【女の子たちの強化合宿】(上)

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「ねぇ、強化合宿やろうよ」
と蓮菜は言った。
 
それは中学1年の1学期も終わろうとする頃だった。
 
「何の強化合宿?」
と恵香が訊く。
 
「今月末の模試に向けて、勉強の強化合宿だよ」
と蓮菜。
 
蓮菜は常々「私は東大に行くよ」と言っている。それに対して田代君が「灯台って、地球岬?宗谷岬?それとも留萌灯台?」
などとツッコむのもお約束である。その後、田代君は蓮菜から蹴りを入れられるのがパターンだ。
 
「誰がやるの?」
 
「くみちゃん、札幌の東西南北のどこかに行くって言ってたじゃん。勉強しようよ」
と蓮菜。
 
「えっと、南志望だけどね」
と玖美子は答える。
 
札幌には東高校・西高校・南高校・北高校と四方の名前を冠した道立高校があり、いづれもレベルの高い進学校である。
 
「美那は旭川だっけ?」
「札幌に行きたいんだけど、旭川までしかダメって親が言ってる。旭川J高校かM高校かな」
 
「恵香と千里は当然参加してもらうとして」
 
「なんでー!?」
と恵香も千里も言った。
 
「みんな頑張ってね」
とそばで留実子が言ったら
 
「るみちゃんも参加しよう」
と蓮菜に言われた。
 

模試は7月27日(日)に行われるのだが、その前、22日から24日まで泊まり込みで、五教科の問題集を半日で1教科ずつ仕上げ、最後に実力テストをしようということになった。場所は蓮菜の親戚がやっている民宿で2泊3日7食(昼夕/朝昼夕/朝昼)で7000円という超格安料金で1部屋借りることにしたのである。 
「平日だから安く貸せるらしい」
「実質食事代だけという気もする」
「たぶんね」
 
「でも1部屋なんだ?」
「本来は4人部屋だけど頑張れば布団6つ敷けるはず」
「ふむふむ」
 
「なんか微妙に性別の怪しい子が居る気もするんだけど」
「千里は性転換手術済みだと思うから問題無し」
「ほほぉ」
「るみちゃんはまだ性転換手術してないと思うから問題無し」
「なるほど」
 
「御飯が付いてるのは嬉しいな」
「おやつは適宜持ち込もう」
「了解了解」
 

そういう訳で6人は22日朝、会場となる民宿に集合した。
 
12畳の和室に普段は宴会などで使用する折りたたみ式のテーブルを貸してもらって、そこに問題集を広げて、みんなで解いていく。分からない所を教え合うが、主として玖美子・蓮菜が他の子に教えてあげることが多かった。
 
「ごめんねー。ボクみたいにできの悪い子に教えてもらって」
などと留実子は言うが
 
「いや、教えることでこちらも微妙にあやふやだった所を再確認できるからかえって助かる」
と玖美子は言う。
 
「そうそう。るみちゃんや恵香が質問してくることって、概してそういう再確認したいことが多い」
と蓮菜。
 
「私は〜?」
と美那が訊く。
 
「美那の質問は私もマジで考える」
と玖美子。
 
「私は?」
と千里が訊くと
 
「千里の質問には虚を突かれる」
と蓮菜。
 
「ああ言えてる」
「うむむ」
 

お風呂は共同浴場であるが、あまり広くないので、他のお客さんに影響が出ないように、6〜8時以外の時間帯で、できたら1人ずつ入ってと言われた。それで夕方頃から1人ずつ入りに行く。1日目は国語・社会とやっていたのだが、蓮菜がやっていた社会の問題集を仕上げ「切りがいいから、私先に行ってくるね」と言って離脱して、お風呂に行く。
 
その内、玖美子も仕上げたので蓮菜が戻って来た所で交替して行ってくる。やがて晩御飯だよという案内があったので、玖美子が戻ってきた所で6人で一緒に食事に行った。
 
「すごーい。お昼もボリュームあるなと思ったけど、晩御飯は凄い豪華。あの料金でこんなに頂いていいんだろうか」
という声が出るほどたっぷりあった。
 
「私、これとても食べきれない。るみちゃん3分の2くらいもらってくれない?」
などと千里は言う。
 
「OKOK。でも千里も身体にもっとお肉付けるのに食べた方がいいと思うんだけどねー」
 
「千里、ほんとに細いもんねー」
 
「この民宿のおじさん自身が船出してお魚獲ってきてるからね。中間マージンが無い分、安く出せるんだよ」
と蓮菜は言っている。
 

御飯を食べた後は、おやつを食べながら(御飯を満腹食べても、おやつは入るのが女の子仕様)ひとやすみした後、また勉強を再開する。
 
やがて8時過ぎたので、「じゃお風呂入ってくる」と言って、まず美那がお風呂に行く。戻って来てから恵香が行ってくる。
 
「ああーいい湯だった」
と恵香が言う。
 
「混んでた?」
「ううん。私以外には1人しか居なかった」
「ああ。やはり人が少なくなってきたかな」
 
「木の香りが素敵だった。何の木かな」
「江差産のヒバだって言ってたよ」
 
「ヒバというとアスナロ?」
「そうそう。明日はヒノキになりたい、なりたいというのでアスナロ」
 
「千里は明日は女の子になりたい、なりたいだな」
 
千里はそれには答えずに微笑んで
「じゃ、次、私行ってくるね」
と言ってお風呂セットを持ち部屋を出た。
 

千里がお風呂に行ってから10分くらいした頃
 
「あれ?考えてみたら、るみちゃんは千里を待たなくてもいいんじゃない?」
と玖美子が言う。
 
「ん?」
「だって、千里は男湯に行ってるよね? るみちゃんは女湯だから時間が重なっても平気だよ」
と玖美子。
 
すると恵香と蓮菜が顔を見合わせる。美那も少し考えている感じ。
「どう思う?」
「ね?」
 
「え?何か問題ある?」
と玖美子。
 
「うーん。まあ、どっちみち人は少なくなってるみたいだし、るみちゃん、行っておいでよ」
と蓮菜が言ったので
 
「うん、そうする」
と言って留実子はタオルと石鹸(留実子はシャンプーやリンスを使わない)を持って、部屋を出た。
 

お風呂は別棟になっている。どこだったかの温泉成分を使った人工温泉と女将が説明していたなと留実子は思った。渡り廊下を渡り、階段を降りた。降りて正面に男湯の暖簾、右手に女湯の暖簾がある。
 
