【女の子たちの制服事情】(2)

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卒業式翌日の金曜日、千里は中学の通学定期券を買いに出た。実は小学校の通学定期券がその日までの有効期限なので、その期限が残っている間に、買っておきたかったのである。
 
で・・・・・父の船も出ているし(父は金曜日の夕方帰港する)、母もパートに出ているし、というのをいいことに、千里はセーラー服を着てバスに乗った。
 
小学校の最寄りバス停で降りて、その後は留萌駅まで歩いて行き、駅前にあるパス会社の出張所で定期券を買う。母に書いてもらっていた通学定期購入申込書を提出する。身分証明書として健康保険証を提示する。
 
「ああ、中学の新1年生ね」
「はい」
「期間は4月7日月曜日から7月25日金曜日まででいいのね?」
「はい」
 
係の人は書類をチェックしていたが、「ん?」という顔をする。
 
千里の顔を見る。
「君、村山千里さん、本人?」
「はい」
「性別欄、間違ってるよ。修正しておくね」
 
と言うと、係の人は男の方に○を付けてあったのを二重線で消すと、女の方に○を付け直し、それで定期券を発行してくれた。
 
ともかくも、それで千里は12歳という年齢の所に女性を表す赤い○が付いた定期券を使うことになった。
 

小学生の間は赤い○の付いてない定期券を使っていたので、女性を表す定期券を持つことは自分が女性と認められたみたいで嬉しい気がした。千里は買物しておこうといつものスーパーに行こうと、バス会社の出張所を出る。
 
するとそこで、駅から出て来た若い女性と目が合う。
 
「あ」
「あ」
 
とお互い驚いたような声を出してから
 
「こんにちは」
「こんにちは」
 
と挨拶する。
 
「千里ちゃんだよね?」とその女性。
「ご無沙汰しております」と千里。
 
それは、ついこないだ別れた晋治のお姉さん、静子(せいこ)だった。
 
「今時間ある?」
「あ、はい」
 
というので、静子が停めたタクシーに乗って国道沿いにあるモスバーガーまで移動した。
 
「おごってあげるから入ろう」
と言うので
「ありがとうございます」
と言って一緒に入る。
 
ライスバーガーのかきあげと焼肉を頼んで半分に切りシェアする。
 
「今気付いたんですけど、もしかしてライスバーガーは実はおにぎりだということは・・・」
と千里。
「まあ、それは公然の秘密だね」
と静子。
「なるほどー」
 
「千里ちゃんの性別も公然の秘密だなあ」
「あはは」
と千里は取り敢えず笑っておく。
 
「あ、そうだ。遅ればせながら、△△△大学、合格おめでとうございます」
「ありがとう」
 
「でもよく御両親、東京まで出してくれましたね」
「うん。学費は全部自分でバイトしながら払うから入学金と最初の授業料だけ出してくれと言って説得した」
 
「わあ。確かに東京まで出て行くとなると学費・生活費の問題もありますよね」
「そうそう。都会は生活費も高い。そもそも家賃も高い」
「ですよねー」
 
「千里ちゃんも東京に出たいと言ってたね」
「ええ。東大に通るような頭は無いし、東京都内は生活費も高そうだから、関東方面のどこかの国立で考えているんですけどね」
 
などと言いつつ、実は千里は関東方面にどんな国立大学があるかを全然知らない。
 
「そのあたりも結構レベル高い。勉強頑張らなくちゃね」
「はい」
 

「静子さんは文学部でしたっけ?」
「そうそう。私は中国史をやるつもり」
「へー」
 
「中国は古い歴史書が揃っているから、他の地域と比べると格段に昔のことがよく分かる。日本書紀を持ってる日本なども世界的に見ると随分資料に恵まれた地域なんだけど、日本書紀が主として4世紀頃以降の歴史を書いているのに対して中国の歴史書だとBC11世紀頃からの記述がかなり明確だからね」
 
「中国の歴史書というと三国志とか魏志倭人伝とかみたいな?」
「まあ、魏志倭人伝も三国志の一部だね」
「ああ、そうだったんですか!」
 
「三国志の中の魏書の中に、当時の倭のことが書かれていて、そこに卑弥呼が出てくるんだよね」
「ああ」
 
「三国志はAD2-3世紀の中国の様子が書かれている。それより古い歴史書として史記、漢書・後漢書などもあるし、春秋みたいなのもある」
「史記って聞いたことがあるような」
 
「書いたのは漢の武帝に使えた司馬遷という人だけど、宦官だったのよね」
「宦官って、おちんちん取っちゃった男の人ですか」
 
「そそ。司馬遷は最初ふつうの役人だったんだけど、李陵という軍人が奮戦虚しく敵に捕らえられたのに怒った武帝に対して、ひとり彼を弁護した。すると絶対君主だからね。その機嫌をそこねた訳だから大変。ギロリと司馬遷を睨んで『李陵を死刑にする前に司馬遷を死刑にしろ』なんて言うわけ。すると周りの大臣たちが『いや、それはさすがに可哀想』と言って擁護してあげて、それで武帝も『だったら罪一等を減じて宮刑にしろ』ということになったわけよ」
 
「宮刑というのが、おちんちんを切る刑ですか」
「そそ。おちんちんもタマタマも両方切断する。まあ昔のことだから、これを切っちゃった場合、生存率はたぶん2〜3割」
「わあ」
 
