【桜色の日々・男の子だった頃】(1)

前頁次頁目次

 
進平を7時頃「行ってらっしゃい」と送り出し、それから小学1年生の2人の子供を学校に送り出し、先月オープンしたばかりの、私が店長を務めるレストランに出勤する準備をしていた時、携帯に古い親友の令子から着信があった。
 
「やっほー。元気してる?」と令子。
「うん。今からお店に出ようと思っていたところ」
「お店はどう?」
「凄く順調。予想以上にお客さん来てくれて嬉しい悲鳴。少しスタッフ増やさなきゃと思っている所なのよね」
「良かったね。ところで私、どこから電話してると思う?」
「え?大阪じゃなくて?」
 
「へへへ。なんと内灘なのだ」
「内灘って、石川県の内灘??」
「そうだよー」
「じゃ、すぐそばじゃん!旅行かなにか?」
「実はね。旦那がこちらの病院にこの4月から転勤になったのよ」
「うっそー!」
「やっと、引越の片付けとかも落ち着いたところで。ハルには、びっくりさせようと思って黙ってたんだ」
「わあ、会おうよ!」
「うん。じゃ、ハルのお店に行くよ」
「うんうん。10時半くらいだったら、わりと空いてると思うんだけど」
「OK。じゃ、その時間に行くね」
「場所分かる?」
「ホームページでチェックして、カーナビに入力したから大丈夫」
 
電話を切って私はとても楽しい気分になり、大好きな桜色のワンピースを着てお店へと出かけた。でも電話の向こうから響いてくる声は相変わらず女っぽい声だったた。ちゃんと、彼女も主婦してるし、「女」してるんだなと思うと安心する。彼女が「女」に戻れなかったら私の責任だったしな、などと思い、私は「あの頃」のことについて、思い起こしていた。
 

それは、高校3年の秋だった。
 
その頃、私は1年近く交際していた彼氏がいたのだが、ある日曜日に彼とデートしていて、突然「別れよう」と言われた。
 
「なんで別れなきゃいけないの?」
「お互い、受検がこれから忙しいじゃん。恋愛している時間無いと思うんだ」
「負担掛けるようなことはしないよ。デートも月1回くらい短時間でいいし、ふだんも励まし合えばいいじゃん」
 
「ごめん。実はさ俺長男だから家を継がないといけないし、子供も作らないといけないんだ」
「でも、私が子供産めないことは最初から承知じゃなかったの?」
「それはそうなんだけど」
「それとも最初から少し遊んで捨てるつもりだったの?」
「そんなつもりは無かったんだけど」
 
私たちは30分くらい議論していたが、彼の結論は動かなかった。
 
「ごめんね。ハルのこと、俺今でも好きだよ」
「別れると言っておいて、そんな言葉無いでしょ・・・・」
「ほんとに御免。じゃ、俺行くから」
 
彼が立ち去った後、私はそのハンバーガー屋さんで、泣いた。こんな所で泣いてちゃいけないと思ったけど、身体が動かなくて、ずっと泣いていた。
 

私は失恋のことは誰にも言わなかったのだが、親友の令子とカオリには、すぐ分かってしまったようだった。
 
ふたりに誘われて、私は川のほとりで胸の内を晒した。そしてまた泣いた。カオリがハグしてくれたけど、私はカオリにハグされたまま、ずっと泣いていた。でもいろいろ話しながら30分くらい泣いていたら、少し落ち着いてきた。
 
「私みたいなのが男の子と交際すること自体、間違ってるのかなあ」
「そんなこと無いよ。きっとハルと真剣に付き合って、結婚してくれる男の子もいるから」
「そうかなあ。だって、私、子供産めないし」
「そんなの気にしない人はいるよ」
「女の子みたいにセックスしてあげられないし」
「そんなの性転換手術しちゃえばいいじゃん。その内するんでしょ?」
 
「するつもりだったけど、自分が分からなくなっちゃった」
「しないの?」
「だって、性転換手術したって、子供が産めるようになる訳でもないし」
「でも男の子とセックスできるようになるよ」
「そうだよね。でもそれだけだしな」
 
「でも彼とはHなことってしなかったの?」
「彼のを手でしてあげたよ」
「そこまでしたんなら、実質セックスみたいなもんだと思うな。私も彼氏とそこまでしたことないよ」とカオリ。
「私も彼氏とそういう関係にまで行ったことない」と令子。
 
「彼のをしてあげた時は、彼は満足そうだった?」
「よく分からないけど、気持ち良さそうにはしてた。実際発射したし。自分にも付いてるから気持ちよくなる、やり方が分かるのかなあ、なんて言われた」
「ハル、自分のではしないよね?」
「うん。だって、私のは立たないもん。だからどうすれば男の子が気持ちよくなるかって、実はよく分からないんだけどね」
「偽物だもんね、ハルに付いてるのは」
 
「ああ、私いっそ男に戻っちゃおうかな」と私は嘆くように言った。
「『戻る』って、ハルが男の子だったことってあったっけ?」
「そっかー。『男に戻る』じゃなくて『男になる』かな」
「いや、それにしても無理だと思うな。ハルってほとんど女の子だもん。おっぱいだってあるしさ」
「小さいけどね」
「そのおっぱいだけでも、男の子には見えないと思うな」
「そうかな」
 
「だいたい、ハルのおちんちんでは女の子とセックスできないでしょ?」
「うーん。鍛えれば立つかも」
「どうやって鍛えるのさ?」
「どうやるんだろうね? なんか見当が付かないな」
 
そんなことを言っていた時、唐突に令子が言い出した。
 
「ね。ハルが男になりたいんなら、私も付き合おうか?」
「え?」
「私、自分がFTMなんじゃないかって、時々悩むこともあるんだよね」
「令子もカオリもバイだと思うけど、令子にFTMの傾向があるようには思えないけどな」
「でも私、男だったら良かったのにね、なんてたくさん言われて育ってきたよ」
 
「女の子の場合、少ししっかりした性格の子は、みんなそれ言われてるよ」
「うんうん。それ別に普通だと思うよ」
 
「ハルの男の子化大作戦に、私も乗っかって、ふたりで男の子目指さない?」
「ちょっと令子、本気?」とカオリは呆れたように言う。
「そうだなあ。一緒に男の子になっちゃう?」
 
「ちょっと。ふたりが男の子になっちゃったら、私どうすればいいのよ」
「私とハルとでカオリを取り合う三角関係になったりして」
「ひゃー」
 

そんな本気とも冗談とも付かない話をしてから、私と令子は実際にけっこう「男の子化作戦」を進めた。
 
私は男物の下着を買ってきて、身につけてみた。私は一応何かの時のために男物の下着は持ってはいたが、めったに身につけることは無かったし、しばらく買ってもいなかったが、久しぶりに身につけると、これはこれで新鮮な感じもした。母が心配して「あんた。どうしたの?」と言ったので「うん。私、やっぱり男の子になろうかなと思って」と言うと「ふーん。そうなの?」
と少し残念そうな顔をされた。
 
