【夏の日の想い出・胎動の日】(中)

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今回のKARIONの「デビューイベント」では特に福岡・大阪・金沢の反応が良くて、この3箇所だけで連休明けまでに結局5000枚売れていた(福岡は放送が流されたのがイベントの後の時間帯になってしまったので、イベント自体はあまり人がいなかったもののその後で結構売れたらしい)。
 
そこで畠山さんは急遽翌週の週末19-20日にも、東京・仙台・札幌の3ヶ所でイベントを行った。これはあまりにも急に決まった予定だったので、ミュージシャンさんたちの確保ができず、マイナスワン音源での演奏になったが、好評で東京ではサイン会に1000人以上並び、その週で1万枚売れた。
 
そこで更に気をよくして翌週26-27日には、長崎・博多・神戸・横浜と
「港町ライブ」と称してイベントをすると、横浜ではCDショップが配った整理券が水曜日の時点で1500枚も出てしまい(そこでいったん発行停止をお願いした)、急遽、偶然空いていたホールを借りて、実質ミニコンサートをするような形になった。
 
この横浜での「KARION初ミニコンサート」には、相沢さん・黒木さん・私の3人も出た(長崎・博多・神戸はマイナスワン音源)。
 
私はキーボードを弾いて、臨時で頼んだ、ベース、ドラムス、グロッケンの人を入れて6人編成で伴奏をした。コーラス隊は∴∴ミュージックに出入りしている女子中学生3人に頼んだ。
 

この「港町ライブ」をする直前、金曜日に私たちは事務所に集まって簡単な打ち合わせをした。
 
横浜ライブでは、折角ホールでやるので、少し多くの曲目を演奏しようということになり、デビューシングルに入っている3曲に加えてSPEEDの『White Love』
と国生さゆりの『ヴァレンタイン・キッス』を演奏して全5曲の演奏にすることにしたが、
 
「きっとアンコールあるよね?」
「うん、来る来る」
「それで演奏できるような、何かきれいな曲無いかなあ」
 
などと話をする。この時居たのはKARIONの3人と私、畠山さん・三島さんに、たまたま忘れ物を取りに来たのをキャッチして「ついでにちょっと作戦会議に出ませんか?」と誘った相沢さんの6人であった。
 
その時、和泉が
「この曲どうでしょ? いいなあと思ったんですが」
と言って譜面を見せる。
 
「クリスタル・チューンズ?」
「何かきれいな曲だね」
と譜面を斜め読みした相沢さんも言う。
 
「冬なら初見で弾けるよね?」
と和泉が言うので、私は「うん」と言い、事務所のキーボードを借りて演奏する。それに合わせて和泉が歌う。
 
「きれーい」
と小風も美空も言い、ぜひ歌いたいねという話になった。
 
「これ作者は?」
と畠山さんが訊く。
 
「ああ。私の友人が2人で書いたものですけど、使ってもいいけど恥ずかしいから名前は出さないでと2人とも言ってます」
と和泉。
 
「了解。2人か。じゃ使用料代わりにこれでもあげて」
と言って畠山さんは和泉に何だか高級そうな紙袋に入った小さな包みを2つ渡した。
 
「何ですか?」
「火曜日に打ち合わせで長崎に行ってきた時に買った鼈甲製のギターピック」
「へー!」
 
すると
「あ、いいなあ」
と傍で相沢さんが言うので
「じゃ、相沢さんにもひとつ。3つしか買ってないので、これで最後ですけど。相沢さん、良かったら、これの編曲をお願いできませんか?」
「いいですよ。それではこのピックは編曲料代わりに」
 

土曜日は、マイナスワン音源を持って、KARIONの3人と三島さん・畠山さんの5人で長崎・博多と行ったのだが、日曜日は神戸のイベントは三島さんに任せて、畠山さんは一足先に横浜まで戻ってきて、先行して会場入りした私と相沢さん、黒木さんの3人に合流する。
 
まだ畠山さんが戻ってくる前、音響会社の人が来ていたので、私たちは各楽器の音をひとつずつ出して、音響を確認してもらう。この付近、∴∴ミュージックの若い男の子が来てはいたが、要領を得ないので、結局私が設営関係も含めて全体的な指示をしていた。このあたりは民謡関係のイベントで散々経験しているのが大きい。音出しは、ギターとベースは相沢さんが、サックスとドラムスは黒木さん、キーボードとグロッケンは私が行った。
 
「黒木さん、ドラムスうまいじゃないですか!」
「でもこないだは俺がドラムスに回ればサックスパートは外さざるを得なくなったから」
「確かに。サックスは口に咥えるから他の人には吹かせられないし」
「でも蘭子ちゃんだって、けっこうドラムス打つんでしょ?小風ちゃんから聞いたよ」
「えー? 私下手ですよ〜」
「下手かどうか、打ってごらんよ」
 
と言われるので少しディスコのリズムを打ってみる。
「俺よりうまいじゃん!」
「いや、私は素人だから」
「俺だってドラムスは素人だい」
 
そんな話をしていた時に、神戸で朝の確認だけしてから新幹線で横浜に戻ってきた畠山さんが到着する。
 
「12〜14日の演奏ビデオを編集してたんだけどね。結果的には最後の金沢公演がいちばん雰囲気いいね」
と言って、畠山さんは先々週のビデオを見せてくれた。
 
「こうして見ると、やはり和泉はスターですね」
と私が言うと
 
「うん。今和泉ちゃんはスターになった。冬ちゃんは今はただのスタッフ。君と和泉ちゃんは古い友人ということで気軽に話したりしているようだけど、実際にはもうこの世界では天と地くらい違う立場だよ」
と畠山さんはわざとそういう言い方をしている感じだった。
 
「はい、自覚しています」
 
「今ならまだ間に合うよ。君もスターにならない? 実はデビューシングルの音源製作にも参加していた『準メンバー』の蘭子を正式メンバーに昇格させます、などと発表すればスムーズに君はKARIONのメンバーとして活動できる」
 
