【春芽】(2)

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アクアのお仕事は8月で映画の撮影が終わってから、ドラマ『少年探偵団』の撮影が始まる11月までの間は少しゆとりが出ていた。西湖の方も9-10月は学校をあまり休まなくて済み、日々勉強に励んでいた。
 
それでもアクアのテレビやラジオへの出演(歌番組・ドラマ・バラエティ・クイズ番組等)のための撮影・録音はほぼ毎日あるので、そのリハーサルに出る西湖も学校が終わってから桜木ワルツか河合友里が運転するミラココア(但し9月下旬以降は後述の理由によりAudi A3 ETRONに変更される)に乗り、テレビ局やスタジオなどを回っていた。
 
放課後に移動することになる場合、クラスメイトの芸能人が
「新宿に行くの?一緒に乗せて」
 
などと言って同乗してくることもある。わりと売れている歌手の青島瀬梨香(芸名:田川元菜)、比較的安定した人気のFireFly20のメンバー酒井水希、などはよく同乗するが、ある日は紀子が
 
「今日は久しぶりにスタジオμに出るのよ。赤坂まで行ったりしないよね?」
などと言って乗り込んできた。
 
「時間に余裕がありますから、赤坂の##放送に寄ってからΛΛテレビに回りますよ」
と河合友里。
 
「すみませーん!助かります」
「そうだ。##放送に行くのなら、高柳ディレクターにこの資料を渡してもらえません?ご不在だったら本人の机の上に置いておくのでもいいですから」
「分かりました。お預かりします」
 

この日は紀子は番組で着る“Flower Lightsの制服”に着替えなきゃと言って車の中で制服を脱いで下着姿になり、そちらの制服に着替えていた。
 
「楽屋で着替えるんじゃないのね」
と友里が言うと
「うち楽屋もらえないんです」
などと言っている。
「あらら」
 
「だから駅のトイレで着替えてから入ることもありますよ」
「大変ね〜」
「そもそも衣装代が掛からないように制服が定められているんですよねー。うちは低コスト運用なので」
「なるほどー」
 
制服の背中のファスナーは西湖が上げてあげた。
 
「さんきゅ、さんきゅ」
「トイレの中で着替えたりした時はどうすんの?」
「たまたまトイレに入って来た人に頼む」
「すごーい」
「トイレの中は女性しか居ないから割と安心」
「確かに」
「まあ男がいたら即通報かな。オカマさんまでは容認」
「ほほぉ」
「痴漢女装男は蹴りあげた上で通報」
 
「それ見分けつく?」
「おどおどしてるから分かりますよ。それに雰囲気も違うし」
「ああ」
「オカマさんは外見が男っぽくても雰囲気が女だもん」
「なるほどー」
 
「でも雰囲気が完全な男で服装も男にしか見えなかったから悲鳴あげたら、本当におばちゃんだったことあった」
「まあ、たまにはそういうこともあるでしょう」
「女捨ててるおばちゃん居るもんね〜」
 

青葉は9月18日に東京の◇◇テレビの面接を受けたのだが、25日になって同社からお手紙が来た。開けてみると「選考結果のご連絡」とある。
 
《入社御志望につきまして、慎重に選考を行いました結果、誠に不本意ですが、貴志に沿い難いことになりましたので、ご連絡申し上げます。折角の御意志にお応えできず、大変申し訳ございません。末筆ですが、貴方様の今後のご発展をお祈り申し上げます》
 
あはは。落ちたか!
 
まあ競争率高いもんなぁ。
 
と青葉は感触があったゆえにショックながらも、気持ちを切り替えて、大阪・名古屋の方で頑張ろうと思った。
 
夕方、響原取締役から直接メールが来ているので仰天する。
 
《川上さん、ごめんね。最終面接のあと、僕はぜひにと推薦したんだけど、投票次点だったんだよ。これに懲りず、また色々よろしくね》
 
青葉はすぐに返信しておいた。
 
《わざわざご連絡ありがとうございます。また頑張ります。そちらに色々お世話になることもあると思いますが、よろしくお願いします》
 
しかしこないだのは最終面接だったのか!!
 

K大水泳部の今年の活動は、希美と夏鈴が国体(9月15-17日福井県敦賀市)に参加したので、だいたい終了する。一応大学のプールは10月中旬まで使用できる。
 
青葉は9月18日に東京で◇◇テレビの面接、19日に大阪でЭЭテレビの上級セミナー、20日に名古屋でЧЧテレビのセミナーに参加した。
 
それで9月21日(金)に水泳部に顔を出したら
 
「青葉、あんたが次の部長に決まったから」
と杏里から言われた。
 
「杏里がやるんじゃなかったの!?」
 
なんか以前の話では杏里が部長になって、青葉が提出している「退部届」を握り潰すという話だったのである。
 
「やはり日本代表になるような選手が部長しなきゃということで」
「うっそー!?」
と言ってから、青葉はハッとして言った。
 
「だったら私が提出したまま保留されていた退部届は私が受け継いでいいんだよね?」
「ああ、あれね」
と言って杏里は見覚えのある退部届の封筒を取り出したが、その場で破いてしまった。
 
「ちょっとぉ!」
「部の規定で部長は、その任にある間、退部することはできない」
「そんなぁ」
「あと1年よろしくね〜」
 
ちなみに男子の部長は吉田君になったということだった。
 
「(奥村)春貴だと、任期中男子部員でありつづけるかどうかが怪しいから」
 
「むしろすぐ女子選手になれるんじゃないの? あの子、男性ホルモン濃度のモニターしてると言ってたけど、それ始めてからそろそろ1年経つんじゃないかなぁ」
 
「私もそんな気がするんだよね。1年間の数値があれば女子選手になれると思うんだけど」
 

「やはり女子選手になる前に性転換手術受けたいのかなあ」
と杏里が言う。
 
「もし手術受けるなら秋かもね。オフシーズンに身体を休められるから」
と青葉。
 
「なるほどねー」
と言ってから、杏里は可笑しそうに笑って言った。
 
「そういえば吉田が所属していた笑劇団だけどさ」
 
「うん?」
 
「吉田たちが入った時、4年生の前部長は性転換済み、3年生の部長は文化祭が終わって部長を退任した2016年秋に去勢手術を受けて翌年秋に性転換手術を受けて、どちらも女子として就職したらしいのよね」
 
