【女子中学生たちの出席番号】(1)

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“母に車で送ってもらった”千里は、蓮菜からの連絡で1組に割り当てられているのは分かっていたので、生徒玄関を入ると、履いてきた靴を1年1組31番の所に入れ、青いミズノのスポーツバッグから上履きを出して履き、1年1組の教室に行った。
 
恵香たちから
「やっと出て来たか」
と言われながらも
「なぜセーラー服を着てない?」
「髪が長いままだ」
などと色々突っ込まれる。
 
やがて担任の先生が朝の会のために入ってくるので、千里は前に出て行き、1週間休んだことを詫びた上で、母に書いてもらった欠席届と病院でもらった診断書を提出した。そして体調が万全になってから髪は切りたいと言った。担任は「うん。お母さんから聞いてるよ。お大事にね」と言ってくれた。
 

千里は欠席届とともに先生に、校費の預金口座振替依頼書、家族調査票、就学援助の申請書などを提出した。この家族調査票は倒れる直前、4月6日の夜に千里が書いていたもので、それを中身を確認せずに提出したので、このようになっていた。
 
生徒氏名:村山千里(むらやま・ちさと)
性別:女
生年月日:平成3年3月3日
現住所:留萌市C町*番**号
電話:0164-**-****
家族構成
村山武矢  昭和36年8月18日 父 漁船員
村山津気子 昭和42年6月23日 母 会社員
村山玲羅  平成4年7月23日 妹 小学生
 
千里の性別は女と書かれている!
 
でも千里はそのことに気付かないまま提出した。千里は学籍簿上も女なのでこの書類はそのままファイルに添付されることになる。
 

「そういえばなんで体操服なんだっけ?」
「すみませーん。出がけに制服にヤカンのお湯をこぼしてしまって。今日はこれで授業受けさせて下さい」
 
「ああ。それならいいよ。でも君の学生証の写真を撮影してなかったからさ。2〜3日中でいいから、この印刷屋さんに制服で行って写真を撮ってもらって」
 
と言って担任は印刷屋さんの名前と住所を携帯の画面で示す。
 
《有限会社・黄金印刷 留萌市K町6丁目2-22 TEL 0164-**-****》
 
「すみません。ここの地図出ます?」
「ちょっと待ってね」
と言って、先生が操作するとその付近の地図が表示される。
 
「ああ。このあたりですね。分かりました」
 
「クラス名と出席番号・名前を言ってね」
「はい」
 

その後、千里は入学式の日にしていなかった自己紹介をした。
 
「入学早々1週間休んでしまいました。N小出身の村山千里です。音楽と体育が好きです。部活は、何もする予定はありません」
と言ったが、同じクラスになっている玖美子から
 
「剣道部の入部届は出しといたからねー」
と言われた。
 
「村山さんは、小学校時代は、団体戦の大将で、個人戦でも準優勝2回・3位1回で剣道1級の腕前です」
と玖美子は更に続け、他の小学校から来た子たちから
「すごーい」
という声もあがっていた。
 

朝の会が終わった後、教科書を取りに来てと言われたので、菅田先生と一緒に職員室に向かう。ところが、その途中で( セーラー服姿の)小春に遭遇する。
 
千里は小春が“独立して”稼働していることに驚いた。
 
「千里〜、たまたま職員室に行ったら、村山さんの教科書持ってってあげてと言われたから持って来たよ〜」
 
「わっ、ありがとう」
と千里は言って、教科書の入っているビニール袋を受け取った。
 
「深草さん、ありがとね」
と菅田先生。
「いえいえ」
「重いのに。ごめんね」
と千里は言う。それで千里は小春と一緒に教室に戻る。
 
「千里、髪を長くしておく時は結んでおかないといけないんだよ。これで結びなよ」
と言って、小春は黄色い玉のついた髪ゴムを2個渡す。
 
「ありがとう」
と言って千里はその髪ゴムを受け取り、髪を2つに分け、各々を髪ゴムで留めていた。その作業中は、小春が教科書を持ってあげていた。
 

小春が教室に入り、教科書の入った袋を千里の机の上に置くと、千里が入って来て
「あ、小春、教科書持って来てくれたの?ありがとう」
と言った。
 
「まあついでがあったからね」
と小春は言った。
 
すぐに1時間目・国語の授業が始まる。最初に出席を取るが、「村山」と呼ばれて千里が「はい」と返事をすると、
 
「おお、出て来たか。もう大丈夫か?」
と言われる。
 
「はい、おかげさまで」
「大事にな」
と言われて、点呼は進んだ。
 
この時間が終わってから、千里は前の席の小春に訊いた。
 
「そこの空いてる席は誰?」
 
千里の前に小春が座っているが、その隣の席が空いているのである。
 

┏━━┳━━┓
┃空き┃小春┃
┣━━╋━━┫
┃鞠古┃千里┃
┗━━┻━━┛
 
「ここは沙苗なんだけどね」
と小春は困ったように言う。
 
すると蓮菜がこちらにきて「千里ちょっと話がある」と言って教室の外に連れ出した。
 
階段傍のスペースに連れ込む。
 
「大変だったんだよ」
 
と言って、蓮菜は千里に、沙苗が入学式の日以来休んでいること、他の子には病気で休んでいるということにしているが、実は入学式前日の6日午後に家出して、幸いにも発見されたものの、衰弱していて木曜日にやっと意識回復したことを話した。そして家出の原因が“男子中学生”として通学したくないということだったというのも話す。
 
「それ全然他人ごとじゃない。お見舞いに行きたい」
「じゃ放課後、一緒に行こう」
 
ということで、千里は授業が終わったら沙苗のお見舞いに行くことにしたのである。
 

2時間目は社会であった。
 
千里は社会とか理科は苦手なので、授業を聞いている内に眠くなってきた。それでトントンと誰かに肩を叩かれるので目を覚ます。
 
目の前に先生の顔がある。でも肩を叩いたのは隣の席の鞠古君だったようである。
 
「村山さん、まだ体調悪そうだね」
と先生。
 
「いえ、大丈夫です」
「ところで、奈良時代は何年に始まったかな?」
「え、えーっと、泣くなウグイス、平城京で、797年ですか?」
 
前の席に座っている小春が頭を抱えている。
あれ〜?違ったかなと思う。
 
「まあ今、僕が黒板の前で言ったばかりだったんだけどね。平城京が使われはじめた奈良時代の始まりは、なんと素敵な平城京で710年だね」
「あらあ」
「これは“なんと”という感嘆詞と平城京の別名“南都(なんと)”を掛けている」
「へー」
「“鳴くよウグイス”は次回やるけど、“鳴くな”じゃなくて“鳴くよ”だね。それで平城京ではなく平安京。“鳴くよウグイス平安京794年”“鳴くな”にしちゃったから、年数が違っちゃっうね」
と先生は言う。
 
