【女の子たちの新生活】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2015-01-17
「この人が細川さんの彼女かあ。ちょっとかなわないよ」
とその子は言って、オールジャパン特設サイトに掲示されていた表彰式での千里の写真を閉じた。
昨日偶然カフェで会った「貴司のファン」と称する女性から教えてもらったのである。
2008年4月22日。
今年の11月に行われるU18アジア選手権に出場する日本代表の「候補」が発表された。バスケ協会のニュースリリースを見ると次のような名前が並んでいた。
PG.入野朋美(愛知J学園大学 159cm)
PG.鶴田早苗(山形Y実業 164cm)
SG.村山千里(旭川N高校 168cm)
SG.中折渚紗(秋田N高校 165cm)
SF.前田彰恵(岐阜F女子高 169cm)
SF.竹宮星乃(東京T高校 167cm)
SF.大秋メイ(愛知J学園 174cm)
PF.佐藤玲央美(札幌P高校 181cm)
PF.鞠原江美子(愛媛Q女子高 166cm)
PF.大野百合絵(岐阜F女子高 174cm)
PF.橋田桂華(福岡C学園 172cm)
C.森下誠美(東京T高校 184cm)
C.中丸華香(愛知J学園 182cm)
C.熊野サクラ(福岡C学園 180cm)
C.富田路子(大阪E女学院 181cm)
凄いメンツだと千里は思った。ほとんどが各々のチームを牽引しているような選手ばかりである。大秋さんはJ学園で花園さんたちが抜けた後のキャプテンに任命されている。J学園はやはり花園さんたちの学年が強烈だったと思うが、その強烈な3年生たちに混じってしかも競争の激しいフォワードというポジションで2年生なのにスターターになっていたのが凄い。
15名挙げられているが、最終的な代表選手は12名だからここから3名落とされることになる。おそらくは選手権直前の体調なども考慮されるのだろうが、ここまで来たら落とされる側にはなりたくない気分だ。
J学園・F女子校・C学園・T高校は2名ずつ入っている。それ以外の高校生が6校6名と、大学生1名という構成である。
P高校の佐藤さんは長身ということもあり、通常はだいたいセンターとして登録されているのだが、この代表候補の一覧ではパワーフォワード登録になっている。彼女はひじょうに器用な選手なので、確かに性格的にはセンターよりはフォワードなのである(本当はスモールフォワードでもいい気がする)。今回センターに選ばれている4人の中で千里が知っている森下・熊野・中丸は外人選手にも負けないだろうと思うほどのパワーと要領の良さを持っている。たぶんこの人選は「外人選手との戦いで勝てるか」というのがポイントになっているのだろう。
ひとり千里が知らない名前があったので確認したら大阪E女学院の富田さんというのは高校1年生らしい。つまり先日のエンデバーの時点ではまだ中学生でU16で招集されていたようだ。卓越した才能を持っているということで同じE女学院高校3年生の河原さんを差し置いてU18のメンバーに組み込まれたのだろう。
コーチは3年前までW大学女子バスケ部の監督を務めていた篠原さん。アシスタントコーチとして、札幌P高校の高田コーチ、愛知J学園の片平コーチの名前が挙がっていた。
「あれ発表されている順番が順不同とは書いてあったけど、大いに意味があるよね」
と放課後に千里が福岡C学園の橋田さんと電話で話した時、彼女はそう語った。
「順番?」
「配列を見たらどう見ても、各ポジションごとの実力順だもん。入野さんは高校三冠を取ったチームの司令塔、千里はスリーポイント女王、前田さんはアシスト女王、森下さんと中丸さんはリバウンド女王。佐藤さんはまだ賞は取ってないけど、10月の北海道遠征の時に凄い人がいると思って、先日のエンデバーであらためて見てて、この人すげーと思った。あの人は格が違う。今すぐA代表でもいけると思う」
千里は話しながらメンバー表をプリントしたものを見る。
「そういえば確かに先頭は凄い人ばかりかも」
「3人落とされるわけでしょ?でもポイントガードとシューティングガードは2名ずつしか呼ばれていない。こういう専門職は絶対に交代要員が必要だから、これ以上は落とされないと思うんだ」
「確かにポイントガードは他のポジションの人には代行困難だよね」
「シューティングガードは、天才たちのポジションだしね。花園さんがU18を卒業してしまった今、千里と中折さんはこの世代では突出したシューター。特に外国チームと戦う時にシューターは超重要だから、この2人は落とせない」
「うーん。私なんかが入ってていいのかなあ」
「先日のエンデバーに来ていたので、他にシューターと言ったら、うちの朋代とか、F女子高の左石さんとかだけど、千里や中折さんと比べたら精度が比較にならないもん。普通はスリーってギャンブルなんだけど、千里たちのレベルは妨害されない限り確実に入るからね」
「フリーだったら入るでしょ?」
「千里たちはそうだろうね。まあ、それで結局落とされるのはSF,PF,Cの最後の1行に書かれているメンツだと思うのよ」
千里は表を再度見る。あらら。
「だから、SFでは大秋さん、PFでは私、Cでは富田さんが落とされる候補なのではないかと。そもそもJ学園は入野さん入れると3人入っていることになってバランス的に大秋さんは落とされやすい」
でも大秋さんにしても桂華にしても全国トップクラスの高校チームの主将なのにと千里は思う。
「うーん。桂華、レオちゃんを倒してU18のスターターを狙いなよ」
「さすがに佐藤さんには勝てん!」
と橋田さんは言った。
その前日21日の夜。
「寂しいよぉ、寂しいよぉ、遊んでよぉ」
貴司は千里に電話してくるなり言った。
「私昨夜徹夜してるから今夜は寝る。おやすみ」
と千里は、にべもない。
「30分でいいから付き合ってよぉ」
「彼女作りなよ」
「実はデートに誘ったけど振られた」
「私その振られた子の代わりなのね?」
「違うよ。ほんとは千里とデートしたい」
「ああ、私の代わりを求めて振られたのか」
後ろで《きーちゃん》が忍び笑いしている。この子たち何かした?
