【春行】(下)

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「でもうちのお姉ちゃんの話では、バスケットの世界では190cm台の女子選手は割といるらしい」
 
と青葉は言ってみる。
 
「おお、やはり居るのか!」
「凄いなあ」
 
「中国とかマレーシアとか、あと最近日本にけっこう留学生が来ているセネガルとか長身の女性がいるんだよ」
 
「へー、セネガルね〜」
「アフリカも結構いろんな民族いるもんね」
「スラブ系にもいそうだよね」
 
「じゃ、ルードヴィヒ2世は実は大柄な女だったという物語もありかも」
「よし、それで小説書いてみない?」
 
と美由紀と純美礼は結構盛り上がっているようである
 

4階の居間の隣には、洞窟がある!
 
「これって男の子の発想という気がする」
「日常の中に冒険が欲しいんだ」
「やはりルードヴィヒ2世は男だったのかなあ」
 
「ルードヴィヒ2世って奥さんいなかったの?」
「男の子が好きだったらしいですよ。女性には全く関心が無かったそうです」
とガイドさんが言う。
 
「おぉ!」
と美由紀と純美礼は感激しているようだ。
 
「彼が全然女性に興味を示さないので、心配した親戚のオーストリア皇后・エリザベートが自分の妹のゾフィー(Sophie Charlotte Auguste von Wittelsbach) を彼の妻にと勧めたんだけど、結婚式の日程は決められたものの、ルードヴィヒは何度もその結婚式を延期して、ついにはエリザベート皇后も怒って彼と絶縁したそうです」
 
とガイドさんは説明する。
 
「やはり、実は女だったから」
「それで女性と結婚したらそれがバレるから結婚できなかったんだよ」
 
とどうもふたりの頭の中では既に「ルードヴィヒ2世は女」という設定が固まってしまっているようである。
 
「でもゾフィーってウルトラマンのお兄さんみたい」
と美由紀。
 
「いや、ゾフィーって名前は英語にしたらソフィアだから間違いなく女性名。ヴァイオリニストのアンネ=ゾフィ・ムター (Anne-Sophie Mutter)なんているし、リヒャルト・シュトラウスの『バラの騎士』のヒロインの名前もゾフィーだよ」
と日香理。
 
「もしかしてウルトラマンのお兄さんは女だった?」
と美由紀。
「あちらのゾフィーの語源もフィロソフィーという説があるから、もしそれなら女性名のソフィアと同語源ということになるけどね。でも向こうは公式な綴りは SじゃなくてZということになってる。Zoffy」
と日香理。
 
「でもそのあたりの話、あまり言ってるとウルトラマン・フリークの人たちにお叱りをうけるからやめとこう」
と純美礼。
 
「うん。そうしよう」
と美由紀。
 
「私たちのルードヴィヒちゃんの方に設定を集中しよう」
「うん。やはり可愛い女の子だよね。背は高いけど」
「でも実は女らしいことが苦手で剣が得意で」
「あ、その方向性がいいよね」
 
とふたりは既にキャラクターの設定固めに入っているようだ。
 

お部屋をひととおり見学したあと、城内のカフェでケーキと紅茶を頼み、テラスで素敵な景色を見ながら頂いた。
 
「なんかこの景色だけ丸一日眺めていてもいい気がする」
「ルードヴィヒ2世はここから湖の白鳥を眺めて過ごしていたらしいよ」
「そういう夢の世界だけじゃなくて、もう少し現実の世界にも目を向けていたら、彼は暗殺されずに済んだのかも知れないね」
 
「やはり王様って国民に対して責任があるからね」
「いっそ退位してから道楽していたら良かったんだろうけどね」
 
「でもルードヴィヒ2世がこの城を建てるのに使ったお金の返済で子孫は結構苦労したらしいよ」
「今となっては先行投資だけどね」
 

その日はフュッセンからミュンヘンに戻って宿泊した。しかしこの日がこのドイツ旅行でのエポックという感じであった。
 
翌日13日(金)。
 
13日の金曜日というだけで美由紀と純美礼は楽しそうであった。
 
この日は空路での移動になる。
 
ミュンヘン・フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港を朝7:50の便に乗り、9:00にジュネーブ・コアントラン国際空港に到着する。
 
飛行機で国境を越えるので、またまた性別のことを説明しないといけないかと青葉は覚悟していたのだが、ヨーロッパ内の各国間の移動はパスポートチェックが無いようであった(正確にはシェンゲン協定加盟国間)。おかげで何のストレスも無しにスイスに入ることができた。
 
それで安心していたら、ジュネーブで最初に行った、国連事務局でまたまたパスポートのチェックがあり、またまた青葉は医師の性転換証明書を見せて説明することになる。ここの係員はその説明だけで納得して通してくれた。 
「青葉、ほんとに大変ね!」
と美由紀が本気で同情して言った。
 
「まあ帰りの飛行でも説明しないといけないけど」
「青葉、いっそ男に性転換したら? そしたらパスポートの性別と同じになるよ」
 
「それだけは絶対嫌!」
 

国連本部はニューヨークにあり、今回の研修旅行でアメリカに行ったグループが訪れているはずだが、ここジュネーブにも多数の機関が集まっている。WHO, ILO, ITU などの本部はここに置かれている。元々は国際連合(United Nations)の前身ともいうべき国際連盟(League of Nations)の本部があった場所である。 
「なんかギリシャにでもありそうな建物ね」
と美由紀は言っていた。
 
