【春告】(2)
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(C)Eriko Kawaguchi 2014-05-06
「うまいじゃん」
と氷川さんは言った。
「私も思いました。歌も演奏も上手いし、これオリジナル曲ですか?曲も凄くよく出来てる」
と青葉。
「曲はオリジナルです。実はゴールデンシックス作る前に別の13人編成のバンドがあったんですが、その元メンバー3人が作詞と作曲を担当しています。それでちょっと契約上の問題があるので、この場では詳細は言えませんが、実はプロの作詞家作曲家として活動しています」
「なるほど。作詞作曲陣はプロなんだ! でも13人編成ってのはまた凄いね」
と氷川さんは納得したように言う。
「プロデュース役の人まで入れると14人なのでCDの印税は14人で等分していたんですけどね」
「その3人はゴールデンシックスの結成には参加しなかったんですか?」
「誘ったんですけど、勉強が忙しいからって振られました。でも楽曲の提供は続けていいよと言われて。実は以前のバンドの楽曲もほとんどその3人で書いていたんですよね」
「ほほぉ」
氷川さんは何か考えている風である。
「君たち、CDこれまでにどのくらい売った?」
「えっと2009年に結成して毎年1枚CDを作ってきたから今制作準備中のが6枚目になるかな。でもどれもだいたい1000枚くらいしか売れてないです」
と花野子が頭を掻きながら言うが
「インディーズで1000枚売れるって凄いじゃん!」
と氷川さんは言う。
「ね、君たちのライブを1度見られない?」
「はい! 29日に横浜のライブハウスで演奏予定があるのですが、もしよければそちらに」
「うん。見に行くよ」
「ではチケット差し上げます。何枚お入り用ですか?」
「じゃ念のため3枚」
「はい!」
と言って花野子はバッグの中からチケットを出して氷川さんに渡した。
「あれ?そういえば青葉ちゃんは、氷川さんとどういう関わりだったんだっけ?」
と梨乃が尋ねた。
「この子は、リーフの名前でローズ+リリーの『聖少女』の共同作曲者になってて、別の名前で某歌手にも楽曲を提供しているんですよ」
と氷川さんが説明する。
「きゃー、凄い! プロならプロと言ってもらえば良かったのに」
「すみませーん。でも単発的に楽曲に関わっただけで」
「今制作中のスイート・ヴァニラズのアルバムにも6曲楽曲を提供してるしね」
「凄い!」
「あれ?もしかしてそれで関係者枠でローズ+リリーのチケットを確保できたとか?」
「すみませーん。瞬殺で売り切れたのに」
「いや。ローズ+リリーの楽曲作曲者ならチケットもらえても凄く自然」
「でもやはり今回の国士館の中でもローズ+リリーは特に見たいよね」
「ライブ自体の回数が少なくてレアだし」
「『Flower Garden』のヒットで今いちばん伸び盛りのアーティストだし」
すると氷川さんは言った。
「あなたたちにもローズ+リリーのチケットあげようか?少し見づらい場所でもよければ」
花野子と梨乃が顔を見合わせる。
「あのぉ、どういう条件で?」
結局ゴールデンシックスの2人も含めて4人で★★レコードのフロアに上がり、社内のスタジオでふたりに生で歌ってもらった。
「うまいね」
と加藤課長も言った。
「例の件にピッタリだと思いません?」
と氷川さんが言うと
「思う。これだけ歌えたら使える」
と加藤課長は答える。
「楽器を演奏しながらは歌わないの?」
「音源製作では私はピアノ、リノンがリードギターを弾いて、リズムギターとベース・ドラムスは元メンバーに声を掛けて参加してもらって演奏しています。しかし彼女たちはライブにまで顔を出すのは不可能なので、ライブではだいたいマイナスワン音源で2人で歌っています」
と花野子(カノン)。
「カノンがピアノ弾きながら歌うことはあるね」
と梨乃(リノン)。
「あのぉ、どこかのユニットのサポートか何かのお仕事でしょうか?」
と花野子が尋ねる。
「うん。その件はまたあらためて相談させてもらえないかな?」
「はい」
「君たちお仕事は土日休めるの?」
「はい。ふたりとも土日祝日が休みの職場にいます。でもお仕事の内容次第では即会社辞めます」
「おお。積極的でいいね」
と加藤課長はにこやかに言った。
花野子たちを帰した後、オフィス内で、氷川さん、スイート・ヴァニラズ担当の梅宮さんとスイート・ヴァニラズのアルバムの件も含めて少しおしゃべり的な打ち合わせをした。
結局夕方くらいになってから千葉に移動し、桃香・千里のアパートに行った。彪志も来ていたので、千里の料理でみんなで夕食を頂く。
「でも千里、ほんとに料理がうまいよね」
と朋子が褒める。
「まあ私の奥さんだから」
と桃香。
「あんたたち結婚したんだっけ?」と朋子。
「籍は入れてないというか入れられないが私としてはそのつもりだ」と桃香。「私の見解としては姉妹のようなもの」と千里。
桃香はふたりの状態を「同棲」と言うが、千里はずっと「同居」と称している。但し夜はいっしょに寝ているし、普通にキスもセックスもしているようである。
「おかあちゃん、ふたりの関係は3年前から変わらないよ」と青葉。
「確かにそうだけど」と朋子。
「一応大学院を出るまでは同居を続けるつもりなんだけどね」と千里。「私はずっと一緒でもいいと言っているんだけどね」と桃香。
「千里は中学や高校の時、女の子と恋愛したことはないの?」
と朋子が尋ねる。
「私、恋愛対象は男の子だよー」
「ああ、最初からそうだったのね」
「じゃ、男の子とは恋愛したことあったんですか?」
と彪志が尋ねると、千里は突然咳き込んだ。
「千里、やはり8月に大阪で会った男の子と何かあったのでは?」
と桃香が言う。
「もしかしてヴァイオリンをくれた人?」
「うんまあ」
「中学のバスケ部の先輩とか言ってたっけ?」
「当時は男の子同士だから」
と千里。
「で当時どういう関係だったのだ?」
と桃香。
千里は参ったなという顔をしながらも笑顔である。そして
「もう別れてから5年以上経ってるから時効かなということで言えば確かに彼とは恋人だったよ。でも彼、この7月に結婚したから」
と正直に答えた。
「ほほぉ」
「実はあのヴァイオリンは私と彼とのちょっとした想い出の品で。だからそれを結婚した以上手許に置いておきたくないというので、私が引き取って来たんだよ」
「ああ、そういう経緯があったんですか」
と青葉。
「ごめんね。そういうヴァイオリンを部屋に置いておいて」
と千里は桃香に謝るが
「私は唯物論者だから、想い出の品だろうが何だろうが、ヴァイオリンはヴァイオリンだし、千里の心は私の所にあるのを確信しているから全然気にしない」
