■夏の日の想い出(6)

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2月になると、世間も少し落ち着いてきたので、ボクらは学校に出て行った。クラスメイトたちは事前にその件について騒がないようにと学校側から言われていたようで、かなり普通に接してくれた。ボクたちはこうしてふつうの高校生に戻ったのであった。
 
ローズ+リリーの活動で得られた物凄いお金については、事件でキャンセルになった様々なイベントなどに関するキャンセル料の補償にと、ボクと政子は自主的に返上したいと申し入れたのだけど、それはボクたちの親の同意がないと返上することもできないようであった。その問題については、2月になってから、ボクの両親と政子の両親が会って弁護士さんの事務所で話をし、その弁護士さんに事務所の社長と交渉してもらって、所得税・住民税として払わなければならない金額を差し引いた額の半分を返上するということで、話がまとまった。残った金額は信託銀行に預けて、当面の間、実質的に凍結されることになった。 
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ボクらはその後ふつうの高校生生活・受験生生活をして、ふたりとも大学に進学した。ボクと政子はその後も仲良くしていたが、もちろん「恋人」関係になることは無かった。携帯のメールは毎日のように交換していたし、よく話もしていたが、ボクたちは基本的に「女友達」の感覚だった。休日には一緒に街に行ったりすることもあったが、ボクはそういう時は性別曖昧な服を着ていた。
 
こんな事件があったので、政子の母が日本に留まることになったこともあり、ボク自身も両親の目があったので、ボクは高校在学中は女装することはできなかったが、大学に入ると、ボクは家を出てアパートを借り、母親にだけ言って、ひとりで女装生活を始めた。やはりローズ+リリーの活動をしていた時から、ボクはもう「女の子」になってしまっていて、後戻りはできない精神状態になっていた。高校卒業までの1年3ヶ月を男の子として過ごしたことも反動となって、ボクは完全に「女の子」のほうに性別の針が振れてしまったのであった。 
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ボクは・・・・いや、大学に入ったのを機に、私は自分の一人称を「私(わたし)」に変えた。最初は友人などの前で「わたし」とか「あたし」とか言うのに少し心理的な抵抗があったけど、すぐに慣れた。
 
その頃、須藤さんはあの事務所を辞めて(実際問題として騒動の責任をとって辞職することになったようであった)、自分の事務所を設立していたが、私たちの卒業を待って、また私たちに接触してきた。政子のほうは「もう芸能活動はいいです」と断ったのだが、私はローズ+リリーのケイとして活動していた時の、あのライブでの独特の緊張感、大勢の人の前で歌う時の独特の高揚感が忘れられない気がしていた。
 
母に何とかお願いして芸能活動の契約書にハンコを押してもらうことができたので、私は大学1年生の夏休みから芸能活動を再開することになった。 
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ローズ+リリーが、もともと本格歌唱ユニット志向であったことから、私を売り出すのにも、ソロ歌手として売るより、バンドなどの形にしたほうが売りやすいと判断したようで、都内で活動していてセンスのいい演奏をしていたもののボーカル(と喧嘩別れして)不在であった3人組のアマチュアバンド(ギター・ベース・キーボード)「クォーツ(Quarts)」をスカウトし、4人セットで「ローズクォーツ」(Rose-Quarts)として売り出すことになった。クォーツのリーダーはベースのマキという人で最初会った時、私は「なんか凄い変人」と思ったが、すぐに仲良くなることができた。向こうも「ローズ+リリー」の騒動は覚えていたので、そのケイと聞いて「変態とやるのは嫌だ」と思ったらしいが、私が実際には「ほとんどふつうの女の子と変わらない」感じだったので、こういう子となら一緒にやってもいいかと思ったと後から言っていた。
(なお、Quartsは 4分の1のQuartに複数形のsを付けたもの)
 
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須藤さんは前の事務所と交渉して、「ローズ」という名前と「ケイ」という名前の使用、それに「ローズ+リリー」で歌っていた歌の歌唱について快諾を得た。適当な額のマージンと毎月の使用料を払うことで決着したようであったが、その額は教えてくれなかった。前の事務所もローズ+リリーでは『儲けそこなった』感覚だったので、私の活動でそれを一部回収できると嬉しいようだった。私は須藤さんといっしょに前の事務所に挨拶にいき、社長ともにこやかに会談してきた。 
「あの頃は爽やかな女子高生という感じだったけど、1年ちょっと経って、少し色っぽさが出てきたね」などと言われた。
「性転換手術はしたの?」
などと聞かれる。
「いえ、まだです」
と私は焦りながら答える。
「手術したくなって手術代なかったら出してあげるから」
「あ、ありがとうございます」(汗)私は困ったような顔で答える。
 
