【寒桃】(1)

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青葉が2歳の時、一家は埼玉県大宮市(現さいたま市)から、岩手県大船渡市に引っ越した。お父さんは当時新興メディアであったインターネットを利用した旅行代理店を営んでいて、ネットなのでどこに住んでいても良かった。それでちょうど大宮で住んでいた家が再開発に引っかかったことから、母の実家の近くに移り住んだのである。またこの年はちょうど4月から青葉の姉・未雨が小学校に入る年だったので、今引っ越せば転校させずに済む、という問題もあった。
 
引っ越しの半年前に、祖母(礼子の母市子)の妹さん(双乃子)が亡くなって空家になった家があったので、その家を借りて住むことになった。そこは曾祖母(賀壽子)の家から100mほどで、祖母(市子)が年老いた曾祖母の身を案じて、近くに住んでもらえたらと願ったこともあった。
 
もっとも拝み屋さんをしていた曾祖母・八島賀壽子は実際にはとても元気で、見た目も76歳にはとても見えず、まだ60前後のような外見で、体力なら54歳の祖母よりもあり、毎朝山道を10km走る日課をこなしていた。
 
青葉が大宮で生まれた時にも、自分で車(古いダットサン・サニー)を運転して市子と一緒に埼玉に出てきたのだが(市子は車の免許を持っていない)、生まれたての青葉を見るなり「この子は凄い才能を持っている。私の跡継ぎに欲しい」
と言ったらしい。後に青葉が小学1年生頃に本人から聞いた話では、曾祖母はその後、まだ赤ん坊だった青葉に常に「気」を送って、修行をさせていたらしい。 
だから青葉の修行歴=年齢なのである。
 
その青葉が両親とともに岩手に引っ越してきた時は、とても喜んでいて、昼間パートに出ている母に代わって未雨と青葉の面倒を見てくれていたものの、しばしばふたりを連れて「散歩」と称して、山歩きをしていたらしい。青葉は楽しく山道を歩いていたものの、付き合わされていた未雨は結構辛かったと後に姉は青葉に言っていた。
 
青葉は曾祖母と一緒に滝に打たれたりもしていたが、そういう時未雨はそばで見学していた。
 
「つめたくないの?」と未雨は訊く。
「冷たいけど気持ちいい」と青葉。
「わたしはそれしなくていいんだよね?」
「うん」と曾祖母は笑顔で答えた。
 
青葉が物心付いた頃から、女の子の服を着たがった件については、それが好きなのなら、そうしておけばいい。小学校にあがるまでは、構わないでしょうと曾祖母が言ったので、母も「まいっか」という感じで、未雨のお下がりの服などを着せていた。また当時父の仕事が2001年の同時多発テロ、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)騒ぎのダブルパンチで旅行客が激減したことからうまく行かなくなっていたこともあり、一家は経済的にも苦しかったので、青葉の服が未雨のお下がりで済むのは助かったという事情もあった。
 
岩手に引っ越してきてから2年たった時、青葉は幼稚園に入ることになる。 
さすがに幼稚園には男の子の格好でやらねばなるまいと母は思ったのだが、そもそも入試に行く時、青葉は男の子の服を着ることを拒否した。仕方無いのでふだん通り、女の子の服を着せて連れて行ったのだが、幼稚園の先生たちからも、ふつうの女の子と思われてしまったようであった。
 
一応入園願書は性別・男で出していたのだが、用意されていた制服は女の子用だった。母はあまり細かいことを気にしない性格なので、そのまま青葉には女の子の制服(青いスモックに膝丈のスカート)を着せて幼稚園に通わせた。 
その年、とうとう父が経営していた旅行代理店は倒産、父も自己破産に追い込まれた。とは言っても、父は何の資産も持っていなかったので、新たな借金ができなくなったこととクレジットカードが使えなくなったこと以外は、普通の生活を続けることができた。
 

(後から考えると)その破産処理が片付いた頃。時期的には7月の上旬くらいではなかったかと、当時の断片的な記憶から青葉は思う。
 
青葉は夜中に突然父から起こされ
「お父さんとドライブに行こう」
と言われた。
 
「お母さんとお姉ちゃんは?」
「寝てる。そっとしておこう」
と言い、父は青葉を車の後部座席に乗せ、車を出発させた。青葉は夜中に起こされたのでまだ眠くて、車にゆられながら眠ってしまった。
 
目が覚めたらもう朝が明けていて、右手に海が見えていた。普段大船渡で見ている海と、海の色が違うなと思ったことだけ、青葉は覚えている。
 
「お父さん、お腹が空いた」
「じゃ、次のサービスエリアで朝ご飯にしよう」
と父は言った。
 
サービスエリアで父は何だか機嫌が良くて、好きな物食べていいぞと言った。青葉は久しく食べていなかったトンカツが食べたくなって言ったら買ってくれた。「お父さんは食べないの?」
「お腹が空いたら食べるよ」
 
こんな優しい父を見たのはほんとに久しぶりの気がした。青葉は物心付いた頃から、いつも父に殴られていたし、酒に酔って乱れている父ばかり見ていた。 

お昼くらいに何だか凄くきれいな海岸に出た。大船渡の碁石海岸も美しいが、この海岸もちょっとそれと雰囲気が似ていて美しかった。いい所だなあと青葉は思った。
 
海岸そばの海の家で、父とふたりでラーメンを食べた。何やらスープの黒いラーメンで見た目でぎょっとしたものの、食べてみると美味しかったので、へーと思った。
 
ボートに乗ろうと言われて父がボートを借りて沖に出る。父とこんな形で遊ぶのは初めてだったので、いつも今日みたいな優しいお父さんでいてくれたらいいな、と青葉は思った。
 
近くを大きな船が通り、横波が来てボートが揺れた。怖いっと思った。「そこ動かないで。動いたらバランスが崩れる」
と父が厳しい声で言う。そう言われると、動く訳にはいかない。怖かったが青葉は我慢した。
 
そしてしばらくしてボートは安定を取り戻した。
「怖かったか?」
と父が訊く。
「うん」
と青葉は答えた。
「でも我慢したな、いい子だ」
 
父に褒められて青葉はとても嬉しくなった。父がオールから手を離して立ち、こちらに来る。そして頭を撫でてくれた。青葉は笑顔で「お父さんありがとう」
と言った。
 
そして次の瞬間、父は青葉の身体を持ち上げると、水の中に放り投げた。 

え!?
 
不意打ちだったので、何も抵抗できなかった。身体が沈む! 水中で息ができない。どうしたらいいの? と思った時、脳内に曾祖母の声が響いた。
 
『落ち着いて!』
そのひとことで青葉は冷静さを取り戻した。
 
『泳ぎ方、分かるよね? こないだ教えたよ』
『うん』
『息ができないのは気にしない。しっかり手足を動かしなさい』
『はい』
 
青葉はつい先日、町のプールで曾祖母から基本的な泳ぎ方を習ったばっかりだった。バタ足をかなり練習させられて「きついよー」などとグチを言ったりもしていたが、それが役に立った。
 
青葉が力強く手で水を掻き、バタ足をすると、身体が前に進む。そしてすぐに水面に浮き上がった。大きく息をする。助かった!
 