パレ・デ・ナシオン(Palais des Nations)と呼ばれる建物で、前面に大きな柱が並んでいるのが特徴である。
 
見学コースは1時間ほどで10時半スタートの組であった。
 
実はブリュッセルのEU本部もジュネーブの国連事務局も見学できるのは平日のみで、ブリュッセルの方は月曜の午前中がお休みであったことから、火曜日にブリュッセルに入り、金曜日にジュネーブに入るというスケジュールが組まれたのであった(ジュネーブ国連事務局は夏の間は土曜日も見学可能)。
 
ここは34個もの会議室を持っており、たいていどこかで国際会議が開かれているという。
 
ミケル・バルセロの有名な絵が天井に描かれているのは国際連合人権理事会(United Nations Human Rights Council)の会議場である。美由紀に言わせれば 
「間違って絵の具の缶を蹴ってしまったのでは?」
 
ということであるが、様々な色の絵の具がまるで無秩序に塗られている。そのひとつひとつが、ひとりひとりの人間の生き方を表し、様々な生き方を許容しようということなのだそうである。
 
庭には「足の折れた椅子」のモニュメントがある。地雷で足を無くした人を象徴的に表現したもので、地雷やクラスター爆弾などに反対する意志を示すものである。
 

12時頃に終了してお昼を食べる。レマン湖のそばにあるレストランで昼食を取った。ここで2時間の自由時間となり、グループ単位の行動で、集合は15時ということになったのだが、実際には音頭先生と鳥越先生は定期的に各グループの代表に電話を入れて所在を確認していたようである。
 
青葉たちは美由紀や純美礼が「外は寒いし」などと言うので、4人でカフェに陣取り、ひたすらおしゃべりをしていた。この湖畔名物の140mの大噴水が吹き上がるのも見て「すごいね〜」などと言っていた。
 
13時半頃、
 
「フロイライン・カワカミ!」
という声がする。
 
「フラウ・ボーデシャッツ!」
と青葉も笑顔で声をあげる。
 
それはフランクフルトで出会った魔女グループの主宰者、ルツィア・ボーデンシャッツさんであった。今日はひとりである。
 
「観光ですか?」
「ちょっとお友達に誘われたからドライブがてらお昼を食べにきただけ。さっき別れて今夜はローザンヌにでも移動しようかと思っていた所」
 
この人もなかなか行動力のある人のようである。
 
「どんな車に乗っておられるんですか?」
「BMW X1」
「コンパクトSUVですね?」
と日香理が言う。
 
「そうそう。xDrive25d 2.0L Dieselmotor Twin Turbo」
とボーデンシャッツさんは説明するが、このメンツではそのあたりの細かい話が分からない。
 

それでまた彼女と昨日見て来たノイシュヴァンシュタイン城のことなどを含めていろいろ話していた時、焦ったような顔をしてこちらに音頭先生がやってくる。 
「コンニチワ、オンドさん」
とボーデンシャッツさんが日本語で声を掛ける。
 
「あ、えっと・・・グートゥンターク、フラウ・ボーデンシャッツ」
と音頭先生もドイツ語で返事をする。
 
どちらもちゃんと名前を覚えているのが凄い、と青葉は双方に感心した。 
「川上さんたち、1年生の花山さんたちのグループ、見かけなかったよね?」
 
「花山さんたちですか?」
と言って、青葉たちはお互い顔を見合わせる。
 
「見てないです」
「困ったな。13:00の定期連絡の時は道路沿いのカフェに並んでますという話だったんだけど、13:30の定期連絡が無いからこちらから掛けるんだけど電話がつながらないのよ」
 
「電波の届かない所にでもいるんでしょうか?」
 
ボーデンシャッツさんが「何かあったのか?」と尋ねるので青葉が、一緒に来ている子たちのグループ3人と連絡が取れないと説明する。
 
「今日はこの付近で泊まり?」
「いえ。パリに出るつもりでいます」
「それは困ったわね」
 
するとボーデンシャッツさんがおもむろに水晶玉をバッグから取り出した。 
「その人の持ち物が何かありませんか?」
「誰か持ってる?」
「うーん・・・」
 
と言っていた時、青葉はふと美由紀の携帯のストラップに気づいた。
 
「美由紀、そのストラップ使えないかな?」
「そうだ。これ月影ちゃんが作ってくれたんだった」
 
それで美由紀がストラップを取り外してボーデンシャッツさんに渡す。ボーデンシャッツさんはそれを水晶玉の向こう側に置き、目をつぶった。 
「こちらの方角。15kmくらい離れている」
「少しずつ離れて行っていると思う。バスか電車に乗ってる」
 
青葉が地図をスマホに表示させて確認すると、その方角でその距離なら、どうもレマン湖西岸の道路上に居るようである。音頭先生は戸惑ったような表情だ。 
「あの子たち、バスに乗り間違ったのでは?」
と日香理。
「そういえば、あの子たちサン・ピエール大聖堂に興味持ってたようだった」
と純美礼が言う。
 
「方角が全然違うじゃん」
と音頭先生。
 
「そもそもサン・ピエール大聖堂に行くのにこの付近からバスに乗る必要は無い。歩いて10分で着く」
と青葉。
 
「言葉が分からないままに片言の英語で尋ねて、おかしな方角に行ってしまったのでは?」
と日香理。
 
そんなことを言っていた時、音頭先生の携帯に電話が掛かってくる。
 
「すみません。花山です。実は3人とも携帯のバッテリーが切れてしまって」
「あらあら」
「親切な人がバッテリーボックスを貸してくださったんです。それで私のUSB充電ケーブルをつないで、やっと電話できました」
 
