【夏の日の想い出・事故は起きるものさ】(2)

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「気分が悪くなって退出じゃなくて、パニックになって将棋倒しが起きたんだよ」
と翌日マンションに来た和実が語った。
 
「うちの店のメイドさんが見に行ってたんだ。最初フェイクかと思ったらしいんだけどね」
「やはりマジで切った訳?」
 
「登って来い、登って来いと叫んで、それでその人が上にあがって最初は一緒に歌ってたって。へー?成人式行ってきたの? でもあっちは成人済み?とかもう歌は放置して下ネタ会話。それから間奏でゴキガバさんと殴り合い始めて」
「はぁ・・・」
 
「この程度は普通らしいよ。夏頃のイベントで女性客の服を切り裂いて裸にしてベースのゴキガバさんとギターのネズダベさんとで前後から入れて3P始めたこともあったらしいから」
 
「それでもステージ続行するの〜?」
「そのくらいアリ、ってのが不酸卑惨のライブらしいよ」
「よく事務所やイベンターが許容してたなあ」
 
と私は少々呆れて言った。
 
「その3P事件の時はやられた女性がゴキガバとネズダベを輪姦罪で訴えると言ったものの、事務所が介入して賠償金2000万円払って示談で済ませたらしい」
「仕込みじゃなかったの〜!?」
 
「それで昨日は殴り合いの後、その人のズボンを下げて最初、ゴキガバさんが舐め始めたんだって」
 
「どういう趣味なんだ?」
 
「それでその内、てめー、立ち方が悪いとか言い出して」
と和実。
 
「うむむ」
 
「こんな粗末な物は叩っ切ってやると言って、大きなハサミ持って来て、左手で棒をつかんだまま、ハサミを袋に当てて一気に切り落としたって」
 
「ハサミがあったってことは予定のシナリオか」
「だと思う」
 
「一瞬、客がシーンとしたんだけど、切られた本人、その切り落とされた袋を自分で掴んで高く掲げて、それで客はむしろ興奮して、しばらくみんな踊っていたらしい。その内、その切られた本人が血だらけの袋を客席に向けて放り投げて。それがぶつかった女の子が『キャー』って悲鳴あげて。それで、どうも本物らしいということで」
 
「本人無事な訳?」
 
「分からない。もう客席が大混乱に陥ってしまって、それで将棋倒しとかも発生したんだよ。怪我したふうの客が結構いたって。スタッフがもう照明や音響やってた人も作業中止して必死で場内整理して、それで10分くらいで何とか客を全部出し終えたらしいけど、その切断された性器が当たった女性客と、将棋倒しの下敷きになった客10人ほどを緊急に病院に搬送したらしい」
 
「じゃそれでステージは終わり?」
 
「何だ何だ?演奏はまだ続くぞ!とゴキガバさん叫んでいたらしいけど、あの状態では続行不能だったと言ってた。見に行ってた子は冷静にゆっくりと退出して、野次馬根性でなりゆきを見ていたらしいんだけどね。どうも切断された人はメンバーの知り合いっぽかったって」
 
「ああ。今度は仕込みか」
 
「それにしても切られちゃった人、どうなるんだろう?」
と政子が何だか楽しそう!?な顔で訊いている。
 
「きっと男を辞めたかった子じゃないの?」
 

「続報出てるよ。警察が傷害罪の疑いで、ゴキガバさんを拘束して取り調べているらしい」
 
と私はニュースサイトを見ながら言った。
 
「切られた人のこと書いてる?」
「何も書いてない。まあ死んではないんだろうね。死んでたらそれも報道されてるだろうから」
 

ゴキガバは警察の取り調べに対して、陰嚢を切断したのは自分の友人で、本人も同意した上でやったパフォーマンスであると主張。警察は身柄付きで送検したものの、検察は3日後に容疑不十分で、処分保留のまま釈放した。
 
龕龕レコードでは不酸卑惨に対して今後このような人体損傷パフォーマンスや、同社側で事実確認ができなかったものの一部で噂されていた女性暴行パフォーマンスは行わないよう申し入れたものの、不酸卑惨側は反発。これは表現の自由に対する挑戦だと主張。また先日申し入れられた半年間のライブ禁止についても自分たちは受け入れるつもりは無いとして一方的に龕龕レコードとの契約を解除する旨の声明を出した。
 
そして3月7日に福島県某市で震災復興支援ライブをやると同時に発表する。
 
会場側は今回の事件を受けて、過激なパフォーマンスをするのなら会場は貸さないと言ったものの、不酸卑惨側も、復興支援なのだから無茶はやりませんと回答。事務所の社長とリーダーのネズダベが一緒に現地を訪れ誓約書を提出したことから、会場側も公演を認めることにした。
 
