食事だって、勝手に食べ物を取って食ったら犯罪。それと同じ」
「確かに!」
「女を口説くことも覚えないといけないよね」
と美那は言っている。
(*14)親鸞聖人のエピソード。これにより浄土真宗では僧の結婚が可能になった。
小春が言う。
「しばしば日本の仏教文化では、観音様・お不動さん・お地蔵さんをキリスト教の三位一体に準じた感じで捉えたり、聖家族みたいな言い方をするけど、ここで多くの人が、不動=父、観音=母、地蔵=子、と捉えている。でも霊的なことに関わる人の中では、観音=父、地蔵=母、不動=子と捉える人が多い」
「お地蔵さんは間違いなく母だと思う」
と蓮菜は言う。
「お地蔵さんがお母さんの役をするような民話も多いもんね」
と美那が言っている。
「でもキリスト教の三位一体も日本ではわりと誤解されている」
と蓮菜が言う。
「そうだっけ?」
「キリスト教の三位一体は何だと思う?恵香」
「え?父なる神、母なるマリア様、幼子イエスじゃないの?」
と恵香は答える。
「美那は分かるかな?」
「それはリサから聞いてたから分かる。神・キリスト・聖霊」
「正解」
「聖霊って何〜〜?」
と恵香は言っているが
「それをキリスト教信者以外に説明するのはわりと難しい」
と蓮菜は言った。
11月19日(水).
3年間アメリカの大リーグでプレイした新庄剛志が、来年度から北海道に移転する日本ハムファイターズに入団することが、本人の口から漏れた。本当は明日発表する予定だったのだが、この日映画『バッドボーイズ2バッド』の日本公開特別試写会に出席した本人が、来年からの所属球団について尋ねられ、本当は明日発表なのですがといって言及したのである。
この報道は驚きをもって受け止められ、北海道民は大いに沸くことになった。そして翌日の仮契約は、テレビ局が中継する騒ぎになった。
11月21日(金).
弾児叔父に異動の辞令が出た。行き先は札幌市内の小さな局だったが、今回はとうとう局長である。夕方、父が帰宅したくらいの時刻を狙って、弾児叔父が直接父に電話してきて「津気子さん・千里ちゃんも入れて話し合いたい」と言うので、千里たちは24日(月・振替休日)に、天子さんの処遇問題で弾児さん・光江さんと話し合うことになった(父の船は今週は25日(火)に出港する)。
玲羅には留守番しててと言ったのだが
「私も旭川行きたい」
と言うので、一応連れて行くが、美輪子に預かってもらうことになった。美輪子は「玲羅ちゃん、歓迎歓迎」と言っていた。
千里は、きーちゃんに連絡した。
「ごめーん。日食の件なんだけど」
と言われて、きーちゃんは焦る。実はここしばらく忙しかったので何も準備していなかったのである。
「私が24日用事が出来ちゃって、朝の時間帯に抜けられないから申し訳無いけど今回は休ませて」
千里はこの時点で24日早朝に旭川に出るなら、日食の時間帯と移動がぶつかると思ったのである。
「うん、いいよ」
と、きーちゃんはホッとして答える。
「次はいつだったけ?」
「え、えーっと、確か再来年の4月」
「あ、来年は無いんだ」
「そうなんだよ。来年は部分食ばかりで」
「へー。じゃ再来年よろしくね」
「了解、了解」
と言って電話を切ってから、きーちゃんは慌てて今回の日食の状況を確認した。
「南極だけで見られるのか!キャンセルになって良かったぁ!!」
南極で日食見てたら、遭難者か何かと思われて面倒なことになりかねない。
天子さんの処遇問題で、弾児の引越を今聞いた武矢は、弾児一家が旭川のアパートを退去した後、天子さんさえよければ留萌に来て欲しいと言った。
「札幌みたいに車の多い街に行って、はねられたら恐いからな」
いや、旭川だって充分車は多いけどね。
「親の面倒を子供が見るのは当然だよ」
などと武矢は言っているが、今まで何もしてこなかった癖にと津気子は思う。
それに天子が留萌に来た場合、武矢は平日はずっと船が出ているし、土日はひたすら寝ていて全く役に立たない。天子さんの世話を主としてするのは自分になるだろうが、自分は日中は仕事に出ている(仕事に行かないと家計がもたない)。目の見えない人を日中1人にして大丈夫だろうかという不安はあった。
