【女の子たちの陰陽反転】(1)

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4月下旬。千里は中体連の大会を応援しに行っていて、唐突に《女子》バスケット部のチームに臨時参加してしまうことになる。それをきっかけに彼女たちから、「ぜひ女子バスケット部に入って」などと誘われてしまうのだが、5月頭の連休に偶然三井グリーンランドで男子バスケ部の1年先輩・細川貴司と親しくなってしまい、彼の勧めもあって、結局、ゴールデンウィーク明け、千里は本当に《女子バスケット部》に入ってしまった。
 
むろん、大会での試合に参加する訳にはいかないものの、日々の練習に参加するし、大会でもベンチに「監督」名目で一緒に座るということで顧問の伊藤先生とは話が付いた。これまでS中学の女子バスケ部監督はキャプテンが選手兼監督ということにしていたのである。
 
なお、この年の女子バスケット部は、3年生がC.節子(部長)・PF.房江、2年生がPG.久子・SG.友子、1年生がSF.数子に千里である。4月の大会では数子と友子が休んだのだが、友子が休むのは事前に言っていたので代わりに久子の友人を助っ人に頼んでいたのだが、数子の方は急だったので困っていたところで、千里が代役を務めることになったのである。
 
(C:センター、PF:パワーフォワード、SF:スモールフォワード、PG:ポイントガード、SG:シューティングガード スラムダンクで言えばC.赤木 PF.桜木 SF.流川 PG.宮城 SG.三井)
 
またこの中学では昼休みに体育館で、男女入り乱れて、またバスケ部とかそうでないとか関係無く、バスケの練習が行われていたので、千里もそれに参加した。貴司もこれに参加していたし、女子バスケ部では1年の数子と2年の久子も参加していた。
 

この昼休みの練習で、千里はパスやシュートに卓越した才能を見せていた。
 
「村山、お前ほとんど外さないな。俺とちょっとシュート対決しない?」
などと男子バスケ部の2年生SG田臥君に言われ、放課後の練習の時に2人で「30本勝負」の3ポイントシュート対決をした。
 
結果田臥君は30本中25本決めたのに対して、千里は30本中29本決めた。外した1本もリングを回って外に落ちるという惜しいショットだった。
 
「負けた〜」
「村山、ほんとにバスケ未経験者なの?」
 
「ええ。全く経験無いです」
「バスケはしてないけど、ポートボールではエースなんてことは?」
「体育の時間のポートボールではいつも最初にボールぶつけられて外野に行ってました」
「は?」
「ちょっと待て。それポートボールじゃなくてドッヂボールだろ?」
「あれ? ポートボールってどんなのでしたっけ?」
 
「しかし未経験でこれだけシュート決めるって凄いなあ」
「最初はボールの大きさに戸惑ったんですけどね。すぐ慣れました」
 
「ん?」
「村山君。真剣に訊きたい。君は小学校の5年6年の時は、部活は何してたの?」
 
「えっと、パソコン部ですが」
「文化部か〜!?」
 
しかしそれを近くで聞いていた卓球部の子がバラしちゃう。
 
「千里はパソコン部と兼部で剣道部にも入ってたよね」
 
「剣道!?」
「うん。でもほとんど顔を出してない。そもそも家が貧乏で竹刀とか防具とか買ってもらえなかったから、竹刀だけ友だちの借りて素振りとかやってました」
 
「でも地区大会で準優勝」
「あれはまぐれ。たまたま凄く弱い子とばかり当たったんだよ」
 
「千里、1on1の時に気合いが凄いなと思ってたけど、剣道で鍛えたのね?」
などと久子が言う。
 
「でも千里、剣道部よりソフト部の方にたくさん顔出してたかもね」
と佐奈恵。
 
「ソフトか!」
という声が上がる。
 
「うん。でもソフト部は正式には入れてもらえなかったんだよ」
と千里は言う。
 
「千里、学籍簿上は男子だから女子だけのソフト部に入れる訳にはいかないと先生から言われてたね」
「ああ」
 
「でも野球部の先生からは、千里は実質的に女子だから、男子だけの野球部には入れられないと言われてた」
 
「それは可哀想だ」
とほんとに同情するような声。
 
「で、結局、ソフト部に正式には入らないまま、練習にはよく参加してたし、練習試合とかでは、いつもエースピッチャーだったね」
 
「ソフト部のピッチャーか!!」
「エースだったんだ!」
 
「うん。一応剣道部には正式に籍を置いていたから、それでソフトの試合で万一怪我してもスポーツ保険が効くからとか言われてました」
 
「どうなんだろ?」
「微妙な気がしないでもない」
 
「でも、それで正確にボールを投げられるんだ!」
「でもソフトボールとバスケットボールでは大きさが違って大変」
 
「まあ確かにサイズは違うな」
「千里はソフト部では物凄くコントロールの良いピッチャーだったんです。キャッチャーが構えている所に正確に投げるから。キャッチャーの人はミットを全く動かす必要が無いと言ってました」
 
「おお、凄い!」
「でも大会とかには出られないから、練習試合専門で」
「ああ」
 
「千里、練習試合の話、バシバシ取ってくるよ」
と女子バスケ部のキャプテン、節子さんが言った。
 

ところで昼休みのバスケ練習の時、千里と貴司が紅白戦をする時は必ず同じ組に入り、しばしば「アイコンタクト」してパスなどをしていることに数子が気付き
 
「細川先輩と知り合いだったっけ?」
と千里に訊いた。
 
「うん。私、貴司のガールフレンドだから」
と千里は言っちゃう。
 
「なんだと〜〜〜!?」
と半分驚いたような、半分怒ったような数子の声に対して、千里は楽しそうな笑みを見せた。
 

なお、貴司と「ボーイフレンド・ガールフレンド」の関係になってしまったことで、千里は多少の後ろめたさを感じながらも(3月まで恋人であったものの別れた)晋治に電話したら
 
