【夏の日の想い出・4年生の夏】(2)

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「社長は今週いっぱいはアウトバーンズのCD作成に専念したいということでスタジオなので。どうしても必要なら出て行くけど、私たちで話を決めていいと言われたから」
と花枝が説明する。
 
「実は★★レコードの加藤課長から、ローズクォーツの『Night Attack』を再録音できないかという話が来たのよ」
 
それは私がほんの2日前に加藤さんと話した件だ。私も迷っていたのだが、加藤さんはこのCDはやはり再録音した方が売れると踏んだのだろう。
 
「再録音って、あれ何か問題あったんだっけ?」とタカ。
「私にもよく分からないんだけど、耳の良い人に聴かせると『Night Attack』と『ウォータードラゴン』は音のmaxとminが振り切れてるんだって」
 
「ケイ分かる?」
「気付いてたけど、原則として私ローズクォーツのことには口出ししないことにしているから言わなかった」
と私は言う。
 
「う、そのくらいは言ってくれてもいいんだけど」とタカ。
 
「ああいうダイナミック・レンジの大きい曲は、耳の良いサウンド技術者に録音させなきゃダメだよ。しかも絶対20代。人間の耳って、年齢を重ねると自分でも気付かない内に聴力が落ちている。30代以上の技術者にはあれは録れないと思う」
 
「だとすると、山形さんなんかが最適か」
「そそ。あの人まだ25歳だからね」
「じゃ、録り直しするならあそこだな」
 
「それで加藤さんが言うにはね。今月に入ってから始まった『しろうと歌合戦』
の影響と、10日頃から打ち始めた『魔法の靴/空中都市』のテレビスポットで、ローズクォーツのCDが売れているんだけど、動いてるのは『魔法の靴』『Girls Sound』『Easy Listening』の3つだけで、『Night Attack』はピクリとも動かないんだって。それで社内で検討した結果、『Night Attack』の音質が悪いのと外装のセンスが悪すぎるのが問題ではということになったらしい」
と花枝は説明する。
 
「確かに『魔法の靴』は俺とケイが強く主張して、一流のスタジオで録音したし、外装も本職のデザイナーに作らせたから」
とタカ。
 
「『Girls Sound』は雨宮先生がプロデュースしてるし、『Easy Listening』はケイちゃんがプロデュースして、どちらもしっかりした作りになってるよね」
と花枝。
 
「たしかにそれらと比べると『Night Attack』は安っぽい」
 
「それで録音しなおして、外装も作り直そうと」
「社長はここに来ないってのは、その話でスネてるの?」とタカ。
 
「それがさぁ。加藤さんが突然うちを来訪して、私も同席して社長と一緒に聞いてたんだけど、加藤さん、『Night Attack』の録音技師とミクシング技師、それからジャケ写を撮った写真家、外装デザインしたデザイナーはレベルが低すぎるというのが★★レコードの社内技術陣・デザイナー陣の意見です。変えられた方がいいですよ、と」
 
「『Night Attack』の録音したのとジャケ写を撮ったのと外装デザインしたのって社長だよね?」
 
「そそ。それですねてるみたい」
「あはは」
「取り敢えず今回の録り直しは、私とタカ・ケイに任せると言われた」
 
「いいんじゃない。しっかりしたものに作り直そう」
とタカは言った。
 

「じゃ、その2曲だけ録り直すの?」
と私は訊いたが、
 
「これは私が改めてあのCDを聴いて考えたことなんだけど」
と花枝は言った。
「『オルタネート・ラバー』と『ダークアロー』を外したい。正直言わせてもらって楽曲のレベルが低い。ノリがいいからライブでやったら受けるだろうけどさ。曲自体は詰まらないよ」
 
「ああ。でも最近、この業界全体的にそういう曲が多くないですか?」
「打ち込みの普及も影響してるよね。何か格好よくドラムスワークやベースライン入れて誤魔化そうって曲」
 
「海外でも、**とか何故あんなのが売れるという気がする。音楽じゃなくてただの音だよ」
とタカは結構きついことを言う。
 
「ローズクォーツはもっとしっかり曲作りしようよ。それでさ、忙しいのに悪いとは思うんだけど、代わりにケイちゃん2曲ほど提供してもらえない?」
 
「2曲書いてもいいけど、マキは最近何も書いてないのかな? タカ聞いてない?」
と私は尋ねる。
 
「うん。どうも不調っぽい。何個か見せてもらったけど、これじゃ売れんと言って却下しておいた。やたらと難しいコード使いに陥ってる。典型的な不調パターンだと思った」
「ああ」
「タカは書かないの?昔『君の微笑み』とか書いたじゃん」
「あれは俺の黒歴史にさせてくれ。曲書いたのなんて、中学生の時以来だったよ」
 
「ふーん。中学生の時にどんなの書いたの?」
「当時は自分は天才ではとか思ったんだけどさ、今の自分が見れば詰まらない曲だな」
 
「詰まらないかどうか聞かせて」
「うーん」
 
と言いつつ、タカは楽器室から備品のアコスティックギターを持って来た。
 
「まあ『イースト・ガール』という曲なんだけどね」
と言って弾きながら歌い出す。
 
私も花枝も曲を聴いてて吹き出した。
 
「お、おもしろい」
「イースト・ガールって、東の女の子かと思ったら、発酵してる女の子だったのか!」
「まあダブルミーニングだね」
 
「でもいい曲じゃん」
「そうか?」
「メロディアスだし、アレンジ次第では結構行けると思うな。花枝さんどう思う?」
「うん。この曲は楽しんでくれると思う。編曲次第」
「よし。これイリヤさんに編曲してもらおう」
「おっ」
 
「たださ。下ネタはやめない?」
「ああ。じゃ、そこの歌詞は書き直す」
 

そういう訳でタカの作品『イースト・ガール』(メロディーもタカ自身が若干補作修正した)とマリ&ケイの作品『レインボウ・ドリーマー』という曲を採用することにし、下川工房に峰川さん指定で編曲を依頼した。そのアレンジ譜は28日朝に送られて来たが、『イースト・ガール』のアレンジ譜の Il y a マークの印の右に手書きで「楽しい曲ですね。個人的にすごくうけました!」などいうメッセージが入っていた。
 
私たちは渋谷の山形さんのスタジオで録音作業をすることにし、29日いっぱい新しい譜面で練習した上で30日に山形さんの手で録音を行った。急な予約だったので、山形さんの手が空かなければ、どなたかできるだけ若い技師の方ということでお願いしたが、山形さんは入っていた予定を他の技師さんに代わってもらってこちらをやってくれた。
 