留実子はそっと男湯の暖簾の所まで進む。中の音を伺う。音がする。人が入っているようだ。注意深く聞いていたら、中で知らない男性2人が会話している声が越えた。ふっと息をつき、首を振って引き返す。そして女湯の暖簾をくぐった。 
女湯の方は静かである。誰も入ってないのかな? そう思いながら服を脱ぐ。ポロシャツとジーンズの下は男物のシャツとトランクスである。留実子は自分の心の中の矛盾を解決できずにいた。男の子になりたいというのは小さい頃から思っていた。でも思春期が来て生理が来て、自分の身体が女になっていくのをそんなに不快には思っていない。男の子にはなりたいけど、女の子である自分も受け入れてしまっている。
 
更に知佐との恋愛もある。彼は自分を女の子として扱ってくれているが自分が男装して男言葉でしゃべったりするのも容認してくれている。こんな「居心地の良い」恋人ってそうないかも知れないとも思う。でも、その彼自身が病気でペニスの一部を切除しなければならないし、治療薬のために生殖能力を失い、更に女性ホルモンの投与を受けている。
 
何だかあっちもこっちも矛盾だらけのような気もしていた。結局自分は知佐の子供を産むのだろうか? まあ母親をやるのも悪くないかな。でもいっそ、自分が父親で知佐が母親でもいいけどなあ、などというのも妄想する。ただ、知佐の女装は一度見たが、気持ち悪すぎた。もし結婚できたら女装を指導してみるのもいいかな、などと更に妄想が膨らむ。
 
いろんなことを考えながら、下着まで脱ぎ、浴室に入る。あれ?先客が居たかと思う。浴槽にひとり女性が入っている。ずっと浴槽につかっていたので音がしなくて気付かなかったのだろう。
 
「こんばんは」
と留実子は声を掛けた。
 
「あ、こんばんは」
と浴槽の中の女性はこちらを振り向いて返事をした。
 
「・・・・・」
「なんだ、るみちゃんか。あれ?ここ男湯だったっけ?」
「千里、ボクが居たら男湯だと思う訳?」
「るみちゃん、男湯に入るんじゃないの?」
「おっぱいあるから無理」
「ああ。おっぱい膨らむ前は結構男湯に入ってた?」
「まあね。で、千里はここが女湯と知って入ったの?」
「え?私が女湯に入ること、るみちゃん知ってる癖に」
「まあ知ってたけどね」
 
留実子も、まあいいかと考えて身体を洗うと、浴槽に入った。
 
「髪洗うのに時間掛かっちゃって。でもその後、少しぼーっとしてたかも」
と千里。
「でもまあボクたちって、男湯で遭遇する可能性、女湯で遭遇する可能性、両方あるかもね」
と留実子は言う。
 
「うん。でも私、最後に男湯に入ったのは小学3年生の時だよ」と千里。「ああ、ボクも最後に男湯に入ったのは小学3年生の時だよ」と留実子。 
ふたりはちょっと顔を見合わせて笑った。
 
「でもボクたちが一緒にお風呂に入ったことは取り敢えず内緒にしておかない?」
「うん。みんなを悩ませるだけという気もするしね」
 
「でも、千里、それ胸が少し膨らんでる」
「やはり立て続けに女性ホルモン注射を打ったせいかも」
 
千里は本来鞠古君が打たれるはずの女性ホルモン注射を「代わりに」5月6月に4回も打たれているのである。
 
「悪かったかな。トモの代わりに打たれて」
「ううん。とっても嬉しい」
「だったらいいか」
「鞠古君があの注射打たれていたら、鞠古君の胸がこのくらい膨らんでいたのかな」
「ということだろうね。チンコ立つ?」
「あ、立たない気がしてる。何かの拍子に立つと凄く邪魔だったから助かる」
「トモは立たなくなったら、それで憂鬱になるだろうな」
 
「これ小学4−5年生くらいの胸かなあ」
「ああ。そのくらいだと思うよ。でも千里、もう男子水着にはなれないね」
「ああ、私、水泳パンツ穿いたことはないし、今後も穿くことはないから大丈夫だよ」
「小学校の水泳の時間、どうしてたんだっけ?」
「見学」
「千里、豪華客船に乗ってて氷山にぶつかって船が沈んだら生き残れないぞ」
「うち貧乏だから豪華客船に乗ることはないよ」
「確かにねー」
 

その後は普通の会話で盛り上がった。そんなことをしている内に浴室のドアが開いて、20代くらいの女性が2人入ってくる。
 
「こんばんはー」
と挨拶をされたので、こちらも
「こんばんはー」
と挨拶する。
 
ふたりはかなり大雑把に身体を洗うと、浴槽に入ってきた。
 
「あ、ちょっとぬるぬるした感じのお湯だね」
「ここ温泉だったっけ?」
 
「人工温泉らしいですよ」
と留実子が答える。
 
「へー」
「定山渓温泉だが層雲峡温泉だかの温泉成分を入れてお湯を作っていると聞いたような」
「定山渓温泉と層雲峡温泉ではかなり方角が違うような」
 
「お姉さんたちは関西方面ですか?」
「そうそう。私は兵庫」
「私は和歌山。大学の同級生なんだよ」
「へー。アクセントがそちらかなと思って」
 
「君たちはどちら?」
「あ、私たちは地元です」
「おお。道産娘だ。なかなか道産娘に会えなくて」
 
「観光地とかは特に道外の人ばかりでしょうね」
 

何だか話が盛り上がって結構長時間入った末に、そろそろあがりましょうかと言って一緒にあがった。
 
「君たちは姉妹だっけ?」
「ええ。私は中2でこの子は小学6年生です」
と留実子が言った。
 
「なるほどね。ふたりとも身長はあるよね」
 
この時期、留実子は171cmくらい、千里は166cmくらいである。
 
「ええ。でもある部分の成長がまだまだで」
「妹さんのおっぱいだよね」
「お姉ちゃんの方はまあ中学生ならそんなものかな」
「お姉ちゃんがこのくらい成長してるから、妹さんもきっとこれから大きくなるよ」
「はい。それを期待してます」
と千里は言った。
 
「でもお姉ちゃんの方は男物の下着?それ」
「楽でいいですよ」
「そりゃ楽だろうけど」
「おばちゃんたちには時々男物着てる人いるけど」
「中学生でまだ女を捨てたらだめだよ」
 
