【女子中学生のビギニング】(2)

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10月25-26日(土日)には、P神社で秋祭りが行われた。
 
昨年は姫奉燈の周囲を歩く巫女は、純代、守恵、広海、千里の4人で務め、先頭を純代が歩いた。今年は同じメンツだが、広海が先頭を務めた。守恵はこのお祭りのために、旭川から留萌に来てくれている。守恵は蓮菜の従姉の3姉妹の末娘だが、今年H教育大旭川校に進学している。
 
お祭りの間、神殿には特別な火が3基の燈台で燃やされている。
 

 
この火は千里が幼い頃に小春と2人で某所から取って来たもので、普段は社務所の囲炉裏で維持されている。もう9年間燃えているが、この秋祭りの期間中だけ神殿に灯される。
 
その他、拝殿、境内、そして町内の姫奉燈運行経路にランタン型のLEDライトが合計2000個ほど灯る。秋祭りは光の祭典である。とても美しい風景なので、ここ数年はテレビ局も取材してくれている。留萌出身の写真家・桜美鳴子さんがこの祭りの写真集を出したこともある。
 
一昨年までは豆電球や蛍光灯を使っていたのだが(中断以前の昭和20年代は蝋燭だった)、昨年P神社奉賛会の積立金を30万円ほど使ってLEDに更新した。姫奉燈内部の灯りもLEDになっている。
 
LEDについては大神様も「明るくて良いな」と気に入っていたようである。
 

拝殿では夕方から夜に掛けて4回(2日で8回)、姫奉燈の先導役の巫女4人による巫女舞が奉納される。昨年までは7回だったが、7回もしなくてもいいのではないか?という意見が出て、占いを立てた所4回でよいということになったので今年から18:00 19:00 20:00 21:00 の4回になった。実際大神様も7回もしても疲れるだけだよと言っていた(舞の奉納では大神様もそれを見てないといけない!)。
 
千里が巫女舞を舞っているので、恵香が龍笛を吹き、美那が太鼓を叩いた。
 
神殿で燃えている火を、祭り期間中、3人の見守り役が不寝番(ねずのばん)をする。今年この番をしたのは、伊勢の皇學館で神職の勉強をしている和弥、和弥の姉で札幌に住んでいる花絵、そして今年の春ここで結婚式を挙げた市職員の杉本さん(巫女OGの浅美さんの夫)の3人である。万一強風などで燈台の灯りが1つか2つ消えた場合、すぐに他のから移して復旧させる必要があり、ほとんどの時間待機しているにもかかわらず、責任の重い仕事なので、基本的に身内で構成している。昨年は和弥の父・民弥がしたのだが、拝殿でエロ本を読みながら自慰していたので首になった!一応3人が交替で休むようにしている。
 
「花絵さんは今度の3月で大学卒業ですよね?就職先はもう決まってるんですか?」
「うん。札幌市内の建設会社に内定をもらってる」
「へー!建設会社って男の世界っぽい」
「そうそう。だから男がよりどりみどり」
「なるほどー!」
「札幌の大学に入った時は、お祖父ちゃん(常弥)が、留萌に来る気無い?いい婿を紹介するよとか言ってたけど、和弥が神職を目指すことを決めてからはあまり言われなくなったし」
「高校時代までは巫女さんしてましたからね〜」
「なんかここの神様にも気に入られてるよと言われてたけど」
などと言うと、大神様が頷いている。確かに花絵さんは大神様に愛されているようである。
 

2日目も姫奉燈の運行と巫女舞の奉納が行われる。このお祭りはとても静かなお祭りである。勇壮な夏祭りとは対照的だ。
 
2日目の21時に最後の巫女舞が終わった後、本殿の燈台はこれ以上燃料を追加せずにそのまま燃え尽きさせる。3つの燈台の灯りが全て燃え尽きたところで宮司は締めの祝詞を上げて、祭りを終了。境内の灯りも落とす
 
これに付き合ったのは、神職の他には和弥・小町、巫女長(に、いつの間にか任命されていた!)の梨花さんだけである。
 
(沿道のランタンは氏子さんが運転する軽トラを使って21時以降に回収される)
 

例年のように、秋祭りが終わった後、P神社の大神様は一週間ほど(10/27-11/3), 伊勢外宮で行われる神様会議に行ってくる。それでその間は、昼間は小町、夜間は千里(千里Y)が神様の代理を務めた。この一週間千里は昼間は学校などに行っており、平日は全く眠れないが、眠らなくても疲れないようにしてもらっている。
 

2003年11月1-3日(土日祝).
 
この三連休に全道中学バスケット新人ワークスなる大会があり、千里たちのS中も男女ともこれに参加した。
 
(P神社で神様代理をしているのは千里Yでこの大会に参加したのは千里B)
 
新人の大会なので1−2年生が出場する。ノックアウト方式ではなく、抽選で組み合わせを決めて各チーム6試合おこない、勝敗数と得失点差で成績を決めるという大会である。
 
これにS中は男子は15人、女子は下記の人を登録して一緒に保護者が運転する大型バスで札幌に向かった。
 
女子チーム登録者
・久子(2年・主将)
・友子(2年)
・数子(1年)
・留実子(1年)
・千里(1年)
・伊都(バレー部からの助っ人)
・鞠古君!
 
鞠古君を女子チームに登録したのは、こういう事情である。
 
鞠古君はまだバスケットをできる状態にはないが、来年度以降は中心的な戦力の1人になると思われるので、強いチームが多数出るこの大会を見学させておきたい。しかし選手ではない生徒を連れて行った場合、万一事故などで怪我をしたような場合に保険が出ない。そこで人数に余裕のある女子チームに登録してもらい、万一の場合はそれで保健を使う。むろん彼は男子なので女子の試合には出場できない。
 
千里も男子としてバスケット協会に登録されているので女子の試合には出られない。だから女子チームは7人登録されているものの、実は5人しか出られない。つまり交代要員が居ない!(本当は伊都もバスケ協会の籍が無いから出場できないが、登録証を確認はされないだろうという所)
 

それで札幌に行ってから大会前のキャプテン会議に久子が出ようとしたら、名簿が違う。運営さんの所に提出されているのは男子のメンバー表である。
 
「あれ?そういえば皆さん、男子みたいな名前ですね」
 
一方男子のキャプテン会議に出ようとした2年生の新部長・佐々木君は
 
「あれ?そういえば皆さん、女子みたいな名前ですね」
と言われていた。
 
つまり、男子のメンバー表と女子のメンバー表を誤って逆に提出してしまっていたのである。
 
伊藤先生が青くなって主催者側と交渉した。その結果、このようなことになった。
 
・今日になってからのメンバー変更は認められない。
・男子大会に登録されている女子部員はそのまま男子大会に出場してよい。
・女子大会に登録されている男子部員が女子大会に出ることは認められない。
・わざわざ札幌まで来たのに試合ができないのは気の毒なので、大会成績とは関係無い練習試合を適当な数設定する。
 