ミクシング・マスタリングも今回は若い人にとお願いして、スタジオで最も若い米沢さんという専門学校を出てまだ2年のミキサーさんにお願いした。
 
ところでマキは呼び出されてきて
「あれ? 新譜の予定しばらく無かったんじゃないの?」
などと言い、収録が終わった後も
「今回の新譜は1月のシングルに入れた曲をまた入れたんだね」
などと言っていた。
 
どうも趣旨を理解していない感じであったが、私もタカも放っておいた。
 
「マキちゃん、宿題」
と花枝は言う。
「10月くらいまでにプラチナ売れそうな曲を3曲書いて」
「プ、プラチナですか?」
「毎週テレビの仕事があるから、なかなか時間取れないだろうけどさ」
と言って花枝はiPhoneでローズクォーツのスケジュールを確認する。
 
「8月24日は特別番組で『しろうと歌合戦』がお休みだから、8月18日から29日まで、12日間、マキちゃんは休暇にするから、奥さんとふたりでどこか旅行にでも行っておいでよ。一度頭をリフレッシュした方がいい曲書けるよ」
「12日も?」
「こないだ台湾行くのにマキちゃんパスポート作ったし、奥さんのパスポートも作って海外とか行ってくるのもいいし、マキちゃん車運転できるから予定も定めずにドライブして日本全国駆け巡るのもいいだろうしね」
 
「まあマキが休みだと、他のメンバーも結果的には実質休みだな」
「まあね」
「そうだ。旅費に会社から50万支給するよ」
「50万!?」
「お、いいな」
「もちろん返さなくていいからね」
 

『Night Attack』の新装版を出すに当たって、私と花枝・タカはライナーノートを書いてくれる人として、UTPアカデミーのギター講師でもあるnaka(中村将春)さんに白羽の矢を立てた。
 
話をしてみると快諾してくれたので、実際の楽曲を聴いてもらい文章を書いてもらった。こちらで文章の専門家に校正をさせて、校正した内容をnakaさんにチェックしてもらう。誤解のあった部分を更に書き直してもらい、その後は私と花枝でチェックし、それで完成稿とした。
 
また新しい外装デザインも『魔法の靴』を作った時の写真家さんとデザイナーさんに依頼した。
 
この新装版は8月21日に発売され、結果的には私が休養中であるため新譜を出せないローズクォーツの「補間CD」の役割も果たすことになった。
 

7月30日。ローズクォーツの「録り直し」作業を終えて帰宅したら、政子が
 
「冬〜。頭が煮詰まった(誤用)」
と言った。
 
「あんまり煮詰まったから冬の高校時代のヌード写真で遊んでた」
と言って政子は写真を見せる。
「ぶっ」
「ここに松茸の写真を重ねて、これでモーフィング掛けると、こうなる訳」
「あはは」
「おちんちんが小さくなって行って消滅して女の子のお股になる感じがいいなあ」
「悪いけどこの動画後で消去させてもらうから」
「1時間掛けて作ったのに〜」
「万一流出でもしたら★★レコード倒産するから」
「うーん、仕方無いな」
 
「でも。最近ずっと部屋の中で卒論書いてるもんね。でも明後日は静岡ライブ、翌日は富山、1日おいて沖縄だから、気分転換にもなるし、美味しい御飯も食べられるよ」
「私、プルコギ食べたい」
 
「ああ。じゃ韓国料理店にでも行く? 新宿に出れば、遅くまでやってる所あるし」
「私、ソウルで食べたいなあ」
「うーん。。。じゃ、沖縄公演が終わった後、ソウル行く? 韓国は観光ならビザ不要だから、航空券取ればすぐ行けるし」
「明日行きたい」
 
「明後日、ライブがあるんだけど」
「だから明日日帰りで」
「えー!?」
「できない?」
 
「うーん。。。。じゃ、あまり遅くならない便で帰ってくる。だから事実上お昼食べたら帰ってくる感覚」
「うんうん、それでいい」
 
「じゃ、航空券予約するよ」
 
ということで私は政子のワガママで、翌日朝の羽田発金浦行きと、夕方4時の金浦発羽田行きのチケットを押さえた。
 
「予約したよ」
「サンキュー。冬大好き〜」
と言ってキスする。
 
「今日の晩御飯は食べた? 私ひとりならお茶漬けでも食べようかな」
と言ったら政子は
「え?今から新宿に行くんでしょ?」
などと言う。
 
「へ?だからプルコギは明日ソウルで食べるのでは?」
「そうだなあ。じゃ今日は日本の焼肉を食べよう。for comparison」
「はいはい」
と言って私は苦笑して、焼肉を食べに行くのに良いような服に着替えた。
 

翌朝8:50のANA-1161便 B777-200ER機のビジネスクラスに乗って金浦空港に行った。私は「寝る!」と宣言して機内ではずっと寝ていた。飛行機を降りて、入国審査に行くと、入国カードに滞在先が書かれていないことを指摘された。
 
「Where are you staying?(どこに泊まりますか?)」
「Day trip (日帰りです)」
「Business?(お仕事ですか?)」
「No. Only for lunch.(いえ。お昼を食べるだけです)」
「Can I see your return ticket?(帰りの航空券を見せて下さい)」
「Here you are(はい、こちらです)」
 
それで審査官は頷いて通してくれた。政子は最初から
「I'm in a day trip, too」
と言って、帰りの航空券も提示し、そのまま通してもらえた。
 
地下鉄に乗り、ソウル駅乗り換えで明洞(ミョンドン)で降りた。政子が友人から聞いた焼肉屋さんがその近くにあるらしい。
 
「ああ、ここだ、ここだ」
と言って中に入る。ちょうどお昼時なのでお店は混んでいたが、うまい具合に席が空いていたので座ってプルコギを注文する。
 
「プルコギ、シビンブン・チュセヨ(プルコギ10人前ください)」
 
と政子が言うと、ウェイターが目をぱちくりさせる。
「サムインブン(3人前?)」
と言ってウェイターは指を3本立てる。
 
政子の発音がとーっても適当なので、聞き違いかと思ったのだろう。
「アニョ。ヨル(いいえ。十)」
と言って、政子は両手の指を全部開いてみせる。
 
「アルゲッスムニダ(かしこまりました)」
と言ってウェイターは伝票に記入してテーブルを離れたが、それでも少し首をひねっていた。
 
すぐにお肉が来るが、一度にはテーブルに置けないので少しずつ持って来ますということのようであった。
 
政子はとても幸せそうに来たお肉を兜状のプルコギ鍋に載せて焼いていく。付け合わせのお野菜もたっぷり皿に盛られているので、それもどんどん載せていく。もちろん政子はお肉もどんどん食べるがお野菜もたくさん食べる。
 