「妹さんの方は可愛い下着つけてるね」
「これ旭川に出た時に叔母に買ってもらったんです」
 

渡り廊下を渡り本館に戻ったところで別れて留実子と千里は自分たちの部屋に戻った。
 
「あれ?一緒に戻ってきたんだ?」
と美那。
 
「うん。お風呂出たところでバッタリ会ったんだよ」
と留実子が言う。
「ああ、なるほどね」
 
「千里はその髪洗うのに時間が掛かるでしょ?」
「うん。からまないように丁寧にシャンプーして、トリートメントして」
「ああ、大変そう」
 
「でもヒバの香りの浴槽が気持ち良くて、リラックスして少しぼーっとしてたかも」
と千里。
 
それに対して、蓮菜が「ん?」という顔をした。美那も気付いたようで、蓮菜と顔を見合わせる。
 
「ボクの方は、関西から来た女子大生2人組と話が盛り上がっちゃって。レンタカーでのんびりと北海道の旅をしているらしい」
と留実子が言った。すると千里が
 
「あの人たちと粉物の話でも盛り上がったよね。お好み焼き、たこ焼きは分かるけど、イカ焼きってのもあるのねー」
などと言う。
 
玖美子が「ちょっと待て」と言った。留実子が頭を抱える。
 
その時、部屋の障子が開いて「失礼します」と言って民宿の女将さんが入ってくる。
 
「これ、あんたたちに秘密の差し入れ」
と言って、お手製っぽいパウンドケーキを皿に盛ってテーブルに置いてくれた。 
「わあ、美味しそう!」
「ありがとうございます」
「いただきます」
 
とみんなそれに飛びつく。
 
「あんたたち、もうお風呂は入った?」
と女将。
 
「入りましたー」
と一同。
 
「うちの風呂は、一方はヒバの浴槽で、もう一方は熔岩の浴槽で、1日交替なのよね。今夜は女湯がヒバの浴槽だけど、明日は女湯が熔岩の浴槽の方になるから、明日は熔岩風呂を楽しんでね」
 
と女将が言う。
 
それで恵香もハッと気付いた。それで女将さんが下がってから言う。
 
「ね、千里、さっきヒバの浴槽が気持ち良かったと言ってたよね?」
「あ、うん」
「つまり、千里はヒバの浴槽のあるお風呂に入ったんだっけ?」
「あ、そうかな」
と千里もちょっとやばかったかなと思いつつ答える。
 
「うん、ヒバの風呂と熔岩の風呂があるというのはお風呂の中にも書いてあったよね」
と美那が言う。蓮菜はもう笑っている。
 
「ということは、千里は女湯に入って、女子大生とたこ焼きの話をしたんだ!?」
と玖美子。
 
「そういうことになるのかなあ」
と千里は焦りながら答えた。
 
蓮菜はもう我慢できないというくらい笑っているし、留実子は天を仰いでいた。 

布団は勉強が終わってから自分たちで敷きますと言っておいたので、布団が6組、押し入れに用意されていたのを夜10時になった所で敷いた。
 
「恵香が千里に夜這いを掛けたいような顔してるから、私がその間に寝るよ」
と蓮菜が言う。
 
恵香は「ね、ね、千里を解剖して本当は男なのか女なのか確認しない?」などと提案したものの、「それシャレにならない気がする」と美那に言われて諦めたところである。
 
「るみちゃんが窓側の上に寝ると良い気がする」
と美那。
 
「ということは、上に、るみちゃん・美那・くみちゃん。下に千里、私、恵香という配列でいいかな?」
と蓮菜。
 
「ああ、それが平和的という気がする」
と留実子。
 
留実子と千里が窓際というのは、みんな考えていたようだが、留実子が下に寝ると《男の子である留実子》が《女の子である千里》の足を見る形になるので、留実子を上にした方が良い、という美那の判断であった。
 
「じゃ、おやすみー」
「個人的な恋愛は構わないけど、他の子の迷惑にならないようにすること」
「避妊はしっかりしとけよ」
「でもこの場には精子持ってる子が居ない気がするよ」
「確かに、確かに」
「でも寝た方がいいぞ」
「また明日も頑張ろう」
 
と言って消灯して寝た。
 

翌日は数学と理科をやる。ここの学力は、玖美子>蓮菜>美那>千里>恵香>留実子なのだが、数学に関しては千里が特に図形問題や文章問題をスイスイ解くので、玖美子も「あ、そうか。そちらの考え方の方が正しい」などと言ったりしていた。
 
「千里、わりと理系女子かもね」
「でも演繹的に解くんじゃなくてむしろ直観的に解いてる」
「そうそういきなり本質を見抜く」
「千里は勘が良いよ」
「犬の糞とか落ちてても無意識に回避してる感じだよね」
「そして千里が回避した糞を美那が踏んでいる」
「うん。私、霊感ゼロだと思う」
 
「蓮菜は帰納的に解いてる感じだよね」
「そう。だから答えは分かっても計算式が分からないことがよくある」
「それもやはり勘が鋭いんだと思う」
「私はその手の新しいものを見つけ出すのが苦手なんだよなあ」
と玖美子が言う。
 
「勘といえばるみちゃんも勘が強いよね」
「分からない所を山勘で答え書くと、だいたい合ってる」
「それは物凄く羨ましい」
「佳美とか山勘は全部外れると言っていた」
「全部外すのも、ある意味凄い」
 

2日目のお風呂は、千里も女湯に入るようだというので、ちゃんとひとりずつ交替で行ってきた。
 
「熔岩のお風呂ってもっとワイルドなもの想像してたけど、わりと普通だった」
と千里が言ってたので、念のため玖美子が訊く。
 
「他に人いた?」
「うん。50代くらいのおばちゃんが4人。四国から来たって言ってた」
「へー」
 
「おじちゃんじゃなくて、おばちゃんなのね?」
「おっぱいあって、アルトボイスだから女の人だったと思うなあ」
 
「千里はおっぱいあるんだっけ?」
「えへへ。どうかな?」
 

3日目は前半英語をやる。蓮菜が美しい発音をするので、みんな聴き惚れる。 
「どうやったら、そんなきれいに発音できるの?」
「たくさん英語を聞けばいいんだよ。私は洋画のDVDを英語モードにして聞いてる。あと、NHKの基礎英語を聞いてるよ」
「何それ?」
「毎朝6時からやってるんだよ。ラジオ第2放送」
「ああ、ラジオなんだ」
「ラジオならタダだし聞こうかな」
「朝ちゃんと起きるのにもいいしね」
「なるほど、なるほど」
 