「良かった!」
と晋治は言ってくれた。
 
晋治とは結局2年も付き合ったのに、別れてわずか2ヶ月で新しい彼氏をゲットするなんて、我ながら節操が無いという気はしていた。
 
「晋治の記念のボールペンがゲットできなかった」
と千里。
 
晋治は、千里に5月までに新しい恋人が出来なかったら、彼が大事にしているボールペンを千里にあげる約束をしていたのである。
 
「代わりに何かあげようか?」
「ううん。新しい彼氏からもらうからいい」
「よし、それでこそ千里だ」
と晋治は楽しそうに言っていた。
 
「晋治は新しい彼女できた?」
「えっと・・・・」
 
「あ、できたんだ?」
「まだ未然形だよ。アタック中」
「ふふ。その言い方、九分九厘落としたとみた」
「いや、その最後の1%で失敗することもあるのが恋だから」
 
「確かに恋は難しいねー」
「うん。難しい」
 

小学校の5〜6年の時にパソコン部に入っていた関係で、中学でもパソコン部に入ったクラブ仲間の美那に誘われて、一度中学のコンピュータ部にも顔を出した。バスケ部の練習から抜け出して行ったので体操服のままである。
 
「プログラム言語は何使ってたの?」
「PHP, Perl, Rubyです」
「Javaはやってない?」
「JavaScriptは少しやりましたけど、Javaの方はしてないですね」
 
そんな会話を先輩の鮫島さんとしていた時、女子部員のひとりが
 
「あ、これ電源コンセントが入ってなかった。バッテリー駆動になってた」
などと言って、
「このコンセント、どこか挿せる所がある?」
などと訊くので、鮫島さんが
 
「ああ、ここに挿していいよ」
と言って、5個口のタップを指さす。
 
「さんきゅ、さんきゅ」
と言って彼女は電源コードを繋ぐ。
 
「ちなみに、コンセントってのは、この差し込み口の方だね」
と鮫島さん。
 
「ん?」
 
「これよく混同してる人がいるんだよ」
と鮫島さんは言う。
 
「この電源を挿し込む口をみんな何と言う?」
「コンセント」
「それは正解。じゃ、この電源コードの先は何と言う?」
「コンセント」
 
「不正解。これは電源プラグ」
「へ?」
 
「コンセントというのは、あくまで挿しこまれる側だよ」
「へー!」
 
「一般的には、電源でも信号線でも、挿しこむ側、この出っ張っているものがある方をプラグと言って、挿しこまれる側、穴が開いているものはジャックと言うの」
 
「プラグとジャックですか」
「凹凸で言えば、凸の形状のものがプラグで、凹の形状のものがジャック」
「初めて知った」
 
「しばしばオス・メスという言い方もする。凸の形がオスで、凹の形がメス」
「性別があるんですか?」
 
「だって、オスのペニスをメスのヴァギナに入れるでしょ?」
と鮫島さんは大胆な説明をする。
 
「きゃー」
という声が上がる。千里は恥ずかしがって俯いている。
 
「たいてい、接続コードは両端がオスになってて、機械の側はメス形状なんだよね」
「ああ、確かに」
 
「但し延長コードの部類は、片方がオスで片方がメス」
と言って、鮫島さんは手近にあったUSBの延長コードを外して見せてくれる。
 
「ああ、面白い」
「ところが、たまに、色々な都合で、オスとオスを接続しなければならない場合がある。それでその場合、先端にこんなのを付ける」
 
と言って、パソコンと何かの計測機械のようなものをつないでいたケーブルを外し、その先端のコネクタを取り外して見せる。
 
「このケーブルは先端がオスのものしか売って無いんだけど、困ったことに、この機械の受け口もオスなんだよね。それでこれを取り付けてメスにしてしまう」
と鮫島さんが説明すると
 
「性転換?」
などと美那が言う。
 
「うん。こういうコネクタをセックス・チェンジャーと言うんだよ」
「へー!」
「ほんとに性転換器なんですか?」
 
「これはオスをメスにしてしまう性転換器だけど、メスをオスにしてしまうセックス・チェンジャーもあるよ」
「わぁ」
 
「まあ、オスかメスかなんて、ちょっと形が違うだけで、大事なのは電気的な特性だからね」
 
「形より中身が大事なんですね!」
「そそ。形が違うなら変えちゃえばいいんだよ。人間だって、形は男だけど中身は女って人が時々いるから、形をちょっと手術して修正しちゃうでしょ?」
 
「ああ、確かに」
と美那は千里を見ながら言った。
 
「おちんちんをヴァギナに改造する手術は割と簡単らしいですね」
「ヴァギナをおちんちんに改造する方は難しいんだとか」
 
「あれ、おちんちんがヴァギナになるんですか?」
「そうだよ」
「おちんちんの中身を抜いてひっくり返して体内に埋め込んでヴァギナになる」
「ひゃー」
 
「ヴァギナもおちんちんに変えちゃうの?」
「ヴァギナを取り出して中身を詰めておちんちんにするのかな?」
「どうだっけ?」
 
「私も詳しい手術方法は知らないけど、昔はシリコン製の偽おちんちんだったらしいけど、最近の人工おちんちんはちゃんと触られると感じるんだって」
 
「凄い。それなら私も1本欲しいな」
「でも男の子とセックスする時に邪魔だよ」
「そういう時は取り外して」
「取り外せるの〜〜〜!?」
 
千里は何だかドキドキしていた。
 
「男の子が居る場所ではあまりできない話だけどね」
「ああ、おちんちん取っちゃうとかいう話は男子は嫌がりますよね」
「常に自分が去勢されないだろうかという不安を持ってるんだろうね、男の子って」
「性転換タレントさんとかを極端に嫌う男の人っているけど、あれはおちんちんを本当に取っちゃった人を見て、自分も取られることを想像して、心理的に拒否するんだと思う」
「根本は去勢コンプレックスか」
 
「でも女だけの場だとこういう話が気楽にできるね」
 
美那がおかしそうにしている。まあ私は女子に見えるかな、と千里も思う。しかし美那が言った「形より中身が大事」という言葉は千里の頭の中に響いていた。
 

ところで、このゴールデンウィーク明け、同級生で、小学校でも何度か同級になった鞠古君がずっと休んでいた。
 
彼は千里の親友・留実子のボーイフレンドでもあるので、ちょっと声を掛けてみたのだが
 
「うん。何か病気が見つかって検査で入院しているらしいんだけど、ボクにもあまり詳しいこと教えてくれないんだよ」
と言っていた。(留実子は学校の授業などでは「私」と言っているが、親しい友人の前ではボクという自称を使う)
 