食べながらここまでの台湾・愛媛・札幌での公演のことを楽しそうにしゃべる。政子は御飯を食べている時は本当に幸せそうで、そして言葉も饒舌になる。私は相槌を打ちながら笑顔で聞いていた。
 
食事中に私たちに気付いた人が何人か寄ってきて英語や日本語でサインを求められた。若い人が結構日本語で話しかけてくれる。
 
ふたりで快くサインしたが、政子は相手の名前を聞くと、ハングルで宛名を書いて渡してあげた。来年でもいいからぜひ韓国公演を、と言ってくれた人もいた。
「そうですね。韓国での日本人歌手の公演は色々手続きが難しそうだからレコード会社に聞いてみましょう」
と私は答えておいた。
 
「冬、あまり食べてないんじゃない? 食べてないと無くなるよ」
「うん。適当に食べてるから、政子はお腹いっぱい食べるといいよ。10人前無くなっちゃったら、また追加すればいいし」
「うん」
 
そして政子は本当にあっという間に10人前食べてしまい、更に3人前追加して食べたのであった。
 

その追加分が来て、さあ食べるぞ、という態勢に政子がなった時、
 
「アニョハセヨ〜」
と声を掛ける人がいる。
 
「アニョハセヨ〜、白浜さん、よかったらお座りになってください」
と私は席を勧める。
 
「冬ちゃんたちは、食事これから?」
と白浜さんは座りながら訊いた。
 
皿の上に乗っているお肉の量を見たら、まあそう思う。
 
「あ、いえ、今政子が10人前食べた所で、まだ少し入るというので追加オーダーしたのが来た所です」
 
「ぶっ。よく入るね〜。噂には聞いてたけど」
「白浜さんも食べて下さい。足りなくなったらまた追加するし。ここは私のおごりで」
「じゃ、遠慮無くおごってもらおうかな。何だか長い付き合いだし」
「ほんとですね。もう8年くらいになりますかね〜」
「そんなものかなぁ」
 
「あれ?どなたでしたっけ?見覚えはあるんだけど」と政子。
「XANFUSのマネージャーの白浜さんだよ」と私は答える。
「あ、そうか!ごめんなさい」
 
「いや、最近私、あまりXANFUSに帯同してないから。あのふたり、ふたりきりにしておいて欲しいみたいだし」
「まあ、個人的な事情ですね。私たちも似た事情でマネージャーとか付き人とかは付けずにふたりだけで行動してます」
「なるほどねー」
と言って白浜さんは笑っている。
 
「こちらはお仕事ですか?」と私は訊いた。
「うん。こちらの中学生アイドル4人組のユニットが前々からXANFUSの曲を度々カバーしてたんだけどね。今度丸ごとカバーのアルバムを作りたいというのでちょっと打ち合わせに来た」
「わあ、凄いですね」
 
「まあXANFUSの歌って、曲が格好いいから、歌詞が分からなくても乗れる所あるから」
「それは神崎さんの前では話せない話題ですが」
「あはは」
 
その時何やら指折り数えていた政子が訊く。
「今冬は白浜さんと8年の付き合いと言ってたけど、私たちがXANFUSと会ったのって5年前だよね」
「うん。私、中学生の頃に白浜さんから歌手デビューしないかと誘われていたから」
「えーー!?」
と政子は言ってから、私に訊く。
 
「例のローズ+リリー争奪戦した80社の中にも&&エージェンシーいたっけ?」
「いない」
 

私は説明する。
「私がデビュー前に関わっていた事務所は何社もあるんだけど、その内例のローズ+リリー争奪戦に参戦していたのは実に1社だけなんだよね。白浜さんの所も含めて他の事務所はそれぞれの事情で参戦しなかった。白浜さんの所は XANFUS がいたから争いには加わらなかったんだよ」
 
「うん。同世代で同じ2人組の歌唱ユニットを同時に売り出すことはできないからね。悪いけどうちは参戦しないよと冬ちゃんに言った」
と白浜さん。
「あ。そうですよね!」
と政子も納得する。
 
「もっとも例の大騒動が起きた時点では XANFUS は消滅寸前だったから社長はダメ元で参戦してみるかと言ってたんだけど、交渉解禁日前に突然 XANFUS が売れ始めたからね。冬ちゃんのお陰で。それで参戦取りやめ」
「うふふ」
 
政子もその件は聞いているので頷いている。
 
「あの時期は、XANFUSも随分私たちのカバーしてましたよね?」
「そそ。『その時』も『遙かな夢』も『甘い蜜』『涙の影』もカバーしたけど『ふたりの愛ランド』もかなり好評だった」
 
「『All The Things She Said』も歌ってましたね」と私。
「うん。で、あの子たちステージ上でキスしちゃうのよね」と白浜さん。「あ、それ私見てない」と政子。
「ローズ+リリーの真似です、なんてあの子たち言ってた」
「あはは」
 

「だけど、白浜さんはどうして中学生時代の冬に目を付けたんですか?」
 
「その年の夏、千葉の海岸そばの公園でやる夏フェスにうちに所属しているバンドが出るんで、その下見を兼ねて行ってて、遅くなったんだけど現地の旅館に泊まったんだけどね。そこに合宿に来ていた女子中学生のグループがいて、その中に冬ちゃんがいたんだよ」
 
「ほほぉ」
 
「その日は合宿の打ち上げみたいでさ。ジャンケンで負けた人は何か歌うというのをやってたんだ」
 
「あぁ。冬ってジャンケン弱いもん」
「そうそう。それで冬ちゃんがひたすら負けて、ひたすら歌ってたのよ」
 
私は笑っておく。
 
「でも聴いてたら凄くうまいじゃん」
「冬ってほんとに昔からうまかったみたいだもんね〜」
 
「それでその子たちが食事終えて部屋に戻ろうとしていた所を捕まえてさ、私こういうものだけど、もし興味があったらレッスンとか受けてみない?と言ったんだけどね」
 
「なるほど」
 
「ところが、済みません。他の事務所からも声を掛けられて、そちらでレッスン受けたりしているので、と言われて、さすがにこのレベルの子は目を付けられているかと思った」
「まあ、○○プロの丸花さんから、度々誘われていたから」
 