「当時は宮刑というのは死刑に次ぐ重い刑罰だからね」
「刑罰か・・・」
「千里ちゃんなら、むしろ御褒美に切って欲しいかな」
「そうかも!」
 
千里は晋治に自分の性別のことを言ってないので、静子も千里を男の子だと思っている(晋治の母は千里を女の子と思っている!)。
 
「でも宮刑とか去勢とかの話をすると、たいていの男の子は嫌そうな顔をするね。晋治もすごく嫌そうな顔してた」
「まあ、普通の男の子にとっては、きっとあれ凄く大事なものなんでしょうね」
 
「うん。そのあたりは女には分からない所だね。農学部とかで家畜の去勢の実習とかする時、女子学生は平気だけど、男子学生はみな尻込みするなんて言ってた」
「ああ・・」
 
「でも、宦官って、日本には無かったんですよね」
「そそ。それは歴史上の不思議のひとつみたいだけど、日本はあまり牧畜とかの文化が発達しなかったからだろうね。やはり家畜の去勢という習慣があって初めて人間の去勢というのも考えられたんだと思う。日本はあくまで植物の作物を育てる農業国」
 
「なるほどー」
「司馬遷の頃は刑罰として宮刑を受けた人が宦官になった訳だけど、その後宦官は貧乏な人にとっては、ほぼ唯一の出世の道として、自分の意志で去勢して宦官になる人たちが出てくるからね」
 
「なんか凄い選択ですね」
「中には代々宦官になる家なんてのもあった」
「え? だって、おちんちん切っちゃったら子供作れないのでは?」
「だから、子供を作ってから切る」
「ぎゃー」
「そういう家に生まれた男の子は、最初から切られること確定」
「ちょっと可哀想な気もする」
 

「ところで千里ちゃん、中学はその制服で通うの?」
「通いたいです。でも駄目でしょうね。学生服は一応用意しました。これは父の友人のお姉さんが着てたのをもらったんですよ」
「へー」
 
「私が中学に入るというので、だったら学生服の小さくなったの、あげるよという話だったはずなのですが、頂いたのはこの制服で。あそこの家、女の子と男の子がいるから、お姉さんが着ていた方の服をゆずってくださったみたいです」
「なるほどねー」
 
「多分あそこのお母さんが、私を女の子と思っていたんでしょうね」
「ああ、そういう人は多分たくさんいる」
「やはり・・・」
 
「私だって、千里ちゃんのこと、晋治から聞いてなかったら女の子としか思わなかったと思う」
「そっかー」
 
「でもせっかくもらったんだから、それで通うとか」
「父がショック死するかも」
「あはは」
 
「髪も入学式までには短く切らないといけないんですよ。だから、この服を着て出歩けるのも、この春休みが最後」
 
「晋治と別れたのも、それが理由?」
「晋治さんの前では女の子の私で居たかったんです。髪も切って学生服を着て学校に通っていたら、もう私、女の子ではいられないから。それにそろそろ声変わりとかも来ちゃうだろうし」
 
「そんなことないと思うな」
「そうですか?」
 
「髪を切ったって、男の子の声になってしまったって、千里ちゃんは千里ちゃんでしょ? 自分が女の子だと思ったら女の子で居ればいいんだよ」
 
「でも女の子には見えなくなっちゃう」
「他人がどう見てようと構わないじゃん。自分の心に従うべきだよ」
 
「そうですね・・・・」
と言って千里は窓の外を眺めた。
 

「まあ、晋治は旭川でも彼女作って、ここしばらく二股してたからね。どちらかとは別れないといけなかったんだろけど」
 
「二股には気付いてたけど、頑張ろうかなと思った時期もあるのですが、やはり晋治さんの思い出の中では完璧な女の子のままの私で居たい気もして。だから私の方から関係の解消を言ったんです」
 
「晋治。その旭川の彼女とも別れたよ」
「え!?」
 
「晋治としては、多分千里ちゃんの方が本命だったんだろうね」
「ごめんなさい。私・・・晋治さんの気持ちに応えられない」
 
「うん。いいんだよ。晋治も新しい彼女探すと言ってた」
「そうですか・・・。彼人気だから、すぐ彼女できそう」
 
「そうだね。バレンタインも物凄い数もらってたみたいだし」
「ですよねー」
 
「でももらったのはほとんど部活の友人たちに配って、自分で食べたのは千里ちゃんからもらったものだけ」
 
「なんか心が痛むんですけど」
「まあ、恋の終わりはどちらにとっても傷心だよ」
「はい」
 
「だから千里ちゃんも晋治に遠慮せずに新しい恋を探しなよ」
「・・・・・」
 

「そうそう。私も中学時代の制服まだ持ってるから、なんだったら千里ちゃんにあげようかなと思ってたんだけど、他で調達しちゃったのが、さすがだと思った」
 
「ちょっと誤解の産物ですけどね。あ、もし頂けるんでしたら、2年後に妹が中学に進学するので、その時頂けますか?」
 
「いいよ。じゃ、どっちみち、東京に出るのに荷物整理するから、その時、千里ちゃんにあげるよ。それを2年後まで取っておけばいい」
 
「あ、それでもいいです。じゃ頂きます」
「うん。4月上旬までには持っていくね。学生服も晋治が学生服だったら、小さくなったのあげられたんだろうけどね」
 
「晋治さんの学校は中学もブレザーですからね」
 
静子は留萌の中学を出た後、旭川の私立高校に進学した。晋治は中学から旭川の私立中学(姉とは別の系列)に進学している。
 
「それに晋治さんの服は多分私、合いません。一度デートしてて雨で濡れちゃった時にズボン借りたら、ウェストが大きすぎて、洗濯バサミで留めてました」
「なるほどー」
 
「私、ウェスト55、ヒップ85だから」
「・・・・千里ちゃん、完璧に女の子体形!」
「です。だから買った学生服も実はレディースなんです」
 
「レディスの学生服なんて、あるんだ!?」
「私もびっくりしました」
 
「まあ、確かに世の中には男性用のブラとかもあるし」
「・・・・男の人でもおっぱいが大きい人いるんですか?」
「違うと思うよ。ただ着けたいから着けるだけだと思う」
 
「へー!それ女装とは違うんですか?」
「女装する人は、男性用ブラは着けたくないと思う。多分女性用のブラを着けないと満足できない」
「あ、それはそういう気がします」
 
