【Les amies 結婚式は最高!】(3)
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(c)Eriko Kawaguchi 2012-07-14
3月9日11時45分。東北地方をM7.2の地震が襲った。東京でも震度3揺れたので小夜子はすぐに寿子に電話を入れた。上手い具合にすぐつながった。
「今の地震、大丈夫?」
「ああ、平気平気。今被害状況を調査中だけど、お客さんも残ってない時間帯だったしね。いくつか使えない部屋が出るかも知れないけど、明後日みんなを泊める部屋は意地でも確保するから、心配しないで」
「怪我が無かったのなら良かった」
「ああ、私って運が強いから、こういうのは大丈夫だよ。これまで車を3回大破させたけど、無傷だったしね」
「いや、それは運というか、3回も大破させる方に問題があるというか」
結局後でメールで入ったのでは、古い建物なので天井の板が落ちたりして使えなくなった部屋が5つ出たらしいが、客の少ない時期なので、みんなを泊めるには全然問題無いということだった。ガス設備なども専門家にきちんとチェックしてもらったらしい。
そしてその2日後、3月11日。社長や専務、小夜子たちは夕方から東北に行くので区切りがうまくつくように仕事を進めていた。小夜子自身は現在13週目で結構つわりが来ていたが、今のところ比較的軽く済んでいた。「つわりが軽いなら男の子かもね」などと周囲からは言われたが、小夜子はむしろ女の子のような気がしていた。
そんな14時46分過ぎ。営業で客先にいた小夜子も、美容室でお客さんの髪をカットしている最中だった晃も、震度5の地震に驚愕する。晃は椅子から滑り落ちてしまったお客さんを反射的に受け止める形で床に座り込んだ。
小夜子は妊娠中というのを気遣ってくれた客先の社長さんがかばってくれて、棚から落ちてきた箱などが身体に当たらずに済んだ。
どこも大混乱であった。
晃は大きな声で「みんな落ち着いて!」と叫ぶ。店長が晃の所に寄ってきて「これ、避難させた方がいいと思う?」と訊く。
「まだ余震来ますよ。下手に避難すると、物が上から落ちてくるかも。こんな大きなビルは簡単には倒れません。たぶん、ここにいた方が安全」
店長も頷く。
そこで店長が
「みなさん、このビルは震度6強の地震に耐えられる耐震設計がされています。このビルが倒れることはまずありません。でも不安な方はすぐお帰りになってもいいと思いますが、落下物に注意してください。今日はお代はよいですから。カットやパーマが中途になっている方は、取り敢えず区切りのいい所までしてから、退出なさいませんか?」
と呼びかけた。
パーマ途中だった客が1人、帰りたいと言ったので、スティックを外して送り出す。他の客は区切りのいい所まで、あるいは最後までやって欲しいと希望したので、施術を再開し、できるだけ素早く作業を進めた。
店内にラジオの放送を流す。
「震源地が宮城沖!?」
「うっそー! それでなんでこんなに揺れるの??」
たいていの客が10分以内に終了し、最後のひとりのパーマを掛けている最中に最初の余震が来た。これも大きい!
しかしこのお客さんは肝が据わっていて、その余震の後も作業を続けてもらい最後まで終わった直後に2度目の余震が来た。
「なんか凄いですね。私、逆に外に出るのが怖いので、もうしばらくここにいてもいいですか?」
などというので、控室にスタッフと一緒に入ってテレビの報道を見る。
この時点でスタッフにも帰りたい人は帰って良い旨を告げたが、誰も帰らない。やはり帰る方が怖いとみんな漏らしていた。みんな家族などと連絡を取ろうとしていたが、携帯の通話ができないし、メールも全然届かない雰囲気だった。晃も小夜子と連絡を取りたかったが、送ったメールに返信は来ない。ただ無事を祈るだけだった。
小夜子はかばってくれた社長さんによくよくお礼を言い、取り敢えず帰宅を試みることにした。この状況では会社に出て行ってもどうにもならないし、向こうは社長や専務が何とかしてくれるだろう。たぶん帰れる人は帰りなさいということになっているのではないかと考える。
晃とも連絡を取ろうとしたが無理だった。携帯は通じない。メールは送ったものの返信はこない。相当輻輳してるなと思う。社長にもメールしたし、震源が宮城ということで何よりも心配な寿子にもメールした。
歩いて駅まで行く途中で余震が来る。近くのビルの中に飛び込んでやり過ごす。駅に着いたところで2度目の余震。そして電車は動いていない。
こりゃダメだと思った小夜子は歩いて帰ることにした。幸いにも今日訪問した顧客は北区にある。ここから小夜子の家までたぶん歩いて15kmくらいだと思った。4時間もあれば辿り着くはず。
ただひとつ大きな問題があった。それは小夜子は方向音痴だということだった。
一方の晃の美容室でも16時すぎてから、やはり帰宅できそうな人は帰宅しようということになる。店長は「泊まりたい人は泊まってもいいから」と言い、店長が泊まり込むことにする。他に2人が泊まると言い、他のスタッフや最後まで残っていたお客さんは帰ることにする。電車が止まっていて復旧の見込みが立たないというのはテレビの報道で聞いていたので、全員徒歩の覚悟である。店長は、連絡するまで美容室は休みにすることも告げた。
晃は自分も泊まった方がいいかなという気もしたものの、やはり女性ばかりで一晩過ごそうというところに、一応女の格好はしているものの、肉体的には男性である自分がいるのは微妙だろうと思ったので帰らせてもらうことにした。
小夜子は今日の夕方から新幹線で宮城に行くことになっていたが、この地震ではどっちみち無理だろうから、たぶん(徒歩で)帰ってくるだろうと踏んだ。今日は赤羽の顧客の所で新しいシステムの打ち合わせをすると言っていた。赤羽からならそんなに時間は掛からないはずだ。ただ、晃は小夜子の方向音痴が心配だった。電話連絡が取れたら誘導できるのだが、この状況ではそれもできない。晃はせめて小夜子が反対方角に歩いていかないことを祈った。
取り敢えず美容室のあるビルを出て、近くの駅まで来たが、晃は突然小夜子を迎えに行った方がいいという気になった。もちろん小夜子がどこにいるかなど見当も付かない。しかし東京方面に歩いて行ったら会えないかなと思った。
駅の中の自販機が動いていたので、ペットボトルのお茶を3本買って通勤用のバッグに入れる。そして意を決して南に向かって歩き始めた。
小夜子は赤羽駅から「自分の感覚で」北に向かって歩き出した。しかし30分近く歩いた所で東十条駅に着いてしまった。
「あれ?逆だ!」
小夜子は今来た道を戻ったが、次の交差点で何も考えずに左折した。
晃たちが住む町から東京方面に行く場合、国道17号を通るルートと産業道路を通るルートがある。産業道路を通った方が近いが、晃は何となく勘で小夜子が国道17号の方を通るような気がした。
そして歩き始めて30分ほどしたところでようやく小夜子が震災直後に送った「こちら無事。そちら大丈夫?」というメールを受け取った。良かった。無事は確信していたが、ちゃんとメールを受け取るとホッとする。
「こちらも無事。迎えに行く。今どこにいるか番地表示とか目立つ建物とか見たら逐次連絡して」とメールする。
10分ほどで返事が返ってくる。「左手に板橋第八小学校ってある」
晃は急いでその場所を確認する。うそー、何でそんな場所に!? 赤羽からどういう歩き方をすればそんな場所に行く?