「ああ。そのあたりまでは聞いた」
「その下の学年、今の4年生の楡木さんという人は1年の時にシンデレラを演じて、2年生でアリババを演じてから部長を引き継いだ頃から、学校では常時女装しているようになって、3年生のゴールデンウィークに去勢手術を受けたらしい。そして今年は来月の文化祭が終わったらタイで性転換手術を受ける予定らしい」
 
「なるほど」
 
「それで吉田たちの学年で1年の時にカシムの妻、去年は白雪姫の王子の役をした楢山君が部長を務めていて、今年は坊ちゃんの赤シャツを演じているらしいけど、最近日常的に女装しているらしい。夏休み中に去勢手術を受けたという噂もあるんだって」
 
「ああ、吉田は逃げ出して正解だったね」
「吉田の顔では女になってもお嫁さんにしてくれる男の人あまり居なさそうだしね」
「そういう問題!?」
 

10月1日(月).
 
西湖が眠気を我慢しながら0時間目の授業を聞いていた時、唐突にお腹の付近に今まで感じたことのない感覚があった。え?これどうしたらいいの?
 
と思っていた時、唐突に隣の席の紀子が
「先生」
と言って手をあげた。
 
「何ですか?立花さん」
「天月(あまぎ)さんが気分が悪いみたいです。トイレに行かせてあげて下さい」
 
すると先生が言う。
「天月さん、調子悪いの?」
「すみません。昨夜仕事が遅くまでかかったからかも。少し休んでいればいいと思うのですが」
 
「保健室行く?」
「いえ、トイレに少し籠もっています」
「じゃ行ってらっしゃい」
「すみません」
「気分がどうしてもすぐれなかったら携帯で誰か呼んでね」
「はい」
 
それで西湖は立ち上がりポーチを持ってトイレに行こうとした。その時、紀子がそのポーチに何か放り込んでくれた。
 
「ありがとう」
と言って西湖は教室を出てトイレに入り、個室に入った。
 
パンティを下げてみたら、やはり思った通りだった。
 
「とうとう来たんだ」
と思い、西湖はティッシュでそこを拭いた。
 
昨夜寝る前にも少しお腹が変な気分だったので、ひょっとしてと思い、予め買っておいた、あれをつけておいた。おかげでパンティは無事っぽい。西湖はそれを取り外した上で、紀子がくれたナプキンをパンティにセットした。
 
一応持っていたけど、せっかくもらったから使わなきゃ悪いしね。
 
「でもボクこれで本当に女の子になったんだなあ」
と思うと、戸惑いと楽しみが入り交じった気分になった。
 
でもボクほんとに1年後、どうしようかなぁ。
 
しかし取り敢えず生理は辛い! 毎月これやってる女の子って偉いよ!
 

10月9-11日。10月頭の連休の直後、西湖の学校では宿泊研修が行われるということであった。西湖は仕事はあるのだが、事務所に打診したら
 
「今はわりとスケジュールに余裕があるし、うちのアーティストも松本花子さんから楽曲を頂いて一斉に制作したのが仕上がってきつつあるから、アクアのリハーサル役はスピカかポルカにやらせるよ」
 
とゆりこ副社長が言うのでお願いすることにして、9-10日はお休みを頂いた。
 
これが休日ならスケジュールが詰まっているので絶対無理だったが、平日の行事だったので何とかなった感じだ。
 
「今アクアが156cm, スピカは162cm, リズムが157cm, ポルカが155cm。スピカは少し大きいんだけど、あの子まあまあの演技力があるし、雰囲気がアクアに近いのよね。リズムは背丈は近いけど忙しいから、ポルカを使う機会が多い」
 
「そうだ。こないだから気になってた。ちょっと西湖、背丈を測らせてよ」
と桜木ワルツが言う。
 
それでメジャーで測ってみる。
「156cmだ」
 
「アクアとジャスト同じ背丈だね」
と川崎ゆりこ。
 
「以前よりあんた少し縮んでない?」
とワルツが心配そうに言う。
 
「学校の身体測定でも155.8とか156.1とか言われました。夏バテで縮んだのかも」
「夏バテで体重が減ることはあるかも知れないけど、身長が縮むって聞いたことない」
「余分な水分が抜けたのかも〜。足のサイズが小さくなる人もいますよ」
「ああ、それは時々あるけどね」
 
「でも身長が縮むなんて何か病気か何かだったら大変。あんた今度時間が取れる時に健康診断行っておいでよ。あんたも忙しすぎるもん」
とワルツは言った。
 
「あ。はい」
 

10月15日に青葉は大阪でЭЭテレビで面接を受けた。
 
今年の青葉の交通費は凄まじい。実際問題として今年の青葉が書いた楽曲の半分くらいが、北陸新幹線・東海道新幹線・東北新幹線・サンダーバード・しらさぎ、の中で書かれたものである。
 
今回面接を受けに来たのはおそらく5〜6人ではないかと思われたが、全員個室の控室に案内され、1人ずつ中年の男性社員に呼ばれて面接室に案内されているようだった。ひょっとしたらこれが最終面接だったりして、と思ったが、質問されたことに明るく答えて言った。青葉の答えに並んでいるお偉いさんっぽい3人が結構笑っていたので、感触は悪くないかなと思った。
 
でももしここに合格したら、私、漫才とか勉強しなきゃ!?
 