「そうだ。睾丸取っちゃったら性欲が無くなって平気になるかも」
「やだ、それ。千里と会った時にセックスできないじゃん」
まあ私も貴司とのセックスは気持ちいいしな。
「しょうがないなあ。おしゃべりくらいしてもいいけど途中で寝たらごめんね」
「うん、それでいい」
結局2人は1時間ほどおしゃべりし、最後の方は少しHな会話も交わした。
4月23日(水)。千里は部活を6時前にあがらせてもらい女子制服に着替えて旭川駅に行った。留萌から出てきた玲羅と落ち合う。
「こうして見てると、ほんと女子高生にしか見えないなあ、お姉ちゃん」
「私、女子高生だもん」
「もう男子制服は着ないの?」
「うん。全然着てない。去年の春まではたまに着てたんだけどね。夏以降は全く着てない。インターハイにも女子制服しか持っていかなかったし」
そのまま一緒に大きなスポーツ用品店に行き、店員さんの説明を聞きながらまずはYonexのラケットとガットを選び、ガットは店員さんに張ってもらう。それからasicsのシューズでオールコート用を色違いで2つ(室内用・室外用)、オムニコート用を1つ買った。
全部で6万円した!
その他、ユニフォーム代と今回の留萌からの往復交通費で4万円渡しておいた。
「ありがとう。余ったら返すね」
「いいよ。お小遣いにしときなよ」
「じゃ、遠慮無く」
叔母に電話して迎えに来てもらい、アパートに戻る。今日はもう留萌に帰る汽車もバスも無いので、今夜はここに泊まって明日朝5時の汽車で戻る予定である。
「私が連休はまた合宿だから、平日に出てきてもらったんだよね」
と夕食を一緒に食べながら話す。
「千里、去年の秋頃から大会とか合宿とか、凄いね」
「うん。おかげで神社のほうのバイトが全然できてない状態。まあどうしてもという時は呼び出されているけどね」
「お姉ちゃん、他にも何かあちこち旅行しているみたい」
「唐突に呼び出されるんだよねー。京都、伊勢、宮崎と行ったかな」
「何のバイトなの?」
「なんか楽譜をずっといじってるよね」
「そうそう。楽曲のとりまとめ作業。夜中に電話掛かってきて、朝までに頼むとか、そんなんが多いけど、けっこう実入りが多いし効率もいいんだよね」
「へー、凄いね」
「一昨日は市内だったけど徹夜で作業したね」
「そうなんだよ。CDを発売しないといけない直前に変更の必要が生じたってんで、緊急に呼び出されたんだよ」
「たいへんそー」
「音楽理論関係の本も随分買ってるよね」
と美輪子が言う。
「うん。やはり和声法・対位法・和音やリズムの理論、たくさん読んでるよ」
「楽器の入門書も多い」
「やはりそれぞれの楽器の特性を理解してないと編曲はできないもん」
「忙しいのによく頑張るね」
「ああいう理論書は移動中によく読んでるんだよ」
「なるほどねー」
まあ、実は冬の出羽山の山駆けをしながら読んでるんだけどね。今年は年内に21日、年明けてから49日歩いて、ここまで70日である。実は3月は層雲峡合宿や阿寒カップの開催中も夜中は山駆けをしていたので大変だった。このあと、5月から6月に掛けて、道予選の前にあと30日歩いて100日満行にする予定である。
夕食が終わった後は、玲羅が宿賃代わりに食器の片付けくらいするねというので任せて千里は部屋に入り、学校の勉強をする。一応千里は高校生である!
でも花園さんは高校3年間、勉強なんてほとんどしなかったと言ってたなあ。彼女はもうプロになってしまった。やはりプロに行く覚悟の人はそのくらいやるのかもなどと思い、千里は自分は大して才能があるわけでもないし、プロとかにはなれないだろうしな、などと考えていた。
22時頃、玲羅が部屋に入ってくる。
「お風呂ももらっちゃったー。お姉ちゃんお風呂は?」
「後で入るよ。布団敷いておいたから、その入口側のに寝て。私、もう少し勉強してるから」
と千里は言う。
すると玲羅はいきなり千里に後ろから抱きつくと、手を伸ばして、お股を触った。
「ちょっと何するの!?」
千里は玲羅の手を振りのけて言う。
「やはりおちんちん無い。今の感触、割れ目ちゃんだ」
と玲羅。
「私、女の子だもん。おちんちんがあったら大変だし、割れ目ちゃんが無かったらおしっこするのにも、生理が出てくるのにも困るじゃん」
「そうだね。ちょっと安心した」
と玲羅は微笑んで言った。
玲羅は千里の机の上に広げられているものを見る。
「すごーい! なんか化学(ばけがく)の記号が並んでいる」
「有機化学だよ。面白いよ。化学の中でもいちばん楽しい分野だと思う」
「私はHとかNとか並んでるの見るだけで頭が痛くなる」
「玲羅、今日宿題とかは無かったの?」
「うーん。宿題かあ」
「あるのならしなよ。そちらのテーブルのキーボードどければ勉強道具広げられるよ」
「仕方ない。するか」
「宿題くらいはちゃんとした方がいい」
「はーい」
それで一応玲羅も少し勉強しているようである。
「これお布団、この部屋にいつも2つあるの」
「まあね」
「どちらが姉貴の?」
「その入口側の。窓側はいつも貴司が寝ている」
「なるほどー。彼氏の布団に姉貴が寝て、ふだん自分が寝ている布団に私が寝るのね」
「それが無難でしょ?」
「うん、それでいい。私、寝ちゃおう!」
「うん、お休み」
それで玲羅は布団に入ったが、何だか携帯をいじっている。高校生になったので買ってもらったようである。
「でも姉貴が女の子になったおかげで、同じ部屋でも緊張せずに寝れるなあ」
と玲羅。
「男女だと、兄妹でも高校生にもなったら同じ部屋という訳にはいかないよね」
と千里。
「ねえ、タンスの中身見ていい?」
「寝なよー」
と言ったものの玲羅は千里のタンスを開けて中を見ている。
「全部女物だね」
「男物の服は全然持ってないよ」
「ほんとに女の子になっちゃったんだなあ。留萌に居た頃はまだ少し男物もあったのに」
「置いてただけで着てなかったけどね」
「なるほどねー」