「その道逆に戻って。最初に見た大きな通りを左折してまっすぐ行って」
とメールした。
こんなやりとりを30分ほど続けたが、無事小夜子が国道17号を北上し始めたのを確認して晃はホッとした。
「今多分荒川かな・・・を渡ってる。右側に新幹線っぽい線路の橋がある」
「順調順調。そのまま歩いて。あと30分くらいで会えるよ。でも疲れたら休んでね」
「うん、さっきから時々休んでる。でも喉渇いた。途中の自販機全部売り切れ。さっき寄ったセブンイレブンも全然飲み物無かった」
「ボクがお茶持ってるから、会ったらあげるよ」
「わーい」
ふたりが無事出会ったのは、6時すぎだった。荒川を渡った時から15分。晃がかなり頑張って速く歩いたので早く会えた感じだった。人目を気にせず熱いキスをする。そしてペットボトルのお茶を渡すと一気に1本のみ、2本目も半分くらい飲んだところで落ち着いたようだった。
小夜子が疲れているので、道ばたに座りしばし休む。
「お母さんも無事帰宅したみたいだし、ゆっくり帰ろう」
「そうだね」
「宮城のお友だちとは連絡取れた?」
「それが取れないのよ。海岸の近くの旅館なんで津波が心配」
「うーん。無事を祈るしかないね」
「明日の結婚式は延期だよね?」と小夜子。
「これじゃ無理だね」
その後ふたりはそこから、ゆっくりゆっくり歩いて、夜の10時頃自宅に帰着した。五十鈴が御飯を作って待っていてくれたのでとりあえず食べてから、その日はひたすら寝た。
翌朝、やっと宮城の寿子と連絡が取れた。避難所から電話をしているということだった。
「旅館全壊。私と彼は無事だけど、彼のお父さんが行方不明。旅館にいた全員を地震の後、すぐに避難所になっている公民館に向かわせたんだけど、途中でみんなバラバラになっちゃって。それで私は避難所にたどりつく前に津波に呑まれちゃったんだけど、とりあえず近くにあった発泡スチロールの箱に捉まって川の中で浮いてたら、近くの人が拾い上げてくれた」
「きゃー。でもやっぱりトシって運が強いね!」
「自分でもそう思う。ずぶ濡れだったけど、避難所に来て着替えをもらったし。それで、彼は仙台に会合で行っていて無事。お義母さんは間一髪避難所に飛び込んで助かったけど、従業員さんでまだ連絡が取れてない人がいる。お客さんは幸いにもひとりもいなかった。お義父さんは自宅で寝てたのよね。食事とかは自分でできるから昼間は誰もいなくて。彼が昨日の夜自宅まで行ってみたけど跡形も無かったらしい」
「うーん。。。。トシちゃんの親族の方は無事なのね?」
「うん。親戚とかは今日来る予定だったのよ。昨日はうちの両親と兄ちゃんが車で移動中で、もう白石まで来てたんだけど、こちらに来ても仕方ないから帰った方がいいと私が言ったから東京に逆戻り。大渋滞で大変だったみたいだけど。高速も使えないし」
「でも無事なら良かった」
「東京のお友だちとかも大半が今日の朝の新幹線で来る予定だったのよね。何人か昨日から来てくれることになってたけど、みんな夕方の新幹線の予定で。移動前だったのが不幸中の幸い」
「仙台あたりまで来てたら大変だったね」
「ほんと! 私の結婚式に来て地震や津波にやられたりしたら、その子の両親に私、謝っても謝りきれないよ」
「でもお義父さんとか従業員さんが心配だね」
「うん。今日は彼が市内の遺体安置所を回ってみると言ってた」
「わあ・・・・」
晃の美容室が加入している団体の方から、震災で避難所に泊まり込んでいる被災者の人たちに、シャンプーなどをするボランティアを派遣するという話が来て、晃と篠崎さんが志願した。トップ・スタイリストの内村さんも行きたいと言ったのだが「アキちゃんとシノブちゃんの両方にいなくなられたら、困る」
と店長に言われて、留まることにし、次の機会に今度は内村さんが行くということにした。
参加した美容師40人ほどで大型バスに乗り、仙台に入る。そこからワゴン車で数人ずつのグループに分かれ、あちこちの避難所を訪問した。
悲惨だった。
途中で気分が悪くなり、リタイアする人も相次ぐ。篠崎さんが辛そうにしていたので晃はハグしてあげた。
「辛かったら車の中で休んでいてもいいから。誰も責めないよ」
「ありがとうございます。でも少し落ち着きました。だけど奥さんに悪い」
「女同士のハグは問題無い」
「あ、そうか!男の人と抱き合ったら嫉妬されるんですね」
「うん。まあ、そうかな」
と晃はポリポリと頭を掻いた。
「それとアキさん、胸がありますよね」
「うーん、まあそのあたりは色々あって」
「へー」
晃の「身体の秘密」への興味が、篠崎さんを結果的には元気づけた感もあった。
その日は仙台市内のホテルに泊まった。宿泊事情が悪いので本来シングルの部屋にエクストラベッドを入れて2人泊まる。晃は篠崎さんと同室になった。晃はそもそも「女性美容師」としてこのボランティアに参加している。しかしさすがに女性と同室になるのはマズいかと思い、責任者の人に自分の性別問題を説明して、分けてもらおうと思ったが、篠崎さんの方が「私、知らない人と一緒になるより、アキさんと一緒の方がいいです」などというので、そのままにした。
取り敢えず部屋の中のコンセントに電気が来ていたので、持参の3個口テーブルタップで分岐して、ふたりの携帯電話の充電をした。
充電しながら晃は小夜子に電話をする。被災地の状況を聞かれるのでできるだけソフトに説明する。あまり精神的なショックを与えてはいけない。しばらく通話していた時、メールをしていた篠崎さんが携帯のふたを閉じた。その音が伝わる。
「あれ?誰かと同室?」
「あ、えっと篠崎さんとね」
「ああ! でもアッキーは男の人と同室にはなれないもんね。ね、ちょっと代わってくれる?」
「うん」
篠崎さんは電話を替わってと言われて「え!?」と言ったものの小夜子と知らない間柄でも無いので代わって「もしもし。お世話になります」と話す。
「こないだ、私の結婚式の時は着付けしてもらって、ありがとうね」と小夜子。「いえいえ。こちらこそ不慣れで面倒掛けました」と篠崎さん。
「晃は戸籍上は男でも無害だから今夜は心配いらないよ。晃の胸を触ってみて」
「あ、それは触りました。バスト大きいです」
「じゃ、晃のお股を触ってみて」
「えー!?」
「私が許可するから」
傍で聞いていた晃も笑って、篠崎さんの手を取り自分のお股にスカートの上から触らせる。篠崎さんが驚いたような顔をする。
「何も付いてないです!」
「ね? だから安心してね。でも着替える時やお風呂入るときは目を瞑るように言っておくと良いよ」