「あなたたちどこに居るの?」
「それがよく分からなくて」
「え〜?」
「バスの中なんですけど、どうも私たちが行きたかった所とは方角が違うみたい。一応進行方向右手にレマン湖がずっと見えているんですが」
 
「すぐ降りて!」
「それが全然停車しないんです。運転手さんに私の英語、通じないみたいだし」
 
青葉は通話の内容を通訳していたのだが、それを聞いたボーデンシャッツさんが「私にその電話貸して。そして運転手に向こうの電話を渡して」
 
と言う。それでボーデンシャッツさんがむこうの運転手さんと交渉してくれたら「降ろしてくれるそうですよ」ということ。
 
「良かった!」
 
会話をそばで聞いていたら、どうもおばちゃんパワーで押し切って、向こうの運転手さんが、めげてしまったようだ。魔女術とも霊感とも関係無い! 
そしてすぐに
「今、道端に降ろしてもらいました。でもどこなのか全然分かりません」
と情けないような花山さんの声。
 
「私の車で迎えに行こう」
とボーデンシャッツさん。
 
「今彼女たちはどの辺だと思う?」
と音頭先生が訊く。
 
「たぶんこのあたりです」
 
音頭先生は考えている。
 
「今から迎えに行って、ここに戻って来てからでは、ジュネーブ空港に間に合わない」
と先生は言う。
 
「だったら、彼女たちを拾ってから、そのまま空港に行きましょう」
とボーデンシャッツさん。
 
花山さんたちのいる方角と、ここから空港への方角は似たような方向なのだが彼女たちは推測で空港より12-13kmほど向こうに居る。
 
「いいんですか?」
「じゃ私が同行します」
と青葉は言った。
 

ボーデンシャッツさんの運転するBMWのSUVに乗り、青葉は自分の超感覚的知覚を最大限にして花山さんたちの波動を探索する。
 
うーん。パワーが足りない。しかし運転しているボーデンシャッツさんにいちいち探索までしてもらう訳にはいかない。自分が何とかしなければ。ここにちー姉がいたらなあ。ちー姉はこういう「人探し」が物凄くうまい。
 
と思った時、青葉は成田を発つ時に、千里がくれたシトリンの勾玉の御守りのことを思い出した。
 
そうか。ちー姉はこのためにこの御守りをくれたのか。
 
それで青葉がその勾玉を握ると、青葉の超感覚的知覚がいきなり物凄いパワーになる。
 
「わっ」
と思わず青葉は声を出してしまったが、運転しているボーデンシャッツさんまで「オー!」と驚く。
 
「何したの?」
「いえ。姉からもらった御守りをちょっと使ってみただけで」
「あなたのお姉さんって何者?」
「私も実はよく分からないんです」
「人間じゃなくて神様ってことは?」
「時々そんなこと思うこともあります」
 
しかしこの千里の「パワー入り」御守りのおかげで、青葉はしっかりと花山さんたちの位置をフォローすることができて、ほとんど道に迷わずに彼女たちの所に到達できた。
 
「乗って乗って」
と言って彼女たちをBMW X1の後部座席に乗せる。
 
「行くよ」
と言ってボーデンシャッツさんは車をジュネーブ空港に向けた。
 

空港の玄関のところで降ろしてもらう。連絡していたので音頭先生が駆け寄ってくる。ボーデンシャッツさんによくよく御礼を言ったら
 
「川上さん、もし良かったら、その勾玉を頂けない?」
と言う。
「はい。こんなものでよければどうぞ! ブラジル産のシトリンだそうです」
「産地よりこのパワーが凄い」
「私もびっくりしました」
 
「これがあったら、性転換とかでも簡単にできそう」
「性器は手術が必要にしても体質は変えられそうですね」
「今度また戦争した時に、エッフェル塔か自由の女神くらい崩せそうだし」
 
「できたらあまり危険なことには使わないでください」
 
それで彼女と握手して別れた。
 

無事全員そろったので17時のパリ・シャルル・ド・ゴール(Paris-Charles-de-Gaulle)空港行きに乗った。約1時間のフライトでパリに到着する。
 
今日はドイツ・ミュンヘンから、スイス・ジュネーブ、フランス・パリと1日で凄い移動である。ただし3国とも時刻帯は全て中央ヨーロッパ時刻で日本との時差は8時間になっている。
 
「距離的にはミュンヘンからジュネーブは460km, ジュネーブからパリは400km, 日本で言ったら福岡から大阪まで飛んで(480km), その後東京まで飛んだ(400km)ようなもの」
と日香理は言う。
 
「そういう狭いところにたくさん国がある訳か」
「面積的にはインドより少し広いくらい」
「ほほぉ」
「EUができたことで、全部同じ通貨で行けるし、国境を越えるのにいちいちパスポート見せなくてもいい」
「EUができる前があまりにも不効率なことしてたんだな」
 
この日はホテルにチェックインしてから1時間ほど休憩した後、パリ市街に出てビストロで遅めのディナーを食べた。1人前30ユーロ(4000円)ということであった。パリで高級レストランに入るとこの10倍くらい取ることも多いらしい。 
この日のディナーは割とリーズナブルな価格であったにも関わらずとても美味しかった。見学に関してはロマンティック街道がエポックだったが、料理に関しては今夜の料理が最高であった。
 
店はこじんまりとしていて、雰囲気も良かった。またパンが食べ放題ということで男子たちがたくさんお代わりしていた。美由紀も2度おかわりしていた。 

2月14日(土)。
 
「あ、そうか。今日はバレンタインだ」
と美由紀が思い出したように言う。
 
「青葉は彼氏にバレンタインあげなくていいの?」
「日本を出る前に送っておいたよ」
「成田にお見送りには来てなかったね」
「さすがに研修旅行に行くのにボーイフレンドが見送りにってのはまずいでしょ」
「確かに」
 