「いえ。和泉たちは先行するバスに乗って出発した。私はその次のバスに乗って和泉たちを追いかけます。そして追い抜きます」
 
「ほほお。ライバル宣言?」
「はい」
 
「うん。いい返事だ。じゃ、君のデビューに向けても、少し話し合わない?御両親の説得が必要なら、僕も頑張るから」
と畠山さん。
 
「そうですね。でもその前に、私、例の件を両親にカムアウトしないといけないから」
「ああ」
 

その時、相沢さんが言う。
「蘭子ちゃんさ、別の事務所からも声を掛けられてるんだって?なんかCさんがこないだ言ってたけど」
 
「えー!?」
と畠山さんが驚く。
 
「名刺を頂いただけです。具体的な話があった訳ではありません。紹介してもらってボイトレ教室とかには一時通ってましたが」
「なるほど、その段階までか。しかしやはり、君ほどの素材なら、注目されるか。どこのプロ?」
 
「○○プロの丸花社長です」
「うっそー!」
「なんか大手だ」
「しかも社長さん直々?」
「いや、こちらも社長さん直々ですが」
「そりゃそーだが。売上が100倍違うよ」
 
「でもほんとに具体的な話は無いんですよ。丸花さんとは都合5回くらい顔を合わせているかな。どうも私の行動範囲と丸花さんの行動範囲が重なっているみたいで。それに丸花さん自身言っておられました。自分は名前だけの社長で実質的な経営は浦中部長さんにお任せしているから、もしデビューする気になったら、浦中さんに引き合わせるよ、と」
 
「うんうん。あそこの実質的経営者は浦中さん」
と相沢さんも言う。
 
「でもそれ、いつ頃の話?」と畠山さん。
「丸花さんに最初にお会いしたのは、もう3年以上前です」
「うわぁ、先に声を掛けたのは向こうか」
「実は私、○○プロの元専務さんがやっておられる民謡教室に小学5年生の頃から通ってたんです」
「元専務って、津田さん?」
「はい。でもそのあたりの関係全然知らなくて」
 
「じゃ、丸花さんと知り合ったのも津田さんの線?」
「いえ。全然関係無い場所で、偶然私が歌っているところを丸花さんに見られて名刺を頂きました。津田さんとのつながりは後で知ってびっくりしたのですが」
「なるほど」
 
「でもホント丸花さんとは業界の世間話とかしているだけで。いちばん最近会ったのは昨年の秋ですけど、ひたすらAKB48の話をしてました」
 
「いや。冬ちゃん、向こうと特に具体的な話が進行してないのなら、本気でデビューする気になった時は僕の方に言ってよ」
と畠山さん。
 
「はい、そのつもりでいます」
と私は笑顔で答えた。
 

やがてKARIONの3人と三島さんが神戸のイベントを終えて横浜まで戻ってくる。他のバンドメンバーも集まってきていたので、1回合わせてから休憩にする。
 
「お疲れさーん」
と言って、私は和泉・小風・美空にお茶とお弁当を渡す。
 
「冬〜、今日はまるで付き人さんみたい」
「うんうん。今日の所は和泉たちはスター、私はスタッフということで」
「冬もこちらにきてスターになりなよ。何なら今日はコーラスじゃなくてボーカルで歌わない? ボーカル4人用の譜面もあるよ」
と和泉。
 
「いづれ行くよ。追い抜くかもよ」
「分かった。待ってる」
と言って和泉は私に握手を求めた。
 
続々と客が入ってくるが、あっという間に客席はいっぱいになり、立見まで出る状況であった。こちらは警備スタッフも入れている。
 
相沢さん、黒木さん、私など伴奏のメンバー、私以外のコーラス2人がステージの所定の位置に付く。相沢さんの合図で演奏が始まる。幕が開く。KARIONの3人が舞台袖から走り出してくる。物凄い歓声。私は小さく呟く。
 
「和泉。私が行く時に失速していたりするなよ。全力で走っていろよ」
 

シングルのタイトル曲『幸せな鐘の調べ』(ゆきみすず作詞・木ノ下大吉作曲)、カップリング曲『小人たちの祭』(ゆきみすず作詞・東郷誠一作曲)と歌ってから、SPEEDの『White Love』(伊秩弘将作詞作曲)、国生さゆりの『バレンタイン・キッス』(秋元康作詞・瀬井広明作曲)と歌い、最後にシングルのもうひとつのカップリング曲『鏡の国』(広田純子作詞・花畑恵三作曲)を演奏するが、この時、コーラス隊の中学生のひとりYちゃんが前面に出て行くので、私はびっくりする。
 
和泉が私の方に一瞬目をやり、にやりと意味ありげな視線を送った。
 
元々『鏡の国』はボーカル4人編成のために作られた曲で、4人が2人組になってエコーをするように歌う。音源製作の時は、実際に和泉と私、小風と美空が対になって歌っている。しかしKARIONは3人でデビューしたため、この部分の対称性が崩れて、ここまでのステージでは、小風と美空は対で歌っているが、和泉はひとりで歌う変形バージョンで演奏していた。しかしこの横浜のライブでだけ、4人編成用のアレンジを使ったのである。
 
小風と美空、和泉とYちゃんが対になってこの曲を歌う。
 
私は本当にこの時は和泉とペアで歌っているYちゃんに嫉妬した。あそこは私のポジションだったのに!
 