「でもさすがに引っ越さないと無理かなあ。この市住に入る?」
「二段ベッドを買って、千里と玲羅にはそこに寝てもらえば何とかなる」
と津気子は千里からの提案を言う。
「ああ、そういう手があったか。それで行こう」
と武矢は明るく言った。
11月22日(土)は、英検の二次試験(口頭試問)を受けた。会場はS高校であった。
指定時刻に会場に行き、ひとりずつ呼ばれるので、部屋の中に入って英語で会話をする。問題カードを渡され、それに関して質疑応答かある。向こうは千里の発音がきれいなので感心していたようだった。最後のほうの質問に千里が答えた内容に、試験官が首を傾げた。
あっそうだ。形容詞じゃなくて副詞を使わなきゃ。
と思って、形容詞に ly を付けて言い直したら、試験官は笑顔で頷いていた。
それで色々会話してから「You can go out」と言われるので「Thank you」と言って礼をして退出した。
千里たちは結局23日(日・祝)に旭川に行き、ホテルに泊まって24日朝から話しあうことになった。なんだ、これなら私、日食見に行けたのにと思うが、既に断っているから仕方ない。ホテルの朝御飯を食べた後、美輪子と待ち合わせして玲羅を預けてから弾児のアパートに行った。
顕士郎と斗季彦は、光江さんの妹に預かってもらったということだった。
それで、弾児・光江・武矢・津気子、それに天子と千里の6人で話し合うことになった。
「おじさん、局長昇任おめでとうございます」
「ありがとう。まあ局長と言っても小さな局だけどな」
と弾児は言っていた。
司会役になった弾児が言った。
「俺と光江、そして武矢兄と津気子さん、各々話し合って、どちらの家でもお袋と同居できるということになった。札幌では、俺も給料あがるから3DKのアパートを借りられるから、それでお袋には1部屋使ってもらえる。留萌の武矢兄の市営住宅は狭いけど、なんとか布団は敷けるらしい。だからお袋には、札幌か留萌か、どちらかに来て欲しい」
しかし天子は言った。
「私は旭川から動かないよ。ここは私の第二の故郷だもん。ここで骨を埋めるつもりでいる」
「でも年寄りをひとり置いとく訳にはいかないよ」
「私はひとりでも平気だよ」
押し問答で話し合いが膠着してきた頃合いで、千里は昨日電機屋さんでもらってきたパンフレットを出した。
「こういう製品があるんだけど使ってみない?」
と言う。
「何これ?」
「象印の電気ポットで i-Pot (アイポット)と言うんだけどね。このポットを使ったら、それを使ったという通知が遠隔地に住んでいる子供に届く」
「ほぉ!」
「だから、この通知が届いている限り、お祖母ちゃんは元気」
「面白いね」
「わざわざ電話掛けたりして安否を確認するのは大変じゃん。恋人とかなら別だけど、普通の家族で毎日電話で話す内容もないし。そんなことしてたらお互いに疲れてきて電話すること自体がストレスになると思うんだよ。でもポットって必ず使うでしょ?それを使えば無事であることが報される」
「ポットというのがいいね!」
「絶対使うもんね〜」
(象印のi-Potは2001年3月に発売された。似た名前のアップルの音楽プレイヤーiPod(アイポッド)は同年11月の発売であり、象印の方が早く発売されている)
「取り敢えずそれ詳しい話を電機屋さんで確認するよ」
と弾児が言った。
光江が言う、
「どうしてもお母さんが1人で旭川に残ると言ったら、ヘルパーさん雇って毎日訪問してもらうことも考えていたんだけどね。買物とか頼めるし」
この話はできるだけ後になるまで出さないことにしていたのだが、天子の意志は硬いとみて、このタイミングで光江は言った。
「要らないよ。買物とかひとりで出来るし。それに出歩くのが健康にもいいんだよ」
「でもATMでお金下ろすのとかも目が不自由だと大変でしょう?」
「ボタンの位置で暗証番号は押せるし」
「最近はタッチパネルが多いから」
「タッチパネルでも端からの距離でボタンの位置は分かるよ」
「それが最近、盗み見で暗証番号を知られないよう“安全のために”ボタンの位置がランダムに変わるATMも出てきてるんですよ。たぶん今後はそれが多くなる」
「なんて不便な」