最初父が乗っているボートの方へ泳いでいこうとしたのだが、父は青葉が浮上してきたのを見ると、ボートのオールを外してこちらに投げつけて来た。一瞬早く水中に潜る。オールは青葉の頭付近の水面をスキップして後方に飛んで行った。更にもう1本のオールも飛んできた。
 
『ボートから離れるように泳ぎなさい』
と曾祖母の声がした。
『はい』
 
青葉は、ようやく父が自分を殺そうとしていることに気付いた。美味しい御飯とか食べさせてくれたのは、殺すつもりだったから、最後の食事だからということだったんだ!
 
青葉はふだんの、父に対して構えている自分に戻った。そして、父のボートからとにかく離れることを第一に泳いだ。
 
少し泳いだところで『左に曲がって』という曾祖母の声がする。泳ぐ方向を調整して左に曲がり泳ぎ続ける。
 
『ひいおばあちゃん、疲れてきたよ』
『疲れても泳ぐしかないの。頑張りなさい。エネルギーは送ってあげるから』
『うん』
 
青葉も今は泳ぐしかないことは分かっている。曾祖母にグチは言ったものの、頑張って泳いだ。
 

やがて岸が見えてきた。わあ、後少しだ。
 
と思った途端、力尽きてしまった。
 
きゃー。。。
 
かなりの時間、多分20分くらい泳ぎ続けていたので、幼稚園児の青葉にはそのくらいがもう限界だった。だめー、頑張らなきゃと思うものの身体が動かない。 
えーん。やっぱり私、死んじゃうの?
 
と思った時、誰かに髪を掴まれる感触があった。
 
水面に引き上げられる。
 
「助けてあげるから落ち着いて」
と12〜13歳くらいのお姉さんの声がした。
 
「うん」
 
そのお姉さんは青葉の長い髪をつかんだまま岸に向かっておよいだ。青葉も体力の限界を超えた手足を何とか動かしてそれに協力する。
 
そしてふたりは岸に辿り着いた。
 
「君、大丈夫?」
とスクール水着を着た小学校の高学年かあるいは中学生くらいかなという感じのお姉さんが訊く。
 
「大丈夫です。ありがとうございました」
と青葉は笑顔で答えた。手も足も激しい疲労でこわばっている。
 
「ちょうど近くに居たからね。どうしたの?沖まで流されたの?」
「ボートから落ちたんです。あそこに父のボートが」
と青葉が沖合を指さす。
 
「ああ、なんかボートが漂流してる」
「オールも落としちゃって」
 
「それはいけない」
と近くに居た大人の男の人が言うと
「**君、**君、あのボートを助けに行って」
と叫んだ。
 
その声に応えて、大学生くらいの男の子がふたりでボートに乗り、父のボートに向かって漕いで行った。そして向こうのボートを曳航して戻って来る。 
「お父さんも助かったよ。良かったね」
「ありがとう、おねえちゃん」
 
「しかし、桃香お手柄だな」
「さすが水泳のジュニア・チャンピオン」
 
とそのお姉さんが言われていた。へー、ももかさんなのか。と青葉は思ったが、その名前は数年経つ内に忘れてしまっていた。
 
「でもこの女の子もかなり泳ぎがうまかったよ。最後はちょっと力尽きたけど、私が行くまで頑張れ、と祈りながら私、泳いだ」
と桃香。
「水泳好きなの?」
「はい」
「その内、オリンピック選手になれるかもね」
と言って桃香は青葉の頭を撫でた。
 

やがて父のボートが岸まで辿り着く。助けられた父はじろっと青葉を見た。青葉もいつもの冷たい目で父を見返した。
 
父は黙って青葉の手を取ると車の方に戻る。
 
「あ、お嬢さんずぶ濡れだから、着替えさせてあげて」
と言って桃香が追いかけてくる。
 
「私のTシャツでも良かったら着せてあげてください」
と言って桃香が服を差し出す。
 
父は無言でそれを受け取ると、そのまま青葉を駐車場の方に連れて行った。車に乗り込むと、その服を青葉に投げつけた。青葉は無言で服を脱ぎ、桃香がくれたTシャツを着た。サイズ160のTシャツなので、5歳の青葉が着るとまるでワンピースだ。パンティは無いけど仕方無い。青葉は脱いだ服と下着は車内に常備しているビニール袋に入れた。
 
なお、この時桃香からもらったTシャツを青葉はずっと大事に取っていたのだが、それも震災で失われてしまった。
 

車内で父は無言であった。やがて途中のサービスエリアでトイレ休憩する。 
青葉が女子トイレから出てくると
「男のくせに女子トイレに入るなんて、ふざけた奴だ」
と言っていきなり殴る。
 
でもこんなのは慣れているので気にしない。父は青葉を10発くらい殴り、更にお股を5〜6回蹴り上げてから運転席に着く。今にも車を出しそうなので青葉は急いで後部座席に飛び乗る。それとほとんど同時に父は車を出した。
 
「お前、股を蹴られても平気なのか?」
「私、男の子じゃないから平気」
「ふーん」
 
と言って、今度はいきなりコーラの缶を顔に向かって投げつけられた。これは青葉がしっかりキャッチする。いつものことなので青葉は「ありがとう」と言って、コーラの缶を開けて飲んだ。
 
「そのコーラ、お前に渡す前に20回くらい振ったのに」
「そういうの、私には効かないよ」
「ふん。詰まらん変態娘だ」
 
と言って、父は初めて笑った。父が「娘」と言ってくれたことで青葉はちょっとだけ心がゆるんだ。
 
「お前を殺して死ぬつもりだったのに。助けやがって」
「死ぬ気なら、何でもできるよ」
「お前、ほんとに幼稚園児か?」
 
と父は呆れるように言った。しかしその後は、父と会話は無かった。
 
その日の晩御飯は結局そのコーラだけだった。父はひとりでおにぎりを食べていたが、青葉には分けてくれなかった。しかし、青葉は御飯をもらえなかったり、食べている最中の御飯を突然取りあげられて捨てられるのにも慣れているので、気にしなかった。
 

岩手に帰り着いたのは翌日の朝だった。
 
帰宅した青葉を母が抱きしめてくれた。その後、母と父が物凄い喧嘩をしていた。青葉は姉から「こっちにおいで」と言われて、奥の部屋に籠もっていた。何だか物が壊れる音がたくさんする。青葉は音で何が壊れたかだいたい分かる。青葉のお気に入りだったセーラームーンのマグカップが割れたっぽい音がしたのは悲しかった。
 