イベントはチケットを1円で販売し、会場に募金箱を置いて入った金額をそのまま赤十字に寄付すると発表された。
 

「レコード会社の契約は解除も何も実はまだ締結していなかったみたいね。契約しようという前提で進んでいたけど、まだ契約書は交わしていなかった」
 
とその日うちのマンションを訪れた加藤課長は言っていた。
 
「それは法的には既に契約したのと同等の効果があるはずです」
「うん。うちの法務部の人もそう言っていた。ただ向こうが解約と言っているから、こちらもそれでいいよという態度みたいだよ。先日からのごたごたで龕龕レコードの上層部も、もう嫌気がさしたみたいで」
 
「実際まだ龕龕レコードからは1枚もCDが出ていませんでしたね」
「うん。自主制作したCDが1枚あるだけ」
「インディーズじゃなかったんですか?」
「自主制作版のインディーズ流通だよ」
「なるほどー」
 

「今回の事件で龕龕レコードで彼らを推していた居舞課長もサジを投げたみたい。少々素行に問題はあるものの、若者を惹きつけるパフォーマンスをするというので将来に期待していたみたいなんだけど、今回の報道から、過去のステージ上での3Pレイプ事件のことまでネットに拡散してしまって、それで女性ファンが随分離れてしまったみたいでね」
 
「レイプはいけないけど、個人的にはそのくらいエネルギッシュなステージをする人、私は嫌いではないですよ」
 
「うん。それは分かるけど、ケイちゃんがレコード会社の担当なら契約したいと思う?」
と加藤さんが訊く。
 
「お断りです」
と私。
 
「まあそういう訳で、彼らはもうメジャーに来ることはないだろうね」
 
「実際彼らの路線は、商業的なメジャーになじまないと思いますよ」
「うん、そんな気もするよ」
 

「しかしうちの復興支援イベントに日程をぶつけてくるというのは結構こちらを意識してるよね」
と加藤さんは言う。
 
「ええ。どうも特に私を目の敵にしている気もします」
と私。
 
「募金箱を置くってのは以前うちもやりましたね」
と政子が言う。
 
「うん。でも今回はしない。それやると、結局出演アーティストも募金せざるを得ない雰囲気になる。それも1万円や2万円って訳にはいかない。でも今回、午前中に登場するアイドルの子たちは、みんな安月給で高額の募金をするほどの経済力がない。それで今回は募金箱も置かない方向にしたんだよ」
 
と私は政子に説明する。
 
「その代わり全員ノーギャラだけどね」
と加藤さん。
 
「ええ。チケットの売上金額は販売委託料を除いた全額を被災地に寄付しますからね。出場者はアゴアシも自腹、主催の★★レコード、協賛の他のレコード会社、各プロダクションも数千万掛かる会場の設営費・運用費を分散して負担するために名前を連ねているようなものだから」
 