翌日16日には名古屋のЧЧテレビで上級セミナーに参加した。ここも前回参加した時よりかなり人数が減っている。やはりセミナーをやりながら絞り込んで行っているようだ。
 

青葉はこのセミナーが終わった後、東京に向かい、夕方から淳のアパートで和実の妊娠に関する会議に出席した。
 
淳から説明があった上で、会議の大勢は色々不安はあるが、みんなで見守っていこうという方向になる。
 
そしてこれまで淳と和実の最初の子供・希望美(2016.7)の誕生にも手助けをしてくれた青葉と千里に今回もメンテをお願いしたいと淳が頭を下げて頼んだ。
 
2人は実は千里の最初の子供・京平(2015.6)で協同したのが、妊娠維持作業の最初である。その後、フェイの子供・歌那(2017.3)の妊娠維持と出産でも協同している。千里の2番目の子供・緩菜の場合は、千里自身が2度目の妊娠だったことと、仮親?の美映が自身バスケット選手であり、健康そのものの身体であったことから、特にメンテ作業をしなくても妊娠が維持できた。
 
京平の場合、仮親の阿倍子の脳下垂体が壊れていて、千里の脳下垂体が妊娠のコントロールをしたが、千里の脳下垂体も“普通の女性とは違う”ので大変だった。希望美の場合は卵子自体の存在性が微妙で、最終的に桃香の能力?で胎児を現実世界に帰着させた。フェイの場合も本人の脳下垂体があまりマトモではないので、ホルモンコントロールにかなり苦労した。
 
しかし今回は卵子・胎児の存在性が曖昧な上に妊娠コントロールの能力が無いはずの和実の脳下垂体を使い、子宮ではなく腹膜で妊娠している胎児を維持するという、これまでで最も困難な妊娠維持作業となることが予想された。
 
千里は淳に「子供が無事生まれることも、和実が死なないことも、どちらも保証できない。それでもいいならやってみる」と言い、淳も「それでいい。私も覚悟はしているから頼む」と言ったので、最終的に引き受けた。
 
冬子はその件をきちんと文書にまとめて、淳に署名捺印させた。そうしておかないと万一の時に、訴訟沙汰になりかねない。
 

10月17日(水).
 
その日《びゃくちゃん》は《すーちゃん》から
 
「今日も千里の練習パートナー代わってくれない?」
と頼まれ、常総ラボに向かった。
 
「なんか朱雀も忙しくしてるなあ。何やってんだろ?」
などと言いながら、鉄道で常総市に向かった。
 
千里(千里1)は8月26日以降《すーちゃん》に連れられて常総市に千里自身が所有している体育館“常総ラボ”に通い、2人でバスケットの基礎練習をしていたのだが、これまでも何度か
「急用ができたので、パートナーを代わって欲しい」
と頼まれ、千里につきあっていた。
 
この時点で千里1はこの体育館が自分が所有しているものであること自体をまだ思い出していない。
 

常総ラボでは6年ほど前、数人の眷属で《女装ビーツ》と称してバスケットのクラブチームを装い、日本代表候補に選ばれたばかりの頃の貴司君を鍛えた。ちょっと懐かしいよなと思う。貴司は2012年から2017年まで日本代表に参加したが基本的に“スーパーサブ”という使われ方であった。現在29歳。体力的にはピークになる年齢。彼ももっとまともなチームに移籍すればもう一度花を咲かせられるのに、と《びゃくちゃん》は思っていたが、たぶん千里も同じ思いだろう。
 
などと考えつつも《びゃくちゃん》は千里が川島信次と結婚したこと自体を理解できない。実は早く別れるように信次の恋人、水鳥波留を密かに支援していたのは他の眷属には内緒である。
 
波留はあの後、会社を辞め、久喜市に住むお姉さんのところに身を寄せている。事情を察していた高橋課長がボーナス支給日まで在籍したことにしてくれたおかげで雀の涙程度ボーナスが出て、何とか引越費用はまかなえたものの、勤務期間が短く退職金は出なかった。それで《びゃくちゃん》は彼女を受取人とする信次の保険がおりたと称して500万円渡して来ている。これで何とか出産までの費用はまかなえるだろうと考えた。実際最初迷惑そうな顔をしていたお姉さんの夫も、保険金500万円を波留がそのまま姉に渡したと聞いて受容的になってくれた。
 

この時期はいくつかの事象が同時進行している。
 
10.07 信次の百ヶ日法要(千里1が喪主)
10.08 千里(千里1)が桃香のアパートで暮らし始める
10.11 若葉が第三子・政葉を出産。
10.13 フランスでLFB開幕(千里2が参加)
10.14 ローズ+リリーのツアー千秋楽。政子(マリ)は産休に入る。
10.15 和実が妊娠していると診断される
10.16 和実妊娠の件についてクロスロードのメンツが東京に集まって会議
10.19 日本でWリーグ開幕(千里3が参加)
 

10月17日の朝《びゃくちゃん》が千里が来る前に少し身体を暖めておこうと思い、体育館(常総ラボは普通の学校体育館などの半分のサイズ35m×21mしかないので一周は112mである)の端を軽く走っていたら、9:30頃千里がやってきた(千里1)。千里1は早月をミラに設置したチャイルドシートに乗せて走ってきている(首都高→外環道→常磐道→圏央道)。
 
それで常総ラボの一角に設置しているベビーバリアの中に早月を入れ、早月が勝手に遊んでいる間に千里と《びゃくちゃん》が練習した。
 
「千里、だいぶ回復してきている。これならレッドインパルスの2軍の人たちと一緒に練習してもいいくらいだと思うよ」
と《びゃくちゃん》は言う。
 
「そうかな。でもあそこ行くならその間、早月はどうしよう?」
「それなら私でも鈴子でも見ていられると思うよ」
「じゃ考えてみる」
 

それで千里(千里1)は12時前に早月をミラのチャイルドシートに乗せて帰って行った。《びゃくちゃん》は鉄道で帰ろうと思い、軽く掃除をし、お昼用に買っておいた牛丼をチンして食べてから、戸締まりをし、常総線の駅の方に向かった。ところがそこに赤いアテンザが通りかかるのでびっくりする。車は停まって、窓が開き、千里が声を掛けてきた。
 