でも演奏する内に、私は猛然とやる気が出てきた。
 
本気で追いかけるぞ、和泉。
 

5曲の演奏が終わって、幕が降りる。
 
予想通り、アンコールの拍手が来る。幕が開く。和泉たち3人が出て行き、アンコールの御礼を言う。私たち伴奏メンバーもコーラス隊もステージに戻りスタンバイする。
 
『Crystal Tunes』を演奏する。金曜日に和泉が譜面を見せて、それを相沢さんが6ピースバンド用に編曲(後に7ピース用に改訂)したものであるが、この横浜のライブでは相沢さんは編曲料代わりにもらった鼈甲ピックでこの曲を弾いていた。
 
観衆が手拍子も打たずに、美しい歌と、グロッケンの美しい調べに聞き惚れている。私はこの曲ではキーボードは弾かずにヴァイオリンを弾く。相沢さんもアコスティックギターにしている。ベース以外は全てアコスティックなサウンドである。
 
やがて演奏が終わると割れるような拍手。
 
「本日の演奏はこれで終了します。15分後にサイン会を始めます」
というアナウンスがあった。
 

この曲『Crystal Tunes』は結果的に初期のKARIONのライブでアンコール曲として定着することになる。当時は「作詞少女A・作曲少女B・編曲TAKAO」などとクレジットしていたが、数年後にファンからの要望に応えてアルバムに収録される際に、実は森之和泉作詞+水沢歌月作曲であったことを明らかにして、その名義でJASRACにも登録した。
 
『水色のラブレター』に8ヶ月先行して制作した、私と和泉の本当の処女作であった。12日の晩に福岡のホテルで書いたものである。ちょうど私がお風呂に入っていた時間帯に和泉が唐突に詩を書き、それに湯上がりの私が30分ほどで曲を付けたものであった。最終的には東京に戻ってきてからも電話のやりとりをしながら、詩・曲ともに若干の調整をしている。
 

この時期、都内や関東・関西の大都市のCDショップではKARIONのCDが軒並み売り切れになっていたのだが、私たちは会場にCDを持ち込み販売した所、この横浜会場だけで入場者数より多い3000枚も売れてびっくりした。どうもKARIONに注目したファンが「布教用」に買って行った分があったようであった。
 
このようにして、各地でのイベントが成功したことで、KARIONのデビューシングルは結局1月中に2.5万枚(最終的には4.8万枚に到達)売れて、彼女たちはスターになっていく。
 

横浜のライブが終わった翌日、学校に出て行くと、政子が私の教室までやってきた。あまり動き回らない政子が、わざわざこちらまで来て、教室の中まで入ってくるというのは珍しい。
 
「唐本さ〜ん、昨日はどこ行ってたの〜?」
ふたりだけの時は「政子」「冬」と呼び合うのだが、人前なのでこういう呼び方をする。
 
「ああ。バイトでちょっと横浜に行ってた」
「なんかいつも忙しいなあ、唐本さんって。詩を書いたからさ、曲を付けてくれないかと思って」
「おっけー。わざわざここまで持ってくるって、いい詩ができたのかな?」
「うん、これ」
 
と言って見せてくれたのは『ギリギリ学園生活』という詩だが、何だか楽しい!
 
私は少し突き詰めて言葉を洗練した感のある和泉の詩に比べて、政子の素朴でおおらかな詩もまたいいなと改めて認識した。和泉はだいたい直接パソコンに向かって打ち込み、パソコンの画面上でかなりの校正を加える。政子は紙にしか書かない。そして書いたものをほとんど修正しない。創作のやり方も対照的である。
 
「ほんっとに最近、中田さんの詩って楽しいね」
「やはり赤い旋風のおかげだよ。あの子を手に取ると、気分が凄く楽しくなるんだよね」
「うん、いいことだ。OK。明日までには書いておく」
 
「お、なんか気合い入ってるね」
「うん。ちょっと気合いの入るようなことがあった」
「へー。あ、そうそう。再来週のスキーなんだけどね」
「うん」
「啓介行けなくなった」
「へ?」
「その日が大学入試の試験日だったこと忘れてたって」
 
私は吹き出した。
「そんなもの忘れるもの?」
「ね?私だって忘れないよ、さすがに」
 
「ああ、中田さんも忘れ物多いよね」
 
政子はだいたいいつもボーっとしているので忘れ物の天才でもある。政子が忘れていったものを拾って行くのは私の役目である。
 
「だから部屋も1室キャンセル。8畳一間に女の子4人だよ」
「あはは」
 
「でも最近、花見さんとは割とうまく行ってるみたいね」
と言ったのだが、政子は「うん」と言ったまま黙り込んでしまった。
 
うーん。また喧嘩したんだろうか? ほんとにハラハラさせる・・・と私はこの時思ったのだが、政子が考えていたのはそのことではなかった。この時期政子が悩んでいた問題については、私は約1ヶ月後、3月に入ってから聞くことになる。
 

この日、私は麻布さんのスタジオの方で仕事が入っていたので学校が終わった後、書道部の方はサボって校内で女子制服に着替えてから下校した。校庭で弓道部の練習をしている奈緒と顔を合わせ
「お、今日は制服か」
と言われる。
「いつも制服だよ」
「いや、普段は偽制服だ」
「ああ、あれは偽制服なのか」
「だって、生徒手帳の写真と違うからね」
「確かに!」
 
スタジオに入り、その日から音源制作を始めることになっていた新人女性アイドル歌手の制作のお手伝いをした。仮歌を歌ってあげた他、その日はプロデューサーさんが途中で急用ができて帰ってしまったので、その後、その子に歌唱指導まですることになった。
 
「柊さんの教え方、分かりやすいです〜」
などとその子から言われる。
 
「20歳過ぎたら、また歌い方は変えたらいいと思うけど、18〜19歳くらいまではこんな感じでいいんじゃないかな」
「自分で聴いても、可愛い子ぶってて気持ちわるいですけど」
 
「23とかになって可愛い子ぶったら気持ち悪いだろうけど、14歳だもん。可愛いくていいんだよ。年齢が財産だよ」
「ええ。頑張ります」
 

中学生は21時までに帰さなければならないので20時40分くらいで作業を切り上げ私も帰宅する。もちろん遅くなることは家に電話を入れておいたのだが、私はその日、先日作った擬装用の「女子高生風の服」を着て帰宅した。
 