玲羅は結局12時すぎまで携帯で誰かとメールのやりとりをしながら千里とおしゃべりしていた。千里は玲羅が寝るまで化学、それから数学の勉強をした後、頼まれていた楽曲の調整作業をして、2時頃寝た。
朝は千里は寝ていなさいと美輪子から言われていたので、遠慮無く寝せておいてもらい、美輪子が朝5時前に玲羅を起こして駅まで車で送っていってくれた。(学校に間に合うように帰るには朝5:20の特急で深川まで行き留萌本線に乗換える必要がある)
「え?もう3枚目のCDの制作するの?」
4月25日(金)。美空が突然旭川に来たと聞いて、千里と蓮菜は、美空の従姉である鮎奈と一緒に、授業が終わった後、美空のお父さんの家に押しかけて行った。
「連休中は歌手なんて忙しいのかと思った」
と言うが
「売れてる歌手はそうだろうね〜」
などと美空は言う。
「うちは結構暇だよ。1枚目のCDが4.5万枚くらいしか売れなくて2枚目はこの水曜日に発売したけど初動は1万枚程度だし。レコード会社からも見捨てられ掛けている感じがする」
「2枚目は私も聴いたけど、曲が難しすぎると思う。アイドルを聴く層には理解困難なんだよね」
と蓮菜は言う。
「ごめんねー。あれKARIONが歌うとは知らなかったからさ。もう少し大人の歌手が歌うのかと思って、本格的な歌にしちゃったんだよ」
と千里が言うと
「何の曲の話?」
と言われるので
「『風の色』」
と千里が答えると
「あれ、千里が書いたの〜?」
と言われる。
「木ノ下大吉名義の作品は実際にはみんな誰か他の人が書いたものだよ。木ノ下先生はもう実際問題として曲を書けない状態にある。ここだけの話ね」
と千里は言った。
「『丘の向こう』も、元々は千里が鴨乃清見名義で書いた大西典香の『カタルシス』だしね」
と蓮菜。
「じゃ3曲中2曲が千里ちゃんの作品だったのか」
と月夜。
「だったら売れないはずだ」
と鮎奈が言うので、さすがに千里もムッとする。
「だけど発売直後の連休じゃん。全国キャンペーンとかしないの?」
と蓮菜が訊く。
「5月3日から6日まで全国キャンペーンするよ。連休の前半はお休み。それでお父さんとこに来たんだよ」
と美空。
「テレビに出るとかは?」
「売れてない歌手をテレビは相手にしてくれないし」
「うーん・・・」
「それで2枚目の初動が悪かったんで即3枚目作ろうと」
「なるほど」
「今回、だから少し方向転換しようということになったんだよ」
「へー」
「ゆき先生と木ノ下先生のペアの曲はKARIONの看板だから動かせないけど、アイドル歌謡っぽいものでお願いしますと依頼した」
「ふむふむ」
「それから、ゆき先生の詩に、ボーラスとか線光花火とかに曲を提供している本坂伸輔さんに曲を付けてもらったのがひとつ」
この《線光花火》というのはe&aとしても後に活動する《線香花火》とは別のユニットで、女の子3人からなるアイドルである。後にローズ+リリーの『ピンク色のクリスマス』をカバーしてヒットさせている。
「ああ、本坂さんの曲は耳に馴染みやすいよね」
と鮎奈は言うが
「私は嫌いだ」
と月夜。
「お姉さんはどのあたりが嫌いなんですか」
「だって、あの人の曲は全部同じに聞こえる」
「ああ」
「そういう作曲家ってしばしば居ますね」
「あとひとつは、KARIONのライブでいつもアンコールに演奏している『Crystal Tunes』を書いたソングライトペアの『Diamond Dust』という曲」
と美空が言う。
「『Crystal Tunes』はきれいな曲だね」
と月夜。
「なんか少女A作詞・少女B作曲とクレジットしてるよね、ライブのプログラムじゃ」
と鮎奈。
「和泉ちゃんのおともだちらしいよ、あれ書いたの」
「へー。じゃ、美空ちゃんたちと同年代の子?」
「ここだけの話だけどさ」
と美空。
「うん」
「あれ実は和泉と蘭子が書いたものだと思う」
「ほほぉ!」
「あの子たち曲を書くんだ?」
「和泉ちゃんは詩人だよ。和泉ちゃんのお友達の男の娘さんから学校の文集を見せてもらったことあるけど、すごくきれいな詩を書いてた」
「ちょっと待て」
「男の娘って、和泉ちゃん女子高でしょ?」
「中学の時にコーラス部で同じだったんだって」
「ほほぉ!」
「ライブの伴奏してもらったことあるんだよ。ピアノがすっごく巧い」
「へー」
「蘭子は、いつも五線紙持ち歩いていて、よく何か書き込んでいるから作曲するのは間違いない」
「ふむふむ」
「でも高校生が書いたにしては良い曲だね」
と月夜は感心するように言った。
この年の連休は、26-27が土日の後、28日が平日、29日が祝日、30-2日が平日、3-6日が連休という何とも休みにくい配置になっていた。しかしN高校は休みの真ん中に唐突に授業をしても効率が悪いとして28日は臨時休校にしてくれた。その結果26-29日が4連休になったのだが、N高女子バスケ部はこの4連休に合宿を行った。
場所は札幌近郊の宿泊施設付きトレーニングセンターである。実は札幌B高校の男子が合宿するのに確保していたらしいのだが、B高校は東京方面での合宿に切替えたため浮いてしまった。そのままだと結構なキャンセル料を払わないといけない所をちょうどその話を聞いた宇田先生が、交渉してこちらに譲ってもらったのであった。
施設の収容能力の問題から女子のみの合宿で、男子は別途旭川近郊の鷹栖町で合宿をする。
さて薫はもう完全に女子に移行してしまったので当然女子の方に参加だが、昭ちゃんについては本人に希望を訊いた。
「ボク、男の子たちと同じ部屋には泊まりたくないから、できたら女子の方に参加させてください」
と言うので、女子の方に連れていくことにした。北岡君が渋い顔をしていた。しかし実際、男子の方の合宿は、川守先生・北田コーチの他、男子部員ばかりだから、確かにもう完全に女性指向になってしまった昭ちゃんには身の置き場が無いであろう。昭ちゃんは2月の新人戦でも男子チームに出ているのに女子の控室を使っていた。N高校女子の時間帯とは必ずしも同期しなかったのだが、顔見知りのL女子高やZ高校の女子部員たちに「おいでおいで」と言われて、一緒に着替え、随分「可愛がられて」いたようである。