「それ心配だね」
 

鞠古君は結局5月12日(月)になって、やっと出てきた。朝のホームルーム前の時間、隣のクラスの留実子もこちらに来る。鞠古君はその留実子にチラっと視線をやった上で、とんでもないことを言い出した。
 
「実は俺、チンコ切ることになった」
 
「えーーーー!?」
 
千里は留実子の顔を見る。明らかに衝撃を受けている。
 
「お前、性転換するの?」
 
「いや、ゴールデンウィークに小便してたら何か痛みがあるんだよね。それで病院に行ったら、医者が難しい顔をするんだよ。結局、紹介状書いてもらって旭川まで出て**病院に行ったんだけどね。それでなんだかんだ検査されて。チンコから一部組織採取されて、更に大きな病院だかに送られて検査されたりしてさ。それで、チンコに腫瘍ができてて、切らないといけないというんだよ」
 
「切るって、その腫瘍を切るわけ?」
「それがかなり拡大していて、チンコ自体を切らないといけないというんだ」
 
「うそ!」
 
「俺もちょっとショックだっだぜ」
 
「じゃチンコ切って、女になるわけ?」
 
「まさか。でも、チンコと一緒に金玉も切らないといけないらしい。何か男性ホルモンがあると病気が広がりやすいし、手術した後も再発しやすいんだって。だから男性ホルモンを作っている金玉も取らないといけないって。それで手術後は再発防止のために女性ホルモンを打ちますというんだよ。その副作用で、おっぱいが大きくなるらしい。ちょっと憂鬱」
 
「だったら、まるで女じゃん」
 
「村山、代わってやれたらいいのにな」
と同級生の男子が言う。
 
しかし千里は留実子がかなりショックを受けている感じなので、下手な発言はしなかった。
 
「一応病状が落ち着いたら、人工のチンコと金玉を付けてくれるらしい」
 
「だったら男には戻るんだ?」
 
「ってか、俺、チンコ無くしても男だから。村山がチンコあっても女なのと同じだよ」
 
と鞠古君は言った。多分こんなことを言える所まで到達するのに、彼は相当悩んだのではないかと千里は思った。
 
「いや、村山はチンコあるかどうか疑わしい」
「俺、村山にはチンコは無いと思う」
 
などと茶々が入る。留実子も一瞬吹き出す。でもおちんちんとタマタマ切るなんて・・・本当に私が代わりたい!!
 
「チンコと金玉取った後は、一時的にこういう形になるよという写真も見せてもらった。けっこうショックだった」
 
「どういう形になるの? やはり女みたいな形?」
「いや、割れ目とかは作らないから。何にもないお股に、ポツンと小便が出る穴が開いているだけ」
 
「それって、昔の宦官みたいな?」
「そうそう。まさに宦官という感じ。一応、病状が落ち着いたら半年後くらいに再手術して、チンコと金玉を作ってくれるって」
 
「半年間だけ宦官になるわけか」
「もっとも、人工的に作ったチンコはいつも大きさが同じで立ったりはしないらしいし、金玉も精子は作らないから子供は作れなくなるらしいけどね」
と鞠古君。
 
「金玉無いと子供作れないんだっけ?」
などと一部から声が出るが
「お前知識無さ過ぎ」
と非難されている。
 
「ホルモンとかはどうするの?」
「最低5年くらいは女性ホルモンを打ち続けないといけないと言われた。それで再発しないようだったら、男性ホルモンに切り替えてもいいって。でも女性ホルモンをそんなに打ち続けたら、おっぱいも随分膨らむだろうし、ヒゲも生えないだろうし、見た目は女にしか見えないような身体になるんだろうな」
と鞠古君は難しい顔をしながら言う。
 
ああ、ヒゲが生えなくなるって、男の子の場合は嫌なんだろうな。私の場合はヒゲと必死で戦っているのに、と千里は思った。
 
「チンコが大きくならないんだったら、女とセックスできない?」
「ああ。セックスできる程度の大きさにしてくれるらしい。でも精子は無いから射精はできないな」
 
「しかしセックスは何とかできても射精できないし、子供も作れないし、胸は女みたいに膨らんでいるとしたら、結婚とかは?」
「それは相手の女次第だろうな」
 
「お前、女と結婚するんだっけ?」
「男と結婚したくねぇよ!」
 
千里は留実子を見た。かなり動揺しているのが見て取れる。そこでホームルーム開始のチャイムが鳴る。留実子は無言でその場を離れると自分の教室に戻った。その後ろ姿を鞠古君は見送っていた。
 
「手術はいつするの?」
「色々準備して、多分7月。夏休みに入ってから」
「じゃ、お前のチンコはそれまでの命か」
「オナニーたくさんしとけよ」
「それ禁止と言われた」
「えーー!?」
 
「オナニーすると男性ホルモンが増産されるから病気に良くないんだって。実際、病気の進行停めるためにって、女性ホルモン打たれた。この後も月に2回打たないといけないらしい。これ打つのだけはこちらの地元の病院でできるんだけどね」
 
「女性ホルモン打たれて、どんな気分だった?」
「すっごく変。でも確かにチンコは立たない」
「ああ」
 

鞠古君は小学校の時からバスケをしていて、中学でも男子バスケ部に入っていたのだが、さすがにその日は休んでいた。千里が女子バスケ部で練習をしていたら、留実子が体育館にやってきた。何か話したい風だったので、先輩に断って練習から離脱し、留実子と一緒に体育館の裏に行った。
 