「ただいまぁ」
と言って家に入って行くと、母がびっくりしている。
「誰かと思った」
「ふふ」
「そんな服を持ってたんだ?」
「へへ。制服を着る勇気がないから、とりあえず慣れるのに」
 
「でもあんた夏服の制服は着て出歩いてたじゃん」
「うん。そのあたりがまだ気持ち的に微妙な所で。あれ?お父ちゃんは」
 
「・・・あんた、お父ちゃんにカムアウトするつもりで、その服で帰ってきたのね」
「うん」
 
「今夜は徹夜になるらしいのよ」
「ああ」
「でもいったん帰宅すると言ってたから」
「じゃ、この服のまま待ってる」
「うん」
 
姉が私の服を触って
「これほんとにどこかの高校の制服みたい」
などと言う。
 
「制服とか通販している所で買ったからね」
「へー。ね、これウェストいくつ?」
「61だけど」
「よくそんなの入るなあ」
 
そんなことをしている内に父が帰ってきた。私は緊張した。母も緊張した顔をしている。しかし父は私を見て言った。
 
「あ、冬彦のお友だちですか。いらっしゃい。でももう遅いですよ。母さん、そろそろ帰させないと、親御さんが心配するぞ」
「あ、はい」
 
「じゃ、着替えだけ取りに来ただけだから、また行く」
 
と言って、父は母が用意していた着替えのバッグを持つと、すぐ出て行ってしまった。
 
私は「あ」と言ってただそれを見送るだけだった。結局父は私を認識できなかったようである。
 
「今日は不発だね」
と言って母が私の肩に手を置く。
 
「うん。また改めて頑張ろうかな」
「そうだね」
 

翌週の週末。土曜日に私は民謡の大会の伴奏で水戸まで行った。この時期民謡関係で出かける時は、最初から自宅で和服に着替えてから出かけることが多かった。その日も自分の部屋で振袖に着替えてから堂々と両親のいる居間を通って「行ってきまーす」と言って出かけた。
 
父は「行ってらっしゃい」と言ってから、その後姉が部屋から出てきたのを見て「あれ?お前、今出かけなかった?」と訊き、姉が「私今まで寝てたけど」
と言うと「今、萌依出かけなかった?」と母に訊いたらしい。
 
母は「冬彦なら出て行きましたけど」と答える。
「え?でも今萌依が出て行った気がしたけど」と父は言い
「疲れてるんじゃない?お父ちゃん」などと姉に言われたらしい。
 
仕事が終わってから東京に戻るのに水戸駅の近くまで来た所で、路上でバッタリと雨宮先生に遭遇した(まだ当時は雨宮先生というのを知らず「モーリーさん」
と呼んでいた)。
 
「あら、ケイちゃん」
「あ、モーリーさん」
「振袖が素敵ね。どこかお祭りでも行ってきたの? あれ、ギターケース持ってる。振袖でギター演奏?」
「あ、私ギターは弾けません。これ三味線です」
「三味線!? それギブソン製の三味線?」
「いえ、ギブソンではなくギフケン。岐阜県産の三味線です」
と言って、私はケースを開けてみせる。
 
「面白いことしてるね。そうだ、またカラオケ対決しようよ」
「いいですよ」
 
ということで、私は母に電話して少し遅くなることを伝えてから、一緒に近くのシダックスに入った。
 
「お互いに相手の押した番号の曲を歌う。負けた側がお勘定を持つ」
「了解です」
 
ということで私と雨宮先生は2時間ほど歌い続けた。各々14曲ずつ歌って私は14曲全部歌えたが、雨宮先生は10曲しか歌えなかった。
 
「ケイちゃんは完璧すぎる。また負けた〜」
と雨宮先生。
 
「このカラオケ対決を仕掛けて、私が負けるのはケイちゃんだけだよ」
「モーリーさんに負けた子のその後が気になります」
「どうもしないわよ。ちょっと気持ちいいことするだけ」
「あはは、やはり」
 
「ねえ。その三味線で何か弾いてみせてよ」
「はい」
 
と言って私はギターケースから三味線を取り出すと、鼈甲のギターピックを持ち渡辺香津美の『TO CHI KA』を演奏した。
 
「すげー!美しい!」
「この曲、きれいですよね〜」
「いや、三味線でこれだけ弾けるなら、ギターだってかなり弾けるはず。でもあんた、変わったピック使ってるね」
 
「ああ。これ楽曲の使用料代わりにって、知人から頂いたんです」
「へー。どんな曲書いたの?」
 
私は迷ったが、モーリーさんの好みは実力派のアーティストだ。KARIONの曲、しかもまだ1度しか公衆の前では演奏したことのない曲なら大丈夫だろうと思い、そのまま三味線+鼈甲ピックで『Crystal Tunes』を弾き語りした。
 
「ケイちゃん、この曲売れる。CD出したら絶対7〜8万枚は売れる」
 
「じゃ、こちらの曲はどうですか?」
と言って私は『ギリギリ学園生活』をやはり弾き語りする。
 
『Crystal Tunes』を静かに聴いていた雨宮先生がこの曲は笑いながら聴いていた。
 
「凄い。ケイちゃん、いつの間にこんなに凄い曲書けるようになったのよ」
「この曲はCDにしたらどのくらい行くと思いますか?」
「これはゴールドディスク行くね。ただしケイちゃんが歌うんじゃなくて、少し舌足らずな感じのアイドルに歌わせた場合。ケイちゃんはこの歌を歌うにはうますぎるんだよ」
「なるほど」
 
「さっきの曲はね、ケイちゃんでもいいんだけど、誰か声の透き通った子がいたらそういう子に歌わせると良い。何か伴奏にはきれいな音が欲しいなあ。何だろう。グラスハープ・・・・ヴィブラフォン・・・・違う。グロッケンシュピールだ。この曲には揺れるヴィブラフォンの音よりシンプルなグロッケンシュピールの方が似合う」
 