と私。
 
「世の中、儲けを寄付するってイベントが多いからね」
と加藤さん。
 
「私はチャリティで出場者がギャラもらってはいけないと思いますよ」
と私は答えた。
 
「でもアイドルの子たちアゴアシ自腹も辛いんじゃないの?」
と政子が言う。
 
「まあそれで、私たちとKARION,XANFUS,AYAの9人で、アイドルの子たち10人の新幹線代とお弁当代は出してあげようよと話していたんだけどね」
 
政子は何だか指を折っている。
 
「らんこちゃんとケイは別か」
 
Rose+Lily(2)+KARION(4)+XANFUS(2)+AYA(1)=9人である。
 
「当然。それ別人だから」
「まだその話、続けてるんだ!」
 
と政子は楽しそうに言った。
 

「そのお弁当代の話で、秋風コスモスちゃんが、自分もそれに出資しますと言っているんだけどね」
と加藤課長。
 
「まあ彼女なら出せるかな。じゃ私たちの半分の負担で。金額は計算してあとで課長にメールします」
と私は言った。
 
「伝えておく。自分は今回出場するメンツの中でいちばん古株だからと言っていたよ」
 
私は一瞬考えた。
 
「ほんとだ!!」
 
「彼女だけが2007年デビューなんだよ。川崎ゆりこ・坂井真紅が2009年、富士宮ノエル・桜野みちる・山村星歌が2010年」
と加藤課長。
 
「じゃコスモスちゃんが今回のイベントのヘッドライナーですね」
と政子。
 
「ああ、それでいいと思う。アイドルグループの最後を締める役だもん」
と私は言った。
 

「でもコスモスちゃんって全っ然うまくならないよね」
と政子が言う。
 
「あの子、わざと下手に歌っているのではと疑ってみたこともあるんだけど、いつか彼女のお姉さんと話したことあるけど、本当に下手らしい」
 
「いや、彼女の歌を聴いているとマジで音感が無いんだと思うよ。音感のある人は自分の音感が邪魔して、歌いながらあんなに音を外していくのは無理」
と加藤さんが言う。
 
「コスモスちゃんのお姉さんも歌手志望だったんだよね」
と政子。
 
「そうそう。§§プロの研究生だった。そのお姉さんの所に来たコスモスを見て紅川社長が、君もアイドルにならない?と勧誘したんだよ」
と私は説明する。
 
「妹はデビューできたけど、お姉さんはダメだったのか」
「お姉さんは歌がわりとうまい」
「へー」
「でもコスモスは音楽の成績はいつも5だったんだよ」
「嘘!?」
「お姉さんの説ではコスモスの音楽の先生は音痴だったのではと」
「うむむ」
 

1月20日(火)夜21時頃。突然青葉から電話が掛かってきた。
 
「冬子さん、今どこにおられますか?」
「え?東京の自宅マンションだけど」
 
「今夜そこを動かないでください」
「どうして?今から出かけようと思っていたんだけど」
「どちらに行かれます?」
「神戸。明日、リオのカーニバルのイベントがあるのに招待されてるんだよ」
 
神戸はリオデジャネイロと姉妹都市になっており、それで2月14-17日に行われるカーニバルの広報イベントが開かれることになっているのである。こちらとしても明日21日は『雪月花』の外国語版の発売日なので会場には★★レコードの神戸支店のスタッフが入り、『雪月花』ポルトガル語版を手売りすることにもなっている。
 
「明日の朝新幹線か飛行機で行く訳には?」
「それが私たちが神戸に行くというので、明日朝、神戸のFM局に出演することになっていて、今夜車で移動しないと間に合わない」
 
「今夜の新幹線ってもう間に合わないんですか?」
「ちょっと待って」
 
私は時刻表を確認した。
 
「無理。東京駅21:23が最終だから、今からじゃ絶対間に合わない。何があったの?」
「誰かが冬子さんに呪いを掛けたんです」
「へ?」
「今夜交通事故が起きるように」
 
私は青葉が冗談でこんな話をしてくることはないことを知っている。
 
「誰か別の人に運転してもらえばいい?」
「呪いの影響を受けないような性質の人でないといけないんだけど・・・・」
 
と言って青葉は少し考えている。
 
「ちょっと千里姉さんに確認してみます」
と言って青葉は電話を切った。
 

青葉の電話が切れたと思ったらドアホンが鳴る。
 
モニターをオンにする。
 
千里だ!?
 
「千里入って入って」
と言って私はエントランスのロックを解除した。
 

「いや、★★レコードに寄ったら、氷川さんからついでの時でいいから冬に渡してって書類をもらってさ。それで暇だし、寄って行こうと散歩がてらここまで歩いて来たんだよ。で、今ここまで上がってくる間に青葉からの電話で話を聞いた」
 
と千里は言う。
 
「千里、あまりにも予定調和すぎて、こんな話を小説とかに書いたら現実味が無いとか、ご都合主義だとか言われると思うんだけど」
と私。
 
「うーん。そういう指摘は桃香には何度かされたことある」
と千里。
 
それで千里はあらためて青葉に電話し、やりとりをする。スピーカーモードにして私たちも会話に参加する。
 
「ちー姉、冬子さんに呪いが掛かっているの確認できる?」
と青葉。
 
「うん。間違いなく冬に掛かってる。これプロの仕業だよ」
と千里。
 
「それどうやって掛けたの?」
と政子が訊く。
 
「たぶん郵便物だと思います。冬子さん宛ての郵便物の中に、呪いの仕掛けを入れておいたんですよ。宛名の人物が触った時点で発動」
と青葉は推測する。
 
「最近、怪しい郵便物受け取ってない?」
と千里。
 
「そんなの毎日たくさんあるから」
と私は答える。
 
「私が今そちらに行けたら見つけ出してそれを排除して呪いも外せるんだけど、ちー姉、そういうのはできない?」
 
「そういう力は私には無いんだよねー。私そもそも素人だし」
「ちー姉、話がややこしくなるから、今更素人を装うのはやめといてよ」
と青葉。
 
「冬も千里も、おとなになってから性転換したなんて嘘をつくのは、話がややこしくなるから、今更やめとけばいいのにね。生まれてすぐ性転換したことはもうバレてんのに」
と政子。
 
「明日朝から私も神戸に行って取り敢えず冬子さんに防御掛けて、そのあと東京に一緒に戻って、そちらのマンションで犯人を見つけて対処したいけど、今夜はちー姉が運転してくれない?」
と青葉。
 