「千里の発音も悪くない気がする」
「むしろアメリカ人っぽい」
「近所に外人さんが住んでたからかなあ。結構英語教えてもらった」
 
「ああ、いたね。アメリカ人のお母さんと娘さんだっけ」
「あれ? 男の子じゃなかったっけ?」
「私は女の子だと思ってた」
「あれれ?」
「千里どっちだと思う?」
「小学2年か3年の時に、一緒に銭湯に入ったことあるよ」
「・・・・・」
 
「それ、男湯?女湯?」
「どっちだったっけ?私もよく覚えてない」
 
「うーむ。。。。」
 

最終日の後半は、過去の模試の問題をみんなで解いた。
 
「でも、みんな、高校はどこ考えてるの?」
 
「私は札幌南高校」と玖美子。
「私は旭川の公立ならA高校、私立ならE女子高」と蓮菜。
「私は公立しかダメと言われてる。旭川J高校に行きたいけど、無理ならM高校」
と美那。
「私も旭川行きたいけど、下宿できそうな所がないのよね。女子寮のある所でN高校かE女子高に行きたいけど、頑張らないと厳しい」
と恵香。
「ボクは旭川とかまで行く頭無いし、素直に地元のS高校」
と留実子。
 
「いや、るみちゃん、この3日間やってて思ったけど、理解力はある」
「そうそう。単に今まで勉強してなかっただけだよ」
「勉強すればかなり成績良くなると思うよ」
「うんうん。頑張ってごらんよ」
 
「私も旭川に出たいなあ。E女子高にも憧れるんだけどね」
と千里が言うと、玖美子が悩んでる。蓮菜は笑っている。
 
「入れてくれないかも知れないから、N高校か。でもうちの家計が厳しいかもしれないのよねー。ここの所、水揚げが落ちてるみたいだし。私立はダメと言われたら、旭川の公立でM高校かW高校あたりかな」
 
「美那も千里も旭川の公立高校ならA高校を目標にしようよ」
と蓮菜が言う。
 
「うん。できるだけ高い目標持って頑張った方が、最終的にランク落としたとしても、そこそこの所に行けるんだよ」
と玖美子も言う。
 
「まあ千里は、精密検査を受けて医学的に女子であるという証明書を取って、E女子高に入れてください、と言う手もあると思うよ」
と恵香。
 
「ああ、精密検査受けさせたいねー」
「ほんとほんと」
 
「多分千里は女の子としてふつうに一般生活を送れるもん」
「女子高生できる気がする」
「というか、今でも女子中生できる気がする」
「というか、実際に女子中生している気がする」
 
「千里と一緒にいても、男の子がいるような緊張感が全く無いもんね」
「そうそう。千里が男の子だなんて、だいたい忘れてしまっている」
 
「千里、鞠古君からセーラー服もらったじゃん。2学期からあのセーラー服着て学校に出ておいでよ」
「賛成、賛成」
 
と言った声が出るが、留実子はそのことをバラしてしまう。
 
「まあ、千里はトモからセーラー服もらう以前にも別の人からもセーラー服をもらってて、実はちょくちょく校外では着てるんだよね」
 
「なに〜〜〜!?」
 
「ほら、これ、千里のセーラー服姿」
と言って留実子が自分の携帯に入っている千里の写真を見せる。
 
「おお!」
「似合ってる、似合ってる」
「じゃ、どちらのでもいいから2学期からこれで学校に出て来ようよ」
「そうだ、そうだ」
 
「ね。これ一緒に写ってる男の子誰?」
「あ、知ってる。これ2年の細川君だよ。バスケ部のエース」
「もしかして、千里、それでバスケ部に入ったの?」
 
「あ、えっと・・・」
と千里は、何と言い訳しようかと悩んだ。
 

ところで千里は、この春に、ボーイフレンドの貴司のお母さんに見初められて、お母さん(以下細川さん)が勤めている神社の巫女としてバイトを始めていた。細川さんは占いの名手でもあるので、千里に巫女さんの基本的な仕事の他に占いも教えてくれた。
 
占いは、大雑把に言って、その人の名前や生年月日などで占う「命(めい)」
と呼ばれるもの(四柱推命・九星気学・占星術など)と、何かの道具を使用して占う「卜(ぼく)」と呼ばれるもの(易・タロット・亀卜など)、そして顔や手、また家などの形から占う「相(そう)」と呼ばれるもの(人相・手相・家相など)に分類できる。
 
千里が習ったのは「卜」系統のもので、千里は結構な霊感を持っているので、こういう占いが相性が良いと言われた。それで最初に習ったのが易(えき)である。易にも周易・漢易(断易)・梅花心易などがあるが、まずは基本の周易を習った。それで筮竹(ぜいちく)やコインなどを使用して易の卦(か)を立てる方法を教えてもらった。
 
千里は特に失せ物(うせもの)の占いに才能を見せた。
 
練習を兼ねて貴司のお母さんが
「こないだから指輪が見つからなくて困っているんだけど探せる?」
 
と訊いたので千里が筮竹で卦を立てると雷風恒の上爻というのが出た。 
「爻辞が《振くこと恒なり》。何かいつも動いているものの所にありますね。時計とか?振り子時計みたいな大きなもの」
 
と千里が言う。それでその日細川さんが帰宅してから居間の掛け時計の近くを探すと、本当にそこに落ちていたのである。
 
「千里ちゃん、ありがとう! 嬉しい! 個人的に御礼したい」
 
などと言うのでバスケットシューズを買ってもらった。千里は家が貧乏でバスケットシューズなんて買えないので、これまで体育の時間に履くシューズでバスケの練習をしていたのである。
 

「霊感のある人にも、色々なタイプがあってね。いわゆる霊能者型は霊的なものをコントロールする力を持っている。これは元々の才能に加えて、小さい頃から特殊な修行をしていた人だけがなれる。才能があっても普通そんな修行とかまでしてないから、こういう人はレア」
 
「多いのがいわゆる霊感人間で、こういう人は霊的なものを見たり感じたりできるけど、見えるだけでどうにもすることができない。でも見えるから色々霊的な相談事を頼まれたりする。結果的に悪い霊的な影響を受けて自分も病んでいく人が多い。概して病弱だったり短命だったりする」
 