声の出し方については、令子とふたりでけっこう練習した。私は女の子っぽいふだんの声をできるだけ使わないようにして、男の子っぽい声を出すようにした。授業中に私がそんな声を使うので先生が「なんか喉の調子が悪いみたいだな」などと心配した。
 
学校の中でも私はほとんど男子制服を着ているようになった。でも先生たちから「なんで、吉岡さん、最近男装してるの?」などと言われた。
 
ただ、この時期、もう受検勉強中心になってきて、そもそも学校に出て行かなくても構わないような雰囲気だったし(但し数年前に多くの進学校で問題になったこともあり、受検で使う科目は出席不足にならないよう言われていた)、点呼は2学期の中間考査が終わった後は、もう行われなくなった)、生活指導とかも適当になっていたので、私のこういう変化はあまり気にされていなかったようでもあった。
 
私は志望校も変更した。私はトランスのしやすさを考えて東京に出るつもりで、東京方面の、比較的女子の比率も高い大学に行くつもりでここまで受検勉強をしてきていたのだが、都内の男子の比率の高い大学に変えた。先生から理由を聞かれたが、レベルの高い大学なので狙いたいと言うと納得された。
 
私は立っておしっこをする練習もした。長らくやったことがなかったし、そもそも私のは小さくて、ズボンの窓から引きだしておしっこをするのが難しい。そこで、洋式トイレで便座をあげた状態で、ズボンとパンツを下げて練習しようとしたのだが・・・飛び散って、それはできないと判明した!
 
この時期、令子も立っておしっこをするのにトライしており、彼女はマジックコーンという女性が立っておしっこできる道具を使ってチャレンジしていた。おもしろそうなので、私も何枚かもらって使ってみた。とても楽に立位でのおしっこができた。
 
「私もこれ常用しようかなあ」
「ハルはホース持ってるじゃん」
「うん。でも短すぎて使えないのよ」
「そんなに短いんだっけ?」
「そのまま見ると付いてないと思われる程度。手で伸ばすと一応8cmにはなるけど」
「だったら伸ばして使えばいいんじゃない?」
「無理。放出口が露出していないと、結局飛び散る」
 
ふたりとも一人称を変えるのには苦労した。「僕」という一人称を使おうとしても、なかなかうまく使えないのである。ふたりで一緒に「僕さぁ」
「うん僕も」などと言い合ったが、あまりに違和感があって、頭を抱えた。
 
受検勉強の傍ら、そんなことをしつつ、高校3年の2学期も終わった。
 

私たちは年明け早々にセンター試験を受けた。
 
令子は男装で受検する勇気が無いといって、ふつうに高校の女子制服で試験を受けに行ったのだが、私は思いきって男装で受けに行った。私は受験票が男だから、見た目も男の方が、問題が起きないだろうと思ったのだが、どうも逆のようであった。
 
問題を解いている最中に「ちょっと君」と試験官の人から声を掛けられた。
 
「君、受験票の人物と違うよね。名前は女の子の名前になってるけど、君男の子だよね?」
 
私はキョトンとして試験官を見つめた。
 
「ちょっと外に出ない? 事情を聞きたいのだけど」
 
私は訳が分からない気がしたが、頭を必死に回転させて、ようやく事態を把握した。私は女声でこう答えた。
 
「すみません。ちょっと寒かったので、兄の服を借りてきたのですが」
 
「あれ、やはり君、女の子か。ごめん、ごめん、服装を見て男の子かと思ったよ。でも、君、よく見たら、顔立ちが女の子だもんね。中断してごめんね」
 
久しぶりに女声を使ったので、少し男っぽい感じの声になってしまったが、それでも、試験官さんには、女の子と思ってもらえたようであった。
 
この話を後でカオリたちにしたら議論炸裂した。
 
「女の子に見えちゃう男の子が男装して受検に行ったら、性別を誤解されたという話?」
「いや、そもそも受験票が女の子だから」
「えっと、私、一応受験票は性別男になってるけど」
 
「ああ、確かに男にマークしてあるけど、この受験票、顔写真も名前も女だもん」
「それにハルは女の子に見える男の子じゃなくて、正真正銘女の子だよ」
「いや戸籍上は男だし」
「この際、戸籍は関係無い」
 
「だから、これは女の子が男装して受検したんで、本人確認でトラブったというだけの話じゃん、単純だよ」
「そんな簡単な話だっけ?」
「違うよ。受検したのは男の子だけど、受験票が女の子に見えたというだけ」
「それは違うと思う」
 
「戸籍上はなぜか男の子になってる女の子が、最近男装に凝ってるものだから、それで受検に行ったものの、受験票が男にマークしているにも関わらず女の子の受験票に見えたので、受験生と受験票の性別が違うと指摘された、という話だよ」
「それ、わざわざ話を複雑にしてる!」
「いや、やっぱり私の頭では理解できん!」
 
などと言われた。本当に自分でもどう説明したらいいのか、よく分からない事件であった。
 
「でも、これ、ハルがちゃんと女の子の格好で受検すれば問題無い話」
「男装に凝ってるのかも知れないけど、受検ではやめときなよ。混乱の元」
「そうだそうだ」
 
などとみんなに言われたので、私も確かにそうかなという気がして、2月の大学での本試験の時は、開き直って女の子の服装で行った。すると全くノートラブルであった。やれやれと思った。
 
そうして私は東京の某国立大学、令子は大阪の某国立大学、カオリは京都の某私立大学を受けて、それぞれ合格することができた。(カオリは山陽方面の国立も受けて合格していたが、結局京都の私立への進学を決めた)
 

大学に合格して東京に出る時、私はもういっそ男の子の服で通そうと思った。令子もこれを機会に男装を始めると言っていたが、さすがにフルタイムの男装はできない気がするというので、学校には一応中性的な格好で出て行き、普段の生活を男性化させるつもりだと言っていた。
 
私はフルタイム男装するつもりでいたが、女物の服も全然無いと困るので、少しだけ持って行くことにした。それ以外の女物の服に関しては、いろいろ悩んだあげくカオリに預かってもらうことにした。
 