「それが私、夕方雨宮先生との打ち合わせでビール飲んだんだよ」
「わあ・・・」
 
「なんか完璧に仕組まれてるね」
と私は言う。
 
「だからこれはプロの仕業なんだよ」
と千里は言った。
 

「よし、私が運転しよう」
と政子が言い出す。
 
「え〜〜!?」
 
「政子さん、もう運転免許取ったんでしたっけ?」
と青葉が尋ねる。
 
「先月頭に取ったよ〜」
 
「じゃこうしましょう。ちー姉のアルコールが抜けるまでは、政子さんが運転して、助手席にちー姉が乗ってサポートする」
と青葉。
 
「それがいいかも。夜中の12時すぎたら、私もアルコール抜けると思うから」
と千里。
 
「よし、それで出発しよう」
 

青葉はできたら私の車ではなく、千里の車を使った方がいいと言ったのだが、千里は今夜表参道から歩いて来ており、車は水戸市内らしい。水戸で雨宮先生に捕まり、雨宮先生の車を運転して都内に入ってから居酒屋で「男の娘妊娠計画」について話を聞いていたという。その後呼び出されて地下鉄で★★レコードに行き、酔い覚ましを兼ねて徒歩で恵比寿の私のマンションまで来たという。
 
それで結局私のカローラフィールダーを使用することになった。
 
政子はマンションを出ると、カーナビの指示に従い首都高のランプを上り、東京IC方面に向かった。
 
ところが・・・・
 
「え?今の所分岐しないといけなかった?」
「うっそー、なんでこんなにすぐ次のインターチェンジがあるのよ〜!」
 
などと政子は言っている。
 
確かに初心者に、出入口や分岐の間隔があまりにも短い首都高は辛い。
 
千里が教えながら何とかカバーしようとしていたのだが、力及ばず車は東京ICからどんどん離れて、練馬ICまで来てしまう。
 
「下道を行くべきだったね」
「カーナビって高速に乗りたがるもんなあ」
「近くだから乗っても大丈夫だろうと思ったのが甘かった」
 
「仕方ない。遠回りになるけど、中央道経由で行こう」
 
ということで、そのまま練馬ICから関越に乗った。
 

その後は無事、鶴ヶ島JCTから圏央道を通って中央道の方に移ることができる。平日の夜なので中央道は車の量がそんなに多くない。私はかえって東名より良かったかも知れないと思い始めていた。
 
「あれ? 雪が降ってきたよ」
 
「この車、タイヤは?」
と千里が訊く。
 
「スタッドレス付けてるよ。2013年11月に買って今年2冬目」
「だったら大丈夫か」
 
と言いながらも
 
「雪の上は滑りやすいから、《急》の付く操作をしないようにね」
と千里は政子に言う。
 
「キューって?」
「急ブレーキ、急ハンドル、急加速。それやるとスリップするから」
 
「うん。気をつける」
 
などと言って運転していたが突然「わっ」と言う。
 
「どうした?」
「今突然横に動いた」
 
「雪が積もっていたらそれは普通に起きる。焦って急ハンドルしないように。滑った時に急ハンドルすると、スピンするから」
 
「スピンって?」
「くるくると回転」
「それどこに行くの?」
「運任せ。運が悪いと天国へ」
「むむむ」
 

しかしどうも雪が水分を多く含んでいるようで、かなり滑りやすくなっているようだ。
 
「政子、スピード落として。50km/hくらいで走ろう」
「そんなに落としていいの?」
「ほら。見て、速度制限が掛かった。60になってる」
 
と千里は道路脇の標識を指さす。
 
「あれ?この道、60km/hなの?」
「天候が悪い時とかには、60とか、40とか数字が出るんだよ。ふだんは何も表示されない」
 
「へー!天候によって変わる標識なんだ!?」
「そうそう」
 
ところがやはり雪道の運転が初体験だからであろう。しばしば車が横滑りしては「わっ」などと声を出している。
 
「マーサ、次のPAで中に入ろう。休んだ方がいい」
と私は政子に声を掛けた。
 
「うん。そうしようかな」
と本人も言っている。
 
「千里、まだ11時だけど、そろそろ運転できない?」
「うーん。まだ完全じゃないんだけど、初心者の政子よりは私が運転した方がいいかも知れないね。じゃ、次のPAで交代しよう」
 