「はい、そうします。でも晃さん、もう女の身体になっちゃってたんですね!」
晃はそう言われて頭を掻いていた。
震災直後の関東は日々の「無計画停電」で大混乱していたが、日が経つにつれ少しずつ日常の生活が戻って来た。続く余震にも多くの人が慣れていった。
そんな連休明けの3月22日。この日は本来は小夜子と晃の結婚式だった。自分が妊娠して晃が「それならすぐにも結婚しよう」と言い出さなかったら、自分たちは結婚式を挙げられたのだろうか、と疑問に思った。
各地で様々なイベントが中止になっている。仕事の上でもキャンセルや延期の申し入れが相次ぎ、社長も頭を抱えていた。仕事での移動中にラジオなど聴いていると、結婚式を延期したという話も多数出ていたし、中には仙台の人から当日結婚式の予定で友人が仙台市内に集まってくれていたのに、その友人の中でまだ連絡が取れない人がいるなどという投稿まであった。全然他人事では無かった。
その日も朝から小夜子は、頼むことにしていた仕事をいったん延期させて欲しいという申し入れがあり対応をしていた。延期させて欲しいというのにあれこれ言えないが、こちらはそれに向けてバイトのオペレータを3人雇うことになっていた。社長とその子たちをどうするか話し合ったが、社長もこの一週間こういう話ばかりで少し疲れている感じだった。
社長、専務、小夜子の3人で人員問題を近くのレストランの個室で話し合い、3人がオフィスに戻ったとき、そこに意外な人物がいた。
「トシちゃん!?」
「ごめーん。専務。婚約解消して戻って来た。退職金返すから復職させて」
「はぁ!?」
「婚約解消!?」
会議室に4人で入り、事情を聴く。
「お腹空いた〜!」などというので、おやつを出して来て、徹夜作業する時のためにストックしているレトルトカレーとサトウのごはんをチンして食べさせる。
「人心地付いた!まあ、とんでもない災害に遭った上に、避難所でストレスが大きいのもあったんだろうね。小さい揉め事はあったんだけど初七日まではこちらも我慢してたんだよね」
彼のお父さんは結局遺体で見つかったらしい。また従業員もふたり亡くなっていた。旅館は全壊で跡形も無し。残ったのはがれきで埋まった土地と4億円の借金のみ、ということだった。彼はこうなった以上、もう会社を清算して事業廃止するしかない、と言ったらしいが、お母さんは何とか銀行からお金を借りて旅館を再建したいと主張したらしい。
「それで銀行からお金を借りるのに、私や私の親とかに保証人になって欲しいと言われたのよね。でも、この地震の後に建てるならかなり建築基準が厳しくなるでしょ?多分3億は掛かると私は踏んだ。借金が既に4億あるのに更に3億なんて無茶。それに売り物の海水浴場もがれきで埋まってる。復旧に2-3年は掛かるよ。これだけ地震が続いてたら観光客も来ない。経営が成り立つ訳無い」
「確かに厳しそうだね」
「だから私は断った。それなら結婚させないと言われた」
「あぁ」
「それで私、お母さんと口論になって」
「じゃ、それでお母さんと対立して婚約解消になっちゃったの?」
「お母さんとの口論はまだいいんだよ。問題は私とお母さんが揉めてるのに彼が何も言ってくれないんだよね」
「ふたりの口論が凄すぎて口が出せなかったのでは?」
「トシちゃん手が早いし」
「ああ、殴り合いはしたけどね」
「ひゃー」
「偶然避難所に巡回してきていたおまわりさんに喧嘩は停められたんだけどね。それでもう帰ると言って、向こうももう来るなと言うし、避難所飛び出してヒッチハイクで東京まで戻ってきた」
「わあ・・・・」
「一応、避難所出る前に自分の親には連絡した。それならもう帰っておいでと言われた。迎えに行くよと言われたんだけど、あまり長くそこに居たくなかったから、何とかすると言って国道まで歩いて行って、あとは南に行く車に乗せてもらって。最初の人が郡山まで、次の人が宇都宮まで乗せてくれて、3台目の人が北千住まで乗せてくれたから、その後ここまで歩いてきた。宇都宮まで乗せてくれた人が、おにぎり分けてくれた」
「良かったね」
「とりあえずどうするの?」
「私、今無一文なのよ。キャッシュカードとかも津波で流されちゃって。誰か少しお金貸して。カード再発行されたら返すから」
「これあげる。返さなくていい」
と言って、専務が財布から3万円出して渡した。
「ありがとうございます」
「でも取り敢えずどこに泊まるの?お兄さんとこ?」と小夜子。
「あそこ、2DKに夫婦と子供3人住んでるからなあ。親のとこじゃ通勤辛いし」
寿子の実家は木更津である。ここまで3時間近くかかるはずだ。
「私のうちに泊まりなよ」と社長。
「部屋の空きあるよ。私、一応独身だしさ」
「ありがとうございます。助かるかも」
「夜が寂しかったら、彼氏貸してもいいし」
「ああ、借りたい気分」
そういう訳で寿子は取り敢えず「臨時雇い」のまま運用部長で復帰した。震災の影響で仕事のキャンセル・中断・延期も相次ぎ少し意気消沈していた社内に明るい寿子の存在があると、みんな少し元気が出る感じであった。
晃の被災地ボランティアは、1度目は3月16日から19日までの4日間行われた。本来は6日間やる予定だったのだが、参加者の消耗が激しいので4日で切り上げたのである。その次の週は最初から4日間の計画となって、23日から26日まで内村さんが行ってきた。そして30日から4月2日まで再度晃が行った(篠崎さんは前回が辛かったのでパスした)。
4月2日の土曜日、お昼を同じ班の美容師さんたちと一緒に仙台市内のファミレスで食べていたら
「あれ? もしかして、松阪さんの・・・・奥さん?」
と声を掛ける人がいる。
「あ、はい?」
と晃は返事したが、見覚えが無い。でもそうか!自分は結婚している女性だから『奥さん』なんだ! 晃はちょっと新しい発見をした思いだった。
「あ、すみません。私、松阪さんの同僚の井深の婚約者です」
「ああ!」
彼が少し話したがっている感じだったので、晃は他の美容師さんたちに断って彼と同じテーブルに移った。
「こちらへは何かのお仕事ですか?」と彼。
「私、美容師をしていて、避難所の方々の洗髪とヘアカットのボランティアに来てるんですよ」
「ああ、それはご苦労様です」
「そちらはどうですか」
「昨日、裁判所に旅館の破産申請をしました。私と母の個人の破産も同時申請。借金の保証に入ってるから一蓮托生です」
「わあ」