「まあ、人の好みはそれぞれだし。性別なんて気にせず、着たい服を着ればいいと思うんだよね」
「そうですね」
 
「だから、千里ちゃん、髪を短く切っちゃっても、セーラー服堂々と着ればいいんだよ」
 
「・・・ほんとに、そうしたくなってきました」
「うん、頑張れ」
 
と静子は明るい顔で千里を励ました。
 

静子と別れてからスーパーに寄る。今静子と話したことを頭の中で反芻しながら千里は野菜売場を眺めていた。
 
10mほどの野菜売場を15分くらい掛けて見て結局何も買物カゴに入れないまま、お肉のコーナーまで来た。
 
あ、牛肉が安いな。今夜はお父ちゃん帰ってくるし、スキヤキでもしようかななどと思い、オーストラリア産牛肉グラム128円のを800g分ほど買う。自分と母・妹の3人なら200gもあれば充分だが、父はたくさん食べる。
 
そういえば晋治とデートした時も晋治はいつもよく食べてたよなあ、などと思う。男の人ってどうしてそんなにたくさん食べられるんだろう。身体の作りが違うのかな?などと考えていた時、お肉売り場の角で他の人とぶつかりそうになる。
 
「あ、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
 
と言い合うが、千里の顔を見た相手は
 
「あら、村山さんだよね?」
と言った。
 
「あ、神崎さんのおばさん、こんにちは」
と千里は挨拶した。
 
「そうだ。このセーラー服、頂いてしまって、ありがとうございました」
 
今千里が着ているセーラー服は神崎さんの娘さんが以前着ていたものを捨てずにとってあったのを譲ってもらったのである。
 
「ああ、やはり娘さんだったよね」
「あ、はい。私は一応女の子かな」
 
「いや、うちの父ちゃんが、村山さんとこの息子さんが中学に入るから学生服の古いのあったら譲ってやって、なんて言うからさ。いや村山さんとこは確かふたりとも娘さんだったはず、と思って」
 
「あ、すみませーん」
 
「間違ってなくて良かった。こんな可愛い子に学生服着せたら変だわ」
「そうですね!」
 
などと言いながら千里は冷や汗を掻いていた。
 
「私が男の子だったら、父から漁師の跡を継げとか言われてるかも」
 
「ああ、うちの父ちゃんも息子に漁師の跡を継げって言ってるけど、息子が高校出る頃まで、そもそも父ちゃんが漁師続けてられるか疑問だわ」
 
「何か問題があるんですか?」
 
「漁獲量が毎年減ってきてるんだよねー。最近の漁獲量は10年前の5分の1以下だもん。それでも漁に出るのに掛かる燃料費、船や網の修繕費とかは同じだけ掛かる。その船自体もけっこう古くなってきていて、本当は新しいのを作りたいみたいだけど、とてもその余裕は無いみたいね」
 
千里は難しいもんだなと思った。自然に泳いでいる魚を捕まえる方式でやる以上、魚の生息領域の移動などには対処できない面もある。留萌は古くはニシンで栄えた町だが、ニシン漁は昭和20年代で終了。その後はほとんど獲れなくなった。ニシンの居る場所が移動してしまったためと言われている。魚の居る所まで追いかけていきたい所だが、すぐ北にロシアとの経済水域境界線がある。
 

千里は神崎さんにあらためてお礼を言って別れ、買物しながら考えていた。
 
母がパートに出るようになったのも3年前からだ。妹が小学2年生にもなって手が離れたからとは言っていたけど、やはり父の漁業の方の収入が減っているのも大きいんだろうなと考える。
 
以前母は自分の「男物の服」も時々買ってきていたが、あの頃以降、買って来なくなった。私が男物なんて着ないから、無駄になるものまで買わないというのもあったかも知れないなと思う。母・自分・妹の3人、女ばかりというのは結構一部の洋服が共用できて便利な面もある。もしかしたら家庭の経済事情で自分の女性志向は容認されてたりして!?
 

千里の父は夕方帰港してきた。今週は水揚げが多かったといって少しご機嫌だった。スキヤキも凄くよく食べるので千里はお肉には手を付けず、シラタキとかエノキとかを食べていた。母も同様に豆腐とかネギとか食べている感じだ。妹は遠慮せずに頑張ってお肉を食べている。大きな鍋いっぱいのスキヤキがあっという間に無くなる。
 