ところで、実は今回の合宿は新入生のふるい落としも兼ねていた。新入早々厳しい合宿を実施して、こういうのには付いていけないと思う子には今の段階で辞めてもらった方がいいという「裏の親心」がある。そのため、男女ともこの合宿は「肉体はハードに鍛え、心は優しくケア」という合宿になった。
女子は初日合宿所に着いたらいきなりロードを15kmのジョギングである。その後28m走を100本、2人組になってパス走50本、レイアップシュート100本、フリースロー100本と続く。かえって2年の聖夜などが「先輩、今回の合宿はハードですね」などと言って、息絶え絶えになっていた。
例によって食事はタンパク質たっぷりである。初日のお昼は石狩鍋、夕食は鶏の唐揚げで、食べ放題である。
ハードなメニューで音を上げる新入生が居るだろうと思っていたのだが、全く居ないどころか、みんな楽しそうにしている。
「みんな、辛くなかった?」
と人当たりの柔らかい夏恋が新入生に声を掛ける。
「全国まで行く部とか、シゴキみたいなのあるのではとちょっと恐れていた面もあったんですけど、そんなの全然無いみたいだし、御飯は美味しいし、これ素敵です」
「体重は増えるかも知れないけど」
「ああ、みんな贅肉は落ちるよ」
「あれ?そうですか?」
「その代わり筋肉が発達する」
「むむ」
「でも今の時代、強い女もいいですよね」
「そうそう。最近、日本の男は弱いから女が強くならなくちゃ」
「男の娘の増殖もそのあたり関係あるかもね」
「宇田先生が高校大学時代に入ってた所ではけっこういじめみたいなのあったらしいよ。シュート失敗したら先輩から袋だたきにされたり、ボールを相手に盗られたりしたら土下座させられて火の点いたタバコを押しつけられたり。言葉の恫喝も凄かったらしいね。『いてこましたろか』とかよく言われてたって」
と夏恋にくっついてきている睦子が語る。
「やだあ、そういうの」
「やくざ映画の世界みたい」
「それを経験してるから絶対に、そういうのはしないようにしようというので、身体を壊すような無茶な練習とかはしないし、身体のメンテには気をつけて、いじめ・しごきが発生しないように風通しのいい部活動を目指してるんだよね」
と夏恋。
「ああ、いいですね」
「部長に言いにくいこととか私や睦子とか敦子あたりに言ってもいいし、南野コーチに言ってもいいし」
「南野コーチ、キャプテンより厳しそうです!」
「あはは」
「そうそう。言い忘れたけど、各自辛いと思ったら適宜自分で練習量は調整してね」
と夏恋は言っておく。
「調整してよかったんですか?」
「だってみんな体力は違うんだから、自分の体力に合わせた練習しなくちゃ。ロードも15kmが辛いと思ったら途中で帰って来て10kmにしたりとか、逆にもっとたくさん走りたい人は2往復して30km走ってもいいし」
「30kmは無茶です!」
「でも私、明日から10kmに短縮しよう」
「うんうん、それでいいよ」
と夏恋は優しく新入生たちに言った。
「ただしせめて半分くらいはしようね」
「15kmを5kmに短縮はダメですか?」
「それじゃトレーニングにならないもん。8kmは頑張ろう」
「頑張ってみます!」
合宿の2日目。その日千里はなぜか体調が悪かったので午後の練習を休ませてもらって宿舎で休んでいた。するとそこに電話が掛かってきた。
「あんにゃろ。ふざけやがって。いてこましたろか」
電話の向こうの雨宮先生が激怒しているようなので
「何かお気に召さないことがありましたでしょうか。責任を取って私、先生の弟子を辞めますね」
と千里か言ったら
「いや、あんたは一生、私のために働いてもらわなくちゃ」
などと言う。
「いったい何があったんです?」
「あすか・あおいが他の事務所からデュオとしてデビューするんだよ」
「AYAをやめた2人ですか?」
「テスレコというユニット。4月29日デビュー」
「4月29日?明後日ですか!?どういうことです」
「つまり音源製作はどんなに遅くとも4月上旬には終わっていたはず」
「それAYAを辞める前に作業してますよね。契約違反なのでは?」
「向こうの事務所はあくまでもAYAを辞めた後で製作したと言っている」
「あり得ないです」
「だろ?」
「じゃ明後日は、ゆみだけのAYAと、あすか・あおいのステレコでしたっけ?その両方のCDが店頭に並ぶんですか?」
「そうなる」
「ちょっとひどいですね」
「日付を揃えたというのは絶対内部にスパイが居る。見付けたらタダじゃおかん」
「警察に捕まるようなことはしないでくださいよ」
「あんた、やくざの知り合い居ない?」
「残念ながら居ません」
天津子はその方面のコネもあるみたいだけどね、と千里は考えていた。そう言えば天津子は金曜日にわざわざ学校まで千里を訪問して「ちょっと貸してくださいね」と言ったが、何を貸してと言われたんだっけ?どうも記憶があやふやだ。
「H出版社・$$アーツ・★★レコード、三者は都合によりあすか・あおいが活動辞退したので、ゆみだけにして新生AYAをデビューさせると発表した。かなりの騒動になったが、何とか落ち着き始めた。ところがそこにあすか・あおいのテスレコがデビューというニュースが駆け巡って、ネットは騒然としている。H出版社・$$アーツ・★★レコードも面目丸つぶれで、H出版社の辛島社長もロイヤル高島さんの奥さんも激怒している。辛島社長は巨額損害賠償訴訟を起こすと言っている」
「それで雨宮先生も激怒なさってるんですね」
「当たり前じゃん!あんたが私の立場なら怒るでしょ?」
「のろってやりたいくらいですね」
「取り敢えずわら人形に釘打ち付けといたよ、私は」
この先生も本気と冗談の境界がよく分からないなと思う。でも千里としても少なからず関わったユニットのことだけに今回の事件はかなり不愉快だ。
「まあでもAYAの件は後は上島がするだろうし、私の手を離れたからさ。私は別口に賭けてみることにするよ」
「何か面白そうな素材があるんですか?」