ところが初心者の初心者たるゆえんで、次のPAの進入路に入り損ねる。
 
「あれ? 今のところ入らないといけなかった?」
「うん」
「じゃUターンした方が良い?」
 
「とんでもない!」
と私と千里は同時に言う。
 
「高速道路はUターン禁止」
「仕方ないから次のSAまで走って。それで交代しよう」
「うん」
 
非常駐車帯に駐める手もあったのだが、距離が短い非常駐車帯にきちんと駐めるのは初心者には結構難しいのでSAまで行った方がいいと、私も千里も言った。
 

そして、その時刻はその後しばらく私の脳裏に焼き付いていた。23:13を車の時計が指し示した時のことである。
 
「わっ」
と突然政子が大きな声を挙げ、車が左に大きくずれる。
 
「危ない!」
声を挙げた時、政子は思いっきり右にハンドルを切っていた。すると車が右にスピンする。
 
「きゃー!」
 
と政子本人がいちばん大きな声を挙げたが、その後、私は何が起きたのか訳が分からなかった。
 

ふと気がつくと、目の前で私の愛車カローラフィールダーが逆さになり、激しい炎を上げて燃えていた。
 
2010年6月に買ってから、4年半の間に私と政子を乗せて20万km, 地球5周分を走り抜いてくれた車である。私はそれを呆然として見ていた。
 
ハッとして左右を見る。すると千里が気を失っている風の政子を腕にしっかりと抱いて立っていた。その時の千里の表情は、今まで私が一度も見たことのないほど恐ろしい、まるで般若のような表情であった。
 
私が彼女を見たのに気づくと、千里はすぐにいつもの表情に戻して言った。
 
「冬、怪我してない?」
「ちょっと待って」
 
私は身体のあちこちを見る。どこか痛いところ無いかな?
 
「大丈夫かも」
 
千里は政子を地面に置く。
 
「気絶した王子様を眠りから覚ますのは白雪姫の役目だよ」
と私に言って微笑む。
 
「最近の白雪姫ってそうなの!?」
 
私は思わずそう言って政子にキスをした。
 
政子はほんとに目を覚ました。
 

「私・・・生きてるの?」
と政子。
 
「そうですよ。王子様」
と私。
 
「王子様。一緒に悪い魔法使いを倒しに行きましょう」
 
「あなたは白雪姫?」
「もちろん」
 
「そうか。白雪姫が王子を起こすのか」
「私とマーサって毎朝そうじゃん」
 
「確かに!」
 
「車の中に何か大事なものあった?」
と千里が訊く。
 
「パソコンや譜面が。でも毎日バックアップしてるから、最悪1日分だけ頑張れば何とかなる。あっ」
 
「何か?」
「ヴァイオリンが」
「どれ持って来てたの?」
「Angela」
「それって6000万円のだっけ?」
「うん。でも私たちが助かっただけで運がいいとしなきゃ」
 

「それは被害の出すぎだなあ」
と千里は言ってから、おもむろに携帯を取り出して、どうも青葉を呼び出したようである。
 
「青葉、事故っちゃったんだけど、呪いを掛けた相手分かる?」
「怪我は?」
「全員無傷」
「よく無事だったね!ちょっと待って」
 
と言ってから青葉はどうもこちらを遠視しているようである。
 
「何これ?」
と青葉が呆れたような声で言う。
 
「私も想定外の事態でさ」
「ホントに!?相手は分かったけど、それより呪いはターゲットを見失って、術者の所に戻って行ったと思う」
と青葉は言っている。
 
「呪いは既(すんで)でかわしてるよね?」
「かわしてる。呪いは解けた」
「良かった」
「もう大丈夫だよ。でもたぶん術者本人が事故る」
「自業自得だね」
「ちー姉ってドライだね」
「青葉には負けるよ」
 
それで千里は電話を切った。青葉はともかくも明日朝一番のサンダーバードで神戸に向かうと言っていた。
 

「さて、呪いは青葉が片付けてくれたみたいだし、私たちはこのまま神戸に向かおうか」
 
と千里は言う。
 
「え?どうやって」
「その車をちょっと押して道路に戻そうよ」
 
と千里が言った時、私は目の前に信じがたいものを見た。
 
さっきまで逆さまになって炎上していたと思っていたフィールダーが普通にちゃんとタイヤを下にしていて、特に炎上もしていない。
 
「今、この車燃えてなかった?」
と私は訊いた。
 
「気のせいでは。誰かが運転席に座って、あとふたりで車を押せばいいと思うんだ」
と千里。
 
「それ腕力を考えたら、政子が運転席に座るしかない」
と私。
 
「私が運転していいの?」
「道路に戻ったらすぐ停めて。それでふたりが乗り込む」
「分かった!」
 

車は急停止した時タイヤが空回りしたのかスタックしている。車に積んでいた毛布を駆動輪である前輪の前に敷き、政子が運転席に座ってエンジンを掛けローに入れて、私と千里が車を押すのと同時に政子がアクセルを踏む。
 