モーリーさん、鋭すぎます。。。と私は本当に感心した。私もこの曲は和泉の透明感のある声、そしてグロッケンという楽器に本当によく合うと思っていた。
 
「でもこの2曲、世界観が全然違うね」
「これ別の友人が書いた詩にそれぞれ曲を付けたものです。だから世界観はその詩を書いた子の世界観をそのまま借用してるんですよね」
 
「なるほど。でも詩の世界観をそのまま使って曲が書ける人はレアだよ」
「そういうものですか?」
「たいていの作曲者は自分の世界観に置き換えてしまう。『荒城の月』なんていい例でしょ?」
「作詞者の土井晩翠は仙台青葉城、作曲者の瀧廉太郎は大分岡城でしたね」
「うんうん。世界観をそのまま使うってのができる作曲家は私の友人にひとりいるけど、彼もレアだと思う」
「へー」
 
この時雨宮先生が言ったのはもちろん上島先生のことであるが、私もこの時はそれ以上、向こうの話には突っ込まなかった。ただ私はその「友人」という言葉に微妙な感覚を感じ取った。
 
「そのご友人って、モーリーさんの彼氏?」
 
すると雨宮先生は突然ゴホン、ゴホンと咳き込んだ。
 
「違うわよ〜。確かにそんなこと人から言われたことあるけど。彼との間には恋愛感情はないと思うよ」
「あ、すみませーん」
 
「もう。こんなこと言われたの4年ぶりくらいだな。仕返しにケイちゃんの恋愛も言い当ててやる」
「え?」
「あんた、その『ギリギリ学園生活』を書いたほうの子のこと好きでしょ。レスビアン的に」
 
「えーーー!?」
 

「でもさ、半年前に会った時に見せてもらった曲からは格段の進歩だよ。何かあったの?」
 
「そうですね。私、去年の春から録音スタジオの助手のバイトしているのですが、それでプロのミュージシャンさんたちの録音の現場で生の真剣な音作りの場を見て、物凄く刺激されたのがあります」
「なるほど」
 
「それと、去年の8月から10月までテレビの歌番組のリハーサル歌手やってたんです」
「うそ?なんて番組?」
「『歌う摩天楼』です」
「おお!良心的な番組だ」
 
「それで現役バリバリの歌手やバンドの歌を間近に見て、物凄く刺激になりました」
「それは君のレベルの子があの現場にいたら凄い勉強になるだろうね。でもケイちゃん、本番に出演する歌手より上手かったりして」
 
そういえばプロデューサーさんから、本番に出ない?なんて言われたなと思い出した。
 
「そのリハーサル歌手を先日KARIONというユニットでデビューした和泉って子とふたりでやってたんですけど、和泉の方があの番組が終わった後で、デビューが決まって、こちらも負けてられない気持ちになって。少し頑張ったかな」
 
「おお。君を差し置いてデビューさせるとは、凄い実力の子なんだろうね」
 
「実は私もそのユニットに誘われたんですけどね。彼女とはむしろライバルになりたいという気持ちがあったのでお断りしました」
「へー」
 
と言ってから、雨宮先生は再度そちらのユニット名を尋ね、メモしておられた。
 
「ね、ね、私レコード会社とかプロダクションとかにたくさん知り合いがあるからさ、ケイちゃん取り敢えずデモCD作ってみない?」
「えー、でもデビューする気になった時はうちに声掛けてね、と言われている事務所もありますし」
 
「そこと契約書とか交わしたり、具体的な音源制作とかしてるの?」
「いえ、全然」
「じゃ、自主的にデモ音源作るのは全然構わないよ。作った後、そこに持ち込んでもいいし」
「あ、そうですよね」
 
「ケイちゃん、これだけ曲が作れるなら、自作曲を使った方が良さそう。何か適当な曲は無い?」
 
「そうですね・・・これとかどうかな」
 
と言って、私はノートパソコンを取り出し、少し考えてひとつの曲を開いた。
 
「へー、ノートパソコンを持ち歩くようになったのか」
「実はそのKARIONの音源制作には参加しているので、その報酬としてもらったお金で買いました」
「なるほどー」
 
(私が「演奏料」をもらったのは1stシングルのみである。2ndシングル以降は歌唱印税の形でもらっている。KARIONの歌唱印税は和泉・小風・美空と私で4等分している)
 
私は『花園の君』という曲を見せた。「歌ってみせて」というので、MIDIを鳴らして、それを伴奏に歌唱する。
 
「うん。いいね。その曲、私に編曲させてよ」
「わ?いいんですか? でも編曲料は?」
「そうね。私と一晩一緒に過ごすというのは?」
「却下です」
「ふふふ。じゃ出世払いでいいから100万ちょうだい」
「了解です」
 
「お、受けたね」
「私、あちこちに出世払いにしてるものあります」
「あはは、借金しまくりなのかな」
「ええ。でもその内、シンガーソングライターとしてばりばり稼いで返しますから」
「うん、君は絶対売れると思うよ。どのくらい借りてるの?」
 
「えっと、民謡やるんで、この三味線は母のを譲ってもらったのですが、胡弓を買ったのが値段聞いてないけど100万円くらい、それから従姉からヴァイオリンをもう3年以上借りっぱなしになってて、これについても適当な時期に私が買い取るということにしています。これが600万円くらい。で、今回モーリーさんに編曲していだくので100万円。取り敢えず800万円かな」
 
「あはは。でもヴァイオリンも弾くんだ?」
「はい」
「今度聴かせてよ。えっとね・・・・」
といって雨宮先生は手帳を見る。
 
「3月9日、空いてる?」
「はい。大丈夫です」
とこちらも手帳を見ながら言う。
 
「あんた、その手帳見せてくれる?」
「あ、はい」
 
「何? この物凄い詰まりようは? これ、お仕事の予定ばかりみたい」
 
「そうですね。私、今日もですけど、民謡の伴奏に結構出て行っているし、スタジオの仕事で、音源制作やコンサートのPAなどで出て行くこともあるし、音源制作では仮歌を歌ったり、キーボードやヴァイオリン・三味線・胡弓を実際に弾いて演奏参加している時もありますし、KARIONに関しては私は<契約していない準メンバー>という立場なので、音源制作には参加しますし、先月は全国キャンペーンにも伴奏者として帯同しましたし」
 