「うん。ちょっと面白い子がいるんだよね。これはソロ歌手なんだけど」
「へー」
「高校生なんだけど今はスタジオ歌手みたいなのしてるのよ。でもそんなんでスタッフとかしてるのはもったいないと思うのよね。だからデビューさせてあげようと思って今一緒に音源製作してるのよ」
この時期、冬子は自分としてはKARIONを辞めたつもりでいたようである(そもそも契約をしていないし)。それで雨宮先生の話に乗って別途ソロデビューを目指そうとしたのだろうと千里は解釈している。ちなみに美空は、冬子が性転換手術明けなので体力が足りず、限定的なKARION参加になっているのだろうと解釈していたようである。千里は実際問題として冬子はやはり2008年1月に性転換したのではと疑っている。
「へー。先生が気に入ったのなら楽しみですね。スタジオ歌手してるんなら巧いんでしょ?」
「巧い。むしろ巧すぎて面白くない」
「クラシック系の素養を積んでいる子ですか?」
「ヴァイオリンが無茶苦茶うまい」
「へー」
「あんたのヴァイオリンとは、月とすっぽんだね」
「その子がすっぽんですか?」
「千里がすっぽんに決まってるじゃん!」
「あははは」
雨宮先生も千里と話している内に少しは気が晴れてきたようだ。もっとも多分千里に電話する前に、新島さんや毛利さんや鮎川さんにも散々グチを言っていたであろう。
「そうだ。今できてる音源送るからあとでいいから感想聞かせてよ」
「いいですよ」
いつもエネルギッシュな雨宮先生と話したせいか千里も少し元気が出てきた気がしたので、顔を洗って体育館の方に出て行く。音源は合宿が終わった後、聴かせてもらおうと思った。
しかし実際に千里がこの冬子が吹き込んだ『花園の君/あなたがいない部屋』を聴くのは5月中旬すぎになってしまった。この時期の千里は忙しすぎたのである。
合宿の最終日、4月29日。N高校の合宿所に札幌P高校のメンバーが来訪した。この日までP高校のバスケ部も(28日は学校を休んで)4日連続の合宿をしていて、お互い29日は合宿の総仕上げを兼ねて練習試合をすることにしていたのである。これはお互いの手の内をさらけ出せるように、非公開で行われた。練習試合をするということ自体を公開していない。
今回はAチーム戦、Bチーム戦をすることにして、N高校側はこういうオーダーを組んだ。
Aチーム
PG 雪子(7) メグミ(12) SG 千里(5) 夏恋(10) SF 寿絵(9) 敦子(13) 薫(15) PF 暢子(4) 睦子(11) C 留実子(6) 揚羽(8) リリカ(14)
Manager 瞳美・聖夜
Bチーム
PG.永子(20) 愛実(27) SG.結里(19) 昭子(21) ソフィア(26) SF.蘭(18) 絵津子(23) PF.葉月(17) 来未(22) (23) 不二子(25) C.川南(16) 耶麻都(24)
Manager 安奈・志緒
川南が「私もAチームに出たーい」と言ったものの、南野コーチから「Bチームの方が出場機会がある」と言われると「Bチームでいいです!」と言い、ついでにBチームのキャプテンに任命するというと張り切っていた。
最初にそのBチーム戦をするが、層の厚いP高校のベンチ枠から漏れた子たちだけに強い強い。
「これ***とか***とかのトップチームより強いですよね」
と揚羽が言い、暢子も千里も頷いていた。
試合は108対58というダブルスコアだったものの、勝ったP高校Bチームのメンバーの方が泣いている!?
「どうしたんですか?」
と千里が近くに居た佐藤さんに訊くと
「120点以上取ることと、相手を30点以下に抑えることを課題にしていたからね」
と佐藤さんは笑いながら答える。
「ああ、ベンチ枠がまた遠くなったのか」
「強豪もたいへんですね」
と夏恋が言う。
「いや、N高校さんのBチームもこれ地区大会でBEST4行くでしょ?」
と佐藤さん。
「湧見さんと川中さんのダブルシューターは破壊力があるし、26番付けてる子もセンスいい。でも何あの23番付けた子。無茶苦茶強いじゃん。名前教えて」
「シューターの湧見昭子の従妹で湧見絵津子です」
と千里は答える。
「絵津子ちゃんか。あの子が強い所との試合をたくさん経験したら若生さんの次のエースになるね」
と佐藤さん。
「2年生の原口(揚羽)・常磐(リリカ)はパワーフォワードもやらせているけど、どちらかというとセンターの性格だからね。フォワードとしては絵津子や黒木(不二子)の才能が高いと思う」
と千里も答えた。
「でも昭子は男の子だから公式大会には女子として出られないんですよ」
「そんなの、ちょっと手術受けさせちゃえばいいじゃん」
と佐藤さんが言うと
「それ佐藤さんからも煽っといてください」
と横から暢子が言った。
なおこの試合でセンターに入った川南であるが、センターとして出ているにも関わらず全くリバウンドが取れなかった。
「あんた、リバウンド取れなさすぎ。これじゃインハイにはとても出せない」
と南野コーチから言われて。
「練習します!」
と言い、葉月・来未と1年生の耶麻都・ソフィアを誘って、移動式ゴールを置いているトレーニングルームの方へ行った。シュート・ブロック・リバウンド練習は4人くらいで1組になってやるのが、やりやすい。
今試合を終えた両軍のBチームの子たちがモップを持ってフロアの掃除をした上で、今度はAチーム同士の試合を始める。
N高校 雪子/千里/薫/暢子/留実子
P高校 徳寺/横川/猪瀬/宮野/佐藤
というメンツで始める。ティップオフは留実子と宮野さんで争い、宮野さんが勝って徳寺さんがボールをキープして攻め上がる。N高校は佐藤さんに千里が付く他は雪子−薫・暢子−留実子というダイヤモンド1のゾーンで守る。
佐藤さんにボールが渡って千里と対峙するが、佐藤さんは一瞬の左を抜くフェイントからシュートに切り替え、高い位置から発射するシュートを撃った。その高さから撃たれると、背丈の問題で千里はブロックができないのである。