「なんかハンディキャップのある人には暮らしにくい世界にどんどん変化している気がするね」
「んじゃ週に1回くらいはヘルパーさん来てもいいよ」
と天子さんは妥協した。
そういう訳で、基本的に天子は旭川で1人で暮らし続けるという方向になったのである。
「だけど千里ちゃん、面白いもの知ってたね」
「実は昨日、偶然、友だちから聞いたんですよ」
実は、きーちゃんが教えてくれたのである。
「何かの時は札幌か留萌から駆け付けるということで」
結局この問題の話し合いは2時間ほどで終わった。夕方くらいまでかかるのを覚悟で居たのだが、文明の利器のおかげでかなり救われることになった。
「その内、お手伝いさんロボットとかも出るんだろうね」
「高そう」
「いや、たぶん人間を1人雇うよりは安い」
「そうかも!」
「ロボットだと食事も要らないし、給料やボーナスも要らないし」
「ロボットが待遇改善を求めてストライキしたりして」
「いや、そういうのがジョークでない時代が多分あと50年もしたら来ると思うよ」
「だけど郵便局も大変ですよね。国の方針で色々激震が来そうだし」
と津気子は言った。
「今年の4月から体制が変わりましたよね」
と千里。
「うん。これまで郵政事業庁だったのが、日本郵政公社という公社組織になったから、公務員から一応民間社員になった」
「けっこう大きな変化だったりして」
「借金する時は信用度が落ちたかもしれん」
「でも郵便局が倒産することはないでしょう?」
「いや、郵便局内では、国鉄の二の舞にならないようにしようって、志気は高いよ。国鉄は事実上倒産したようなものだもん。だから郵便局では民営化に賛成の奴も多い。縛りが少なくなって利益重視の経営ができるから」
「今までは国の事業だからというので政治に歪められていた部分あるでしょうね」
「でも小泉首相が徹底的な郵政民営化論者だからなあ。多分この日本郵政公社が恐らく更に日本郵政株式会社か何かに改組されるんだと思う」
「身分がコロコロ変わりますね」
「うん。めまぐるしい。ひょっとしたら、NTTみたいに“東日本郵便”と“西日本郵便”とかに分割されるかも」
「ありそうだ」
「貯金はきっと別会社」
「ああ、純粋に郵便事業だけになるんでしょうね」
「郵便物出すのと、貯金するのと別の所になるのかなあ」
「同じ建物を共用するかも知れないですね。JR博多駅とかで、JR西日本・博多駅の駅長と、JR九州博多駅の駅長がいるみたいに、同じ郵便局の建物の中で、日本郵政の局長と日本貯金の局長がいるなんてことになるかも」
「それは、ありえそうだよ」
「民営化が進むと郵便局はコンビニになるかも。ポストマートとかいって。郵便局でおにぎりとか肉まんとか売ってる」
「それもあるかも知れないよ」
と弾児さんは言っていた。
弾児さんは12月1日付けで、札幌市内の郵便局の局長になる辞令が出ているということで、一家の引越は今週末11/29-30に行うということだった。
千里たちが行った24日は、お昼は気分転換に外で食べようということで旭川市内の中華料理店を予約していたので、そこに出掛けた。これは話し合いが難航した時に、水入りにして気分転換するために、敢えて外食することにしていたのである。
バスで移動したが、天子は「ここどうぞ」と高校生女子から席を譲ってもらって「ありがとう」と言って、そこに座った。天子はその高校生の“制服を見て”
「あら、あなたN高校の生徒さん?」
と言う。
「はい、そうです」
と女子高生。
「私は実はN高校のルーツのNタイピスト学校の出身なんだよ」
「わあ大先輩なんですね」
「この学校もだいぶ名前が変わった。女子高等商業学校時代が長かったね」
「ええ。当時はちょっと面白い学校でしたよね。道内各地から生徒が集まっていたから、ユニークな生徒も多かったみたいで。OGに結構有名人がいるし」
中村晃湖さんもその“ユニークな生徒”のひとりだろうなと千里は思った。
天子は女子高生と楽しく会話していた。
お店のあるビルに入るが、天子はエレベータのボタンの前に立ち
「何階だっけ?」
と訊く。
「5階ですよ」
と言われると、天子はちゃんと5のボタンを押す。
この天子の行動を見て、目が見えないと思う人はまず居ないだろう。