などと桃香は答える。
青葉はこの2人の組合せってもしかしたら最高なのかも知れないと思った。お互いのベクトルが直交しているから、相手に対して完全に許容的になれる。
「で、彼とどこまでしたの?A?B?C?D?」
と桃香が詰問する。
「私、妊娠できないよー」
「つまりCまでしたのか?」
「ごめーん。ノーコメントで」
千里が珍しく真っ赤になっている。こんな千里を初めて見たと青葉は思った。
「でCはどこを使った訳?やはり後ろ?すまた?性転換パッド、あるいは当時実は既にヴァギナがあったとか」
「ある訳無いじゃん」
「いや。怪しい気がする。実は千里は高校時代頃までに既に性転換済みだったのではないと思える時もあるんだよな。あの彼氏、千里が女の格好してるのを見ても何も驚かなかったから、千里彼氏の前では女の格好をしてたんだろう?彼氏と付き合ってた頃も」
「うん、まあ女装で会ってたことは認めてもいい」
「だったら当時既に性転換済みだったかも知れない」
「高校時代に性転換済みだったのなら、私去年は何の手術受けたのよ?」
「うん。そこが未解決問題なのだ」
「それに性転換前の私とHしたじゃん」
「千里のおちんちんは軟らかくて、なかなか入れられなかったからなあ。毎回かなり苦労してた。でもあれが実はゴム製の偽物だったとすると、納得がいく気もするのだよ」
「ちょっとあんたたち、高校生の前でやめなさい」
と朋子が言うが
「いや。青葉は既に彪志さんと結婚済のようなものだから、構わん。日常的にHしてるようだし」
などと桃香が言う。
青葉はつい顔を赤らめてしまった。彪志も少し恥ずかしがって俯いている。
「でも精子の採取もしたじゃん」
と千里。
「うん。だから、ペニスは除去してヴァギナも作っていたけど、睾丸は温存していたのだよ」
と桃香。
「そんな馬鹿な」
「でも実際睾丸を温存しての性転換手術というのはあるんだろ?」
「あることはある。射精能力を残したまま形だけ女になった人というのもいる。見た目は完璧に女だし、男性と普通にセックスもできるけど、男の意識にシフトした状態でローターとかで強くクリトリスを刺激すると尿道から精液が出てくるんだよ」
「ほほぉ、面白い」
「女性のパートナーが居て、その人との間に子供を作りたい場合とかの選択だと思う。ローターをはさんでハメの状態にして射精すると精液はパートナーのヴァギナに放出される。ただし逆に避妊は困難だし、戸籍の性別を変更できないけどね。睾丸がCTスキャンとかで発見されると、裁判所が性別取り扱いの変更を認可してくれないんだよ。それにそもそも温存した睾丸も数年以内には機能喪失すると思う」
と千里は言う。
「だとすると、やはり千里はそういう手術を高校時代に受けてたんだ。去年の手術はもしかしたらその温存していた睾丸を除去したのかも」
「睾丸を残すと男性化が進むから、私なら絶対そんな選択はしないと思う。だいたい手術代が無いよ。私が貧乏だったのは知ってる癖に」
「収入は誤魔化してるかも知れん。それに睾丸を実はもう取っていた場合は、高校時代にこっそり保存していた冷凍精液をあの病院に持ち込んで、先生も丸め込んでいたか」
「なんか、桃香、妄想が暴走してる!」
「でもあんたたちお仕事はどうすんの?大学院を出た後」
と朋子が訊く。話がホントに暴走しているので、ちょっと話題を変えてあげようとした雰囲気もあった。
「何ヶ所か会社訪問したけど、最初話を聞いてくれても性別を変更したことを話すと、明らかに態度が変わるんですよね」
と千里は言う。
「まあ仕方無いね」
「たくさん会社訪問してれば1ヶ所くらいと思っているのですが」
「性別変えたなんて話はバッくれておけばいいと私は言うのだけどね」
と桃香は言う。
「だって後から知られたら揉めるよ」
「千里の場合、バレる訳無いと思うんだけどね」
「いや、ちゃんと理解してくれる所はあるよ」
と朋子は言う。
青葉は千里の話が全然他人事ではないので、そういうのを聞くと悩んでしまう。
「まあ会社訪問しても不調なのは私も同様だが」
と桃香。
「男子は大学院卒というのはそれなりに評価されるが、女子は単に年齢の行った職業未経験の人としか見てもらえないんだよな」
「まあお茶くみにしか女を使わない企業だとそうだろうね」
翌日の昼間は現在建設進行中の神社を見に行った。千里が友人から借りてきたというインプレッサ・スポーツワゴンに5人で乗り込んだ。
「この車、以前にも何度か乗ったかな」
と桃香。
「同じ人のだよ」
「貸してくれるのって、男?女?」
「女性だと思うよ」
「思うというのは何だ?」
「外見女に見えるし声も女だし。裸にしてみたことはないから確信はないけど」
「いやそれで男だというのは、性転換前の千里くらいしかありえん」
「まあ女だろうけどね」
「でも女という気はした。インテリアの好みが女っぽい。だったら恋人ではないのだな?」
「私、女の子とは恋愛しないよ」
「それだけは心配いらんな。しかし千里は他人からの借り物・もらいものが多い」
「うん。大学に入って以来、教科書はほとんど先輩からの借り物でまかなってきたし。私の使ってるパソコンも友だちからずっと借りてるものだし、龍笛は出世払いということで買ってもらったものの代金いまだに払ってないし。フルートも借り物。ただし私が使っている限り返却不要とは言われてるんだけど。私って、子供の頃からずっとそうだったんだよねー。例のヴァイオリンは結局彼から正式にもらうことになったけど、高校時代はずっと叔母さんのヴァイオリンを借りて練習してたんだよね。叔母さん市民オーケストラやってたから。洋服とかも友だちや親戚から随分もらっていたし」
「千里、そのもらっていた服って男物?女物?」
「あ・・・」
青葉が吹き出した。
「つまり、女の友だちや女の親戚から女物の服をもらっていたんだな?」
「いや、その・・・」
「高校までの千里の生態が私も最近だいぶ分かってきたよ」
「別に普通の男子中学生、男子高校生だったけど」
「千里、その嘘は既に破綻しているぞ」
朋子は笑顔で頷いていた。しかし・・・と青葉は思った。千里は以前中学や高校時代のことをあまり話したがらなかった。女の子になりたい男の子にとっては、いやでも男としての生活を強いられる中学高校時代というのは、黒歴史にしたいと思っている人が多い。それで話さないのだろうと思っていたのだが、どうもそうではなく、桃香が言うように当時から結構女の子としての生活も持っていたのをあまり知られたくないので、言わずにいたようだということに青葉も思い至っていた。
でもそれを最近少しずつ情報を小出しにしているのは何か心境の変化でもあったのだろうか?