「そして実態が見えないのが、千里ちゃんみたいな霊的に守られているタイプ。本当は霊感があるんだけど、自分ではあまり認識してない。千里ちゃん、幽霊見たことある?」
 
「ありません」
 
「霊感人間だと悪霊とかが居た場合に、いちいちそれに気付いてしまうけど、千里ちゃんみたいなタイプは気付かない。代わりに千里ちゃんの守護霊がその悪霊の影響を受けないように、危険な場所に近寄らないようにしたり、簡単な霊的攻撃程度は自動的に跳ね返してしまう。実は占い師にはこの自動防御型が多いんだよ」
 
「へー」
「宗教家になる人には霊感人間が多い」
「ああ、そうかも」
 

「千里ちゃん、左手に神秘十字持ってるね」
「あ、これ神秘十字というんですか? よく友だちからきれいな十字架があるねとか言われてました」
 
「千里ちゃんの神秘十字は中指の真下にある。占い師にはこの場所に神秘十字がある人が多い」
「場所で違うんですか?」
 
「中指の下のエリアは土星丘といって理性や勤勉を表す。ここに神秘十字があるということは霊的な力を理性の配下で使えるということなのよ。それは占い師や神秘学の研究家に適している」
 
「じゃ、人差指とか薬指の下の場合は?」
 
「薬指の下のエリアは太陽丘といって感情や美的感覚を表す。ここに神秘十字がある人は霊的な力と感情や感覚が直結する。新興宗教の教祖などにはここに神秘十字がある人が多いし、芸術家などにも多い」
「なるほどー」
 
千里が後に知り合う、作曲家で歌手の唐本冬子(ケイ)がここに美しい神秘十字を持っていた。
 
「人差指の下のエリアは木星丘といって、権力や社会性などを表す。ここに神秘十字のある人は霊的な力を自分の出世や権力のために使う」
 
「もしかして歴史的な偉大な王とかのタイプ?」
「データが少なくて研究困難だけど可能性はあるね。よく言われるのは新興宗教の参謀型」
「教祖様を上に立てて実権を握るタイプですね?」
 
「うんうん。新興宗教が成功するには、教祖型と参謀型が組むことが必要なんだよ」
「ああ。ちょっと思い浮かぶ所がいくつかあります」
「ね?」
 

「性別で手相が変わったりするんですか?」
「手相というより手の形だよね。だいたい触っただけで男性の手と女性の手は違いが分かるでしょ?」
 
「ええ。男の人の手はがっしりしてて、女の人の手は柔らかいです」
「千里ちゃんの手はまだ性別未分化という感じだよね。これから少しずつ女らしい手に変化して行くと思うよ」
「えへへ」
 
なおこの頃、細川さんは千里が実は男の子であることを知らなかった。 
「手相を見る時に、男は右手を見て、女は左手を見るという人もいる」
「へー」
「でも最近の流儀は、両方見るというものだね」
「なるほど」
 
「個性的な方の手を見るという人もいる。千里ちゃんの手は右手は割と標準的。右手が男性の運気、左手が女性の運気を表しているという古い説に従えば、千里ちゃんがもし男の子に生まれていたら、凄く平凡な人生を歩んでいただろうね」
「はぁ」
 
「でも左手は凄く個性がある。神秘十字があるし、金星帯もあるし、副生命線もあるし、太陽線もあるし」
「もしかして波瀾万丈とか?」
「うん。それに近い。ふつうに高校出て就職して2〜3年したら結婚して、家庭の主婦として一生を送るなんてタイプではない」
 
「ああ、自分はそういうのではないだろうなとは思ってました」
 
「仕事に生きる女だよね。千里ちゃん絶対大学に行った方がいい。おうち経済的に余裕ないみたいだし、千里ちゃんが大学に行くって言ったら女が大学に行ってどうする?とか言われるかも知れないけど、バイトしながらでも頑張って大学にお行きよ。それが千里ちゃんが波の大きな人生を生き抜くために必要だから。それと何か芸的なものも身につけておいた方がいいよね」
 
「芸ですか」
「千里ちゃん楽器できる?」
 
「ヴァイオリンを小さい頃、母のを借りて自分で練習してたんですけど、近所の男の子に破壊されちゃって。それ以来練習してないです」
「ピアノとかは?」
 
「小さい頃、おもちゃのピアノ弾いてたかな。壊れちゃったけど」
「笛は?」
「リコーダーもハーモニカも吹けません」
 
細川さんは少し考えていた。
 
「神社で祈祷する時にさ、笛を吹いてくれる人が欲しいのよ。ちょっと練習してみない?」
「はい」
 

それで千里は龍笛を習うことになった。
 
最初はこのくらいのでもいいかな、ということで樹脂製の龍笛を細川さんが「いつも頑張ってくれているからプレゼント」ということで買ってくれて、それを先輩巫女の寛子さんに習って練習を始めた。
 
千里が最初おそるおそる龍笛の歌口に唇を付け息を吹くとボーっという感じの音が出る。
 
「お、凄い。横笛できるんだ。ファイフか何か吹いてた?」
「いえ。横笛を吹くのは初めてです」
「それで最初から音が出るって凄いよ」
 
と寛子さんは褒めてくれた。
 
寛子さんが丁寧に指使いを教えてくれたので、すぐに音階(取り敢えず1オクターブ)が吹けるようになる。
 
「これドレミじゃないんですね」
と千里が言うと
 
「それが分かるのも偉い。和音階は平調・勝絶・双調・黄鐘・盤渉・神仙・壱越。西洋音階のミファソラシドレに近いけど、それぞれ微妙に音が違う。でもその違い自体に全く気付かない人が多い」
 
「はは。でも神仙の音が難しいです」
「半分だけ押さえるからね」
「その半分の加減が難しいです」
 
「確かに押さえ方で少しピッチ変わるよね。千里ちゃん、ヴァイオリンするって言ってたね。だから音感がいいんだろうね」
 
「でもかなりやってないんですよ」
「だって正確なピッチを感じ取れなかったらヴァイオリンは演奏不能だもん」
「ああ確かに」
 

しかし神社で巫女をしていて、占い師の見習いをしていると、友人たちがしばしばやってくる。
 
「好きな人がいるんだけど、向こうの気持ちを占って」
「見料取るよ〜」
「いくら〜?」
「一応3000円以上なんだけど」
「学割無いの〜?」
 
などというので、細川さんに訊いてみる。
 
「じゃ、中学生は500円でいいよ」
というのでワンコインで占ってあげた。
 
「天地否の二爻。望み無し」
「えーん」
「これ、相手との距離がありすぎ。だいたい彼はこちらのこと知ってるの?」
「名前は知らないと思うなあ。でもこないだ札幌の放送局で偶然すれちがった時、笑顔で挨拶してくれたんだよ」
「放送局って、まさかその人タレントさんとか?」
「NEWSの**君なんだけど」
「そりゃ無茶でしょ」
 