「実は、寿子の様子をご存じないかなと思って。本人と連絡が付かないので1度ご実家の方に電話したのですが、とりあえず前の職場に復帰したということだけは聞いたものの、本人の居場所とか電話番号とかは教えてもらえなかったもので」
「・・・・知人の所に身を寄せてますよ。まあ元気にお仕事しているようですがどこにいるかとか、本人が言いたがらないのを私から教える訳にはいきません」
「そうですよね」
「でも、そちらはその後、どうなったんですか?」
「いや、大変でした。活動拠点が無いとどうにもならないので、まずは仙台市内に1Kのアパートを借りて取り敢えずの住居兼臨時事務所にして、中古車を1台東京の友人に買って持って来てもらって。宮城じゃそもそも中古車屋さんが軒並み被災して買うこともできないんですよ」
「ああ」
「それで、従業員のいる避難所を回って、当面事業の再開は不可能だから失業保険がもらえるように解雇するということで納得してもらって、3月4月分の給料と退職金を渡してきました。亡くなったふたりの従業員の家族には給料と退職金の他に補償金の暫定額として300万追加で渡して、最終的な金額については後日話し合うことにしました。それから東京の弁護士さんに頼んで破産申請の書類を作ってもらって、やっと出してもらった所です。もうめまぐるしい半月でしたよ」
「ほんとに大変でしたね」
「母を説得して事業廃止を納得させるのに苦労しました。再開しようにもすぐには不可能な状態ですから。営業できない状態で、給料と税金を払っていくのも無理ですし。しかしここ10年赤字続きで借金がかさんでたから単純に清算する訳にはいかなくて。破産するしか選択肢がありませんでした。取り敢えず私と母の二人で取締役会して私を代表取締役に選任してもらい、代表取締役の権限で、とりあえず従業員の給与を渡して解雇することと、破産の申請をすることを決めたんですけどね」
「じゃ、今はお母さんと仙台のアパートで2人暮らしですか。お母さんどうです?」
「ええ。でも20歳でお嫁に来て以来30年ずっと旅館の女将として働くだけでその他何もしてなかったから、何をしていいのか分からない感じでぼーっとしてます。かなり落ち込んでて、自分も死ねば良かったとか、亡くなった従業員さんに申し訳無いとか、寿子にも悪いことしちゃった。戻って来てくれないかな、などと昨日など言ってたんですけどね」
「あなたの気持ちはどうなんです?」
「いや、私はなんかずっと忙殺されてて」
「もう寿子さんを愛してないんですか?」
彼はハッとしたような顔をした。
「好きです。結婚したいです」
「だったら、それを本人の所に言いに行ったらどうです?」
4月4日。小夜子はふだん通り会社に出て行き、震災直後に仕事の延期や中断を申し入れてきた顧客に様子を伺う電話をしたり、またよく仕事を回してくれるメーカー系の販売店に連絡を取ったりしていた。今月に入ってから外回りをせずに社内で仕事をすることにしていたのだが、5年間営業の仕事をしてきているので、外に出て行かないのは何だか変な気分だ。その分、部下の藤咲さんが飛び回っている。
そして11時半頃、会社に男性の訪問者がある。たまたま入口の近くに居た小夜子が応対したが、小夜子はその男性の顔に見覚えがあった。
「あら、こんにちは」
「こんにちは」
向こうも小夜子の顔を知っている。
「あのぉ・・・寿子は居ますでしょうか?」
「待っててね」
と言うと、小夜子は生体認証でオペレーション・ルームに入り、今月入社したばかりの新人の女の子に何か指導していた寿子に声を掛ける。
「井深部長、お客様です」
「誰?」
「行けば分かるよ」
寿子は何だろ?という顔をしながらオペレーションルームを出て入口の所へ行く。とたん不機嫌になった。
「何か御用で御座いましょうか?」
「話を聞いて欲しい」
「わたくしはお話しすることなど御座いませんが。それに今多忙ですし」
「トシちゃん、どこかで一緒にお昼でも食べておいでよ。こちらは私がフォローしとくからさ」
寿子は不満そうだったが、自分のバッグを取ってくると、彼と一緒に出て行った。
奥の席で様子を見ていた専務がやってくる。
「今のがトシちゃんの彼?」
「ええ。うまく行くといいですね」
「ほんとにね!」
寿子が戻ってきたのはもう午後3時だった。明るい笑顔をしているので、小夜子にも専務にも、話し合いがうまく行ったことが分かった。
「結婚するんでしょ?おめでとう」
「え?何で分かったの?」
「その顔を見たら分かるよ」
「私、5回も殴ったのに、それでも『結婚して』って言うから、まあそこまで言うなら、してあげてもいいかなと思って」
「あらあら」
「でも向こうが今破産申請中で。片付くのに1年くらいかかるだろうということで、それが終わってから結婚しようということになった」
「ああ、じゃ、あと1年間、うちに勤めるのね」
「ううん。ずっと勤めるよ。彼も東京で暮らすというから」
「へー」
「宮城じゃ仕事無いから、こちらで仕事探すって」
「確かに仕事無いよね、今」
寿子の彼は幸いにも知人のツテで、運送関係の会社に就職することができた。彼は前勤めていた会社で大型二種免許を取っていたので、バスでも15トン車でも運転することができる。運送関係は今いちばん仕事がある分野でもある。ただし仕事は相当きついし時間が不規則である。結果的に寿子とはまたまたすれ違い生活になってしまったようだが、メールのやりとりで密にコミュニケーションしているようであった。しばしば寿子が就業中にオフィスの隅でメールを打っている姿が見られ、専務が「示しが付かん」と憤慨していた。
震災関係の破産申請はかなり集中していたものの、債権者が全く争わなかったため、結局12月には破産手続きが完了。免責も認められて、寿子の彼とお母さんは、新たな借金ができない他は、自由の身となった。破産手続きではいったん購入していた自動車も売却処分を求められ、また寿子がもらっていたエンゲージリングも寿子の側から自主的に返納して売却し、お父さんが亡くなったことで交付された弔慰金も債権者への分配金に組み込んだ。むろん旅館と自宅の土地も売却済みである。亡くなった従業員の遺族には結局、700万円ずつをプラスして渡すことが管財人さんと遺族との話し合いで決まった。
彼のお母さんは50年間暮らした宮城県から出るのを嫌がっていたが、いざ東京に出てきてみると、都会の暮らしがすっかり気に入ってしまい、銀座や渋谷を楽しそうに散歩していた。
「私ねぇ、若い頃東京に行きたくて行きたくて、たまらなかったのよ」
などと寿子に言ったりする始末であった。