やがて窓ガラスの割れる音もして、車の出て行く音がした。
 
しばらくしてから母が奥の部屋にやってきて「おやつでも食べよう」と言った。母は額と頬に絆創膏をしていたが、とても優しい顔をしていた。この時期はまだ母のほうは比較的まともだったのである。母まで崩れていくのは曾祖母が亡くなった後である。
 

昼頃、曾祖母が炊き込み御飯とお煎餅を持って家に来てくれた。
 
『青葉、最後油断したね』と脳内直伝で言われる。
『ごめんなさい。でも近くに居たお姉さんに助けてもらった』
『助けられそうな人に念を送ったんだよ。何だかそういうのに鈍い子で、お前に気付かせるのにちょっと時間が掛かった』
『ありがとう』
『また水泳の練習をしようか』
『うん』
と答えて青葉は微笑んだ。
 

青葉は幼稚園で、だいたい女の子たちと遊んでいたが、中でも特に仲が良かったのは早紀だった。ただ早紀は青葉の性別について当初結構悩んだようであった。 
「あおばちゃんって、おちんちんあるのね」
「うん、あるよ」
「じゃ、あおばちゃんっておとこのこなの?」
「ううん。女の子だよ」
「へー、おちんちんのあるおんなのこもいるのか」
「うーんとね。ふつうおちんちんは男の子だけにあるんだけど、私のは間違って付いてるんだよ」
「ああ、まちがいなのか!」
 
ただ早紀がこの「間違い」という言葉の意味を理解するのにはかなりの時間が掛かったようであった。たぶんきちんと分かったのは、もう小学校に上がるくらいの時期であったろう。
 
ふたりはよくお人形さんで遊んでいたし、またお絵かきなどもしていた。 
「あれ、あおばちゃん、ひだりてでおえかきするの?」
「うん。右手ではあんまりうまく描けない」
「へー。でもじはみぎてでかいてるね」
「先生に右手で書きなさいっていわれたからね。だからひらがなは右手で書くんだけど、梵字は左手で書くよ」
「ぼんじ?」
「こんなの」
 
と言って青葉は梵字の「阿」の字を書いてみせる。
 
「なんかむずかしいじだよ!」
「ひらがなより先に覚えちゃったから」
「これ、しょうがっこうになったらならうの?」
「うーん。学校では習わないと思うよ」
「じゃ、なににつかうの?」
 
「そうだね。。。。早紀ちゃん、あそこの本棚の陰、何か怖くない?」
「あ、こないだからなんだかこわいきがしてた」
 
「そういう時にね、この阿字を書くと・・・・」
 
と言って青葉はそこに漂っている浮遊霊に向けて念を込めて空中に阿字を書いた。浮遊霊が離れて幼稚園の外に行ってしまう。
 
「あ・・・なんだかこわくなくなった」
「こういうのに使うの」
「でも、わたし、そのじむずかしくておぼえられない」
「そんな時は、私を呼んだらしてあげるよ」
「うん、そういうときはおねがいね」
 

早紀とはお医者さんごっこをしたこともある。
 
「わたしね。なんだかおなかのちょうしがわるいの」
「どれどれ」
と言って青葉が早紀のお腹に手を当ててみる。
 
「あ、消化不良だね。治してあげるよ」
と言って青葉は調子の良くない部分に気を送り、流れを正常な状態に戻してあげる。
「あれー。なんだかよくなったかんじ」
「良かったね」
 
「じゃ、今度はわたしがあおばをしんさつしてあげる」
「はいはい」
 
早紀は常々興味を持っていた、あおばのおちんちんをパンツの上から触ってみる。あはは、やはり触られるか・・・
 
早紀が触って色々いじるので、青葉のおちんちんは不本意にも大きくなってしまった。
「あれ、おおきくなっちゃったよ」
「びょうきかも」
「じゃ、おちゅうしゃ、しなくちゃ」
「えー?」
「さ、あおばちゃん。おちんちんだしてください。おちゅうしゃします」
「私、お注射嫌い。今治すから」
 
と言って青葉はそこに手を当てて、一気に気の流れを殺してしまう。するとあっという間におちんちんは縮んでしまった。
 
「ほら、小さくなった。もう治ったよ」
「つまんなーい。わたしがなおしてあげようとおもったのに」
 
その後青葉はいつもおちんちんにあまり「気」が行かないように気をつけていたので、この後青葉のおちんちんが大きくなったことは無い。
 
早紀は青葉のおちんちんを大きくしてしまったことはその後忘れてしまった。他の男の子ともお医者さんごっこをしたりして、実際におちんちんに触ったり注射したりして遊んだりもしたので、青葉ともそんなことをしたことは他の記憶の中に紛れてしまったのである。
 

青葉は早紀とそんなことをする以前にも何度か自分で悪戯しておちんちんを大きくしてしまったことがあった。最初の内はうっかり大きくしてしまったものの、これどうしたらいいんだろうと思っていたが、その内、小さくする方法、大きくならないようにしておく方法を覚えていった。
 
まだそれがうまくできていなかった頃、一度大きくしたのを母親に目撃されてしまったことがあった。早紀とお医者さんごっこをする2ヶ月くらい前のことである。
 
「へー、あんた女の子だって自分では言ってるくせにおちんちん大きくして遊ぶんだ?」
「ごめんなさい。ちょっと間違いで大きくなっちゃった」
 
母は青葉のおちんちんを掴むと荒々しく弄ぶ。
「あ・・・・」
 
小さくしようとしていたのに、そんなに弄ばれると小さくできない。
 
更に母は青葉のおちんちんを口に咥えてしまった。
えーーー!?
 
お酒の臭いがした。ああ、お母さんお酒飲んでたのか・・・
 
でも何だかドキドキする。何?この感覚。何だか舐められてるし。気持ちいいじゃん。母は口を外したが、おちんちんは皮が剥けて先端が露出し、大きく硬くなったままだ。
 
「こんなに大きくなるなんて、いけないおちんちんだね。もう切っちゃおうか?」
 
ドキっ。
 
おちんちん切る?
 
母親は包丁とマナ板を持って来て、青葉のおちんちんをマナ板の上に載せ、包丁を当てた。
 
「切っちゃってもいい?」
「うん」
「ほんとに切るよ」
「私、おちんちん要らないもん」
 
「切ったらおまえ男の子じゃなくなっちゃうよ。もうおちんちんで遊べなくなるよ」
「私男の子じゃないもん。女の子になりたいから切って欲しい。おちんちん大きくなっちゃうの困ってたから、無くなった方がいい」
「立っておしっこできなくなるよ」
「私、立っておしっこしたことない」
 
「そういえばそうだね。あんた幼稚園でも女の子トイレ使ってるんだっけ?」
「うん」
「じゃ切ってもいいか」
「うん。切って」
 
母は包丁にぎゅっと力を入れた。青葉はドキドキした。母が青葉の顔を見る。青葉はせつない顔で母を見た。ちょっと痛い。切り落とされたら凄く痛いだろうなあ。でもおちんちんが無くなるのなら我慢できる気がする。止血は自分でできそうな気がするし!
 