母が卒業式の写真を見せていたが、
 
「なんだお前、そんな女みたいな髪で卒業式に出たのか?」
と父は不満そうだった。
 
「どうせ中学の入学式では短髪にしないといけないんだから、俺がバリカンで刈ってやろうか?」
と言うが千里は
 
「入学式の日の午前中に床屋さんに行くよ」
と言っておいた。
 
でも実際問題として千里は床屋さんなんて行ったことがない。いつも髪を切るのは美容室に行くか、あるいは母が少し切ってくれるかであった。そういう実態を父は知らない。
 

夕食が終わった後でテレビを点けていたらバラエティ番組に性転換タレントさんが出ていた。
 
「この子、可愛いな」
と父が言う。
 
「可愛いよね。元男だったとは思えないでしょ?」
と母が言ったら
 
「え〜〜!? 元男!? 気持ち悪い。こういう奴らは本物の女と間違えないように全員ぶっ殺すか無人島に隔離した方がいい」
などと言い出す。
 
きゃー、私も殺されたりして、などと千里は内心冷や汗であった。玲羅が笑いをこらえて苦しそうにしていた。母は困ったような顔をしている。
 
「お父ちゃん、性転換タレントさんがうちに来たりしたらどうする?」
などと玲羅が父に訊く。また余計なことを。。。
 
「そんな時は、そこの床の間の日本刀で一刀両断にしてやる」
などと父。
 
怖〜。あの刀、刃は落としてあるよね? でないと違法のはずだよね!?
 

3月23日の日曜日。千里が玄関の前で雪かきをしていたら、赤い軽自動車が停まる。何だろうと思って見ていたら、助手席から、静子さんが降りてきた。
 
千里はギャッと思った。彼女に男装(?)の自分はあまり見られたくない。でも今更逃げようも無い。
 
「千里ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、静子さん。先日はありがとうございました」
 
取り敢えず開き直って笑顔で応対する。
 
「これ、こないだ言ってた、私の中学の時の制服」
「わあ、ありがとうございます」
 
「それとついでに」
と言って、静子は悪戯っぽい目で
 
「こちらはこないだまで私が着ていた、高校の制服」
「え?」
「千里ちゃん、高校は旭川に出てくるんでしょ? でも晋治の所は中学は共学だけど高校は男子のみ。千里ちゃん、男子校には行きたくないよね?」
 
ぶるぶるっと千里は首を振る。
 
「旭川で私立の進学校というと、晋治の所のT高校、私が行ったN高校、それにE女子高。千里ちゃんはT高校には行きたくない。E女子高は入れてくれない。となると、N高校を目指すしかない」
 
「あ・・・・」
 
実は千里は旭川の私立高校に行きたいと言いつつ、どこに入るかについてはまだ何も考えていなかったのである。確かにそう言われると自分の行き先は静子と同じN高校しかないことになる。
 
「だから、その時に着られるように、私の制服あげるよ」
 
「頂きます」
と言って、千里は制服の入った袋を2つとも受け取った。
 
「中学生の内に性転換しちゃいなよ。そしたら堂々とこの制服を着て通学できる」
 
「したいです!」
 
「でも性転換してなくても、この制服着ちゃいなよ」
「着ちゃう気がする・・・・」
 
千里が立ち話をしていたら、何だろう?という感じで母が出てくる。
 
それで友人のお姉さんが、東京の大学に行くのに荷物を整理していたので中学時代の制服を《玲羅が2年後に着られるように》と頂いたということを説明する。
 
「わあ、それはありがとうございます。あ、ちょっと待ってください」
 
と言って母は家の中に入っていき、フリージング・パックを持って出て来た。
 
「これ、うちの父ちゃんの船で獲れたもので、市場には出せない小さなものですけど良かったら」
 
「わあ、ありがとうございます」
と言って、静子はそのパックを受け取った。
 
「じゃ、千里ちゃん、またね」
と言って静子は車に戻って去って行った。千里と母は運転席に座る静子の母にもお辞儀をした。
 

家の中に入ると父が「どうした?」と訊くので、玲羅にと中学の制服を知人からもらったことを話す。
 
「ああ、それは良かったな」
 
「静子さん、中学出たのは3年前だけど、きれいにしてるよ」
と言って千里は制服を取り出してみせる。
 
「玲羅、着てみるか?」
と父は言うが
「私にはまだ大きいよ。2年後に着るね。今なら、お兄ちゃんにちょうどいいかも。お兄ちゃん、代わりに着てみる?」
などと玲羅。
 
「馬鹿、男がセーラー服を着てどうする?」
と父。
 
「でも千里が着てみたらどんな感じになるか、試してみたら?」
などと母が言う。
 
「じゃ、着てみよっと」
などと千里は言って、奥の部屋に行き、襖を閉め、頂いた制服を《2つとも》押し入れにしまい(後で乾燥剤と防虫剤を入れた)、代わりに先日神崎さんから頂いた制服を取り出してきて身につける。
 
「着てみたよ」
と言って千里はセーラー服姿を父に見せた。
 
「まるで女みたいだ」
と父。
「まあ、ふつうに女子中学生に見えるよね」
と母。
 
「やはり早く髪を切った方がいい」
と父。
「髪を切らずに、おちんちん切って女の子になったら、その服で通学できるかもね」
などと玲羅。
「そんな気持ち悪い奴は俺が日本刀で叩き斬ってやる」
と父は汚物でも見るような目で言う。
 
やはり斬られるのか。
 
でも母は千里がセーラー服姿をちゃんと父に見せたことを喜んでくれているような雰囲気で
 
「せっかくだから記念写真、記念写真」
 
と言って、父と並んでいるところをカメラに納めていた。父は不愉快そうだった。(母と並んでいる所は先日玲羅に撮ってもらっている)
 

3月31日(月)。母の勤め先が電気系統の故障とかで臨時休業だったので、千里と玲羅は母の車に乗せてもらって旭川まで出た。玲羅が『リロ・アンド・スティッチ』の映画を見たいと言ったので、それに付き合うことにしたのである。もっとも母は「あんたたちだけで見といで」と言って、千里と玲羅の分だけチケットを買って中に入れ、母はその間買物をしているということだった。
 
チケットの座席番号を探し、席を見つけて座る。
 
「あ、トイレ行っとこう」と言って玲羅がトイレに行ったので、戻って来てから「ボクもトイレ行ってくるね」と言って千里はトイレに行った。
 
家族や友人と一緒に行動している時にトイレに行くタイミングは、連れが行った《後で》行くというのが大事である。そうすると女子トイレの中で遭遇して、「あれ?」とか言われずに済むのである!
 