わりと真面目な相談に来る子もいる。
 
「お父さんからは高校出たらお見合いして嫁さんに行けと言われてるんだけど、都会に出てプログラマーか薬剤師かしたいのよ」
「プログラマーと薬剤師ではまるで違うと思うけど」
「どちらも理系だよ」
「まあそうだけどね」
 
というので出た卦は雷山小過の四爻である。
 
「田舎でお嫁さんするには才能があまりすぎ。不満を感じて、結婚生活はうまく行かないと思う。お嫁さんになるにしても都会で共稼ぎ」
「ああ、そちらの方がいいや」
 
「専門職に就く場合は、どっちにしろ、しっかりした教育機関で訓練を受けるべき。プログラマーになるにしても、情報処理の専門学校に行くより大学の理学部か工学部でしっかり理系の勉強をした方がいい。プログラム自体は別に教えられなくても自分で勉強できるけど、合理的な思考の訓練をした方がいいんだよ」
「なるほどねぇ」
 
「まずは勉強頑張らなきゃ。大学に行くんなら、旭川か札幌の高校を目指しなよ。それには今の成績では厳しい」
「うん。ちょっと気合い入れるか」
 
貴司までやってきて500円で占いしてくれと言う。
「貴司には特別料金5万円で」
「キスしてやるから50円に負けてよ」
 
などと言いつつ、結局は1000円払ってくれた。
 
「好きな子がいるんだけど、その子は僕のことをどのくらい好きなのか見て欲しい」
 
出た卦は沢山咸の四爻である。
 
「彼女、貴司のことが物凄く好きだよ。メロメロ。でも心が凄く不安定。自分自身の中に何か矛盾を抱えていて、それに悩んでいる」
「ああ、そんな感じ、そんな感じ。彼女さ。自分は僕と結婚できないなんて言うんだけど、ズバリ結婚できるかどうか見てくれない?」
 
再度引いた卦は天風{女后}の五爻。
 
「結婚は難しいかもね。でも彼女、貴司と結婚できない理由になるものを隠していて人に見せていない」
「ああ、それそれ。で、核心の話なんだけど、彼女実は自分は男だって主張してるんだよ。女にしか見えないんだけどさ。どう思う?」
 
更に引いた卦は兌為沢の二爻。
 
「男だってのは嘘だよ。彼女はまちがいなく女の子。でも兌って卦は少女を表す。まだ女として未熟なんだよ」
「ほほぉ」
「でも二爻が陽から陰に転じる。どこか男っぽい部分を持っていて、それを女に転換すれば、完璧な女になれるね」
「ああ、そうかもねー」
「二爻だから、腰の付近かなあ。何か生まれつきの病気なのかも。それを治療しないといけないんだよ」
「さっさと手術しちゃえば、僕と結婚も可能になるのかな」
「まあお互いに結婚できる年齢になってから考えればいいんじゃない? 
貴司の次に並んでいた久子さんが
「あんたたち、公私混同してる。ラブトークは勤務時間外にしたら?」
と呆れたように言っていた。
 

「千里ちゃんのおかげで占い客が増えたねぇ。時給を上げてあげるよ」
と宮司さんに言われた。
 
「え?でも中高生は格安料金なのに」
「今まで占いの客なんて日に1人いるかどうかだったのに、最近土日は20人くらい来てる。御守りの売上も増えてる」
 
千里の友人たちからの口コミで他の中学や高校の生徒まで来るようになってきたのである。中学生は500円、高校生は1000円という設定にしている。 
「パワーストーン御守りの売れ行きがいいみたいですね」
と細川さん。
 
「うんうん。あれは携帯ストラップになるから、単純なアクセサリーとして使う子もいるみたい」
 
「あ、私もつけてる」
と寛子さん。
 
「まあ、取り敢えず時給600円で」
「わあ、ありがとうございます!」
 

神社の社務所の応接室になぜかピアノが放置されていたので、空き時間に寛子さんはピアノも教えてくれた。寛子さんは大学の教育学部を出ていて小学校の教諭の免許も持っている。
 
「小学校の先生にはならないんですか?」
「採用試験を受けて去年の春に合格したんだけど待機なのよ」
「へ?」
「教員の空きができるまで待っててということ。4年くらい待機してやっと配属される人もいるけど、待機している人は大半が途中で待ちきれなくなって他の仕事に就く。私も実質諦めている」
「はぁ」
 
「千里ちゃん、腕力無いのに指の力はある。鍵盤をしっかり弾くね」
「ヴァイオリンやってたせいかも」
「それで笛でも指孔をしっかり押さえられるんだろうね」
「でも私、リコーダーではまともな音が出ないんですよ」
「それは不思議すぎる」
 
「でも同級生の女の子たちがピアノ習ってるの見て、私も習いたいなあとよく言ってたんですけどね。うち貧乏だし、無理だったみたい」
 
「ピアノ買うのも大変だしね」
「そうなんです! 市営住宅の2DKだから置く場所もないし」
「ポータトーンとかカシオトーンみたいな電子キーボードを買う手もあるけどね。安いのなら数千円で買える」
 
「どっちみちお金無いですけどね」
「それは難儀だね」
 
「でもこのピアノ、調律がくるってると思いません?」
「うん。ここのミの音変だよね」
「ここのソ#も変です」
「細川さんに言ってみよう。神社の経費で調律してもらおう」
「いいんですかね?」
「神社の備品だもん。神社のお金で調整してもらえるよ、きっと」
 
細川さんは千里と寛子の要望に応えてくれて、メーカーに調律の依頼をした。細川さんは何かのついでの時でいいです(つまり出張費はサービスしてよという意味)と言ったので、6月に小学校と中学校のピアノ調律に調律師さんが来た時に、一緒にここのピアノも調律してもらった。
 