「日香理は彼氏にバレンタインは?」
「もちろん渡してから来たよ」
 
「みんないいなあ、彼氏居て」
と純美礼が言うが
「私も彼氏はいないから」
と美由紀が言って、ふたりは
「よしよし、同志」
などと言っていた。
 
「だけど女の子のその手の同志って、しばしばすぐ裏切られるよね」
と日香理。
 
「ああ、過去に裏切られたことは何度もある」
「こちらが裏切ったことはないのが残念だ」
 

この日はホテルで早い朝食を取った後、バスに乗って早朝のミラボー橋を見に行った。
 
「Sous le pont Mirabeau coule la Seine, Et nos amours.
Faut-il qu'il m'en souvienne,
La joie venait toujours apres la peine.
Vienne la nuit sonne l'heure, Les jours s'en vont je demeure」
 
と日香理がアポリネールの詩を暗唱する。
 
(ミラボー橋の下をセーヌは流れる。そして私たちの愛も流れる。思い出さなければならないのか?哀しみの後には喜びが来るものだということを。夜が来て鐘は鳴り、日々は去って、私だけが残る) 
「要するにアポリネールがマリー・ローランサンに振られてここで泣いて詩を書いたわけね」
と美由紀はドライに言う。
 
青葉がメロディーを付けてこの歌を歌ったら、ガイドさんはそのメロディーは知らないと言った。今日のガイドさんは日本語に堪能なフランス人女性である。 
「以前フランス人の性別不明な歌手が歌ったのを聴いたものですが、名前は知りません」
と青葉は言う。
 
「これ、いろんな人がメロディー付けてますからね〜」
とガイドさんも言う。
 
「でも性別不明って?」
と質問が入る。
「男の声と思えば男の声にも、女の声と思えば女の声にも聞こえたんだよ」
「そういう声があるんだね」
 

その後、エッフェル塔に回る。現地に着いたのが8時半だったのに長蛇の列が出来ていた。
 
「ここは個人で来ようと思ったら1時間待ち・2時間待ちは普通です」
などとガイドさんが言う。
 
青葉たちは団体扱いで9時半に事前予約されているので、すんなりと入場することができた。まずは地上からのエレベータで2階(東京タワーの大展望台相当)まで上がり、そのまま上に行くエレベーターに乗り換えて3階(東京タワーの特別展望台相当)まで上がった。日中ならこのエレベータに並ぶのも大変らしいが、朝一番に行ったおかげで、すんなり乗ることが出来た。
 
ここは高さ276mである(東京タワーの特別展望台は250m)。高いことは高いがトイレと望遠鏡以外には何も無い(実はシャンパン・バーがあるのだが展望はきかない内側にある。お値段はとっても高い)。
 
「見ろ!人がゴミのようだ」
と取り敢えず言ってみたのは美由紀である。
 
「フランス語ではどう言うの?」
とこちらを向いて訊く。
 
青葉と日香理は顔を見合わせる。
「Regarde! Les gens ressemble a debris. くらいかな」
と日香理が言う。
 
「意訳するとそんな感じだよね。実際にはゴミということばの中には取るに足らないって意味も含まれている気がするけどね」
と青葉。
「翻訳は難しいよね。実際のフランス語の吹き替えを聞いてみたい気はする」
と日香理。
 

15分ほど景観を堪能した上でエレベーターで2階に降りる。ここは高さ115mである(東京タワーの大展望台は145-150m)。ここにはレストランやショップもある。もっともどちらも高いので、青葉たちはチラッと見ただけで離れた。徳代は何かお土産グッズを買っていた。
 
それでこちらは何も買わずに景色を眺めていたのだが、
「ここからの眺めの方がいいような気がする」
などと純美礼は言っている。
 
「まあ東京ワーも特別展望台より大展望台のほうが景色は良い」
と日香理。
 
「あまりにも高すぎると、景色というよりゴミかな」
と美由紀はまだ大佐にこだわっているようだ。
 
ここでも15分ほど滞在した後、エレベーターで更に1階に降りる。しかし列ができていて、エレベーターに乗るまでに10分掛かってしまった。ここは高さ57mである。ちょうど、2階と地上との中間くらいの高さだ。
 
「え?1階って地上じゃないの?」
などと美由紀が言っている。
 
「階の数え方って国によって違うからね」
と青葉。
「日本やアメリカは1オリジンだけど、ヨーロッパはだいたい0オリジン」
と日香理。
 
「だからフランスやイギリスで1階というのは日本の2階だよ」
「じゃ、フランスで日本の1階に相当するのは何というの?」
「レドショッセ(rez-de-chaussee)」
と日香理が言う。
「なんか難しい!」
「道路と同じ高さという意味」
「へー!」
「イギリスだとground floor」
と青葉は補足する。
「イギリスで first floorは日本の2階?」
「そうそう。だから同じ英語でもイギリスとアメリカでは階の数え方が違う」
「難しいね!」
 

美由紀と純美礼が「お腹空いた」というので、この階にあるビュッフェ(というよりただのフーズ売場)でブリオッシュとカフェオレを買って、景色を見ながら食べる。それでおしゃべりしていた時、近くに見たことのあるような女の子が来て、景色を見ている。あれ?あの子確か・・・と思った時、美由紀が彼女に声を掛けていた。
 