「びゃくちゃん、今暇?」
「えっと、東京に戻ってから新幹線で大阪に行って京平と緩菜を見てこようかと思っていたけど」
 
この時《びゃくちゃん》は千里が自分に“びゃくちゃん”と呼びかけたことに気付くべきであった。千里1は彼女が自分の眷属であることを思い出しておらず「白鳥さん」と呼んでいたのである。
 
「それ遅くなってもいいよね?少し練習の相手してくれない?」
「まだやるの?いいけど、早月ちゃんは?」
「早月?てんちゃんが見てるって言ってたよ」
「へー!」
 

ともかくも《びゃくちゃん》は千里のアテンザに同乗して常総ラボに戻る。そして練習を始めたのだが、うっそー!?と思った。
 
「千里凄すぎる。全然私の相手ではない。午前中とまるで違う。千里、こんなに回復したの?」
「びゃくちゃん疲れているのでは?じゃ私シュート練習するから球拾いしてよ」
「いいよ」
 
それで千里はシュート練習を始めたが、実際問題として《びゃくちゃん》のお仕事は「球拾い」というより「返球係」である。千里のシュートは全てがゴールするので、ゴールネットから落ちてきたボールを拾って千里にパスで返すだけである。
 
これが午前中の千里なら、シュート練習する玉は半分程度しか入らないので、本人が自分で走っていって玉を拾っていた(千里がシュート練習する間、びゃくちゃん自身は早月の相手をしていた)。
 
「千里見違えた。いったい何があったの?」
「え?別に何もないけど。私は普段通りだよ」
と千里は言う。
 

それで結局千里は12:30頃から14:30くらいまで練習してから
 
「今日はこのくらいにしておこうかな」
と言った。
 
それで帰ることにする。掃除をしようとしたら千里が「私がやるよ」と言い、モップを持って走って床掃除をする。《びゃくちゃん》は腕を組んでそれを見ていた。午前中の千里は体力が無く、走ってモップ掛けができないようなので「早月ちゃんもいるし先に帰りなよ」と言って帰して《びゃくちゃん》が床掃除をしたのである。しかし今見ていると千里は走って床掃除をしていても、全く息が上がっていないようである。
 
(この走ってモップ掛けをするのはかなりの重労働なのである)
 
一緒に戸締まりをする。千里は「電車(*2)の駅まで送っていくよ」と言って、びゃくちゃんをアテンザで常総線の駅まで送っていき、それから帰って行った。
 
なおこの駅から東京に出るには、常総線で守谷に出てから、つくばエクスプレスに乗り、秋葉原(または南千住)でJRに乗り継げばよい。
 

(*2)常総線を走っている列車はディーゼル車(キハ2100型など)である。常総線は非電化である。しかし電車に慣れている人は、つい電車と言ってしまうことがある。
 

《びゃくちゃん》は何かおかしなことが起きている気がして、腕を組んだままそのアテンザが走り去っていくのを見ていた。
 
取り敢えず東京駅まで行くかと思い、券売機で守谷までの切符を買おうとしていたら、列車が到着するが、そこから降りてきた人物を見て仰天する。
 
「千里!?」
 
“千里”はこちらを見て笑顔で手を振りやってくる。
 
「待って。これどうなってんの?」
と《びゃくちゃん》は半ばパニックになって言う。
 
「どうかした?」
 
「私、午前中に千里とバスケの練習して帰ろうとしていたら、また千里が来て練習して、それが終わって今帰ろうとしていたらまた千里が来て・・・」
 
「びゃくちゃん、ちょっと私の練習相手務めてくれない?」
「うっそー!?」
 
「まあちょっと常総ラボまでウォーミングアップ代わりにジョギングしてからかな」
 
「ジョギングくらいはいいけど!?」
 

それで2人で体育館までジョギングし、中に入る。
 
「びゃくちゃん、疲れたろうし、休んでていいよ」
と言って、千里は軽くシュート練習を100本ほどやったが、外したのは5本だけだった。
 
「休憩〜」
などと言ってこちらに来てアクエリアスを飲む。
 
《びゃくちゃん》は腕(前足?)を組んでじっと千里を見ていた。
 
「さすがに疲れたのかな。少し外したね」
と《びゃくちゃん》は言った。
 
「ふーん。お昼過ぎに来た千里はどうだった?」
「200本撃って全部入れた。1本も外さなかった」
 
「凄いな。向こうはひたすらスリーばかり撃っているだろうし。私は必ずしも全てスリーではなくて、相手に的を絞らせないようにミドルシュートやランニングシュートも撃っているから」
 

《びゃくちゃん》は困惑するような顔で言った。
 
「まるで他人事みたいな言い方を・・・・あっ!」
 
「気付いた?」
 
「まさか午後から来たのは千里じゃないの?」
「千里だよ」
「・・・じゃ、今ここに居るのは?」
「千里だよ」
 
《びゃくちゃん》はしばらく考えた。
 
「まさか千里って2人居るの!?」
 
「3人だよ。午前中にも別の千里を見たでしょ?」
 
「え〜〜〜〜〜〜!?」
 
「2人は女の子だけど、1人は性転換した元男の娘」
などと千里は言っている。
 

「去年の春に落雷にあった時、4つに分裂してしまったんだよ」
「4つ!?」
 
「でもその内の1つ“0番”は肉体だけで魂が無かった。それで1番が合体して、新1番ができて、それ以来、私は3人に別れて行動している」
 
「うむむむ」
 
「それで昨年7月に一度死んで、眷属とのコネクションが切れてしまい、その後川島信次と結婚したのが1番だよ。一度死んでいるから第3世代の千里1というべきかな。この1番は死んだ時に霊的な能力をいったん失ってしまった。でも少しずつ回復してきたところで、また信次の死に遭遇して、ブレーカーが落ちた状態になっていた。でも緩菜の誕生でブレーカーは戻った」
 