「自分のアパートの押し入れにでも入れておけばいいのに」
「近くにあったら着たくなるから」
「着ればいいのに」
「うん。それを着ずに頑張ってみる」
 
「無理だと思うけどなあ、ふたりとも。特にハルは絶対すぐに女の子に戻っちゃうよ」
などとカオリは言っていた。
 

新入生は健康診断を受けなければならず、大学から送られてきた書類に日時と場所が指定されていたので、私は(もちろん男装で)、その場所に行った。
 
受付をして、待合室にいたのだが、ふと気付くと、周囲が女子ばかりである。私はまたまた私の書類が女子として扱われていることに気付いた。
 
そこで受付に行って
「ひょっとして、今、女子の健康診断の時間帯ですか?」
と訊いた。
「ええ、そうですけど」
「あのぉ、私、男なんですけど」
「え!?」
 
係の人は調べてくれたが
「あのお、あなた学籍簿上では女ということになっていますが・・・・」
「私、受験票はちゃんと男にしたはずですけど」
「ではその件は学生課で確認してください。健康診断は、それでは明日再度ここに来て受けていただけますか? 男子は昨日終わっているので、あなたひとりでの受診になりますが」
「分かりました。よろしくお願いします」
 
そういうわけで新入生の健康診断は私はひとりだけ別に受けたのだが、学生課に行き、学籍簿上の性別を確認してもらうと、本当に女になっていたので、男に訂正してくださいと言うと「性別変更届」を出してくれと言われた。
 
「別に性別が変わったわけではないのですけど」
「いえ、データベースを変更するのに必要なのでお願いします」
 
ということで、私は性別を女から男に変更する届を書いた。この時は2年後に男から女に再変更する届を書くことになるというのまでは、思わなかった。
 

ひとりだけで受けた健康診断も、けっこう大変であった。
 
身長・体重・胸囲などを測定され、胸部間接X線撮影に行ったら
 
「今妊娠はしてませんか?」と訊かれた。
「え?してませんけど」と答えたが、男でも妊娠するんだっけ?と一瞬考えてしまった。
 
このX線撮影も、その次の心電図も、どちらも女性の技術者がしてくれた。この時点まではあまり深く考えていなかった。
 
お医者さんによる検診を受けるのを待っていたら、看護婦さんに「吉岡さん?」
と声を掛けられる。
「はい?」
「あなた尿検査のコップ、どこに置きました?」
「え?トイレに置いてと言われたので置いてきましたが」
「見あたらないのだけど」
「あれ?変な所に置いちゃったかな?」
 
といって、私が席を立ち、男子トイレに入ろうとすると
「あら?あなた男子トイレに入ったの?」
「あ、えっと」
「そちら男子トイレよ。女子トイレはこっち」
などと言われ、看護婦さんは男子トイレの中からコップを回収してきた。
 
ここでどうやら自分はやはり女ということになっていることに思い至る。だって昨日、自分は男だと主張して日程変えてもらったのに!
 
お医者さんとのやりとりも微妙だった。
「うん。特に問題ないようですね。生理不順とかはありませんか?」
「あ、えっと特に」
 
自分は男ですけどと言うべきかどうか迷ったが、私も「ま、いっか」と思ってこの健康診断を終えた。
 
後でもらった健康診断結果表で、私の性別はしっかり「女」とプリントされていた。
 

そんな感じで、私の大学生活は、全然順風満帆ではない状態でスタートした。
 
しかし知っている人が全然いないので、私は完全に猫をかぶって、男子学生っぽく振る舞っていた。1人だけ高校の同級生がいたのだが、別の科なので、あまり接する機会は多くなかったし、彼も私のことを見て
「見ててくすぐったいから、そろそろ男装やめたら?」
などと言ったものの、私のことを進んでバラしたりする様子は無かった。
 
新歓コンパにも行ったが、何だかよく分からなかった。私はみんなにお酒をついであげたり、料理を取り分けたりしてあげていたが、3人いる女の子の中の涼世から「吉岡君、よく気がきくねー。私あんまり気がつかなくて」などと言われた。
「うーん。僕、男ばかりの兄弟のいちばん下で、お母ちゃんの手伝いよくしていたから」などと言うと
「わー、偉ーい。私は女ばかりの姉妹のいちばん下で、お姉ちゃんたちが全部やってくれてたから、何にもせずに育っちゃって」などと言う。
 
その日は結局、涼世とあれこれ話していたものの、男子の同級生とはあまり話さないまま終わってしまった。
 

大学に入ってすぐに私は運転免許を取りに行った。バイトを色々するのに必要な場合もあるし、ということで自動車学校に通い始めた。
 
入学手続きをして講習の案内を受け、すぐにその日受ける講習を決める。まずは基本的な講習を受け、シミュレーターで運転操作の練習をして、その後実技を受ける。実技の先生から声を掛けられるのを、待合室で待っていたら、ひとりの男性から声を掛けられた。
 
「あれ、君も◇◇◇◇大学?」
「あ、はい?」
「いや、君のバッグに学章が付いてたから」
「ああ、それで」
 
私は何となく買った学章を何となくふだん使いのトートバッグに付けておいたのである。
 
「何学部?」
「理学部ですが」
「ああ、そうだよね。女の子は工学部とか来ないよな。あ、俺、工学部の金属工学科の田代ね、よろしく」
「吉岡です。よろしく」
と私は挨拶したが、今『女の子』って言われたよな、とふと思う。誤解は早めに解いておいたほうがいいかな・・・と思った時
 
「よしおか・はるねさん」と教官の呼ぶ声が聞こえた。
 
「はい」と私は返事をして、田代君には「じゃ、また」と言って横に首を傾げる女の子式会釈をして席を立った。つい出てしまった仕草だが、ああ、やはり私って、女の子が染みついているんだなと思った。
 

大学では、できるだけ男っぽく振る舞おうとして、積極的に男子学生の話の輪に最初は入っていたのだが、彼らの話題にはなかなか付いていけないことが多く、男の子というものについて勉強不足だなあ、などと感じていた。
 
3人いる女子は、こんな男の多い大学の理学部に来るだけあって、全員個性的だった。3人の中でリーダー格っぽい莉子(りこ)は、男嫌いのようで、男の子が話しかけたりしても、しばしば無視していた。難攻不落と見て敢えてアタックしていた男子もいたが、誰ひとりとして莉子とデートにこぎ着けることはできなかった。
 
妃冴(ひさえ)は少し線が細い感じで、男の子と話すのを恥ずかしがっている感じだった。あまりにも純情っぽくて、男の子たちもデートに誘ったりするのは悪いかなみたいな雰囲気になっていた。しかし彼女は授業中は熱弁を振るい、教官の講義内容にミスなどがあると「そこ違います」などと、積極的に発言していた。
 
私が比較的仲良くなったのが涼世(すずよ)だが、彼女は誰にでもフレンドリーで、私以外にも何人かの男子と気軽に話していたし、デートに誘われるとたいてい応じていた。ただし彼女と親密な仲になることのできた男子はいなかった。
 