「この子、いい箱作ろうを1185年じゃなくて1852年と答えたことあります」
と美那が言う。
「さすがに鎌倉幕府が19世紀ということはないね」
 
「あと、この子、よく数字が入れ替わってるんですよね。円周率は3.41と答えたことあるし」
と恵香が言う。
「ああ。数字のまとまりで覚えてるのね」
と先生。
「でも君、お友だちによく理解されているみたい」
 
「はい。いい友だちを持ちました」
と千里は開き直って笑顔で答えた。
 

その2時間目が終わったところで千里はトイレに行こうと思った。それで教室を出て人の流れで見当をつけ、こちらかなと思って行く。男女表示を見て、男の方に入ろうとして、キャッチされる。
 
「村山、お前何やってんの?」
と、千里の身体を捉まえて言ったのは鞠古君である。
 
「まだ熱あるのか?こちらは男便所だぞ。お前の入るのは向こう」
 
千里は困惑した。
 
「私・・・女子トイレ使っていいんだっけ?」
「やはりお前まだ熱がある。今日は早く帰ってぐっすり寝ろよ」
と言うと、自分で女子トイレのドアを開け!、千里の背中を押して女子トイレに押し込んだ。
 
女子トイレのドアを平気で開け、女子の背中を平気で押すのが、さすが鞠古君である。さっきの授業中も千里の肩に触って起こしている。これが沙苗やセナだと恥ずかしがって他の女の子に触れない。
 

女子トイレに入ってしまって、千里はドキドキしたものの、誰も騒がない。列に並んでいる子たちの中には千里を知っている子も何人もいる。3組になっている穂花が
「千里、何日も休んだみたいだけどもう大丈夫?」
などと心配そうに声を掛けた。
 
「うん。もう熱は下がった。ありがとう」
と答えて、千里は、こちら使っていいのかなあと思いながら、列の進行を待った。
 
そして順番が来て個室に入ると、千里は普通に体操服のズボンとパンティを下げ、座っておしっこをする。そしていつものように、おしっこの出た付近をトイレットペーパーで拭いた。
 

1時間目と2時間目の先生は男の先生だったせいか、気付かなかったようだったが、3時間目の英語の時間は女性の鶴野先生で“そのこと”に気付いた。
 
"Anybody, Please read the textbook"
と先生は言い、生徒名簿を見て
 
"Ms Murayama"
と指名する。
 
千里はなんで"Ms"と呼ばれたんだろうと思いながらも
"Yes"
と言って立ち上がり、教科書のテキストを読んだ。
 
千里の流暢な発音に先生が感心するようにしている。そして読み終わると
 
"You are an excellent speaker!"
と言って、千里の発音と朗読を褒めてくれた。
"Thank you"
"But why your hair is so long?"
"Sorry. It's because I've been sick for a week. When I'm being enough well, I will cut my hair"
 
"All right. Take care"
"Thank uou"
"But if you have long hair even for a while, You should tie it in one or two or three"
"I see. I will tie my hair"
 
この会話は理解した人は教室の2割程度だった!
 
先生は千里が流暢な英語ですぐに返答をするので感心していた。
 
即返答できるということは、千里が、学校だけで英語を習った人にありがちな「英語を日本語に翻訳し、日本語で返事を考えて、それを英語に直す」のではなく、「英語を英語のまま理解し、英語で返事を考える」 "Think in English" ができていることを示す。これは英語に満ちた環境で英語を覚えた人や、英語の初期指導を Think in English 主義者から受けている人でないと、なかなかできない。
 
むろん千里は前者である。英語やフランス語を話す友だちと会話していたから自然に Think in English, Penser en Francais になっている。
 
但し、こういう人は英語をいちいち日本語に訳してないから「日本語で言って」と言われると「これ日本語では何と言うんだっけ?」などと悩むことになり、学校英語の点数はあまりよくなかったりする。
 
千里の能力は、外国語にしても音楽や体育、また数学にしても“いい点を取りにくい”けど、実践的な能力が高い傾向にある。
 

千里は先生に言われたので、髪を結ぼうとしたのだが、ヘアゴムが無いことに気付いた。しまったぁと思っていたら、前の席の小春が
 
"Use these, Chisato"
 
と言って、可愛いコバルトブルーの玉付きヘアゴムを2個渡してくれたので
 
"Thank you, Koharu"
と言って、それで髪をまとめた。
 

4時間目は音楽であった。音楽室に行き、パート別に着席する。
 
「私、テノールかなあ」
などと千里が呟いていたら
「まだ寝ぼけているようだな」
と蓮菜に言われて、ソプラノの子が並んでいる席に連行された。音楽の藤井先生は千里がこの日最初なので、念のため千里の声域をチェックしてくれた。
 
「村山さん、凄い声域持ってるね」
と感心される。
 
千里は下はアルトのいちばん下の音G3から、上はハイソプラノのE6まで出た。
 
「3オクターブ歌手になるのも時間の問題だな」
と鞠古君。
「念のため言っておくが、君はテノールの下の音(C3)は出ていない」
と美那。
 
ということで問題無くソプラノで歌うことになった。この日は先週から練習していたという『エーデルワイス』の三部合唱を歌ったが、ソプラノはE4-D5という1オクターブの曲である。ソプラノに来ている子たちはこの範囲はだいたい出るのだが、いちばん上のD5で結構苦しんでいた子たちもいた。
 
蓮菜が
「千里はこの曲をオクターブ上で歌えるはず」
と言う。
「それは是非聴きたい」
という声が多数あるので、千里は乗せられて(千里は、おだてに乗りやすい)美那のピアノ伴奏でオクターブ上で『エーデルワイス』を歌ってみせた。
 