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「でもフルタイムになりました」
「フルタイム?」
「1日24時間・週7日、女の子の格好で過ごしてます」
「なるほど、少なくとも『趣味の女装』ではなくなったわけだ」
「はい」
と私はにこやかに答えた。
 
「ローズクォーツ」のデビューシングルは7曲入り(もはやシングルとは言えない気がしたのだが・・・・)で、タイトル曲は「ローズ+リリー」の「その時」と「甘い蜜」書いた大物作曲家さんが、私の再デビューを聞きつけて「祝電代わりにあげる」といって書いてくれた「萌える想い」というテクノ風の曲。両A面として「ローズ+リリー」でも好評だった「ふたりの愛ランド」を入れた。
 
「ふたりの愛ランド」というので、私はてっきりマキさんとデュエットするのかと思ったら、ひとりでデュエットしてと言われた。「え?」「冬子ちゃん、きれいな女声と中性的なボイスと両方持っているから、そのふたつを使い分けてひとりデュエット」「ひぇー」 
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このほか、クォーツの持ち歌でフュージョン調の「Love Faraway」、私と政子がローズ+リリーで使うつもりで1年前に書いたままになっていた「あの街角で」、過去の有名ヒット曲から「川の流れのように」、そしてなぜか「佐渡おけさ」。 
「どうして突然民謡なんですか?」
と私は聞いた。
「いやあ、こないだたまたまラジオで聞いて、いいなあと思ったのよ。絶叫系の曲は冬子ちゃんの声に合うしさ」 
ということで、私はなんと1ヶ月間毎日、新潟まで新幹線で往復して民謡教室に通わされたのであった。ついでにマキさんも一緒に通わされて、マキさんは民謡の太鼓を習わされたのであった。この往復の新幹線の中で私はマキさんとたくさん音楽の話やそれ以外の話もして、結果的にこれが私達の連帯感を作ることにもなった。後から思えば須藤さんの目的はそちらだったかも知れないという気もする。 
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そして7曲目が問題で「ふたりの愛ランド・裏バージョン」であった。両A面の方の「ふたりの愛ランド」は、女声と中性ボイスでデュエットしているのだが、こちらは女声と男声でデュエットしようというのであった。私は念のため聞いた。「あのぉ、その男声って誰が歌うんですか?」
「冬子ちゃんに決まってるじゃん」と須藤さん。
「あはは」
私はもう恥は捨てて、自分の女声と男声を使い分けて「ふたりの愛ランド」を、半ばやけくそで吹き込んだ。
「ああ、なんかこの投げ槍な感じがいいなあ」
などと須藤さんは言っていた。
 
そうして完成した「ローズクォーツ」のデビューシングルは8月3日にダウンロード開始となった。CDはプレスせずに、ダウンロードのみの販売としたが、先着ダウンロード1万名にローズクォーツ製のペンダントをプレゼントなどという企画をした。 
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「わざわざ応募してもらって送る方式にするのは、ファン層を形成するため。葉書出すだけでアクセサリーもらえるなら結構出してくれるでしょう。で、葉書出した人は高確率でローズクォーツのファンになってくれると思うのよ。それに、うまい具合にバンド名の『ローズクォーツ』(Rose-Quarts)とパワーストーンの『ローズクォーツ』(Rose Quartz)とを掛けることができたしね」 
ちなみにこの8月3日は、私が「リリーフラワーズ」の突然の失踪で、政子とふたりで、代役でデパートのイベントをこなした日からちょうど2年目に当たる日だった。 
「萌える想い」は須藤さんが足とコネで地道に宣伝しただけであったにも関わらず最初の1ヶ月で3万ダウンロードを越えた。マキさんは
「すげー、10%もらえるということは、24万円÷4人?そんなギャラもらうの初めて」
と言ったが、私は
「桁が違いますよ。240万円です。1人60万円」
と訂正した。マキさんは絶句していた。
 
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しかし、2chなどでは、やはり「ふたりの愛ランド・裏バージョン」が話題になっていた。投げ槍に歌っているのが脱力感もあっていいなどといった書き込みを見て、私はもう苦笑いするしか無かった。
 
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