「だけどハルちゃんって、他の男子とは雰囲気が違うよね」と涼世は言っていた。
「そうかな?」
「ちょっと女の子っぽいとか言われたことない?」
「え?別に」
「ちょっと女装させてみたいな、とか思っちゃった」
「ああ、してみたい気もするね」
などと私は笑って応じていた。
 

自動車学校で最初悩んだのはトイレ問題であった。
 
この自動車学校の教室は2つの棟に別れているのだが、A棟には男子トイレ・女子トイレがあるものの、B棟には女子トイレしか無かった。元々、A棟の女子トイレが混むのでということで、B棟を作る時に女子トイレを作って、女性の受講生の便を図ったもののようであった。
 
しかしこういう配置になっているとB棟で講義があった後男性がトイレに行くには、わざわざA棟まで行かなければならないことになる。
 
私はけっこうおしっこが近いので、そういうトイレの配置を見て、ここでは女で通したい気分だなと思ったりしたのだが、とはいっても女装している訳ではないから、ちゃんと男子トイレに入らなきゃいけないかな。。。。と思い、男子トイレに進入したのだが、入口を入ったところでバッタリと、田代君に遭遇した。
 
「わっ」
「あっ」
「吉岡さん、こっち違う。女子トイレは向こう」
「あ、御免なさい」
 
と言って、私は慌てて飛び出すと、隣の女子トイレに飛び込んだ。
えーん。こちらに入っちゃったよと思い、取り敢えず出来ている列に並ぶ。
 
「あれ?」と前に並んでいた女の子から声を掛けられた。
「はるねさんでしたよね?」
「あ、はい。ゆみかさんだったっけ?」
 
それは同じ日に入校した子であった。何となく彼女としばしおしゃべりをした。結局そういう訳で、私は自動車学校では女子トイレを使うことになってしまったが、ほんとおしっこが近いので助かった。
 
「はるねさん、いつも中性っぽい服装だよね」
「そうかな。でも運転しやすい服装しなさいって書かれていたし」
「確かにスカートよりパンツの方がいいよね、ここでは」
 
「ゆみかさん、□□大学なんだね。そのマーク格好いいなあ。何学部?」
と彼女がバッグに付けている学章を見て言う。
「理学部」
「わあ、私も理学部」
「はるねさんは◇◇◇◇大学なのね。私も□□大学とどちらにしようか結構迷ったんだけどねー。◇◇◇◇は女の子少なそうだなあと思って、こちらにしたんだよね」
「私も□□は考えてたんだけど、私立は学費払いきれない気がして」
「確かに高いよね」
 
そんな感じで、私は別に女装もしていないのに、自動車学校では誰もが疑問を持たずに女として周囲に扱われてしまっている感があった。それは教官も同じで、実技の時に男性の教官にしても女性の教官にしても、こちらを女と思っている前提で会話が成立している気がしていた。
 

大学の方では、5月頃になって、同じクラスの寺元進平という男の子とよく話をするようになる。他の男子学生とはなかなかうまく会話が成立しなかったのだが、彼とは何となく話が合うので、あれこれ話をしていた。
 
「吉岡、少し変わってるよね」と進平。
「うん。変人だとは思ってるけど。でも、寺元も少し変わってるね」と私。
「ああ、俺、あまり友だちできないたちなんだけど、吉岡とはなぜかストレス無く話せるから」などと言われていた。
 
私たちはお互いにあまり話せる相手がいないと思っていたところで何となく話が合ったので急速に仲がよくなり、学食などでよく話していた。
 
また、私が涼世とも比較的よく話していたことから、間接的につながりができて涼世と進平の間でも、しばしば会話が成立していた。
 
「でも寺元君って、ハルと持ってる空気が似ている気もするね」
と涼世は、ある時ふたりで話している時に言った。
「あ、それは感じる。彼と話しているとストレスが無いんだよね」
「ね・・・ふたりって恋愛関係じゃないよね?」
「なんで〜? 男同士なのに」
 
「いや、寺元君がハルを見つめる目がちょっと熱を帯びてるような気がして」
「やめてー、そういうの」
「ハルちゃんって、バイだよね?」
「うん。それは認める。でも寺元とはそういう関係じゃないつもりだけどなあ」
 

自動車学校では、よく、ゆみかと遭遇したので、けっこう彼女とはおしゃべりしていたし、携帯の番号も交換した。休日などは昼間の講義で会ったあと一緒に町に出て洋服屋さんをのぞいたり、他何人かの女の子と一緒にお茶を飲んだりすることもあった。お陰で、女物の服は大学生活当初は下着1セットとスカート1枚くらいしか無かったのが、少しだけ増殖した。中でも偶然見て、ほとんど衝動買いした桜色のワンピースは、お気に入りの品であった。
 
「私、この色が好きなのよね−」
「何か想い出とかあるの?」
「そうそう。小学1年生の頃に、桜色の服を着せられてお出かけしたことがあって、何かそれが凄く印象に残っていて」
「へー」
 
「小学校の4年生の頃まで、一時期そういう可愛い格好を封印してたから」
「はるね、自動車学校ではいつも中性的な服装だけど、そういうのが好きなのかな? とも思ってた」
「うーん。ちょっと訳あって、去年の暮れくらいから『女の子』封印中だから」
「なるほど、時々そうやって可愛い自分を封印して熟成するのね」
 
「熟成?」
「そうそう。例えば水泳とかできなかった人が、何年もやっていなかったのに再開したら、いつの間にかちゃんと泳げるようになっていることあるのよね」
「ああ、そういう話は時々聞くね」
「はるね、今女の子らしい服を封印していて、そのうちまた可愛い格好するの再開したら、きっと物凄く女らしくなってるんだよ」
 
「うーん。何かありそうな気がしてきた」
 

大学では私は一応男子トイレを使用していたが、小便器を使うことはできないので、基本的に個室でズボンを下げて手製のマジックコーンを使って立ってしていた。立っておしっこをすることで「自分は男だ」と自分に言い聞かせていたのであるが、正直、ふつうに座ってやるほうがよほど短時間でできるよな、という気もしていた。
 
マジックコーンは私がトイレに流せるものの比較的丈夫な紙を買ってきて工作し、半分は大阪にいる令子に送っていた。私も令子もいつもそれをズボンの内側に縫い付けたポケットに数個入れておき、おしっこする時に取り出して使用していた。
 
しかし、私が男子トイレを使うと、けっこうトラブルが発生していた。
 
私が個室を出て手洗い場で手を洗っていた時、男の子が入ってきて、私を見るなり、慌てて出て行く、ということが何度かあった。たいていは、入口の所で再度男女の別を再確認してから、また入ってきたが、ある時はそのまま反対側のトイレに飛び込んだようで「きゃー」という声で続いて「あ、ごめん」という声とが聞こえてきて、ちょっと罪悪感を感じてしまったこともあった。
 
