
bloomers
学校教育で体育の授業の運動時に着用する体操着や、スポーツ用パンツとしても広く用いられる。また女子バレーボールや陸上競技の選手が試合や練習ではくユニフォームパンツもあり、用途に応じてバレーブルマー、バレーショーツ、陸上ブルマーと呼ぶこともある。チアリーダーがはくコスチュームパンツにも使われている。また、パンチラ対策として、ガード用にも使われている。
ブルマーは、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家によって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服からの女性衣服の転換という革新的なものであった。後にこれが運動着として使えるようなものに改良された。当時は女性用の適当な運動着はなく、この発明は極めて画期的なものであった。この頃のブルマーはニッカーボッカーズボンのようにだぶつきがあり、膝あたりまで丈があった。
また、別の説では乗馬用のズボンが変形したものともいう。
他方、義務教育の現場において体操服が指定されるようになったのもこの頃からである。小学校・中学校・高校・大学でもこのようなショーツ型のブルマーが体操着やユニフォームとして採用されたほか、幼稚園や保育所の体操着としても使用しされた。機能的に動きやすく体に密着しており、前述のとおりオリンピックや国際競技の場で公式に使用されている向きがあったことで「ブルマー=女子の体操服の代名詞」として当然のように意識されるようになった。
色は濃紺が主流であったが、えんじ色、緑ほか様々で、ブルマーの側面には白などのラインが入るデザインなど、ジャージー同様に様々なバリエーションが存在する。学年ごとに色を変え、区別できるようにしている学校もあった。 ブルマーの裾はゴム仕様が多く、オペロンゴムやスパンゴムと呼ばれウエストや足口にソフトにフィットする平ゴムタイプ、運動時に腹部にくい込みにくい2重または3重ゴムタイプのものとに大別できる。
主に、前身頃と後身頃というシンプルな構成になっている。製造元によっては一枚布で縫製されたものもある。
ショーツとほぼ変わらない形状、および丈になっているが、内側にショーツを穿いた上に着用する。そのため、ショーツを2枚重ねて穿く格好となり、下からショーツがはみ出ることがある。この現象は俗にハミパンと呼ばれている。
脚ぐりの位置は通常、ラインがウエストラインとヒップラインの中間あたりまで切り込まれ、ハイレグはヒップラインよりやや上まで切り込まれ、ローレグはヒップラインの少し下くらいまで切り込まれている。ショーツで言うとローレグカットかレギュラーカットとほぼ同じである。
中にはブルマーを水着がわりに使用する場合もあるが、一般的にも難しく思われている。理由としてはブルマーの素材が水着と違って、水を多く含み重さで脱げてしまいやすい。体操服も水を含んでしまうと、首回りが広がったり肩が下がったりする為に水着として採用されなかった。
素材はナイロンやポリエステル等の厚地で伸縮性がある。
色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。
腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。
内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。
クロッチが必要ないため、二枚布を股間で縫製する。
中にはテレビ番組の企画として『ずぶ濡れバレーボール』という女子限定のバレーボールがあり、貸切にした屋内プール場にて水深膝くらいの深さまで入っている温水プールに設営された特設バレーコートで美少女アイドルと一般参加の女性チームがプールに入ってバレーボールの試合を行うという企画も行われていた。企画に一般参加した女性チームは水着着用ではなく、ふだんの練習や試合で着用するバレーユニフォーム(長袖ユニフォームシャツにバレーブルマー)一式を水着代わりとして着用していた。
敗戦後は日本は国力に極めて乏しく、東京オリンピック前後まで文部省や教育現場では、義務教育において体操着を学校標準指定で強制することはなかった。当時、小中学校の女子生徒のブルマーは紺色のちょうちん型が圧倒的に多数を占めていた。親の手製も見受けられた時代でもあった。ショートパンツ型や現在に近い形の製品も混在していた。尚、ちょうちん型とニット生地ショーツ型の過渡期的なものとして1960年代後半にはサイドファスナーでウエストリアがゴムシャーリングとなり、すそが折り返しになった紺サージ生地のショートパンツ型が一般的で、このタイプは1980年代いっぱい伝統と格式を重んじる一部の私立校で採用され続け来た。このタイプを「ショート」あるいは「短パンブルマー」と呼ぶ場合がある。
戦後には小学校などで遭難時の訓練目的で着衣水泳の授業が行われ、その際に体操着が用いられることがあった。
1970年代になると、永井豪の漫画『ハレンチ学園』などの影響によってスカートめくりが流行した。これに対する防衛策として、女児が普段からスカートの下にブルマーを重ね穿きするケースが多く見られるようになった。
シンガポールの日本人学校(中学校)では、新任の保健体育教師が「日本の中学で採用しているブルマーの方が動きやすいので、これに統一したい」と提案。それに対し、一部の生徒は、「太ももの上部まで見え、校外マラソンの際、通行人にじっと見られる」と訴え、「全員に強制する理由はない」と反対したという。教師側は「ブルマーは体にぴったりして機能的」と主張。対し、生徒側は「腰の線や足が露出しすぎる」と主張。学校側が生徒の反対を押し切って、体育着をブルマーに指定。それに対して生徒らが反発したが、最終的にはブルマーに統一された。
1990年代に入ると、それまでは一部のマニアたちの間だけのものであったブルセラ趣味が商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーや衣類などを買取り販売するブルセラショップが誕生した。またインターネットなどの普及によって、こうした嗜好の存在が一般にも広く知られるようになり、ブルマーが性的好奇心の対象として認知されるようになると、運動会などの学校行事においてブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマーの窃盗をはたらいたりして逮捕される者が続出し、社会問題として取り上げられるようになっていった。
こうした時代背景の中、当の女子生徒たちの間からもブルマー着用の必然性に対して疑問の声が上がり始め、新聞にブルマー廃止を訴える女子中高生の投書が掲載されるようになった。東京都小金井市議会で女性議員が問題提起を行うなど、ブルマーの廃止が提議され始めると、学校や保護者の多くもこれに賛同した。また男女同権論者・ジェンダーフリー教育論者の中からは、通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育の観点に照らして男子・女子とも同じ運動着を着るべきであると主張する人々も現れた。
これらの動きにマスコミも追従し、ブルマー反対派の女性著名人らが雑誌などで論陣を張った結果、追放運動は1990年代中盤にピークを迎えた。1994年にいくつかの県で廃止が決定されると、教育現場の強い横並び意識も手伝い、ブルマーの着用廃止は数年のうちに全国に広がった。こうして公立校は2004年、私立校でも2005年を最後に、女子の体操着としてブルマーを指定する学校は日本から消滅した。多くの学校では、ブルマーの代わりにハーフパンツ(短パン)が採用されることとなった。
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