「ボクもさすがにショック」
と留実子は言った。というか、彼女は少し泣いていたので、しばらく千里は彼女の手を握っていた。
 
「彼と何か話した?」
「別れてくれって言われた」
「何で!?」
「もう自分は男ではなくなるから、ボクの恋人ではいられないって」
 
「そんな、だって、鞠古君、おちんちん無くなっても自分は男だって言ってたじゃん」
 
千里はそんなことを言いつつ、これって自分が晋治に別れようと言った理由と同じじゃんと思い、心がさいなまれる。
 
「人前ではそんなこと言ってたけど、本人としてはもう男ではなくなるんだという気持ちなんだと思う」
 
確かにふつうの男の子にとって、おちんちんを失うというのは物凄いショックなのだろう。千里は少し考えてからこう言った。
 
「るみちゃんとしてはどうなのさ? 鞠古君のおちんちんが無くなったら鞠古君にもう魅力を感じないの?」
 
留実子は少し考えていた。
 
「そんなことない。だって、ボクは知佐(ともすけ)自身が好きなんだもん。知佐のおちんちんが好きな訳じゃない」
 
「だったら、恋人でいられると思うよ」
と千里は言った。
 
留実子はしばらく沈黙した上で言った。
「そうだよね」
 
でもその言葉には力が無く、まるで自分を納得させようとするかのような言い方だった。
 

「ね、鞠古君に言いに行こうよ。自分は鞠古君自身が好きなんだから、おちんちんが無くなったって好きなのは変わらないし、おちんちんが無くても結婚してもいいって」
 
「結婚!?」
「結婚するのは嫌?」
 
留実子はぶるぶるって首を振る。
 
「知佐のおちんちんが無くたって結婚できると思う。いっそボクがおちんちんを付けちゃったっていいし」
「そうそう、その意気!」
 
「彼は今どこ?」
「病院に行くと言ってた。女性ホルモンの注射打たないといけないんだって」
「わぁ。。。私なら打って欲しいけど、男の子はそんなの打たれたくないだろうな」
と千里は同情するかのように言った。
 
「じゃ、その病院の所まで行って、彼をキャッチしようよ」
「うん」
 

それで千里は、いったん体育館に戻り、節子部長に急用ができたので帰りますと告げ、教室に戻って、体操服のまま荷物だけ持ち、留実子と一緒に病院に駆け付けた。
 
「あれ?」
と鞠古君がこちらを見て言う。
 
「ちょっと話したいことがあったから来た」
と千里が言う。
 
「もう注射打ったの?」
「これから。今待ってる所だけど憂鬱〜」
「前回打たれた時はどんな気分だった?」
「もう最悪の気分だった。なんか頭痛もするしさ」
と鞠古君は言う。
 
自分が女性ホルモン打たれた時とは全然違うなと千里は思った。千里の場合は、女性ホルモンを打ってもらったことで、凄く気持ちが落ち着いたし、頭痛など全く無かった。
 
「男の子なのに女性ホルモン打たれると、身体が受容できないのかもね」
と千里は言う。
「私が代わってあげたいくらい」
 
すると鞠古君は突然思いついたように言う。
「ね、村山、ほんとに代わってくれない?」
「へ?」
「村山、むしろ女性ホルモン打って欲しいよね」
「打って欲しい」
 
「俺、そんなの打たれたなくないし、村山は打って欲しいんだから、ここは俺の代わりに村山が打ってもらえば丸く収まると思わない?」
 
「え?だって鞠古君、治療のために必要なんじゃないの?」
「1回くらいバッくれたって大丈夫だよ。俺、オナニーは我慢するからさ。女性ホルモン打つ目的のひとつはオナニーしたくならないように、らしいけどそちらは俺我慢できる気がするんだ」
 
留実子はそれまで黙っていたのだが
「それいいかもね。千里、代わりに打ってもらいなよ」
などと言い出す。恐らく留実子も自分の彼氏の極端な女性化は嫌なのだろうという気もした。
 
「うーんと・・・・」
 
でも私が代わりに!?打ってもらってもいいの!??
 

千里は体操服で出て来ていたのだが、そのままでは男の子には見えないということで、千里も学生服を着ることにした。スポーツバッグの中から学生服を取り出し、不本意ながらそれを身につける。着替える間、鞠古君は向こうを向いていた。
 
やがて「鞠古さん」と名前が呼ばれた所で、千里が診察室に入った。
 
「ん? 君、女の子じゃないの?」
と医師。
 
「男です。何なら触ってみてください」
と千里が言うので、医師はほんとに千里のお股を触り、男性器が付いていることを確認した。
 
「あれ、ホントに付いてる。でもまだ声変わりしてないんだ?」
「はい。そろそろ来るかなとは思っていたんですが」
「そうだろうね。でもたまに居るよ。中3くらいになって、やっと来る子とか。でも君睾丸取ってしまうから、結果的に永久に来ないことになっちゃうね」
 
「まあそれはしょうがないですけど。いっそ開き直って男性ソプラノ歌手を目指します」
「ああ、それもいいかもね」
などと医師は頷いている。
 
千里は自分も睾丸を取ってもらって永久に声変わりが来ないようにして欲しいと思う。
 
脈拍、体温、血圧などを確認した上で、女性ホルモン剤の注射をお尻に打たれた。千里は女物の下着を着けていることで何か言われるかなあと思ったが、医師は何も言わなかった。ただ、医師は注射をするついで?に千里のおちんちんを触る。
 
「触った感じでは腫瘍は分からないなあ。まだ小さいのかな」
などと言っている。
 
先月倒れた時に病院で打たれた時は腕に注射されたので、お尻にするというのは意外だった。お医者さんによって違うんだろうか。
 
しかし・・・・前回もそうだったが、注射されてすぐに、何だか凄く気分がよくなる。ちょっと昂揚するような気分。何だか元気が出てくるみたい。私って女性ホルモンと相性がいいのかも、と千里は思った。
 

それで病院代は鞠古君が渡してくれたお金で払い、3人で病院を出た。
 
「私、お邪魔だろうから、どこかに消えようか?」
と千里は言ったが、留実子が
「ここに居て」
というので、恋人達のお話の場に居合わせることになった。さすがの留実子も、今回はかなり不安なのだろう。
 
「昼休みに話した時はボクも突然のことで、何と答えていいか分からなくてさ。でもボクの気持ちは変わらないから」
と留実子は言う。
 
「ボクはトモ自身のことが好きなんだよ。トモのおちんちんが好きなのでもないし、トモにおちんちんがあるから好きな訳でも無い。だからトモにおちんちんが無くなっても、ボクの気持ちは変わらない。ずっと恋人で居て欲しいし、結婚してもいいと思う」
と留実子は言った。
 