夏休みに入ってからは、女子バスケ部の練習は平日の午前中だけなので午後からは毎日神社に出ていた。この時期になると、千里の龍笛はかなり聴けるものになってきていたので、実際に昇殿祈祷する時の笛を担当するようになった。すると宮司さんから言われた。
 
「村山君が笛を吹いた時って、風が吹く感覚があるね」
「風ですか?」
 
昇殿祈祷ではさすがに樹脂製の笛という訳にはいかないので千里は出世払いということにして、竹製の本格的な龍笛を購入した。細川さんが製造元に代金を払い、千里は将来余裕ができた時に細川さんに返済する約束にしたのである。この笛の素材は古い民家で何十年も囲炉裏の煤を浴びた竹を使用しているということであった。確かに樹脂製の笛とは比べものにならない良い音がした。 
結構なお値段がしたが、その値段は親には内緒にしておくことにした。千里にとってはちょっとした宝物であった。
 
「ああ、宮司は風に感じてました。私は龍が来てると思った」
と細川さんは言った。
 
「龍か。元々龍笛ってのは龍の鳴き声に似ていると言われるから仲間がいるかと思ってやって来たのかも知れないね」
 
夏休みの間は寛子さんが旭川の塾が主催する夏期合宿の講師に出ていたので、昇殿祈祷ではもっぱら千里が笛を担当したし、夏休み中に5度行われた結婚式でも祝いの笛を吹いた。この神社にはもうひとり循子さんという若い巫女さんもいるのだが、彼女は笛が苦手だと言っていた。
 
「私の龍笛は龍じゃなくて蛇が来るとうちの姉ちゃんに言われた」
 
循子さんも樹脂製の龍笛は持っていて、千里の居ない時にはそれで昇殿祈祷の笛は吹いてはいるが、《神様のご機嫌》が千里の笛の時とは全然違うと循子さん本人が言っていた。それで大事な祈祷があった時は、千里がバスケ部の練習途中で呼び出されたこともあった。
 
笛を吹く少女というのは絵になるねえと言われ、巫女衣装の千里が長い髪を束ねずにそのまま風になびかせ笛を吹いている様を撮影し、寛子さんと循子さんが舞を舞っている所とあわせて収録して、神社の広報用ビデオとして公開した。父には内緒にしておいたが、母に見せたら
 
「可愛いね」
と言って喜んでくれた。
 

8月のお盆前、千里は巫女さんの研修に行ってこない?と言われた。
 
「研修って、山駆けとか滝行とか断食とか?」
「山伏じゃあるまいし!」
 
「神話の話とか、神社のお祭りの意義とかの講義、あと神聖な場所で厳かな空気を実体験する」
「どこでやるんですか?」
「お伊勢さん」
「えっと・・・・静岡県?」
「三重県だよ」
「すみませーん。私、神社の知識、まるで無いかも」
「うん。でもそのレベルの子も結構集まるから」
 
「あ、でもうち旅費が無いです」
「交通費宿泊日研修費はもちろん神社持ち、食事付き。おやつ代までは出ないけど」
「だったらいいかな」
「お給料は普通通り。8時間勤務とみなして4800円。4日間拘束で19200円」
「嬉しいかも」
 
「寛子ちゃんが8日午前中で講師の仕事終わるらしいから合流させるから」
「はい」
「循子ちゃんは去年行ってきたもんね」
 
「ええ。全国から巫女さんの卵が集まっているから、賑やかで楽しかったですよ。千里ちゃんみたいに伊勢の神宮がどこにあるか知らなかったレベルの子もいましたし」
「あはは」
「参拝客なども泊める宿泊所があるからそこに泊まって。お風呂の中でもわいわいと賑やかにしてたよ。おっぱいの触りっこまで始まって大騒ぎして叱られたけどね」
 
「ははは。おっぱいの触りっこはやばいな」
「ああ。千里ちゃん、全然胸無いもんね」
「はいー」
 

母は費用神社持ちならいいんじゃないと言ってくれたので参加することにする。 
金曜日。千里は母がパートに出ているのをいいことにセーラー服を着て家から出かけ、留萌駅をお昼のJRで細川さんと一緒に旭川に出た。旭川空港で寛子さんと合流。同じ系列の神社で旭川Q神社の人が4人、稚内Q神社の人が2人参加していた。引率するのは旭川Q神社の巫女長さんで斎藤さんと言った。50代かなという感じ。稚内Q神社は若い人だけが来ており、斎藤さんと細川さんがそちらまで一緒に面倒を見るということであった。
 
16時のセントレア行きの飛行機に乗った。千里は飛行機なんて乗るのは初めてだったので、上昇の時「きゃー」と思った。これってジェットコースターに乗るのに近い感覚。それに上空まで行っても「地面が安定しない」感じである。 
「あ、飛行機初めて?」
と寛子さんから訊かれる。
 
「なんか地面が揺れてます」
と千里。
 
「まあ高度1万mの所を飛んでるからね。富士山の3倍」
と寛子さん。
 
「落ちたら死にますかね」
「落ちたら落ちた時だよ。その時考えればいい。でも多分漁船に乗ってるよりマシ」
「小学生の頃、一度父の漁船に乗せられて死ぬ思いしました」
「ああ。千里ちゃん、女に生まれて良かったね。男だったら大変だった」
 

2時間のフライトでセントレアに到着。近鉄の電車を乗り継いで21時に伊勢市に着いた。晩御飯は電車の中でお弁当を食べた。部屋は和室で5人単位。千里と寛子に細川さんに稚内の2人で泊まることになった。
 
「さ、お風呂行こう」
と寛子さんは言ったが、細川さんは打ち合わせがあるらしかったので、他の4人でお風呂に行く。
 
「いや、千里ちゃん、あまり胸が無いからさ。まさか男ってことはないよね?なんて循子と話してたんだけどね」
と寛子。
 
「ああ、いっそ男になったらとか友だちから言われます」
と千里。
 
それで脱衣場に行き、服を脱いでしまう。
 
「ほんっとに胸無いなあ。でもおちんちんは付いてないみたいだからやはり女の子なんだろうね」
と寛子さん。
 
「さすがにおちんちん付いてたら、女湯に来たりしませんよ」
と千里。
 
「だろうね。おちんちん付いてて女湯に来るのは、よほど度胸ある人か痴漢かのどちらかだ」
 
「あ、でもうちでは中学の同級生に女の子になりたい男の子が居て、修学旅行の時に、強引に女湯に連行しましたよ」
などと稚内組の麻里子。
 
「そのまま入れたの?」
「むだ毛なんかはきれいに剃ってましたね。あそこは手で隠してたけど、そこを見ない限りは、おっぱい未発達の女の子に見えなくもなかった」
「へー」
 