また「君、こちら男子トイレだよ」と言われたことも何度かあり、私はけっこうこの時期、ほんとに私が男子トイレを使ってもいいのだろうか?と悩んだりしていた。めんどくさい気がする時は、しばしば男女共用の多目的トイレを使ったりしていた。
 

5月下旬に私は自動車学校を卒業した。
 
私は運転免許試験場に行くのに、何を着ていくか迷った。大学にはかなり男の子っぽい服を着て行っているのだが、自動車学校には比較的中性的な服装で行ったので、みんな自分を女と思っていたようであった。中性的な服装だったひとつの理由は、自動車を運転しやすい服を着なさいという指導があっていたからなのだが、今日は学科試験だけなので、別に服装は何でもよい。
 
私は何となく、女物の下着を取り出した。
 
ブラを付け、ショーツを穿いて、鏡に映してみた。えへへ。たまにはこの路線で行こうかな。そう思うと、私は花柄のワンピースを着て、試験場に出かけた。女の子の服を着てお出かけするのは東京に来てから初めてだなあ、などと思う。お化粧してみたい気もしたけど、普段してないから、慣れてないことをしても悲惨になりそうな気がする。眉毛だけ細くカットした。
 
手続きをして学科試験の始まるのを待っていたら、「はるねちゃん」と声を掛けられた。
 
「ああ、田代君。田代君も今日試験?」
「うん。実は先週落としちゃって、今日は再挑戦」
「あらあ。でも私は仮免に3回掛かったから、卒業が遅れたもんね」
「その分、たくさん実技できたんじゃない?」
「それはあるよね−」
「でも今日は可愛い格好してるね。やはり、はるねちゃんって、そういう格好が似合うよ」
「そうかな。でも東京に出て来てから、こういう感じの格好したの初めてかも」
「俺もそういう、はるねちゃん初めて見た」
 
やがて試験が始まるので「じゃーね」と言って、各々の教室に入った。
 
試験は1発で合格し、私は新しいグリーンの免許証を手にした。写真はけっこう女の子っぽい雰囲気で写っている。まあいいよね。他人に見せる訳でもないし。でも、私、学生証の写真も、ほとんど女の子して写ってるよなあ、などと考えていたところに、田代君から声を掛けられた。
 
「お、合格したね」
「うん。田代君は?」
「俺も取れた」と言って同じくグリーンの免許証を見せてくれる。
「わあ、おめでとう」
 
「ねえ、お互い合格したので祝杯を挙げない?」
「お祝いに飲んで、それで運転して一発取り消しというコースね」
「まさか!さすがに飲んだら運転しないよ」
「ふふふ。飲むくらい、いいよ」
 

試験場を出たのが15時すぎで、まだ日は高かったが、私たちは試験場の近くの町の居酒屋さんに入った。
 
「新宿とかに出ると高いからね。こういう町の方がかえって安いよ」
「ああ、そうだろうね」
 
ビールで乾杯して、私も1杯だけは飲んだが、そのあとはもっぱらウーロン茶を飲み、焼き鳥やフライドポテトなどをつまみながら、あれこれ話をした。彼の方はたくさんビールを飲んでいた。
 
ふつう男の子の同級生と話しているとあまり会話が成立しないのに、彼とこうして話していると、ちゃんと会話が繋がっていくのが少し不思議な気もした。ただ進平と会話が成立するのとは少し違う成立の仕方という気もした。
 
「へー。はるねちゃんは島根の出身か」
「うん。さすがに知り合いが少ないけど、けっこうミクシイとかで高校の同級生たちとやりとりしてるから、そんなに寂しくはないのよね」
「ああ、今は便利な時代だよな」
 
「田代君は埼玉なんだ。自宅から通ってるの?」
「親からは自宅から通えって言われたんだけど、少しハメ外したいから一人暮らし」
「ああ、ハメ外したいというのは、私も同じだなあ。東京まで行かなくても、もっと近くの大学でもいいじゃんとか、結構言われたんだけど」
「女の子は特に遠くに出したくないよな」
 
えっと。女の子じゃないけどね、と言おうと思ったが、何となく言いそびれた。
 
話は学校でのこととか、教習所のこととかで、かなり盛り上がった。2時間ほど話をしてから居酒屋を出たが、彼が何となくそのまま別れがたい雰囲気であったので、少し散歩をした。
 
「でも、この付近はまだましだけど、都心の方は空気が美味しくないですね」
「うん。俺も思う。俺の実家は埼玉でも、わりとへんぴな場所だけど、ここより空気がまだ美味しいもんな」
「ずっとこういう空気の中で暮らしていたら、それだけで病気になりそう」
「ね。。。はるねちゃん」
「はい?」
「もう自動車学校は卒業だけど、また会えないかなあ」
「え?それは構いませんけど」
「じゃ、携帯の番号、交換しない?」
「はい」
 
と言って、私たちは携帯の番号とアドレスを交換した。
 

免許を取った後、私は親に自動車学校の費用を負担してもらったこともあり、少しバイトしなくちゃと思った。
 
この時期は翌年と違って、私もまだ時間的な余裕があったので、勤務時間をあまり気にせず、様々なバイトの求人に応募することができた。情報誌を買って、自分にできそうなバイト先に片っ端から電話していたら、フレンチ・レストランのフロア係の募集で、面接しましょうという所があったので、行くと採用してもらった。
 
「制服を作っているから、勤務中はそれを着てね」
と言って、フロア係チーフの前田さんという30代くらいの女性が案内してくれた。
 
「あなた、背が高いわね、身長は162くらい?」
「163あります」
「そしたらLかなあ・・・でも細いよね。ウェストは?」
「64です。ちょっとダイエットしなきゃって思ってたんですけど」
「64か・・・・だったらMの方がいいかも知れないなあ」
 
身長163で背が高いと言われたことに、私は何となく違和感を感じていた。その違和感の正体は、渡された服を見て判明した。
 
「とりあえずMとLを渡してみるから、ちょっと更衣室で着てみて、合うほうにしようか」
「はい」
「じゃ、これね」
 
私は受け取った服が、明らかに女物であったので、そういうことだったのか!と全て理解した。
 
「あの・・・私、男なんですけど」
「え?」
 
ということで事務室に舞い戻り、店長と3人でしばし話すことになる。
 
「あれ?君、男だったんだっけ?」と店長。
「履歴書にも男と書いていたはずですが」
「あ、ホントだ。気付かなかった。でも、君、女の子みたいな声だよね」
「ええ、声変わりしてないので。もう少し男っぽい声も出ますけど」
と言って、私は途中から自分で『男声』と呼んでいる声に切り替えて話したが、
「うーん。その声でも、聞きようによっては、女の声に聞こえるね」
 