この映画は全てのスティッチシリーズの発端となった作品である。この映画がヒットしたことから、続編、そしてテレビシリーズまで制作されることになる。
 
玲羅がスティッチを見て「可愛い!」と言っていたが、千里はどこが可愛いのか良く分からないなあ、と思いながら見ていた。
 
「でもオハナというのは良いことばだね」と千里。
「うん。何だか感動した」と玲羅。
 
自分は将来自分のオハナ(家族)を持つことができるのだろうか。千里は映画を見てから自問していた。晋治との2年間の交際(とは言ってもデートは2年間に10回もしておらずほとんど手紙と電話での付き合いだったが)で、恋愛に関しては少しだけ自信を持つことのできた千里だったが、恋人にしてくれる人がいても結婚まで考えてくれる人なんているのだろうか。考えると、とめどもない不安に包まれてしまうし、私赤ちゃん産めるかなあ、などというのも不安だった。
 

映画を見た後、母との待ち合わせ場所にしている食事コーナーに行く。
 
するとバッタリ、親友の留実子と、そのボーイフレンドの鞠古君に遭遇した。デートかな?とも思ったが、そばに高校生かなという感じの制服を着た女性も居る。また留実子は男装している、というか学生服を着ている! (鞠古君も学生服だ)
 
留実子が手を振るので寄っていく。
 
「こんにちは〜」
と挨拶する。
 
「あ、村山、これ俺の姉貴」
と、鞠古君が年上の女性を紹介した。
 
「初めまして。鞠古君と同じ学年の村山千里です」
「その妹の玲羅です」
と挨拶する。
 
「こんにちは〜。知佐(ともすけ)の姉の花江です」
 
「いや、花和(留実子)と一緒に映画見てたら、バッタリと姉貴に遭遇したんだよ」
などと鞠古君は言っている。
 
「あ、私たちも映画見た。鞠古君たちは何見たの?」
「007ダイ・アナザー・デイ」
「へー。私たちはリロ・アンド・スティッチ」
 
「でも村山、可愛い服着てるな」
と鞠古君。
「花和君、学生服が凜々しい」
と千里。
 
「うん。兄貴から譲ってもらった」
と留実子。留実子のお兄さんは高校生であるが、小さくなったのをもらったのだろうか。しかしよくサイズが合ったなと千里は思った。
 
留実子は凄く男っぽいイントネーションで話している。こんな留実子を、千里は初めて見た。学生服着てるし、完璧に男の子に見える。
 
「お姉さんは、それE女子高の制服でしたっけ?」
「そうそう。4月から高校3年生」
「わあ。でもこの服、可愛いですね〜」
 
「千里ちゃんもE女子高に来る?」とお姉さん。
「そうだなあ」と千里
 
「E女子高は女子高だけど凄い進学校だから」と鞠古君。
「男子校のT高校と難関大学の進学率で競ってますね」と留実子。
 
「私は漠然とN高校を考えていたんですけどね」
と千里は言う。
「共学は恋愛の誘惑があるよ」
「まあ、そこは何とか我慢して」
 
「俺はE女子高には入れてもらえんだろうからなあ」と鞠古君。
「そうだね。おちんちん切ったら入れてくれるかもよ。切っちゃったら?」
とお姉さん。
 
「チンコ切るのか・・・・」
と言って鞠古君はチラっと千里に目をやった後、少し考えている風。
千里にはその鞠古君の表情が読めなかった。
 
「お姉さんは志望校はどちらですか?」
「私は千葉大学の理学部を狙っている」
「千葉大学? そんな大学があるんだ?」
と千里が言うと
 
「国立だよ。全国どこの都道府県にも国立大学はある」
と留実子が言う。留実子は少しは受験の情報を集めているようだ。
 
「へー。でも理学部って、北大には無いんですか?」
「あるけど、私の頭じゃ北大には通らない」
「ううん。それは難儀な」
「ついでに親元から離れて羽を伸ばそうと」
「ああ、それはいいですね」
 
「でも千葉大学って割と難関ですよね?」
と留実子が言う。
 
「まあ、旧六の一角だから」
とお姉さん。
 
「旧六?」
「旧帝の次に難しい所。旧帝は北大・東北大・東大・京大・名大・阪大・九大。旧六は千葉大・新潟大・金沢大・岡山大・長崎大・熊本大」
「へー」
 
「但し本当は旧六と呼ばれるのはその6つの大学の医学部・薬学部だけで、理学部は関係無いんだけどね」
「あらら」
「まあ私は医学部・薬学部に通る頭も無い」
「うむむ」
 