「すごーい!」
という声多数で、拍手をもらった。
 
「でも私、声変わりが来たら、こんな高い声出なくなるかも」
などと千里が言うと、蓮菜が額の所に手をやっている。
 
藤井先生は
 
「女子の声変わりでは、低音が少し広がるけど、高音はほとんど変わらないよ」
と言っていた。
 
玖美子がニヤニヤしていた。
 

千里はその日帰宅してから、生徒手帳の写真を“制服を着て”撮ってきてと言われていたことを思いだした。
 
「制服ということは、やはり学生服で行かないといけないんだろうな」
と思い、不本意ながら学生服を身につける。
 
すると朝は入らなかった学生服が今は入った。
「あれ〜。ちゃんと入る」
と不思議に思う。
 
それでバスで町に出ようと思ったら定期券が見当たらない。あれ〜?私どこに置いたっけ?と思う。取り敢えず自転車で町に出た。
 
するとS中に登って行く道の近くで、小学校の時に同じクラスだった佳美(今年は2組)と遭遇する。それで千里は自転車から降り、彼女に声を掛けた。
 
「佳美、今帰るとこ?」
「うん。千里、もう大丈夫?」
と佳美は千里の体調を心配してくれた。
 
自転車を押しながら彼女としばし話をする。
 
「ありがとう。もう大丈夫だけど、私、何か記憶が混乱してるみたいだから、変なこと言ったらごめんね」
「やはり、後遺症なのかな。でも髪は切らなかったんだね」
 
「念のため、もう少し体調がよくなってから切りますと言ってる」
「そのままバックレておけばいいよ」
「実はそれを狙ってる」
「あはは」
 
という感じで佳美とは会話をした。千里は自分が学生服なんて着てたら、友だちとして付き合ってくれないかなと不安だったのに、佳美とはこれまで通り会話できたことで安心した(千里が女声で話しているからだと思う)。
 
しかし佳美はかくして“学生服を着た千里”の第1号目撃者になったのである。
 
千里は指定の印刷屋さんに行き、
「S中の生徒ですが、入学式の時に休んでいて生徒手帳の写真を撮れなかったので、こちらで撮ってもらってと言われたのですが」
と言った。
 
「ああ、はいはい。こちらに座ってね」
と60代くらいの女性に言われて撮影用の席に座る。それで70歳くらいの人(社長さん?)に写真を撮ってもらった。そして、1年1組13番・村山千里・男、と名前等を受付用紙に記入し、また自転車でC町に戻った。
 

“月曜日”(千里の中学登校初日)の5時間目は体育であった。
 
千里はこの日丸一日体操服で過ごしているので、体育のために着替える必要がない。それで更衣室前の廊下でみんなが着替えるのを待っていた。やがて女子更衣室から蓮菜が出てくる。
 
「中に入ってれば良かったのに」
と言われるが、
「私が女子更衣室に入るのはまずいのでは」
などと千里が言うので
「君はやはりおかしい」
と蓮菜に言われた。
 

ともかくも、蓮菜やその後出て来た恵香などと一緒に体育館に行った。雪が降っていたので、今日の体育は屋内である。
 
この日はマット運動をしたが、千里は男子の列に並ぼうとして
「こら、何やってる」
と蓮菜に言われて、女子の列に連行された。
 
前転・後転・倒立と、スムーズにできたので「運動神経いいね」と女子を指導している広沢先生から褒められた。
 
「千里君、ここでバク転を決めてみよう」
と玖美子が乗せるので
「えー?」
と言いながらも、やってみせる。
 
「うまいね、村山さん」
と先生。
 
「この子、小学校の運動会のチアではかなりアクロバット的なことしてましたから」
と美那から言われる。
 
「それは凄い。何かやってみてよ」
「千里、後方回転・半ひねりやってみよう」
「いきなりそんな大技を・・・」
と言ったものの、みんながうまく乗せる。それで千里も
「失敗したらごめーん」
と言ってから、女装、もとい!助走を付けて踏み切り板で踏み切り、空中で1回転する間に身体を半分ひねって、後ろ向きに着地した。
 
「なんか軽ーくやってる」
と見ていた男子の方からも声が掛かる。
 
「凄いね。ここまで出来るならチア部より体操部に欲しいくらい」
などと広沢先生は言うが、玖美子が千里をハグして
 
「ダメです。この子は剣道部ですから」
と言うと
「ああ、もう部活入っているのね。だったら残念ね」
などと先生は言っていた。
 
しかし千里は、なるほどー。部活はどれかひとつにさっさと入っていたほうがよけいな勧誘をされなくて済んで楽なんだなと思った。
 
(でも今、玖美子に胸を触られたなと思った)
 

体育の授業が終わった後、千里は大技を披露して本人も少し興奮していたこともあり、何となく流れで女子たちと一緒に体育館を出て、更衣室に向かう。みんなと一緒に何も考えずに女子更衣室に入った。すると更衣室の中で、みんなと同様に体操服を着ている小春が
 
「千里、着替え持ってきてあげたよ」
と言って、千里にミズノの青いスポーツバッグを渡した。それがあまりに自然だったので、千里は
 
「ありがとう」
 
と言って受け取る。そして美那とおしゃべりしながら、体操服を脱ぐ。汗掻いたから下着も交換しようと思ってアンダーシャツを脱ぎブラも外す。小春が渡してくれたスポーツバッグからタオルを出して身体を拭いてから、洗濯済みのブラを取り出して着け、キャミソールを着る。パンティも交換しようと思い、運動中に穿いていたのを脱ぎ、スポーツバッグから1枚取り出して穿いた。
 
千里とおしゃべりしながら着替えている美那は、下着までは交換しないので、体操服を脱いだ後、もうブラウスを着ている。それで千里は自分もスポーツバッグからブラウスを取り出して着た。美那はもう制服のスカートを穿いて上着を着ようとしていた。千里もスポーツバッグからセーラー服のスカートを取り出し、穿こうとして・・・手が止まった。
 
「私・・・セーラー服着ていいんだっけ?」
「はぁ!?」
と美那が呆れている。
 
「こら千里」
と言って、蓮菜が後から千里の首に抱きついた。そして千里の左耳元で言う。
 
「私、セーラー服で通学するからね、と言っていたのはどこのトイツだ?スイス?フランス?世界保健機関」
 
親友のボディアタックで、千里はひとつの壁を乗り越えた。
 
「私言ってたよね!セーラー服で通学するって」
 
蓮菜の言葉で実は封印されていた記憶のひとつが蘇ったのである。
 
「たくさん言ってた」
と美那も言う(千里の封印が外れたことで美那の封印も外れた)。
 
「着ちゃおう」
と千里は言うと、そのままセーラー服のスカートを穿き、上着を着てリボンを締めた。
 
「よしよし」
と蓮菜は千里の頭を撫でてあげた。
 

これが千里の中学でのセーラー服姿の、(同級生たちへの)初披露であった。
 
(朝のセーラー服姿を見たのは、杏子・教頭・秋田先生・小春だけ)
 
美那が小さく拍手してくれた。
 
玖美子や優美絵などもこちらを笑顔で見ていた。
 
「ところで世界保健機関って何だっけ?」
「感染症や自然災害で国際的に協力するための組織。今はSARSで大忙し。World Health Organization 略称はWHO. 英語読みしたらフーで“誰?”」
 
「難しすぎるダジャレだ」
 
しかし、ここまでの出来事で(この)千里も開き直りができて、この日の6時間目、そして翌日からは普通にセーラー服で授業を受け、女子トイレ・女子更衣室を使用するようになった。千里が体操服のまま授業を受けたのは、この登校初日の午前中のみだった。
 