お母さんも夏にはデパートの呉服売場の販売員の仕事を見つけ働き出した。何十年もずっと働いていたので家の中に引き籠もっているのが性分に合わなかったし、また長年客商売をしていて客対応にそつが無く、笑顔も素敵だったので、デパート側にかなり好感されたようであった。また旅館ではいつも和服で仕事をしていただけあって、和服に関する知識がしっかりしていたのも評価された。
晃たちのグループの美容師ボランティアは4月の中旬でいったん休止していたのだが、6月に現地の事情も改善されたことを受け再度参加者を募って再開された。晃はそれにまた参加した。
そして6月中旬、岩手県沿岸の被災地を回っていた時に、晃は唐突にMTFの人と大量遭遇した。現場では混乱していたが後で整理してみると偶然4グループが鉢合わせて、その中に自分も含めて6人のMTF/MTXがいたのである。遭遇したメンツは日を置いて東京で再会し親睦を深めた。その中に川上青葉という中学生のMTFで気功の達人が居た。彼女は女性ホルモンなど飲まずに体内の「気」を操って自分のバストを発達させたと言っていて、実際にBカップサイズのバストを持っていた。彼女は
「あきらさん、男性機能はむしろ活性化させつつ、身体の上半身は女性ホルモン優位にしてバストを発達させるなんてこともできるんだけど」
などと言った。
興味を感じてつい
「やってもらおうかしら」
と言ったら、一緒に付いて行っていた小夜子が
「ぜひやってもらおう」
と言い、それで週に3回彼女のヒーリングを受けることになったのである。
そしてその結果、晃のバストは7月中にAカップサイズになり、8月末にはBカップのブラジャーが必要な状態になったのであった。
当時は小夜子がもう臨月なのでさすがにセックスはしていなかったが、ベッドの中で小夜子は晃の胸を楽しそうに触り、乳首を舐めたりしてせっせと晃の性感帯を開発していた。
「でも、おっぱいができてみて何か意識変わった?」と小夜子は訊く。
「変わった。今までと全然違う。自分の性別意識が物凄く女の方に振れた。今までも7-8割くらい女だと思ってたけど、95%くらい女だという意識になっちゃった。もう男湯には入れないし」
「その身体では無理よね。6月の時も女湯に入ったんでしょ?」
「うん、まぁ・・・」
「性転換したくなった?」
「それ3年後の自分が怖い」
「精液を冷凍保存してくれたら、すぐ性転換してもいいよ」
「いやまだ、男を捨てる気にまではならない」
「半年後には分からないね」
といって小夜子はクスクスと笑いながら、今度はお股の棒を刺激する。
「ああ、やめて〜。それされると自分が男だというのを思い出す」
「やめてと言われたら、しなくちゃ」
「じゃ、して〜」
「OK。してあげるね」
「ああん」
小夜子は7月まで「原則」内勤限定で仕事を続け、8月から休職した。社長と専務は会社の中核である小夜子と寿子が、相次いで結婚するのはいいとして、寿子は退職し、小夜子も8ヶ月間休職するというので、かなり不安があったようであったが、寿子が「寸止め出戻り」(本人談)してきたおかげで小夜子の休職中も、なんとか会社をうまく動かしていくことができた。
そして2011年9月10日。小夜子は予定日ジャストに女の子を出産した。破水から出産まで4時間という超安産であった。名前は「みなみ」と付けた。
「なんで《みなみ》なの?」
病院にお見舞いに来てくれた寿子から訊かれる。
「あ、思いつき。この子産んだ時に、名前何にしようかなぁと思ったら、《みなみ》って名前が浮かんできたの」
「へー」
「トシちゃんもきっと産んだら思いつくよ」
「でもそれを付けさせてくれるかなあ・・・・」
「出産した人の特権だよ。主張しなきゃ」
「うん、頑張ってみようかな」
「私と晃って高校時代、一度もデートしたことなかったんだけど、一度だけ旅先で偶然遭遇して、1時間ほどふたりだけで散歩したことあるんだよね。そのとき初めてキスしたんだ」
「おぉおぉ」
「その場所が南紀白浜だったってのも少しあるかな」
「ほほお」
10月下旬の土日、6月に遭遇したMTF/MTXのグループで温泉に行くことになった。それぞれの付き添いがいるので全部で12人になる。
(青葉・桃香・千里・和実・淳・胡桃・冬子・政子・春奈・あきら・小夜子・みなみ)
みなみは皆から「可愛い!」と言われ、アイドルだった。人見知りしない感じで青葉、千里、和実、胡桃、冬子、春奈、に抱っこされてご機嫌である。まだ首が座ってないので、みんな慎重に抱っこしてくれた。桃香や政子は、そんな小さな子を抱く自信が無いといってパスしていた。
「でもみなみちゃん以外にも何やら、また人数が増えてない?」と桃香が言った。「はい、新入りの春奈です。みなさん、よろしくです」と春奈が手を挙げて言う。
「ちょうど、出がけにうちに来たから『温泉行くけど一緒に来ない?』と言って連れてきた」と冬子。
「ああ、あなたスリファーズの春奈ちゃんね」と小夜子。
「はい。今月12日に発売された『ラブ・スティーラー』よろしくです」
「ああ、あの曲よく流れてるね」
「ありがとうございます。あつかましく付いてきましたが、車の中でずっとケイ先生とマリ先生がイチャイチャしているのに当てられました」
「ああ、それなら私も桃香姉と千里姉の仲良さに当てられてた」と青葉。「右に同じ」と胡桃。
「何なら、帰り私たちの車に同乗する?」と小夜子。
「いや、きっと同じ目に遭うよ」と胡桃。
「でもみなさん、性別を変更しているのにちゃんと恋したり結婚したりしてるんですね。私、自分が女になると決めた日から恋は諦めてしまったのに」
と春奈。
「全然諦める必要ない。春奈ちゃんを愛してくれる男の子もきっと現れるよ」
と冬子。
「うーん。頑張ってみようかなあ」
「うん、頑張れ、まだ中学生でしょ? 恋に夢を持たなくちゃ」と和実。
「はい」
「だけど恋愛のタイプも色々だよね」と青葉が言う。
「私は彼氏がいるからMTF-Mの男女型、千里姉と桃香姉はごらんの通りMTF-Fの男女レズ両用型、淳さんと和実さんはMTF同士のレズ型、あきらさんと小夜子さんはMTX-Fの男女レズ両用型、冬子さんと政子さんはMTF-Fのレズ型」
「そっか。恋愛対象が男性の人、女性の人、MTFの人っているんですね」と春奈。
「たぶん実際にはバイの人が多いと思う。相手の性別は結果的にそうだったというだけじゃないかな」と和実、
「えっと今のペアリングの解説に異議あり」と冬子。
「あ、冬子さんは二股で彼氏もいるからMTF-M男女型の恋もしてるよね」と青葉。