「あんた、実質スタジオミュージシャンだ!」
「あ、それ何人かに言われたことあります」
 
「キーボードも弾くのね?」
「ええ」
「他に何の楽器できる?」
「音源制作や演奏会でやったことのあるのは、ピアノ、電子キーボード、グロッケンシュピール、クラリネット、ヴァイオリン、三味線、胡弓、エレキギター、アコスティックギター、エレキベース、ドラムス、と、このくらいかな。でもギターとかベースとかドラムスは緊急避難的に私が演奏したもので、素人に毛が生えた程度ですけど」
 
「ケイちゃんの言う『素人に毛が生えた程度』は並みのプロと大差ないレベルのような気もするなあ。よし。3月9日はスタジオに行こう。それで実際に色々楽器を演奏してもらおう。三味線と胡弓とヴァイオリンとクラリネット持っておいでよ」
「あ、すみません。クラリネットは持ってません。演奏の時は楽団のを借りたので、個人で持っているのはマウスピースだけです」
「うん。じゃ、それはいいや。三味線と胡弓とヴァイオリンは持ってるのね」
「はい」
 
「じゃ、それ持って、朝11時に渋谷のハチ公の上で落ち合おう」
「ハチ公の上??」
「うん。目立つようにハチ公にまたがっておいて。目印に薔薇の花を持って」
「嫌です」
「じゃ仕方無い。ハチ公の前でもいいよ」
 

カラオケ屋さんを出て、駅に行き、一緒に特急で東京に戻る。私たちは車内で、最近の国内の音楽シーンについて色々話していた。先生の趣味が基本的にポップスの実力派アーティストにあることを感じた。
 
そしてそろそろ東京に着く頃に突然先生は言った。
「あんたさ、遅れついでにあと1時間くらい時間取れる?」
「はい」
 
先生は東京駅からそのまま私を新宿に連れて行き、裏手にある小さなホールに連れて行った。「A・Y・Aミニライブ」と書かれている。
「エーワイエー?」
「そのまま読んでアヤと言っているみたい。この子たち良いんだ」
 
当日券(500円)を買って、それで一緒に会場に入る。(雨宮先生はこういう所でチケット代をおごってくれるような親切な性格ではない)
 
やがて拍手に迎えられて3人の女の子がステージに登場する。
 
「AYAの、あおいです」
「ゆみです」
「あすかです」
 
と自己紹介して歌い出す。ほほぉと思って私は聴いていた。
 
同じ3人組といってもKARIONとは全く違うタイプだ。KARIONの場合は和泉がメインメロディーを歌い、小風が3度下、美空が5度下を歌って三和音にしており、そのハーモニーが美しい。(本来はこれに「蘭子」がカウンターを入れたり和泉とユニゾンしてメインメロディーを強調したりしていたのだが、それは現在コーラス隊に委ねられている)
 
AYAの場合はユニゾンで歌うか、交替で1人だけでメロディーを歌い他の2人はダンスしている箇所も多い。『モーニング娘。方式』とでも言おうか。
 
しかし私は聴いてて「うーん」と少し悩んでしまった。
 

ライブが終わった後、私は会場のロビーで売られていたCDを3種類買い求めた。雨宮先生は全部持っているらしい。会場の外に出てから、雨宮先生から訊かれる。
 
「ケイちゃん、不満がある感じだね」
と言われる。
 
「えっとですね。結構いいんですけど、ゆみちゃんと、残りのふたりの実力が違いすぎます」
と言う。
 
「うん。そうなんだよ。そこが問題だと思う。正直ゆみちゃんのソロでもいいよね、これ」
 
「いや、3人でやるなら、残りの2人の活かし方があると思うんですが、今のように並列方式では実力差だけが目立って、良くないです」
「ふーん。ケイちゃんなら、残りの2人をどう使う?」
 
「メインボーカルはゆみちゃんと割り切っちゃった方がいいです。残りの2人はコーラスとダンスで頑張ってもらう。『SPEED方式』かな」
 
「ああ、その方が残りの2人の魅力がよけい生きるだろうね」
 
「このCDのレーベル、聞いたことないですが、インディーズですか?」
「そそ。でも★★レコードから4月にデビューすることが決まっている」
「へー!」
 
「まあ色々問題はあるけど、今日みたいな感じでライブはいつもたくさん客が入っているんだよね」
「ああ、これだけ歌えたら人気出るでしょうね」
 
「でも実際問題としてファンはほとんど、ゆみちゃんのファンだよ」
「歓声が『ゆみちゃーん』てのしか無かったですね」
 
「それでさ。この3人も、ケイちゃんと同じ学年だよ」
「・・・・・」
 
「ライバル心、出ない?」
「出ます」
 
「この程度の子たちがメジャーに行くなら、自分もという気持ちになるでしょ?」
「なります」
「よし。頑張ろうね」
「はい」
 

翌週の連休は、書道部の「1年女子」4人でのスキー行きであった。スキーはスキー靴・ストックともに現地レンタルということで予約してある。
 
私たちは着替えだけ持ち、駅に集合。いったん東京駅に出てから東北新幹線に乗った。
 
「花見さん、今日受験なんでしょ?なんかエールとか送ってあげた?」
と理桜が訊くが
「別に」
と政子はそっけない。
 
「ねえ、花見さんとは、やはり上手く行ってないの?もしかして」
と圭子が心配そうに尋ねる。
 
「そうだなあ。卒業と共にさよならになるかも」
と政子が言うので、私と理桜・圭子は顔を見合わせた。
 
この時期、このふたりの関係はもう修復できないレベルまで行っていたのかも知れないという気はする。ただ、政子がここで「卒業と共にさよなら」と言ったのは別の意味でであったのだが。
 