「でも千里さん、車の運転がうまいですよね」
と彪志が言う。
「MTの操作が凄くスムーズでシフトレバーを変える時もほとんどショックが無いです。お手本にしたい」
「彪志君、MT車運転してる?」と千里。
「実はほとんどしてないです。忘れつつあるかも」と彪志。
「ちー姉、そういえば11月には鮎川ゆまさんのポルシェを運転したね」
と青葉。
「うちのファミレスって駐車場の入れ方が少し難しいんだよね。郊外のお店なら店舗に隣接して青空駐車場を持ってるけど、うちの店舗は街中にあるから駐車場が地下でしょ? それに無断駐車を防ぐために出入口にゲートがあってボタンを押して駐車券を取ってからゲートを開けないといけない。それでしばしば店舗の前に車を駐めて『入れ方が分からなかった。お姉ちゃん入れといて』
って言うお客さんがいるのよ」
と千里は言う。
「ああ、なるほど」
「中には何とか駐車場の中には入ったけど、うまく駐車スペースに駐めきれないと言うお客さんもいてさ。サンドラ(サンデードライバー)さんとかはバックで入れるのが苦手だったりするみたいだし」
「あ、それは私もできん。駐車場は枠が2連でつながっている所を反対側から突き抜けて向こう側に駐める」
などと桃香は言う。
「でもセックスはバックでやると燃えるよな。青葉たちはバックもするか?」
「ちょっと、ちょっと!」
「まあそういう訳で日に5−6台は駐車場に入れたり、逆に出してきたりをしてるんだよね。だから、たいがいの車は動かす自信あるよ」
と千里。
「なるほど、それで。じゃ、ほんとにいろんなタイプの車を動かしておられるんですね」
と彪志。
「最初の頃は随分戸惑ったけどね。コラムシフト車を初めて見た時は、セレクトレバーが無い!?としばし悩んだし、パネルシフト車でまた悩んだし、輸入車の右ハンドル車ってワイパーとウィンカーが逆だから、ウィンカー出すつもりが晴れの日にワイパー動かして焦ったし、バックモニターの付いてる車って、あれ使い慣れてない人には余計怖いじゃん。初めて操作した時はほんとに恐る恐るだったよ。でも私、高校出てから免許取ったから、ファミレスのバイト始めた頃は、幸いにもまだMTの操作を忘れてなかったのよね。おかげでAT/CVTでもMTでも全然平気になっちゃった」
と千里。
「千里は3月生まれだから高校在学中には免許取れないよな」
と桃香。
「でもMT乗りの人って逆にATの操作が下手くそだったりしますよね」
と彪志は言う。
「うんうん。ATやCVT固有の動きを理解してない人いるよね。キックダウンをうまくできない人とかもいるし、NやRに入れたまま駐車しようとしたりとか」
と千里が言うと
「キックダウンって何だっけ?」
と桃香が言う。
「桃香、あんたやっぱり免許取り上げておいた方がいい気がしてきた」
と朋子が言った。
やがて車は丘の麓までくる。インプレッサは坂を快適に!登っていく。
「いつものミラだと2人で乗っていてもこの坂は低速になるのに、さすがにインプはパワーがある」
と桃香。
「こないだ4人でミラ乗った時は、もう途中で停まるんじゃないかって感じの遅さでしたね」
と彪志。
「あの子ターボも付いてないから」
と千里。
千里は車を購入した土地の前で駐めた。
年末年始で工事は実質お休みになっているが、もう古い家屋は取り壊され、既に礎石が埋め込まれている。必要な部分の木も伐採され、崖のところの手摺りも完成している。手摺りは青葉が購入した土地だけでなく、左右の市所有地にまで伸びている。
「なるほど。手摺りは二重に作った訳か」
「でないと、手摺りの所に手を置いて景色を見ようとする人が出るでしょ。それでバランス崩して落ちたらよけい危険だもん」
「ヨーロッパなんかだと崖が危ないのは大人なら分かっていること、という考えで手摺りも作らないらしいけどね」
「まあ日本人って親切すぎるよね」
「玉砂利とかも敷くのか?」
「それは祠を建てた後でやる。玉砂利だと工事の人が大変」
「確かに」
「ところで青葉は何を首ひねってるの?」
と桃香が訊く。
「いや、ここがあまりにきれいすぎるから」
「きれい?」
「何かよく崇拝されている神社の境内みたいに清浄だよね」
と彪志も言う。
「分かるか?」
と桃香が千里に訊いたが
「全然」
と千里は答える。
「しかしきれいなのは問題無いのでは?」
「いや。雑霊とかが居ないのは、とんでもない大物が潜んでいる可能性もある」
と青葉。
「龍か何かの定期巡回ルートになっているのでは?」
と桃香。
「うん。もしかしたらそうなのかも」
青葉はチラっと後ろで自分の守護霊とおしゃべり?でもしていた風の女神様に視線をやるが、女神様は青葉の視線を黙殺する。その態度を見て、この女神様が何か自分でやっているのかな?と青葉は思った。
夕方から青葉と母、桃香と千里の4人で国士館にKARIONのライブを見に行った。桃香が23列目の自分たちの席の隣に座った女性2人組と交渉して、青葉たちの19列目のチケットと交換してもらい、4人で並んで見ることができた。ここで席順は朋子・青葉・千里・桃香である。
冒頭『アメノウズメ』を演奏するが、前面にこかぜ・いづみ・みそらの3人が並んで歌い、後ろに8人の伴奏者がいる。ギター・ベース・ドラムス・サックス・トランペットはいつもKARIONの伴奏をしているトラベリング・ベルズなのだが彼らと一緒にXANFUSの光帆がキーボードを弾き、ローズ+リリーのマリがグロッケンシュピール、ヴァイオリンをケイを弾いている。