実際には男子チームは強豪校の二軍などとの練習試合を組んでもらい、結構良い経験ができたようである。
 

しかし“女子チーム”は急遽、男子の大会に出ることになった。そして男子大会なので、千里と鞠古君も出場できるのである。
 
鞠古君は身体が全然万全で無いのだが、短時間ならプレイできると思うと言うので、そういう使い方をすることにした。試合相手には「女子チームですが男子が2人混じっています」と伝えて対戦したのだが、対戦相手は2人というのは、鞠古君と留実子だと思ったようである(普通そう思う)。
 
第1試合ではほどほどに強いチームだったが、女子相手だからというので最初は控え組を出してきた。ところがあっという間にS中女子がリードするので、向こうは慌ててスタメンを出してくる。しかし最初のリードの貯金もあって何とか逃げ切った。
 
2チーム目は5人ぎりぎりで、しかも本当にバスケをしているのは2人だけというチームだったので、無理できない鞠古君を休ませて6人だけでやったが楽勝であった。
 
2日目に当たったチームはどちらも強い所だったし、S中女子をなめたりせず本気で来たので、2試合とも大敗した。
 
3日目は第1試合は大敗したものの、第2試合ではずっと競り合い、最後に千里のブザービーターとなるスリーポイントが決まって逆転勝ちした。
 
結局6試合を3勝3敗で乗り切り、男子118校の中の70位だった。ほぼ女子というメンツでこういう成績を残せたことは、女子バスケ部員たちに自信を与えた。
 
なお今回の事件で、その名簿を誤って逆に提出してしまった佐々木君は責任を取って部長を辞任し、貴司が「俺はそういう柄じゃない」と言って辞退したので、男子の新部長は田臥君になった。
 

11月3日、大会は17時で終了した、S中の一行はそのまま保護者が運転するバスで留萌に戻る。S中の校庭まで戻って来たのは19時頃で、そのまま解散する。S中で解散するのは、多くの保護者が車で迎えに来てくれているからである。駅前とかでは車を駐めて待つことができない。
 
留実子は鞠古君のお母さんが迎えに来ていた車に同乗していた。留実子は多分そのまま今夜は鞠古君の家に泊まるつもりなのだろう。鞠古君はまだセックスはできないだろうけど、きっと一緒に休むだけでもお互い安心できる。
 
「千里」
という声がするので振り向くと、27-28歳くらいかなと思う女性が立っている。
「ちょっと来て」
と言われるので付いて行ったが、これ誰だっけ?などと考えていた(←簡単に誘拐される性格)。
 

千里はいつの間にか、見たことの無い建物の中を歩いていた。回廊のようだが、壁・床・天井が塗装されていない白木でできている。窓のようなものは無いが数メートルおきに燈籠が掛かっていてわりと明るい。途中3つに別れている所があり、女性はその右手に行ったので、千里もそちらに付いていった。
 
回廊のいちばん奥に小さな部屋があった。
 
「ちょっと会議に行ってくるから、ここで一週間くらいお留守番しててくれない?」
「はい!?」
 
「じゃよろしくね」
と言って、Q姫神は富士山で行われる神様会議に出掛けていった。
 
千里がお腹空いたなあと思っていたら、若い女性が食事を運んで来た。
「大会、お疲れ様でした。ご飯は好きなだけお代わりして下さいね。これで足りないようでしたらお呼び下さい」
と言って、おひつを置く。
 
「お飲み物は取り敢えずこちらに緑茶を用意しましたが、日本酒とかビールがよければお持ちしますが」
「アルコールは飲みません!」
 
「ではゆっくり、おくつろぎ下さい。こちらに着替えを用意しましたから、お食事が終わったらお風呂に入って着替えて下さいね」
 
「ありがとう、ヒツジ子さん」
「なぜ私の名前が分かるの〜!?」
「え?だって見れば分かるでしょ」
 
ヒツジ子は首をひねりながら礼をして下がった。
 
ということで、千里(千里B)はQ神社の左神殿奥部で一週間、神様会議に行ったQ姫神のお留守番をしたのであった。
 
(右殿・左殿というのは神様側から見て右左なので、神殿に向かって立った場合は右側が左殿、左側が右殿である:稀に逆の神社もある。この神社の中殿と右殿は出張所なので、時々巡回してこられるだけで神様は非常駐である。留萌のQ姫神は旭川のQ姫神の妹である:稚内のQ姫神と三姉妹)
 
なお千里がお留守番するのは夜間であり、日中は眷属筆頭のネズ夫さんが留守番をしていたので、千里Bは一週間ここから学校に行っている(近くていいかも知れない)。
 
10/27-11/03 千里YがP神社でお留守番
11/04-11/10 千里BがQ神社でお留守番
 
なおこの時期、いつもここの留守番を頼まれている、摂社・少彦名神社の神様は、出雲での神様会議に出掛けていた。出雲の神様会議は旧暦の10月11日〜17日で、今年は新暦で11月4日〜10日にあたり、富士山での定例会議(毎年新暦11月上旬)に出るQ姫神と時期が重なってしまったのであった。
 

11月10日(月).
 
英検2級一次試験の結果が通知された。千里は合格していた。それで今月下旬の二次試験(口頭試問)を受けることになった。
 

2学期に入ってからも、基本的に千里Y (Yellow) は学校が終わったらP神社に行って蓮菜や恵香たちと一緒に勉強会をしていた。勉強会のコアメンバーは千里・蓮菜・恵香・美那の4人で、玖美子は剣道部が終わってから18時頃こちらに来る。
 
玖美子は学校で千里(実は千里R)と一緒に剣道部の練習をして、練習後に買物して帰ると言う千里と別れP神社に来てみると、そこにも千里(実は千里Y)がいても気にしない(慣れてしまった!)。
 
そして勉強会の合間に神社のお仕事がある場合は、巫女衣装を着て誰かが務めるということをする。もっとも平日の夕方以降には祈祷の依頼などもまず無い。お守りなどを求める客が時々ある程度である。
 
昇殿祈祷の依頼があるのは土日であるが、土日は梨花(26.巫女長) 純代(高1) 広海(中2) も来ていることが多い(昨年までの常連・乃愛は大学に進学して現在は札幌に住んでいる)。
 
千里たちは(土日は1日中勉強会をしている)手が足りない時に手伝う。もっとも昇殿祈祷の際は、恵香が笛を吹くことが多い。巫女舞を入れる場合は、千里と美那が対応することが多い。但し続く場合は千里が笛を吹いて恵香が舞を舞ったりもする。
 

千里B (Blue)は1学期の間はなぜかバスケ部の練習に行けなかったのだが、2学期になると顔を出せるようになった。それでサブ体育館で他のメンバーと一緒に汗を流している。また昼休みは、新設した合唱同好会の練習に出ていた。
 