6時間目が終わり帰りの会・掃除をしてから、千里は(セーラー服姿で)蓮菜と2人、病院に向かった。沙苗のお見舞いである。デイパックを背負って、青いスポーツバッグを持って帰る。
 
学校から歩いて行ける距離なので歩いて行く。
 
「あれ?この病院なの?」
と千里は訊いた。
「何で?」
 
「私もここに入院してた」
「うん。同じ病院。私、2人ともお見舞いしたもん」
「お見舞いに来てくれたの?ごめーん。私全然覚えてない」
「2人とも意識失ってたからね」
「そうだったのか」
 
「要するに、千里も沙苗(さなえ)も4月6日夜に倒れて病院に運び込まれた。ここがその夜の当番医だったからだと思う」
「なるほどー!それで同じ病院に入院していたのか」
 
沙苗が入院している病室は蓮菜が知っていたので、3Fの3008号室に向かう。
 
「ふーん。3階なのか」
「千里は4階だったね」
「うん。4021号室だったかな」
「4012号室だよ」
「あれ〜!?」
「千里はほんとにこの手の数字を覚えきれない」
と蓮菜は呆れる。
 
「4階は女性専用フロアだからね。千里は入(はい)れても沙苗は入(はい)れない」
「あれ?そういえば同じ部屋の入院患者さんが全員女の人だった」
「男と女を同じ病室に入れることはない」
「私・・・女性専用フロアの女部屋に入って良かったのかなあ」
 
「千里はやはりおかしい。6日に倒れる前までは堂々と女の子してたのに」
「そういえばそんな気もする」
「千里は、保険証も女だし、診察券も女だし、女部屋に入るのは当然」
「私、保険証で女なんだっけ?」
「家に帰ってから確認してみ」
「うん」
 

千里が沙苗の入っている部屋(患者は沙苗以外、みんな男の人だった)に入っていくと、沙苗のお母さんが千里の手を取って
「千里ちゃん、本当にありがとうね」
などと言う。
 
「何でしたっけ?」
「だって、沙苗が倒れてたのを発見してくれたじゃん」
「あれ、夢だと思ってた」
 
「ああ。千里も入院してたから、記憶が混乱してるみたいですね」
と蓮菜は言った。
 
「あら、千里ちゃんも入院してたの?まさか沙苗を見付けてくれた時にあの寒さで風邪とか引いたりしたんじゃないよね?」
 
「関係無いですよ。ただの更年期障害ですから」
と蓮菜が言うと、
 
「へ!?」
と言ってお母さんは困惑していた。
 
(蓮菜はジョークで言ったのだが、事実を言い当てている)
 

「それと更に、セーラー服まで頂いてありがとうございます」
「それも夢ではなかったのか」
 
「この子、ほんとに記憶が混乱してるみたいなんですよ。変なこと口走っても大目に見てあげてくださいね。その内“私男の子なんです”とか言い出しかねない」
と蓮菜は言う。
 
「千里ちゃんが男の子だったら、太陽が西から昇るわ」
と言って、お母さんは大笑いしていた。
 
「でもセーラー服をあげたんだ?」
と蓮菜が言うと、
「それ作らなきゃと言っていたんですけど、頂いたのがちょうどこの子に合うのでそのまま使わせてもらおうと言ってたんですよ」
と母。
 
「セーラー服を使うんですね?」
 
「ええ、その方向で、学校側も今の所好意的な反応なんです」
と言って、お母さんは現在の状況を話してくれた。
 

「へー。だったら今、セーラー服で登校したいというので、学校側と交渉中なんですか?」
「教頭先生が女の先生というのもあって、よく理解してくださって、今細かい点を詰めている所なんですよ」
とお母さん。
 
「だから、私も千里ちゃんと同様に、セーラー服で頑張るかも」
と沙苗は言う。
 
「それ、私も心強いよ」
と千里は笑顔で言った。
 
お母さんは千里が元男の子などとは知らないので、首を傾げていた。
 
その後、お母さんは席を外してくれたので、千里たちは沙苗と、かなり突っ込んだ話をした。それは千里にとっても沙苗にとってもこの先の“女子中学生”生活に向けて自信を強めることになった。
 
「沙苗(さなえ)、部活の時、今度からは私と一緒に女子更衣室で着替えようよ」
「千里ちゃんと一緒になら、女子更衣室に入る勇気、持てるかも」
「誰も変に思わないからさ」
と千里は沙苗に言いつつ、きっと自分のことも、みんな変には思わない、と考えていた。
 
「沙苗は男子更衣室使おうとしても追い出されると思うな」
と蓮菜。
「小学校の時も、かなり他の男子たちから迷惑がられていたみたいね」
と千里。
「だから何度もこちらにおいでよと誘ったのに」
「女子更衣室に行く勇気なくて」
「でも中学生になったんだから、ちゃんと女子の方にこないとダメだよ」
「うん」
 

病院で2時間くらい話をしてから、ちょうど近くまで来たという蓮菜のお母さんの車に乗せてもらって一緒に帰宅した。
 
千里は帰宅してから、茶箪笥の引出しに入っている“1枚目”の健康保険証を取り出してみた。母の保険証の被扶養者欄に、確かに
 
「村山千里・平成3年3月3日生・長女」
「村山玲羅・平成4年7月23日生・次女」
 
と印刷されている。
 
「あれ〜。私、ほんとに保険証でも女になってる。私なんか色々頭の中が混乱しているみたい」
と千里は思った。
 

ところで、この日の朝、バスで登校した方の千里であるが、セーラー服のままバス停まで走り、ギリギリでバスに飛び乗った。千里が走ってくるのでバスは待っていてくれたのである。
 
何とか乗せてもらい、まだ息をハアハアしていたら
 
「千里ちゃん、今日は遅いね」
と声を掛けてくる子がいる。6年の時に同じクラスでソフトボール部でも一緒だった杏子である。彼女は遅刻の常習犯だった。その杏子と一緒のバスになるというのはヤバいぞと千里は思った。
 
「でも先週休んでたらしいけどもう大丈夫?」
「うん。何とか回復した。ありがとう」
 
そのまま彼女とバスを降りるまで会話をしていたが、杏子は私がセーラー服を着ていることには何も言わないんだなと思った。
 
「杏子ちゃんは何組?」
「私は3組。千里ちゃんは1組だっけ」
「うん。蓮菜からそう聞いた。でもS中は3クラスあるんだね」
「ギリギリだったらしいよ」
「へー」
 
「N小出身者とP小出身者で合わせて81人だったんだよ。1学級は40人以内にしなければいけないから2クラスではギリギリ収まらない。それで3クラスにして1学級27人になったんだって」
「わあ。だったら、誰かもうひとり転出してたら、2クラスだったのか」
「でも1学級に40人もいたら多すぎる気がするから、3クラスになって良かったと思う」
「そうだねー」
 