「Have you met at Narita?」
 
向こうはびっくりしたようである。
 
「Pardon?」
「That was hard time the immigration procedure at Narita」
 
美由紀にしてはなかなか良い英語だ。
 
「ああ、そちらも揉めてましたね!」
と彼女は日本語で言った。向こうもこちらを思い出したようであった。 

青葉の少し後に成田の出国手続きを通ろうとして、性転換者というのを証明できずに医師の診察を受けてくれなどと言われた子である。
 
彼女はリンダ・ザダカーさんと言って、日香理が推察したようにアメリカ国籍らしい。実際問題としてお祖父さんの代からアメリカに住んでいて、アラビア語なども全然知らないと言っていた。
 
「日本語うまいですね?」
「実は日本に留学しているんです」
「へー!」
「タイで性転換手術を受けたあと、親が近所の人たちに恥ずかしいとか言うもんですから。日本でいうところの《世間体が》ってやつですね」
 
「おお、日本的表現!」
「それでアジアに来たついでに日本の大学に入って。あと2年したら帰国しますけど、おばあちゃんが寂しがってるとかいうので今回は一時帰国するつもりで」
 
「そういう話が出てくるのは良い傾向だと思う」
 
「ですよね〜。どうせ一時帰国するなら太平洋を渡らずに反対側を回って帰ってみようかと思って。ドイツのハンブルグ、イギリスのリバプールと見てから、最後フランスに来ました。このあとニューヨークに飛ぶ予定です」
 
「ビートルズの足跡みたい」
「実はそうなんです。私、日本で友人とバンドしてるんです」
「パートは何ですか?」
「私はリードギター。セカンドギターがイギリス人で、ベースが国籍はポーランドだけど実際はロマ、ドラムスが日本人です」
 
「国際色豊かだ!」
 
ロマというのは、いわゆるジプシーと呼ばれる人の一部だが、全てのジプシーがロマではない。ジプシーと呼ばれた人たちの中には様々な民族があり、文化も様々である。
 
「Around the worldというバンドなんですよ」
「いいネーミングだと思う」
 
「ロマの子はオーソドックス、イギリス人は国教会、日本人の子は実はカトリックで宗教もバラバラなんですけどね。でも4人仲良くやってますよ」
 
「リンダさんはイスラム教ですか?」
「私は仏教です」
 
「おお、仏教徒! 私たちも仏教徒」
と言って美由紀がリンダさんに握手を求める。向こうも握手に応じて、それでけっこうお互いに打ち解けてしまった。
 
「元々インドに住んでいてパルシー教徒だったらしいですけど、お祖父さんの代に仏教に改宗して、そのあとアメリカに移住したらしいです」
「複雑ですね」
 
「成田では、前に2人性転換者が通過したのを見たので自分も何とか通れるだろうと思っていたらトラブってしまって」
 
「医師に診察されたんですか?」
「です。CTスキャンまで取られて、卵巣や子宮が存在しないこと、前立腺が残存しているのを見て、性転換者であるという診断をしてくれました」
 
「私は出国前にこういうのを書いてもらったんですよ」
と言って青葉が医師の性転換証明書を見せると
 
「なるほどー。こういうのを取っておけば良かったのか」
と彼女も言っている。
 
「成田では診断書か何か書いてもらったんですか?」
「ええ。その診断書でドイツの入国も通りましたし、イギリスまで行ってフランスに来るのも何とかなりました」
 
「あれ?ドイツからイギリスに行くのってパスポートチェックあるんだっけ?」
「イギリスはシェンゲン協定にまだ入ってないんだよ」
と日香理が言う。
「そうなんですよ。めんどくさいですね。イギリスだけユーロじゃなくてポンドだし」
とリンダさん。
 
「ユーロに合流するとドイツに主導権取られると思って抵抗してるんでしょうね」
「フランスへの対抗心もあるよね」
 

話は弾んでいたのだが、移動する時刻になる。
 
「また日本で会いましょう」
などと言って、携帯のアドレスを交換して別れる。とは言っても向こうも下に降りるようで、結局一緒にエレベータに乗る列に並んだ。
 
しかし今度はこのエレベータの列がかなり長い。2階から1階に降りる時も10分ほど待ったのだが、今度の列はその程度では済みそうも無い。
 
「提案。歩いて降りませんか?」
と徳代が言い出した。
 
「え〜!?」
「階段ってどのくらいあるの?」
「350段くらい」
「金比羅さんの階段は何段だっけ?」
「本殿まで700段くらい、奥宮まで1400段くらいだったと思う」
「じゃ金比羅さんの半分じゃん。行こう」
と美由紀も乗り気である。
 
ガイドさんも、実際に今できている列の長さからすると30分以上は待たないと乗れないだろうと言うので、結局全員で階段を降りることになった。するとその話を聞いて、リンダさんも一緒に階段の方に来た。
 
「階段から見ると、けっこうここは高い」
「57mということは15階くらいに相当するから」
「15階から地上まで降りる訳か」
 
しかしこの階段からの景色が実に素晴らしかった。下に行くにつれ町の見え方がだんだん変わってくる。
 
「これこの階段を登っていくのも気持ち良さそう」
と美由紀が言う。
 
ガイドさんも
「そうなんです。ここを登るのも景観が素敵なんですよ。もっとも身体は辛いですけどね」
などと言っている。彼女はツアー客と一緒にここを歩いて登ったことも何度もあるらしい。
 

階段を降りたところで本当にリンダさんと別れた。
 
エッフェル塔近くのカフェで昼食を取ってからイエナ橋の所からセーヌ川の遊覧船に乗る。昼食では「疲れた〜」といってたくさん食べている子が多かった。ふだんは少食の青葉も結構食べた。
 