激しいリズミカルな曲なので、波が立つように観客が全員立ち上がる。結局冒頭から青葉たちも立つことになった。もっとも「私は立つのパス」と言っていた朋子も元気よく立ち上がって踊っている! やはり昔ライブによく行っていた頃の血が騒ぐのだろう。
立ち上がってはいるものの踊ってはいない千里が小さい声で青葉に言った。
「やはり記念ライブだから、蘭子ちゃん冒頭から顔出し参加するんだね」
「うん。昨日のXANFUSライブにもKARION,ローズ+リリーのメンバーが出演したから今回は堂々と参加できるんだよね」
と青葉も答える。
「でもなんかとんでもなく良いヴァイオリンを弾いてない? 音の響きが凄い」
「うん。確かあれ蘭子ちゃんの従姉が所有しているグァルネリもどきだよ」
「グァルネリじゃないんだ?」
「なんかそれが微妙だとか言ってた。詳しいことは聞いてないけど」
「ふーん」
演奏が終わった後で、いづみが、ケイが弾いていたヴァイオリンが6000万円もした銘器であることを紹介すると、会場内で驚きの声があがっていた。
「ちー姉のヴァイオリンはいくらくらいのだろう」
「私にくれた本人は確か15万くらいって言ってたよ」
「ヴァイオリンは高いからねぇ」
「青葉のはいくらくらい? 」
「あれヤマハのアルティーダなんだよね。100万円くらい」
「そんな凄いの持ってるなら練習しなきゃ」
「時間が無いよぉ」
ライブの後半になると、こかぜが「らんこ人形」を持ち出してきて、それと並んで《4人で》歌った。
青葉が千里を見る。
「うん。今日のライブではずっと蘭子がヴァイオリン弾いてるね。但し冒頭で使ったグァルネリじゃない。これは多分サイレント・ヴァイオリンの音。恐らく楽器本体から出る音を聴かれないようにどこかでこっそり弾いてる」
と千里。
「うん。でもこの演奏を聴けば気付いた人はこの会場に結構いると思う。何曲かピアノも弾いたよね?」
と青葉。
「そうそう。ステージ上で弾いてたピアニストさんの音じゃなくて蘭子の音だった曲がある。『スノーファンタジー』の超絶ピアノは間違いなく蘭子だよ」
と千里も言う。
「あれ蘭子さん本人も言ってたけど、他に弾ける人がいないんだって」
「かもねー。あれ弾けるのはコンクールで上位に入るレベルの人だけだと思う」
クライマックス。こかぜはその「らんこ人形」が立っているだけで全然歌わないと文句を言う。すると上から巨大な箱が落ちてきて、らんこ人形にかぶさってしまった。そして大ヒット曲『雪うさぎたち』を演奏する。
青葉が「へー」という顔をして千里を見る。
「らんこが歌ってるね」
と千里も微笑んで答える。
「これは絶対気付いた人がこの会場に200-300人は居ると思う」
実際この曲の演奏中に会場のあちこちで隣同士囁きあう姿がかなり見られた。ステージでは更に『僕の愛の全て』を演奏してから最後の曲となるが、この時こかぜが
「らんこ少しは反省した?」
と言って、大きな剣でらんこ人形の入っている箱をぶった斬った。するとその箱の中にあったのは、らんこ人形ではなく、お面をかぶった女性である。それと同時に左右の舞台袖から同じお面をかぶった女性が大量に入って来た。
「『歌う花たち』、今日最後の曲です!」
といづみが叫んで演奏が始まる。この時、それまでピアノを弾いていた人が下がり、お面を付けた人がピアノの所に座った。
「ちー姉、見た?」
「見た。箱から出て来た人がピアノに座ったよね」
「同じお面、同じ衣装の人が大量にステージにあふれてカオスになったけど、それでも気付いた人、何人かいたと思う」
この曲で本編が終わり、幕が下りるがアンコールで再度、いづみ・こかぜ・みそらの3人が出てくる。そして、いづみが
「今『歌う花たち』でピアノを弾いたのが水沢歌月でした」
と言うと、会場で「えーー!?」という声が湧き起こる。大部分の観客にはこれは不意打ちであった。しかし若干会場の中で頷くような仕草をしている人たちもいた。らんこが最後の3曲に歌唱参加していたことに気付いていた人たちであろう。
そしてKARIONはアンコールで『Crystal Tunes』を、マリのグロッケンとケイのピアノで演奏し、最後は『星の海』をKARION, XANFUS, ローズ+リリーの全員合唱で歌った。
「つまり、蘭子ちゃん、アンコールの2曲にも参加したんだ」
と青葉が楽しそうに言う。千里も頷いている。
「そういえば蘭子の件に関して、年明けに重大発表するらしいよ」
と千里は普通の声で言った。
「それあの人からの情報?」
「ソースは言っちゃいけないけど、この噂は拡散させてもいいとのこと」
「へー」
実際2人の会話に、前の列に座っていた女の子3人が驚いたようにこちらを見ていた。そして青葉と千里はこの会話を、この後ロビーで2度、帰りの電車を待つ駅でも1度交わしたのであった。
翌日は彪志と一緒にローズ+リリーの公演を見に行った。
冒頭「ロリータ・スプラウト」が実はマリ&ケイであったことが公表され、その「仕組み」も公開されて、大きなざわめきがおきていた。