「あのねぇ」
「私たちも恋人という訳じゃないんだけど」と千里。
「その異議はあとでゆっくりと聞きます」と青葉。
「あ、私は異議無し」と桃香。
「冬子さんは戸籍上の性別変更は完了したんですか?」
「今月10日に申し立てたんですよ。特に呼び出しとか無いから順調にいってれば、そろそろ結果の通知があると思うんだけどね」
「でも性別が変えられるようになったって大きいよね。まあ私は和実と結婚したいから、性転換手術はしても戸籍の性は変えない予定だけど」と淳。「ほんとに時代が変わりましたね」と晃も言う。
「ところで、みなさん胸は本物ですか?」と春奈。
お互いに顔を(胸を)見回す。
「みなみちゃん以外は全員本物バストみたいね」と和実。
「本物バストになっちゃいました」と晃・淳。
「あきらさん、それCカップくらい無い?」と淳。
「いや、Bカップですよ」と晃。
「うそ。私もBカップだけど、明らかに私のより大きい」
「まあ、胸の発達の仕方って個人差が大きいからね」と和実。
「和実ちゃんのバストも6月の時より随分大きくなってるよね」と千里。「うん。Dカップのブラジャー付けてるよ」と和実。
「すごーい」
「でも、あきらさんと淳さんは6月に会ったときはまだ身体に何も手を入れてなかったのにね」と桃香。
「いったん手を入れると、たぶん歯止めが無くなるよ」と冬子。
「そんな気がして怖い」
「みなさん、お股の方は?」
「まだ付いてる人が6人かな」
「わあ、半分か。外見上は全員完全に女性なのに。みんなタック上手いし自然」
「春奈ちゃんもずっとタックしっぱなしでしょ?毛が伸びてるもん」
「ええ。外すことはめったに無いです」
「付いてない人は、天然女性が5人と取っちゃった人がひとりかな。でも私も来年アメリカで手術しちゃうよ」と青葉。
「青葉さんって、私と同い年くらい?」と春奈が訊く。
「春奈さんより1つ下ですよ」
「凄ーい。アメリカだとそれで手術してくれる所あるんだ?」
「病院紹介しましょうか?」
「教えて、教えて」と春奈。
「じゃ、後で病院の名前と住所・URL教えますね」
「私も来年手術するつもりだし、1年後には、おちんちんの本数がかなり減ってるかもね」と千里。
「うん。みんなさっさと手術しちゃおうよ。おちんちん無いのはとってもいい気分だよ」と冬子がまた煽っている。
温泉の女湯を1時間貸し切りにしてもらったのだが、そのあと10畳ほどの小宴会室という感じのところに案内されて食事となる。ふつうの温泉旅館の食事だが、その日の夕食はまぐろ尽くしという感じで、マグロのカマを焼いたものに、マグロの角煮、マグロの天婦羅、マグロの山掛け、などが並んでいて、またお刺身がとても美味しかった。
「大間の本マグロ直送品です」
とわざわざ解説に来てくれた板前さんが説明してくれた。
「脂がのってる。シビマグロですよね?」と政子。
政子は食べ物のことについてはうるさい。
「はい。そうです。大間は1本釣りなので大物のシビマグロになります。うちの店ではそれを1本まるごと買い付けています」
「凄いですね」
「このお刺身の鯛は地元の金目鯛ですか?」と淳が訊くが
「いえ、済みません。それは花鯛です。地元産ですが」と板前さんが答える。「金目鯛は今は産卵期だよ。12月くらいからが旬ですよね?」と政子。
「はい、その通りです。まだシーズン前なんですよ」
「ああ、じゃ、また冬になってから来たいね」
「うーん。みんなのスケジュールの合うタイミングを見つけるのは大変だけど、また頑張ってみるかな」と幹事役の和実が頭を掻いていた。
12月中旬に寿子の彼氏の旅館の破産手続きは終了した。1ヶ月後の1月に確定する。彼氏は確定後すぐに結婚式を挙げたいと言ったが、寿子は「お父さんの一周忌を待とうよ」と言った。寿子としても1年間お預けを食わされたので、あと2ヶ月くらい待つのも構わない気分だった。
そこで寿子たちは2012年の3月24日に結婚式を挙げることを決めた。
お寺さんが3月11日は忙しすぎるとという問題から、本来の一周忌を1週間くりあげて3月4日に、お父さんの一周忌、そして亡くなった従業員さんの慰霊祭をおこなうことにした。その半月後に結婚式である。
小夜子は本来は3月いっぱいまで休職する予定だったのだが、体調は良かったし、母が「昼間はみなみの面倒見ておいてあげるよ」と言うし晃も「火曜日はボクが面倒見るよ」というので、休職は12月までとし、1月から復職することにした。
また社長が「授乳ルームあるし、赤ちゃん連れて来てもいいよ」と言ったので、実際にはけっこう子連れで会社に出て行った。自分もしばしば子連れ出勤している専務も「サヨちゃんが客先に行ってる間は私が面倒見ててあげるよ」などとも言ってくれた。みなみを連れていく日は通勤ラッシュを避けるために、フレックスで10時出勤19時退勤にした。
火曜日は晃が美容院が休みなので、日中ずっと晃がみなみのお世話をする。そんな話をバストの遠隔ヒーリングをしてもらいながら青葉と電話で話していたら
「ね、あきらさん、おっぱいあげたい?」
などと言われた。
「へ?おっぱい出るようになるの?」
「なるよ」
などと言われたので調整してもらったら、本当におっぱいが出るようになった。
「待て待て、飲んでも安全かどうか、私が試飲して確かめる」
と言って小夜子は、晃の乳首から出てくるお乳を飲んでみたが
「あ、私のお乳とほとんど同じ味だ!」
と言って、晃が授乳することを認めた。
実際みなみは、それまでもしばしば晃の乳房にも吸い付いていたのだが、お乳が出るように調整してもらった後は、嬉しそうに乳首からお乳を吸っていた。どうも小夜子のお乳より晃のお乳の味の方がみなみの好みのようであったが、泣いたりしている時は、母親の安心感の方を選ぶのか、小夜子のお乳に吸い付いていた。
「みなみに吸われる感想は?」
「ちょっと痛い」
「この子、吸い付く力が強いもんね〜」
「ああ、でも何だか幸せな気分」
「チチのチチにはチチがある(父の乳には乳がある)だね。でも吸われてると凄く幸せだよね」
「ほんとほんと。こんな感覚をサーヤと共有できるとは思わなかった」
「じゃ、次の赤ちゃんはアッキーに産んでもらおう」
「えー!? 産みたいけど、どうやれば産めるの?」
「なかなか難しいね」
1月初めの時点で晃のバストはCカップだったのだが、授乳を始めるとDカップになってしまった。更にふだんでも少し乳が漏れてくるので、母乳パッドを付けておくことが必要になってしまった!
