【桜色の日々・小6編】(2)

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修学旅行の2日目、私はそういう訳でスカート姿で歩き回った。担任の森平先生も最初集合の時に「あら?」と言ったが、「ほんとにそういう格好が好きなのね」などと言っていた。
 
その日は朝から宮島に行く。バスで宮島口まで行き、フェリーに乗って宮島に渡り、厳島神社に参拝した。神社内の記念写真スポットで、この修学旅行の写真を撮ったのだが、私は2列目に並んだので、私がスカートを穿いていることは、その写真をよくよく見ないとわからない。
 
「私、神社とお寺の区別がよく分かってない」と好美。
「鳥居があるのが神社で、山門があるのがお寺」と、みちる。
「神主さんがいるのが神社で、お坊さんがいるのがお寺」とカオリ。
「祝詞(のりと)をあげるのが神社で、お経をあげるのがお寺」と令子。「神様を祀っているのが神社で、仏像が置いてあるのがお寺」と私。
「ここはどっち?」と好美が訊くので
「神社」とみんなで答えた。
 
「あ、そういえば赤い大きな鳥居があったね。海の中に」
「うん、あれはここの名物だよ」
「神様を祀ってるの?」
「そう。宗像(むなかた)の三女神っていって、美人の三姉妹だよ」
「へー。じゃ、お参りしたら美人になれるかな」
「ごりやくはあるんじゃない?」
「そういえば、さっき烏帽子姿の神主さん歩いてたね」
 
「ここは島全体が神社の聖域ってんで、お墓とかも作っちゃいけないのよね」
「えー?そしたら島に住んでる人が死んだらどうするの?」
「本土のほうに墓を作る」
「お産もしてはいけないから、臨月になった女性は本土に渡って出産する」
「なんか凄い」
「今はしないけど、昔は生理中の女性は『月の小屋』に籠もってたらしいね」
 
「月の小屋?」
「別にここだけの風習じゃなくて、世界的にあったんだけどね。ここは聖地ということで、かなり近年まで残ってたみたい」
「生理中の女性はそこに籠もって静かに過ごすって場所ね」
「何それ?女を隔離するわけ?」
「うん。フェミニストさんたちは隔離というけど、ペイガニズムの人たちは逆に、生理中の女達がのんびりと休憩する場所だった、みたいな言い方をする」
 
「ああ、確かに生理中くらいはゆっくり休みたい気もするね」
「今は生理中だろうと何だろうと、フル稼働の女性多いから、逆にいえば大変な世の中だよね」
「生理中はテストも延期してくれないかな」
「ああ、それかなりマジにそう思う!」
「生理ってやっぱり大変なの?」と私はつい訊いてしまった。
「そっか。ハル、まだ生理来てないんだよね?」
「生理来たら大変さが分かるよ」
「私、生理来るのかな?」
「うん、来る来る」とみんなに言われた。
 
「だいたい、ハル、ナプキン持ってるよね?」
「あ、私借りたことあるもん」と典代。
「みちるがナプキン買いに行くのによく付き合ってるから、その時、私も何度か買ったよ」
「買ったナプキン、どうしてるの?」
「学校に置いてるけど、増えたら令子に引き取ってもらってる」
「うちは女3姉妹だからトイレに置いとけば誰かが勝手に使うし」と令子。
「なるほど」
「今、持ってる?」と環。
「この旅行に5個ほど持ってきた。令子が『生理って突然来ることあるから』
なんて言うもんだから。今もこのバッグに2個入ってるよ」
「あ、じゃ突然来たら、ハルにもらおう」
 

「でもさ、ハルのあれって、昔から『偽物』だったの?」と環が訊いた。私たちは乗るフェリーが来る時間まで少しあるので、ターミナルの近くで、手すりに腰掛けて、ここまで戻ってくる途中で調達した紅葉饅頭を食べながらしばしおしゃべりをしていた。
 
「小学1年生の頃にたくさん、ハルに女の子の服を着せてたんだよね。ハルがこんなになっちゃった責任の一端は私にもある気もするんだけどさ。でも当時はハルのおちんちんって『本物』だったよ」と令子が言った。
 
「小学3年のクリスマスに偽物になったんだよ」と私は説明した。
「その日夢を見てね・・・といっても、自分では夢じゃなくて現実みたいに感じたんだけど。サンタさんが現れて、君は女の子になりたがってるでしょ?だからクリスマスプレゼントで、女の子にしてあげるって言われて、おちんちんとタマタマを取られちゃったの」
「へー」
「それで割れ目ちゃんも出来てたんだけど、突然女の子になってお母さんに叱られるかも、なんて私が言ったら、じゃ、バレないように偽物おちんちんを付けてあげるよ」と言われたんだよね。
 
「面白い。それじゃその時、お母さんに叱られるなんて言わなかったら、ちゃんと女の子になれてたんだ?」と好美。
「うん。それ、ちょっと惜しかったなって思うことある」と私。
 
「でも、それから偽物を付けてるのね?」と環。
「その後では、めったに大きくなることはなくなった」
「大きくなることもあるの?」
「何度かなったことはあるよ。でも10cmくらいまでしか大きくならなかった」
「それ、かなり小さいよね」
「普通、あれって、大きくなると、どのくらいになるの?」
「人にもよるけど、だいたい15cmから18cmくらいって聞くよ」と男の兄弟がいる子が言う。
 
「わあ、じゃ大きくなってもかなり小さいんだ」
「でも、4年生の頃は何度か大きくなったことあるけど、去年の夏頃以降では1度も大きくなったことないんだよね」
「じゃ夢精とかするの?」
「それしたことない。だから、私って実は1度も射精した経験がない」
「ああ、じゃ、やはりハルは男の子の機能は無いんだね」
「というか、そもそも男の子になってないんじゃない?」
「そうかもって気はする」と私は言った。
 
「ハル、まだ声変わりしてないもんね。クラスの男子たちは、もうみんな声変わりしてるのに」
「このまま声変わりしないといいけど。無理だろうなあ」
「今すぐ、おちんちん取っちゃえば声変わりしないんじゃない?」
「おちんちんというか、タマタマだよね」
「ハル、今すぐ女の子になっちゃえば中学でもセーラー服着れるのに」
「それ、こないだから、みんなに言われるんだけど!」
 

宮島から宮島口に戻ると、私たちはバスに乗り、そのまま山陽道を走って、倉敷まで行き、ここでお昼を食べてから、美観地区を歩き大原美術館に寄った。
 
私たちはしばし「受胎告知」の絵の前で立ち止まった。
 
「赤ちゃん欲しいなあ」と私が言うと
「まだ小学生には早いんじゃない?」などとカオリから言われる。
「ううん。ずっと先の話」
「ハル自身が産めなくても、養子もらったりして子育てはできるかもよ」
とカオリは言う。
 