「でもその後、何度もあちこちで顔を合わせてね。何とか頑張って事務所にも来てもらって」
「拉致されてったというか」
「事務所でちょっと歌ってもらったら社長が凄く気に入って」
「Parking Service の音源制作でバックコーラスに入ったりしましたね」
「冬・・・なんかその手の話も多すぎる」
「横芝光のライブでバックダンサーしてもらったこともあった」
と白浜さん。
 
「でも高校に入ってからは少し縁遠くなってました」
「というか捉まらないんだもん!」
 
「まあ高校に入ってからは、ハンガーガーショップでバイトしたり、その後はテレビ番組のリハーサル歌手をしたり、その後ほとんどスタジオミュージシャン状態になってしまいましたからね。当時私のスケジュール表は真っ黒だった」
 

「訊くまでもないような気がするのですが」
と政子は前置きをした。
 
「白浜さんと会っていた時期の冬ってどんな格好してたんでしょうか?」
「最初合宿で見た時は、ジャージの上下だったかな。でもその後、遭遇した時はセーラー服が多かった気がする」
 
「まあ、そんなものですね」と私
「高校の時何度か会った時も女子制服着てたね」と白浜さん。
「やはりね〜」と政子。
 
「合宿の時に歌を歌っていた時は女の子の声だったのでしょうか?」
「もちろん。私、冬ちゃんが男の子の声を使っている所、見たことない」
 
「じゃ、白浜さんは冬のこと、女の子と思っていたんですか?」
 
「うん。まさか男の子とは思いも寄らなかったよ」
 
「なるほどね〜」
と言って政子は何だか楽しそうな顔をしている。
 
「合宿の時って、男女混合でした?」
「女の子ばかりだったけど」
 
政子が私の方を見る。
「まあ、いいよ。陸上部女子の合宿だったんだよね」
 
「くくくくくく」
と政子は笑いを抑えられない様子。
 
「マンションに帰るのが楽しみ〜」などと政子は言っている。
白浜さんも笑っている。このあたりは XANFUS のふたりの言動で耐性ができているのだろう。
 
「冬ちゃんたちは今日帰国するの?」
「はい」
「いつこちらに来たの?」
「今朝です」
「は?」
 
「いや、政子がソウルでプルコギ食べたいなどというもので。明日ライブがあるから日帰りで来ざるを得なくて」
「あんたたちもよくやるね!」
 

「だけどあんたたち、恋愛禁止とかの事務所じゃなくて良かったね」
と白浜さん。
 
「まあ、そんな所とはそもそも契約しません」
「私たちの契約書では恋愛も結婚も出産も禁止されてないから。でも27歳までは婚約や出産はしないようにしようと私たちふたりの自主規制」
と政子が言う。
 
白浜さんも頷いている。
「うちのXANFUSの契約書では25歳になるまで男性との交際を禁止してたんだけどね」
「ああ、それは裏目に出ましたね」
「そうなんだよ!」
と言って白浜さんは半ば呆れている風である。
 
「でもこないだ《**経済》が論評してたけど、今レコード業界が不況の中で、今旬のアイドルユニットを独占している感じのあるキングレコードを除けば、★★レコードが物凄く健闘しているのは、やはりアーティストの個性重視の営業政策が大きいのではないかと」
と白浜さん。
 
「ああ。サウザンズ、スイート・ヴァニラズ、XANFUS、ローズ+リリー、KARION、スリファーズ、スリーピーマイス、Rainbow Flute Bands、どれも他のレコード会社じゃ売ってもらえないか、趣旨を大きく曲げられているユニットでしょう」
と私。
 
「最近はプロデューサー主導のプロジェクトが多いよね。作曲者も演奏者も部品にすぎない。「これが売れる」というパターンに押し込まれる。たくさんユニットは作られても楽曲もたくさん作られても中身は均質。ファン層も同じ。ブームが去れば全部共倒れ。投資で言えば《ひとつの籠に盛られた卵》だよ」
と白浜さんは言う。
 
「確かにここ20年ほど、そのパターンが5年単位で繰り返されてますね」
「昔のユニットならメインボーカルやフロントパーソンの交替なんて重大事件だったけど最近は結構安易にすげ替えるよね。それも部品にすぎないから」
 
「オメガトライブにしても、スクエアにしてもファンが半減してますね」
 
そんな話をしながら私はここ数ヶ月自分自身でも悩んでいるローズクォーツのボーカル問題に改めて思いが及んだ。自分がもしローズクォーツを辞めたら、ファンが激減するのだろうか。それとも自分も部品にすぎないのだろうか。
 
「★★レコードは元々インディーズを扱うレコード屋さんから出発しているからむしろ個々の個性を伸ばそうとする。★★レコードで今売れてるアーティストの内半分は5年後には消えているかも知れないけど、半分は絶対生き残ると思う」
 
「うーん。その生き残る側になりたいですね。うちもXANFUSも」
「だね」
 
「でもその分、扱いにくいアーティストが多いですよね」
と私。
 
「そうそう。サウザンズは本当に気まぐれだし、スイート・ヴァニラズのメンバーはいつも恋愛沙汰で週刊誌を賑わせているし、スリーピーマイスはメディアに出てくれないし、ローズ+リリーはなかなかライブしてくれないし」
 
「あはは」
 

「でもその個性の強いアーティストの個性をそのまま許容してくれている事務所も偉いです。&&エージェンシーさんも最近はあのふたりのこと黙認してくれているみたいだし」
と私は言ってみた。
 
「黙認してる訳じゃないんだけどね〜。あのふたり首にしたら倒産するもん」
「うふふ」
「一応最低限のルールだけ再提示して、疑問のある時は夜中でもいいから私に電話しろというのだけ守ってもらっている」
 
「結果的に結構な裁量権をもらっているみたいですね。私たちの場合は私たち自身が、マネジメント契約した事務所の取締役だから結果的に自分たちの好きなようにできるというのがあります」
 
「冬ちゃんたちの所の構造、さっぱり分からない。複雑すぎる」
「私も人に説明する度に違うこと言ってる気がして」
「あはは」
「実は全容を把握している人は誰もいないかもです」
「うむむ」
 
「スリーピーマイスの所はそもそも型破りなアーティストばかりだし」
「あんなアーティストたちをよくまとめられると感心するよ!」
 
「和泉たちの所はプロデュース面を見れるようなスタッフが事務所にいないから結果的に音源制作やステージ制作は和泉と歌月さん・TAKAOさんの3人でするのが定着しちゃったみたいですね」
 