数回やっただけで何とか車はスタックから抜け出し、路側帯まで戻った。
 
毛布を回収し、運転席は千里に交代。後部座席に私と政子が乗って、車はスタートした。
 
「デリネーターを1本折っちゃったけど」
と私が言ったら
 
「言わなきゃバレない」
と千里は運転しながら言う。
 
「バッくれるのか!?」
 
「今の事故って呪いにやられたの?」
「違う。今のは単なる事故」
 
「え〜〜〜!?」
「やはり政子が雪道に慣れてないからスリップした時にうまく処理できなかったんだと思う」
「うむむ」
 
「呪いが事故を起こさせる直前に勝手に事故ってしまった。それで呪いは目標を見失って、術者のところに戻った」
 
と千里は言う。
 
「戻るとどうなるの?」
「もし術者が今夜車に乗っていたら自分が事故るかもね」
「うーん・・・」
 

「ということは、今の事故はひょっとして私のせい?」
 
と政子が尋ねる。
 
「うん。免許取り立てで初めての雪道じゃ仕方ないよ。みんな怪我が無かったから良かった。それに結果的にはナイスプレイになった。それで呪いが無効になっちゃったんだから」
と千里。
 
「いや、政子ってそういう子なんだよ。物凄く守護霊が強いでしょ?」
と私。
 
「政子の守護霊は大きなパワー持った巫女さんだと思う。お筆先を書くようなチャネラーっぽい」
と千里。
 
「似たようなこと、青葉も、竹田宗聖さんも言ってた」
 
「ね。あの場合、滑った瞬間、ほんとは私、どうすれば良かったの?」
と政子が尋ねる。
 
「政子、左に滑った時に右にハンドル切ったでしょ?」
「うん」
「それはスピンしたいですという操作。左に滑ったら左にハンドルを切る」
「えーー!?」
 
「そうすれば車の姿勢を保てるんだよ」
「カウンターステアだね。ドリフトと同じ」
「でもそれで左に飛び出さない?」
 
「ちょっとだけだよ。焦ると概してハンドルを切りすぎて、どうにもならなくなる。初心者の事故で一番ありがちなパターン。ハンドルってちょっと動かすだけで充分大きく動くから。あと基本的な話として、今のように後輪が左に流された場合、車は右に向いている。それで更にハンドルを右に切ったら回転するに決まってる。あるいは反対側に飛び出すか」
 
政子はしばらく掌に指で絵を描いていたが
「あ、なるほどー!」
と言う。
 
「だからハンドルは流された向きに切らないと車の姿勢を元に戻せないわけ。但しちょっとだけ」
「そうだったのか」
 
「それ自動車学校でも習ったはずだけど」
と私が言う。
 
「そうだっけ?」
 
「次横滑りした時のために覚えておきなよ」
「うん」
 
「でもやはり基本は、政子がまだ運転に慣れてないから滑りやすい所に突っ込んでしまったんだと思う。運転に慣れたら、そういう所を避けて走れるようになるし、危ないなと思ったら速度落としたりとかの調整もできるようになるから」
 
「そっかー」
 
「たくさん練習するといいよ。新しい車来たら」
「よし。私毎日5−6時間運転の練習しよう」
と政子が言うので、私が
 
「歌の練習は〜?」
と訊く。
 
「それはもちろん、運転しながら歌うんだよ」
と政子は答えた。
 

千里が後はもう大丈夫だから、ふたりとも寝ているといいよと言ったので遠慮無く寝せてもらった。それで神戸には早朝着いたので、道路沿いのファミレスに入って一緒に朝食を取った。
 
「千里ありがとう。おかげで私もぐっすり眠れたし」
と私は言う。
 
「でも基本的な問題として冬たちは運転手を雇うべきだと思うなあ。あるいは付き人か」
と千里は言う。
 
「それは考えたこともあるんだけどね。超ブラックな仕事になりそうだし」
「確かに政子を起こすのとか大変そうだしね」
「うん。昨年短期間お願いした妃美貴ちゃんも政子を自動車学校まで送り迎えするのはいいんだけど、とにかく起きてくれないので困ったとか言ってたよ」
 
「一般に歌手の付き人って1年もたないと言うね」
「それはストレスの捌口(はけぐち)にされやすいからだと思う」
「その点は、冬たちなら大丈夫そうだけどなあ」
「そうだねぇ」
 

ファミレスの化粧室で軽くメイクをしてからまた千里の運転で放送局に入る。千里は私たちの出番の間寝ているということであった。その後、カーニバルのイベントが行われるイベントホールに行き、★★レコードのスタッフさんと合流する。観光課の人と少しお話した上で私たちは会場のステージに立ち、ポルトガル語で『雪月花』の中の『花の里』『光る情熱』『ファイト!白雪姫』を歌った。白雪姫を歌っていた時は、昨夜の事故の後で政子にキスして起こしたことを思い出した。
 