杏子からはあらためてソフトボール部に勧誘されないだろうかと思ったのだが、彼女はこの場ではその話題は出さなかった。
 

S町のバス停で降りた後、杏子が
「走るよ」
と言うので、中学に登る坂を一緒に走った。杏子はコンパスが長いこともあり、速い速い。千里は彼女に付いていくのに“結構マジ”になった。
 
生徒玄関の所まで来てから大きく息をしながら
「杏子ちゃん、さすが速いね」
と千里が言うと
「千里ちゃん、少し本気になれば頑張れるじゃん。普段もせめてそのくらい頑張ればいいのに」
と杏子から言われる。
 
「ごめーん。私、性格が適当だから」
「うん。それは感じてる。千里って70%が“適当”と手抜きで出来てる」
「正解かも」
と言いながら、蓮菜から聞いていた1年1組31番の所に靴を入れようと思ったらそこはふさがっている。
 
「あれ〜。私の靴箱の所が埋まってる」
「出席番号を聞き間違ったのでは?」
「あ、そうかも」
「空いてる所に適当に突っ込んでおけばいいよ」
「うん。そうしよう」
と思い、千里は数字が33番までシールが貼ってあるので、その次の数字の入っていない靴箱に自分の靴を入れた。そして青いスポーツバッグの中から上履きを出すとそれを履いて、取り敢えず職員室に向かった。
 

職員室に入ると千里は
「お早うございます。1週間休んでいました1年の村山千里です」
と挨拶する。
 
「ああ、村山さん。もう大丈夫?」
と言って寄ってきたのは50代の女性の先生である。
 
「はい、もう元気です」
「良かった」
 
「あなたは1組になっているんだけど、1組担任の菅田先生は今、朝のホームルームをするのに教室に行った所なのよ」
と言う。
 
あちゃ〜。やはり私遅刻しちゃったな、と思った。
 
「すみません。そしたら先週休んだ分の欠席届とかは、教室に行って先生に渡せばいいですかね?」
「それ行き違いになるかも知れないから、私が預かっておくよ」
と先生が言うので、欠席届・口座振替依頼書・家族調査票、就学援助申請書を渡す。
 
「あ、すみません。先生のお名前お聞きしていいですか?」
「うん。私はS中教頭の山口桃枝(やまぐち・ももえ)」
 
「教頭先生でしたか!すみません」
「まあ教頭なんて雑用係だから」
 
「でも何か似た名前の女優さんがいませんでした?」
 
「そうそう。昔『伊豆の踊子』とか『古都』とかに主演した大女優さん。向こうは同じ山口百恵(やまぐち・ももえ)でも百の恵み、こちらは桃の枝。せめて枝じゃなくて花ならよかったんだけどね。向こうが私より10歳若いから、私はよく“古い方の、ももえちゃん”と言われてたよ」
 
「へー」
 
「あ、あなたの教科書、渡すね」
「はい」
と言って、教頭と一緒に職員室の端の方に行く。教科書を入れた袋が2つ並んでいる。その内の1つを千里に渡してくれた。
 
「結構重いですね」
「中学の教科書は厚いし、資料集とかもあるからね。この他に、持ってない場合は、国語辞典・漢和辞典・英和辞典、アルトリコーダー、スクール水着、水彩絵の具とかを購買部で買ってね。これリスト」
と言って、教頭先生は教材のリストを渡してくれた。
 
そこに男の先生が寄ってくる。
 
「僕は1年の学年副主任の秋田だけど、村山さん、君の生徒手帳の写真を撮ってなかったんだよ。ちょっと撮影させてくれる?」
「はい」
 
それで千里は教科書の袋を持ったまま、秋田先生と一緒に職員室の隣の応接室に向かう。秋田先生は何だか大きなカメラを持っていた。
 
「でも君の髪は、長すぎて違反だと思うんだけど」
「すみませーん。病み上がりなので、少し体調が落ち着いてから切ってもいいですか?一応母が電話で連絡はしていたのですが」
「ああ、だったらいいけど、それなら髪は束ねておいてよ」
「分かりました」
 
と言ったが、髪ゴムとかが無いことに気付く。すると職員室を出たところで小春と遭遇する。
 
「あ、千里、学校に出て来たね」
「小春!」
 
「千里、髪長いままなの?」
「うん。体調が万全になってから切ろうと思って。でもこのままじゃいけないから結んでおくように言われたところで。でも髪ゴムが無いなあと思って」
「だったら、これ使いなよ」
と言って、小春は白い玉がついた髪ゴムを千里に渡してくれた。
 
「ありがとう」
「その教科書も教室に持ってってあげるよ」
「ほんと?重いけど」
「平気平気」
と言って、小春は教科書の袋を持って、教室の方に向かった。
 

千里は秋田先生と一緒に応接室に入って、写真撮影をしてもらった。
 
「これすぐ印刷屋さんに回すね。たぶん今週中に生徒手帳はできあがると思う」
「ありがとうございます。助かります」
「生徒手帳無いと、ゴールデンウィークに学割とかにも困るよね」
「あ、そうですよね」
「特に女子は中学生くらいになると、もうおとなと見分け付かないし」
と言われて、千里は、そういえば、私、セーラー服のまま写真撮影されちゃったけど、良かったのかなあ、などと思った。
 

その日の夕方、黄金印刷では、若い営業課長(社長の孫)が、S中の生徒手帳を印刷機で印刷し、それを製本していた。印刷したのが午前中だったので、インクが乾くのを待ってからも製本は17時頃におこなった。そこに専務(課長の祖母)が通り掛かり、
 
「あら、生徒手帳を作ってるの?」
と声を掛ける。
 
「うん。入学式の時に休んでたらしくてね」
「へー」
と言って、専務は課長の作業を見ていたが、ふと伝票に
《S中学校・1年・村山千里》
と書かれているのに気がつく。
 
「あら?S中の村山さんなら、さっき本人がいらっしゃったから、写真撮影して印刷機が空いたら印刷しようと思ってたのに」
 
「嘘!?こちらは朝学校に行って写真のデータ受け取ってきたのに」
「あら、もしかしてダブった」
「かも」
などと言っていたのだが、専務は、課長が制作している生徒手帳の写真がセーラー服を着ていることに気付く。
 
「あれ?女の子なの?」
「そうだけど」
「こちらにさっき来たのは男の子だったよ」
「だったら別の村山なのでは?」
と課長は言う。
 
確認してみると、どちらも名前が「村山千里」であることに気付く。
 
課長が制作中の手帳は
《1年1組31番・村山千里・女・平成3年3月3日生》
となっていて。専務が印刷待ちだった方は
《1年1組13番・村山千里・男・平成3年3月3日生》
と書かれている。写真も課長のはセーラー服の少女、専務のは学生服の少年である。
 
「生年月日が同じで性別が違うの?」
「顔も似てるね」
「双子なんじゃない?」
「あ、そうかも。だって出席番号が違うじゃん」
「ほんとだ」
 
S中の生徒手帳管理表を確認すると13と31の所に丸が付けられていない。
 
「うん。13と31がまだ未納になっていた」
と専務は言っている。
 
「仲良く風邪引いて休んでたのかもね」
「ああ、双子ってそういうのあるよね」
 
ということでスルーされてしまった!
 