「お昼過ぎに来たのは?」
「あの千里は3番。彼女は日本代表を務め、Wリーグのレッドインパルスの1軍選手として活動している」
 
「待って。千里ってレッドインパルスの2軍に落ちたんじゃなかったの??」
「だからそれは1番なんだな」
 
「じゃレッドインパルスに千里1番と千里3番が属している訳?」
 
「そういうこと。1番は背番号66“村山十里”の名前で昨年後半は2軍で活動した。でも3番は背番号33“村山千里”の名前で1軍選手で日本代表でもある」
 
「知らなかった!」
 
「レッドインパルスの首脳陣はふたりを二重人格と思っている。だからふたりが同時に姿を現さないように《きーちゃん》が頑張って調整している。3番の海外遠征中は1番は絶対に公の場に出さない」
 
「貴人はそんなことしてたのか」
 

《びゃくちゃん》はハッとしたようにして言った。
 
「じゃ、今ここにいる千里は?」
「私は千里2番。さすがに3人も日本国内にいると、とても調整がつかないから、私はほとんどの時間を海外で過ごしている」
 
「そうだったんだ!」
 
「だいたい春から夏にかけてはアメリカでWBCBLのスワローズというチームに所属してヴィクトリア(Victoria)という名前で活動している」
 
と言って選手証を見せる。
 
「金髪だ!」
「ついでにセミロング。その写真では私とすぐには気付かないでしょ?」
「うん。千里って、その長い髪でみんなに認識されているもん」
 
「そして秋から春にかけてはフランスのLFBのマルセイユというチームに所属してキュー(Queue)という名前で活動している」
 
この日は試合が20:00から組まれていたのだが、フランス時間の20:00は日本の10/18 AM 3:00 に相当する。千里2が常総に現れたのは10/17 15:00-18:00で、フランスでは(10/17)朝の8:00-11:00である。
 
「ずっと海外で活動しているのか。それかなり鍛えられるでしょ?」
 
「マッチングに強くなったし、中に進入していくのを覚えた。海外のチームではスリーだけでは勝てないんだよ。フィジカルも強くないとね。だから筋力では3番に負けない自信がある」
 

《びゃくちゃん》は考えていた。
 
「今日はわざと3人を見せたのね。3人は各々自分が3人いることを認識しているの?お互いの記憶とかを共有している?」
 
「私たちは完全に別人の状態。お互いの様子とかも伺えない。そして3人に分裂していることを知っているのは私だけ。ひょっとしたら3番は薄々感じているかも知れない気はする。霊的な能力の低い1番は全く気付いていないと思う。今日びゃくちゃんに3人の千里が見られるようにしたのは、きーちゃんの演出」
 
(実際には《きーちゃん》と《すーちゃん》の共同作業だが《すーちゃん》の行動を千里2はあまり把握していない)
 
「だけどなぜ今になってそのことを私に打ち明けたの?」
 
「実は協力して欲しいことがある。それが今日の本題」
 

それで千里(千里2)は和実が子供を妊娠しており、物理的には腹膜妊娠の状態にあること、それを出産まで何とか辿り着かせたいので、彼女の身体のメンテをずっとして欲しいと頼んだ。
 
「なぜ男の娘が妊娠する?」
 
「希望美ちゃんも、あれは和実から採取した卵子に淳の精子を掛け合わせたからね。だから和実には卵子があるんだよ」
 
「あの子、半陰陽?」
 
「ハイティング陰陽だと本人は言っている」
 
「ハイティング代数的なのか!」
 
理系に強い《びゃくちゃん》はそれだけで現在の和実の状態を理解したようである。
 
「だったらこれは大変な作業だ」
 
「びゃくちゃん1人では厳しいと思う。誰かあと1人か2人巻き込んでいいからやって欲しい。京平と緩菜は他の子に面倒みさせよう」
 

「だったら私と大陰(いんちゃん)の2人でやりたい。妊娠は大陰の担当だよ。今そのふたりで京平のお世話とか、緩菜の授乳の仲介をしているんだけど、京平と緩菜のお世話は・・・京平が玄武(げんちゃん)に懐いているから彼中心で、緩菜は女の子だから天后(てんちゃん)あたりに。でも交代要員が必要だから六合(りくちゃん)にも入ってもらえないかな?六合は男だけど、勾陳(こうちゃん)みたいに女に飢えてないから、女の子のお世話させてもいいと思う。搾乳だけは天后にやらせるということで」
 
「まあ男に搾乳させる訳にはいかないよね」
 
「うん。最悪どうにもならない時は六合でもいいけどね。若い玄武にはさせられないけど、枯れている六合ならまだマシ」
と《びゃくちゃん》は言う。
 
「こうちゃんって、りくちゃんと同じくらいの年齢のはずなのに、性欲が全然違うみたいね」
 
「勾陳は5〜6回去勢した方がいいと思う」
などと《びゃくちゃん》は言っている。
 
「じゃ、各々への連絡はびゃくちゃんからしてくれない?私は、きーちゃん・こうちゃん以外との通信キーが無いんだよ」
 
「分かった。じゃ私とは通信キーを交換しておこうよ」
「お願い」
 
それで手を握り合って通信キーを交換し、千里2は《びゃくちゃん》とも直接心の声で話せるようになったのである。
 

「和実は取り敢えず外出禁止にしている。監視役としてお母さんがしばらく同居する。5ヶ月目に入る12月18日から入院させて、厳重監視。トイレにも行かせない」
 
「トイレもダメ?」
「歩くのも危険なんだよ。だからおしっこは導尿して、大はベッドそばに置いたポータブルで」
「大変だ」
 
「和実も赤ちゃんを守るためなら何でも我慢すると言っている」
「それが必要だろうね」
 
「青葉もたぶん眷属を交代で付けておくと思う。だからこちらもびゃくちゃんといんちゃんで見ていてくれるなら、万が一にも誰も見ていない瞬間は発生しないと思う」
 
「まあ24時間監視が必要だろうね」
 
「私も青葉も週に1度は病院に行く」
「大変だ!」
 

「お店の方はどうするの?淳さんもまだ体調回復してないんでしょ?」
 
「チーフのマキコちゃんという子がしっかりしているから、ほぼその子が仕切ってくれる。それに和実のお友達の照葉ちゃんとか、伊藤君とかが頻繁に顔を出すようにするらしい。梓ちゃんも学校の先生だから平日は出られないけど、休みの日には盛岡から新幹線で仙台まで来ると言っている。彼女の交通費は私が出すことにした」
 