そして土日にはQ神社に行って巫女を務め、特に昇殿祈祷の笛を主に担当した。
 
千里R (Red) は毎日剣道部の練習に出ている。17時くらいに練習が終わったら、町のスーパーで夕飯の買物をして帰るのがだいたい日課になっている。
 
千里は放送部員なのでだいたい半月に1度くらい昼休みの放送の担当をしている。これをしてるのは千里Yが多い。
 
3人の千里は手塩竹笛工房製の龍笛を所有している。2003年秋の時点で各々が所有しているシリアルナンバーは下記である。
 
Y 222
B 224, 200(織姫)
R 228
 

千里Rはヤマハの総銀製フルート YFL-714 を持っている。また千里Yは上記の手塩工房作品以外に、小春が使用していた花梨製の龍笛も所有している。
 
千里Rは月に1回くらい旭川に出て、きーちゃんから龍笛とフルートの指導を受けるととともに、越智さんという剣道六段の人から、剣道の指導も一緒に受けている。土曜日に行き、一泊して日曜に帰ることが多い。
 
ところで千里の男性型W(white)であるが、4月の頭の時点では W/R(P:Pink), W/B(A:Aqua), W/Y(L:Lemon) の3種類が確認されていたのが、1学期の終わり頃はW/R は滅多に見られることがなくなり、Wであれば大抵 W/B で、たまにW/Y であることを小春とミミ子は認識していた。
 
しかし2学期中にW/Y も出現頻度が低くなり、Wはほとんど W/B であるようになる。小春たちは、やがてWはもう出現しなくなるのではと思っていたのだが、意外にしぶとく、Wがほとんど見られなくなるのは、高校2年生の夏である(それ以降の出現は“時間の組み替え”によるもの)。
 
小春とミミ子は千里Gや千里V(他にもいるかも)の存在には気付いていない。
 

11月14日(金).
 
父・武矢の母方の伯父(天子の兄)、十四八(としはち)が亡くなった。大正14年8月生まれで十四八という名前で、78歳であった。天子の夫(武矢の母)が大正14年3月の春生まれで十四春であり、同類の名前ということで仲は良かったらしい。2000年に十四春が亡くなった時は葬儀に出たいと言っていたが、卒中で身体の自由が利かず泣く泣く断念したという。あの時はUSBメモリで音声の追悼メッセージを寄せていた。
 
葬儀は同居していた三男(?←疑問符の意味は後述)川夫の家のある釧路市で行われる。
 
連絡があったのが14日の午後だった。16日(日)が友引で葬儀ができない。それで16日(日・友引)に通夜をして、17日(月・先負)に葬儀をするということになった。
 
妹である天子は当然葬儀に行く。それで天子と同居している弾児一家は一緒に行く(天子は目が見えないので必ず付き添いが必要)。
 
となると、立場上、弾児の兄である武矢は行かざるを得ない。夕方帰港してきた武矢は「俺は月曜の朝には船を出さないといけないぞ」と文句は言ったものの行くしかない。それで、このような計画を立てたのである。
 
15(土)朝から車で4人で釧路に行ってお別れをする。
16(日)昼過ぎ、車で津気子と武矢だけ帰る(通夜に出ない)
17(月)葬儀後、千里と玲羅はJRで留萌に戻る
 
最終連絡 釧路13:25(スーパーおおぞら8号)17:17札幌17:22(スーパー宗谷3号)18:25深川19:10-20:09留萌
 
16日の帰途では武矢は津気子が運転する車の後部座席で寝ていると言った。
 

それで15日の朝から釧路に向かう予定だったのだが、14日(金)の夕方18時頃になって、Q神社の細川さんから連絡が入ったのである。
 
「千里ちゃん、明日・明後日はお休みさせてという連絡が入ってたみたいだけど」
 
千里が電話した時は香取巫女長も細川さんも居なくて循子さんに伝言しておいた。
 
「はい。大伯父が亡くなって葬儀に行くんですよ」
「そちらも葬儀かぁ!」
と天を仰ぐように細川さんの声。
 
「どうしたんですか?」
「実はお葬式が入ったんだけど、その通夜・葬儀で笛を吹く人がいなくて」
「えーっと・・・」
「京子さんの所も親戚のお葬式で、札幌だか稚内だかに行くということで」
「あっちもこっちも、お葬式ですね!」
 
しっかし、札幌と稚内では全く方角が違うぞと思う。でもそういう状況なら京子さんと一緒に龍笛を練習してもらっていた映子も一緒に行ったのだろう。映子にも覚えてもらったのは、京子さんが使えない時の予備の意味があったのだが、こういう場合はどちらもダメになる。
 
「千里ちゃんはいつ移動するの?」
「明日の朝の予定です」
「だったら、取り敢えず前夜祭の笛を吹きに来てくれない?」
「分かりました」
 

それで千里はタクシーを呼んでQ神社に駆け付けた。そして神職および細川さん、循子さんと一緒に葬儀場に向かい、通夜祭(前夜祭)の儀式の笛を吹いたのである。
 
千里は葬儀用の鈍色(にぶいろ)の巫女衣装を着て、祭主の祭文奏上や、玉串拝礼で笛を吹いた。
 
(神式の前夜祭(通夜)の大まかな流れ)
お祓い→お辞儀→遷霊の祭文奏上→遷霊の儀→献饌→霊魂安定の祭文奏上→前夜祭の祭文→玉串拝礼→撤饌→お辞儀
 
遷霊の儀というのは、死者の御霊を霊璽(仏式でいうと位牌)に移す儀式である。P神社やQ神社では通夜祭本体に先行して行うが(千里はP神社の翻田宮司に付き従って神葬祭をしたこともある)、神社によっては通夜祭に続けて行う所もある。
 
照明を落とした真っ暗闇の中で神職の「おーーーーー」という声で御霊が先導される。厳粛な儀式である。
 

「明日は何時からお葬式なの?」
と通夜祭が終わってから細川さんに訊かれる。
 
「16日が友引なので、16日お通夜で17日葬儀なんですよ」
「だったらもしかして明日は動ける?」
「それが父が船に乗っているので、17日月曜の朝には出港しないといけないんです。場所は釧路なんですけど、それで明日向こうに行って、故人にお別れの挨拶をして、通夜に出ずに16日の午後にはこちらに戻ります。父は車の運転ができないので、母が父をこちらに連れ帰る必要があるんですよ。それに車だと同乗者は寝て行けるし。私と妹が両親の代理で通夜・葬儀に出席します」
 
細川さんは紙に千里たちの動きを書いていた。
 
両親 (15日) 留萌8:00→14:00釧路 お別れ (16日) 再度お別れ 釧路13:00→19:00留萌
娘達 (15日) 留萌8:00→14:00釧路 (16日) 18-20h 通夜 (17日) 葬儀 釧路13:00-20:00留萌
 