中華料理店に入ると、円卓のある個室に案内される。天子は誰にも手伝われずに自分で椅子を引いて座った。武矢が言う。
「母ちゃん、やはり目が見えてるよね?」
「私は見えてるみたいに分かるんだけど、お医者さんは見えないはずと言うのよ」
「そりゃ藪医者だな」
「**大学の教授なんだけど」
「大学なんてお勉強ばかりしてて患者のことが分かってないんだよ」
などと武矢は言っている。
頼んでいたコース料理が円卓に置かれる。天子は好きなものを回して取っている。これだけ分かる人が老人ホームなどに入ったら、ほんとに「目が見えないのに危ない」とか言われて、何もさせてもらえないだろう。この人は1人で暮らす方がよい。ただやはり何かの時に助けになる人は必要ではないかと千里は考えていた。
「女性のお客様にサービスです」
と言って、スタッフさんが杏仁豆腐を運んで来て、天子、光江、津気子、千里の4人の前に置いた。
ここで弾児などは「千里ちゃんは女の子扱いだから」と思って、千里の前にデザートが置かれたことは気にしなかった。武矢は「女性のお客様にサービス」というのを聞いていなかった!ので何も考えなかった。
食事の後は、全員で電機屋さんに行き、i-Potを見せてもらい、そのシステムについても詳しい話を聞いた。それで「これは確かに使える」という話になった。
その後、天子・弾児・光江だけアパートに戻り、千里たち3人は別行動になる。父が「旭川のパチンコ屋に行きたい」というので、父を大型パチンコ店に置いて、千里と母で、平和通りをのんびりと見て回った。
夕方玲羅を美輪子から受け取り、留萌に車で帰還した。玲羅と美輪子はポスフール永山店(前の氷山サティ・後のイオン氷山店)でウィンドウ・ショッピング?していたらしい。
2003年12月3日(水).
この日、札幌ドームで、新庄剛志の入団発表が行われた。
当初入団発表は報道陣にのみ公開される予定だったが、ファンが2000人も詰めかけたため、急遽公開の場で行われるとになった。
新庄は背番号1、登録名“SHINJO”となるが、
「札幌ドームを満員にする」
「ファイターズを日本一にする」
などと、威勢の良い言葉が飛び出していた。
弾児一家が札幌に引っ越していってしまった後、ガランとしたアパートで天子はぼんやりと、テレビを“見て”いた。
時計が5時を告げる。フレディ・マーキュリーの『I was born to love you』の曲が流れる。洋楽好きな天子のために洋楽たっぷりのメロディー時計を光江さんが置いていってくれたのである。
6:00 In the Morning (Bee Gees)
7:00 Morning Train (Sheena Easton)
8:00 Penelope (Paul Mauriat)
9:00 I Just Called to Say I Love You (Stevie Wonder)
10:00 Sara (Starship)
11:00 La isla bonita (Madonna)
12:00 What a feeling (from "Flash dance")
13:00 Wake Me Up Before You Go-Go (Wham!)
14:00 Woman in Love (Barbra Streisand)
15:00 There must be an angel (Eurythmics)
16:00 Wuthering Heights (Kate Bush)
17:00 Born to Love you (Freddie Mercury)
18:00 Mbube - Lion Sleeps Tonight
19:00 Lambada (Kaoma)
19:00 We are the world (USA for Africa)
20:00 I like Chopin (Gazebo)
21:00 A Whiter shade of pale (Procol Harum)
22:00 Bei mir bist du schoen
23:00 Moonlight Serenade
24:00 Stardust
およそ71歳の趣味ではない!