その後、XANFUSやKARIONのメンバーも伴奏に入って、ローズ+リリーの通常の演奏が行われていく。最初に演奏されたのが『Long Vacation』だ。
「懐かしい」
と青葉がつぶやくと、彪志が
「何かあったの?」
と訊く。
「この曲は《クロスロード》のメンバーが初めて東京に集まった時に、埼玉で美容師してる、あきらさんが奥さんとの交際のことを話したのを聞いてケイさんが着想を得て書いた曲なんだよ。ふたりは高校時代ほとんど恋人同然だったのに、卒業の時お互いの連絡手段も確保しないまま別れて、その後1度偶然の再会をして恋人になったけど、1度破局して。それからまた数年経って再会して、今度は結婚したんだよ」
「それって、やはり縁が深いんだよ」
と言ってから彪志は言う。
「俺たちも出会ったのは、青葉が小学6年、俺が高1の時。でもすぐ俺が引っ越してしまったから、震災の後で再会するまで2年間休眠に近い状態だったからな」
「私たちのロング・ヴァケーションだね」
と言って、青葉は素早く彪志の頬にキスした。
幕間のゲストコーナーでKARIONがギター3人の伴奏で歌うという趣向があったが、伴奏したのは(KARIONのバックバンドのリーダー)TAKAOと、KARIONのリーダーいづみ、そして覆面の女性であった。
「あれ、もしかして水沢歌月?」
と彪志が小さな声で訊く。
「そうだよ。演奏の波動が歌月さんの波動だもん」
と青葉は答える。
「昨日の公演でも、水沢歌月は覆面してピアノ弾いたんだろ?」
「そうそう。そのこと、見に行った人のブログとかに書かれているから、この覆面見て、きっとこれもと思ってる人、今会場内にたくさんいると思う」
果たしてKARIONが下がって代わりに2組目のゲストとして出て来たXANFUSから
「今ギターを弾いていたのは水沢歌月でした」
と発言があると会場が「えー!?」という声に包まれるものの『やはり』という顔をしている客もたくさん居た。
やがてライブは後半の「エレクトリックタイム」となり、電気楽器の音を使ったリズミカルなナンバーが続く。前半は座って聴く曲も多かったが、後半は観客がずっと立ちっぱなしである。本編最後は観客がお玉を振って『ピンザンティン』
である。青葉たちも用意してきていたので、ふたりでお玉を振って踊りながら観覧した。
いったん幕が下り、アンコールの拍手があって、再び幕が上がる。ローズ+リリーだけでなくKARIONとXANFUSも並んで08年組の7人で一緒に『200年の夢』を演奏する。電子キーボードで三味線・尺八・箏・胡弓といった和楽器の音が入っているし、七星さんが龍笛を吹いている。
「これ、瞬嶽さんのことを歌った歌だろ?」
と彪志が言う。
「うん」
と言ったまま青葉は師匠のことを思い出して涙を浮かべる。
「だけど七星さんって管楽器何でもできるんだね。今日吹いてるのはあれ、篠笛(しのぶえ)?高麗笛(こまぶえ)?」
「あれは龍笛(りゅうてき)。でも・・・」
「でも?」
「あれ、龍笛の吹き方じゃない。篠笛みたいな吹き方してる」
「それって違うの?」
「篠笛がクラリネットなら、龍笛はトランペット。全く息の使い方が違うんだよ。篠笛みたいな吹き方でも一応音は出るけどね。たぶん七星さん、龍笛の上手い人の演奏を聴いたことないんじゃないかな。龍笛って、下手な演奏をする人が物凄く多い楽器だから、そういう演奏しか聴いたことないと、それが龍笛の音と思い込んでいる人も多いんだよ」
「なるほどねぇ。青葉は龍笛を吹くんだよね?」
「うん」
「千里さんも龍笛吹くとか言ってなかったっけ?」
「あれ?そういえば昨日言ってたね。でも私、ちー姉の龍笛って聴いたことないや」
と言って青葉は少し考えていた。昨日ちー姉は車の中で龍笛もフルートも借り物と言ってたっけ? フルートを吹くのでその応用で龍笛も吹くのだろうか?と考えた。でも一度ちー姉の龍笛聴いてみたいな。
12月31日の大晦日の午前中。千葉市内のL神社。
神社は年末年始はどこも物凄い混雑となるが、大晦日も午前中はまだそんなに人が多くない。千里が竹ぼうきを持って掃除をしていたら桃香が境内に入ってきて「お疲れ〜」と言った。
「桃香、私がここに居るの知ってたんだ?」
「以前朱音が言ってたんだよ。千里によく似た巫女さんがこの神社に居たってね。今朝唐突に思い出した」
「ふーん」
「今日はいつものファミレスは休みなんだよな。電話したら留守電が流れてた」
「年末年始にお休みするって不思議なファミレスだよね。まあ、本来はそれがマトモであって、年末年始も休まず営業している方が変だと思うけど」
「いつから勤めてるんだっけ?」
「大学に入ってすぐからだよ。但し週に1回だけね」
「ほほぉ」
「毎日やると大学の勉強ができなくなるから、夜間のファミレスという、大学の授業とは時間が重ならなくて、しかもけっこう暇な時間のできるバイトをメインにしたんだよ」
「ああ、そういうことだったのか」
「ただし今年の年末年始は今日から三が日まで毎日出る」
「千里の龍笛、聴けるか?」
「今、昇殿祈祷すると聴けるよ」
「小祈祷5000円でいい?」
「大祈祷2万円払うと特別バージョンの龍笛が聴けるよ」
「商売上手だな」
結局、桃香は本当に大祈祷2万円を申し込んでくれた。祈祷内容は「夫婦円満・就職成就」と書かれていた!