福島駅で新幹線を降り、奥羽本線に乗り換える。駅を降りたら旅館の送迎バスが来ていたので、それに乗って旅館まで行った。チェックインする。
 
「お客様、ご相談があるのですが」
「はい」
 
「実は部屋のやりくりの都合で、8畳和室1部屋の所をツイン洋室2つには変更できませんでしょうか?」
 
私たちは顔を見合わせたが、別に構わないという雰囲気だ。
 
「寝る時だけ別れればいいしね〜」
「そうだね〜」
 
ということで同意する。おそらくは8畳の部屋に6人かひょっとすると8人くらい詰め込みたいのだろう。
 
「助かります。宿賃は8畳の部屋12000円だった所を洋室2つで10000円に値引き致しますので」
「了解です」
 
そういうことで続き番号の洋室、815号室と816号室の鍵をもらう。宿帳には、橘理桜・倉越圭子・中田政子・唐本冬子、と政子が記帳した。あはは。やはり女子高生4人だね。
 
8階にエレベータで部屋に行く。実際に隣り合わせの部屋だった。
 
「これなら用事がある時は壁をノックしても呼べるな」
 
などと言いながら、とりあえず全員815号室に入り、荷物を置く。
 

「よし、滑りに行こう」
 
ということで、私たちは最低限必要なものだけウェストポーチなどに入れ、フロントまで降りて行き、借りることにしていたスキーを受け取る。旅館の前からスキー場行きのバスが出るので、それに乗ってスキー場に入った。
 
「ところでみんな滑れるの?」
「ボクはボーゲン」と私は言う。
「私は滑ったことない」と圭子。
「私は幼稚園の時以来だからきっと忘れてる」と政子。
「じゃ普通に滑れるのは私だけか」と理桜。
 
取り敢えず初心者コースに行き、圭子にみんなで教えながら自分たちも少しずつ滑る。政子もおそるおそるボーゲンで滑る内に感覚を取り戻して行っている感じであった。その内スキーをパラレルにして滑るようになっていた。
 
「次に滑りに来れるのは5年後くらいかなあ」
などと政子が言うが
「来年はまだ受験も忙しくないし、また来てもいいんじゃない?」
などと理桜がいう。
 

1時間ほど楽しんでからいったんヒュッテで休憩して甘酒など飲む。
 
「ふー、身体が温まる」
「ところでみんな進学先って決めてるの?」と唐突に政子が訊いた。
 
「私は筑波大学に行こうかなと思ってる」と理桜。
「私も筑波いいかなと思うけど、かなり勉強しないといけないし、もう少しランク落とすかも」と圭子。
「ボクは一応名古屋大学にしてるんだけどね〜。変えるかも。やはり東京付近にしようかなと思って」と私が言うと
「あ、それはぜひ東京近辺にして」
と政子は言った。
何だか理桜と圭子が顔を見合わせている。
 
「ねえ、東京近辺でたくさん勉強しないと通らない大学ってどこかな?」
と政子。
「そりゃ東大じゃん」
「いや、東大はどんなに勉強しても無理」
「それは言える」
 
「その次というと、一橋とか東京工大とか」
「そのあたりもかなりハイレベルだよね。政子の今の成績じゃ奇跡が起きても無理な気がするよ」
と理桜が遠慮無く言う。こういうことを言ってくれる友人は貴重である。
 
「私立でも良ければまず早慶だね」
「そうけいって?」
「早稲田と慶應だよ」
「へー」
 
「その下がMARCHだね」
「マーチ??」
 
「Mは明治、Aは青山、Rは立教、Cは中央、Hは法政」
 
「東京六大学とかいうのは?」
「あれは野球だから関係無い」
「そっかー!」
 
「でも政子、そもそも大学に行く気なんだ?」
 
政子は1年生の間はいつも赤点ギリギリというか、何度も追試のお世話になっていた。誰も政子が大学に行くつもりだとは思っていなかった。
 
「まあでもFランクとか言って、名前さえ書けば入れてくれる大学あるよ」
「そういう大学もあるのか」
「ただ問題は入れてはもらえるけど、卒業するまでその大学が存続しているかという怖さはある」
「ああ、あるある」
 
大学の倒産が問題になりはじめるのは翌年くらいからであるが、この時期かなり「やばそう」という話が既にあちこちで聞こえていた。
 

休憩の後また2時間くらい滑ったが、初心者の圭子も(ボーゲンでなら)かなり滑ることができるようになって、私たちは何度もリフトで上に登っては滑って降りていた。理桜は私たちが普通に滑ることができるようになったので1度だけ上級コースを滑ってきた。
 
夕方シャトルバスで旅館街に戻る。少し休んでいる内に夕食の案内があったので、食堂に食べに行く。食事はごく普通の田舎の旅館の食事という感じであった。宿泊の人数は4人だが食事は(よく食べる子がいるのでと言って)6人分で頼んでいた。むろん政子が3人分食べるのである。そして例によって私はあまり食べきれないので、半分政子に食べてもらった。ご飯とお味噌汁がお代わり自由なので、政子は何度もお代わりしていた。
 
「政子、でもよく入るね〜」
と圭子がほんとに感心するように言う。
「うん。今日は身体を動かしたからたくさん入るよ」
と政子は言い、楽しそうに食べていた。
 
「冬はほんとに少食だね〜」
「うん。ボクも中学で陸上してた頃は毎日御飯2杯も食べてたんだけどね」
「2杯って普通じゃん。スポーツしてる子は5〜6杯食べたりするよ」
「そうかなあ」
 
いったん部屋に戻ってから、お風呂に行こうということになる。
 
「冬子ちゃんも一緒に行きたい所だけど、さすがに無理だろうね」
「あはは、ボクが女湯に行ったら逮捕されちゃうから」
「まあ、仕方無いね。じゃ、また後で」
 
と言って、大浴場のある1階廊下奥の、男女に左右で分かれる所で3人と別れた。
 

ボクはその分岐点から左側に10mほど歩き、男湯と書かれた青い暖簾を見る。うーん。「男湯」の暖簾を潜るのは、小学5年生の時以来かな、などと考える。でも入れるかしら??
 