(照葉が店長代行を名乗ったので、梓は社長代行を名乗った。伊藤君はすっかり“代行”のつかない“会長”と呼ばれていた)
 
「あの子、けっこう高校時代の友人が多いね」
「大学時代は授業時間以外はずっとメイド喫茶に勤めていたから友人ができなかったんだよ」
「なるほどね〜」
「だからメイド仲間は多い」
「ああ」
 
「メイド仲間といえば若葉だけど、若葉自身この11日に赤ちゃん産んだんだよ」
「わっ」
「だから本人は今動けないけど、彼氏の紺野君が時々顔を出すと言っている」
「ふーん」
「彼は和実の元思い人でもあるんだけどね」
「へー!」
 

それで《びゃくちゃん》はこの日は仙台まで新幹線で移動してから和実の様子を見た上で監視体制に入ってくれた。その上で次のような手筈をした。
 
(1)《てんちゃん》に連絡して大阪に行ってもらう。
(2)大阪に居た《いんちゃん》が仙台に来る。
(3)《びゃくちゃん》が東京に戻って千里1の搾乳をして大阪へ。
 
以降、《びゃくちゃん》と《いんちゃん》が交替で和実をずっと見守ることにする。青葉も眷属の紅娘・小紫・笹竹の3人を交替で派遣して監視していたので、《びゃくちゃん》が紅娘と交渉し、お互いのことはお互いの主には言わないという“淑女協定”のもとで、双方の眷属が交替で休憩を取りながら和実の体調・ホルモン状態の監視を続けることにした。
 
眷属といえども休まずにずっと活動を続けることはできないし、長時間起きていると、さすがにパワーダウンするし注意力も落ちる。
 

また《びゃくちゃん》は《りくちゃん》と《げんちゃん》に連絡し、女性眷属だけでは手が回らないので、ふたりにも京平・緩菜のお世話を少し分担して欲しいと頼んだ。《りくちゃん》は最近多くの眷属が千里から離れて独立行動している現状に不安を訴えたが《びゃくちゃん》は言った。
 
「千里はかなり霊的な能力も体力も回復してきている。騰蛇さん(とうちゃん)と大裳(たいちゃん)が付いていれば何とかなると思う。万一の場合は天空さん(くうちゃん)が私たちを召喚するだろうし」
 
「確かに一時期に比べればかなり回復してきているもんなあ」
「千里が私たちのことを思い出すのはもう時間の問題だと思うよ」
 
「そうかも知れんよな。だったら緩菜の面倒を見てやるよ。どうもあの子には勾陳が色々“おいた”をしているようで気になっていた」
 
それで《げんちゃん》が主として京平、《りくちゃん》が主として緩菜の世話をすることにした。《げんちゃん》は最近《せいちゃん》と一緒に北海道にいることが多いようだったが、飛行機で!大阪と北海道を行き来することにした。
 

さて、青葉の方は10月16日の会議の後、17日朝から新幹線で仙台に向かい和実に会って、眷属の紅娘を取り敢えず置いて来た。適宜、笹竹や小紫と交替させることにする。
 
雪娘や海坊主のようなパワフルな眷属を動かすにはかなり自分自身の体力を削がれるのだが、紅娘・笹竹・小紫あたりは比較的小さなパワーで動かすことができるので長期間監視向けなのである。
 
なお、交替は新幹線での移動とするが、彼女らはふつうの人間の目には見えないので、実は無賃乗車である!
 
これに対して千里の眷属たちは独立行動している時は、その姿を見せることも隠すこともできる。しかし隠していても霊感の強い人には結構見えるので、新幹線や飛行機に乗せる時はふつうに運賃を払っている。
 

なお、和実は5ヶ月目に入る12月18日から入院させようと最初は話していたのだが、自宅に居た場合、淳はまだ療養中だし、胡桃はそうそう休んでもいられないし、お母さんでは何かあった時対処できないということで結局、即刻入院させることになった。本人は嫌がったが、胡桃から「あんたのためにどれだけの人数が動いていると思っているの?」と叱られて、入院を受け入れた。
 
和実のホルモンその他の状態は、千里(千里2)と青葉の眷属が交替で24時間チェックするのだが、操作が必要と思われた場合、双方の操作がぶつからないように、タッチセンサー式の“信号機”をベッド傍に用意することにした。
 
信号機は通常は黄色の状態にしておく。そして青葉が操作する場合は信号機を青に変更してから操作する。操作が終わったら黄色に戻す。千里が操作する場合は赤に変更してから操作する。操作が終わったら黄色に戻す。これで両者の操作がぶつからないようにするのである。
 
押しボタン式だと大変だが、タッチセンサー式ならリモートで変更するのはわりと易しい。
 
なお信号の切り替えを見落とした場合に備えて、一度青になった後3分間は赤にできず(再度青にはできる)、一度赤になった後3分間は青にできないようにプログラムしておく。また操作した履歴は自動的に記録されるようにしておく。このあたりは青葉がプログラムを組んだ。
 
「これフェイの時に使いたかったね」
と千里は言ったが、
「いや信号が勝手に変わるのを一般の人にあまり見られたくない」
と青葉は言った。
 
「確かにそうだね。特に芸能界関係の人に見られるとやばいね」
 

10月23日(火).
 