「君、雰囲気が凄くやわらかくて、いいんだけどなあ・・・。いや、フロア係はそもそも女子しか募集してなかったんだけどね」
「あ、そうでしたか? 済みません。私が見落としてたみたいで」
 
「でも、あなた胸あるよね?」とチーフ。
「そうですね。小さいですけど。気分次第ではAカップのブラジャー付けている時もあります」
 
「君、女装とかするの? というか、君の今の服装でも充分女の子に見えるんだけどね」
「えっと・・・中学・高校時代は女子制服着てました」
「なーんだ、それなら問題ないじゃん、女の子として勤務してよ。戸籍上の性別は、うちは全然問題にしないよ」
「そうですか?」
 
「どう思う?チーフ?」と店長。
「この子を見て、男の子と思う人いないと思います」
「だよねー。じゃ、問題無し。女の子として採用。女の子の服を着るのは別に問題無いんでしょ?」
「ええ、まあ」
「中学高校時代、体育の時間とか、どこで着換えていたの?」
「えっと・・・女子更衣室で着換えてました。男子更衣室に入ろうとすると追い出されてましたし」
 
「じゃ、更衣室も他の子と一緒に、女子更衣室を使って問題ないよね?」と店長。
「あ、全然問題無い気がします。おっぱいもあるんなら、むしろ男子更衣室では着換えられませんよね」とチーフ。
 
などといったやりとりで、結局私はここでは「ウェイトレスさん」として勤務することになってしまったのであった。女子更衣室で着換えるということで、私はここに行く時はちゃんと女物の下着を付けていくようにしていたし、ここでは女子トイレを使い、ふつうに座っておしっこもしていた。
 
そうして大学1年の時期は、大学には男っぽい服装で行き、バイト先には女の子に戻って出勤するという二重生活を送ることになった。
 
なお、このレストランでは、お化粧をするとその香料が美味しい食事をする妨げになると言われ、お化粧は禁止だったので、私はスッピンで勤務していた。私がお化粧を覚えたのは翌年に女装生活が再開してからである。
 
しかし、ここで飲食店の勤務を経験していたことが、後に茂木が経営するレストランの運営に関わることになっていった時に結構役だった。特に接客マナーはかなり徹底的に叩き込まれたし、ここはいわゆるマニュアル式の教育はしていなかったので「考える」「同僚からスキルを盗んで覚える」という習慣も身についた。
 
このレストランは、いわゆるファミレスの類ではなく、また逆に高級店でも無いものの、コックさんがまともに調理をして料理を出す店だったので、結果的には茂木が作ったレストランと、似た雰囲気を持っていた。価格はやや高め(ランチが1200円、ディナー2800円)ではあったが、東京ではそういう価格帯でも、どんどんお客さんは来ていた。
 
私はここでは一応フロア係として働いていたのであるが、人が少ない時間帯には、厨房に入って食器洗いをしたり、盛りつけを手伝ったりするくらいの作業もするようになり、厨房の人たちと話をしているうちに私が料理が得意だという話が知れると、キャベツの千切りをしたり、野菜を切ったりの作業を手伝わせてもらうことも出て来た。更には魚がおろせるというのを聞いたコックさんが「ちょっとこれ、おろしてみて」と言われて渡した魚をさばいてみたら「合格」
などと言われて、けっこうそういう下ごしらえの作業を手伝うことも増えた。
 
このレストランは翌年2月に、真上のフロアにあった中華料理店でガス爆発事故があり、その巻き添えで店舗が使用不能になってしまったのを機に閉鎖、従業員もいったん全員解雇され、結局再建されなかったのだが、それが無かったら、私はここにずっと勤めていたかも知れない。その場合は出会い系サクラの仕事に就くこともなく、私の人生は随分違ったものになっていたのかも知れないという気もする。
 

田代君とは、その後6月に何度か呼び出されてお茶を飲んだりした。彼は6月下旬に車を買ったので、その助手席に座ってドライブしたこともあった。
 
これ、ひょっとしてデートになってないかな?という気がして、もし彼がそういう意図であったら、彼があまり本気にならないうちに、自分の性別のことをカムアウトしなければ、などと思っていたのだが、それは結局しないで済むことになった。
 
7月上旬の土曜日。
 
私はまた田代君に呼び出されて、大学の近くで待ち合わせ、ドライブに出かけた。彼の車は当時は何度言われても名前を覚えきれなかったのだが、思い起こすと、レガシィだったと思う。中古を安く買ったんだと言っていたが、車内はきれいで、彼はタバコも吸わないので、快適なドライブを楽しむことができていた。
 
その日は彼に遊園地に行こうと誘われ、東京郊外にある遊園地に行った。私は、やはりこれってデートだよな・・・と、思い始めていた。ホテルとかに誘われたりする前にちゃんと言わないとまずいよな、などと少し悩み始めていたのだが、取り敢えず、その日は遊園地で、ジェットコースターに乗ったり、お化け屋敷に入ったり(個人的にはこの手のに強いので怖くなかったが怖がってあげた)、池でボートに乗ったりして、凄く楽しむことができた。
 
正直、私も彼のことが少し好きかも、という気持ちになり、もし彼が私の性別のことを是認してくれるなら、彼女になってもいいかな、と思い始めていた。
 
午前中たっぷり遊び、遊園地内のレストランで楽しく会話しながらランチを食べていたのだが、そこに「あれ?和彰?」と声を掛けてくる女性がいた。
 
彼女は女の子3人のグループで遊びに来ていた雰囲気であったが、彼女を見た田代君が明らかに焦った様子を見せた。
 
「あ、えっと・・・・」
「和彰、今日は用事があるんじゃなかったんだっけ?」
「えっと、それは、急にキャンセルになって」
「で、誰よ? その子」
 
と彼女は明らかに敵意の籠もった視線をこちらに向けてくる。きゃー、怖いよ。
 
「こんにちは。私、田代君の友だちの吉岡です」
と私は敢えてにこやかな笑顔を彼女に向けた。すると相手はキッという感じの表情をする。こいつ、やる気か? という雰囲気である。
 