天子は2000枚くらいのLP/CDのコレクションを持っているが、そのほとんどが洋楽である。天子は
「日本の歌手はほとんどが音痴だ」
などと言って、日本の歌手の曲はほとんど聞かない。どうも目が見えないだけあって物凄く耳がいいので、音程が外れた歌を聴くと頭痛がするらしい。もっとも正確な歌を歌えばいいというのでもないようで
「クラシックは眠くなる」
「民謡とは肌が合わない」
と言って、クラシックや民謡も聴かないようである。
わずかながら天子のコレクションに入っている日本の歌手は、宇多田ヒカル、椎名林檎、シャネルズ
RATS& STAR, MISIA, などといった付近である。やはり音程が正しいというのは大前提のようだ。
このあたりは演歌が好きな弾児、ジャニーズ・フリーク20年の光江とはなかなか趣味の合わないところであった。
"Born to Love you"の曲を聴いて天子は
「あらら、御飯作らなきゃ」
と言って、お米をといで水加減を目視(?)し、キッチンタイマーで15分計ってから炊飯器のスイッチを入れた。御飯が炊けている間に野菜を切ってお肉を切って鶏肉のトマトスープを作る。ポットでお湯を沸かして紅茶を入れる。紅茶は津気子か「もらいものですけど」と言って置いていったブルークボンドのティーバッグだ。
しかしこのポットを使うことで自分の無事を光江と津気子に報せることができる。面白いコミュニケーションの道具ができたもんだと天子は思った。
ほかに光江と津気子は、家事がしやすいようにと、洗濯から乾燥まで自動でやってくれる洗濯機、食洗機、更にルンバという昨年発売されたらしい、自動でお掃除してくれる掃除機を置いていってくれた。ルンバは面白い動きをするので、天子はすっかり気に入り、弾児たちが去って行った後、もう3回も作動させている。文明の利器というのは素晴らしいものだ。
他にお風呂もお湯が溜まったら音声で教えてくれる機械と温度が上がりすぎない機械を付けてくれたし、脱衣場とトイレにセラミックヒーターを置いてくれた。また食材の配達を毎日してくれるサービスも契約してくれたので、面倒くさい時や体調の悪い時は買物に行かなくても済む。
18時の時報と『ンブベ』(別名:ライオンは寝ている)(*15)のメロディーが流れる。天子はメロディーに合わせて
「Uyimbube Uyimbube Uyimbube Uyimbube」(*15)
と楽しく歌いながら炊き上がった御飯を十四春の遺品の茶碗に盛り、仏檀に供えてチーンと鳴らす。そして
「またあんたと2人だけになったよ。のんびり暮らしていこうね」
と笑顔で仏檀に置かれた位牌に語りかけた。
(*15) “ンブベ(mbube)”はズールー語で“ライオン”の意味。この曲は南アフリカのミュージシャン、ソロモン・リンダ(1909-1962 男性)が1940年にヒットさせた曲である。近年では『ライオンキング』の中でも使用されたことで知名度が広がった。
Uyi mbube というリフレインはズールー語で「あんたはライオン」という意味。このリフレインは時々 Wimoweh と書かれているが、これはズールー語が分からなかった英語詩の作者が元の歌詞を音写して生まれた不思議な表現である。日本人が聞くと「うんだらった・うんどばっど」みたいに聞こえたりする。
自分でも御飯とスープを盛って晩御飯を食べ、一息ついた所でピンポンが鳴る。インターホンで
「はい」
とだけ返事すると
「天子おばあちゃん、こんばんわ」
と千里の声がする。
付けてもらった“モニターで見ると”セーラー服姿の千里と、ワンピース姿の20歳くらいの女性が立っている。
びっくりして開ける。
「入っていい?」
「もちろん、もちろん」
それで2人を部屋の中に入れた。
「こちら、私のお友達の、みーちゃん。この子をここに泊めてあげてくれない?」
「へ?今夜?」
「取り敢えず2〜3年」
「え〜〜?」
「何か仕事がある時は、出ていることもありますが。可能な範囲でおそばに居させていただけないでしょうか?」
と、ミミ子は言う。
「ヘルパーさんは来るだろうけど、おしゃべりの相手とかが居た方が寂しくないかなと思って」
と千里は言う。
天子は目の前にいる女性を“感じ取った”。
「北山紫さん?」
などと天子が言うので、ミミ子は
「千里、おばあちゃんにも私の名前教えたの〜?」
と言う。
「そんなの教えたりしないよ」
と千里。
「教わらなくても、“見れば”分かるよ」
と天子。
なんて恐ろしい祖母と孫だと、ミミ子は思った。
「みーちゃんは元々旭岳にお住まいがあるのよ。でもここ半年くらい、留萌に出張してきてたのよね。でもそろそろ“留萌の案件は落ち着いてきた”から、旭川に戻ってもいいんじゃないかなあと思って」
「一応上司の許可は得ました」
とミミ子。
「上司ってア***の神様?」
と天子。
「なんで分かるんですか〜〜〜!?」
「見れば分かるわよねぇ」
「分かるよね」
と千里と天子は言い合っている。
全くこの2人は・・・。
千里は言った。