「他の客がいなかったからノリでしたけどね。本人恥ずかしそうにしてたけど、後で凄く嬉しかったと言ってました。その子、男湯には入りたくないと思ってたんだって」
 
「ああ、そうだろうね」
 
「まあ、中に入りましょう」
 

各自身体を洗ってから湯船に入り、暖まりながら会話に花を咲かせる。稚内組は2人とも女子高生で、お互いの町の話や学校の話題などがたくさん出た。 
「私、ここのことを《伊勢神宮》と言って、先輩に叱られました」
と稚内組の晴子。
 
「うん。ここは《神宮》なんだよ。伊勢神宮という神社は存在しない。そもそも神宮というのは唯一ここを指す言葉だからね」
と寛子が言う。
 
「後に、鹿島神宮と香取神宮のみが神宮の名前を許されたんですよね」
「そうそう。その後、何だかぞろぞろと神宮を許される神社が出て来て戦後は統制が効かなくなって、勝手に名乗る所も増えた感じ」
 
「神社関係者はよく《伊勢の神宮》という言い方をしますね。神宮と言っただけではどこのことか分からない人のために」
と稚内組の麻里子。
 
「うん。だから《伊勢の神宮》と言うのは本当の神社関係者か神道家。《伊勢神宮》と言っちゃうのは、似非(えせ)神道家」
 
「なるほどー」
 

「《いせ》というのは《いもせ》から来たという説もあるんでしょ?」
 
(いもせ:妹背:陰陽の意味)
 
「うん。でもそれは中世の理論武装した神道での発想だろうね」
 
「神宮というのはこの近辺に多数ある神社の総称だけど、中心になるのが天照皇大神宮・通称内宮(ないくう)と、豊受大神宮・通称外宮(げくう)。この内宮と外宮の千木に違いがあるんだよね。内宮の千木は切り口が水平な内削ぎ、外宮の千木は切り口が垂直な外削ぎ。そして堅魚木の数が内宮は10本で外宮は9本」
 
「普通、奇数が陽で偶数が陰ですよね?」
と麻里子さん。
 
ああ、陰陽の話なのか・・・と千里は思った。神道も結構陰陽なんだろうな。 
「うん。その意味では内宮が陰で外宮が陽。これだと内宮が女性神で外宮が男性神なら納得がいくのだけど、困ったことに内宮の神様は天照大神(あまてらすおおみかみ)、外宮の神様は豊受大神(とようけおおみかみ)でどちらも女性神なんだよな。神宮を全部陰陽で捉えようとするのは若干無理があると思う」
 
千里は女の子同士のカップルなのかなあと一瞬思ったものの、そんなことを口にするのは不敬という気がしたので何も言わなかった。
 
「でも天照大神(あまてらすおおみかみ)は男だという説もあるんでしょう?」
「うん。それは昔からくすぶっている。天照大神が女であるという根拠は日本書紀の中で、須佐之男神(すさのおのかみ)が天照大神を姉と呼んでいる箇所だけなんだよね。だから男性神説を採る人たちは、そこが改竄だと主張する」
 
「でも男性神説の方は更に根拠が弱い」
「まあ、そういうこと。秀真伝(ほつまつたえ)には天照大神に8人の后がいたなんて記述もあるけど、最近の研究では秀真伝はどんなに古くても江戸時代の中期以降に書かれたものとされるから、根拠にはできない資料だよ」
 

「天女の羽衣のヒロインが外宮の神様でしたよね?」
 
「そうそう。あれは外宮の神様の若い頃のエピソードなんだよ。数人で水浴びしていた所を男が見ていて、羽衣を隠してしまう」
「悪い奴っちゃ」
「痴漢だな」
「覗きの上に下着泥棒」
 
「それで隠されて困った天女はその男と暮らすのだけど、長年連れ添って気を許した男が羽衣の場所を言ってしまうと、それを持って天に帰ってしまった」
「ああ」
 
「天罰を食らわなかっただけマシかな」
 
「豊受大神は食べ物の神様なのだよね。天照大神が『自分が食べ物の心配をしなくて済むように食べ物の神様を連れてきてくれ』と雄略天皇の夢枕に立ってお告げしたので勧請した。そして神宮にお参りする人は、必ず外宮(げくう)にお参りしてから内宮(ないくう)にお参りすることになっている」
 
「外宮から内宮へ食べ物を運んでいるんだったりして」
 
「うん。その考え方はかなり当たっていると思う」
「ああ」
 
「観光客とかでは外宮に行かずに内宮だけに行く人もいるが、あれはよくない。ちゃんと外宮から内宮に行くべきだよ」
 

4人だけの間はこんな感じでけっこう神宮に関する真面目な話をしていたのだが、旭川組の4人が少し遅れて入ってくると、ジャニーズの子の品定めとかファッションやアクセサリーの話題、それに恋話などが中心になり、最後におっぱいの触りっこになった所に、30代くらいの女性が入ってきて
「静かにしなさい!」
 
と叱られて、その日の入浴は終了となった。
 

「でも千里ちゃん、絶望的に胸が無ーい」
と旭川組の子からも言われる。
 
「中学生?」
「中学1年です。でも早生まれなんですよ」
「ああ。だったら実質小学6年生に近いということか」
「小学6年生なら、ほんとに平らな子いるもんね」
「私、背だけは高いんですけどね。私の栄養、背が伸びる方にばかり使われて胸には栄養が行ってくれてないみたい」
「ああ。主としてお腹に行く子もいるしね」
「うん、いるいる」
「やばいな」
 
「同学年にもう1人胸の無い子がいて、その子とどちらが先に膨らみ始めるかで賭けしてます」
と千里。
 
「何を賭けてるの?」
「負けた方は潔く、性別を男に変更しようと」
「ああ、じゃ、おちんちん付けなきゃね」
と旭川組の子。
「1日くらいなら付けてみるのも面白そうだけど、いつも付いてたら邪魔だろうなあ。あれ男の人、歩く時に邪魔になったりしないんですかね?」
と千里。
 
「うーん。そういう話は聞いたことがない」
 
 
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