「ということは、明日は千里ちゃんは動けるよね?」
「えっと・・・」
 
「15日にこちらのお葬式で笛を吹いてもらって、その後釧路に私が送って行くよ。そしたら15日の夜に釧路に着くから16日の通夜には余裕で出られる。帰りも17日に向こうの葬儀が終わってから玲羅ちゃんも一緒にこちらに連れ帰るよ」
 
と細川さんが言った。
 
「あはは、可能ではありますね」
 
実際細川さんが千里の母に電話して、話を付けてしまった。それで千里は行き帰りとも、両親とは別行動になることになった。
 
「でも京子さんが動けない時に、細川さんまで遠出して大丈夫ですか?」
「京子ちゃんとこは、今日お通夜で明日15日葬儀なのよ。やはり友引を避けるというので」
 
「友引とか大安なんて全く意味が無いのに」
と千里が言うと
「ね」
と細川さんも準備作業で来ていた香取さんも同意している。
 
仏教や神道の関係者も、東洋占術や暦の専門家もみな六曜は全く無意味であると言う。
 
「まあそれで、京子ちゃんは明日15日の夕方には戻ってくるから、私が明日留守にしても大丈夫と思う」
 
「その間に祈祷の依頼があったら?」
「循子ちゃんが居るじゃない」
「え〜〜〜!?」
と本人が困っていた。
 

千里が帰宅して、明日の午前中の葬儀でも笛を吹く人が居ないので、午前中神社で笛を吹き、その後、細川さんに釧路まで車で送ってもらうことになったと言うと、玲羅も
「じゃ、私もお姉ちゃんと一緒に行く」
と言う。
 
父の乗る車に同乗したくないのだろう。父と会話するのは面倒だ。
 
しかし
「お姉ちゃん!?」
と父が訊くので
 
「お兄ちゃんと私言ったけど」
と玲羅は言い直す。
 
「千里、髪長くしてるから、お姉ちゃんとか言われるんじゃないのか?」
と父は言うが
「聞き間違いじゃない?私、お兄ちゃんと聞こえたよ」
と千里は言っておいた。
 
それで千里(B)は家電から細川さんの携帯に掛け、玲羅も自分と一緒に釧路に移動したいと言っているので、乗せてもらっていいかと頼み、了承を得た。
 

千里("G")は、きーちゃんに電話してみた。
 
「ちょっと釧路まで往復して来たいんだけど、足が無いのよ。私と妹を運んでくれないかなと思って」
「日程は?」
 
「明日15日土曜日の午後に留萌を出て夜までに釧路に行き、17日月曜日のお昼に向こうを出て、夜までに留萌に連れてきて欲しいの。報酬は実費+1日2万円くらいでどうかなぁ」
 
「ああ、全然問題無い。費用の件はまた話すことにしよう。じゃ15日に迎えに行くね。どこに行けばいい?」
「午後3時・15時頃に留萌市内のFF市民斎場って分かる?」
「ちょっと待って」
と言って、きーちゃんは地図を確認しているようである。
 
「留萌市F町2丁目?」
「そうそう。そこ」
「OK。じゃ迎えに行くね」
「ありがとう」
 
それで千里(G)は、細川さんに電話して、折角申し出てくださったのに申し訳ないが、親戚の女性が運んでくれることになったから、送迎は不要であると伝えた。
 
細川さんは言った。
「だったらさ、千里ちゃん、午前中だけであがりなよ」
「いいんですか?」
「出棺した後は、それが帰るのをひたすら待ってて、お骨が戻って来てから短い帰家祭をするだけだからさ。その笛は私が吹くから、千里ちゃんは出棺であがればいいよ。一般の参列者と同じタイミングで退出」
 
「そうですね。そうさせてもらおうかな」
「うん」
 
それで千里(G)は再度、きーちゃんに電話し、15時のつもりだったが、もっと早く開放されることになったので、11時半くらいに頼めないかと言った。
 
「うん。全然問題無い。じゃ11時半くらいに斎場に迎えに行くね」
「ありがとう」
 

翌日(11月15日・土)朝5時、、母は父をスバル・ヴィヴィオに乗せて釧路に向け出発していった。母の運転だとたぶん9時間くらい掛かるだろう。道中喧嘩とかしなきゃいいけど、と思いながらそれを見送った。
 
また千里はこの車のタイヤが気になっていた。この時期はもちろんスタッドレスに交換しているものの、そのスタッドレスはこの車を買った2000年2月に当時新品(1999年製)を付けてもらっている。スタッドレスは夏用タイヤと違ってゴムの時間経過による劣化が激しいので、たとえ使用頻度が少なくても3シーズン使ったら新しい物に交換すべきである。今年は5年目。どう考えても限度を超えている。大丈夫かなぁと心配した。
 
両親を見送ってから7時頃、玲羅を起こし、一緒に朝御飯を食べる。持ち物を確認してセーラー服に着替え、玲羅と一緒に家を出る。
 
「でも、お姉ちゃんが堂々と毎日セーラー服で通学してても、お父ちゃんは全く気付かないよね」
などと玲羅は言う。
 
「月曜日はお父ちゃんが出港した後で学校に登校する。金曜日は下校した後でお父ちゃんが帰ってくるから、お父ちゃんは私の登下校を全く見ない」
「おもしろーい」
と玲羅は本当に面白がっているようだった。
 
それで2人はバスに乗ってJ町まで行く。J町のバス停から少し歩いてQ神社に入った。
 

挨拶して玲羅を紹介した上で、葬儀の準備をし、宮司さん、細川さん、千里と循子さん、それに玲羅の5人で斎場に向かった。
 
「神職さんの衣裳も、巫女さんの衣装も色が違うんだね」
と玲羅が言う。
「そうそう。これ鈍色(にぶいろ)と言うんだよ。葬儀専用」
「へー」
 
玲羅は斎場の事務室で待たせておき、4人で斎場の人と打ち合わせて儀式の流れなどを確認した。
 
(神式の葬場祭(仏式でいうと告別式)の大まかな流れ)
お祓い→お辞儀→献饌→葬場祭の祭文奏上→弔辞の奏上→斎場スタッフによる弔電の紹介→喪主玉串奉奠→参列者玉串奉奠→発柩祭の祭文奏上→喪主玉串奉奠→撤饌→お辞儀
 
発柩祭というのは出棺前の儀式である。その後、神職は火葬場まで一緒に行き、火葬前に祭文を奏上する。そして火葬場から斎場に戻って来たら帰家祭を行う。これがだいたい14時すぎである。(この千里は)それまで付き合ってから、細川さんの車で釧路に向かうつもりでいる。
 

小春にお金を念のため20万円下ろしておいてくれるように頼んでいたので、それを玲羅がトイレに行っている間に受け取った。小春自身も髪留めに擬態して釧路まで同行する。
 
(小春の“本体”は千里Yの中に同居している。このように出歩いているのはあくまでエイリアスである。実は実体が無いので、多少できないこともある)
 