これが入って2点。試合はP高校の先制で始まる。
この試合、第1ピリオドはひじょうに激しい戦いになった。点の取り合いで28対26と互角の戦いになる。非公開にしている安心感でP高校側もN高校側も新人戦やJ学園迎撃戦でも使用していなかった新しいフォーメーションを試用する。お互い強い相手にこういうのが通用するのか、手応えを見ておきたかったのである。
第2ピリオドでは対Q女子高戦を想定した空中戦対策を試してみたいという向こうの要望で、こちらは仮想海島(182)で薫(176)がポイントガードになり、SG.揚羽(174 仮想菱川180) SF.暢子(177 仮想今江181) PF.千里(168 仮想鞠原166)・C.留実子(180 仮想大取 186)、と長身の選手を並べた。ポジションはズレているものの、かなり破壊力のあるメンツである。
P高校が密かに練習していたという「天上システム対策」は、ゾーンディフェンスと、素早い動きによる「ブースト・オフェンス」、そして横川さんと新1年生シューター伊香さんによるダブル遠距離射撃である。
「プースト・オフェンス」は確かに凄かった。こんなに早くボールを回されるとかなり翻弄される。こちらの防御態勢が整わない内にやられる感じだ。
「男子大学生の強豪とやってるみたい」
と薫が言うと
「うん。実はそれで思いついたんだよ」
と佐藤さんは言った。
かつて千里は中学女子のバスケは自転車、高校男子のバスケは大型バイクと表現したことがある(高校女子は小型バイク)。しかし実際にはP高校やJ学園は大型バイクのレベルだと思うし、恐らく現在N高校女子もそれに近い所まで進化している。しかしこのピリオドのP高校はそれより速い感じ、七半ではなくリッターバイクくらいの感覚だ。
「関学(関東学生連盟)の男子大学生に練習相手になってもらってるんですよね」
と宮野さんが言っちゃうと
「それ秘密なのに〜」
と佐藤さん。
「うん、大丈夫、聞かなかったことにするから」
と暢子。
「うちもやりたいね」
と千里は言う。
「ちょっと宇田先生に提案してみよう」
一方今回N高校のメンツには初お目見えになった伊香さんだが、ひじょうにセンスのいいシューターだ。しかし彼女はインターハイ予選では使わないつもりだと佐藤さんは言った。P高校の予選は他の有力校も偵察に来る可能性がある。彼女は当面秘匿するし、インターハイ本戦でQ女子高と当たる組合せになったら、Q女子高戦まで使わないつもりだという。確かに彼女はシュートは上手いものの、マッチングは下手で、かなり鍛えないとP高校トップチームのベンチ枠に入れるレベルではない感じもあった。
このピリオドはP高校の作戦自体はうまく行った感じで、こちらはなかなか制限エリアに入れなかったし、リバウンドも向こうの宮野さんと佐藤さんが物凄い勢いでボールに飛びつく感じでどんどん取られたものの、千里のスリーもどんどん決まって、22対24とこちらのリードで終わった。
「作戦で勝って勝負に負けてる」
と佐藤さんと狩屋コーチが嘆いていた。
「まあQ女子高には千里ほどのシューターは居ないだろうし」
「新1年生で入ってくるかもよ」
取り敢えず前半は50対50の同点である。
後半はその手の試行はあまりせず、本気勝負になる。薫もJ学園迎撃戦以来の本格的な強敵に当たって闘志を燃やすし、千里も暢子も必死で戦う。留実子も第2ピリオドで完敗だっただけに、宮野さんとのリバウンド争いに気合いを入れ直して頑張る。しかし向こうも手強い。それで第3ピリオドまで終わった所で70対70の同点であった。
第4ピリオドはここまで出場機会の無かった子たちにこの強豪との対戦経験を与えるため交互に出す。向こうもその姿勢だったが、第3ピリオドまでをほぼ中核選手だけで戦っていたので、10分間では出し切れなかった。
「提案。第5ピリオドをしよう」
「賛成」
「ついでにBチームの子も少し徴用しよう」
「全くもって賛成」
ということで、第4ピリオドまでの得点は94対90でP高校が勝っていたのだが、更に結局第6ピリオドまで10+10分間やって、まだ出ていなかった子をどんどん出した。敦子や睦子にリリカ、更にBチームから徴用した結里、昭子、絵津子、耶麻都、不二子、ソフィア、川南、葉月といった面々には、この全国トップレベルのチームとの対戦は凄く良い経験になったようであった。
「5分間に3回もスティールされた」
と川南が嘆いていたので
「インハイのレベルがどんなものか分かったでしょ?」
と南野コーチが言うと
「私、もっともっと練習します」
と川南は誓っていた。
一方4-6ピリオドずっと出ていたP高校の伊香さんも、敦子や絵津子とのマッチアップに全敗して「フェイントが効かない〜!」と言って天を仰いでいた。
「(伊香)秋子ちゃんのフェイントは間違ってはいない。普通の女子高生チームの選手にはほぼ通用するよ。でもP高校やN高校の選手相手なら3軍レベルの子にしか通用しない」
と薫が言うので
「もっと練習します」
と彼女も誓っていた。
「私、3軍レベルですか?」
と伊香さんにほぼ負けた川南が言う。
「今はそうだね。また6月までに頑張って2軍レベルくらいまでは上げよう」
と薫。
「頑張らなくちゃ」
と川南は再度言っていた。
試合は最終的に150対122でP高校が勝ったが、向こうも本当はもっと点差を付けて勝ちたかったようで、試合終了後はむしろ厳しい顔をしているメンツが多かった。
試合終了後は一緒に夕食のすきやきを食べて両校合宿の打ち上げとした。
この月の千里は忙しすぎた。
4月26-29日 N高校合宿(札幌)
5月5-6日 嵐山カップ(旭川。N高校主宰)
5月12-14日 U18代表候補第一次強化合宿(愛知県)
5月17-18日 校内合宿
5月25日 市民オーケストラ公演
3週間の間に3回の合宿があり、更にカップ戦をしている。更にこの日程の中にオーケストラの公演が割り込んできたのだが、さすがに練習に出る暇が無い。