「ハルって優しいから、いいお母さんになりそうな気がする」と好美も言った。
「100年後くらいに生まれていたら、きっとハル自分で赤ちゃん産めたろうね」
と環が言ったが、
「いや、100年後なら誰もが赤ちゃん、自分で産まなくてもいいようになっているかも。人工子宮とかで」と令子が言い、みんな「そうかも!」などと言っていた。
 
「でも、そうなった時、母親って何なんだろう?」と私は疑問を投げかけたが「それは子供を育てる人が母親なんだよ」とカオリが明快に断言した。
 

その後私たちはまたバスに乗り、バスは岡山道・米子道・山陰道を走って学校に帰還した。私はバスが学校に着く少し前に車内でズボンを穿き、スカートを脱いだ。洗濯してから返すねと環に言ったのだが、スカートが洗濯物に入ってたら、お母さんがびっくりするよなどと言われ、こちらで洗濯するから大丈夫だよと言われたので、御礼を言ってそのまま環に返した。
 
「だけどハル、ウェスト細いね。環のスカートが入るなんて」と美奈代。「ああ、以前聞いてたハルのウェストなら、これ入ると思ったんだよね」と環。「うん。私ウェスト57cmだから」と私。
「このスカートはガールズの130サイズだからね。私も実は入らない。間違って持って来ちゃったのよ」と環。
「環が入らないスカートがハルは入っちゃうの!?」
「ハル身長はあるのにね。もっと御飯食べた方がいいよ」
「うん」
 

修学旅行から帰った翌週、6年の各クラス学級委員と担任の先生たちの話し合いで、今年の学芸会で各クラスが上演する劇が決まった。私たちのクラス3組は結局「十二の月(twelve months,通称「森は生きている」)」をすることになった。最初「小公女」を希望したのだが、2組もそれをしたいと言い、2組の学級委員とジャンケンをして負けたのだという。他は1組が「あしながおじさん」、4組が「オズの魔法使い」をすることになった。
 
「ごめーん。ジャンケン負けちゃった」と木村君。
「ノープロ〜」「無問題(モーマンタイ)」
 
「でも何となく主要配役は決まっちゃう感じがするなあ」
 
放課後、みちると木村君が打ち合わせから戻ってくるのを待っていた私たち(令子・カオリ・好美・高岡君・山崎君)はそんなことを言った。
 
「私たちだけで決めていいのかなあ・・・」とカオリは言うが
「配役案として出せばいいさ」などと高岡君は言う。
「じゃ、今ここにいるメンバーは学芸会実行委員ということで」
 
「アーニャはカオリ、女王がハルだよね」と令子。
「まあ、そのふたりは動かないね」と山崎君。
「問題は西本が突然風邪を引いたりしないかということで」と木村君。「ごめーん。節制します」とカオリは本当に申し訳無さそう。
 
「私がアーニャの母ちゃんをやるから、姉ちゃんを好美しない?」と令子。
「うん。いいよ。万一カオリが休んだ場合は、ハルがアーニャ、令子が女王にシフトかな?」と好美は言うが
「いや、私は女役だめだもん。その時は女王はみちるがやってよ」と令子。
 
「いいよ。カオリが休んだ場合はね。じゃ、私は一応、女王の家庭教師ということで。みんなできるだけ複数の役のセリフを覚えておくようにしようよ」とみちる。
 
「俺4月をやるから、高岡は1月をしない?」と木村君。
「ああ、それがいいね。僕は4月をやるには体格が大きすぎるから。スマートな木村の方が4月っぽい」と高岡君。
「じゃ、僕が総理大臣あたりかな?」と山崎君。
 

次のクラス会で、学芸会は「十二の月」をすることになったというのを学級委員から報告し、取り敢えず委員側で主要配役の案を提示して、他に参加したい人、特にこの役をやりたい!という人はいないかと尋ねた。
 
すると、坪田君が1月か4月をしたいと言ったので、坪田の体格なら1月の方がいいだろうということで1月をしてもらうことにし、1月役を予定していた高岡君は、老兵士の役をすることにした。また笹畑君・環・美奈代も何かしたいということだったので、笹畑君が12月、環が7月、美奈代は10月をやってもらうことにした。
 
その他、11月,2月,3月に男子3人、5月,6月,8月,9月に女子4人を、司会の木村君とみちるとで、目を瞑って名簿に指を当てる方式で抽選して指名した。
(この7人の月は単独の長いセリフが無い)
 
アーニャ、姉、母、女王、家庭教師、総理大臣、老兵士、そして12人の月の精で19人という大編成、クラスの半数以上が参加する劇となったが、更に練習している時に見学していた子を、カラス、リス、馬、東の大使、西の大使、女官長、などに任命して追加していったので、最終的にはクラスのほとんどが参加する多人数劇になった。
 

学芸会は10月にあるのだが、その前に9月上旬には水泳大会、中旬には運動会があった。
 
水泳大会は修学旅行から帰ってきた翌週の水曜日だった。私はその日、家からは男子用の水泳パンツを持って出かけたが、実際には令子に預かってもらっている女子用スクール水着を着た。着替えも女子たちと一緒にした。
 
小学4年生まで、私は体育のプールの授業は体調が悪いとか何とかいって全部見学していたのだが、小4の時の「白雪姫事件」をきっかけに、私の性別指向がバレてしまうと「もしかして男子用の水着になりたくないから、水泳の授業見学してるの?」などと、令子やカオリから指摘された。
 
かなり図星だったので頷くと、令子から「姉ちゃんのお古の水着でよかったらあげようか?」などと言われ、令子のお姉さんの浩子さんが小学生の頃使っていた水着がまだ残っていたのをもらったのである。浩子さんは背が高くて、身長の高い子用の水着を使っていたので、私の身体にけっこうフィットした。それで小5の夏休みから、私は女子用のスクール水着でプールで泳ぐようになったのであった。
 
小4の時まで私は水泳は(そもそも授業に出ていないので)全くできなかったのだが、小5の夏休みにたくさん練習したので、一応クロールで息継ぎしながら泳ぐことはできるようになっていた。今年の夏はそれでカオリたちと競争で何往復もプールをしながら、かなり長い距離を泳いで楽しんでいた。
 
「授業にも、この水着で出ればいいのに」
「えー。それは叱られないかなあ」
「そんなこと無いって。体育の先生はハルの性別のこと分かってるもん」
「見学するよりマシだよねー」
「ほんと、ほんと」
 
などとやっていたものの、私は今年の水泳大会も見学で押し通すつもりでいたのだが、修学旅行で女子のみんなに「見られ」ちゃったので、今更恥ずかしがることもない気分になったので、堂々と女子更衣室で女子用スクール水着に着換えたのであった。
 