「ありがとう。でも多分、俺、るーを満足させてやれないと思う。セックスがまともにできないって、多分夫婦生活を破綻させる。それに俺きっと、金玉無くなって、女性ホルモン打たれていたら、性格も変わってしまうと思う。男らしくない性格になっちゃうだろうし、るーが期待するようなことをしてあげられないよ」
と鞠古君。
 
「ボクは何も期待しない。ただトモが居てくれるだけでいい」
 
「・・・・ほんとにいいの?」
 
「うん」
「るー」
「トモ」
 
ふたりが立ち止まって見つめ合うので、千里はふたりに背中を向けて座り込んだ。
 
ふたりの視線が背中に来た気がする。その後、暖かい波動が感じられる。ああ、キスしたなと思った。千里は心が温まる思いだった。
 

「ところで、今度は2週間後にまた女性ホルモン打たないといけないんでしょ。その時、こないだの子と違うって言われないかな」
 
3人で自分たちの集落の方へのんびりと歩いて帰りながら、千里はふと思った疑問を口にした。
 
「ああ、それは問題だね」
と鞠古君。
 
「うん。それなら、また次も千里が女性ホルモン打ってもらえばいいんだよ」
と留実子。
 
「えーーー!?」
と千里は叫んだが
 
「おお、それで万事解決」
と鞠古君も言う。
「だって俺はそんな注射打たれたくない。村山は打って欲しい。どこにも問題無いよな」
 
「でも病気の進行を抑えるのに打たないといけないのでは?」
「うーん。何か変だなと思ったのは去年の秋くらいなんだよね、実は。もう半年放置してたんだから、このあとチンコ切るまで2ヶ月くらい放置してても構わん気がする。どうせチンコ全部取ってしまうなら、少しくらい腫瘍が大きくなっても大丈夫だろ」
 
「でも転移したりしたら?」
「一応医者は良性だと言ってる。それに転移するなら、もうとっくに転移してると思うんだ」
 
留実子が立ち止まる。その問題は留実子も多分考えないようにしていたのだろうが、鞠古君か明確にその言葉が出てきたことで、真剣に考えてしまったのだろう。
 
「ちょっと、トモ、千里、付き合ってくれない?」
「ん?」
 

留実子が2人を連れて行ったのは、市内のQ神社だ。
 
「ここのね、巫女さんの占いが物凄く当たるんだよ。転移しているかどうか占ってもらおうよ」
と留実子が言う。
 
「占いでいいの?」
と千里がびっくりして言う。
 
「お医者さんにも分からないようなことは占いで見るしかないよ」
と留実子。
 
何だか理屈が通ってるんだか、通ってないんだか、良く分からない話だ。
 
社務所の所に「よろず相談事」などという看板が出ている。
 
「こんにちは、ちょっと占って欲しいことがあるんですけど」
と留実子が声を掛けると、
「ああ、ちょっと待っててください」
と若い神職さんが言い、奥の方に入って行く。
 
ほどなく千里の母と同年代くらいかなという感じの女性が出てくる。
 

「実は、私の彼氏のことなのですが」
と留実子。
 
「彼氏というのは、その学生服を着ている、髪の短い方の子?」
と巫女さんが訊く。
 
「ええ、そうです。髪の長い方は私の友人の女の子です。体育祭で応援団するから、その衣装なんです」
 
「ああ、女の子だよね、やはり。何か雰囲気は女の子なのに学生服なんて着てるから私も迷った。へー、応援団か」
 
「それで彼が、おちんちんに腫瘍が出来ていて、7月に手術するんですけど、転移していたりしないかどうか、この後、転移したりしないかどうか、鑑てもらえないでしょうか?」
 
「それは大変だね。でもそういうのはお医者さんに診てもらった方がいいよ」
「お医者さんにも分からないことのようなんです。もちろん、ちゃんとお医者さんの診断は受けますから」
 
「そういうことだったら、一応鑑てみようかね。本当は病気のことは占ってはいけないんだけどね。盗病死は占い禁止なんだよ」
 
と巫女さんは言いながらも、何やら竹の棒のようなものを取り出して、手の中でじゃらじゃらとやり出した。
 
左右に分けて、左手に残った棒の数を数えているようである。紙に記録する。巫女さんはこの動作を3回行った。
 
「沢天夬(たくてん・かい)の五爻変(ごこうへん)というのが出たよ。転移は大丈夫だと思う」
と巫女さんは言った。
 
「ほんとですか!良かった」
「でもね・・・・」
と巫女さんは悩むような仕草をする。
 
「何か問題があるんですか」
「いや。転移のことじゃないんだけど。何か重大な決断しなければならないことがあるみたい」
 
「それは手術のことでしょうか。実は彼、おちんちんもタマタマも全部取らないといけないらしいんです」
「それは気の毒だね」
と巫女さんは本当に同情するように言った。
 
「でも、あなたは彼氏がおちんちん取ってしまっても平気なの?」
 
その質問は鞠古君の前でわざと言ったように千里は思った。
 
「平気じゃないけど、病気治療のためには仕方無いです。それに男か女かなんておちんちんが有る無しじゃないと思うんです。心の問題だから、彼が心で男である以上、たとえおちんちんが無くなっても私は大丈夫です。彼と結婚したいと思っています」
と留実子は言った。
 
「それはありがたい彼女を持ったね」
と巫女さんは鞠古君の方に向かって言った。
 

ふたりと別れた後、いつものように晩御飯の買物をしてから帰ろうと思い、念のため公衆電話から母に連絡したら
 
「遅いね。今どこ?」
と訊かれる。
 
「ごめーん。ちょっと友だちの深刻な悩みの相談に乗ってたんだよ。今ここは末広町かな?」
「だったら、そのまま駅に行って、旭川まで行ってくれない?」
「え?今から?」
 
「うん。ちょっとお使い頼まれて。今17:30だから、18時の汽車には間に合うよね?」
「うん。余裕。でもこの列車、深川からの連絡が悪かったはず」
「深川から旭川までは特急に乗って」
「えー?もったいない」
「美輪子に払わせるから」
 