「ああ、そういう意味では小さな事務所の方が好きにやれる確率は高い」
 
「だから実は今回08年組5ユニットで色々企画進める時にAYAの事務所との交渉が、いちばん大変だったんですよ」
「あぁ!」
 

せっかく明洞に来たので買い物とかもしようかとも思っていたのだが、白浜さんとの話が弾んでしまったので、結局焼肉屋さんから地下鉄の駅にそのまま舞い戻り、金浦空港へ行った。
 
「なんか慌ただしいね」
「うん。でも元々御飯食べに来ただけだから」
 
「でも、この業界、このノリの人、けっこう居るよね?」
「ああ。Eliseもいつだったか、突然長崎ちゃんぽんが食べたくなってLondaさん誘って長崎中華街までピンポイント往復してきたなんて言ってたね」
 
「あ、いいな。長崎ちゃんぽん」
「さすがに来月くらいにして。体力がもたないよ」
「そっかー。何か知らないけど、冬、全然休養してないみたいだし」
「うん。卒論は9月になってからが勝負」
「そんなこと言ってて大丈夫?」
 
「和泉たちは誰かひとりでも万一卒業できなかったら、全員卒業できるまでKARION活動停止と言われたと言ってた」
「それは、いづみちゃんがいちばん危険だな」
「まあ、そうだろうね」
 
「冬はどうするのさ?」
「町添さんから、もし3月で卒業できなかったら、ローズクォーツから脱退してもらうからね、と言われた。要するに仕事の負荷を減らせということ」
 
「今のままだと、その事態、けっこうあり得る気がする」
「あはは」
 

金浦を16:15発のANA-1164便 で羽田に戻る。帰りもB777-200ER機であった。政子は機内でなにやら詩を書いていた。
 
「ソウル・メイトね・・・・」
私は詩のタイトルを見て苦笑した。
 
「詩の内容は魂の恋人だけど、実はソウルでお友だちにあったから、これ書いたのね」
「まあ、詩なんてそんなものよ」
 
政子はプルコギが本当に美味しかったようで、その日帰りの飛行機の中で詩を4篇も書いた。『Amor Armor』なんてのもあった。プルコギの鍋の形から発想したなと思った(Armor:兜)。
 

ローズ+リリーのホールツアーは、この韓国に行った翌日8月1日に静岡、その翌日2日が富山と続き、1日置いて4日に最終日・沖縄での公演を迎えた。
 
沖縄公演なので例によって麻美さんを招待した。麻美さんはかなり体調が良いようで、今回は普通の服を着て、車椅子も使わずに参加。一応念のため、お母さん、友人の陽奈さん、そして女性看護師さんが付き添っていたし、念のため民間の救急車を待機させておいた。
 
幕が開く。
 
大きな拍手が来る。三線(さんしん)を持ち、紅型の打ち掛けを着た女性が5人並んでいる。その前に私と政子がヴァイオリンを抱えて立っている。私たちの服は紅型のかりゆしウェアっぽいステージ衣装である。
 
三線の刻む音に載せて、私と政子のヴァイオリンが『花〜すべての人の心に花を〜』
を二重奏した。マリがメロディーを弾き、私はそれにハーモニーを付ける。
 
間奏部分では私はヴァイオリンをいったん置き、フルートに持ち替えてアドリブっぽい演奏をする。その間、マリのヴァイオリンはハーモニーを弾く。
 
間奏が終わると今度はマリがヴァイオリンを離し、歌い出す。私のヴァイオリンがそれにハーモニーを付ける。
 
マリから「ヴァイオリンもフルートも弾いてね」と言われたので、こういうのをやってみた。
 

オープニングに続いて演奏したのは『花園の君』である。他の会場では、松村さん・鷹野さん・七星さん・香月さん・宮本さん、でヴァイオリン五重奏(パート1と2は旧譜)をしたのだが、この公演だけは、偶然にも同じ日にアスカが那覇市内でリサイタルを開くことになっており、この曲だけ出てくれたのである。
 
それでアスカ・松村・鷹野・香月・宮本・七星というラインナップでCDと同じ譜面による六重奏をした。(七星さんがパート6に回ったのは、ヴァイオリンが必ずしも得意ではない香月・宮本にいつもと同じ譜面を弾かせるため)
 
間奏部分にあるアスカによる超絶技巧のソロには会場から思わずざわめきが起きて、物凄い拍手があった。
 
歌い終わってから私は紹介する。
 
「第1ヴァイオリン、蘭若アスカ!」
 
拍手が落ち着いてから私は付け加える。
 
「蘭若さんは実は私の従姉ですが、今まで国内外のヴァイオリン・コンクールで何度も優勝しています。実は私のヴァイオリンとピアノの先生でもあります。今回のツアーの他の会場には出ていないのですが、今日だけうまくスケジュールが合ったので、友情出演してくださいました」
 
と言って簡単にアスカを紹介する。あらためて拍手がある。
 
「なお、蘭若さんは、本日夕方から那覇市**ホールでリサイタルの予定があります。このローズ+リリーのコンサートが終わってからそちらに移動しても間に合うと思います。チケットはまだ少し余っておりますので、よろしかったら、どうぞ」
 
今回はアスカの出演料を友情出演ということで無料にする代わりにこの紹介をし、リサイタルのポスターもこちらのホールに貼っておくということで、UTP・★★レコード側と、アスカ側とで話が付いていた。実際、この時点で余っていたチケット約300枚が、このライブから移動した人たちで売り切れ、(念のため用意していた)立見席まで発行することになった。
 

アスカが拍手に送られて退場した後、例によって前半はスターキッズのアコスティックバージョンを使い、私たちもマイクを使わずに肉声で歌う。
 
『100時間』『あなたがいない部屋』『桜のときめき』『君待つ朝』『遙かな夢』
『天使に逢えたら』『ネオン〜駆け巡る恋』『私にもいつか』『あの夏の日』
『A Young Maiden』
 
このあたりは各公演とも、ほぼ同じ順序である。『あの夏の日』と『A Young Maiden』
はスターキッズも退場して、私のピアノのみの伴奏で歌った。
 
そしてゲストコーナーとなって、坂井真紅が登場する。
 
「坂井真紅(まこ)ちゃんでーす」
と私が紹介し、歓声に迎えられて真紅が舞台袖から出てくる。
 
「真紅ちゃんの名前は《真紅》と書いて《まこ》と読むんですが、デビューして4年ほどたつのに、いまだに《しんく》と読み間違えられるそうです」
「慣れてますから『しんくちゃん』と呼ばれても笑顔で『はい』とお返事します」
 