するとその匂いを美容室でお客さんに気付かれることがあった。
「あら? もしかして赤ちゃんおられるんですか?」
「あ、はい。9月に産まれたんです」
「わあ、浜田さん、ママなんですね!」
などと言われた。
晃は「奥さん」と呼ばれるのには最近少し慣れてきはじめていたのだが、「ママ」とか「お母さん」呼ばれるのは、まだ結構気恥ずかしい気分だった。
「自分で産んだ訳でもないのに『お母さん』と呼ばれるのは何だかむずかゆい感じで」
とそのあたりの心情を自宅で夕食中に言ったら
「あら、そしたら次はあきらさんが産めばいいのよ」
と五十鈴にまで言われてしまった。
そして3月23日(金曜日・仏滅)の午後1時。東京都内の小さな神社で、寿子は結婚式を挙げた。神社に払った挙式料は3万円、寿子が着たウェディングドレスはヤフオクで3000円!で落としたもの。彼氏が着たタキシードは、会社の社長からの借物であった。
わざわざ平日の仏滅に挙げたのは、もちろん安くすませるためである。破産手続きが終わったばかりの彼氏には、借金も無いが現金も絶望的に無い。平日の仏滅は披露宴の会場自体を安く借りられるし、平日なので申し訳無いということで招待客を絞る言い訳にも使える。
ふたりは全ての費用を20万円以内で済ませようと計画を立てた。エンゲージリング、マリッジリングも無しとした。寿子は「エンゲージは1度はもらったから、それでいいよ」などと言っていた。
式を挙げてくれた神主さんは「仏滅は神社とは関係ありません。いつ式を挙げても神様はちゃんと祝福してくれます」などと言ってくれた。
結婚式の出席者は彼氏のお母さん、横浜に住んでいるお父さんの弟夫婦、寿子の両親と兄、都内に住んでいるお母さんの姉夫婦、の親族8人。それに彼氏の親友2人、寿子の高校時代からの親友と小夜子が出た。親族や友人などはあまり呼ばずに結婚を報告するハガキを送るということにしていた。
記念写真も特にプロには頼まないと言っていたので、小夜子は会社備品のLUMIXと自分のコンデジ、念のため携帯ででもふたりが並んでいるところ、親族が並んでいるところを撮影した。彼氏のお友だちや親戚の幾人かも同様の構図で撮影してあげていた。
結婚式が終わるとホテルに移動し、午後3時から披露宴をした。一番空いている時間帯(=不便な時間帯)である。
披露宴に出たのは、結婚式の出席者の他は彼氏の会社の社長夫妻と課長、こちらの会社の社長と専務、それに晃で、新郎新婦を含めて20人である。これをホテルの宴会プランでプライペートダイニングを借りたが20人セットで10万円という低予算。1人3000円の会費制ということにした。新郎新婦の手出しは予算の半分ほどになる。但し小夜子や社長・専務などは強引に1万円渡した。他にも何人か多めに渡した人がいたようであった。
宴会プランなので派手な演出は無い。全員席に着いてから始まる。新郎新婦も最初から席に着いている。
司会は約束通り小夜子が務めた。その日みなみは五十鈴がお世話をしてくれていた。小夜子は今日は控えめな薄紫色のプリンタ染めの色留袖を着ている。
「司会を務めさせて頂きます、新婦の友人、濱田小夜子です。私は昨年の1月に結婚して、その時新婦が司会をしてくれました。そしてすぐに新婦も結婚式を挙げる予定だったので、その時は私が司会をする約束だったのですが、震災で吹き飛んでしまいました。新婦自身、津波に飲み込まれたものの、近くの人に助け上げてもらうという九死に一生を得る体験をしています。その後、いったん婚約解消などということになり、どうなることかと思ったのですが、無事復縁し再度愛を暖め、今日の挙式となりましたこと、本当に嬉しい思いです。それでは、まず新婦の上司、秋山専務より新郎新婦の紹介をお願いします」
専務が新郎新婦の簡単な略歴を紹介、あわせて祝辞を述べる。その後、彼氏の会社の社長の音頭で乾杯となった。
小夜子たちの披露宴も花嫁2人の変則ウェディングということで確実に理解してくれる人だけにするため少ない人数でこじんまりとしたものだったが、こちらも低予算ということでほんとに、ちょっとした集まりという感じ。アトホームな雰囲気である。
大きなテーブルの左側に新郎の親族・友人、右側に新婦の親族・友人が着いているので、左右交互に指名して祝辞または芸を披露してもらった。彼のお母さんなどはスピーチの途中で感極まって泣き出してしまったが、隣に座っていた叔母さんに手を握ってもらい最後まで話し終えた。彼の上司の課長さんはテーブルマジックを披露して場を盛り上げた。彼氏の友人などは歌を歌ってくれた。音を大きく外した歌い方がかえって場の雰囲気をやわらげる。
晃は指名されると頭に手を当てながら立ち上がる。晃は青い色留袖を着ている。
「私がここに呼ばれたのはあれかなと思うんですけどね。震災直後にふたりが婚約解消なんてことになっていた時、私はボランティアで宮城に行ってて偶然新郎と遭遇しまして。その時、婚約解消したというのに、盛んに寿子さんの様子とか私に聞くんですよね。それで、そんなに気になるなら、自分の気持ちを直接本人に言いに行ったらどうです?と煽ったんです。その後まもなく縒りを戻したようだったので、少しはお役に立てたかな、と思いました」
みんなが祝辞や余興をしてくれている間に新郎と新婦は一緒にビールの瓶を持ちテーブルを廻ってお酌をしながら、ひとりひとりと言葉を交わした。
そしてちょうど全員にスピーチ・芸がまわったところでほどよい時間になる。そこで小夜子が祝電を披露する。祝電・祝FAXはかなり来ていて、小夜子は時計を見ながら読み、最後の方はお名前だけ読んで文章は省略させてもらった。