葬式は遺族・親戚などが9時頃から集まってきて、親族一同の記念撮影の後、10時から始まった、千里は祭文奏上や玉串奉奠の間、笛を吹いていた。
 
発柩祭が終わって出棺したのは11時過ぎだった。ここで会葬者たちも帰る。
 
「これで終わり?」
と玲羅が寄ってきて訊く。
 
「ううん。お骨が帰ってきてから、また一仕事あるんだよ。でもそれは衣裳が違うし、時間があるから、いったん着替える」
 
通夜・葬儀は鈍色の衣裳を着るが、帰家祭は白い衣裳になるのである。
 
それで千里は女性用のスタッフ控室に行き、いったんセーラー服に着替える。
 
「セーラー服なんだ?」
「お客様の所に出入りする時は、きちんとした服装でないといけないからね」
「私適当な服だけど」
「小学生はいいよ」
 
「でも神式のお葬式、初めて見たけど手を叩かないのね」
「そうさう。通常拍手をする時に手を打つけど、お葬式では音を立てないで打つ振りだけで停める“忍び手”をするんだよ」
「へー」
などと、玲羅は興味深そうに神式のお葬式のことを聞いていた。
 

玲羅と話しながら表の方に出て行くと千里を探していた風の細川さんが寄ってきた。
 
「これお弁当とお茶、ふたり分ね」
「ありがとうございます」
「ついでにこれ私からおやつ」
「ありがとうございます!」
と言って、キットカットの大袋を受け取る。
 
「でも忙しい所、悪かったね。じゃ道中気をつけて行ってきてね」
と細川さん。
 
「え、え〜っと、まだ午後の帰家祭が」
「それは私が笛を吹くと言ったじゃん。千里ちゃんはこれであがりでしょ」
「え〜?だったら釧路まで送っていただくという話は?」
「それは親戚のおばさんが送ってくれることになったんでしょ?昨夜私に電話してきて言ったじゃん。だから帰家祭は私がすることにしたじゃん」
 
「親戚のおばさん???」
と千里が訳が分からない思いでいたら、ちょうど入口から、きーちゃんが入ってきた。
 
「千里、お待たせ。こちらはいつでもいいよ」
と彼女は言う。
 
「え?きーちゃん!?」
 
「釧路まで往復。片道4時間くらいかな。今から出ると、午後4時頃には到着すると思う。寝てていいからね」
 
「きーちゃんが私たちを釧路まで連れてってくれるんだっけ?」
と千里。
 
「昨日電話して来て、私に頼んだじゃん」
「あ〜〜れ〜〜〜!?」
 
「千里ちゃんのおば様ですか?無理を言ってすみませんね。よろしくお願いします」
と細川さんが挨拶している。
 
「きーちゃん、お久〜」
と玲羅は笑顔である。
 
そういう訳で、千里(B)は、訳が分からないまま(髪留めに擬態している小春もどうなってんだ?と混乱している)、きーちゃんの車、マツダ・トリビュートに玲羅と一緒に乗り、釧路に向かったのであった。
 

ところで、きーちゃんは「片道4時間」と言ったが、実は留萌から釧路までは一部の区間で高速を使っても本当は6時間かかる。ところがこの日の朝、きーちゃんは釧路に住む佐藤小登愛(おとめ)から連絡を受けたのである。
 
「今日の夕方、ちょっと来てくれない?封印を掛けるのに人数が足りないのよ。作業は1時間くらいで終わると思うんだけど」
 
それで小登愛には
「別件でちょうどそちらに夕方くらい行くつもりだったから、その時間に合わせていい?」
 
と言って了承してもらった。一応18時までには行くと連絡したのだが、できるだけ早く行きたい。それで知り合いの“神様”に頼んで、ワープさせてもらうことにしたのである。
 

千里と玲羅は後部座席に並び、細川さんからもらったお弁当(お葬式のだが)を食べながら移動する。
 
沼田ICから深川留萌自動車道に乗ると
「すごーい。高速に乗るんだ?」
 
などと玲羅が言うので
「え?乗っちゃまずかったっけ?」
と、きーちゃんが焦っている。
 
「いや全然問題無い」
と千里は言ったものの、笑いをかみ殺すのに苦労した。母の車に乗っているとまず高速なんて使わないからなあと思う。むろん、きーちゃんの車にはETCが付いているが、玲羅はETCで無停車通過するのも面白そうに見ていた。
 
きーちゃんは玲羅が興味を持つかな?という感じで芸能界の話題を振るので3人は楽しく会話しながらドライブしていく。でもおやつ(細川さんからもらったキットカットの他に千里も小春に頼んで、明治チョコBOXとかコーラとかも買っておいた)なども食べてお腹が満ち足りてくると、玲羅があくびした。
 
「あ、寝ててね。まだ時間はたっぷりあるから」
と、きーちゃんが言う。
 
千里は彼女のことばに“寝てて欲しい”という意図を感じた。何かこちらが寝ていてくれたほうが助かることがあるのだろう。きっと私たちに見せたくないことをするんだ。それで千里は
「私も寝ちゃおう」
と言って目を閉じ、神経を99%ほど眠らせた(実は1%ほど起きてる)。
 
2人が“寝た”のを見て、きーちゃんは車を100kmほどワープさせた。そして何食わぬ顔で車を走らせ続けるが、一部の神経が起きている千里は
《すごーい。きーちゃん、色んな能力持ってる》
と思ったのであった。
 

釧路は、札幌・旭川・函館に次ぐ北海道第4の都市である。下記は住民台帳に基づく、2003年当時の北海道人口ランキング(5位以下は年により結構微妙に順序が入れ替わる)
 
1.札幌市 1,837,901
2.旭川市 360,995
3.函館市 283,373
4.釧路市 188,093
5.帯広市 172,703
6.苫小牧市 172,022
7.小樽市 147,196
8.江別市 122,828
9.北見市 110,715
10.室蘭市 101,138
 
source:北海道庁のサイト
https://bit.ly/3uLmGtK
 
釧路市は2005年に阿寒町・音別町と合併した。この時、実は旧釧路市と音別町(おんべつちょう)に挟まれた白糠町(しらぬかちょう)が合併協議から途中で離脱してしまったため、2022年現在、釧路市は西側の旧音別町の領域と、東側の旧釧路市・阿寒町の領域とが飛び地になってしまっている。
 