「結構テレビとかでも読み間違えられていますね」
「はい。昨年RC大賞の金賞を頂いた時もしっかり『さかいしんく』さんと呼ばれました」
 
「アナウンサーさん、7〜8回くらい『しんく』と呼んでましたね」
「ええ。でもいつものことですから。でも**さん、後で指摘されて始末書を書いたらしいです。私の事務所から上司の方に電話して、いつものことなので処分とかはしないでください、とお願いしました」
 
「まあ昔歌手の名前を呼び間違って飛ばされたアナウンサーもいましたからね〜」
 
「それでは真紅ちゃんに歌ってもらいますが、今日はマイナスワン音源ではなく、素敵な伴奏者がいます。木ノ下大吉先生です!」
 
と紹介すると会場から「えー!?」という声があがる。
 

木ノ下大吉先生は25年ほど前から流行作曲家として華々しく活動していたが、7-8年前から調子を落として何度もスランプに陥り、提供する曲にもしばしば酷いものが混ざるようになってきた。そして3年前突然の失踪事件を起こし、そのまま引退してしまった。
 
その後東京を離れ、一時生まれ故郷の熊本で暮らしていたものの、実は1年前から沖縄に住んでいたのである。今回、木ノ下先生と長い付き合いである★★レコードの松前社長が声を掛けて、木ノ下先生の曲でデビューした歌手である坂井真紅の伴奏を請け負ってくれたのであった。木ノ下先生が公の場に出てきたのは実に3年ぶりであった。
 
木ノ下先生が出てきて私とマリと握手し、私たちは下がる。
 
せっかく木ノ下先生が出てきたので、坂井真紅のデビュー曲で木ノ下作曲『雨の日の出会い』を歌った。その後、彼女の最大のヒット曲・桜島法子作曲『純情』を歌い、最新曲でやはり桜島作品の『赤い焦熱』を演奏して、それで演奏も終わりということで木ノ下先生もピアノから立ち上がり、お辞儀をして下がろうとしたのだが・・・・
 
そこに着替えと束の間の休憩を終えた私と政子がヴァイオリンを持って出て行き、いきなり木ノ下大吉作曲で松原珠妃が歌って10年前にRC大賞を受賞した作品『黒潮』を演奏し始める。そして坂井真紅もその歌を歌い始める。
 
木ノ下先生はびっくりしていたが、やがて微笑み、ピアノの所に戻って、この曲の伴奏を始めた。観客席から暖かい拍手が送られる。
 
真紅はこのコーラスをしっかり2コーラス目まで歌って演奏を終えた。
 
「坂井真紅ちゃん、そして木ノ下大吉先生でした!」
と私は再度紹介して、幕間のゲストタイムを終えた。
 

スターキッズが電気楽器を持って入ってくる。近藤さんのエレキギター、鷹野さんのエレキベース、七星さんのウィンドシンセ。月丘さんもピアノではなく電子キーボードの前にスタンバイする。
 
そしてそれに続けてプロレスラーが付けるような覆面をした女性2人が入ってきて、後ろの方のマイクの所にスタンバイするので、観客席からざわめきが起きる。
 
「今日のこの沖縄公演はなんだかスペシャルゲストが多いんです。沖縄には実は覆面の二人組歌手の伝説がありまして、2009年11月12日のXANFUS沖縄公演にも、覆面をした二人組の歌手がゲストとして出演したらしいんですよね」
 
と私が言うと、観客席のあちこちで笑いが生じるが、何なんだろう?という顔をしている人の方がずっと多い。その件は新聞やTVなどでは報道されなかったので、知る人ぞ知る出来事である。
 
「今日の私たちのライブ後半でコーラスを入れてくれるのは、《覆面の魔女》という二人組です。拍手〜」
 
と私が言うので、観客は半ば戸惑いながらも拍手を送ってくれた。
 
後半はスターキッズのエレクトリック・バージョンで演奏する。PAを入れて、私たちもマイクを持って歌う。
 
『Spell on You』『ファレノプシス・ドリーム』『間欠泉』『影たちの夜』
『キュピパラ・ペポリカ』『夜間飛行』『恋座流星群』『ヘイ・ガールズ!』
『疾走』『ピンザンティン』
 
と歌っていった。《覆面の魔女》はこれらの曲にしっかりしたコーラスとダンスを入れてくれて、間奏部分で結構アクロバティックな踊りなども見せたので、会場は盛り上がった。
 
《覆面の魔女》の正体については、一部途中で気付いた人も出たようで、「穂花ちゃーん」「優香ちゃーん」などという声も飛び、ふたりもその声援に応えて手を振ったりしていたが、結局大半の観客は正体が分からないまま終わったようであった。
 
『疾走』を歌い終えた所で、私はふたりをあらためて紹介した上で
「実は《覆面の魔女》のおふたりは今月から来年3月まで、私とマリがローズ・クォーツをお休みする間、通常のライブ活動で私たちの代役を務めてくださることになっています」
 
と言うと、会場から「へー!」という声があがる。
 
「ただし来週のサマー・ロック・フェスティバルはこのふたりではなく鈴鹿美里が代役ですね」
 
政子が手を挙げて質問する。
「あのぉ、おふたりはその覆面を付けたままお仕事なさるんでしょうか?」
「はい、そういう契約になってます」
「暑そう〜!」
 
穂花が
「シッカロールを携帯して頑張ります」
と発言し、会場の笑いを取っていた。
 
更に私が
「今発言した緑のマスクの子は、マリとタメを張れるほどの食欲の持ち主です」
と言うと
 
「おぉぉ!」
という半ば驚きの声があがっていた。
 

そして公演は最後の曲『ピンザンティン』となる。悠子が私と政子、穂花と優香にお玉を渡す。私たちはお玉を振り振り歌ったが、穂花と優香はお玉で剣舞の真似のようなことをしていた。
 
そして拍手とともに私たちはお辞儀をして幕が降りた。
 
すぐにアンコールの拍手になる。
 
幕が上がり、私たちは出て行ってアンコールの御礼を言った。
 
月丘さん、松村さん、鷹野さんの3人が出てくる。私はグランドピアノの前に座り、政子は私の左に立つ。
 
『夜宴』を演奏する。月丘さんがグロッケンを打ち、松村さんと鷹野さんがヴァイオリンを弾く。CDと同じアレンジである。
 
3200人満員のホールに美しいグロッケンの金属音が響きわたる。元々は政子が唐突にグロッケン弾きたいと言ったのでフィーチャーしたものだが、この音を入れたのは正解だという気がする。
 