遊覧船はパリの名所のそばを通って行く。
 
エッフェル塔の対岸がシャイヨ宮だが、そこからケ・ブランリー博物館、パリ近代美術館、グラン・パレ&プティ・パレ、国会議事堂、チュイルリー庭園、オルセー美術館、ルーブル美術館、そしてポンヌフ(新橋)の下を通って、サント・シャペル、ノートルダム寺院。
 
とにかく見るだけ!である。
 
しかしエッフェル塔の階段が利いたのか、説明など聞かずにひたすら寝ている子も数人居た。
 
船はノートルダム寺院のあるシテ島の先のサン・ルイ島までである。ここでバスに乗ってルーブル美術館に行く。約3時間ほどの観覧である。
 
「ここって3時間で見られるものなんですか?」
と質問がでるが
「本格的に見ようとすると3日掛けても見切れません」
とガイドさんは言う。
 
最初はタニスの大スフィンクスである。サイズは1.54×4.80m, 高さ1.83mある。だいたい日本の小型乗用車(ウィングロードやモビリオスパイクなど)規格程度の大きさといえばよいだろうか。1825年に第21王朝の首都であったタニスのアメン・ラー神殿で発見、ルーブル美術館が翌年購入したものである。 
「大スフィンクスと言うから、もっと巨大なものを想像していた」
と美由紀が言う。
 
「まあギザのピラミッドのスフィンクスとかと比べたらとっても小さいよね」
と日香理。
 
「ギザのピラミッドが作られたのは第4王朝のクフ王やカフラー王の時代ですが、このスフィンクスは第21王朝のもので、あの時代から1500年ほど経っています。この時代はあんな巨大なものは作らないようになっていて、スフィンクスって凄く小さなものになっていたんですよ。その中ではこのスフィンクスは充分大きな部類なんです」
とガイドさんが言う。
 
「スフィンクスが東に伝わってきて、狛犬(こまいぬ)ちゃんになったのかな」
と純美礼。
 
「そのあたりの経緯は分かりませんが、ひょっとするとスフィンクスと狛犬は共通のルーツを持つのかも知れませんね」
とガイドさんは言い、青葉も納得する思いだった。
 
「でも、ギリシャのスフィンクスとエジプトのスフィンクスってやや性格が違うみたいね」
「うん。ギリシャのはけっこう俗化してる」
「まあギリシャ神話が形成されたのも時代が新しいから」
 
「朝は足が4本、昼は2本、夕方は3本で歩くものは、な〜んだ? ってのはギリシャのスフィンクスのなぞなぞだったよね」
「そうそう。エディプス王がそれを解いて町を救った」
「そして自分の母親と結婚する」
 
「あれ何で悲劇なんだろう。美人だったら母親と結婚してもいい気がするけど」
と美由紀が言う。
「うーん。少なくとも当時の倫理観では許されなかったと思うよ」
と青葉は言うが
 
「むしろ昔はそれが結構あったから、よくないよ、やめようよという方向に行ったのかもね」
と日香理は言う。
 
「まあ家族であっても男女であれば、性欲を感じることはあるだろうしね」
「うん。父ちゃん殺して母ちゃんと結婚しようと考える男の子はわりと居る気がするよ」
「金枝篇の世界だね」
「でもそれ女の子の側も同様だよね。お父さんのお嫁さんになりたいと言う子はわりといる」
「まあ小さい頃限定でならね」
 
「ところでなぞなぞ」
と美由紀。
 
「ん?」
「朝は足が3本だけど、昼は2本になるのはな〜んだ?」
「いや、その回答は答えなくてもいい」
と日香理は言った。
 

その後、通称『ミロのヴィーナス』正確には『ミロス島のアフロディーテ像』を見る。
 
「え〜?これヴィーナスじゃなくてアフロディーテなの?」
と美由紀。
「だってギリシャだもん」
と日香理。
「ヴィーナス、というか正確にはウェヌスはローマ神話の神様」
 
「アフロディーテなのにヴィーナスと言っちゃうのは、レオナルド・ディカプリオのことを草なぎ剛と言っちゃうようなものだよね」
と純美礼は言うが
 
「異議あり!」
という声が、結構離れた場所からも飛んできた。
 
「でもこの無い腕は本当はどんな形だったんだろう」
「それはもう知るよしも無いよね」
「いろいろ説はあるけど推測の域を出ないから」
「まあみんな勝手に想像すればいいんじゃないかなあ」
 
「小説なんかもそうだよね。文字だけでは全ては伝えきれないから、伝えきれない部分は読者が勝手に想像すればいい」
 
「それで小説のドラマ化って、ファンの期待を裏切るんだよなあ」
 

サモトラケのニケ、ホラティウス兄弟の誓い、ナポレオンの戴冠式、グランド・オダリスク、民衆を導く自由の女神、カナの婚礼と見ていく。
 
『グランド・オダリスク』はオダリスク(トルコの後宮の女性)を描いた裸婦像であるが、発表された1814年には当時の世相・批評家たちから凄まじい非難が寄せられた作品である。その解剖学的な身体特徴を無視してセクシーさを強調した描き方(この女性は肋骨が数本多いなどと言われる)は当時の画壇には受け入れ難いものだったろう。作者のアングル(Ingres)は100年早く生まれすぎたのかも知れない。
 
そして『カナの婚礼』の向い側にあるのが、今日の見学の中の最大の目玉ともいうべき『モナリザ』である。
 
巨大な仕切り板の中央に、ただひとつ『モナリザ』の額だけが掲げられている。この絵画は度重なる「おかしな人」からの攻撃から守るため現在防弾ガラスの額に収納されている。
 