「田代君の彼女? 可愛い人ね」
と私はあくまで笑顔で、田代君に声を掛けるが、私があくまで笑顔をしているのは、彼女の闘争本能を相当刺激している感じである。
 
田代君本人は少しパニックになっているっぽかった。ふーん。こういう場で、瞬間的にどちらを選ぶか、決断ができない人なのね、と私は彼の様子を観察して思った。
 
「私たち、もしかして恋のライバルなのかしら?」
と私は笑顔で彼女に言う。
「あんた、やる気?」
と向こうはもう敵意剥き出しである。
 
「ジャンケンしようか?」
「は?」
「勝った方が、彼とこの後、デートを続けるというのはどう?」
 
「分かった。ジャンケンしようか」と彼女は少し肝を据えたような顔をした。
「じゃんけん・・・・ぽい」
 
私がチョキ、彼女はグーだった。
 
「ああ、負けちゃった。じゃ、後、田代君をよろしくね。田代君、今日は楽しかった。バイバイ。彼女とお幸せにね」
と言って私は笑顔で席を立つと、手を振ってその場を去った。
 
でもちょっと涙が出た。
 
この事件の後、私の生活の「男性化」は加速し、バイトに行くとき以外はほぼ男の子としての生活を送るようになっていった。
 

そうやって、私はこの時期、男の子ライフを送っていたのだが、ヒゲを剃るのが面倒だなと思うようになっていた。
 
私のヒゲはあまり伸びないのだが、それでも週に1度くらいは処理する必要があった。基本的には1本ずつ抜いていくので時間がかかる。その時間がもったいないので、脱毛しちゃおうと思い立った。
 
夏休みは実家に戻らずにずっとバイトをしていたので、少しお金も貯まった。そこで、美容外科に行き、ヒゲのフラッシュ脱毛をしてもらった。ちょっとお金は使ってしまったものの、これで本当に楽になった。
 
足の毛もそんなに生えないし、バイト先では制服はスカートだがストッキングを穿いているので多少生えていても目立たない。そこで、週に1度くらい剃るようにしていた。この処理は大学1年の時はずっとやっていたが、バイト先がガス爆発事故で無くなってしまってからは、かなりサボるようになり、月に1度くらい、けっこう伸びてきたところで処理するようになっていた。
 
大学2年の夏に、出会い系のバイト先で突然女装することになった時はちょうど前回処理した時から1ヶ月ほどたち、そろそろ処理しようかな。。。と思っていた時であった。
 
ちなみに私のおちんちんは相変わらずどういじっても立たなかった。この時期はかなり心理的には男の子になっていたこともあり、1度だけバイアグラを飲んでみたことがある。しかしそれでもやはり立たなかった。単に気分が悪くなっただけであった。
 
それを令子に言ったら「タマも無いのに立つ訳ない」とあっさり言われた。
 
でもこの時期はそれでも、男の子として、女の子とセックスする様などを想像したりしていた。ただ、男の子に入れられる感覚は想像がつくのに、女の子に入れる感覚というのは、全然想像がつかない感じもした。セックスの場面を想像していると、いつの間にか自分が入れられている側の気持ちになっていた。
 
ただ、この時期かなり頑張って、おちんちんを刺激していたことで、以前は皮をひっぱっても8cmくらいにしかならなかったのが、最終的に10cm以上まで伸びるようになった。これは結果的に、大学3年の時に性転換手術を受けてヴァギナを作った時に、一応最低限の長さのヴァギナを確保するのに役立った。要するに私はこの時期せっせと自分のヴァギナの材料を育てていたのかも知れない。
 

そんな感じで大学1年目は過ぎていった。令子の方も大学にはまだ女の子の服で通っているものの、日常生活はかなり男になっていると言っていた。
 
ただ令子は一人称の「僕」は結局使い切れずに「私」と言っているということだったが、私の方は何とか大学の中では「僕」を使い続けていた。
 
そういう生活が一変してしまったのが大学2年の春であった。
 
電話口で父と喧嘩してしまった私は、仕送りを停められたことから、緊急に効率の良いバイトを探さなければならなくなった。しかしなかなか見つからないまま、時が過ぎていき「やはり男としてバイト探すのは無理かなあ。女の子に戻っちゃおうかなぁ」などと思っていた時、進平から出会い系サクラのバイトを紹介してもらった。
 
男の会員からのメールに「女を装って」返信するという仕事内容を聞き、私は心の中で苦笑した。なーんだ。やっぱり女の子としてしか仕事って見つからないのか。でも、こういうのある意味、天職かも知れないな、と思う。
 
最初、あまり普通に女の子の文章を書いたら変に思われるかなと思い、わざと少し男っぽいところを混ぜると、それを進平に修正された。少しずつふつうに書くようにしたら「君、センスいいね」などと褒められた。
 
女の子のこと勉強しろと言われて、私は押し入れの中にしまい込んでいたセブンティーンやノンノを取り出してきて、読み直してみた。また書店に行って最近の号も買ってきた。
 
こういうのを読んでいると、どんどん昔の感覚が蘇ってくる。女の子復活という感じだった。嵐とかタッキーとかのCDも出して来て流していると、更にあの感覚が戻ってくる。
 
ああ、やっぱり完全に女の子に戻っちゃおうかな。
 

そんなことを考え始めた頃、バイト先で突然「女装してデートして」ということを言われた。君って、女の子の服を着てお化粧したら女の子に見えるような気がする、なんて言われる。あはははは。
 
でも簡単に女装しちゃったら、変に思われるかなと思い、女装なんてしたことが無い振りをした。着替えを手伝ってくれる女の子と一緒に女子更衣室に入り、服を脱いで、女の子用のパンティを手に取って悩む。
 
きちんと棒を下に向けて穿くべきか、それともと思っていたら、手伝ってくれる女の子から
「そのリボンが付いてるほうが前よ」
と言われた。私がどちらが前か分からないでいると思われたようだ。
 
「あ、ありがとう」
といって、そのまま穿くことにした。棒は横に向けて収納する。ショーツが膨らんでいるのって、変な感じ!
 
そのあと、一度上半身を全部脱ぎ、ブラジャーを付ける。この時Aカップちょっとあるバストを彼女に見られないよう気を付けた。この時期、2月以来ブラはめったに付けていなかったので、ブラ跡は消えていた。そして、肩紐を通したところで、自分ではホックを締めないで「留め方が分からないから留めて」などと言った。
 
そんな感じで女の子の服を着て外に出ていき
「充分、女の子に見えそうですね」
と言われ、更にお化粧をされると
「凄い美人になっちゃったんですけど」
なんて言われた。こういう言われ方は小4の時に初めて人前で女装した時のことを思い出させた。
 
デートの際は、女声(のつもり)で話したものの、半年ほど女声はほとんど使わず、ずっと男声でばかり話していたので、あまりちゃんとした女声になっていなかった。声はこの後少し練習してみたが、本来の女声を取り戻すのに少し時間が掛かった。
 
デートを終えた後、トイレに行きたくなった私は久しぶりに女子トイレに入ったが、2月にレストランのバイトを辞めた以降は座っておしっこをしていなかったので、ついスカートのまま、立ってできないかな?などと変なことを考えたりしたが、マジックコーンはいつも穿くズボンの内ポケットに入れたままなので、手元に無い。じゃ、やっぱり立ってはできないじゃん!
 