でも母はそこでやめてしてしまった。
 
「切ってくれないの・・・?」
「おとなになったら、お医者さんで切ってもらいな」
 
と母は言って包丁とマナ板を片付けてしまった。
 
「うん・・・」
青葉はちょっと不満げに返事した。
 
「それにね。あんた知らない? 女の子ならここに割れ目ちゃんがあるんだよ」
「それは知ってる」
 
幼稚園で友人の女の子がそこを露出させているのを何度か見たことがあった。そしてその割れ目ちゃんの中からおしっこが出てくることも知っていた。 
「割れ目ちゃんの奥には赤ちゃんが出てくる穴がある」
「それ、おしっこの出てくる所とは別?」
「別だよ。もっと大きな穴だよ。赤ちゃんが通るんだから」
 
「ああ」
「今青葉のおちんちん切っても、割れ目ちゃんや赤ちゃん出てくる穴までは作ってあげられないからね、お母さんには」
「お医者さんなら、それまで作ってくれるの?」
「そうだよ」
「私、お医者さんにおちんちん切ってもらいたいなあ。赤ちゃんの出てくる穴を作ってもらったら、私、赤ちゃん産める?」
 
母は少し考えていたようだった。そしてやがて言った。
 
「赤ちゃんを生むには赤ちゃんの素を持ってないといけないんだよ。男の子にはそれが無いから、おちんちんを切って形だけ女の子にしても子供は産めないけど、あんたなら産んでしまうかもね」
「私、お嫁さんになって、お母さんになりたい」
 
「なれたらいいね」
と母は珍しく優しい顔で言った。
 
「あんた、女の子になるんだったら、男の子の服は要らないよね?」
「うん」
「じゃ捨てちゃおう」
 
と言って母は青葉のタンスの中から男物の服を全部取りだして大きなビニール袋に詰めた。袋がふたつできた。
 
「ちょっと捨ててくる」
と言って母はその袋を自転車のカゴと荷台に積むと出て行った。
 
1時間ほどで帰って来た母は「今日の晩御飯はお肉の入ったカレーだよ」と言った。 
「わーい! カレーにお肉が入るのって久しぶりだね!」
と言って青葉は喜んだ。
 

その年の秋のある日、曾祖母・賀壽子が昼少し前に家に来た。
 
「お母さんとお父さんは?」
「お父さんはしばらく帰って来てない。お母さんも夕べから帰ってない」
「お前たち、朝ご飯はどうしたの?」
 
「小麦粉と玉子があったから、私がホットケーキ作って、お姉ちゃんと一緒に食べた」
「ふーん。ちょっとひいばあと一緒に来て。お母さんいないなら未雨も」
「うん」
 
賀壽子は青葉と未雨を車に乗せて、山奥の方の村へと行った。
 
「病気の女の子がいるの。お医者さんから『手の施しようが無い』と言われて。このままじゃ死んじゃうけど、何とかして助けたいから、青葉ちょっと手伝って」
と賀壽子は言った。
 
「私、何すればいいの?」と青葉。
「そばにいて、私に力を貸してくれればいい」と賀壽子。
「ああ・・・私、あねぼっとになればいいのね?」
「ハニーポットね」
「私も何かするの?」と未雨。
「お前は病気の女の子に本でも読んであげて」
「うん」
 

「戻りました」と言って賀壽子はその家の中に入って行った。青葉と未雨も続く。
 
「そのお子さんたちは?」
「曾孫たちです。この子たちの母親が不在なので連れてきました。お嬢さんの治療は明日の朝くらいまで掛かりますから」
「娘は・・・・助かるでしょうか?」
と不安げな母親。
 
青葉は患者の女の子を見てみた。中学生くらいだろうか?これは食中毒+霊障?と思ったら賀壽子から『正解』と言われた。どうも処置を始めるのが遅すぎたことと、霊障が絡んでいて、それで医者からさじを投げられたのだろう。そばに賀壽子の弟子の佐竹のおじさんが座って何やら祈祷をしているが、あんまり効いてないなと青葉は思った。
 
「助けます。取り憑いていた悪霊はさっき処置したので、その後遺症さえ何とかすれば助かるはずなんです。お母さんとお祖母さんはお嬢さんが助かることを信じて、祈っていてください」と賀壽子。
 
「はい。あの・・・正信偈とかでも唱えればいいでしょうか?」
「正信偈もいいし観音経とかもいいですよ。お母さんの祈りの気持ちがこもっていればそれが効果を発揮するんです」
「はい」
 
母親はそう答えると仏檀の所から本を持って来て祖母と一緒に「帰命無量寿如来、南無不可思議光、法蔵菩薩因位時、在世自在王仏所・・・」と正信念仏偈を唱え始めた。
 
一方の賀壽子は佐竹と交代して、寝ている女の子の傍に座り、精神を集中し、女の子のお腹の下の付近に手かざしして、身体と並行に手を回転させるように動かし始めた。女の子は意識が無くて青葉が見た所、生命の炎もかなり弱々しい感じになっていた。
 
医者から助けようが無いと言われたので、それならせめてお家で看取りたいと言って自宅に連れ帰ったらしい。しかし女の子の祖母は「助けようがない」などと言っている医者に頼るより、拝み屋さんに頼んでみようと言い、母親も藁にすがる思いでそれに同意して、賀壽子に連絡したらしい。
 
しかしこのような霊障絡みであれば、それがまさに正解だ。取り憑いていたと思われる霊は既に賀壽子により処置済みのようだが、その後遺症がかなり出ている。この修復もお医者さんの仕事ではない。薬でも治せるだろうが薬で治す速度では、治るまでこの子の体力がもたないと思われた。この子を助けるには食中毒絡みで出来ている体内の傷を超特急で治し、霊障絡みで機能不全に陥っている各臓器を再稼働させ、更に自力で回復できる所まで体力を戻す必要がある。 
今この子は生きていること自体が奇跡のような状態なのである。おそらくは、若い故の基礎体力があるからであろう。
 
青葉は自分の身体から賀壽子の手の付近にエネルギーが流出していくのを感じた。賀壽子が自分のエネルギーを吸い上げて、それを治療に使っているのだ。 
『ひいばあちゃん、私もその腎臓の方を手伝おうか?』
と賀壽子に脳内直伝で尋ねる。
『頼む。私は取り敢えずこの直腸の出血を何とかしないと』
 
それで青葉は賀壽子の向かい側に座り、腎臓の真上で手を動かし始めた。まず溜まりすぎている体液を少し押し戻して負担を軽くした上で、尿の排出路が弱まっているところを活性化させて流れを良くする。そして何よりも腎臓の付近で滞っている気の流れを改善する。腸の傷を治すのより複雑だが青葉にはまだ傷の治療ができないので、青葉がこちらをせざるを得ない。
 
未雨が「へー。青葉、ひいばあの真似してんの?」などと訊いた。
 
青葉は「うん。少しでも助けになったらと思って」と答える。
 
「私は本を読んであげよう」と言って未雨は近くにあったミヒャエル・エンデの『モモ』を取って朗読し始めた。
 
一方佐竹は賀壽子に言われて買物に出かける。腎臓の機能が回復したら水分補給させた方がいいのでミネラルウォーターとポカリスエットをというのと、食糧やおやつをたくさん買ってきてと言われていた。こちらは賀壽子自身と青葉が食べるためである!
 