しかしあれは不思議だ。結構な事故だった気がするが、3人とも全く怪我していなかったし、車もほとんど無傷であった。でもあの炎上していたのは何だったのだろう。夢でも見ていたのだろうか。
 
ステージはかなり盛り上がり、アンコールされたので『雪を割る鈴』を歌ったが、日本語で歌わせてもらった。ポルトガル語の歌詞は、さっきの3曲しか覚えていなかったのである。
 

イベントが終わったら、青葉も到着していた。
 
「もう呪いは完全にクリアされていますね。大丈夫です」
と彼女も言った。
 
それで神戸で一泊してから帰ろうなどと言っていたのだが、そこにメールが入る。町添さんからで「緊急に話がしたい」ということだった。それで私たちは新幹線で東京に向かうことにした。
 
「車は私と青葉で交代して東京まで回送するよ」
と千里。
 
「うん。お願い。マンションの合い鍵も渡しておくから勝手に入って調べててもらえる?」
と言って鍵を渡してから私はふと思いつき
 
「青葉もう免許取ったんだっけ?」
と訊く。
 
「まだ取ってません。今度の夏休みに取るつもりですが」
 
と言って青葉も困っている様子。
 
「無免許運転させるの〜?」
「青葉充分うまいけどなあ」
「一応千里が全部運転してよ。時間はかかって構わないから」
「了解了解」
 

それで私と政子は新神戸駅まで送ってもらい新幹線に乗る。ホームの売店にもう夕刊が出ていたので、何気なく買って車内で広げる。その時、私はその記事に衝撃を覚えた。
 
《不酸卑惨、東北道でワゴン車横転。2名死亡》
 
それで記事を読むと、不酸卑惨のメンバーが乗っていたワゴン車が昨夜東北道を走行中、折からの雪が積もった路面でスリップし、中央分離帯に激突。死者が2名出ているということであった。その記事では死亡したのが誰かは書かれていなかった。
 
私たちは個室に乗っているので、千里に電話してみた。青葉が電話に出る。
 
「千里姉さんは今運転中なんですよ」
と青葉。
 
「不酸卑惨のニュース聞いた?」
「今スマホで情報収集中です。本人確認に手間取ったようなんですが、死亡したのはネズダベさんとゴキガバさんです」
「わぁ・・・・・」
 
「術者は冬子さんと政子さんを殺そうとしていました。つまり2人分の骸(むくろ)が必要だったんです。それでその2人が死んだんだと思います」
 
「じゃ、彼らが呪いを掛けたの?」
「冬子さん、事故が起きたの23:13だったって言っておられましたよね」
「うん」
「その数字《不酸卑惨》と読めるんですよ」
 
「うっ・・・・」
「ちなみに、こないだ本坂さんがお風呂で亡くなったのも23時すぎくらいなんです」
「まさか・・・・」
 
「あれは呪いだと私、聞いた瞬間思いましたよ」
 
「ね・・・まさか、青葉最初から彼らが私に呪いを掛けたと知ってた?」
「疑ってはいましたが、確信を持てないことは言わない主義なので」
 
うーん。。。。。
 
「これ呪いを掛けたのはどっち?」
「それは知る必要は無いと思います」
 
私は考えたが青葉の言う通りだと思った。
 
「うん。私はこのことは忘れることにする」
「それがいいです」
 
後から報道されていた内容によると、ワゴン車はリーダーのネズダベさんが運転していたらしい。中央分離帯に激突した時、助手席に乗っていたゴキガバさんがシートベルトをしていなかったため車外に投げ出されて路面に叩き付けられ即死。そこに後続車が来て何重にも轢かれたため、遺体がひどい状態になっていたらしい。ただ検死で彼が即死していたことが明かであったので、轢いてしまった後続の車のドライバーは責任は問われなくて済むらしい。ネズダベさんは救急車で運ばれたものの病院で死亡が確認されたとのこと。彼も衝突の衝撃で顔が潰れていたらしい。
 
なお、ワゴン車には他のメンバー3人も乗っていたものの、全員シートベルトをしていたおかげで軽傷で済んだということであった。しかし警察が現場検証をしていたら車内から違法な薬物が発見された。それでその3人は尿検査を受けさせられ、3人とも陽性であったため、全員塀の中の人となってしまった。彼らはステージの度に薬物を使用していたことを告白した。
 
そもそもの事故の原因も薬物を摂取しての運転ではないかと警察は推測したようである。
 
彼らのCDは速攻で大手レンタル店も含めて店頭から回収され、後日、不酸卑惨の解散、CD廃盤が事務所から発表された。
 

その事故が起きた日、私たちが★★レコードに駆け付けると、話はやはりその事故のことであった。
 
★★レコードの制作部フロアに到着すると氷川さんが「こちらへ」と言って会議室に招き入れる。町添部長・松前社長・加藤課長が難しい顔をして並んでいる。私たちが入って行くと、町添部長が
 