大阪のЭЭテレビからお手紙が来ていて、青葉は不合格ということであった。
 
まあ仕方ないかな。やはりお笑いセンスが足りなかったかな?と思って気持ちを切り替えることにした。残りで進行中なのは名古屋だけだが、その後、福岡・仙台・札幌・金沢・高松など主要地方都市のテレビ局の募集が始まるのではと考えている。これらの局の募集情報が出ていないかは毎日チェックしている。
 
ただ青葉としては、福岡・仙台・札幌・高松などは受けないか、途中で辞退するかもと思っていた。本命は金沢か富山の局である。
 
東京は現状しばしば仕事で往復しているので東京に住むと移動の手間が不要になるし、彪志と一緒に暮らせるという気持ちがあった。大阪は千里姉がしばしば大阪に来ているようなので心強いというのがある。千里姉はいづれは貴司さんを取り戻して結婚するつもりなのだろう。名古屋は母の住む富山、千里姉がいづれ定住するかも知れない大阪、仕事もあるし彪志のいる東京のいづれにでもすぐ行けるというメリットがある。
 
そういう訳で青葉は名古屋でもし落ちた場合は、金沢と富山に絞るつもりである。
 

2018年10月25日(木).
 
青葉は朝の新幹線で東京に出て行った。
 
富山6:18-8:32東京
 
明日から始まる「世界選手権(25m)代表選考会」に参加するためである。
 
東京駅構内で軽い朝食を取ってラッシュをやり過ごす。そして深川アリーナに行って午前中たっぷり泳いだ。ちなみに青葉はここを度々利用するので、“年間パス”を発行してもらった(実際にはそんなの無くても顔パスで利用できる)。料金は千里が「30億円」と言っていたので3万円JER4の口座に振り込んだら、40 minutesの浩子さんからパスが送られてきた。JER4は実際にはペーパーカンパニーに近いので、その実務は40 minutesの浩子さんとRocutesの晴海さんが共同でしているようである。
 
お昼前に上がって体育館内の牛丼屋さんで牛丼を2杯食べてから信濃町に移動する。
 

「おはようございまーす」
と言って入っていくと、コスモス社長、川崎ゆりこ副社長、山村マネージャー、桜木ワルツなどがいる。
 
(青葉は山村が千里の眷属であることに全く気付いていない)
 
「おはようございまーす」
とみんなから挨拶が返ってくる。
 
「頼まれた楽曲データと仮音源ができたので持って来ました」
と言って譜面とUSBメモリーを渡す。
 
「ありがとうございます!ほんとにお忙しいところ申し訳ありません」
とコスモスが笑顔で言う。
 
まずはアクアの次のシングルの曲を試聴するが、コスモスもその時事務所に居た、川崎ゆりこ、桜木ワルツも
 
「かっこいい!」
と言ってくれた。
 
「だいたい私とケイさんが交互に書いていたのに、これで私が3回連続になってしまうんですけどね」
 
「ケイ先生は今年の春から夏にかけての大車輪のご活躍で今はさすがにお疲れでしょう。やむを得ませんよ」
 
11番目のシングルで昨年『少年探偵団』の曲『夕暮れ時間』は、マリ&ケイで書いたものであったが、今年は3月の『お江戸ツツジ』、7月の『回れ回れ』がいづれも青葉の作品で今回また青葉が書いたことで、アクアのシングルは3回連続青葉の作品がタイトル曲となった。いづれもカップリング曲は琴沢幸穂(千里3)が書いている。
 
世間ではケイ名義の曲がどんどん発表され続けてはいるものの、実際にはその半分は“夢紗蒼依”(丸山アイが中心になって進めているAIによる作曲)、半分は“松本花子”(千里3と青葉が中心になって進めている自動作曲)が生み出したものである。ケイ本人は現在マリと和泉から“作曲を禁止”されている。
 
しかしこの2つのシステムが動き出すまでの数ヶ月は、日本の歌謡界はほぼケイの信じがたいペースの作曲に支えられていたのである。
 

青葉は結局アクアの制作に関して2時間ほど、コスモス・ゆりこ・ワルツ・山村の4人と意見を交わした。豪華なお弁当が出てきたので遠慮無く頂いた。
 
「大宮先生、この後、どちらにおいでですか?」
と打ち合わせが終わってから川崎ゆりこが訊く。
 
「今回は実は水泳大会に参加するのに出てきたのですが、今日は午前中プールで泳いできたので、この後は大宮の“自宅”に戻ります」
 
「でしたら私がお送りしましょう」
と桜木ワルツが言った。彼女には遠慮する必要もないのでお願いする。
 
それでコスモスたちに
「じゃ今週末は私は立ち会えませんけど、よろしく」
 
と言ってから§§ミュージックを出て、ワルツと一緒に、近所に契約している駐車場まで行く。それで白い・・・スカイライン??という感じの日産車のところに行くのだが
 

「あれ?あれ?」
などとワルツが言っている。
 
「どうしました?」
と青葉が尋ねる。
 
「すみませーん。この車じゃなかったみたい」
 
「ああ。似ている車があると結構間違いますよね」
 
見るとそこに似たような白い日産車が数台並んで駐まっているのである。
 
「ちょっと待って下さいね」
と言ってワルツは眼鏡を取り出して鍵に付いたタグをよくよく見ている。
 
「こちらかな?」
と言って寄っていった車はカチッと音がしてドアがアンロックされた。
 
「すみませーん。リモコンでアンロックするのは危険ということになって全部物理的にキーを差し込まないといけないようにしているんですよ」
 
「それはセキュリティ考えたらその方がいいかも知れないです」
 

それでワルツが運転席に乗った白い別のスカイライン???の助手席に青葉は乗った。
 
ワルツが青葉から“自宅”の位置を聞き、カーナビに入れる。
 
「この記録は大宮先生を送り届けたらすぐ消しますので」
「はいはい」
 
それでワルツは車を出した。
 
青葉は尋ねた。
 
「この車、日産車にしては重たい感じですね」
「ああ、これはBMW 225xeですから」
「え?でも日産のエンブレムが付いていた気が」
「エンブレムは偽装してあるんですよ」
「偽装?」
「いや、コスモス社長の悪のりなんですけど」
と言って、桜木ワルツは笑いながら経緯を説明してくれた。
 