モナリザのモデルについては様々な説が飛び交い、作者レオナルド・ダ・ビンチの女装!?などという説まであったが、現在ではフィレンツェの商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リザ・ゲラルディーニ(Lisa Gherardini)であることが、2005年に当時の文書が発見されたことから、ほぼ確定している。 
が・・・・
 
さすがにここは物凄い混雑である。
 
『モナリザ』だけがその大きな仕切り板の中央に掲げられているのだが、その前に物凄い人だかりがあって、そう簡単には絵の近くまで行けない。しかし折角はるばる日本から来たし、二度と来られないかも知れないと思うと頑張って我慢に我慢を重ねて、青葉たちは何とか絵の前まで辿り着いた。
 
絵の前といっても柵があって5mほどの距離がある。この距離があれば物を投げつけようとしても、そう簡単には命中させられないだろう。
 
青葉も美由紀も日香理も純美礼も、写真など撮るのも忘れてその絵をじっと見ていた。
 
この絵がこれだけ世間に注目されるほどの大したものなのかどうかは分からない。でもその小さなキャンバスに、何かが凝縮されたような絵のように青葉は感じた。写真は徳代がLumixで撮影したのがかなりきれいに撮れていたので、あとでコピーさせてもらった。
 

ルーブル美術館を出たのが結局19時近くになってしまったので、軽食を取る予定だったのを中止して、そのまま空港に向かうことにする。バスがシャンゼリゼ通りを走って行く。
 
凱旋門のそばを通り抜け、セーヌ川を渡り、新凱旋門の所を通る。
 
「新凱旋門って変だ」
という声が多い。
 
「まあ500年経ったら、20世紀様式とかいわれて価値が出るかもね」
と徳代などは言っている。
 
その後バスはパリの第2環状道路A86を走って「高速北線(Autoroute du Nord)」A1に入り、シャルル・ド・ゴール空港に向かう。
 
幸いにもあまり混雑しておらず、A86に乗った後の所要時間は30分ほどであった。 
とりあえず乗る予定の飛行機にチェックインし、税関を通って出国審査に行く。列に並んだら、少し前の方に見たことのある人物がいる。成田空港で出国する時に青葉の少し前で通ったニューハーフさんである。美由紀が「ね、ね」と言うので青葉も「うん」と言う。あの人も帰国するのだろうか。あるいはまたどこか他国へ行くのだろうか。
 
それを見ていたら、トントンと肩を叩かれる。
 
「リンダちゃん!」
「また一緒になったね!」
 
それで4人とも列から抜けてリンダと一緒に最後尾に並び直す。
 
「あ、ごめん」
とリンダは言うが
 
「問題無い。これが日本流」
と美由紀は言う。
 
「こういう日本の文化好き〜」
とリンダは言っている。
 
それでおしゃべりしていたら、さっきのニューハーフさんがなんか揉めてる。 
「どうしたんだろう?」
「成田じゃ、すんなり通ったのにね」
 
見ていたら、どうも別室検査になってしまったようだ。
 
「あの人、プリオペかな?ポストオペかな?」
とリンダが自問するかのように言うが
「ポストオペだと思う。そういう波動をしている」
と青葉は答える。
 
「へー。波動?」
「この子、日本一の霊能者だから」
「すごーい」
 
「でもPost-opなら裸にしても男というのを証明できないよね」
「医師の診察コースかな」
「わあ、可哀想に」
 
「やはりフランスは昨年テロもあったし、警戒が厳しくなっているんじゃないの?」
と日香理。
 
「わあ、どうしよう。私また診察コースだったりして」
とリンダ。
「でも成田で書いてもらった診断書があるでしょ?」
と日香理。
 
「うん」
「それがあれば大丈夫だと思うよ」
 

それで何かあった時にフォローできるように、青葉たちの前にリンダを行かせる。ところが・・・
 
リンダはパスポートと航空券を見せると、何も言われずにそのまま通ってしまった!?
 
へー!と思いながら、青葉も美由紀に続いて手続きに行き、パスポート・航空券を見せるのだが、係官はパスポートの写真と青葉の顔を見比べた上で何も言わずにそのまま通してしまった。
 
そのあと日香理も通るが
 
「どうなってんだろう?」
と言い合う。
 
「私、男に見えたのかも」
とリンダ。
「私も男に見えたのかも知れない」
と青葉。
 
日香理はしばらく考えていたが
「たぶんふたりともパスポートの写真と本人を見比べて同一人物と思われたからそのまま無言で通したんだと思う」
と言う。
 
「なるほどー!」
「あのニューハーフさんはひょっとしたら、パスポート写真が男性時代のものだったのかも」
「あり得る、あり得る」
 

しかし、出国審査はすんなり行ったのに、保安検査は性別と無関係に大変だった。
 
全員靴を脱がされるし、男子生徒はガクランを脱がされ、ベルトも外させられる。何でも靴の踵にプラスチック爆弾を仕込むというケースがあるのだそうだ。青葉も含めてワイヤー入りのブラをしている子はほとんど引っかかってハンディ検査機でチェックされた。荷物のチェックもかなり厳しかった。
 
リンダとはこの保安検査を通ったところで別れた。
 
そういう訳で空港に着いたのは20時すぎだったのに、全員が保安検査まで通過したのはもう21時半頃である。
 
それから出発ロビーのカフェで遅めの夕食となった。
 
「これ2時間前に入ったのでは、間に合わない可能性がありますね」
「うん。3時間前に来ないと危ない」
 
「でも結局パリで見られたのはエッフェル塔とルーブル美術館だけか」
「それも駆け足だったけどね」
 
「次に個人で来た時は、オープンツアーバスの2日券を買って、のんびりと見て回るといいよ。緑色のバスが走ってたでしょ。あれ、乗り降り自由だから」
「そういうのもいいね」
 