みんなも私には一応「付いて」はいるものの「機能」が無いことをあの「解剖」
で知ったので、私が裸になって着換えていても、気にならないようであった。実際には、私は「それ」が他の子たちの目に触れないように、充分気を使って着換えていた。
 
自分たちの番が近づいてきた11時頃に着換えてから令子やカオリたちと一緒にプールに出て行ったら、ばったりと体育の先生に会った。先生は私がスクール水着を着ているのを見て
「お、吉岡、今日はちゃんと水泳に参加するのか?」と言う。
 
「1学期は全部見学して済みませんでした」と私が謝ると、そばにいたカオリが
「先生、晴音(はるね)は男子用の水着を着たくなかったから、見学してたんですよ」と弁解してくれた。
 
「ああ!」と体育の先生は言ってから
「吉岡も自分が女子だと思っているんだったら、別に女子用水着を着てもいいんじゃないか? そんなので悩んでいたんだったら、俺でもあるいは誰か女の先生にでも相談すれば良かったのに」と言われる。
「ほんとですよね。そういう所がこの子って馬鹿なんです」とカオリから言われた。
 
「でも、女子用水着を着けた吉岡を見て、俺は何も変に思わなかったぞ。むしろ吉岡が男子用の水泳パンツ穿いてたりしたら『お前、胸隠さなくていいのか?』とか言ってた気がする」と先生。
「ほんと、そう思いますよね!」とカオリも言った。
 

水泳大会では、1〜3年生は25mプール片道、4年生以上は25mプール往復の50mで全員タイムを測られる。ただし25m,50m泳ぎ切れない子は、途中で停まって、そこで申告すれば、何mを何分何秒で泳いだかを記録される方式になっていた。また泳ぎに自信のある子は、200m(4往復)、800m(16往復)にも出場できることになっていた。私は16往復までは自信が無かったので200mに申し込んだ。
 
午前中、1年生から順に泳ぎ、6年生はもうお昼近くであったが、私は50mのタイムを他の数人の女子と一緒に泳いでタイムを計られた。(6年生は自分たちの番が来るまで、計時係や、途中で停まった子の泳いだ距離を確認する係、データをパソコンに入力する係などを交替でしていた)
 
給食をはさんで午後からが長距離のタイム測定であった。女子は私同様に800mには自信がないという子がけっこういて、200mに出ている子の方が多かった。(夏休みに私の練習に付き合ってくれていた令子とカオリは800mに出ていた)私は一緒に泳いだ6人の中では2番目にゴールした。
 
計時係の子にタイムを書いてもらって引き上げてきたところで体育の先生に声を掛けられる。
 
「吉岡、水泳うまいじゃないか」
「夏休みにだいぶ練習したんで。でもまだ800mを泳ぎ切る自信無かったから」
「クロールのフォームもいいし、クイックターンも出来るんだから、基本的には距離関係無いだろ?」
「でも体力が」
「お前、体力はありそうだけどなあ」
 
体育の先生に会釈をして更衣室の方に行こうとしていたら、桜下先生にも呼び止められた。
 
「ハルちゃん、水泳頑張ったね」と先生。
「ありがとうございます。夏休みにカオリと令子がだいぶ教えてくれたんで」
「女子用水着も自然だよ」
「はい」
 
「お股も付いてないみたいに見えるね」と小さい声で先生が言う。
「アンダーショーツで押さえてますから」と私も笑って返事をする。
「ハルちゃん、女子更衣室だよね?」
「男子更衣室じゃ着換えられません」
 
「だよねー。でも女子更衣室で着換える時、あそこはどうしてるの?」
「着換え用のタオル持ってるから大丈夫です」
「そっか!最近はみんなあれ使うよね」
「それでも夏休みにはいちど解剖されましたけど」
「あらら」
「手で押さえて、必死で隠しました」
「大変ね!」と先生も笑って言った。
「もう解剖されるのは慣れっこです。既にクラスの女子のほぼ全員にあそこは見られちゃってるし」
 
「あはは・・・って笑っていられるのは田舎の学校のいい所だわ」
「あ、都会の学校だと何か大変な騒ぎになりそうですね」
「うんうん。でもハルちゃんが明るい子だからってのもあるよ。弱い子だと泣いちゃったりして、いじめたみたいな雰囲気になりかねないし」
「ああ、いじめと思ったことはないですね。解剖されても『あん、やられちゃった』としか、私思わないし」
先生も笑顔で頷いている。
 
「でも、私みたいな子が、曖昧な状態で存在できてるのも田舎だからかなって気もします」
「ああ、それもそうだろうね。都会の学校だと、男か女かどちらかハッキリさせろみたいな雰囲気になりがちだろうし、テレビ局が取材に来ちゃったりしてるかもよ」
「嫌です−。それ」
 
「でも解剖されちゃったりすると、大きくなっちゃうだろうからますます隠すの大変でしょ?」
「あ、それは大丈夫です。私のはどうやっても大きくならないから」
「・・・それって、いつ頃から?幼稚園や1年生の頃から大きくならなかった?」
「大きくならなくなったのは去年の夏くらいからです。実際には一昨年の冬くらいからめったに大きくなることはなくなったけど。多分ですね・・・」
「うん」
「自分の性同一性って言うんですか? 自分は女だという気持ちが強くなったから、男性の機能は心理的に封印というかむしろ停止させてしまったんだろうと思います」
「なるほどね。女性ホルモン飲んでるわけじゃないのね?」
「飲みたいけど、入手できません」
「ふーん。。。。もし本気で飲みたいなら調達してあげてもいいけど」
「ほんとですか?」
 
「既に男の子の機能が消えてしまってるんなら、女性ホルモン飲んでも構わない気もするなあ」と桜下先生は言った。
 

水泳大会の記録表を母に見せると「お前頑張ったね」と言われた。
 
「だって、お前、去年までは毎年空白だったじゃん」と母。
「うん。今年は夏休みに友だちに誘われて、たくさんプール行ったから」
「去年の夏も行ってたよね」
「うん。でも去年の水泳大会はまだ自信無かったら休んじゃった」
「今年は少し自信できた?」
「うん、少しだけ」
 
「そうか。良かった良かった」と母は笑顔で言ったが、ふと成績表の一番上に私の名前が印刷されている横に「女」と印刷されているのに気付くと眉をひそめた。
 
「あら?性別が間違ってるね」
「ああ、別に気にしなくてもいいんじゃない?」
「そうだよね。本人見たら、男って分かるだろうし」
 
などと会話していた時、少し離れた所で漫画を読んでいた風史兄が笑ったのを私は目の端で見た。
 

9月はずっと学芸会の劇の練習をしていたが、その間に運動会もやってきた。
 
私は学年別の徒競走(100m)、フォークダンス、それに鼓笛演奏に出場した。家族が見ている所でやるのはちょっと問題あるよなぁ、とは思ったものの、ここは開き直ることにした。去年までも結構、そのあたりはあれこれ誤魔化してきている問題だ。
 