「ああ。叔母ちゃんとこなのね」
「そうそう。取り敢えずの汽車賃ある?」
「うん。お買物するのに2000円持ってたから」
「帰りは美輪子に深川まで送らせるよ。留萌線の朝1番の快速に乗れば留萌に6時半に着くから学校には間に合うよ」
「私、着替えは・・・」
「美輪子の下着を借りちゃえばいい。どうせ千里、女物着てるでしょ?」
「私、今学生服着てるんだけど」
 
着替えたかったが、着替える場所が無かったのである。
 
「じゃ明日は女物でいいね」
 
母は自分の性別のことを理解してくれてんだか、便利に思ってんだか分からないよなあ、などとも思いつつ、千里は駅に向かい、旭川までの切符と深川−旭川間の特急券を買って、列車に乗り込んだ。駅で待つ間に宿題を仕上げる。
 
汽車の中ではぼーっと沿線の風景を見ていた。やがて日が落ちるが、急速に暗くなっていく様を見ているのもまた心地よかった。千里は割とぼーっとしているのが好きである。
 

その人物がいつ乗ってきたのか、千里は記憶が曖昧だった。ふと気付くと向いの席に座っている。列車はたくさん空席があるのに、なんでわざわざ自分の所に乗ってきたんだろう?と千里は思った。
 
何となく会釈をしたが、その女性もこちらに会釈をした。年の頃は18歳くらいだろうか。彼女は真っ白い上下の服を着ていた。白いスモックに白いスカート。黒い学生服を着ている自分とはまるで写真のネガとポジだな、とふと思った。
 
「そうね。私とあなた、ちょうど逆の服みたいな感じ」
とその女性は言った。何だか自分が心の中で思ったことが相手に伝わったみたいで不思議な感じだった。でも凄く美しいソプラノボイスだ。ああ、こんな声が出せたらいいなと千里は思う。
 
「世の中は陰陽で出来ているのよ」
と彼女は更に言った。
 
「いんよう?」
「陰と陽。光と影、太陽と月、昼と夜、男と女、火と水、左と右、上と下、N極とS極、プラスとマイナス」
 
「へー」
「光があるからこそ影ができる。でも影が出来て初めて光の存在が認識される。どこにも影が無かったら、光があるのかどうかを確認できないよね?」
 
千里は良く分からなかったが、確かに光と影は対かも知れないという気がした。
 
「でも左右って、反対側を向いたら逆になりません?」
 
「うん。反対のものって実は意外に簡単に逆転する」
「へー!」
 
「陽極まれば陰生ず、陰極まれば陽生ず、というんだよ。昼が極まると日没して夜になるし、夜が極まると日出となって昼になるでしょ?」
 
「ええ」
「そもそも、日本が昼ならブラジルは夜だし、日本が夜ならブラジルは昼だよね」
「確かに!」
 
「N極とS極って、北極を向くのがN極で、南極を向くのがS極だけど、地質学的な研究で過去に地球の磁場は頻繁にNSが反転していることが分かっているんだよね」
 
「そうなんですか!?」
 
「堆積岩が出来る時に、その泥や砂の中に含まれる磁化された鉄は、その時の地球の磁場の向きになって海底に堆積するでしょ?」
「ああ、そうでしょうね」
 
「火成岩も、どろどろの熔岩が固まる時にやはり鉄分は磁石の向きに並ぶ」
「なるほど」
 
「だから岩石の中の鉄の磁化方向をチェックすると、何万年・何億年前に地球の磁場がどちらを向いていたかが分かるんだよ」
「はぁぁ」
「それで調べてみると、結構地球の磁場ってコロコロ反転してる」
 
「面白いですね」
 
「太陽と月の神様とか、ギリシャ神話では太陽がアポロンで男、月がアルテミスで女。だけど日本神話だと、太陽は天照大神(あまてらす・おおみかみ)で女、月は月読神(つくよみのかみ)で男。こういう対応って地域によって違う」
「へー!」
 
「電流はプラス極からマイナス極に向かって流れるけど、実は電子はマイナス極からプラス極へと流れてるよね。物事って意外に考え方を変えるだけでも変わってしまうんだよ」
 
「ふーん・・・」
「バスケットやサッカーの試合で、どちらにボールが転がっていけば有利かは、どちらのチームに所属しているかによって違うよね。物理的な事象としては同じでも立場で全く逆」
「ですね」
 
「男と女だって実は簡単に反転する」
「えーー!?」
 
「お魚の中には、最初はメスで成長するとオスになったり、その逆だったりするものがいるよね」
「ああ、それは聞いたことがあります」
 
「貝の牡蠣(かき)とかは冬の間は性別が無くて夏になるとオスかメスになるけど、毎年どちらになるかは不定。今年オスになって来年メスになるかも知れない」
「あ、そうだったんですか」
 
「人間だって、女に生まれて男になっちゃう人や、男に生まれて女になっちゃう人もいるよね」
 
「・・・・」
 
「それが自然に起きちゃうケースもあるけど、人工的に変えちゃう人も最近は多い」
「はい」
 
「元々男の身体と女の身体も陰陽の対で出来ている。女の身体には奥深くに卵巣があり、男の身体には身体の外側に精巣がある。女には穴の形をしたヴァギナがあり、男には棒の形をしたペニスがある」
 
「ええ」
 
「千里ちゃん、男を女にする手術って、どうやるのか知ってる?」
「いえ」
「興味あるでしょ?」
「はい!」
 
「凄く大雑把な言い方をすると、ペニスの中身を出して、裏返しに身体の中に押し込んでヴァギナにしちゃう」
 
「えーー!? ペニスがヴァギナになるんですか?」
 
と千里は驚いたが、そういえば誰かもそんな話をしてたな、とふと思った。誰から聞いたんだっけ?
 
「そそ。基本的にペニスとヴァギナって同じサイズなんだよ。でないとセックスがうまく行かないでしょ」
「ですよね!」
 
「だからペニスをヴァギナに変えられるのさ。まさに陽を陰に転じる」
「わぁ・・・・」
 
「まあ千里ちゃんも3年後くらいにはそういう手術を受けるんだろうけどね」
 
3年後・・・・・その言葉を頭の中で反芻していた時、千里はふと疑問に感じた。あれ?何でこの人、私の名前を知っているんだろう? 私名乗ったっけ??
 