素直にちゃんと座ってしたら、落ち着く。やっぱりここしばらくの自分の男としての生活って、凄く不自然なことしていたんだなと思った。考えてみると、めったに人と喧嘩しない自分がこの春に父と喧嘩してしまったのも、そういう「男感覚」のせいかもという気もしてくる。しかし父との関係修復はどうしたものか。もう、ついでにこのままカムアウトしちゃうかな、などというのも考えたりした。
 

このバイト先での「女装デート」を数回した後、私はちょっとしたきっかけで完全女装生活になってしまった。女物の下着はほとんど置いてなかったので、ほんとに最初の数日は、毎日翌日着る服を買って買える日々だったし、最初に女物の服を自分で買いに行った時は、久しぶりだったのと、心がかなり男感覚になっていたので、そもそも婦人服売場に近づくのに「自分は今男に見えてないかな?」などと考えたりして恥ずかしがったりしていた。
 
しかし毎日買っていても服が全然足りない。これではたまらん!と思い、カオリに連絡を取った。
 
「ごめーん。カオリ、私の服の箱を着払いで送ってくれない?」
「ああ、とうとう挫折したか」
「うん、まあね」
「じゃ今夜発送するから。京都から東京なら、明日には届くよ」
「助かる」
「でも何か声の調子がおかしいね」
「しばらく女の子の声を使ってなかったから、何か調子が戻らないのよ」
「ああ、かなり男の子になるの頑張ったんだね」
「でも、無理だった」
「よく1年半も持ったと思うよ」
 
私は令子にも連絡を取った。
 
「なんだ。もう挫折したのかい?」と令子は男の子っぽい声で言った。
「あ、すごーい。ちゃんと男の子の声に聞こえるよ」
「だけど、こちらも挫折寸前だった。ハルが挫折したんなら、私も男の子はやめようかな」
「じゃ、今度会った時は、女の子同士でお出かけしよう」
「そうするかな」
 

実際にはこの直後に令子と会った時、令子は男装で来たので、私たちは「デートのまねごと」をした。私はひまわりの大きな花柄のワンピースを着ていった。
 
私たちは令子の運転する車でドライブし一緒に食事をした後、ホテルに行った!
 
もちろん、何か変な事をした訳ではないが、ベッドの上で着衣のままじゃれ合った。
 
「でも、ハル、高校時代に彼氏とHした時って、おちんちんはどうしてたの?」
と、その時令子は訊いた。
 
「ぎゅっと体内に押し込んで、アロンαで留めて隠してたよ。好きな人にそんなもの見せられないもん」
「そっか。ハルはタマが無いから、隠しやすかったのね」
「うん。ただ当時のやり方だと、その状態ではおしっこができなかったんだけどね」
 
「ひょっとしてハルが振られた原因ってさ」
「ん?」
「男の子とセックスできると思ったのに、おちんちんが無かったからかも」
「えー!?」
 
あの「デートの真似事」からもう14年経つ。
私も令子もすっかり女になった。
 

その日、私がレストランで開店時間から忙しく働き、少し一段落したかな?と思った時、令子はやってきた。私は2人分の軽食のオーダーを入れ、彼女と隅のほうのテーブルに座って話した。
 
「令子はもう男装はしないの?」
「時々やってるよ。ストレス解消にいいし。でも男声はもう出せなくなっちゃった」
「へー。じゃ、そのうち一度男装で会おう。H無しでね」
「お互い既婚者だしね。ハルは男装することあるの?」
「全然。結局大学2年の時のが最後になっちゃったかな。私ももう男声は出ないよ」
「まあ、でもお互い、よく1年半も男の子ライフとかできたよね」
「いろいろ体験するのもいいんじゃない?」
 
「令子のところは子供2人だったよね」
「うん。男女ひとりずつ。ハルの所と同じだね」
「私も、出産は経験できなかったけど、母親になれるとは思ってなかったから何だか今凄く幸せ。子育て自体は大変だけど、充実してるよ」
「うん。子育てって大変だけど、子供の笑顔が最高の報酬という感じだよね」
「ほんとほんと。なんか、じわーっと来ることあるよね」
 
「でも大阪から金沢に来て、あまり違和感無く生活できてる感じ」と令子。
「ああ、このあたりは基本的に関西文化圏だからね」
「どのあたりに東西の境界線ってあるんだっけ?」
「富山県の呉羽(くれは)山だよ。そこから東が関東、西が関西。天気も変わるから、天気予報では、呉西・呉東って言い方をするよ」
「へー。あれ?呉羽って、クレラップの?」
「そうそう。あそこが発祥の地だよ」
 
「そういえば、環が14年ぶりの同窓会を計画してるんだよ」と令子。
「もしかして6年3組の?」
「うん。やはりあのクラスって団結力あったもんね。もう中学卒業からでも18年たってるけど、6年3組にいた32人の同級生の内25人までメールアドレスを確認できてると言ってた」
 
「それは凄い。でも女の子は主婦してると遠くには出て来れないだろうなあ」
「一応3D電子会議システム持ち込んで、バーチャルで会話に参加できるようにする」
「なる」
「同窓会自体の開催場所としては大阪かなって言ってる。大阪近辺に住んでる人が多いのよね。男子も女子も。私は離れちゃったけど」
 
「ここからもサンダーバードですぐだしね。車で走ってもいいよ。令子を乗っけてくよ」
「じゃ、その時はお願いしようかな。今、環とカオリと木村君の3人が実行委員みたいな感じで動いているんだけど、ハルの苗字が変わってるのを木村君が見て『あっ結婚したんだ!』と言って、情報が遅い、と言われていた」
 
「えへへ」
「ハルって、小学生の頃から、お嫁さん願望かなりあったもんね」
「うん。でも本当にお嫁さんになれるとは思ってなかった」
「いい人、見つけられて、本当に良かったよね」
 
「ありがとう。令子もいい人と出会えて良かったじゃん」
「うん。彼も私の性癖を理解した上で、あまり女を強制しないから、楽に奥さんしてられる感じかな。体型が近いから、男装する時、彼の服貸してくれることもあるし」
「そういうパートナーっていいよね」
 
「お互いの性的な傾向を理解しあえるって大事なことだと思うよ。ハルの彼もちょっと、そんな傾向あるんでしょ?」
「少し怪しいとは思う。女装してみない?とか時々唆してるんだけどね。今のところ逃げてるね」
と私は答えて、少し楽しい気分になった。
 
 
前頁次頁目次

【桜色の日々・男の子だった頃】(1)