神職さん2人・巫女さん2人と一緒に昇殿する。巫女さんの1人が千里であるが、もうひとりの巫女さんが昇殿前のお祓いをしてくれた。
神職さんのひとりが祝詞を読み上げる。もうひとりの神職さんが太鼓を叩く。ひとりの巫女さんが舞を舞い、千里が龍笛を吹く。
凄いと桃香は思った。桃香は信心が全く無いので、神社なんて人に誘われたりしない限り、めったに行かないし、昇殿祈祷などというのもほとんど経験が無かったものの、千里の龍笛は、まるで本当に龍が鳴いているのではないかと思えるほど凄かった。
大祈祷なんて申し込んだおかげで神職さんの祝詞がやたらと長い。千里の龍笛も続くが、それを聴いている内に、突然落雷がして、桃香はビクっとした。
晴れてた・・・・よな?
やがて長い祝詞と楽の演奏が終わり、玉串拝礼をする。千里が桃香に渡した榊を神前に供え、二拝二拍手一拝する。その後、かなり長い神職さんのお話があって、祈祷は終了した。神殿を降りると、千里が巨大な紙袋を桃香に渡した。
夕方。千里が年越しそばに伊達巻き・エビ天などを買って帰宅した。鏡餅は「越後製菓のお鏡餅」を30日のうちに彪志が買って来て飾っている。おせち料理は今朝から朋子と青葉が協力して色々作っていた。千里が帰宅して5分もしない内に桃香も帰宅する。
「あれ?桃姉、神社に行ってきたんだ?」
「うん。初詣もよいが詣納めもよいかなと思って。このもらったお札はどこにどう置けばいいんだ?」
「あ、私が置くよ」
と言って青葉は本棚の一画に場所を作ってそこに袋に入っていたお札と御神酒を並べた。更にPPC用紙を1枚取ってそれを折り、盛り塩を載せ、また桃香の友人が作ったという陶器の杯に水を入れて供えた。
「あれ?今この部屋の空気に秩序が出来た気がする」
と彪志が言う。
「うん。作ったから」
と青葉は言う。
「本当は正式の神棚を置いた方がいいんだけどな」
「だけどどうせ1年もすればあんたたち引っ越すんじゃないの?」
と朋子は言った。
「まあどこに就職するかによるな」
「でもあんたが神社なんかにひとりで行くなんて珍しいね」
「なかなか就職先が見つからないからなあ」
「あれ、L神社に行ってきたのね?」
と桃香が持っていた袋に印刷されている社名を見て朋子が言う。
「ああ。バスに乗っててふと鳥居が見えたんで入ってみたらそこだった」
と桃香。
「それは凄く縁があったんだと思う」
と青葉。
「私たちは昨日行ってきたね」
と朋子。
青葉と朋子は30日に、建立を進めている神社の件で、その管理を委ねることにしているL神社に行って、宮司さんとお話してきたのである。
「昇殿したんなら、あの太刀見たでしょ?」
「太刀? なんか巨大な宝飾刀が立ててあるなと思って眺めていたが」
「関東大震災の時に、神社の裏手の山が一部崩れて、そこから出て来たんだよ。国宝に指定されているけど、おそらくヤマトタケルとかの時代のもの」
「凄い! そんなものなら、もっとマジマジと見ておくべきだった」
19時頃になってみんなで年越しそばを食べ、おせちの摘まみ食いもする。
「まだもう少し入るな。ロースハムもらったのがあったよな?」
「うん。お店でうっかり賞味期限切れにしちゃった奴なんだよ。本当は廃棄しないといけないんだけど、店長さんが持ってけ持ってけというから、もらってきた」
5人もいるので、業務用ロースハムのひとかたまりがあっという間に無くなる。
「青葉あまり食べてないのでは」
「私少食だから」
「千里も少食だしな」
「私、効率がいい身体なんだよね」
「ちー姉も、モスは半分しか食べないね」
「だってあれボリュームあるもん。マックなら1個食べられるよ」
「しかしマックに入っても千里はポテトを残す」
「あそこまでとても入らない」
「青葉にしても千里さんにしても、食の少ない女性って感じ」
と彪志が言う。
「ちー姉、高校時代はバスケしてたんでしょ? その頃は食べてた?」
「今と変わらないよ」
「練習の後とかお腹すかなかった?」
「青葉も朝のジョギングした後でも、朝御飯は茶碗1杯とお味噌汁くらいしか食べないじゃん」
「うーん。私は小さい頃、1日に1食食べられたら良い方なんて生活送ってたから、そういう体質になってるんだよね」
と青葉。
「千里も家が貧乏だったから、お肉とかあまり食べられなかったと言ってたな」
と桃香が言う。
「うん。特に中学生の頃とか、ほとんど菜食状態だったよ。お肉はお父ちゃんと妹が食べる分しか買わずに私もお母ちゃんも野菜ばかり食べてた。高校になって叔母さんちに下宿してた時は多少お肉も食べてたけどね」
「千里、お父さんとは和解できそう?」
と朋子が心配そうに訊く。
「聞く耳持たないみたいだから当面放置で」
「だけどあんた、実家に毎月仕送りしてるんでしょ?」
「ちょっとだけね。今はこちらも学費でせいいっぱいだし。私が仕送りしてることは、お父ちゃんには言わないでとお母ちゃんには言ってる」
「私は全然仕送りしてないな」
と桃香が言うが
「学生の間は無理だよ。普通親が子供に仕送りするんだけど、あんたは理系なのにほとんどこちらからの仕送り無しでここまで来たね」
と朋子は言う。
「1〜2年生の頃のバイトの貯金を結構食いつぶしたけど、実際問題としてここ1年くらいは千里に経済的に依存している。学費に足るほどまでバイトしようとすると勉強する時間が無くなるんだよ。千里はちょっと働きすぎな気もするけどね」
と桃香。
「寝られる時には寝てるから。私熟睡しててもお客さんが来たら目を覚ますの得意なんだよね。でも私が性転換手術を受けた後何ヶ月かはお母さんに援助してもらって助かりました」
と千里。
「千里も私は自分の娘と思っているから、いつでも頼っていいんだからね」
と朋子。