「最近、男の子に生まれたけど、女の子として生きるのを選択する人って多いよね」
 
「そうですね」
「男の身体に生まれた人が女として暮らすのにいちばん苦労するのは何だと思う?」
 
千里は少し考えた。
 
「声でしょうか」
 
「正解。人が男女を見分けるのに最大の基準にするのは、雰囲気。次に身長。雰囲気については、女の子になろうって子はそもそも女の子の雰囲気を生まれながら持っている子が多い。多くの子が女装していなくても、女の子に間違えられた経験を持っているよね」
 
「ああ、そうですね」
と答えながら、千里は小さい頃からのその手のエピソードをたくさん思い出していた。
 
「身長に関しては正直どうにもならない。だからこれは開き直るしかない」
 
「ええ」
 
「そして第三の見分けポイントが声なんだよ。性別の判断に迷う人でも声を聞いたら、だいたい男女を区別できる」
 
「・・・・」
 
「見た目が男女少し迷うような容貌であったとしても、声が女の声だったら、ああ、この人は女の人かと思ってもらえるよね」
「そうですね」
 
「逆に見た目がどんなに美女でも、声が男の声だったら、なんだこいつオカマかと思われちゃう。だから声は物凄く重要」
 
千里は無言で彼女の次の言葉を待った。そして、あらためて声変わりのことを考えていた。ほんとに来て欲しくない。でもいつか来てしまうのだろう。それは死刑の執行を待つような気分だ。自分が男の声になってしまったら、きっと、女の友人との間に随分壁ができちゃうだろうなというのも思う。
 
「でも実は声は克服できるんだよ」
「え? そうなんですか?」
「そして克服できたら、その効果は物凄く大きい」
「はい」
 
「ヴァイオリンの弦で、例えばG線をそのまま弾けばG3という高さの音が出る。でも弦の半分くらいの所を指で押さえて弾けばオクターブ高いG4という高さの音が出る」
「ええ」
 
「男の子の声帯って声変わりで長くなってしまうけど、長い声帯でも半分だけ使えばオクターブ高い声を出せるんだよ」
「確かに・・・・」
 
「千里ちゃん、ヴァイオリン弾くよね。フラジオレットってのも知ってるでしょ?」
「あ、はい」
「フラジオレット使うと、音の波形を直接コントロールすることで凄く高い音が出せる。人間の声帯もフラジオレットができるんだよ」
「へー」
 
「凄く声域の広い歌手さんとかいるでしょ。あれは高い声はフラジオレットで出している」
「わあ」
 
「でもそういう高い声はあくまで《高い男声》にすぎない。さだまさしとか小田和正とか凄く高い声で歌うけど、女の声には聞こえない」
 
「・・・・・」
 
「そこで出てくるとっても大事な話。フルートとクラリネットってほとんど長さが同じでしょ?」
「あ、そうですね」
 
「フルートもクラリネットもだいたい65cmくらい。でもクラリネットってフルートよりオクターブ低い音が出るでしょ?」
「あ、確かに」
 
「何故だと思う?」
「分かりません」
 
「それは管の中で発生する波の形の違いなんだよ。フルートは息を吹き込む穴が開いているから、波の両端が自由なんだよね。こういう楽器を開管楽器、管が開いた楽器と言う」
「はい」
 
「クラリネットはマウスピースを通して息を吹き込むから、吹き口の側は閉じられていて、管内で発生する波はこの部分が振動しない。こういう楽器を閉管楽器、管が閉じている楽器と言う」
「へー」
 
「これは物理学の問題になるから、高校生くらいでないとうまく説明できないんだけど、閉管楽器は開管楽器より倍の長さの波が発生する。波の長さが倍になると周波数は半分になってオクターブ低い音になるんだよ」
 
「ごめんなさい、分かりません」
 
「まあ高校生くらいになったら思い出すといい。それで結論から言うと同じ長さの管でも開管楽器は閉管楽器の倍の高さの音が出る。実は人間の男女の声帯の長さってそんなに極端には違わない。でも女性は習慣的に声帯の端を解放して話したり歌ったりする。男性は習慣的に声帯の端を閉じて話したり歌ったりする。まあ筋肉とかの付き方の問題で、そうするのが楽だからそうしちゃうんだけどね」
 
「へー」
 
「つまりさ、男の声が低いのは声帯という管を閉じているからなんだよ。だから男でも管を開いて話したり歌ったりすればオクターブ高い声が出る」
 
千里は物凄いショックを受けた。
 
だったら・・・・声変わりが来ても、実は女の子みたいな声が出せる!?
 
「だから最近、男の人なのに女の人みたいな声が出せる人が出て来てる」
 
「あ・・・・米良美一(めら・よしかず)さんの歌とか、それですか?」
 
「ちょっと違うけど、近いと思う。でもそういう声のコントロールをするためには、喉の筋肉を鍛える必要がある。昔のカストラートが高い声を出せたのも去勢したこと自体より、喉を鍛えたからだよ。去勢した後10年以上の訓練を経てやっとカストラートになることができた」
「ひゃー」
 
「去勢は、高い声を出しやすくするひとつの要素に過ぎない。その10年間の訓練の方が、ずっと要素としては大きいのさ」
「じゃ去勢しなくても良かったんですか?」
 
「しなくても行けるけど、訓練は、より大変だろうね」
と言って、彼女は微笑んだ。
 
しかし千里は声変わり問題について一縷の望みが出て来た気分だった。
 

突然列車の窓の外が明るくなった。
 
「深川、深川、終点です。特急ライラック旭川行きにお乗り換えの方は3番乗り場にお越し下さい。19:40。31分の連絡です」
 
という車内アナウンスが流れる。窓の外に《深川》という駅名標が見えた。
 
あ、乗り換えなきゃと思ってふと前を見ると、前の席には誰も座っていなかった。
 

旭川駅前からバスに乗って、美輪子叔母の家の近くのバス停まで行く。そこから歩いて3分ほどで、美輪子の家に到達する。
 
「ごめんねー。こんな時間からお使いを頼んで」
と言って、美輪子は、何かの書類の入った封筒を千里に渡した。
 
「この書類を明日の午前中までに千里のお母ちゃんに書いてもらって提出しないといけないんで、郵送では間に合わなかったんだよ。でも私、昨晩仕事で徹夜してるから、今日は車を運転する自信が無くてさ」
 