青葉は賀壽子が病気平癒の祝詞(のりと)を口の中で唱えているのに気付く。 
『ひいばあちゃん、向こうでお経を読んでて、こちらは祝詞でもいいの?』
と念で尋ねると
『ありがたいものはみんな頼ればいいんだよ。仏様も神様もキリスト様も孔子様もなんでも尊い』
と賀壽子は答えた。
『へー』
 
『正信念仏偈は阿弥陀(あみだ)如来様、こちらで読んでる祝詞は山王(さんのう)様だけど、山王様は阿弥陀如来さんの息子だから、いいんだよ』
『へー! でもキリスト教とかが混じってもいいの?』
 
『阿弥陀如来さんは向こうでは大天使メタトロンと言うんだよ』
『ふーん。なんか難しい名前』
『正信念仏偈に出てくる阿弥陀さんの元の名前が法蔵菩薩だけど、これも向こうではエノクというんだ』
『結構つながってるのね?』
 
『お地蔵さんとかも向こうでは大天使ガブリエル。子供の守り神だよ』
『へー』
『弥勒(みろく)菩薩は大天使ミカエル、お不動さんは大天使ウリエル、薬師(やくし)如来は大天使サンダルフォン、弁天様は大天使ラファエル』
 
『観音(かんのん)様は?』
『それはお前、マリア様に決まってるじゃん』
『ああ、そうなんだ』
 
小さい頃、賀壽子はこの手の話をよく青葉にしていた。中学生くらいになってから記憶と昔書いていたメモに頼って賀壽子の世界観を再構成してみたが、さっぱり分からん!と思った。
 

賀壽子は自分のエネルギーと青葉のエネルギーを半分くらいずつ使って治療している感じだった。それだけ使われていると、お腹が空く!
 
「お腹が空いた」
と青葉が言うと、患者の母親が「あ、何か出しますね」と言って、ポテチやチョコなどを出して来てくれた。また、祖母がサツマイモを焼いてくれたのでそれも食べた。
 
やがて佐竹が戻ってくる。大量の食料品に母親がびっくりしたようだが、青葉はお腹がとっても空くので、それもいっぱい食べた。賀壽子も直接カロリーになりそうな、羊羹とかチョコとかを食べている。
 
「まあ、お嬢ちゃん、食べ盛りなのね」と母親がようやく笑顔を見せて言った。 
治療を始めてから3時間くらい経ったところで、患者が目を覚ました。
 
「お母ちゃん・・・」
「お前。意識が戻ったんだね? 良かった・・・・」
と母親はほんとうにホッとした様子で、涙を流している。
 
「喉が渇いた」と女の子は言う。
 
ストロー付きのコップでまずは水を少し飲ませる。まだ腎臓の機能回復が途中なので塩分を取らせられないのだ。
 
「まだ寝ていた方がいいよ」
「うん。私もう少し寝るね」
と言って女の子は寝てしまう。
 
女の子が意識を取り戻したことで母親は安心した感じだったが、青葉はこれが危篤状態を乗り切っただけであると認識していた。まだまだ危険な状況であることには変わりがない。患者はかなり衰弱している。
 
『青葉、肝臓の方に移って』
『うん』
 
賀壽子は直腸の傷を大まかに修復し終えて、大腸の方に移っていた。青葉は左右の腎臓の内、比較的元気だった左側だけ修復して肝臓に移った。取り敢えず片方だけでもしっかり動けば何とかなるのである。機能が落ちている右側の腎臓は後回しだ。しかし片方の腎臓がとにかく回復したことで、次に女の子が起きた時は生理的食塩水を飲ませることができた。
 
夕方になったので、患者のそばを離れる気分になれない母親に代わり、祖母が夕食を作って出してくれた。御飯と、野菜の煮染めに吹かし大根といった素朴な御飯だが、賀壽子も青葉も美味しく頂いた。青葉は御飯を3杯もお代わりしたので、そんなに沢山食べるのを見たことがない未雨が驚いていた。ふだんの青葉は御飯茶碗に半分くらいしか御飯を食べない。
 
佐竹は患者の祖母と一緒に仏檀の前で観音経を読んでいた。
 
ふたりで同時にひとりの患者をヒーリングする場合、ふたりの気の操作が衝突するとまずい。双方がきちんと調和した状態で施術する必要がある。それができるのは、結局賀壽子と青葉の組合せだけであった。それは2機のラプター戦闘機がお互いのシステムを共有して協同で敵機と戦うのに似ている。佐竹にも多少のヒーリング能力はあるのだが、ふたりと調和して作業することができないので、こちらには参加できないのである。
 
賀壽子と青葉の共同作業で、明らかに患者の容態が良くなっているのを青葉たちだけでなく、患者の母親や祖母も感じていた。
 
「なんか凄く楽になってきているみたい」
「顔色も血の気が差してきた」
 
最初青葉が来た頃は、患者はまるで死人のような顔をしていたのである。 
未雨が<体温・脈拍測定係>を命じられて、30分に1度体温と脈拍を計って紙に記録していたが、最初39度近くだった体温が少しずつ下がってきていた。 

青葉がこの子助かる、と思ったのは夜0時を過ぎた頃だった。しかし青葉がそう思った次の瞬間『気を抜くな』と賀壽子から念で言われた。『うん。最後まで全力搭乗だよね』『そうそう。全力投球ね』『あ、そうだっけ?』
 
青葉はいろいろ難しい漢字熟語は知っていたものの、この時期はさすがに結構使い間違いもあった。どんなに凄くてもそこは幼稚園児である。
 
なお、未雨は夜9時頃寝てしまった。佐竹も何かあった時のバックアップのため休養しといてと言われ、夜11時頃に仮眠に入っていた。患者のお母さんは、賀壽子が寝て下さいと言ったもののとても眠れないとは言っていたが、峠を越したようだという安心感とここ数日の疲れとで、1時頃眠ってしまった。お祖母さんはこちらまで倒れたらよけい迷惑を掛けると言って未雨と一緒に9時頃寝ていた。 
患者本人は2時間くらいおきに起きては生理的食塩水を飲んでいた。まだ固形物は胃に入れられない状態だ。エネルギー自体は賀壽子と青葉が直接「気」の形で投入しているので、体内で「燃やすもの」が足りなくなる恐れはない。そして腎臓の機能が取り敢えず片方回復しているので、燃やしたあとの老廃物は、ちゃんと濾過されて膀胱に集められる。尿は賀壽子がカテーテルを入れて導尿していた。賀壽子は戦時中に一週間だけ講習を受けて准看護婦の資格をもらったというクチであり、この手の作業にも慣れていた。(実際病院に勤めていた時期もあったらしい) 
治療は、賀壽子の方は大腸の次は膵臓に移り、青葉の方は肝臓の後、右の腎臓に移る。膵臓が回復するとやっと食物を栄養源に変えられる。その治療が明け方くらいまでに何とか完了したので、その後はやっとポカリスエットを飲ませられるようになった。
 