「ありがとう」
やがて0時の時報が鳴る。2014年の年明けである。5人で「あけましておめでとう!」と言い、桃香が本棚の所に青葉が上げておいた御神酒をおろしてきて、グラスに注いだ。
「青葉も正月くらいはいいだろ?もう高校生だし」
と桃香は言っている。
「じゃ1杯だけ」
と朋子も容認したので、5人でグラスを合わせて、おとそ代わりにした。
正月3ヶ日は千里は毎日朝から夕方までバイトに出ていたが4日はお休みということで5人で一緒に初詣に行った。
おみくじを引くと、全員中吉〜大吉であった。就職に関しては桃香は「叶う」
と出たが千里は「叶わず」と書かれていた。
「うーん。正直なおみくじだ」
などと千里が言う。
「どうしても就職先が見つからなかったらどうするの? 今勤めているファミレスでバイトを続けるとかは可能なの?」
と朋子が尋ねる。
「うん。一時的には可能だろうけど、ずっとというのは本部がいい顔しないと思う。バイトのフロア係はある程度入れ替わっていくことを想定しているから。実際、今勤めている店でも、店長含めて3年以上勤めている人はいないもんね。私は例外的な長期キャリア」
「お嫁さんに行くとかは?」
と青葉が言う。
「それはもっとハードルが高い」と千里。
「そんなことは許さん」と桃香。
「どうしても仕事先が見つからなかったら、私のお嫁さんにならない?」
と桃香が言う。
「私、できたら男の人と結婚したいよぉ」
「千里さんと桃香さんの関係もほんとに不思議だよね」
4日の夜、彪志のアパートと一息つきながら彪志が言った。
この年末年始、年越しの夜をのぞいては、だいたい朋子は千里と桃香のアパートで寝て、彪志と青葉は彪志のアパートで寝ている。但し母との約束でその間にセックスは最大3回までということにした。実際こちらに来た日と1日の夜に1回ずつした。今夜は最後の1回を行使するつもりでいる。
「ちー姉は、ふたりの関係はあくまで姉妹みたいなもの、と言っている割りにはちゃんと桃姉の愛を受け入れているから。ファミレスのバイトが休みの日には必ず一緒のお布団で寝ているみたいだし、桃姉の誕生日にはプレゼントしたりしているし、結構ペアのアクセサリーしてたりするし」
「今日もおそろいの指輪をしてるなと思って見てた」
「うん。右手薬指にね。左手薬指にはめるのをちー姉が拒否したんで桃姉も右手薬指で妥協したんだと思う」
「あれ、ジルコンか何か?」
「ダイヤだよ。小さいけどね。一昨年の秋、ちー姉の戸籍が女に切り替わった時に桃姉が最後まで持ってた株を売却してペアで買ったらしい」
「それって、マジでエンゲージリングなのでは?」
と彪志。
「ね?」
と青葉。
「青葉、時々未来のことを予言したりするじゃん。ふたりのことは分からないの?」
「そもそも身近な人のことって、なかなか分からないんだよね」
と言って青葉は震災が起きた日の朝、姉の未雨とふつうに別れた時、自分でも理由の分からない大粒の涙があふれたことを思い出していた。今でも姉を救えなかったことが悔しくてならない。
「占い師さんでも自分のことは占えないって人多いよね」
「うん。私は自分のことは占えるけど、家族や恋人のことは自分のこと以上に占いにくい。占うためにはその物事に対してニュートラルな心にならないといけないけど、家族や恋人に対してニュートラルになんてなれないんだよ」
「自分にはニュートラルになれるの?」
「うん。私は自分の命を捨ててるから」
「それは青葉の問題点だけどね」
「でもたぶん、凄く将来にはあの2人結婚するという気がする。もしかしたら20年か30年くらい先かも知れないけど」
「そういう愛もあるのかも知れないね」
と言って彪志は青葉にキスをして抱きしめた。
青葉の学校は6日月曜日から始まるので、5日夕方の新幹線で高岡に戻る予定であった。5日の午後は、5人で桃香のアパートでくつろぎながらテレビなど点けていた。
「あれ?08年組のスペシャル番組があるんだ?」
と彪志が言うのでそのチャンネルに合わせる。
番組は最初、ドリームボーイズの蔵田孝治と、ナラシノ・エキスプレス・サービスの海野博晃の対談がある。
「女の子の歌を見たくてチャンネル回して、おっさん2人の対談が流れていたらクレームもんだな」
などと桃香が言う。
「でもドリームボーイズって桃香さんたちの世代に人気あったのでは?」
「私は男には興味無い」
「なるほど」
千里が何だか懐かしいものでも見るような顔をしていた。
「ちー姉、ドリームボーイズのファンだったの?」
「ううん。でも妹が好きだったよ」
「へー」
その後、XANFUS, AYA, ローズ+リリー、スリーピーマイス、KARIONの順に30分ずつ録画されたビデオが流された。いづれもこの番組のために新たにスタジオで演奏・収録したものであるらしい。
「スリーピーマイスの3人って、あくまで顔を隠すんだね」
「最初は別に隠すつもりなかったらしいけど、ファンの間で絶対顔を出さないらしいという噂が広がってしまったので、それで悪のりして出さないようになったという話だよ」
「まあタレント像ってファンと一緒に作っていくものだから、そういうスタイルもまたいいんだろうね」
KARIONの演奏の後に、KARIONのリーダーいづみと、スイート・ヴァニラズのLondaの短い対談が入っていた。
「蘭子ちゃんって、実はKARIONのデビュー以来、ずっとキーボード弾いていたんだって?」
「そうなんです。だからトラベリングベルズの最古参メンバーなんです」
その発言に彪志が「うっそー!」と言っている。桃香は「へー」という顔である。しかし千里と青葉が平然としているので彪志が尋ねる。
「知ってたの?」