「フルートは布浦さんと千里の2人しか居ないし、その日バスケの予定が入ってないなら出てよ。これ譜面ね」
と言って美輪子から楽譜を渡され、千里はやむを得ず山駆けをしながらフルートを吹いていたのだが、おかげで今年の出羽では
「夜中にフルートの音を聴いた」
「あれはシューベルトの魔王だった」
「俺が聞いたのはモーツァルトの夜の女王のアリアだ。ハイトーンが怖かったぞ」
「お前ら、それ臨死体験だぞ」
などといった噂が春山の残雪を求めてやってきている山男たちの間で広まったようである。
ともかくも連休前半の合宿が終わった後、4月30日から5月2日まではふつうに学校の授業があったのだが、その30日の昼休みに電話が掛かってくる。見ると美空である。普通美空は日中に用事がある時はメールしてくる。それを電話するというのは何か緊急事態と判断したので、千里は廊下に飛び出し、階段の所の窓のそばに行って電話を取った。
「はい、千里です」
「あ。醍醐春海さん、ちょっとお願いがあるんですけど」
美空が『醍醐春海さん』と呼びかけるというのは異様だ。何があったんだろう。
「どうしたの?」
「ちょっと社長と代わるね」
それで美空たちKARIONの事務所の社長、畠山さんという人が出た。
「初めまして、∴∴ミュージック社長の畠山裕光と申します。醍醐春海先生でいらっしゃいますか? いつもは鈴木聖子に曲を頂いてありがとうございます」
「いえいえ。少しでもお役に立っていればいいのですが」
「実はですね。緊急にお願いできないかと思いまして」
「はい?」
と言いながら、自分の所に持ち込まれてくる案件っていつも緊急だなと思う。
「この手のお話はそちらの窓口の∞∞プロダクションさんを通さなければならないことは重々承知なのですが、なにぶん連休で∞∞プロさんの担当者がつかまらなくて。後でそちらの調整はきちんとしますので」
「いえ、こちらは構いませんし、私は∞∞プロさんとは契約している訳でもないので、そのあたりの調整はお任せします」
「助かります!」
そのあたりは後でマージンをきちんと払えば問題無いはずだ。
畠山はこういう説明をした。
KARIONの音源制作をするのに、ゆきみすず作詞/木ノ下大吉作曲『夏の砂浜』、ゆきみすず作詞/本坂伸輔作曲『積乱雲』、少女A作詞/少女B作曲『Diamond Dust』という3曲を用意した。それで連休後半のキャンペーンを経て5月10-18日頃にその録音をするつもりでいた。
ところがこの『積乱雲』という曲が、4月29日にデビューしたテスレコというアイドル・デュオのデビュー曲『碧眼君』という曲に劇似であることが判明したというのである。
「そちらはどなたの作品なんですか?」
「同じ事務所に所属しているトリガプスの鳥居さんの作品ということになっています」
「トリガプスの鳥居さんって作曲するんでしたっけ?」
「オフレコにできますか?」
「ええ、私は仕事上聞いたことは決して他人に言いません」
「ああ、巫女をなさっているということでしたね」
「はい。それでプライバシーに関しては厳しく躾けられています」
「うちの槇原(貞子)や鈴木(聖子)が言うにはですね。これ、本坂伸輔さんのゴーストライターをしている人のミスではないかと」
「ああ・・・」
「たくさんゴーストで書いている内に、うっかり既に他の人に渡していた曲のモチーフを誤って別の人に渡す作品にも使ってしまったのではないかと」
「あり得ますね」
千里もそういう問題に関してはひじょうに厳しく管理している。使用したモチーフには即×印を付けている。
「それで対応策を検討したのですが、本坂さんあるいは鳥居さんに抗議するのは可能だけど、それで揉めて、結果的にKARIONにケチがつくことは避けたい。それでゆき先生とも相談したのですが、別のソングライターさんに『積乱雲』の名前で別の曲を作成してもらえないだろうかと。本坂さんの方には連休明けにゆき先生の方から連絡照会して下さるということでした」
「ではそれはゆき先生が歌詞をお書きになるんですか?」
「それが実は今、ゆき先生がひじょうに体調がお悪いようなのですよ。それでよければ、いつも鈴木に曲を頂いているのと同じ、葵照子先生に歌詞を書いて頂いて、醍醐春海先生に曲を書いていただけたらと」
「それは構いませんが、タイトルを『積乱雲』にするんですか?」
「実は曲目ラインナップを既に発表しているので、可能なら変えたくないのです」
「それはいいですよ」
このタイトルで書いてというのも、随分雨宮先生に言われてやらされている。
「KARIONが歌うのでしたら、アイドル歌謡っぽく仕上げたらいいですかね?」
「それなんですが、前回のCDが曲は本格的なのに、制作段階でアイドルっぽいアレンジにしてしまったのが、失敗だったかもと指揮をした鈴木も言っておりまして、元々この子たちは歌唱力が素晴らしいので、アイドルっぽくない本格的な歌にすることができないだろうかという話になっておりまして、ゆき先生と木ノ下先生の『夏の砂浜』もR&Bっぽい曲調で作って頂いたんですよ」
ほほぉ。結局逆方向に来たのか。でもR&Bっぽい曲調なら、たぶんあの人が実際には書いたな、と千里はある人物の顔が浮かんだ。
「じゃ、こちらもR&Bっぽく書けばいいですか?」
「はい。夏の曲なので、R&Bでもいいですし、あるいはラテンっぽいものでもよいかと」
「ああ、サンバとかボサノヴァとかですね」
「はいはい、そういうのもよいと思います」
「分かりました。いつまでに書けばいいですか?」
「できたら連休明けから制作に入りたいので、5月7日の午後くらいまでに頂けましたら」
あははは。それ私、いつ書けばいいのよ!?
「いいですよ。何とかします」
「済みません!お願いします!」
そういう訳で、千里はこの忙しい中、KARION用にまた1曲書くことになったのだが、この『積乱雲』は蓮菜と千里のペアが初めて『葵照子・醍醐春海』の名前でKARION用に書いた曲となったのである。
しかしステレコ(だったっけ?)ってトラブルの塊だな!!