先月アクアを乗せた送迎車が事故を起こしたが、その時乗っていた車はいつもの“白いアクア”ではなく、偶然にもベンツSクラスだった。白いアクアが修理中だったので、紅川会長所有のベンツをたまたま借りていたのである。
 
事故そのものは車の直前に悪ふざけをしていた女優さんが飛び出してきたものであり、こちらは全く悪くなかったし、国内A級ライセンスを持っている高村マネージャーが超テクで、自分だけが怪我すれば済むように車を操作し、彼女以外誰も怪我しなかった。(高村本人も小指を骨折した以外は軽傷)
 
「あれ話聞いてびっくりしました。高村さん凄いですね」
「全くですよ。私なんかが運転していたら、絶対女優さんを轢いてしまってますよ」
 
この時、誰も怪我しなかったのは“ベンツだったから”ではないかという意見が出た。普段のトヨタ・アクアならボディが弱すぎてアクア本人まで怪我していた可能性、高村がもっと酷い怪我をしていた可能性があった。
 
それでアクアの送迎は翌日から! Volvo V40 PHV (Color:White) という車に交換された。ボルボ社の車は何と言っても丈夫さに定評がある。但し本来V40にはPHVの設定が無いのだが、山村マネージャーの知人が所有していた改造車(ちゃんと認可取得済み)を800万円で譲ってもらったらしい。
 

この車の選択になったのはボルボは使いたいが、大きな車に乗っていると、「売れていると思っていい気になって大きな車に乗っている」とか言われかねないので(アクアは人気があるだけにやっかみを受けやすい)、コンパクトな車を使いたいこと。しかしガソリン車では環境負荷がある。アクアはやはりエコカーに乗っているというイメージを保ちたい。それで国産小型車と大差無い大きさのV40のPHV(プラグイン・ハイブリッド車:コンセントから充電可能なハイブリッド車−実際にはほぼ電気自動車的に使える)という選択になった。
 
800万円払ったのは、その知人が再度V40 PHVを制作できるだけの素材費!である。「性転換並みの改造だから」という話である。
 
アクアの送迎車を交換した後、アクアの代役を務める西湖の送迎車もやはりしっかりした車にしようということになり、今までの水色のミラココアから Audi A3 ETRON (Color:White)に変更された。これもPHVである。定価は560万円だが、実際には(すぐ入手するため)中古を買っているので400万円で入手している。
 
ところがその話を聞いて桜野みちるも「欧州車のPHVいいね」と言って自分でVolkswagen e-Golf PHV (Color:White) を買った(定価500万円だが実際には300万円の中古)が、この3つが全て偶然にも白いボディカラーだった。
 
それでコスモスが悪のりして事務所の車は全部白のPHVにしちゃおうかと言い、BMW 225xe iPower:PHV (Color:White) を6台買った。定価は1台500万円だがやはりすぐ取得できるように中古を買っているので、総取得額は2000万円程度だ。
 
但しその内の2台はコスモス社長とゆりこ副社長が個人で買ったもので、会社で買ったのは4台である(処理的には会社で6台買ってからコスモスとゆりこがその分のお金を出した:本当はゆりこの分もコスモスが出しているので、ゆりこの車もオーナーはコスモス)。
 
かくして会社の契約駐車場に《白い欧州車のPHV》が9台も並ぶこととなった。実はこれまでアクアの送迎に使用していた“白いアクア”も使い続けるのでHVが10台並んでいる。そしてこれらがみな似たようなサイズなので、間違う人が続出し「あれ?鍵が入らない」というトラブルが頻発した。(桜野みちるの車以外の9台は全てリモコンを殺していて鍵を直接入れないと開かない)
 
なおこれまで使っていた車の大半は∞∞プロ系列で、あまりお金の無い事務所に安価で譲っている。“白いアクア”はナンバープレートを変更した上で会社で保有し続け、実は§§ミュージック主任マネージャーになった沢村朋代の事実上の専用車にしている。ミラココアは現在サマーガールズ出版に出向してローズ+リリーのマネージャーをしている鱒渕水帆が使用することにした。(但し緊急の場合を除いてマリ・ケイをそのココアには乗せてはいけないと町添専務から厳命された)
 

「それでコスモス社長が、だったらいっそもっと間違うようにしようと言って、エンブレムを統一することにしたんです。桜野みちるさんの個人車以外」
 
「なぜ間違うようにするんですか!?」
と言ってから、青葉はすぐ気付いた。
 
「目くらましですか!」
 
「そうなんですよ。放送局に駐まっている車のどれがアクアの乗る車か分からないようにしようと。そういう訳で、中身はボルボやアウディやベーエムヴェーだけどエンブレムは日産ということにしたんです」
 
「なぜ日産を使ったんですか?」
「外車のエンブレム付けてるだけで目立つからということで」
 
「なるほどぉ!白い日産車なら大量にありそうです」
「それで日産にしたんですよ。実は最初ひとりのスタッフがボルボのエンブレムを日産と見間違ったのが発端なんですけどね」
「ああ、確かに遠目には似てるかも」
 

青葉は大宮のアパート近くのスーパーで降ろしてもらうことにした。よくお礼を言って降り、買物をしてからアパートに入る。そして買ってきたものを冷蔵庫に入れると・・・
 
仮眠した!
 
夕方近くになって目を覚まし、おでんを作った。タイマーで煮込んで、また仮眠していたら20時頃、彪志は帰ってくる。
 
キスして
 
「お疲れ様」
「そちらこそお疲れ様」
 
と言葉を交わす。それでふたりで一緒に夕食を取り、ぐっすり?眠った。
 
 
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【春芽】(2)