午前中の徒競走は、男子と女子と交互に走ったのだが、私は女子の組で走って6人中の3位であった。各組とも3位までは記念品がもらえるので、私は3位の賞品の鉛筆をもらった。お昼の休憩で家族の所に行き、記念品を見せたが、父が「なんでお前、女子と一緒に走ったの?」と訊く。
「ああ、人数の都合だよ。僕、名簿の最後だから調整されちゃうんだ」
と言うと
「あ、そうか」と納得した様子であった。
「晴音(はると)は去年も女子と一緒だったけど、最下位だったね」と天尚兄。「今年は3位だから少し進化したね」と母。
「だけど、女子と一緒ならぶっち切り1位でもいいのに」と父は少し不満そう。「うん、僕、足遅いから」と私は答えたが、風史兄はニヤニヤしていた。
 
午後最初に行われる5〜6年生のフォークダンスは、今年は1曲目がおさかな天国の歌による桜下先生のオリジナル振り付け、2曲目がマイムマイムで、どちらも男女関係無く同じ踊りをするタイプだったので、私もあまり目立たなくて済んだ。実は男女交互に並んでいて、私の両隣は男の子だったのだが、たぶん、そのことには両親は気付くまいと踏んでいた。訊かれても、また男女の人数の都合だと言い逃れることもできる。
 
そして最後は運動会のラストの演目となる鼓笛隊であった。これには私は女子の衣装をつけてファイフを吹く。これは言い逃れのしようがないなあ、と思いつつ、親のことは忘れて小学校の運動会最後の出場を私は楽しむことにした。
 
指揮者を務める1組の多絵がメジャーバトンを振り、その後ろに各クラスから1人ずつ出ている女子の旗手が旗を持って行進する。その後を楽器ごとのセクションが続いた。ベルリラを持つ女子4人、大太鼓の男子2人、小太鼓の男子12人、ピアニカの女子14人、アコーディオンの男子10人、木琴の女子14人、トランペットの男子2人、ユーフォニウムの女子1人、トロンボーンの女子2人、リコーダーの男子40人ほど、そして最後にファイフの女子20人ほど。
 
楽曲は入場口から「亜麻色の髪の乙女」を演奏しながら入ってきて校庭の中央に整列する。それから「ボギー大佐」を演奏しながら、楽器セクション単位に別れて隊列を作り、様々なフォーメーションを作る。そして最後に校舎側に横2列に長く並ぶと、うちの学校の盆踊りの歌を演奏する。「踊れる人は出てきて踊ってください」という声に、全校生徒、その家族などが一斉に飛び出してきて、鼓笛隊の演奏に合わせて踊った。6年2組の井上先生が台の上に登って模範演技をする。運動会のラストはこうして最高の盛り上がりを見せて閉幕した。
 
そのまま家族などは下がり、生徒達は学級ごとに整列しなおして、閉会式に移った。はちまきの色分け対抗の点数が発表され、赤組の優勝が告げられると歓声があがっていた。
 
6年生は鼓笛隊の衣装のまま閉会式に出たが、終わると着換え用の教室に戻り、ふつうの服に着替えてから家族の所に行った。もちろん私は4組の教室で他の女子たちと一緒に着換えた。私はみんなが脱いだ衣装をまとめて用具室に持って行く係だったので、教室の中を巡回し、あまりのんびりしている子には「はーい、さっさと脱いでね」などと促したりして回収した。女の子の下着姿を見ても私は何も感じないし、向こうも私に見られるのは全然平気な様子である。最後に服を校庭の端にある用具室まで行ってきてから家族の所に行ったのでかなり遅くなった。
 

「ただいまー」と言って両親や兄たちのいる所に行った。
「お疲れ−」
「お前、鼓笛隊はどこにいたの?探したけど分からなかった」と母。
「え?笛を吹いてたけど、気付かなかった?」
「うん。そんな話聞いてたから、探してたんだけど、見つけきれなかった。写真撮ろうと思ってたのに」
 
まあ、リコーダー組の男子の集団を探したって、そこには居ない訳だし。でも気付かれなかったら、まいっかと思いながら家族と一緒に家に戻った。
 
家の中で、母が夕飯の支度をし、父は新聞を広げて読み、大学受験を控えた天尚兄が食卓で問題集をしていた時、漫画を読んでいた高1の風史兄が、意味ありげな笑みを浮かべて、母の手伝いをしながら食卓を片付けていた私のそばに寄ってくる。そして自分の携帯を開けて、1枚の写真を見せた。
 
女子の鼓笛隊衣装をつけファイフを吹いている私の写真がきれいに写っていた。
「それ、記念に欲しい。あとでUSBメモリか何かにちょうだい」
「いいよ」と兄は言い「父ちゃんたちには内緒にしといてやるから」と耳元で囁いた。私は笑顔で「ありがとう」と言った。
 

学芸会の練習の方は、練習が進んでいくうちに更に出場者が増えていった。最後は、配役決めのクラス会で「私はお芝居は・・・」などといって配役拒否していた子まで、うまく乗せられて新年会に参列する貴族役(セリフは無い)で出場することになり、結局クラス全員参加のお芝居になった。
 
そのあたりは他のクラスでも似たような傾向になり、「オズの魔法使い」をするクラスでは、オズの所に並んでいる人たちとかの役が増殖。「小公女」をするクラスではセーラの同級生が増殖(男女共学校の設定になっていた)、「あしながおじさん」でもクリスマスパーティーの客が増殖して、どこも全員参加に近い形になっているようであった。
 
その学芸会は10月の中旬に行われた。
 
「晴音、お前、今年も女の子役なの?」と母が言う。
「うん。女王様の役だよ。嫌な性格の役だから、女子の方で希望者がいなくて。他に、アーニャの母と姉の役も希望者いなかったから、令子と好美が引き受けた」
「ああ、令子ちゃん、好美ちゃん、あとカオリちゃんあたり、お前と仲良しだよね」
 
「うん。カオリは美人だからね。去年も一昨年も主役だったんだけど、当日になって風邪で休むんだもん。おかげで、私が白雪姫にモルジアナに演じたけど。でもカオリ含めて4人で割とまとまってるし、学級委員のみちるとも割と仲がいいから、そのあたりで実質学芸会の実行委員みたいな感じになって練習の進行とか背景の絵のCG作成とかもしたし、他の子が嫌がる役も自分達で引き受けたんだよね」
「なるほどねぇ」
 

果たして、その年の学芸会の日はカオリは急に風邪で休むこともなく、無事、アーニャ役を務めてくれた。おかげで私は初めて予定通りの役を演じることになった。出番を前に女子の控え室で女王の衣装に着替えてから他の子とおしゃべりしていたら、森平先生が来て
 