鞠古君たちがハンバーガーを食べていたので、千里は自分たちの分もやはりハンバーガーを注文してきて、しばらく話していた。
 
その内、留実子が
「ちょっとトイレ」
と言って席を立つ。すると千里も
「あ、私もトイレ」
と言って一緒に席を立った。
 
一緒にトイレの所へ行く。通路を入り込み、その奥が男女に分かれている。右に女子トイレ、左に男子トイレがある。千里と留実子はチラっとお互いを見た。
 
「どっちに入るんだっけ?」
とお互いに訊く。
 
「ボクはこちらかな」と左の男子トイレを指す留実子。
「私はこちらかな」と右の女子トイレを指す千里。
 
「じゃ、また後で」と言って別れる。
 
そして千里がトイレを済ませて出て来た所で、ちょうど留実子も男子トイレから出て来た。一瞬顔を見合わせる。そこにやはりトイレに来た様子の鞠古君。
 
ふたりのポジションを見て「ん?」と悩んでいる。
 
「お前らどっちに入ったの?」
と訊くので各々、自分が出て来た方を指す。
 
「俺、どっちに入れば良いんだっけ?」
「トモがもし男の子なら、ボクが入った方だね」
と留実子は言った。
 
「お前らを見てると悩んでしまう」
と言いながら、鞠古君は2〜3回、トイレの男女表示を見て、女子トイレに入ろうとして・・・・留実子に身体を確保される。
 
「こらこら、間違うな」
「いや、今本気で間違った!」
 
結局、留実子が鞠古君を男子トイレの中に押し込んだ。
 

5人がおしゃべりしている内に千里たちの母もやってきた。お互いに挨拶した上で母も適当なものを注文してくる。
 
「そうだ。こういうアプリがあるんですよ」
 
と言って、鞠古君のお姉さんがバッグの中からノートパソコンを取り出す。
 
「髪型シミュレーションソフトなんだよ」
とお姉さん。
 
「へー」
「都会の美容院とかにあるようなのですか?」
と千里。
 
「そうそう。あんなの。みんなの写真を撮っちゃえ」
と言って、お姉さんは携帯で、鞠古君、留実子、千里、玲羅に千里たちの母の写真まで撮り、そのデータをノートパソコンに放り込む。
 
「取り敢えず、知佐(ともすけ)を犠牲(いけにえ)にしてみる」
と言って、鞠古君の写真を開く。
 
「知佐がもしロングヘアになると、こうなる」
と言って、胸くらいまであるようなストレートのロングヘアにしてみる。
 
「すっごい違和感」
と留実子が言う。
 
「知佐、もし気が向いて性転換して女の子になったら、こういう髪型もいいかもよ」
「うーん・・・、性転換か・・・」
と言って、鞠古君は悩んでいる。
 
「俺、苗字が鞠古(まりこ)だからさ、小学校低学年の頃、「《こ》が付いてるからお前女だろ?とか良く言われてたよ」
 
「何かのカードの申込書にローマ字で (姓)Mariko (名)Tomosuke と書いて出したら、姓名逆に記載された会員証が送られてきたことあったよね」
とお姉さん。
 
「うん。立川ピアノちゃんのファンクラブ会員証。性別も女にされてた」
「ほほぉ」
「女性アイドルのファンって圧倒的に男ばかりだからさ、女子優待枠でチケットの予約申し込みができます、て葉書が来たんだよね」
「おおぉ!」
 
「申し込もうかと思ったけど、万一当選したら女装して見に行かないといけないから、やめといた」
と鞠古君は言うが
 
「女装して行けば良かったのに」
などと留実子が言う。
 
「いや、この画像見ても分かるだろ? 俺に女装は無理だよ。花和なら女装もできるかもな」
「ああ、女装くらいするよ」
と留実子。
 
「よし、それでは花和君を女の髪型にしてみよう」
と言ってお姉さんは留実子の写真を呼び出して、ゆるふわロングのヘアを設定した。
 
「女の子に見えるね」
とお姉さん。
 
「うーん。ボクはこんなに長い髪にしたことないな」
と本人。
 
「まあ、男子はそんなに長くすることないかもね」
と鞠古君。
 
「千里ちゃんもやってみよう」
と言って千里の写真を呼び出す。
 
「これを坊主頭にしてみる」
と言ってお姉さんはソフトを操作する。
 
「凄い違和感ある!」
と鞠古君と留実子。
 
「千里ちゃんは男装無理だね」
 
千里の母も何だか頷いていた。
 

「だけど性別なんて、結構分かりませんよね」
と千里の母が言う。
 
「うんうん。見た目通りの性別かどうかも怪しい人は結構いるよね」
とお姉さん。
「もしかしたら私が男かも知れないし」。
 
「男は女子高に入れてくれないのでは?」
と玲羅。
 
「いや。『少女少年』に出てくるレベルの子なら分からん」
と鞠古君。
 
「知佐は実は女かも知れないし」
とお姉さん。
「そういえばトモのチンコ見たことないな」
と留実子が大胆発言。それに対して鞠古君が
 
「じゃ今度見せてやるよ」
と言ったら、お姉さんから蹴ったくられている!
 
思わず手で押さえている鞠古君を留実子が笑っていた。
 
「花和君ももしかしたら女かも知れないし」
とお姉さん。
 
「ああ。一度自分の戸籍の性別、確認してみようかなあ」
などと本人。
 
「千里ちゃんも男かも知れないし」
とお姉さん。
 
「あ、その疑惑は昔からあった」
と鞠古君。
 
「玲羅ちゃんも男かも知れないし」
とお姉さん。
 
「あ、私男になりたいと思ってたー」
と本人。
 
「まあでも最終的には自分の性別は自分で選べばいいんですよ」
とお姉さんが言う。
 
その言葉に、千里も留実子も、そして鞠古君も各々何か考えている風であった。
 

鞠古君と留実子はJRで出て来ていたのだが、まだ帰りの切符は買っていないということだったので、何ならうちの車に乗らない?と千里の母が誘い、5人で留萌に戻った(鞠古君のお姉さんは旭川市内の親戚の家に下宿しているので、そちらに戻った)。
 