その後、青葉は少し休んで(パワー供給源としては使われ続ける)、賀壽子が患者の身体全体の気を整える作業に入った。賀壽子が『何とかなったかな』と言うと、青葉が『ひいばあちゃん、気を抜いたらダメ』と言い、賀壽子は微笑んだ。朝7時、体温を計ると36度8分まで落ちていた。青葉はその女の子の生命の炎がしっかり燃えているのを感じた。
 

青葉たちが引き上げたのはお昼近くであった。患者は「おかゆが食べたい」
などと言うくらいまでなっていた。賀壽子は
 
「完全な回復にはまだ一週間かかります。しばらく毎日様子を見に来ますが、もし何かあったら夜中でも構いませんからすぐ呼び出してください」
と言った。母親が頭を畳に付けるようにして御礼を言っていた。
 
数ヶ月後にこの子が予防接種のため病院を訪れた時、お医者さんは仰天したらしい。まさか助かるとは思ってもいなかったのであった。
 
帰宅してから青葉は40時間近く眠り続け、未雨が心配して賀壽子に連絡したほどであった。その賀壽子の方も佐竹の娘さんに電話番を頼んで、ひたすら寝ていたらしい。
 
なお、この治療で賀壽子が受け取った謝礼は、大根・じゃがいも・タマネギなど野菜を段ボール箱に5箱ほどであった。賀壽子は貧乏人には「ああ野菜でいいよ」とか「鰯とか鯵とか余った魚でいいよ」などと言っていた。その代わりお金持ちさんからの依頼には結構な料金を取る主義で、そういう方針は後に青葉にも受け継がれることになる。
 
ちなみに、この大量の野菜は青葉の家にほぼそのまま運び込まれ、青葉の母が嬉しそうにしていた。
 
「今月飢え死にしなくて済む!」
などと母は言っていた。
 

その年12月の初旬、青葉が友だち数人と公園で遊んでいたら、その遊んでいた友だちのひとり登夜香のお兄ちゃんがやってきた。確か名前は緑星君、小学3年。未雨と同級生でもあった。
 
「あれ、君、青葉ちゃんだったっけ?」
「はい」
 
「青葉ちゃんって女の子なの?」
「そうだよ」
「でもおちんちんついてるんだよね?」
「付いてるけど」
「それでも女の子なんだ?」
「うん」
 
「ね。ちょっといっしょに来てよ」
「いいよ」
「あ、登夜香はそのまま遊んでて」
 
緑星は青葉とふたりだけで、川に沿って山の上の方に歩いて行った。少し行った付近からは雪が積もっていて歩きにくくなったが、緑星も青葉もザクザクと雪を踏みしめながら歩いて行く。
 
「お前、歩くの速いな。おれ、けっこう速く歩いてるのにちゃんとついてくる」
「ひいばあちゃんと一緒によく山歩きしてるから」
「ふーん」
 
ふたりは10分近く歩いてけっこう山の奥の方まで来た。
 
「ここ知ってる?」
「うん。男橋と女橋」
 
川にふたつの橋が架かっていた。川下側の橋は吊橋、川上側の橋は丸太橋で、この橋を知る人は、吊橋の方を女橋、丸太橋の方を男橋と呼んでいた。 
「わたったことある?」
「両方試してみた。女橋は渡れたけど、男橋を渡ろうとしたら川に落ちた」
「へー。おれは男橋はわたれたけど、女橋をわたろうとしたら落とされた」
 
「ふーん。うちのひいばあも女橋しか渡れない」
「うちのばあちゃんも母ちゃんも女橋しかわたれない」
「ああ」
 
「青葉ちゃん、わたってみてよ」
「いいよ。でもこの時期、川には落ちたくないね」
と言って微笑むと、青葉は吊橋の方に行き、ひょいひょいと渡ってしまった。 
川の向こうから見ていたら、緑星が丸太橋の方を渡って青葉のいる側まで来た。 
「ふーん。緑星君は確かに男の子だね」
「うん。でも、たしかに青葉ちゃん、女の子なんだね」
「うん」
 
と言ってふたりは微笑んだ。
 
「うちのばあちゃんに会ってかない?」
「ああ、一度会ってみたいと思ってた」
 

ふたりはいったん公園に戻り、登夜香を連れて、緑星のおばあちゃんの家に来た。 
「こんにちは」と言って緑青と登夜香が入って行き、
「お邪魔します」と言って青葉もそれに続く。
 
「はい、いらっしゃい」と言って緑星の祖母・眞純子(ますこ)は笑顔でこちらを向いたが、青葉を見るなり、突然こわばった顔をして、こんなことを言った。 
「あんた何者?」
 
明らかに身構えている雰囲気。
 
「初めまして。私、八島賀壽子の曾孫で川上青葉と申します」
とにこやかに答える。
 
「・・・あんたが青葉ちゃんか! 噂には聞いてたけど、凄まじいオーラだね」
「恐れ入ります」
「それにあんたに付いてる守護霊、とんでもない大物みたい」
「そうですか?」
 
眞純子は拝み屋さんをしていて、いわば賀壽子の商売敵である。
 
「あんた・・・・小学1年生くらいだっけ?」
「いえ、幼稚園の年中です」
「幼稚園児と会話している感じが全然しないんだけど! 末恐ろしいね」
 
と言って眞純子は笑った。
 
「おばあちゃん、さっき男橋・女橋に行って来たけど、青葉ちゃんは女橋をわたれた」
「そりゃそうだろうね。この子、魂が女の子だもん。男橋は渡れんだろ?」
と眞純子。
 
「はい、以前試しに渡ってみましたが、途中で落とされました」
「なぜ落とされたか分かった?」
「はい、天狗様が怒ったような顔でやってきて押されたんです」
「ちゃんと見えてるね、偉い偉い」
 
「天狗さんが居たの?」と緑星。
「そうだよ。見える人には見える。青葉ちゃんはちゃんと見えるだろうね」
 
「うちのお母ちゃんも、登夜香も少し見えるみたいだけど、おれはぜんぜん分からないや」
 
「こういう能力は隔世遺伝するからね。青葉ちゃんの場合、賀壽子さんも凄いけど、他にも先祖に凄い人たちがいたみたいだからね。あんたきっと賀壽子さんより凄い子になりそう。あんたが拝み屋さんを始める頃まで私は生きてないだろうけどね」
 