本当に双子なら、顔が同じでも名前は違うはずだが、人は物事を単純化して捉えがちなのである!
 

4月14日(千里が初登校した日)の帰りの会の後、掃除がだいたい終わって、千里が帰ろうとしていたら、玖美子に抱きつかれた(ついでに胸を揉まれる!)。
 
「ささ、千里、剣道部に行くぞ」
 
「私、別に剣道部もしないけど」
「いや、ちゃんと入部届は出しておいたから」
「出したんだ!?」
 
「道具も持って来てあげたよ」
「嘘!?」
 
「金曜日の段階で、千里は月曜日から出てくるらしいと聞いたからさ。金曜日は雪が凄かったでしょ?部活の帰り、うちのお母さんに迎えに来てもらったから、ついでに神社に寄ってもらって、千里の防具と竹刀をこちらに運んでもらった」
 
「雪の中大変だったね!でも道着持って来てない」
と言ったら、小春が
 
「千里の道着と袴、それに練習が終わった後の着替え、これに入れておいたよ」
と言って、小学校時代に使っていた赤いスポーツバッグを渡した。
 

「準備万端だね」
と玖美子。
 
「それに千里、その髪、まとめた方がいいよ」
と言って小春は千里に赤い玉のある髪ゴムを渡した。
 
「ありがと。あれ〜。私、朝も小春に髪ゴムもらったのにどこ行ったのかな」
「千里のその手の言葉は毎日10回くらい聞く」
 
などと玖美子は言っている。千里は忘れ物の天才である。
 
「私は神社に行ってるね」
「うん」
 
それで小春は自分のカバンを持って帰って行った。
 
その後ろ姿を見て千里は考えた。
 
そういえば、千里に剣道を続けるように言ったのが小春だった。小春が言うのなら、まあ剣道続けてもいいかな、と千里も思った。
 
それで玖美子と一緒に女子更衣室に向かった。
 

千里は特に意識せずに女子更衣室に入った。朝は生徒手帳の写真もセーラー服で撮っちゃったし、今更だと開き直っている。
 
玖美子と一緒に女子更衣室に入って、2人でおしゃべりしながら、道着に着替えた。
 
そして体育館に行って、2階の用具室の剣道部ロッカーから各々の防具・竹刀を出した。
「へー。剣道部の道具はここに置けばいいのか」
「そうそう。このロッカーの鍵は、3年生の鐘江さんと藤田さんが持っている」
「鍵があるんだ!」
「小学校の時は適当だったけどね」
 

玖美子と一緒に下に降りて行く。
 
「村山さん、待ち構えていたよ」
と2年生・3年生から言われて、取り敢えず軽ーく手合わせなどした。
 
この日は男子の鐘江さんなどとも手合わせしたが
「村山さん、凄い強くなってる」
と言われた。むろん、3年の鐘江さんには簡単に2本取られて負けたが、1年生男子で千里に勝ったのは、竹田君だけであった。でも玖美子はニヤニヤしながら見ていた。
 
「やはり、入学前に言った通り、村山さんは、団体戦の代表決定ね」
「ありがとうございます」
「私も出るからね」
と玖美子が言う。
 
「どういうオーダーなんですか?」
と千里が訊くので、女子の藤田部長がオーダー表を見せてくれた。
 
先鋒・村山千里(1年)1級
次鋒・沢田玖美子(1年)2級
中堅・武智紅音(2年)2級
副将・田辺英香(3年)2級
大将・藤田美春(3年)初段
 
「わぁ、先鋒か・・・」
「勝ち抜き方式だったら、私たちの出番は無いかも知れん」
などと3年の田辺さんは言っている。
 
「村山さんがずっと休んでたから提出保留してたけど、大丈夫みたいだから今日これで申し込むよ」
「ひゃー。頑張ります」
「よしよし」
 

型の練習などもしていたら、顧問の岩永先生が来て、鐘江さんと藤田さんが呼ばれて行った。
 
「何だろう」
「中体連の打合せかな」
 
などと言って、男女の部長抜きで練習を続けていたら、藤田さんが戻って来て
「沢田さん、村山さん、ちょっと来て」
と言うので、ふたりとも道具をその場に置いたまま藤田さんと一緒に行く。
 
2人は職員室の近くにある会議室に入った。顧問の岩永先生、鐘江さんのほか、教頭先生と、30代の女性の先生が居る。
 
「1年生の女子部員を連れて来ました。こちら沢田、こちら村山で、2人とも偶然にも“彼女”と同じクラスで、小学校でも剣道部で一緒だったんです」
と藤田さんは先生たちに言う。
 
そして藤田さんは更に千里に
 
「村山さんは今日初登校だから知らないかもしれないから紹介しておくけど、こちら教頭先生、こちら保健室の清原先生」
と言う。
 
「教頭先生とは朝もお話しました」
「うん。一週間休んでたと聞いて心配してたけど、元気なようで安心した」
と千里は教頭と言葉を交わした。
 
教頭先生はすぐに本題に入る。
 

「実は1年生の原田さんのことなんですが、ご本人および親権者から、女子生徒として通学したいという申し出がありまして、現在詳細について詰めている所なのですが、基本的には受け入れる方向です」
と教頭は言った。
 
千里と玖美子は笑顔で顔を見合わせ、
「それ賛成です」
と言った。
 
「原田さんの性別に関しては、小学校の時の担任の先生にも少し話をお聞きして、私自身も御本人と直接会って少しお話をしたのですが、性同一性障害に相当すると判断しました。あ、性同一性障害って分かりますかね」
 
「はい、分かります」
と千里と玖美子は答えたが、千里は私の処理はどうなってるのかなあと疑問を感じた。
 
「御本人および御両親には、性同一性障害あるいは類似の診断名の診断書を取ることをお勧めしています。ただこれは取得に時間がかかるので、学校としては、その取得の方向で動いているということで、先取りして受け入れることにしました。更に、原田さんは改名なさったんですよ」
 