「私ね、目が見えなくてもできることをいくつか考えたの。ひとつはこれ。天子おばあちゃんにこの笛あげる」
それで千里は花梨製の龍笛を渡した。札幌の楽器店で買ってきてもらったものである(買いに行ったのはミヨ子!)。価格は5万円だった。
「みーちゃんは笛も上手いから、おばあちゃんも練習するといいと思う」
「私、横笛なんて吹いたこともないから音も出せないよ」
「練習すると出るようになると思うよ。うまくなったら、この笛もあげる」
と言って、Tes.No.219の龍笛も触らせる(A大神様から頂いた)。
「こんなに立派な笛はもったいないよ!」
「だから“うまくなったら”」
「私みたいな素人が、こんな立派な笛を使えるようになるには30年はかかる」
「だから30年元気にしててよね」
「あはは。これは1本取られた(死語)」
しかしこれで天子も少し練習してみようという気になったようである。
「電子キーボードも1個置いてくね。笛ばかり吹いてて飽きたらこれ弾いてもいいし」
と言って、千里は小町に88鍵のフルキーボードを運び込ませ、小春が運びこんだ座卓の上に置いた。
「それは結構好きかも」
「それから、お祖母ちゃん、確かタイプライターができたと思ったから、これも使えるかなと思って」
と言って、富士通のノートパソコン FMV-Biblo MG13D (Windows XP) をコタツの上に置く。実はパソコンに強い美那に頼んで基本的なソフトをインストールしてもらっている。ATOK, No Editor, Excel, Virus Buster なども入れている。
「ユーザー名は tenko 全部小文字で t-e-n-k-o で設定してる。パスワードはお祖母ちゃんの誕生日の1012で」
「パソコンは使ったことないけど」
「お祖母ちゃんならすぐ使えるようになると思う。パソコンって指の感覚で入力できるから、紙に文字を書くより楽なんだよ。紙に字を書いていると、上の行と下の行の向きがずれて重なってしまっても気付かないけど、パソコンなら、そういうトラブルが無いから。使い方は、みーちゃん教えてあげて」
「はい。私の分かる範囲で」
「回線がね。取り敢えず高速モデム付けてるけど、すぐADSLの申請するから、それが開通したらネットも自由に使えるようになるから。ネットにつながったら、2ch(にちゃんねる)とかやると楽しいと思うよ」
「ゲーム?」
「電子掲示板なんだよ。日本中の色々な人とおしゃべりができるよ」
「ふーん・・・」
「名前も性別も自己申告だし、18歳の女子高生の振りしててもいいし」
「さすがに言葉が古くてバレる」
「全員匿名だから、名乗ることもないですけどね」
(この時代はmixiのサービス開始前、@niftyの終了直前である)
「やってみたら、お祖母ちゃん、ハマっちゃう気がする」
「へー」
ADSLの開通には1ヶ月かかったが、実際にはその1ヶ月の間に天子はパソコンの基本的な使い方を瑞江から習った。そしてネットが開通すると、天子は2chに完璧にハマり、毎日5-6時間パソコンの前に座っているようになる。
「それから、将棋のセット買ってきた」
と言って、千里は将棋の盤と駒のセットを開ける。
「私もある程度は物の位置とか分かるけど、私には駒の識別は難しい」
「この将棋の駒は特殊なんだよ。ほら、触ってみて」
「あ」
「ひとつひとつの駒にリレーフがされてるから、触ると何の駒か分かるんだよ。この将棋盤も線が盛り上げて引かれてるから、マス目が分かりやすい」
「へー」
「私は個人的には囲碁の方が好きなんだけどね。碁盤は広すぎて、見ないで囲碁を打つのは凄く大変。将棋なら盤が狭いからまだ分かるかなと思って」
「ありがとう!やってみるよ」
「それも私がお相手しますから」
と瑞江。
「そういうので少しでも気が紛れたらと思って。私も月に1回くらいは寄るから」
「無理はしないでね」
「私はむしろ今までより来やすくなるんだよ。“おばあちゃんち”だから」
「ああ、そうかもね」
「みーちゃん、でいいのかな」
「はい、それでお願いします。本名とか真名はあまり呼ばないで下さい」
「OKOK。みーちゃんは、お仕事か何かしてるの?」
「一応大学2年生という“設定”で。だから下宿人ということで。家賃も払いますよ」
「それは私のお世話賃と相殺にしようよ」
「そうですか」
「でも大学生なら学校に通学するんじゃないの?」
「あ、そうか。だったら平日は毎朝出掛けて夕方帰って来ます」
「あ。いいんじゃない?それと2年生なら1月は成人式かな?」
「そうだなあ。成人式に行ってもいいかなあ。一応振袖は持っているから」
「10回目くらいの成人式かな」
と天子は楽しそうに言った。
「それは言わない約束で」
ともかくも、天子はミミ子の同居?に同意したのである。
「でも千里。もう6時半だけど、留萌行き最終に間に合う?」
「大丈夫だよ。留萌まで走って帰るから」
「え〜〜〜!?」
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【女子中学生のビギニング】(4)