この物語はこの合併前の時期である。
 

きーちゃんの車は、その音別町(おんべつちょう)で、レストランのようなものがあったので、そこに車を停めた。
 
「車で移動する時は、目的地の少し前でいったん休憩するのが大事なのよ。事故って、あと少しで到着するという時に起きやすいから」
と、きーちゃんは言っていた。
 
それは肝に銘じるべきだなと千里は思った。
 
一息ついて、おやつを食べてから、玲羅にトイレで着替えてくるように言った。それで玲羅は黒のドレスに着替えた。千里は留萌を出た時のセーラー服のままである。
 

千里は、きーちゃんに食事代・往復のガソリン代・高速代込みで12万円渡そうとしたが、彼女は『高速代・ガソリン代だけでいいよ』と言って、2万円しか受け取らなかった。
 
それで千里は
「じゃせめてここの会計は私が出すよ」
と言って、千里がここの代金を払った。
 
「そう?中学生におごってもらうのは申し訳無いけど言葉に甘えておくね」
と、きーちゃんは言っていた。
 
それできーちゃんの運転する車は16時半頃に釧路市内の斎場、D会館前に到着した。
 
「ありがとう。じゃ帰りは明後日のお昼過ぎにここで」
「うん。お疲れ様」
 
きーちゃんは千里たちと別れると釧路市内、小登愛のマンションに向かった。
 

きーちゃんの車を見送って玲羅が訊いた。
「お父ちゃんが居たらセーラ服は、やばくない?」
「大丈夫。この付近にはお父ちゃんは居ない。お別れをしてから旅館に移動したのかも」
「へー。よく分かるね」
「だって、お父ちゃんの波動も、お母ちゃんの波動も無いもん」
「ふーん」
 
朝5時に家を出たら休憩しながら走っても14時には釧路に到着するはずだ。それで千里は、父たちはもう旅館に移動したのだろうと思ったのである。
 

斎場の中に入って行くと、ちょうどエントランスの近くに光江さん(父の弟・弾児の奧さん)が居る。
 
千里は光江さんの波動は認識していた。
 
「光江おばさん、こんにちは」
と千里が笑顔で挨拶する。
 
「あら、千里ちゃん、玲羅ちゃん、お疲れ様」
と光江さんが笑顔で千里たちを歓迎する。
 
「父たちはもう旅館に行きました?」
と訊いてみた。
 
「え?あなたたちお父さんたちと一緒じゃなかったの?」
「私、今日の午前中にどうしても外せない用事があって、父たちより遅く、10時頃に出たんですよ」
 
と千里が言うと、玲羅が「え?」という顔をしている。千里は、きーちゃんが“ワープ”したのを認識しているので、この到着時間が合理的に説明できるように、留萌を出た時刻を10時ということにしたのである。
 
「お父さんたちまだ来てないと思うよ」
「え〜!?朝5時に出たのに。なぜまだ着いてないんだろ?」
「どこかで事故ってたりしないよね?」
と光江さんは心配そうである。
 
「ガス欠だったりして」
と玲羅が言ったが、そのあたりかもと千里も思った。母はガソリンは大抵1000円ずつしか入れないので、給油所が無い所でやばい状況になったことが過去にもあった。
 

光江さんが母の携帯に電話してみた。しばらく鳴ってから母が出る。おそらく車を脇に停めるのに時間が掛かったのだろう。
 
「ツキちゃん今どこ?」
「ごめんねー。さっき帯広を出た所なのよ。あと2時間くらいで着くんじゃないかなあ」
「いや、千里ちゃんと玲羅ちゃんが先に着いてるから」
「ありゃぁ」
 
何でも玲羅の予想通り、ガス欠してJAFを呼び(多分その場で入会した)、油を(少量)補給してもらった。その後、近くのGSまで行って釧路までに必要なガソリンを給油し、走っていたらシャーベット状の道路でスリップして脇に突っ込み、ついでにタイヤがパンクして、またまたJAFを呼んだ。取り敢えず車載しているテンパータイヤに交換してもらい、引っ張って道路に戻してもらってから、走って来ているらしい。どうも2度もJAFを呼んだので合計3-4時間ロスしたようだ。結局こちらに到着するのは18時半くらいになりそうということである。
 
千里は父が無茶苦茶母に文句言ってるだろうなと思った。
 
しかし道路外に逸脱してからのパンクで良かったと思った。3年前の事故のことを考えても、母なら走行中にパンクしたら、脇に寄せることができず、道路の往来の邪魔になっていたかもしれない。
 
でも向こうの車に乗らなくて良かった!!
 
「じゃツキちゃん、安全運転でね」
と言って光江は電話を切った。
 

「おじさんにご挨拶しよう」
と言って、光江は千里たちを遺体安置室に案内してくれた。通夜は明日の夕方からだから、まだホールは使用していない。それで小さな部屋に十四八さんの棺は安置されていた。
 
「ここの宗派は?」
と千里は訊く。
「ここは真宗」
「だったら、南無阿弥陀仏でいいね」
「うん。宗派によって違うから面倒だよね」
 
それで、千里と玲羅は棺の顔の所を開けてお顔を見てから、手を合わせて「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と唱えた。
 
北海道は浄土真宗と曹洞宗が二大宗派と言われ、両者でだいたい全体の3分の2を占めている。
 

故人にご挨拶した後は、光江さんと一緒に休憩室に行く。そこに40歳前後の女性が2人でお茶を飲みながら話していた。
 
「浩子さん、玉緒さん。こちら天子さんの長男で留萌に住んでいる武矢の娘2人で、千里と玲羅。お父さんたちより先に着いてしまったらしくて。こちらは十四八(としはち)さんの長男・海斗(かいと)さんの奧さんの浩子さんと、次男・大湖(だいご)さんの奧さんで玉緒さん」
と双方を紹介する。
 
「初めまして。この度はご愁傷様でした」
「いえいえ。遠い所からお疲れ様」
と双方挨拶した。
 
もっとも玉緒など東京から飛んできているから彼女の方がよほど遠くから来ている!
 
「でも天子さんの兄弟関係の親戚の集まりって私初めて」
と玲羅が言うと
「キクさんの葬式以来、7年ぶりだもんね。前来た時は覚えてないだろうね」
と浩子さんは言っている。
 
「キクさんって?」
と玲羅が聞くので
「天子おばあちゃんのお母さんだよ」
と千里が教えてあげた。
 

「キクさんは、十四春おじいさんのお母さん、ウメさんの妹でもある」
と千里が言うと
「あ、そうか。従兄妹どうしの結婚だったと言ってたね」
「私もその付近は系図が今一理解してない」
と浩子さんも言っている。
 
「キクさんの所はきょうだいが7人兄弟でしたっけ?」
「小さい内に死んだ子を除くとね。本当は10人か11人くらい、いたらしいよ」
「昔は子供は小さい内に死んじゃうことが多かったですからね」
 