「吉岡・・・さん? あなたそういう衣装付けると凄く美人度が上がるのね!あ、ごめんなさい。生徒に美人とか言ったらセクハラになるんだった」
「ハルは男の子だからセクハラ関係ないですよ」と令子。
このあたり令子は私のことを都合によって男の子扱いしたり女の子扱いしたりする傾向がある。
「でも、この子、こういう衣装が異様に似合うんですよね」
 
カオリが寄ってきて「ハル〜、毎年代役やらせちゃってごめんね。今日は頑張るからね〜」などと言ってハグした。
 
「あ、先生、カオリとハルが並んでるところ、記念写真撮ってください」
「うんうん」
といって首から提げていたデジカメで先生は撮影している。
 
「でも、西本さん、吉岡さんをハグしちゃうのね・・・」
「だって女の子同士だもんねー」と言ってカオリは更に令子、好美、みちる、ともハグしてから、他の子たちの方へ行った。
 
「あの子、けっこうハグ魔だよね」と、みちる。
「首に抱きつくのも、よくやるよね」
「私がハグとかされてるのを見た男子が恨めしそうにこちら見るんだよね」と私。「カオリ、ひょっとして女の子が好きなのかもね」と令子。
「ああ、それあるかも」と私も言う。
 
「あんな美人なのに、今まで1度も恋人作ってないもんね」と好美も言う。「ラブレターは山のようにもらってるみたいだけどね」と私が言うと
「ハルだって、かなりラブレターもらってるでしょ。男の子たちから」と令子。
「あはは、あれ冗談なんじゃないかなあ」
「そんなことないって。結構真剣にハルのこと好きな男の子いるよ」
「うーん。。。」
 

やがて学芸会で私たちのクラスの番になる。
 
まず、幕の前に下手からアーニャ(カオリ)、上手から老兵士(高岡君)が登場する。ふたりとも薪を乗せたソリを引いている。老兵士は寒い中で薪を集めているアーニャを気遣い、ついでのように、森の奥で大晦日の夜には12の月の精が集会をする伝説があることを話す。
 
幕が開くと、お城である。わがままな12歳の女王(私)は、死刑囚の助命嘆願に来た大臣(山崎君)の申請を却下して即刻死刑を執行するよう命じたり、家庭教師(みちる)が教える計算問題の解答をねじ曲げていい加減な答えを正解ということにして、文句あったら死刑にするからね、などと言ったりする。
 
大晦日なので、年越しの挨拶に来ている人たちが多く、東の国の大使、西の国の大使や、多数の貴族・貴婦人たちから様々な贈り物をもらうが、唐突にスミレの花が欲しいと言い出す。家庭教師や大臣が「スミレの花は春にならないと咲きません」と言うが、女王は
 
「私がスミレの花が欲しいと言っているのよ。スミレの花を摘んで持ってきた者には、そのカゴに同じだけの金貨を授けると、お触れを出しなさい」
と命じる。(こういう命令の仕方があまりにもハマっていたので、私は坪田君から『SMの女王様になれるな』と言われた。私は意味が分からなかったので聞き直したのだが、令子が『後でゆっくり教えてあげるから』と言った)
 
暗転して登場人物交替。プロジェクタで投影している背景は粗末な小屋になっている。、エレーナ(好美)と母(令子)が火が消えてしまったペチカの前で震えているところに、薪を積んだソリを引くアーニャが帰宅する。エレーナと母があれこれ文句を言いながらも薪をペチカに入れて火をつけると3人はひとごこちする。そこへ、お城の広報兵の声が響き、スミレの花を摘んできた者には、そのかご一杯の金貨を授けるという。エレーナと母は顔を見合わせ、アーニャに、カゴを持たせて、スミレの花を摘んでこいと言う。
 
「無理です。スミレの花は春まで咲きません」と困惑するアーニャ役のカオリ。
「だけど摘んでくれば、金貨がどっさりもらえるんだよ。さ、行って摘んでおいで」と母役の令子。
 
アーニャは抵抗できずに暖かい家から追い出されて、雪の降る森の中へ歩き出す。幕が下りてその幕の前を上手から登場し、半ばよろけながら歩くカオリ。やがて倒れてしまうが、カラスとリスが下手から出て来て「寝ちゃダメだよ」
と言って、松ぼっくりを投げて起こす。目が覚めて立ち上がったカオリは「あれ?向こうの方に焚火があるような気がする」と言って下手へ歩いて行く。
 
幕が開くと、真っ白な背景の前に焚火があり、12人の月の精たちが集まっていた。そこに上手からカオリが登場し「すみません、あまりにも寒くて。しばらく、ここで休ませてもらえませんか?」と尋ねる。快くその願いを受け入れる12月の精(笹畑君)。そして月の精たちが、なぜ大晦日のこの吹雪の晩に森に来たのか尋ね、アーニャ(カオリ)が、母と姉に言われてスミレの花を摘みに来たこと、摘まないと家に帰れないことを話す。
 
同情した4月の精(木村君)が、今の時間を担当している1月の精(坪田君)に少しだけ自分に時間を譲って欲しいというが、4月に譲るには2月と3月の許可も必要だと言われ、4月は1月・2月・3月に許しを乞うて、4月の気候を呼び出す言葉を唱えた。
 
ずっと流れていた吹雪の効果音が消えて、ビバルディの「四季・春」のメロディーが流れる。プロジェクタで映している背景も真っ白な雪景色から春のものに切り替えられる。
 
「あ、ここにスミレの花が!」とカオリは嬉しそうに言って花を摘み、かごに入れた。月の精たちに御礼を言って帰ろうとするが、4月の精はアーニャに指輪を渡して、この指輪を持っていれば、また会えるよと言い、自分たちを呼び出す歌も教えた。
 
暗転。アーニャはスミレの花をかご一杯に摘んで帰宅するが、疲れたのでそのまま倒れるように眠ってしまう。その間にエレーナと母はアーニャが摘んできたスミレのかごを持ちお城に行こうとするが、その時、アーニャが指輪をしているのに気付き、値打ち物の指輪のようだといってエレーナがアーニャの指から外して、自分の服のポケットに入れた。
 
暗転。お城ではもみの木に飾りが付けられ、マロース爺さん(サンタクロース)の扮装をした人がみんなにフレゼントを配ったりして、新年会が行われていた。そこにエレーナと母がスミレの花を持ってきて女王(私)は喜ぶが、どこで摘んで来たのか?という問いにふたりは答えに窮す。そして女王は、私をそこに連れて行けと言い出す。
 
「連れていくのがいいか?それとも死刑になるのが好きか?」
という私の問いに、令子と好美は「分かりました。ご案内します」と答える。
 
暗転。アーニャの家。大臣や家庭教師など、お付きの者たちを引き連れて、一行がここに来る。アーニャはまだ寝ていたが起こされる。指輪が無くなっているのに気付き「お姉ちゃんが取ったの?返して。あれがないと、あそこに行けない」
と言うが、エレーナは指輪なんか知らないという。
 