と眞純子は言った。
 

「私、自分のおじいちゃん・おばあちゃんとか、おばちゃんとかの関係が全然分かってないや」
と帰宅してから青葉は台所でお酒を飲んでいた母に訊いてみた。母はお酒を飲みながらひとりでタコ焼きを食べていて「これあげないからね」と言った。 
「うん。別にいいよ」と青葉は微笑んで言う。
 
母は比較的機嫌が良いようで、そこら辺に落ちていた何かの督促状の紙の裏に系図を書いて説明し始めた。
 
「その紙いいの? 振込票が付いてるけど」
「どうせ払えんから構わん」
「ふーん」
 
母は最初に 川上礼子=古賀広宣 と青葉の両親の名前を書き、その下に未雨・青葉と、姉妹の名前を書いた。
 
「私はこの町の生まれ、父ちゃんは佐賀県の生まれ。これは知ってるね?」
「うん。うちって苗字はお母さんの方の苗字なんだよね」
「そうそう。結婚を申し込まれた時に、私が渋っていたら、苗字は私の方に合わせていいから、その内私の実家の近くに引っ越すからなんて言われてね。まあ、あの頃は優しかったんだ、あの人も」
「ふーん」
 
母は古賀広宣の上に、古賀太兵=坂井梅子 と書く。
 
「父ちゃんの方のじいちゃん・ばあちゃんに会ったのは覚えてる?」
「分からない」
「だろうなあ。まだあんた2歳になるかどうかだったもん。太兵さんは有田焼の茶碗の絵付けの仕事をしてたんだよ。太兵さんのお父さんもその仕事してて、うちの父ちゃんにも継いで欲しかったみたいだけど、絵が下手だからね、あの人」
 
「仕事は向き不向きがあるよ」
「そうそう。梅子さんのお父さんは大工さんだったらしいけど、お母さんは神社の娘で」
「へー」
「巫女さんとかしてたらしい。霊が見える人だったけど、自分は全然見えないって、梅子さんは言ってたよ。あんたが色々見えるのは賀壽子ばあさんの血と同時に、梅子さんのお母さんの血も引いてるからかもね」
「はあ・・・」
 
次に母は自分の名前(川上礼子)の上に、八島市子=川上雷造 と書く。 
「うちの爺さんは若い頃は漁師をしてたんだけどね。身体を壊してから海には出なくなって、その後は畑耕して、野菜作ってる」
「うん。時々もらえるね」
「おかげで、私も青葉も飢え死にせずに済んでるからね。でも元々身体壊してから農業始めたくらいだから、最近は畑仕事もきついと言ってた」
「大変だよね」
「まあ仕事は何でも大変だけどね」
 
母は 川上雷造 の上に、川上法潤=遠敷桃仙 と書く。
 
「こっちのじいさん・ばあさんはもう亡くなってしまってるね。法潤(ほうじゅん)じいさんはお寺の息子だったんだけど、寺は継がずに、漁師になってしまった。桃仙(とうせん)ばあさんは、目が見えない人でね。若い頃青森でイタコをしてたんだよ」
「その話は初めて聞いた」
 
「苗字は遠敷(おにゅう)と言ったらしいけど実は戸籍が無くてね。本当かどうかは分からんと雷蔵じいさんは言ってる。戸籍が無いから実は入籍もしてない。まあ無いものは仕方無いけどね。桃仙さんはこちらに旅回りしていた時に寺の前で倒れて、法潤じいさんに助けてもらったのが縁でイタコの集団を抜けてこの地に留まり、結婚したらしい。なんだか青葉のご先祖には、あっちの世界に関わってる人が多いね。私なんか霊感ゼロなのにさ」
 
と言って母はタコ焼きの最後の1個を食べてしまった。
「この容器なめる?」
などと言われるのでありがたくもらって、付着したタレや削り節をなめる。青葉にとってはこれでも充分なごちそうだ。
 
母は八島市子の上に、葦原賀壽子=八島陸理 と書き、八島市子の横に八島双乃子と書いた。
 
「陸理じいさんは40くらいで死んでしまったけど、夏はこちらで畑仕事してて冬は東京に出稼ぎに行って工場で勤めていた。亡くなったのもその工場での事故でだよ」
「それはひいばあちゃんから聞いた気がする」
 
「賀壽子ばあさんは凄く小さい頃からああいう力があったらしくてね。小学生の頃から、除霊とかやってたらしい。陸理じいさんとは幼なじみだったらしいね。昔のことだから町でデートなんてできないから、よく山の中で待ち合わせて滝とか谷とかでデートしてたらしい」
「わあ、それもいいなあ」
 
「双乃子叔母ちゃんは、若干霊的な力があったみたい。市子ばあさんには全然力が無いんだけどね。だから、賀壽子ばあさんは跡継ぎとして期待していた時期もあったみたいだけど、小さい頃から病気がちだったからね。あまり無理はさせられないというので諦めたみたい。この人は自宅に居た時間より病院に入ってた時間の方が長いよ」
「ああ」
 
「双乃子叔母ちゃんは霊的な力があるのでよけい変な霊に取り憑かれることが多くて、それも体調を悪化させる元になってたらしい。それで祭壇を作ってるあちらの家では良くないということで、少し離れた場所に、結界だけしてこの家を建てて、そこに住まわせるようにしたのよね。近くだから良く見に来れるし」
 
「うちがこちらに引っ越して来たのも、ひいばあの面倒見てくれということだったんでしょ?」
「そそ。でも、賀壽子ばあさんは元気出し、むしろこちらが経済的に面倒見てもらってるけどね」
 
と言って母は疲れたような顔をして笑った。
 

その日、母は何だか機嫌が良く、未雨が学校から戻ってくると、ふたりをミラの後部座席に乗せて出かけた。
 
「この車、うんてんしてもよかったの? 何とかが切れてるからうごかせないとか言ってなかった?」と未雨。
「お巡りさんに見つからなきゃ平気」と母。
「お母さん、さっきまでお酒飲んでたのに」と青葉は言うが
「もう醒めたから大丈夫」などと母は言う。
 
車は国道を走り隣町の住田町まで行き、一軒の農家の庭に駐まった。
 
「あんたたち、しばらく待ってて」
と言って母は家の中に入って行った。
 
が、なかなか出てこない。
 
「寒いよお」と未雨が言う。
 
車のエンジンが掛かっている間は暖房が効いているからいいが、いったん停まれば、車内の温度はあっという間に外気と同じ温度まで下がる。今は気温は多分2度くらいか?
 
「毛布かぶってようよ」
と言って青葉は車の荷室に置いてある毛布を取り出そうとするが、何か引っかかっているようで、うまく引き出せない。
 
「お姉ちゃん手伝って」
「うん」
 
ふたりで引っ張ると、何とか取り出せた。その時、ごろりと黒い物が転がった。 
「あれ、練炭だ。なんでここにあるのかな」と未雨。
「きっと誰かにもらって、ストーブ代わりに家で燃やすつもりだったんだよ」
「ああ、そうか」
 
未雨はそれで納得したようだが、これは、とーってもヤバイと青葉は思った。そして母が上機嫌だった理由も理解した。ご先祖のことをあんなに詳しく話してくれたのも、自分たちが今から向こうに行くからだったんだ!
 