「そうそう。だから戦前は子供が生まれて2〜3歳になってから、そろそろ出生届けを出すか、なんて言ってた時代」
 
「それで最初の男の子の出生届けを出す時に、一緒に婚姻届けも出す」
「そんな感じ」
 
「何かできちゃった婚より進んでない?」
と玲羅が言うと
 
「確かに昔は、みんなできちゃった婚だよね」
と浩子さんも笑っていた。
 

「むしろ、できたら婚かな。男の子が生まれないと帰されちゃってた」
と千里が言うと
 
「それは酷い気がする」
と玲羅は文句を言っている。
 
「いや“三年子無きは去れ”って戦前はマジで行われていたこと」
「正当な離婚理由とみなされたみたいね」
と浩子さんも不快そうな表情で言っていた。
 
「不妊は半分は男のせいなのに」
と玲羅はまだ文句を言っている。
 
「特に男の子が生まれるかどうかは夫の責任が大きいよね」
と玉緒さん。
 
(この場に男が居ないからここで不満をぶちあげている!玉緒さんの所は女の子ばかり3人なので、きっと男の子ができなかったことでネチネチ言われている)
 
「Y染色体持ってるのは男だけだもんね」
と玲羅は言ったが、千里も大人の女性3人も“別のこと”を考えていた。でも小学生の前で言うことでもないと思って何も言わなかった。
 
女性の膣は雑菌侵入防止のため、通常酸性に保たれている。Y精子は酸性に弱く、X精子は酸性にも強い。女性が“感じる”と膣内にアルカリ性の愛液が分泌され、膣内は一時的に中性になるので、愛液が充分出てから射精されるとY精子は生き残りやすい。つまり女性に感じさせることのできる“上手な男”からは男の子が生まれやすい。男の子が生まれるかどうかは、男のセックス技量に大きく影響される。
 
兄弟が多数いる家族で例えば、女2人の後で男2人などというケースは年々上手くなっていったことが想像される。逆に男2人の後で女2人などというケースは年々セックスがおざなりになっていったことを想像させる。
 
筆者の父のきょうだいは8人いるが、前半は男3女1で、後半は男1女3である。つまり後者のケースと思われる!
 

しばらく話してから、光江さんは千里たちを連れて斎場を出、近くのマクドナルドに入った。
 
「でも2人だけで大変だったでしょ。おごってあげるから何か食べなよ」
と光江さんは言ってから
「顕士郎たちには内緒でね」
と付け加えた。
 
それで千里はフィレオフィッシュとドリンク、玲羅はビッグマックのLLセットを頼んでいた。
 
「でも十四八(としはち)って変わった名前ですね」
と玲羅が言う。
 
「大正十四年の八月生まれだから」
と千里が言うと
「生まれた年月を名前にしたのか!」
と玲羅は驚いている。
 
「だから十四春じいさんと同じ方式」
「じゃ同い年?」
「そうそう」
 
「天子おばあちゃんとこって何人きょうだい?」
「4人だったけど、1人は戦争中に亡くなった」
「戦死?」
「いや、空襲でやられたんじゃなかったかな」
と千里。
「ああ。そんな話だった」
と光江。光江もそのあたりは不確かである。天子はあまり昔のことは語りたがらない。多分いろいろ辛いことも多かったのだろう。
 

「でも面白い話は知ってる」
と光江さんは言う。
 
「天子さんのお父さんは三蔵さんって、これは明治33年生まれだから」
「お父さんも語呂合わせなのか!」
「それで子供たちの名前が、十四八、浄造、龍男、天子」
と光江さんは4兄弟の名前を紙に書いてみせた。
 
「何か感じるものはない?」
という問いかけに玲羅は首をひねっているが、千里は分かった。
 
「西遊記ですか!」
 
「そうなのよ。自分の名前が三蔵だから、4人の子供に三蔵法師のお供の名前を付けようとした。猪八戒から十四八、沙悟浄から浄造、玉龍から龍男、そして4人目の女の子にソラと付けようとして命名ルールが奧さんのキクさんにバレた」
 
「3人目で気付いて欲しかったなあ」
 
「ソラなんて女の子の名前として変だと言われて、空からの連想で天子と付けた」
「今の時代なら、ソラちゃんって結構いますけどね」
「昭和の初期には聞いたことない名前だったかもね」
「名前には流行もありますからね〜」
 
なお、空襲で若くして亡くなったのは、2番目の浄造さんということだった。
 
「でも西遊記で名前付けていくなら、普通孫悟空から始めませんか?」
と玲羅が疑問を呈する、
 
「最初の子供が十四八になったのは、年月で名前を付けるということて、八が入っていたのは偶然だったらしい。でも2番目の子供の名前を考えている時に思いついた、と」
 
「なるほどー」
 
その時、玲羅が気がついた。
 
「ここの家の苗字“彩友”(あやとも)は音読みしたら“さいゆう”になりますよね」
 
「うん。“さいゆう”で三蔵さんなら、子供にそういう名前付けたくなるよね」
と光江さんは笑っていた。
 
「でも、十四八は別にして西遊記シリーズを付ける構想もあったらしいよ。空男、龍男、浄造、戒子とか」
「へー」
「でも2番目に龍男と付けようとして辰年でもないのに龍男は変だと言われたらしい」
「あれ、だったら3番目の龍男さんは辰年ですか?」
「午年なのよね〜」
「あらぁ」
(実は辰月辰日 1930.4.7)
 
「だから龍男さんはいつも生まれ年を誤解されてたと」
「8月生まれのカンナちゃんみたいなものかな」
と千里は何気なく言ったが、どこかで笑い声がした気がした。
 

光江さんは、浩子さんからコピーをもらったと言って系図を広げ、そこにウメさんと十四春さんを書き加えた。

 
「キクさん・ウメさんの兄弟の名前は分からないのよね〜」
と言って、不明分の所はOを書いている。
 
「十四八さんの子供たちの性別が分かりにくい」
「十四八さんは海軍に入った。戦後は海上自衛隊で掃海艇に乗っていた」
「海軍の伝統をつなぐ部隊じゃないですか」
と千里が言う。
 
「ああ、知ってた?」
 
「掃海隊は帝国海軍の中で、アメリカが進駐してきても唯一解散させられなかった部隊なんだよ」
と千里は玲羅に説明する。
 
「戦争中に日本近海にたくさん機雷が設置されていたから、それを取り除く必要があった。それで海軍の中で掃海隊だけが残された。戦後すぐは海上保安庁の傘下になっていて、その後海上警備隊が組織されるとそちらに移籍されて、海上警備隊が海上自衛隊に改組された」
 
「よく知ってるね」
 
「父が10回くらい話してました。父は自衛隊にも入りたかったらしいですが、試験に落とされたらしいです」
「あ、試験に落ちたという話は聞いたことあった」
 
「お父ちゃんが自衛隊の試験に受かる訳無いよ。露助(ろすけ)にはロケット撃ち込んで、ぶっ潰せとか言ってるもん。危険思想の持ち主だとみなされると思う」
と玲羅は言っている。
 
「ロシアの警備艇に追いかけられて、すんでで日本領海まで逃げ切ったこともあったらしいからね」
と千里は言う。
 
「国境近辺で操業してると、それあるだろうね」
と光江も言う。
 

「でも十四八さんは海軍魂の人だから、この家系では金曜日はカレーだって」
「あ、金曜日のカレーは、いい習慣だと思いまーす」
と玲羅は言っている。
 
千里たちの家でも武矢が帰港してくる金曜日はカレーにすることが多い。父は帰港して陸(おか)にあがってから食べるカレーが楽しみなようである。何かの都合でカレーが無いと不機嫌である。
 