千里は蓮菜が書き溜めている詩のストックの中に『積乱雲』というタイトルにしても構わなさそうな詩があるのを思い出したので、蓮菜に許可を取った上でその詩に新たなボサノヴァ調の曲を付けて翌日5月1日に、MIDIデータを作成し、美空宛てに送った。
連休の後半にはN高校が主宰して今年新設した《嵐山(あらしやま)カップ》を実施した。旭川近郊を主に、男子30校、女子26校もの学校が参加して盛大に行われ、男子では1位旭川B高校、2位旭川N高校、3位留萌S高校という結果が出る。女子は1位旭川N高校、2位釧路Z高校、3位旭川L女子高(4位旭川M高校)という結果であった。Z高校は今回は招待させてもらった。彼女たちは打倒N高校に燃えているのでまた遠路はるばるやってきてくれたが、しっかり返り討ちにさせてもらった。薫はこの大会でも得点女王になり嬉しそうだった。
またこの大会では旭川ラーメンの製麺所さんが協賛に入ってくれて1〜3位に賞品を出してくれた。Z高校は半生麺と市内有名ラーメン店監修スープ・チャーシューのセット30個をもらって「食料品ゲット〜!!」と言って盛り上がっていた。
この大会では昭ちゃんは男子チームの方に入れたのだが、やはり先日の阿寒カップ同様、上位のチームで昭ちゃんを見たことのあるチームは上手い人がマークについて仕事をさせてくれなかった。このあたりがやはり昭ちゃんの今後の課題のようである。
「でもボク、また女子の方の試合にも出たいな」
と昭ちゃんは言う。
「連休明けからはまた平日夜にN高・M高・L女子の3校練習戦するから、それに参加するといいよ」
「男子の練習時間が終わった後だから、女子の方で練習するのは問題無いはず」
男子バスケ部の練習時間は他の部と同様に18時までだが、女子バスケ部はインターハイとオールジャパンでの活躍が認められ、昨年春からの特例扱いが継続していて、20時まで練習することができる。
「つまり、湧見昭一君が18時まで男子バスケ部で練習して、18時から20時までは湧見昭子ちゃんが女子バスケ部で練習すればいいんだよ」
従妹の絵津子が何だか楽しそうな顔をしている。
「オンドルが暖かいよ」
「あれ、いいですねー」
オンドルの火は6時間目が終わった15時に入れ、女子バスケ部の練習が終わる20時に落とす。しかし15時に火を入れても実際に室内が暖かくなってくるのは16時頃である。男子はこの暖かさを女子の半分の2時間しか体験できない。オンドルは天候にもよるが6月上旬くらいまでは運用する予定である。
「でも昭ちゃん、女子として大会に出たり女子と一緒に練習してること、親には言ってるの?」
と寿絵が少し心配して訊く。
「実はとうとうボク、お父さんにカムアウトしちゃったんです」
と昭子。
「おぉ!」
「何と言われた?」
「だいぶ叱られたけど、お前がどうしても女の子になりたいのなら、それも仕方ないだろうって」
「すごーい。認めてもらったんだ!」
「久井奈先輩からもらった女子制服も見せたらどうしても着たいのなら着てもいいと言われました」
「だったら着て来よう」
「でもまだ恥ずかしいです」
「じゃ以前千里がやってたように、部活から帰る時だけ着るってのは?」
「あ、それもいいかなあ・・・」
「身体の改造の許可は出た?」
「それなんですけど、性転換手術は高校を卒業してからにしなさいと言われた」
「まあ、普通はそうだよね」
「うん。小学生の内に性転換した千里とかが異常」
「千里先輩って小学生で性転換したんですか?」
「どうも千里の小学校からの友達とかと話していると、それっぽい」
「羨ましいなあ」
「そうだ。それと精子の保存をすることにしたんですよ」
と昭子。
「へー!」
「冷凍保存するのに毎年4万円かかるらしいけど、ボクが30歳になるまでは保管費用、お父さんが出してくれるそうです」
「ほんとに理解のある親だ」
「精子の保存かあ。私もそれ少し考えたんだけど、自分が父親になることに抵抗を感じたから、保存せずに去勢しちゃった」
と薫は言う。
「私はそんなの考えたことなかった」
と千里。
「そもそも千里って射精したことないでしょ?」
と暢子から言われる。
「1回だけしたよ」
「へー」
「それ手でやったの?」
「ううん。寝てる間に出てた。朝起きたら何か出てるから、びっくりして友達に電話して」
と千里。
「その電話を受けたのが僕だけど、千里は、おちんちんから精液が出るということ自体を知らなかったっぽい」
と留実子。
「それはさすがに無知すぎる」
「日本の性教育のレベルを嘆く」
「でもそれいつの話?」
「いつだったっけ? 僕もよく覚えてないけど中学1−2年くらいだったかなあ」
実際には高校1年の時の出来事なのだが、留実子はわざと曖昧にしてくれたような気もした。
「ああ、じゃあその後は去勢しちゃったんで、それが最初で最後の射精になったのね?」
「そうなのかもねぇ」
と言いながらも、千里は美鳳さんから、千里は去勢手術を受ける直前にたくさん射精することになるよと言われたのを思い出し、嫌だなあと思った。
「まあまあ、座って。今お茶でも入れるね」
と&&エージェンシーの白浜は、高校2年生の吉野美来に席を勧めた。
「今日はどういうお話なんでしょうか?」
「美来ちゃんとの付き合いももう長いよね」
「そうですね。最初に公園で白浜さんにお声を掛けて頂いたのが中学2年の時でしたから」
美来は中学生の頃、数人の友人(この中に谷口日登美=後の神崎美恩も居た)と一緒に公園で踊っていた所を白浜にスカウトされ、勧められて本格的な歌やダンスのレッスンも受けた。何度か歌手のバックでライブで踊ったこともある。Parking Service のバックダンサー Partol Girls にも臨時参加したことがあった。
「実はうちで今新しいダンスミュージック・ユニットを企画中なんだよ」
「Parking Serviceとは別ですか?」
「そうそう。Parking Serviceはとにかく楽しく歌って踊って騒ごうというのがコンセプトなんだけど、もっと本格的に歌も聴かせられるダンスユニットもあっていいんじゃないかという話になってね」
「へー」
「それでダンスも歌も上手い子に今数人声を掛けている所なんだよ」
「やはりParking Serviceくらいの人数にするんですか?」
Parking Servieは5人から8人くらいの幅でしばしば人数が変動している。
「あれよりもっと少なくする方針。今の所考えているのが3人か4人。歌を歌う時にハーモニーを取るのには3人か4人がベストだから」
「それは言えますね。5人以上いてもパート分けできない」
「Parking Serviceは大勢居ても、斉唱かリレー唱だから」
「でもちょっと面白いかも」
「プロジェクト名はXANFAS(ザンファス)というんだけどね」
「どういう意味ですか?」
「音楽の理想郷というのでXANADU(ザナドゥ)というのがあるんだよ。以前、オリビア・ニュートン・ジョン主演で映画も作られたんだけどね」
「へー。なんか昔の歌手ですね」
と言った美来のことばに白浜はややショックを受ける。が気を取り直して説明を続ける。
「それとFassion(ファッション)を合成して XANFAS(ザンファス)」
「なんかそういう説明を聞くと格好良い気がしてきました」
「何よりも音の感じがいいよね、と社長とは話していたんだけどね」
「ぜひ参加したいです」
「じゃ、美来ちゃんのお父さんともお話したいから、一度時間取ってもらえる?」
「ええ。父に話してご連絡を入れます」
なお、このユニット名は後に数秘術にもとづいて XANFUS と改名される。XANFASだと運命数が2, XANFUSなら4 になる。1,2,3は個人的な数、4,5,6は社会的な数(7,8,9は霊的な数)とされており、4にした方が商業的には成功しやすいのである。
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【女の子たちの新生活】(2)