「うん。でも古いファンサイトでは普通に書かれていたこと」
「えーー!?」
更に、いづみとLondaの対談は続く。
「蘭子ちゃんって、それなら歌の方にも実はかなり頻繁に参加してたのでは?」
「実はこれまでに発表したKARIONの四声の曲、ほぼ全てに蘭子は歌唱参加しています」
また彪志が「えーー!?」と言うが、青葉と千里は平然としている。
「知ってたの?」
「うん」
そして最後の応答がその後1ヶ月ほどにわたって、日本のポピュラー音楽界を激震させることになる。
「KARIONの四声の歌って結構多いよね。最初ラムコがいた時は別としてデビュー以降は3人しか居ないのになんで四声で編曲するんだろうと昔から不思議に思ってた。四声の曲ってどのくらいの比率かな?2〜3割?」
とLondaが訊いたのに対していづみがこう答えた。
「五声や六声以上の歌以外の全てが四声です。KARIONがこれまで発表した曲の中に三声しか使われていない曲は存在しません。ですから実はKARIONは《4つの鐘》という名前の通り、最初からいづみ・みそら・らんこ・こかぜ、4人のユニットだったんです」
彪志は最初絶句していた。桃香と朋子もちょっと驚いている感じだ。しかし千里と青葉は頷きあったりしているので彪志がまた訊く。
「知ってたの?」
「うん」
「だけど大胆な告白をしたね」と青葉。
「青葉、けっこう告(こく)っちゃいなよと煽ってたでしょ?」と千里。「私以外にも何人か煽ってた人がいたみたい」と青葉。
「あのHな先生とかだよね?」と千里。
「ちー姉、あの先生知ってるの?」と青葉。
「だって鮎川さんの先生だから」と千里。
「あ、そうか。その縁か」と青葉も納得している。
その会話が彪志にはさっぱり理解できない風である。
「いつ、らんこのこと知ったの?」と彪志が訊く。
「ちー姉はいつ頃知った?」
「2008年の10月くらい」と千里。
「私は2009年の3月くらいかな」と青葉。
「でもこれどういうこと?」
「まあ、これでその蘭子の正体も明日か明後日くらいには全国に知れ渡るよね」
「たぶんね」
「正体って?」
「まあ、世間の動向を見てるといいよ。きっと楽しいことになるよ」
と青葉は笑顔で言った。
ただしこのいづみの発言は内容があまりにも衝撃的であったため、KARIONのファンの多くが「蘭子の正体」を認識したのは、半月ほど後であった。
翌日、青葉が学校に出て行くと、たちまち空帆に捕まった。
「ね、ね、青葉って水沢歌月=蘭子ちゃんと知り合いだったんでしょ?だったら蘭子の正体も知ってるよね?」
「蘭子の正体って?」
「蘭子って実は、別の名前で有名な人物ではないかという噂が出て来ている」
「まあ別名で有名だね」
「誰なの?」
「ネットの議論が自然にその人の所に収束すると思うよ」
とだけ青葉は言った。
その蘭子の正体が実はローズ+リリーのケイであるという結論にネットの論客たちが辿り着いたのは、1月下旬頃であったが、3学期が始まって最初の週末、1月11-13日の連休の時点でも、蘭子=ケイというのが濃厚という話になりつつあった。
この週末、青葉たちFlying Soberのメンバーは横浜レコードから出すCD制作のため高岡市内のスタジオに集まったのだが、この話でみんな持ちきりである。
「やはり、蘭子=水沢歌月は柊洋子でケイなの?」
とみんなから青葉に質問がされる。
「うん。だいたい結論は出たみたいだけど、実際そうだよ」
「よく掛け持ちできてたね!」
「KARIONのライブには多分8割くらいはケイが現地に行ってて、カーテンの後ろとか、どこか隠れた場所で演奏したり歌ったりしてたんだよ。どうしても行けない場合は音楽大学の院生くらいのレベルの人が代りに行ってピアノとか弾いてたはず」
「それってなんで隠れてたわけ?」
「やはり契約上の問題?」
「契約上は実は問題無かった。隠れていた理由は説明すると物凄く長くなるから省略」
「うーん・・・」
「今後は、じゃ、蘭子=ケイはKARIONのライブに出てくるの?」
「そのためのカムアウトだと思うよ」
「ね、ね、春くらいにKARIONもローズ+リリーもツアーあるよね?そのチケット何とかならない?」
「今から話しておけば、KARIONの方は何とかなると思う。この8人分だけでいい?」
「うん!よろしく!」
「多分今年はKARIONの方が色々仕掛けありそうだし」
「ローズ+リリーもちょっと変わったことするみたいだよ」
「へー!」
スタジオを借りていた時間の最初の1時間くらいを蘭子に関するおしゃべりというより、青葉に対するみんなの質疑応答で消費した感じもあった。その後はここ一週間ほどの疑問が解消してスッキリしたのもあって、みんなノリノリの演奏をする。収録は順調に進んだ。
収録した曲は、空帆が書いた『細い糸』『ぶりっ子ロックンロール』、そして青葉が《伏木友映》の名前で書いた『告白』である。この名前で自分たちのバンド用に曲を書いて横浜レコードからリリースすることについては、★★レコードの加藤課長の承認済みである。
「そういえばヒロミは性転換しちゃったこと、お父さんに告白したんでしょ?」
「私、性転換はしてないよぉ。去勢だけだよ。そのことは話した」
「性転換してないってのは嘘だと思うけどなあ」
「青葉分からないの?」
「私はMRIじゃないよ」
「やはりヒロミを拉致してMRIに掛けよう」
「それで万一おちんちんが付いてたら、そのまま性転換手術してくれる病院に転送だよね」
「やめてよぉ」
と言いながらも、ヒロミが全然嫌そうでないのを、青葉は微笑ましく見守っていた。
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【春告】(2)