永井明子(ながいあきこ)は1950年代の性転換者で、日本の性転換第1号といわれている。
この人のことは良く分からないが太田典礼「第三の性」、高橋鐵「あぶらぶ」で紹介されている。それ以外にも幾つかの文献に名前が散見される。それを総合すると下記のようなことのようである。
1924年生まれでキャバレー回りの女性歌手をしていた。出生名は永井明。東大精神科に半年通って「心理的には治療不可能」という診断を得る。それに基づき、1950年8月、陰茎と睾丸を切除する手術を受け、1951年4月頃に造膣術を受ける。それと前後して豊胸手術も受けている。一連の手術は1951年12月まで続いた。
陰茎と睾丸の除去は上野の竹内外科(竹内篁一郎院長)、造膣術は日本医科大学病院の石川正臣教授の執刀である。
手術後、家庭裁判所に性別の変更?を申し出て、認められ、名前を明から明子、続柄を三男から二女に変更されている。
この手術はクリスティーヌ・ヨルゲンセンより前であり、おそらくロベルタ・コーウェル?よりわずかに早いようである。
当時の手術では陰茎を短く切ってそのまま陰核としたらしく、この小さな人工陰核は性的に興奮?するとかなり勃起して、とても困ったとのこと。
その後の彼女の消息については、よく分からない。