さて、と大きく息をついてその暖簾を潜った・・・・が、そこから出てこようとする初老の男性と鉢合わせる。
 
「君、ここは男湯だよ。女湯は向こう」
 
ああ、やはりそう言われるよね。
「あ、すみませーん」
 
「というか、冬スズメちゃんじゃん」
「あ、どうも。ご無沙汰してます。社長」
 
そこにいたのは、○○プロの丸花社長であった。
 
「あ、もし良かったらロビーででも少し話さない?」
「はい」
 
それで私は丸花社長と一緒に1階の大浴場から少し玄関側に戻った所にあるロビーに入った。社長が缶コーヒーをおごってくれて、私たちはそれを飲みながら話した。
 
「津田君から聞いてるけど、最近かなり音楽活動を盛んにしているみたいね」
 
「はい。去年の夏から秋に掛けてリハーサル歌手をしたことはお話ししましたが、あの頃から、スタジオでの仕事をしていて、けっこう音響の仕事だけじゃなくて制作自体に関わることも多くなってしまって。社長ですから個人名を出しちゃいますが、****では三味線を弾きましたし、****ではピアノ、****ではヴァイオリン、といろいろ演奏にも参加してます。コーラスとか仮歌とかはもうしょっちゅうで、スタジオのメイン技術者の方からも、君はこのスタジオの専属アーティストだね、なんて言われてます」
 
「おお」
「先月は某新人ユニットのデビューキャンペーンで九州や北陸まで帯同して伴奏とコーラスしてきました」
 
「既に君、スタジオミュージシャンになってるね。でもそんな使われ方ではもったいないよ。君はステージのバックで楽器を演奏しているべき子ではないと思う。君はステージの前面で歌うべき子だよ。まじデビューする気はない?」
 
「去年リハーサル歌手を一緒にした子が一足先にデビューしちゃったんです。それで私も結構やる気出してきて。今ちょっとデモ音源を作ってみようかと計画している所なんですけどね」
「おお、それは完成したら聴かせてよ」
「はい」
 
「あ、ボクのメールアドレス教えておくから。ここにMP3にして送って」
と言って、私は丸花さんの個人アドレスを教えて頂いた。
 
「音源出来たら、聴かせてって、他の事務所からも言われてるんですけど」
「あはは。君ほどの素材ならそうだろうね。その時はそこと競争だね」
「そうですね」
「有望な素材に関して競合になることは珍しくないよ。それぞれの事務所で条件出すだろうから、それを比較して君が決めれば良い」
「はい」
「まあ僕は負けるつもりないけど」
 
私は言葉では答えず、微笑みで返事をした。
 

「あ、そうだ。もし良かったら、君少しうちのスクールのレッスン受けてみない?」
「歌のレッスンですか?」
「そそ。以前一度ボイトレのコースに入ってもらったけど、もう少し本格的な歌唱の訓練も受けてごらんよ。君ほどの子なら特待生にしてあげるから。授業料不要」
 
「えー、でも・・・」
「担当者に話しとくから。もし気が向いたら、この名刺持って行って」
と言い、丸花社長は名刺の裏に走り書きで
《非常に優秀な子を紹介します。特待生でよろしく》
と書いて渡してくれた。
 
「ありがとうございます。取り敢えずお預かりします」
 

「しかし、例の件はお父さんにカムアウトした?」
「実はデビューするまでにそれをクリアしなくちゃと思ってこないだから何度かカムアウトしようとしたのですが」
「うん」
「どうもタイミングが合わなくて、なかなかできません」
「まあ、難しいだろうけど頑張ってね」
「はい」
 
「けっこう最近堂々と、女の子の格好で直接家から出てきたり帰宅したりして父にも何度かその姿を見せているのですが、父はそれが私とは認識できていないみたいで」
「あはは。僕も自分の息子がいつの間にか女の子になってたら最初自分の息子と認識できないだろうね」
 
と丸花さんは笑って言った。
 
「で・・・君、今日お風呂はどちらに入るの?」
「勇気を出して男湯に入ってみようかと思ったのですが・・・・」
「多分摘まみ出される」
「そんな気がします」
 
「君、女湯には入れない身体なんだっけ?」
「私ですね、実は」
「うん」
「温泉や旅館の大浴場の女湯には毎年1〜2回入ってますが、男湯には生まれてこのかた、1度も入ったことがなくて」
「ほほぉ!」
 

私は丸花社長と話している間に、政子たち3人がロビーそばの廊下を通過して部屋の方に戻るのを見た。それで丸花さんに
「それでは頑張って女湯に行ってきます」
と言って立ち上がった。
「うん。逮捕されないように頑張ってね」
「はい。それではまた」
 
そういう訳で私はその日は政子たちと時間差で女湯に入ることになる。さっきの分岐点まで来てから、私は今度は右に曲がり廊下を10mほど進んで、女湯と書かれた、赤い暖簾をくぐった。なんかこちらをくぐるのが自分にとって普通のことになってるよな、と改めて思った。
 
女性だけの脱衣場だ。たくさんの女性があるいは服を脱ぎかけ・着かけ、あるいは裸のまま涼んでいたりする。その乳房がまぶしい。私のおっぱいも早く成長しないかな・・・・
 
しかし私は男性の脱衣場というのを経験したことがない。更衣室なら、学校で男子更衣室をさんざん使っているんだけどね〜。私はちょっと首を振ってから、空いているロッカーを見つけて服を脱ぎだした。
 
その時。
 
 
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【夏の日の想い出・胎動の日】(中)