歌い終わってお辞儀をしていったん全員退場する。
 
そして再びアンコールの拍手。
 
今度は私と政子だけで出て行く。
 
「アンコール本当にありがとうございます。それではこれが本当に最後の曲です。真夏の沖縄にとっても似合う曲。『雪の恋人たち』」
 
と言うと爆笑が起きた。
 
私はまたピアノの前に座り、政子もまた左側に立つ。
 
私は5年半前、東北のスキー場に行った時のことを思い出しながらこの歌を歌った。思えばあの時、丸花さんに会ったし、エルシーに会ったし、色々な物事の起点になっている気もする。でも・・・あの時、私が女湯に入ったことは多分まだ政子にはバレてない・・・よな? と思ってちょっと微笑みが出た。政子は「ん?」という顔をしている。
 
雪で真っ白な情景を浮かべながら、演奏を終了する。ピアノの音の余韻が消えるのを待っていたかのように拍手が湧き起こり、私たちはステージ前面に出てお辞儀をした。拍手と歓声に応えて両手を斜めにあげる。そして再度お辞儀をした。
 
「キスしないの〜?」
という声が客席から掛かる。
 
私と政子は見つめ合い、キスをする。
 
「キャー」という声が掛かる中、そのまま幕が降りた。
 

8月4日の沖縄公演が終わってから、最近沖縄では常宿化している宜野湾市のホテルのベッドで、少しだるい朝を迎えた私は、8時頃、須藤さんからの電話で目を覚ます。
 
「おはようございます」
「おはようございます。何かさ、私と冬ってここ数ヶ月すれ違い状態にない?」
 
「そうですね。5ヶ月近く顔を合わせてない気がします。こちらも卒論の作業とアルバム制作の作業が同時進行していて、他にローズ・クォーツ・グランド・オーケストラ、ゆきみすずさんのプロジェクト、ワンティスのプロジェクトも並行して進んでいるもので」
 
「まあ、そういう訳で、冬たちが帰って来たら、夕方からでもいいから株主総会やるから」
「へ?」
「うちの株主は私と冬と政子の3人だからね」
「まあ、そうですけど」
 

その日は政子が沖縄の食べ物をまだ食べ足りないと主張したので、A&Wのハンバーガーを食べたり、タコライスを食べたり、沖縄ラーメンを食べたりと食べ歩きをしたあげく、結局午後遅い飛行機に乗って東京に戻った。それで株主総会は夜21時からになった。
 
「まだ晩御飯食べてない」
などと政子が言ったが
「懇親会は総会が終わった後だよ」
と私は言う。
「なるほどー」
 
「まあ、そういう訳で人事をしようということなのさ」と須藤さん。
「人事って、何かいじるほどのものあったっけ?」
「社員も5人になったし、役職を作ろうかと」
「へー」
 
「松島さんを取締役・制作部長、諸伏さんを取締役・育成部長にしようかと」
 
「えっと、そういう提案は印刷して株主に配布しようよ」と私。
「口頭じゃダメ?」と須藤さん。
「ちゃんと書類作ってないと注意されるよ」
 
「面倒くさいなあ」
と言って、須藤さんはその場でパソコンに打ち込み、3部印刷してきた。
 
「ということで第一号提案について、質問はありませんか?」
「このふたりが取締役になるなら、私たちは取締役から外れてもいい?」
「いや、逃がさん」
「あはは」
 
「でも社員が5人しかいないのに、取締役が5人いていいの?」
「まあ、こないだまで社員が3人しかいないのに、取締役3人だったし」
「確かにそれはそうだ」
 
「でもまあいいんじゃない? 諸伏さんの育成部長は分かるけど、松島さんの制作部長って何するの?」
 
「制作部門全体を統括してもらう」
「ふーん」
「まあ、私はスカウト・営業関係に専念した方がいいかなと思ってさ」
「ああ」
 
「こないだから冬と電話でたくさん話した件だけどさ。やはり私にはメジャーアーティストの管理はできないのかも知れんという気がしてきた」
 
「まあ、管理するんじゃなくて、管理する人を管理すればいいと思うんだけどね」
「そそ。それだよ。だから、その管理する人を管理する仕事を松島さんに押しつけて、私は全国走り回って、有望アーティストの発掘とかしてた方が性に合ってる気がしてきてね」
 
「△△社時代も、須藤さんが発掘したアーティストでメジャーデビューしたのがたしか5組くらいあるよね」
「まあ、その後そんなに売れてないけどね。自分で見つけてきて売れたのは、結局ビリーブとローズクォーツだけだよ。あんたたちの場合は私が売り出さなくても、勝手に売れてたと思うし」
 
「ローズ+リリーの名付け親は須藤さんだけどね」
「微妙だね。その名前を言い出したのは政子ちゃんだから」
「ローズという単語は冬が言った」
「うーん。確かに微妙ではある」
「あ、分かった。ローズは冬、プラスは私、リリーはみっちゃんから出たんだ」
「なるほどー」
「確かにそんな気がする」
 
「でも結局、ローズクォーツのプロデュースどうする?」と私。
「まあ松島さんに全面的に任せてみるのも面白い気はするんだけどさ。ちょっと思いついたことがあるんだよ」と須藤さんは言った。
「ほぉ」
「それとバレンシアのプロデュースについてもね」
「ほほぉ」
 

KARIONのアルバム「作り直し」作業は、穂津美さんと政子も入る「6人のKARION」
で8月8日に『歌う花たち』の歌唱を録音したので山場を越え、お盆明け、8月19日の週にコーラスを入れた。同じ事務所に所属しているVoice of Heart という女性4人組のユニットで、年齢が22〜24歳なので、同世代ということでお願いした。
 
KARIONのバックコーラスは一昨年くらいまではその度にレッスン生などにお願いしていたのだが、やはりKARION自身が21〜22歳になってくると、同年代の女性歌手を調達しようとすると、このくらいの年齢ではそれぞれの歌い方が確立してしまっていてバラバラに調達すると「コーラス」になってくれない。そこで、ここ1〜2年は元々ユニットとして活動している人たちにお願いするのが定着している。Voice of Heart には昨年末、KARION初のミリオンヒットとなった『雪うさぎたち』でもコーラスを担当してもらっている。このコーラス入れの作業は和泉ひとりで指示をしてもらい、私は出て行ってない。
 
そして8月25日から30日に掛けて、小風と美空に出てきてもらい、KARIONの4人でパーカッション類を入れた。タンバリン、カスタネット、スターチャイム、トライアングル、などの類いだが、『アメノウズメ』『天女の舞』には和泉の友人からのツテで、同じ大学の能楽部の人にお願いして鼓の音を入れてもらった。
 