さてどうするかと考えながら、取り出した毛布を自分と未雨に一緒に掛かるように掛けて、身を寄せ合う。
 
「少し暖かいでしょ?」と青葉
「うん」と未雨。
 
母が出てきたのは車がそこに駐まってから1時間くらいした頃であった。 
「御免ね。御飯食べさせてくれるというからおいで」
 
ふたりはお邪魔しますと言って家の中に入る。知らないおじさんが家に居て、テーブルにホットプレートを載せ、お肉を焼いてくれた。
 
「わあ!お肉だ!!」と言って未雨が喜んでいる。
青葉は微笑んで自分も右手に箸を持ち、主としてお野菜や、焦げ掛けているお肉などを食べた。
 

御飯をごちそうになってから車に戻る。母は南に向けて車を走らせる。どうも家に戻る雰囲気ではない。やはりヤバイな。
 
「あれ。お母さん、ここに何か落ちてる」
と言って青葉は身体を曲げて、床に「落ちていた」銀色の玉を5個ほど拾った。 
「ん?あれ、パチンコの玉じゃん」
「お母さん、パチンコ屋さんに行くの?」
 
「そうだな・・・ちょっと寄っていくか」
と母は言うと、進路を変更して市街地の方へ行った。
 
パチンコ屋さんの駐車場で駐め、ふたりに待っているように言ってパチンコ玉をポケットに入れ、店の中に入って行った。青葉と未雨はまた毛布にくるまって待っていた。
 
1時間後、母が上機嫌で出てきた。
「さ。おうちに戻るよ」
と母は言った。帰る途中スーパーに寄り、半額シールの貼られた鍋物セットと、1個19円のコロッケ3個を買った。車から降ろした練炭に火を点け、それで鍋物セットを煮て食べた。未雨がツミレが美味しいと言って喜んでいた。その夜は練炭のおかげで、少しだけ暖かく過ごすことができた。
 
こうしてその日、青葉たちは翌日の新聞に載るようなことには遭わずに済んだ。 

そして大晦日。家には食糧が何も無かった。お昼にポテチの袋を母と青葉・未雨の3人で分けて食べたのが最後だった。父は12月の頭頃からずっと帰宅していない。 
「寒いよお。油買ってきてストーブつけようよ」と未雨は言うが
「そんなお金無いから、布団かぶってな」と母。
 
「青葉は寒くないの?」
「鍛えてるから大丈夫」
 
そんなことをしていたら、夕方、賀壽子がやってきた。
「あんたら、餅あるかい?」
「餅どころか何も食べるもんがない」
 
「呆れた。ちょっとうちに来るかい?」
「行く!」
 
ということでみんなで賀壽子の家に行った。
 
「食べるもの無い時は、うちに言いなさい。私だって貧乏だけど、少しくらいなら分けてあげるから」と賀壽子
 
祈祷の御礼にもらったという鯖を焼いてくれて、4人で一緒に食べた。
 
「おいしい、お魚なんて食べたの一週間ぶり」と未雨。
「あらあら」
 
一週間前というのは学校の給食で食べたものである。ここ1年ほど青葉の家の食卓に肉や魚が載ることは滅多に無かった。
 

「ちょっと年末のお祈りするから、少し休んでなさい。青葉、一緒にお祈りするかい?」
「うん」
 
青葉は賀壽子と一緒に祭壇の前に座り、一緒に大祓の祝詞を唱え始めた。 
「高天原に神留り坐す皇親神漏岐・神漏美の命以て、八百萬神等を神集へに集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて、・・・・」
 
この祝詞は物心付く前から聞き覚えていて、青葉にとっては子守歌のようなものである。
 
しかしその祝詞を唱えている時、青葉は「あれ?」と思った。
 
明らかに曾祖母のパワーが落ちている。
 
でもその事について、祝詞を唱えている間は何も言わなかった。
 
祝詞を唱え終わって拍手を2つ打ち、祭壇に向かって深く拝礼する。
 
『ひいばあちゃん・・・・』
『お前にはバレちゃったみたいね』
『どうしたの?病気?』
『私も年みたい』
『無理しないで。お仕事、手伝えたら手伝うよ』
『そうだね。年明けからはお前に頼もうかね・・・』
 

年末の大祓の祈祷が終わった後、4人で一緒に年越しそばを食べた。
 
「お正月はここにいるかい? 祈祷とかするから、静かにしてることが条件」
「うん、ばあちゃん。ここに居させて。私ひとりなら何とかなっても、この子たちがお腹空かせるから」と母。
 
「ねえ、お母さん、私、幼稚園から帰った後、こちらのうちに来ててもいい?」
と青葉は尋ねた。
 
「そうだねえ、それでおやつでももらうといいよ。私も年明けたらまたパート探してみるから」と母は言った。
 

そうして青葉は年明けから実質曾祖母の仕事を代行するようになった。 
魚の缶詰工場にパートに通い始めた礼子に代わって賀壽子が、青葉の幼稚園から帰るのを迎えに行く。そして帰宅するとふたりとも巫女衣装に着替えて、一緒に祈祷に出かけ、青葉はまるで付き添いの童女のような顔をして実は、代わりに除霊・浄霊や霊的防御、ヒーリング・霊的治療、物探し・人捜し、占いなどの仕事をするようになったのである。
 
体調の悪い人などがいると、一応曾祖母が診断するものの、治療は青葉がしていた。また、それまで青葉は霊感占いの類いは天性の勘でしていたが、この時期に曾祖母から、筮竹を使った易占い、タロット、手相なども習った。 
賀壽子に付き従っている小さな巫女衣装の青葉を見て、その性別を疑う人などは、いなかった。みんな
「可愛いお嬢さんですね。お孫さんですか?」とか
「可愛い! 市松人形みたい。きっと美人さんになりますよ」とか
「うちの孫のお嫁さんに欲しい感じ」
 
などと言ってくれていた。青葉は髪を長くして前髪はパッツンだったので、本当に日本人形のようであった。
 
そして青葉が実質仕事を代行するようになってから、仕事の品質が上がった。 
「八島さんに頼むと物が見つかる」「八島さんのお陰で腰痛が治った」などの評判が立ち、賀壽子の商売は繁盛した。それまでは依頼なんて月に数件程度だったのが、毎日のように仕事があるようになる。
 
おかげで、そのお裾分けで青葉たち一家も潤うようになっていく。賀壽子は受け取った報酬(といっても大抵は野菜や雑魚の類い)の半分を「経済支援」
と称して礼子に渡すようになったので(残りの半分を賀壽子と佐竹で折半する)礼子も賀壽子が生きている間は、子供を道連れに死のうとしたりはしなかった。 
 
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