玲羅を助手席に乗せ、後部座席に、鞠古君・留実子・千里の順に座る。(留実子が《平和的な並び》と言った)
 
「しかしチンコ切るのってどんな気分なのかなあ」
と唐突に帰りの車内で鞠古君が発言する。
 
「るーは、どう思う?」
「まあボクは別にチンコ切っても構わないよ。無ければ無いで何とかなると思う」
と留実子。
 
「るーに訊いたのが間違いだったかな。村山はどうよ?」
「おちんちんが付いてたら邪魔だろうから、即切って欲しいかな」
と千里。
「村山に訊いたのも間違いだった気がする」
 
「いや、トモ、チンコ切りたくなった訳?」
と留実子。
 
「切りたくはないけどさ・・・・」
 
と言ったまま、鞠古君は考え込んでしまった。留実子と千里は顔を見合わせて首をひねった。
 
「るみちゃん、もしどこかで着替えるなら適当な場所で休憩するよ」
と千里の母が言うので、留実子は途中寄ったコンビニでセーターにジーンズという格好に着替えた。
 
でも千里はスカートのまま帰宅することになる。父には自分のスカート姿を見慣れさせることが大事だ。
 

留萌に辿り着く頃になって留実子が言った。
「千里、あのさ。ボクの兄貴が着ていた学生服で、ボクにも小さくで入らなかったのもあるんだけど、よかったら千里にあげようか? ウェストが57なんだよね」
「お兄さん、そんな細いの着てたの!?」
 
「そんなの売ってないから自分でウェストを詰めてたみたい。兄貴、裁縫が得意なんだよ」
「へー!」
 
「中1〜2の頃着ていたやつらしい。今日ボクが着ていたのは中3から高1の頃着ていたもの」
と留実子。
 
「お兄さん、今高3くらいでした?」
と運転席の母が訊く。
 
「ええ。そうです」
「じゃ来年は受験で大変ですね」
「ああ、兄貴は大学には行かずに、美容師になるらしいですよ。札幌の美容専門学校に行くらしい」
 
「わ、男の美容師というのも、いいですねー」
と母は言ったが、留実子はなぜか忍び笑いをした。
 
「千里の学生服、こないだ見せてもらったけど、かなり生地が薄い。あれ多分半年も着ないうちに破れるよ」
と留実子。
 
「あ、じゃもらっちゃおうかな」
「うん。今度持ってくるね」
「ありがとう」
 
確かにあれは生地が薄いよな、と千里も思っていたのであった。
 

4月6日(日)。明日はとうとう中学の入学式である。
 
入学式は午後からである。むろんセーラー服で出て行くつもりだが、色々不安はあった(排卵日だったのもあると思う)。
 
いろいろなことを考えていたら急になぜか心が不安定になった。晋治を失ったこともボディブローのように効いてきている。何も素直に身を引かなくたって良かったんじゃないかという気もしてくる。特に晋治のお姉さんから自分の方が本命だったことを聞いてしまったことで悔いが増大する。それにあの時、もしセックスしちゃってたら、晋治との仲はいっそう強固になっていたかも知れなかったなどという気までしてくる。私、もっと積極的に彼を誘惑すればよかったのに。
 
晋治とのことは終わったこと、と自分を納得させようとするが、何なんだろう?この割り切れ無さは!?
 
千里は時計を見た。
 
もう12時じゃん! 寝なきゃ。
 
部屋の明かりは落ちていて、妹は部屋の奥の方で寝ている。両親たちの部屋も明かりは落ちている。両親ともたぶん寝ている。特に父は月曜日早朝から船を出すから、今熟睡しているはずだ。
 
私もトイレ行って寝よう。そう思って千里は机の蛍光灯を消すと暗闇に紛れて下着を交換し(当然女の子下着を着る)、パジャマを着てトイレに行こうとした。そして両親が寝ている部屋を通り抜けて、トイレの方に行こうとして・・・・
 
倒れてしまった。
 
千里はその後の記憶が少し飛んでいる。
 
ただ母が寄ってきて「千里!千里!」と呼ぶ声が聞こえたような気がする。
 

ふと気付いたら、見慣れない場所で寝ていた。
 
母の顔が見える。
 
「お母さん!?」
「あ、千里、気がついた?」
「私・・・倒れたの?」
 
どうもここは病院のようだと認識し、そう母に訊いた。
 
「びっくりして私が車で運んで来たんだよ。お父ちゃんは船の出る時刻があるから、それまで寝てないといけないから」
 
機関長が寝不足で船に乗ったりしたら、重大事故につながりかねない。父の場合、睡眠も仕事の内である。
 
「ありがとう。ここ、$$病院?」
「ううん。&&病院。ここの病院は掛かったこと無いけど、掛かり付けの@@病院に訊いたら、ここが夜間の当番医ということだったから」
「へー」
 
「熱がさっき計った時39度6分あった。先生は風邪じゃないかって。インフルエンザの菌は出てないらしいから」
 
インフルエンザは菌じゃなくてウィルスだけどな、と千里は思ったが細かいことは気にしないことにした。
 
「とにかく寝てなさい。今日の入学式は欠席かなあ」
「うん。入学式に出なかったら入れてもらえない訳じゃないし」
「そうそう」
 

ところが千里の熱は翌日も、その翌日も下がらなかった。
 
先生も首をひねる。それで血液検査をしてみることになった。
 
「君、小学6年生だっけ?」
「いえ、中学の新1年生です」
 
「ちょっと血液の数値を見ていたんだけど、特に異常は無いんだけどね。鉄分とか、この世代の一般的な女子の数値よりかなり高いし」
 
あれれ・・・女子〜!?
 