「改名したんですか!」
と千里も玖美子も驚いた。
 
「裁判所に申請中ですか?」
「いや。それが、名前を変える場合、漢字を変更するには家庭裁判所の許可が必要なのですが、読み方を変える場合は、市役所に届けるだけでいいらしいのです」
 
「へー!!」
と千里と玖美子は驚いたが
 
「私たちもそれさっき初めて知った」
と藤田さんが言う。教頭先生まで
 
「実は私も初めて知ったんですけどね」
と言った。
 

沙苗の名前は元々は「まさなわ」と読んだ。
 
“沙”の字には、すな/まさご/すなはら/よなぐ/いさ/さ/いさご、などの読み方がある。“苗”には、なえ/え/なわ/たね/なり/みつ、などの読み方がある。
 
彼女の名前は“沙”を「まさご」から「まさ」、“苗”を「なわ」と読み、“まさなわ”と読むものだった。苗を「なわ」と読むのは、猪苗代湖などの例がある。両親はこの名前を付けた時、この名前が「さなえ」と読めることに全く気付かなかったらしい。
 
沙苗が初めて神社の境内にきて、みんなと一緒に遊ぶようになった時、彼女は自分の名前「まさなわ」がちゃんと言えず、「さなあ」くらいに聞こえた。本人が女の子の服を着ていることもあり、みんなは勝手に「さなえ」というのが、うまく言えなかったのではと解釈した。それでみんな「さなえちゃん」と呼んだし、本人も女の子のような名前で呼ばれることを嬉しがった。
 
彼女は神社境内で遊ぶグループに加わった頃から“女の子の服を着ている時に限り”「さなえちゃん」と呼ばれていた。男装時には「はらだくん」と苗字で呼ばれたが、実際には男装で神社に来ることはほとんど無かったので「はらだくん」というのは学校のみでの呼ばれ方である。実は母親でさえ「さっちゃん」と呼んであげていた。
 
そして彼女は小学3年の頃、自分の名前“沙苗”がそもそも“さなえ”とも読めることに気付いてしまったのである。それで、彼女は積極的に、沙苗の字で“さなえ”と読むことにしてしまった。
 
しかし本日4月14日(月)に沙苗の両親は市役所に「名前の読み」の変更届けを提出し、彼女は今日付けで、正式に“さなえ”になったということであった。
 

「それに原田さんは既に男性機能も喪失しているらしいんですよ」
と教頭が言うので、千里と玖美子は素早く視線を交わした。
 
「それで女子として受け入れるのに障害はないと判断しましたし、改名をなさったということで、後戻りできない道に入っていることを尊重しまして、女子生徒としての受け入れを決めました」
と教頭が言うので、千里たちは頷いた。
 
「彼女は小学校の時にも剣道部に入っていたので、ぜひ剣道は続けようと御両親も言っておられて、本人も受け入れ態勢次第では、やりたいということだったんです」
と教頭。
 
「その件に付いて、僕もこの手の話が不勉強で、土日の2日掛けて少し勉強させてもらって、今日、清原先生と話しあって大体の線を固めたんだよ」
と剣道部顧問の岩永先生が言う。
 
「原田さんに関しては、女子の剣道部に入ってもらうことになる。ただ彼女は医学的には男性なので、中体連と剣道連盟にも確認したんだけど、大会では男子の部に出てもらうしかない」
と岩永先生は説明した。
 
「性別がクロスするのは構わないんですね」
「うん。彼女は小学校の時、スポーツ少年団・剣道留萌地区の、N小分団に男子として登録されていたので、そのままS中分団に移動させる。彼女はスポーツ少年団では男子扱いだから、そのまま中体連の大会にも男子として出てもらう。でも普段の練習には、女子として参加する」
 
「なるほどー」
 
「女子剣道部の所属だから、大会の時に、女子の更衣室・女子トイレなどを使うのも問題ない。ただ、万一トラブルがあった時のために、学校側からこの選手は女子生徒であるという証明を発行してもらえばいいと、中体連側では言っていた。ちなみに彼女は女子更衣室を使えるんだっけ?」
と岩永先生はむしろこちらに尋ねる。
 
「私たち、神社のお祭りとかで巫女さんをする時、沙苗ちゃんとは一緒に着替えてますよ。全く問題無いです」
と玖美子は答えた。
 
「じゃ下着姿とかになっても、特に違和感なんかは無いんだ?」
 
「小学校の体育の時間とかでも、女子と一緒に着替えなよと言っていたんですが、本人は叱られないだろうかと怖がっていたようです。でも男子たちが彼女の扱いには困って、なんか黒板の陰で着替えさせてたらしいです」
と玖美子。
 
「大会の時は、ひとりトイレで着替えてたね」
と千里も言う。
 
「だったら、むしろ男子と着替えることに問題があるんだ!」
「あの子、下着は女物を付けてて、ブラジャーも着けてるし、男子の目には曝せませんよ」
と玖美子は言う。
 
「なるほどね。実はその付近の微妙な所が、僕らも判断をしかねていたんだよ」
と岩永先生は言う。
 
「沙苗はいつ頃から登校できそうですか?」
 
「彼女側の準備、それと学校側の受け入れ態勢とかもあるので、今週の金曜日に初登校にしましょうか、と御両親とは言っています。1日登校してすぐ休みが入るのが、ご本人としても気持ちが楽なのではということで」
 
「そうでしょうね。今までずっと男の振りをしていたのが、本来の女子として登校するって、最初は凄いプレッシャーあるから、1日出たあと休みを入れるのはいいことだと思います」
と玖美子が言うと
 
「実はそういう話をお父さんともしたんですよ」
と教頭は言っていた。
 

「学級の方での受け入れ態勢については、また担任の先生からお話があると思いますが、出席番号も男子の方の番号を割り当てていたのを欠番にして、新たに女子の後の方に追加で番号を作る方向で調整しています」
と教頭先生は言う。
 
「男女で番号が違うんだっけ?」
と千里は玖美子に訊いた。
 
「そうそう。S中は男女別名簿だから、1組の場合、男子が1から15で、女子は21から32になっている」
「その次の33を作る方向で、下駄箱はもう日曜日に調整したんですけどね」
「ああ、番号は振り直さないんですね」
「番号が変更になったら混乱するからね」
 
「あれ?私、31番だけど」
と千里が言うと
「だって、あんた女子でしょ」
と玖美子は言った。
 
え〜!?私、女子として出席番号振られてるの?と千里は頭の中が混乱した。
 

話し合いが終わって体育館に戻った後、玖美子と手合わせしたが、玖美子が「マジで来ないと恥ずかしい写真ばらまくぞ」などと言うので、比較的マジで対戦した。
 
でも恥ずかしい写真って何??(心当たりがありすぎる)
 