それでもその場所に連れて行けという姉たちや女王たちのことばに、渋々歩きはじめるアーニャ。幕が下りてその前での演技。一行は歩いて行くが、指輪がないとどうにもならない。やがて吹雪が来て、お付きの者たちがあるいは離れ離れになり、あるいは逃げ出していく。
 
「なぜこんな吹雪なのじゃ?スミレの咲く園はまだか?」と私。
「姉が指輪を隠してしまったんです。あれがないと辿り着けません」とカオリ。「お前が隠したのか?指輪を返してやれ」と私。
「そんなの知りません」と好美がしらばっくれていたが、やがて切れて「こんな指輪!」と言って、ポケットから出した指輪を投げ捨ててしまう。
 
その時、カオリが4月の精から習った歌を歌った。
 
幕が上がる。背景は春の情景で、春を告げる調べ(アルルの女のメヌエット)が響く。12人の月の精たちがひとりずつ登場して杖をかかげると、季節が順にやってきた。それぞれの月を象徴する音楽が流れていく。プロジェクタで映す背景も、その季節のものに切り替わっていく。夏が来て秋になり、やがてまた冬がやってきた。ふたたび凍える一行。
 
7月の精(環)が「お前たちは何をしにここに来たのか?」と問う。
「申し訳ありません。森の中で道に迷ってしまったのです」と家庭教師。「それは難儀だね。まあ、新年だし、願いなら聞いてやるよ」と7月の精。
 
女王(私)は「私たちをお城まで案内しなさい。褒美に金貨をたくさんあげる」
と言うが、7月の精は「私たちはたくさん持っている。金貨などいらない」
と答えた。
 
家庭教師(みちる)が「女王様、褒美をあげるとか命令するとかではなく、ちゃんとお願いをしてください」と言った。
「お願い? 私はそんなことしたことがない。いつも命令していた」
「でも、ここはお願いをする必要があります」
 
私は「私たちを助けて。このままだとみんな凍え死んでしまう。この者たちは私の大事な者たちなのだ」と言ってから少し間を空けて「お願いします」と言う。「よいだろう。お前の願いは聞き届ける」と環。
 
「他の者たちも何か願いがあるか?」と10月の精(美奈代)が問うた。
 
「春には春が来て、冬には冬が来て欲しいです」とみちる。
「うん。そうなるであろう」
「私は、暖かい所に行けたら充分です」と老兵士(高岡君)。
「うん。すぐに暖かい所に行けるだろう」
「私は犬の毛皮のコートでも着たい」とエレーナと母。
「そうか。犬の毛皮が着たいか?」と美奈代が言うと、ふたりは「あれ?」と言いながらしゃがみこみ、四つん這いになって女王のソリの前に座った。
 
「あら?このふたり犬になっちゃった」と家庭教師。
「ちょうどいい。こいつらにソリを曳かせましょう」と老兵士は言うと、ソリに女王と家庭教師を乗せ、2匹の犬にソリを曳かせて、上手に去って行った。
 
「お母ちゃんとお姉ちゃんが犬になっちゃった・・・・」
「春になったら元に戻るから大丈夫だよ」と4月の精が言う。
「あのふたりも少し反省したほうがいいからね。あるいは放置していてもいいけど。あのふたりを元に戻してもいいと思うなら、あとでお城に行って、あの2人の犬を返してもらって、君のうちで飼ってあげるといい」
「取りに行きます」とアーニャが言うと4月の精は満足そうに頷く。
 
「そうだ!私、指輪を無くしてしまったんです。ごめんなさい」とアーニャ。「指輪というのはこれかい?」と4月の精は、さきほど姉が投げ捨てたはずの指輪を見せた。
「ああ!」
「指輪はちゃんと僕が受け取ったよ。それに僕たちを呼び出す歌を歌ってくれたからね。そうだ、僕たちから君にもプレゼントをあげる」
 
12人の精がアーニャ(カオリ)を取り囲み、ぐるぐる回る。輪が解けると素敵なドレスを着て、銀色のティアラを付けたアーニャがいた。4月の精が寄ってきて指輪を再度渡した。
 
「ありがとうございます」と言うとアーニャは月の精たちの歌を歌う。12人の月の精たちもそれにあわせて一緒に歌って、幕が下りる。
 

劇を見ていた母は例によって他のお母さんたちの会話を他人事のように聞いていたという。さすがに3年目になると、かなり開き直りの気持ちが出来てきたとも言っていた。
 
「主役のカオリちゃん、やっぱり可愛いわね!」
「ほんと美人よね、あの子。ミスコンとかに出したい感じ」
「女王様役の子も可愛いかったね」
「ああ、あの子、はるねちゃんって言うんだって」
「へー。一昨年は白雪姫、去年はモルジアーナをしていた子よね」
「そうそう。あの子も凄い美人ね」
「でもどこんちの子だったっけ?」
「さぁ・・・」
 
などという会話が飛んでいたらしい。
 

「ねえ、晴音(はると)、あんた本当に女の子の服が似合うんだね」
と家に帰ってから母は私に言った。その日は父はまだ仕事から帰ってきておらず、ふたりの兄は模試を受けに行っていて、私と母のふたりだけで、私たちは一緒に夕飯の支度をしていた。カレーを作るのに、母がタマネギを炒めていて、私はジャガイモの皮を剥いていた。
 
「うん。私、女の子の服って、けっこう好きかも」
「お前さ、父ちゃんや天尚がいる所では『僕』って言うけど、私や風史しかいない所では『私』って言ってない?」
「うん。友だちと話す時もだいたい『私』って言うよ」
 
「お前、男の子の友だちより女の子の友だちの方が多いよね。うちに連れてくるのって女の子の友だちばかりだし」
「そうだね。令子やカオリとは特に仲がいいから、お互いの家によく遊びに行くし」
 
「ひょっとして女の子になりたいとかないよね?」
「けっこうなりたいかも。ほんとは中学にはセーラー服で通いたい気分」
「それは父ちゃんが腰抜かすよ」
 
「ねえ、お母ちゃん、私料理いろいろ覚えたいんだ。教えてよ」
「そうだね。お前よく台所の手伝いしてくれてるしね。じゃ、お前が早く帰ってきた日は晩御飯作るのしてもらおうかね」
「うん」
 
それで私はこの頃から晩御飯を作るのをよくやるようになり、たくさん料理も覚えたし、魚をさばいたり、漬け物を漬けたり、昆布巻きを作ったり、焼き豚や腸詰めのソーセージを作ったり、小麦粉からピザの生地を作ったり、ロールパンやメロンパンを焼いたり、そばを打ったり、などというのも中学2年生頃までには、かなりできるようになっていった。
 