「少し気になったのが、エストロゲンとプロゲステロンの数値でね。これが異様に低いんだけど、君、生理はもう来てるよね?」
と医師は訊く。
 
まあ、低いだろうね。だって卵巣が無いんだから。(この付近から千里は記憶が混乱している。そして記憶が回復するのに数ヶ月を要する)
 
「生理、来てはいますけど、凄く不安定です」
などと千里は言っちゃう。
 
「だろうね。君、まだバストも膨らんでないし。ちょっとエストロゲンの注射、打ってみようか」
「あ、はい。お願いします。あ、でもエストロゲンの注射って高いのでは?」
「ああ。自由診療なら高いけど、保険診療だから1本500円」
「あ、それなら私のお小遣いでもできる」
「あはは。心配しなくても、きっとお母さんが払ってくれるよ」
 
それでエストロゲンの注射を打ってもらった。
 
きゃー、きゃー。自分の身体の中に女性ホルモン入れちゃったよぉ! 私これからどうなるんだろ? 千里は期待と不安が入り混じるような気持ちで先生の打つ注射針を見詰めていた。
 
そして打ってもらってしばらく安静にしていた時のことである。
 
なんだろう、これ。
 
何だか突然気持ちが安定してしまった。
 
今まで晋治のこと、そして学校のことで悩んでいたのが、どうでもいい気持ちになってしまう。晋治はいい子だったけど、旭川と留萌で離れて暮らしていたんだから仕方無い。向こうで彼女できてもいいじゃん。私もこっちで彼氏を作ればいいんだし、と完璧に開き直ることができた。
 
髪の毛だって悩むことないじゃん。切れというんだから切っちゃおう。女の子の服を着る時は、ウィッグ付けたっていいじゃん!
 
そんなことを考えると、何だか凄く気持ちが楽になった。そしてそれとともに身体の奥底からパワーが沸き上がってくるのを感じた。よーし、また頑張るぞ!千里はここ1ヶ月半くらいのうやむやとした気分が消えて、本当に頑張ろうという気持ちになった。
 

そして翌朝、千里の熱はきれいに下がってしまっていた。
 
身体にエストロゲン入れただけで、こんなに気持ちが変わるなんて・・・。そして体調まで変わるなんて。いいなあ。これ、また打ってもらいたいなあ。千里はそんなことを思った。
 
翌日、色々検査をされるが、脈拍も正常だし、血圧・血糖値なども正常だし、熱は平熱だし、本人も元気だし、ということでお医者さんもあまりの急激な回復に首をひねったものの、病院に留め置く理由もないので、あっさり退院の許可が出た。
 
「お薬出しておきますね」
と言われて出されたお薬の明細を見ると、エストロゲン・プロゲステロンと書かれている。きゃはは。飲んじゃおう! 何と3ヶ月分も処方されている。つまり3ヶ月だけ自分はホルモン的に女になれるんだ。
 
でもお母ちゃんには言えないなあ。そう思って千里は薬の明細書きを病院のゴミ箱に捨ててしまった。
 
作ってもらった病院の診察券には、CHISATO MURAYAMA SEX:F という刻印が打たれていた。Fが女でMが男というくらいは、新中1の千里にも分かる。千里は思わずその診察券にキスをした。
 
母が車で迎えに来てくれたので、そのまま自宅に戻る。
「今週いっぱいは休んでようか」
「うん」
 
「病み上がりだし、髪の毛ももう少し体調回復してから切らせてもらうことにしようよ。お母ちゃん、学校に電話しとくよ」
と母は言った。
 
お!それは今まで気付かなかったけど、良い言い訳だ。実は髪を切っちゃってもいい気分にはなっていたのだが、切るのを先延ばしできるなら、できるだけ先に延ばしたい気分だ。
 
「うん、お願い」
と言って千里は自分の布団に入った。
 

そういう訳で、千里はみんなより1週間遅れ、4月14日の月曜日から中学校に出て行った。学生服が入らなかったので母が首をかしげている。結局体操服を着て出て行った、千里もどうして入らないのだろうと疑問を感じた。
 
母から話が通っていたようで、千里が病み上がりなので髪は少し体力回復してか切りますと言ったら、担任の先生は「うん、聞いてる。お大事にね」と言ってくれた。
 
(先生は“女子の規則”でも長すぎる髪を切るのを待つという意味で了承している)
 
こうして千里の中学生生活は始まったのであった。
 
なお病院からもらったエストロゲンとプロゲステロンの製剤だが、本来は毎日3回2錠ずつ飲むように指定されていたのを千里は1日1錠ずつ飲んだ。また自主的に設定した《排卵期》には飲まないようにしたし、更に時々飲み忘れたりもしたし体調が悪い時は飲むのを控えていた。
 
それで、この薬を全部飲み終わるには2年近く掛かった。また、ある事情で、実際に千里がこのお薬を飲み始めたのは8月からであった。その間、千里の男性化はほとんど停止し、中学3年生になっても、まだ千里には声変わりは来なかった。でも飲み方が少なすぎて、おっぱいが膨らんだりするまでは至らなかった。但し、乳首は普通の男子よりは少し大きくなった気もしていた。また、乳首がいつも立っていたのでブラを着けてないと服で擦れて痛かった。
 
 
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【女の子たちの制服事情】(2)