2月14日(土)の23:25のエールフランス274 (B777-200)で帰国の途に就く。12時間のフライトで翌日2月15日(日)の19:25、羽田空港に到着した。
(23:25 + 12:00 + 8:00 = +1day 19:25)
 
青葉たちは離陸直前に時計を日本時刻に戻したが、行程の前半はほとんど寝ていて、青葉たちの時計で13時頃に食事が出てきたタイミングで、みんな目を覚まし、あとは本を読んだり、おしゃべりしたりして過ごした。
 
羽田での入国審査はとっても楽で、性別の件も「性転換しているので」と一言言っただけでOKであった。
 
モノレールと山手線で東京駅に出て、夕食を取った。東京駅近くの和食レストランで、お刺身と天ぷらの御膳である。
 
「おお!ご飯の食事が懐かしい!」
などと声を挙げている子たちもいる。
 
「お刺身大好き!」
「天ぷら大好き!」
といった声に鳥越先生が
 
「お前達、日本に初めて来た外人さんみたいだ」
などと言っていた。
 
美由紀が何だか指折り数えている。
 
「どうしたの?」
「いや、飛行機に乗って少ししたところで1回軽い食事をしたでしょ?」
「うん」
「あれは夜食かなと思ってたんだけど、今日13時くらいに食事が出たのが昼食だろうから、もしかして最初のってとっても早い朝食だったのだろうか」
 
「まあ時差があるから、食事のタイミングはどうしてもおかしくなる」
「行く時はお昼を2回食べてるし」
「そうだったっけ? なんか朝食1回ごまかされたような気分で」
「じゃ、今日は夕食2回食べる?」
「あ、それもいいね」
「お弁当とかおやつとかたくさん買ってバスに持ち込もう」
「そうしよう、そうしよう」
 
まさか東京駅では迷子にならないだろうということで自由時間とし、22時に銀の鈴に集合としたが、ジュネーブでひやりとさせられた花山さんたちには音頭先生が付いて行ったようであった。
 
アメリカ組は17時頃成田に着いて移動してきたらしい。中国組がいちばん遅くなって、羽田に20:25に到着する。本当は1便早いのに乗る予定がオーバーブッキングがあって乗られなかったらしい。更に荷物が出てくるのに時間が掛かったと言っていた。東京駅に彼らが着いたのはもう22時半すぎである。 
彼らが疲れているので、すぐに出発するのは酷だということで帰りのバスは23時半に出ることになった。晩御飯も食べ損なったというので、先生が2人、予約した上でタクシーでお弁当屋さんまで行き、お弁当を調達してきて晩御飯としていた。
 
一方、青葉たちであるが、美由紀たちが調達していた食料は中国組を待っている間に無くなってしまい、先生に許可をとって再調達に行ってきた。 

23:30頃、東京駅八重洲口近くから、また男女別2台のバスに分乗して高岡に出発した。
 
さすがにみんな疲れているので、全員ひたすら寝ていた。
 
バスはトイレ付きのをチャーターしているのだが、一応途中の甘楽PA, 妙高SA, 入善PA で休憩時間を取ったようである(妙高の休憩は濃霧でドライバーが疲れるのでその疲労回復の目的もある)。
 
バスは2月16日(月)朝6時すぎにT高校に到着した。朝早くなのに教頭先生が来てくれていて駅のホームで解散式をした。
 
このあと月曜から水曜までは代休になる。
 
「みんなお疲れ様でした」
「さあ、帰って寝よう、寝よう」
 
などと言っていたら、美由紀が
「あ!」
と言う。
 
「どうしたの?」
「忘れ物?」
「買った夜食を全然食べてない」
「ああ。寝てたもん」
「だいたい夕食を食べた後で、最初に夜食にする予定だったものバスに乗る前に銀の鈴の所で全部食べちゃったし」
 
「今からどこかに集まってみんなで食べる?」
「いやいい」
「それは美由紀が持ち帰って全部食べるとよい」
「ほんと? じゃもらっちゃおう。これをお母ちゃんたちへのヨーロッパ土産ということにしようかな」
 
「まあ随意に」
 

青葉は母が駅前まで迎えに来てくれていたので、母の車で自宅に戻った。 
「お疲れ様でした」
「ありがとうね。行かせてくれて」
「行かせてくれても何もあんた自分で費用出しちゃったし」
「だって費用が高額だから悪いなと思って」
「まあほんとに高いから私は助かったけど、ほんと遠慮しないでよね」
「うん。大丈夫だよ」
 
こういうのを本当に遠慮無く話せるようになったのが、このうちに来てからの私とお母ちゃんとの関係の進化かな、などと青葉は思った。
 
家の鍵を開けて中に入る。
「ただいまぁ」
と言って中に入るが、誰かが居る訳では無い。ただの習慣である。
 
ところが青葉が「ただいま」と言うと「おかえり」という声があった。 
「彪志・・・・・」
 
「12日で後期の試験も終わったから、青葉より一足早く、昨夜こちらに来た」
などと彪志は言っている。
 
「えへへ。彪志、ただいま」
「うん。青葉、おかえり」
 
ふたりが見つめ合っていたら、母が
「さて。私はもう会社に行くからね。晩御飯のお買物だけしててね」
 
と言って、そのまま会社に出勤していってしまった。
 
それを見送って、青葉と彪志は微笑み合い、抱き合って熱いキスをした。 
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