また、それまで時々令子やカオリの家でだけしていたお菓子作りも、ふたりを自分の家に呼んでこちらでもするようになった。
 

やがて、年も暮れ、新しい年がやってきた。
 
年明けてすぐに女の子たちは中学の制服の採寸をしていた。私は令子とカオリの採寸に付き添いで行ったが、ふたりが採寸されるのを憧れるように見ていた。
 
令子が「ハル、女子制服を作らないにしても寸法だけは測ってもらったら?」
などというので、お店の人もそれでもいいですよ、といって私の寸法を測ってくれた。「お姉さんのお下がりとか着る予定なのかな?」とお店の人は言う。私はその採寸表の写しを大事にしまった。
 
「一応その採寸表の番号でデータベースには入れておくからね。作りたいと思ったら言ってくれれば、2〜3週間で作れるから」
とお店の人は言った。
「でも、あなたホントに細いねぇ」
 
この頃、私はまだウェスト57cmであったが、成長期だしということで、お店の人の勧めで作るならウェスト59cmか61cmにした方がいいと言われたので私は61cmということでウェストは記入していた。バストも当時はA70のブラを付けていたが、制服ではB75ということにした。バストがBサイズまで成長するとは思えなかったが、身長があるから、そのくらいの方がバランスが取れると言われた。
 
2月のバレンタインでは、私も令子もカオリも特に本命チョコというのは渡さなかったのだが、義理チョコを欲しがっている男子がたくさんいたようなので私は一口チョコ、カオリもミニチョコのファミリーパックを買って、男子たちに1個ずつ配ってまわった。令子はそういうのがあまり好きではないので「義理チョコ?そんなのしないよ」などと言っていた。
 
教室では一応一口チョコだけをみんなに配ったのだが、それまでに私に個人的にラブレターをくれていた子たちには、ブラックサンダーを個別に相手がひとりでいる所を狙って渡しておいた。ひとりの子からは「本当に付き合えない?」とかなりマジな顔で言われたのだが、私は「ごめんね、恋愛とか自分にはちょっと早い気がして」と言った。その子からは後日再度ラブレターをもらった。
 
あまりにも熱心だったので、私は付き合えないけど1度だけデートしようか、と言って、一緒に町に出て数時間散歩をした。私はこの時、初めて個人的な外出でスカートを穿いた。そんなことをしたのは小学校時代にはこれが唯一の体験だ。(と令子に言ったら「ダウト!」と言われたのだけど)
 

3月3日は水曜日だったが、ひな祭りなので、学校が終わったあとカオリの家にクラスの女子の大半が集まって、ひな祭りをした。一応女子全員に声を掛けたのだが、用事があったり、自分の家でどこか外食に出たりするなどということで欠席した4人を除いて12人が集まった。カオリは私や令子と特に仲が良いものの、基本的に誰とでも気軽に話して、派閥を作らない性格なので、カオリに呼びかけられたらというので、多くの子が集まってくれた。またカオリの家は広いので、この人数が集まっても全然平気なのである。
 
私たちは12畳ほどある広い仏間にいたのだが、そこに五段飾りの雛人形が飾られているので、その前でみんなで記念写真を撮った。
 
「最近はこんな大きな雛人形を飾る家はあんまり無いよね−」
「そうそう。うちのお母さんの時代とかは、狭い家でも結構大きなの飾ってたらしいけど、最近は大きな家でも、男雛・女雛のセットだけ飾る家が多いよね」
「うちの雛人形はおばあちゃんが生まれた時に買ったんだって」とカオリ。
「それっていつ頃?」
「おばあちゃんは昭和24年生まれだよ」
 
「その時代だと、逆によほどお金持ちの家だけじゃない?こんなの買ったのは」
「そうみたい。おばあちゃんの実家は大工さんで、当時は戦後の復興期で建築も多くて景気良かったみたい。でも、おばあちゃんが中学生の頃に大手の建築会社が作るツーパイフォーとかの安い家に押されて仕事がなくなって倒産しちゃって、この雛人形もいったん債権者の人に持って行かれたんだけど、親しい人だったんで、おばあちゃんが結婚した時にお祝いにといって返してくれたらしい」
「わあ、じゃおばあちゃんのホントに想い出の人形なんだね」
 
私はその雛人形たちが、私たちをとても優しく歓待してくれているような気がして、じっと人形たちを見つめていた。三人官女のひとりがこちらを見てニコッとしたような気がして、ドキッとした。その時私はその官女から何か言われたような気がした。
 

甘酒を飲み、ひなあられを食べていたところにカオリのお母さんが、ミニ雛ケーキの皿を両手に持って入ってきた。
 
「よく冷えてるよ」とお母さん。「まだあるから食べたら持ってくるね」
「わあ、可愛い!これどこに売ってあったの?こんな小さいの」
「これ、昨日、ハルと好美と3人で作ったんだよ」とカオリ。
「えー?すごい」
「最近、ハルがお菓子作りにすごく凝ってて」
「へー」
 
「ちなみに私は見学と味見係ね」と令子。
「ああ、令子、こういうの苦手だもんね」
「私は時々男に生まれてたら楽だったろうなって思うよ」と令子。
「それで私と性別逆だったら良かったのにねって、ほんと子供の頃から言われてたよね」と私も言う。
 
「でもハルは最近、料理もお菓子作りもどんどんレパートリーが増えてるみたい」
「うん。去年の秋から、晩御飯をお母ちゃんと1日交替で作るようになったからね。土日は朝昼をお母ちゃんが作って、晩御飯は私が作る」
「へー、花嫁修業?」
「そうそう。私、けっこう花嫁さんになる気あるし」
「おお、頑張ってね」とあちこちから声が掛かった。
 
「でも私も中学、セーラー服で行きたかったなあ」と私は嘆くように言った。
「ああ。残念だね。学生服買ったの?」
「買った。でもズボンのサイズが合わなくて困った」
「だろうね!」
「結局通販で買ったんだよね。実はコスプレ衣装を通販しているショップ」
「もしかして女の子がガクランのコスプレする用?」
「そうそう」
「実際、ハルが学生服を着ること自体、ほとんどコスプレかもね」
「あ、そんな気がする」
 
「ね、ハル、ひな祭りだし、私の中学の制服、ちょっと貸してあげようか?」
とカオリが言い出した。
「えー?だってカオリもまだそれあまり着てないんじゃない?」
「私とハルの仲だもん。構わないよ」
「ああ、ハルのセーラー服姿、見たい見たい」
 

そういう訳で、私はカオリと一緒に2階にあるカオリの部屋に行き、セーラー服を借りた。
 
「着方分かる?」
「だいたい分かると思うけど・・・このスカーフはどんな感じにするのかな?」
「ああ、それ私もまだよく分かってないのよね。こんな感じかなあ」
とカオリはスカーフを結んでくれた。
「ありがとう」
 