8月30日の午前中でほぼ作業は完了する。
 
「これで何とか完成かな」
「あとはミクシング、マスタリング」
 
「それはうちの花籠君に任せた」と菊水さん。
「はい、頑張ります。このアルバムは凄くクォリティが高いので武者震いします」
と花籠さんは答える。
 
花籠さんはまだ26歳のミキサーで、今回はできるだけ若いミキサーさんにお願いしようと和泉と話し合い、このスタジオの若手ミキサーの中でポップス系に強い人ということで、この人にお願いしたのである。
 

「なんか、おまけを付けたくならない?」
と唐突に美空が言った。
 
「ミニ写真集とかでも入れる?」
「ああ、それは畠山さんが入れよう、入れようと言ってたよ。振袖だって」
「なるほど。振袖か」
「7月発売だったら浴衣にしていたと言っていた」
 
「水沢歌月の振袖写真も初公開とか」
「パス」
 
「こないだのジョイントライブで思ったけど、この4人でバンドにもなるんだよね」
と小風。
 
「ああ。小風がギター、美空がベース、蘭子がドラムス、私がキーボードで行けるよね」
 
「でも、やはり和泉がグロッケンで、蘭子がピアノというのが普段の構成という気もする」
 
「うーん。確かにそれはそんな気もする」
「蘭子はヴァイオリンでもいいよね」
 
「『Crystal Tunes』のインストゥルメンタル版を入れようか?」
「ああ、いいね」
 
そういう訳で、小風がギター、美空がベース、和泉がグロッケン、私がピアノを弾いて、『Crystal Tunes』を演奏した。
 
本編と流れを変えようということで、この録音は菊水さん自身ではなく、助手の植木さんにお願いすることにした。
 

「これ、ボーナストラックとかにする?」
「うーん。それすると、アルバムの曲から続けて再生されることになって、せっかく『歌う花たち』で美しく終わるのが活きない」
 
「ああ、じゃおまけCDにすればいいんだ」
「だったら、1曲だけじゃ寂しいね」
 
「ひとりずつのソロでも入れる?」
「あ、それもいいかも知れない」
 
「伴奏もシンプルなのがいいよね」
「じゃ、ピアノ伴奏オンリー」
 
ということで、畠山さんと滝口さんに電話してOKをもらった上で《水沢歌月》のピアノ伴奏で、小風が『星の海』、美空が『金色のペンダント』、和泉が『雪うさぎたち』を歌った。録音はこれも植木さんである。
 
「これで完成かな」
「いや、まだ蘭子が歌ってない」
「えっと・・・」
 
「私がピアノ弾いてあげるから『海を渡りて君の元へ』を歌いなよ」
と和泉が言う。
 
「むむむ」
 
そういう訳で、KARION結成5年9ヶ月にして初めて、水沢歌月の公式な歌声が公開されることになったのである。連絡すると畠山さんは何だか喜んでいたし、滝口さんは少し驚いていた。
 
この4人のソロ歌唱で、本当にこのアルバムの収録作業は完了した。
 

夕方になったので、食事に行くことにする。政子がお腹を空かせているのは確実なので呼ぶことにした。メールしたらすぐ行くと返事が来た。4人で目立たないようにバラバラの行動で、予約を入れた中華料理店の個室に入る。
 
「でも冬も和泉もピアノうまいなあ」
と小風が言った。
 
「いや、和泉にはかなわない。和泉は子供の頃からたくさん大会とかに出てるから。レベルが違うよ」
と私は言ったのだが
 
「それはこっちのセリフ。時間があったら私、冬にピアノ習いたいくらいだよ」
と和泉は言う。
 
「それはどう考えても買いかぶり。私は自己流だから、私に習ったら変な癖付くよ」
と言って私は笑う。
 
「うーむ。そこいら辺は私にはレベルが高すぎて分からんな」
と美空。
 

やがて政子が到着する。好きなだけ頼んでいいよと和泉が言ったので張り切って頼んでいる(今日の食事代は和泉のおごり)。
 
「でも、和泉が九州から北陸まで旅行してきた間に書いた詩って、凄く優秀なのが多いから、今回使わなかったのも、どこかで使いたい気分だね。長崎で書いた『鳩』とか出雲で書いた『呼ぶ声』とか、羽合(はわい)で書いた『綾』
とか金沢で書いた『嫁ぐ朝』とか」
と私が言うと、
 
政子が「いづみちゃん、どんなの書いたの?」と訊く。
 
それで和泉がパソコンを開いて見せてあげた。
 
「私全部テキストエディタで書いてるから。今まとめて開いたからタブを変えれば次の詩が読めるよ。Ctrl+Tabでも次の詩に行ける」
「ありがと」
 
私は政子が和泉のパソコンに触る前にさりげなく一度政子の手と髪の毛に触り「静電気を放電」させた。これをしておかないとパソコンを壊す場合がある。なにしろ回転寿司のタッチパネルでさえ壊した前歴がある。
 
最初政子は片手で桃饅頭を食べながら読んでいたのだが、その内食べる方が停まってしまう。そして無言になる。政子の行動としては非常に珍しい。
 
桃饅も皿に置いてしまった。これも本当に珍しい。普通なら手に持っている分は食べてしまう。
 
Ctrl+Tabで次の詩、次の詩と見て行っている。
 
そしてやがて声を挙げた。
 
「負けた。今日だけは森之和泉に敗北を認める」
と政子。
 
「へー」
と美空が意外だという感じの声を挙げる。私も意外だった。
 
「冬〜。私たちも旅行に行こう」と政子。
「いいけど、卒論を出してからにしようよ」
「よし。そしたら12月の後半は旅行」
「まあ、いいけど」
 
「だから冬も卒論は12月頭に提出してよね」
「まあ、頑張ろう」
 
「ちゃんと提出しなかったら、冬の女子高生制服写真をホームページに掲載しちゃうから」
「それは勘弁して〜」
 
小風と美空が笑っている。
 
「私はむしろ冬の男子制服姿を見たことがない。和泉、見たことある?」
「私は1度だけ、ワイシャツ姿を見たことある。でもあの時だけだなあ」
と言ってから和泉は付け加える。
 
「ところが冬はそのワイシャツ姿で、男子禁制の女子高に堂々と入ってきたんだよね。校門の所に警備員さんも立っていたのに」
 
「なるほどね〜」
と政子。
 
「だけど、マリにあっさり負けを認められるとこちらは拍子抜けだな」
と和泉。
 
「今日負けただけ。次は私が勝つから」と政子。
「じゃ私もまた負けないようなの書く」と和泉。
 
ふたりは硬い握手を交わしていた。
 
 
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【夏の日の想い出・4年生の夏】(2)