「自衛隊は転勤が多いから、子供が日本各地で生まれてる。そして海軍魂で、子供たちに水に関する名前を付けた。舞鶴で生まれた最初の子は海斗(かいと)、大湊で生まれた2番目の子は、海の次は湖だなというので大湖(だいご)にした」
 
「“だいご”と読むんですか」
 
「たいてい“たいこ”と読まれる。ついでに“こ”が付いてて女の子かと思われる」
「あ、中村晃湖(あきこ)さんの“こ”だ」
「うん。でも晃湖(あきこ)は占い師名で、本名は普通の“子”を使って晃子だけどね」
「あ、そうだったんだ」
 
「でも大湖さんの奧さんは玉緒さんで、“お”がつくから音で聞くと男と間違えられることがある」
「それで夫婦そろって性別を誤解される訳ですね」
「そうそう。子供の保護者欄で逆に書かれてたりとかは、しよっちゅうだったらしい」
 
「そして佐世保で生まれた3番目の子は川夫」
「川夫さんは結婚してないんですか」
「えーっと・・・」
「何か問題が?」
「川夫さんは男の“お友達”と暮らしてたのよ」
「ああ、そちらか」
「3人の中でいちばん性別が明快な名前なのに」
「いや、セクマイの人には男らしい名前の男性が多いというのは昔から言われてる」
 
「それで十四八さん夫婦はその家に同居していた。正確にはそこに一家が住んでいて、長男が独立し、次男が独立して両親といちばん下の子が残った」
「ありがち、ありがち」
「そこに川夫さんが彼氏を連れて来たみたいね」
「じゃ、ふたりの関係は両親も認めていたんですか?」
 
「お母さんの初子さんは許容的だったみたい。十四八さんは不満だったみたいだけど、卒中で動けないし、力仕事などはその彼氏に依存してたから、文句言えなかったというのが実情じゃないかって天子さんは言ってた」
 
「川夫さんは女役?」
「まあ見れば分かるわ」
 
「でも川夫さん夫妻・・・夫妻と言っていいんだろうな。十四八さんが暮らしやすいように、2人でお金を出し合ってバリアフリーの家を建てて、一家はそこに住んでいた」
 
「えらーい」
「凄い親孝行だよね〜」
と光江さんも言っている。
 

「そうだ。郵便局の加藤さんは、この系統とは違うんですか?」
と千里は尋ねてみた。
 
加藤亨さんと奧さんの澪さんは、十四春の葬儀の時、葬儀委員長を務めてくれたが、元々十四春の部下だった人で、天子さんの遠縁の親戚と聞いていた。
 
「あれは天子さんもよく分かってないみたいだけど、三蔵さんの兄弟の系統みたい」
「かなり遠いですね」
「確か三蔵さんの妹の・・・ミクさんと言ったかな」
「変わった名前ですね(*5)」
「明治39年生まれ」
「また語呂合わせか!」
 
「そのミクさんの息子に10月9日生まれの徳道さんって居て」
「語呂合わせは続く」
「その人の奧さんの又従弟が加藤亨さんだよ」
「物凄い遠縁ですね」
 
光江さんは系図にその加藤さんを書き加えてみた(やや不確か)。

 
千里が数えてみると天子さんから10親等(ただし1ヶ所姻族に移動している)ということになるようだ。ただ、十四春さんと加藤さんは親族の集まりで遭遇したことがあり、それ以来、ほぼ親戚に準じた付き合いをしていたので、葬儀委員長を買って出てくれたらしい。
 
なお、光江さんが名前が分からず“O”を書いた、三蔵さんとミクさんの間に入るのがミナさん(明治37年生!)で、その娘が咲子であるが、その付近の事情は光江さんも知らなかったし、咲子さんの存在も千里は知らなかった(*6).
 

(*5) この時期はまだ初音ミクの“活動”開始前である。初音ミクの最初のバージョンがリリースされたのは2007年8月。
 
(*6) 千里が知らない年表
 
1922 彩友ミナ(三蔵の妹:明治37生.18歳)が木花馬助(明治27 午年生.28歳)と結婚。馬助は東京に転勤し、ミナも一緒に行く。
1923.9.1 関東大震災で馬助が死亡。ミナは札幌の実家に戻る。
1924.3 彩友三蔵が道主キク(岩見沢出身)と札幌で結婚する
1924.4.8 17:51 馬助の忘れ形見となる木花咲子誕生。咲子は他人には自分は八戸生れと言っているが、本当は札幌で生まれている。
1924.10 三蔵が八戸に転勤になる。ミナは生後半年の咲子を連れて三蔵と一緒に八戸に移動する。
1925.3 村山十四春誕生(村山榮作と道主ウメの最後の子)
1925.8 彩友十四八誕生(彩友三蔵と道主キクの最初の子)
1927 彩友浄造誕生
1930 彩友龍男誕生
1932 彩友天子誕生。つまり天子は八戸生。
 
十四八・浄造・龍男・天子の4人は、咲子の弟・妹のような感じで育った。両者の親族関係を本人たちはよく分かっておらず“姉弟/姉妹のようなもの”と記憶していた。それで千里は後に2人が又従姉妹くらいかなと思ったのだが、本当は従姉妹であった(ずっと後に、きーちゃんが調べてくれて確認された)。
 
1937.3 村山十四春が尋常小学校を卒業。すぐに漁船に乗る。
1939 彩友三蔵が招集され出征。
1942 木花咲子(18)が高園和彦(26)と結婚する。咲子は和彦の転勤により八戸を離れる、当時天子は10歳。
1942 彩友十四八が少年兵に志願し、海軍に入隊する。千葉県船橋の海軍通信所で勤務。
1944 彩友三蔵が南方で戦死。
1945.5 村山十四春が徴兵検査を受けて甲種合格(翌年1月入営予定だったが、その前に終戦したので十四春は戦争に行っていない)
1945.8.10 八戸空襲で、浄造とミナが死亡。咲子は和彦とともに頻繁に日本各地を移動しているため、キクは咲子と連絡が取れなかった。以降音信不通。
 
1945.8.15 終戦。十四八はしばらく千葉県内の工場で働く。
1945.11 キクと龍男・天子は八戸から親の実家のある北海道岩見沢に戻る。
十四八もそれに合わせて岩見沢に行き農業をする。
 
天子と咲子が終戦前に最後に連絡を取ったのは1944年。千里のおかげで再度連絡を取ることができたのは2011年であり、実に67年ぶりであった。そして京平の力でふたりは2012年正月以降、毎年1回会うことができるようになった。
 
 
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【女子中学生のビギニング】(2)