「わあ、それはお疲れ様です」
 
「でもなんであんた学生服なんて着てるのよ?」
「それがやむにやまれぬ事情で。着替えさせて下さい」
「うん」
それで千里は学生服を脱いで体操服を着ようとしたが、体操服は汗で濡れている。
「うーん。これを着るのは問題かなあ」
「ああ、じゃ服を貸してあげるよ」
「すみませーん」
 
それで美輪子は可愛いワンピースを貸してくれた。
 
「これ可愛すぎて恥ずかしい」
「若い子はそういうの着ていいんだよ。あんたの母ちゃんのセンス微妙だからなあ」
「あはは」
 
美輪子は派手な服が好きで、千里の母は地味な服が好きという対称的な姉妹だ。でもこの2人は凄く仲が良い。
 
千里の体操服や汗を掻いた下着は洗濯機に入れてすぐ回した。
 
「これ多分朝までには乾くよ」
「ありがとう」
 
「でもお腹空いたでしょう?」
 
美輪子叔母は洋風の煮込み料理を出してきて、千里と一緒に食べた。千里は「美味しい、美味しい」と言い、この料理の作り方を尋ねる。美輪子が説明すると、千里はそれをメモに書いていた。
 
「千里、お料理するの好き?」
「ええ。何だか物を作るということ自体が楽しいんです」
 
「千里、オムレツも上手に作ってたね」
「あれは、まともな形になるまで随分練習したんですよー」
 
そんな千里に美輪子は優しい視線を送っていた。
 
「でもいつもひとりで食べてるから、一緒に食べてくれる人がいると、こういうのも良いなと思う」
などと、美輪子は言っている。
 
「美輪子姉ちゃん、結婚はしないの?」
「うーん。まだまだ先でいいな」
「ふーん」
 
「千里、もし高校出た後、旭川の大学か専門学校に行くなら、うちに下宿していいからね」
 
「そうですね・・・」
 
千里は旭川に自分が住んでいたら、晋治との関係も続いていたかも知れないよな、などと一瞬考えて、今は自分には貴司がいるのに、と考え直した。
 
「でも学生服を着た千里って、すっごく違和感あった」
と美輪子は言う。
 
「そう?」
「千里はやはり可愛い女の子の服を着てないと」
「あははは。あ、そうだ。私、着替えとか持って来てないから、適当な服を貸してもらえませんか?」
 
「うん、いいよ。下着はまだ未使用のがあるから、それをあげるよ。ブラウスもいるよね?」
 
「あ、えっと、本当は学生服の下はワイシャツなんですけどね」
「ブラウス着てたってバレないよ」
「そうですね」
「だいたい、千里がブラウス着てても誰も変に思わない」
「そうかな?」
 
「来月になったら衣替えでしょ。男の子たちはワイシャツ姿になるんだろうけど、千里はブラウス姿になっちゃえばいい」
「えーーー!?」
「こういうのは少しずつ、なし崩しで行くんだよ」
「うーん・・・・」
 
「あるいは女子の夏制服を着ちゃうか」
と美輪子が言ったら、千里は無言で何か考えている。
 
「あ、その気になってるな?」
「あ、えっと・・・」
 

 
6月の上旬、地区のバスケット・フェスティバルが行われた。千里はこれに女子チームの一員として出てよと言われた。
 
「男女に分けない大会なんだよ。1回戦では男子と女子は当たらないけど、2回戦からはどんどん当たるから。男女混合チームもあるし。そもそも今回中学生と高校生も一緒」
 
「でもそれだと中学の女子チームは2回戦でほとんど消えたりして」
「そうとも限らないけどね」
 
「いや、男子は結構女子相手にやるのは苦手に感じると思うよ」
 
「女子が突進して来た時に、身体の接触覚悟でそれを停められるかというと、こういうの男の方が恥ずかしがるんだよね」
「言えてる、言えてる」
「女子は割とそれ平気」
 
「まあ、男女混合だから、チャージングとかの身体の接触のファウルはかなり厳しく取るらしい」
「それもうちには有利ですよ」
 
S中学の女子バスケ部には、千里も含めて、がっちりしたタイプの選手は全然居ない。
 

男女分けない大会というのは、千里のような選手にとっては理想的だ。ところがひとつだけ問題があった。
 
「普通の大会なら最初からユニフォームでいいんだけどさ」
「というか、いつもの年ならこの大会もユニフォームでいいんだけどさ」
「まあ、うちの女子バスケ部はユニフォームなんて無いから体操服だけどさ」
 
「今回、来賓があるんだよねー」
「更に宮様まで来るという」
 
何でも最近アフリカの小国ルメエラの駐日大使に着任したサクラ・ジョサナンという女性が、実は日本生れで(お父さんが日本で仕事をしていた時に生まれたらしい)一時期留萌市内の小学校にも在学していたことがあったということで、その縁で、今回のフェスティバルに来賓として出席するのである(北海道庁を表敬訪問した時にフェスのポスターに目を留め、見たいと言ったらしい)。それでそのサクラさんがルメエラ王族の一員でもあることから、小杉宮則子女王まで同席あそばされるのである。則子女王はサクラさんと偶然にも同い年であった。
 
「まあ、それで開会式は制服を着てくれというんだよねー」
「千里、ワイシャツに学生ズボンで並ぶ?」
 
千里は首を振る。せっかく女子チームの一員として参加できるのに男子制服なんて絶対に着たくない。
 
「じゃ、誰かに頼んでセーラー服の夏服を貸してもらって着るかね?」
「誰か貸してくれそうな友だちとかいる?」
 
などと訊かれたので千里は答えた。
 
「セーラー服、夏冬とも自分のを持ってます」
 
「何〜〜〜!?」
 
 
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【女の子たちの陰陽反転】(1)