「だけど、今日はハル、女の子下着だったのね」
「うん。スリップも付けてて良かった。ブラとショーツだけの時が多いんだけど寒いかなと思って出がけにスリップ着て来たんだよね」
「最近は体育の時も女の子下着つけてるけど、もうそちらの方が多くなった?」
「うん。冬は厚着で下着の線が見えないのをいいことに、女の子下着つけてる率が高い」
 
「もしかして、女の子下着の数、増殖してる?」
「してる。最初はお小遣いで少しずつ買ってたんだけどね。最近、お母ちゃんが買ってくれる時もあるんだよね」
「へー」
「お母ちゃん、何か楽しそうに見せて、お父ちゃんには内緒だからね、なんて言われる。お母ちゃん、やたらと可愛いの買ってくるんだよね。スカートもけっこう買ってもらった。今6着くらいあるよ」
「ほほお」とカオリは楽しそうな顔をした。
 
「こないだ○○君とデートする時に穿いたってのも、そのスカートね」
「うん。桜色のプリーツスカート穿いてったんだよね」
「ああ、ハルって桜色が好きだよね」
「うん。ちょっと思い入れがあってね」
と言って私は一瞬遠い所を見る目をした。
 

一緒に下に降りて行くと歓声が上がった。雛人形の横に立って記念写真。また他の子と並んで、記念写真を撮った。
 
「でもハル、髪の毛はどうするの?」
「入学式の前日に切る。悲しいけど」
その頃、私は胸くらいまで髪を伸ばしていた。
 
「ちょっと可哀想」
「高校卒業するまで6年間は女の子封印かなあ」と私は言ったが
「あ、それ絶対無理」と好美に言われた。
 
「ハルは学校では仕方なく男の子の制服着てても、学校から1歩出たら女の子に戻っちゃうだろうね」と環。
「うんうん。あるいは早々に性転換しちゃうかだよね」と朱絵。
「ね?ひょっとして既に性転換済みってことは?」
「性転換してたら、堂々とセーラー服着て通うよ」と私は笑って言った。
 

やがて、卒業式の日が来た。男の子も女の子も中学の制服を着ている子が多かったが、私はふつうの服で出席した。こういう服で学校というものに出られるのはこれが最後かと思うと、私はちょっと悲しい気分になった。
 
教室に戻り、先生から卒業証書をひとりずつもらう。私は例によって女子の最後に「よしおか・はるねさん」と呼ばれて出て行き受け取った。結局この6年生の1年間、私の名前はずっと女子の方に入ったままだったのである。そもそも森平先生は私の名前が本当は「はると」と読むことを最後まで知らなかったっぽい。
 
先生からお話があったあと解散となる。私立に行く数人(うちのクラスの女子では潤子と多美の2人)以外は全員同じ中学に進学するので、またすぐ会えるのだが、それでもやはり卒業というのは不思議と涙が出てくる。
 
私が教室を出て、何となくそのまま帰りがたい気分で中庭の池のそばに立っていたら、「どうしたの?吉岡さん」と男の子に声を掛けられた。
 
振り向くと学生服を着た荻野君が立っていた。彼は6年では1組になっていたので、この1年は話す機会が少なかった。それでもけっこう顔を合わせれば話していたのだが。
 
「なんか寂しいなと思って・・・・」
「また中学ですぐ会えるじゃん」
「そうだけどねー」
「吉岡さん、今日、学生服を着なかったんだね」
「学生服着たら、男の子になっちゃうから。まだ男の子にはなりたくないの」
「学生服なんてコスプレでもするつもりで着ればいいと思うよ」
「うん、女の子の友だちからも言われた。これが中学の卒業式なら、荻野君の第二ボタン欲しいところだな」と私は笑って言った。
 
「これからこの制服使うから、まだ第二ボタンはあげられないけど、予備のボタンならあげようか?」
「え?ほんと?」
荻野君がポケットから取り出して差し出すボタンを私は喜んで受け取った。
「嬉しい・・・大事に取っておく」
 
「いろいろ辛いこともあるだろうけど、頑張ろうよ」
「そうだね」
「吉岡さん、友だちに恵まれてるし、女の子の友だちに言いにくいことあったら、僕でよければいつでも相談に乗るし」
「うん・・・ありがとう。あ、そうだ。これ受け取ってくれないかな?」
と言って、私はホワイトチョコレートの包みを荻野君に渡した。
「ホワイトデー?」
「そう。ホワイトデーの前に卒業式があるってひどいよね」
「せっかくだし、もらっておこうかな」
 
私は荻野君としばし見つめ合っていた。
 

中学は4月9日が入学式だったので、前日の8日に私は行きつけの美容室に行って髪を短く切ってもらった。凄く短くなった髪を見て、私はとても悲しくなった。(私は5年生の頃から理容室ではなく美容室に行くようになっていた)
 
少し鬱な気分で学生服を身につけ、登校する。うちの小学校と隣の小学校の2校からこの中学には進学してきているので、クラスは40人で6クラスあった。令子とカオリとも違うクラスになってしまったが、荻野君、環、好美などとは同じクラスになった。
 
担任の先生が入ってきた。男の先生で「館茂(たて・しげる)」と名乗った。最初の出席を取る。私は鬱な気分だったので、ぼーっとしてそれを聞いていた。ふと気付くと、点呼はいつの間にか男子が終わって女子のほうに進んでいた。あれ?私呼ばれたっけ? この時は私も上の空だったので、あまり深く考えなかった。女子も最後のほうにさしかかり「雪下さん」と私の前の席に座っている好美が呼ばれて「はい」と返事をする。そしてその次に「吉岡さん」と私の名前が呼ばれた。
 
「はい」と私は返事したが、ぼーっとしていたので、中学の校内で使うつもりで最近少し練習していた男の子っぽい声ではなく、いつもの女の子っぽい声になってしまった。
 
先生はこちらを見るとこう言った。
 
「なぜ君は学生服なんか着てるの?ふざけないで、ちゃんと女子の制服着なさい。それ、お兄さんから借りたの?」
 
私はそれまでの鬱な気分が吹き飛び、ちょっと楽しい気分になった。
「済みません。ちゃんと着換えて来ます」
と言ってスポーツバックを持って席を立つ。
 
5分後、《女子トイレ》で手早く女子制服に着替えた私が席に戻ると、教室内にどよめきが起きる。先生は満足そうにこちらを見たが
 
「君、髪を少し切りすぎてるね。まるで男の子みたいな長さだよ」と言った。
「そうですね。ちょっと切りすぎました。でも切りすぎたのは仕方ないから伸びるのを待ちます」と答えた。
「それがいいね」
と言うと、先生は、中学生活を始めるにあたっての注意を色々話し始めた。
 
 
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【桜色の日々・小6編】(2)