そして新郎新婦からそれぞれの親への感謝のことばが読み上げられる。その言葉を書いた紙とともに花束贈呈。それに対して彼氏の母、寿子の父が感謝の言葉を述べて、披露宴の進行は完了する。
「それでは宴もたけなわですが、ここでいったんお開きとしたいと思います。最後に新郎新婦の熱いキスで締めてください」
と小夜子が言うと、拍手や歓声が広がる。
ふたりは照れながらもしっかりとキス。
また拍手が起きて、披露宴はお開きになった。
披露宴終了後、そのまま全員寿子のアパートになだれこんで二次会をした。6畳の部屋とダイニングにまたがって折り畳みテーブルを並べたが20人も入るとギュウギュウ詰めである。しかしそれもまた気安い雰囲気で良い。
「100人とか招待してやる大規模な披露宴とかも悪くないけど、こういう質素な披露宴というのも、また味があっていいですね」
などと彼氏の友人が言う。
「何年も交流の無かった親戚とか、大して親しくもない同僚を義理だけで呼んだりしなくてもいいでしょうしね」
「大企業に勤めている友人の結婚式で祝辞を読んだ部長さんが新郎の名前を読み違えたことあります。大企業の部長ともなると雲の上の人だから、たかが平社員の名前まで覚えてないんでしょうけどね」
今まで寿子はひとりで、彼氏はお母さんと一緒に各々都内のアパートに住んでいたのだが、結婚後はふたりで寿子のアパートに同居することになっている。つまりここが新居である。
二次会の料理は前日までに寿子と小夜子が作っておくか、すぐ仕上げられるように仕込んでおいたのを小夜子と、寿子の友人のふたりで仕上げてあげた。お酒なども出してくる。そして小夜子たちが料理を仕上げている間に晃は奥の部屋で寿子に振袖を着付けしてあげた。小夜子の持っている京友禅で、自分自身北海道でのお披露目の時に着た『雁楽』である。
寿子が豪華な振袖姿で奥の部屋から出てくると拍手がわき起こる。彼氏の方はふつうのスーツを着ている。
そしてふたりはまず、ケーキ入刀をした。みんなのカメラのフラッシュが焚かれる。披露宴会場を宴会プランで借りたので食品の持ち込みができず、披露宴での実行を諦めたものである。ケーキは入刀したものは寿子が作ったものだが小夜子も2個作って持ち込んでいたので、適当に切り分け、来てくれた人たちに配った。
ここで、彼氏の会社の社長夫妻とこちらの社長の3人が会社に戻るために抜けるが残りの17人で、なごやかに宴は進んでいく。
「新婚旅行はどうするんですか?」と晃が訊くと
「青春18きっぷを2枚取ってます」という返事。
「ひゃー」
「取り敢えず今夜のムーンライトながらに、小田原から乗ります」
青春18きっぷは1日単位の普通列車乗り放題切符なので、ながらを23:10発の東京からではなく、日付の変わる0:31発の小田原から使う人も多いのである。
「初夜は?」
「今夜はお預け」
「さすがに、ムーンライトながらじゃHできないね」
「2日目に広島の格安ホテルに泊まる予定だから、それが初夜ね。1泊4000円」
「それはまた凄い」
「3日目は宮島にお参りしてから、その日の夜は博多から対馬行きフェリーの二等船室」
「またHできないじゃん」
「4日目は対馬と壱岐を見て博多に戻りレンタカーを借りて車中泊」
「まあ車中泊ならHできるか」
「翌朝小倉でレンタカーを返してから18切符の3枚目を使って宮崎まで行き格安ホテルに泊まる」
「待て。レンタカーって夜借りて翌朝返すの?」
「そう。12時間借りる。借り賃は会員割引で3800円くらい。同一県内だから乗り捨て料金無し」
「それって、レンタカーをホテル代わりにするのか!」
「まあ、そうとも言う。でも夜の唐津と西海橋を見てくる予定」
「頑張るなあ。実際には寝る時間無いじゃん」
「6日目は18切符の4枚目を使って小倉に戻り、阪九フェリーで神戸へ。阪九フェリーは個室だからHできる」
「頑張ってね」
「あれ?阪九フェリーって門司からでしょ?小倉じゃなくて門司駅まで行けばいいのでは?」
「門司駅からはタクシーで2000円かかる。小倉からなら無料の送迎バスがある」
「なるほど」
「そして7日目は18切符の最後を使って東京に戻る」
「なんか、お疲れ様ですって感じの旅だわ」
「6泊の旅でホテルに泊まるのは2回。列車内泊1,フェリー内泊2,自動車内泊1」
「体力が無いとできない旅ね」
「旅費は18切符とフェリー代であわせて6万。ホテル代とレンタカー代が1万円ちょっと。食費も入れて10万くらいという予算」
「安くあげようと頑張ったこと自体が楽しい旅だね、それ」
「そうそう!そうなのよ」
「なんか、ただひたすら移動するだけで観光してない気もするが」
「別に観光地なんて、どこも似たようなものだから問題なし」
「まあ、新婚さんにはまわりの景色なんてどうでもいいよね」
「ああ」
「寿子ってけっこう鉄道マニアだったよね」
「ううん。私は時刻表マニア」
「そのあたりの違いはよく分からん」
二次会が終わって軽装でバッグも1個ずつという身軽な装備で小田急小田原線に乗るふたりを新宿駅で見送り、晃と小夜子は思わず手を握って微笑んだ。
「さて、帰って、みなみにおっぱいあげなきゃ」と晃が言う。
「おっぱいあげるのが楽しみになっちゃったね」と小夜子。
「もう『母の歓び』を実感してるよ」
「そろそろ、女の身体になりたくなってきてるでしょ?」
「うーん。ちょっとだけね」
「精液の冷凍保存して去勢する?」
「いや、たぶんあと2年くらいは我慢できると思うよ」
「きっと1年しかもたないと思うな」
といって小夜子は素早く晃にキスをした。
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【Les amies 結婚式は最高!】(3)