2人の激しい対戦には、女子の先輩たちだけでなく、男子の方からも
「すげー」
という声があがっていた。
 
17時半くらいに練習を終えて、竹刀などを用具室に置き、女子更衣室に行って千里は玖美子と一緒にセーラー服に着替えた。千里は汗を掻いているので下着も脱いで、小春が持って来たくれた下着に交換した。汗を掻いた下着はビニール袋に入れてスポーツバッグに入れる。千里が裸になって汗を拭いてから下着を着けるのを何人かの女子がじっと見ている気がした。
 
「千里は汗を掻かなかった時でも、下着から交換するといいね」
と玖美子が言った。
 
「なんで〜〜?」
「女子中学生生活になじむためだよ」
などと玖美子は楽しそうに言っていた。
 

女子更衣室を出てからいったん教室に戻り、荷物を持つ。
 
「N小は先代の校長先生が先進的だったから男女混合名簿だったけど、まだまだ多くの学校は男女別名簿だよ。座席もきれいに男女に分けられているしね」
と玖美子は千里に言った。
 

 
「あれ?そういえば男子の列と女子の列がある?」
「そそ。千里の前は小春ちゃんで、後は尚子ちゃんでしょ?」
「そういえばそうだった」
「隣は鞠古君で男子。だから千里は女子の列になっている」
「そうだったのか」
「男子の方が数が多いから、香川君と祐川君のところだけ、男同士並んでる」
「へー」
 
「それで祐川君は『まさみちゃん、どうしてセーラー服着てないの?』とかからかわれている」
「あはは、でも私、祐川君のセーラー服姿、1度見てる」
 
「私も見た。着せられてたね」
「けっこう可愛かったけど」
「うん。このくらいの女子中生は居る気がした」
「したした」
「だいたい本人も、俺性転換しようかなぁとか時々言ってた」
「言ってたよね!」
 
彼の場合はたぶんジョークだと思うけど。
 
「でも沙苗が出て来たら、席の移動が発生するかもね」
「ああ」
 

帰るのに、通学用リュック、赤いスポーツバッグに、今日渡された教科書まで持つとかなり重い(教科書の半分くらいは通学用リュックに入れた)。
 
「教科書重いね」
「私たちは入学式の時にもらったから、親に持ってもらった子が多かった」
「うちのお母ちゃんなら『重い。あんた持って』とか言いそう」
「あはは。でも千里は教科書持つのは今日は鍛錬だね」
「うん。頑張るしかない」
 
などと言って生徒玄関を出て、バス停に向かっていたら、ちょうど職員室の前で秋田先生に呼び止められた。
 
「村山さん、生徒手帳できたよ」
「わぁ、ありがとうございます!もう出来たんですか?」
「うん。無いと困るだろうというので急いで作ってくれたみたい」
「助かります」
と言って窓越しに受け取る。
 
「見せて見せて」
と玖美子が言うので見せる。
 
「おお、ちゃんとセーラー服で写ってる」
「うん。今朝、この格好で撮影された」
と千里が言うと、玖美子は一瞬首を傾げたものの、いいことにした!
 
(玖美子は『千里は朝は体操服だったのに』と思ったのだが、玖美子が見たのは別の千里である!“こちらの千里”はセーラー服で登校して秋田先生に写真撮影してもらった。朝、体操服の千里とセーラー服の千里の両方を見たのは小春だけ)
 
「これで千里は立派な女子中学生になったな」
と玖美子は言った。
 

「ところでさ」
と玖美子は千里に抱きつくようにして(ついでにまた胸に触る!)、左耳に囁き、あることを提案した。
 
「賛成!じゃ、でも今日はこの教科書重いから、明日一緒に買いに行かない?」
「OKOK」
 

4月14日(千里が初登校した日)の17時すぎ、小町が神社でひとりであれこれやって、目が回る思いでいたら、自転車に乗ったセーラー服姿の千里が来た。黄色い玉の付いた髪ゴムで髪をツインテールにまとめている。
 
「千里〜!私ひとりで心細かったよう。手伝って」
「OKOK。何すればいい?」
「もうすぐお客さんが来るのよ。昇殿して祈祷するから、笛を吹いて欲しい」
「吹けないよぉ」
「千里は何でも一発でできるから、きっと出来る。ちょっとこれ吹いてみて」
と言って、小町は古ぼけた龍笛を千里に差し出した。
 
ハッとする。
 
これは小春が愛用していた品だ。
 
千里は黙ってその龍笛を受け取ると、目を瞑って歌口に唇を当てる。息を吹く。
 
きれいな音がした。
 
「すごーい。千里、そんなに上手かったんだ?じゃよろしくね」
 

それで千里はすぐ巫女控室に行き、自分のロッカーから巫女衣装を出して着替える。黄色の髪ゴムは外して手首に付ける。そして確かめるように笛を吹いてみた。
 
やがて小町の携帯から千里の携帯に『お願いします』というメッセージが来るので、事務室に行き宮司に声を掛ける。小町が参拝者控室に行き、お客さんを案内して昇殿させる。少し遅れて千里が先導して宮司を拝殿に導く。
 
千里が参拝者の前で大幣(おおぬさ)を振ってお清めをし、更に鈴祓いをする。なんか変なのが憑いてるから、こんな奴、神聖な拝殿に侵入禁止!と思って破壊する!!
 
(大神様が呆れたような表情で千里を見ているが気にしない)
 
小町が太鼓を叩き、千里が龍笛を吹いて、神職が祝詞をあげる。千里は祈祷の時に龍笛を吹くのは初めてであったが、小春の龍笛はこれまで何百回と聴いているので、同じ曲を演奏した。
 
更に千里の龍笛に合わせて小町が舞いを奉納する。その後、玉串奉奠、宮司のお話で、祈祷は終了する。あとは小町に任せて、宮司を先導して社務所に戻った。
 

「千里ちゃんも龍笛吹けたんだね」
と宮司から言われる。
 
「何か吹く人が居ないというので、小町があちこち電話掛けまくってて、私の顔見たら『笛を吹けそうな気がする』なんて言うから、吹いてみました」
 
「美しい音色だった。時間の取れる時はぜひ頼むよ」
「いいですよ。私、中学では部活は入らないつもりだし」
 
「ああ、ここで蓮菜ちゃんや恵香ちゃんたちと勉強会するんでしょ?中学だとお勉強大変だろうけど、頑張ってね」
「はい」
 

↓ネタバレ(次回解説)

 
 
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【女子中学生たちの出席番号】(1)