「実は昨夜、不酸卑惨のメンバーが乗ったワゴン車が東北道で横転してね」
と切り出した。
 
「新聞と速報で見ました。ネズダベさんとゴキガバさんが亡くなったそうですね」
「うん。それなんだけど、ネズダベ君の個人ブログに穏やかならざる書き込みがあってね」
「へ?」
 
「マリちゃんは見ない方がいい。ケイちゃん、ちょっと見てくれる?」
 
というので私は政子に目をつぶっているように言って、それを見た。タイムスタンプが23:13だったので私はゾッとした。
 
《俺たちを復興支援イベントから排除した邪悪なるローズ+リリーに今鉄槌が振り下ろされた。そもそもケイはオカマの上に、醜悪なニセ作曲家である。ケイの名前で発表されている曲の大半は、水沢歌月・柊洋子・美冬舞子という女性3人が分担して書いている。このような嘘で固めたニセ女のニセ作曲家には天罰が与えられるべきである。先日のニセ作曲家・本坂と同様にこの世から消えてもらう。これでもう2008年組の時代は終わった。ケイがこの世から消えたことで★★レコードも潰れるであろう。これからは我らが《不酸卑惨》の天下である》
 
私は読んで顔をしかめる。
 
「水沢歌月も柊洋子も美冬舞子も私自身の別名なんですが」
と私は戸惑うように言った。
 
「ね?」
と町添さんも呆れたように返事する。
 
「水沢歌月がケイちゃんと同一人物だってのは音楽業界じゃもう知らない人は居ないと思っていたんだけどね」
と松前社長が言うが
 
「私それを知らないふうの人物をふたり知っています」
と氷川さんが言う。
「UTPの須藤社長とローズクォーツのリーダーのマキさんです」
 
「そんなケイちゃんの近くに居る人がなぜ気づかない?」
「勘の悪い人たちっているんですよ」
と氷川さん。
 
「じゃネズダベ君もその部類か」
「思い込みの激しい人って情報を正確に判断する能力がないから」
「しばしば怪しげな情報ほど信じるよね」
 
「それでこの書き込みは、事務所の人が気づいて速攻で削除した。彼らが変なことを書いたりしないように、書き込みがあったら事務所スタッフにメールが入るように設定していたんだよ。それで投稿されてから担当者の判断で即消されるまでの時間は約1分。その間のアクセスは2件だけだけど、ネットなどに転載された気配は無い」
 
と加藤課長が言う。
 
「実は昨夜、富山の大宮万葉から連絡がありまして」
 
と言って、私は青葉から誰かが自分たちに呪いを掛けたことを聞いたことを告げる。
 
「それで大宮万葉の姉の醍醐春海がちょうどうちに来たので、神戸までの運転を頼んだんですよ。私が運転したら、絶対事故が起きるからと言われて」
 
「それは良かった!」
と加藤課長。
 
話が面倒になるので政子が運転していて事故ったことは言わない。そんなことを言ったら、恐らく政子に免許を返上させろと言われる。
 
「いや正直君たちの無事な顔を見るまで僕は気が気じゃ無かったんだよ」
と松前社長。
 
「だいたい今回の復興支援イベントって、向こうから出演拒否したんじゃないんですか?」
 
「だと思うんだけどねー。向こうでは例の音楽番組の発言で自分たちがローズ+リリーに嫌われたと勝手に思い込んでいたふしがある」
 
「怒ったのは芹菜リセさんでしょ。私は全然気にしてないのに」
と私は言うが
 
「ケイちゃんのそういう寛容な性格を理解できなかったんだよ」
と町添さんは言う。
 
「他人に寛容になれない人って、他人の寛容さも理解できないんですよね。勝手に嫌われたとか怒ってるとか思い込む」
と氷川さんが言う。
 

「だけど実際問題として、うちの会社のケイちゃんへの依存率は物凄く大きいんだよね。ほんとに今ケイちゃんに何かあったらうちは倒産するよ」
と松前社長が言う。
 
「他に上島先生もでしょ?」
 
「うん。あらためて加藤君に計算してもらったんだけど、大急ぎで計算したので名義借りの分を全部計算しきってないかも知れないけど、売上金額の依存率の高さでは、ケイちゃん・マリちゃんがトップ。それから上島君、それから後藤正俊さん、田中晶星さん、その次くらいが醍醐春海こと鴨乃清見さん、スイート・ヴァニラズのElise,Londaさん。この6組で実にうちの売上げの9割を占めている」
 
確かにそのメンツなら9割行くかも知れない。
 
「後藤さんにしても、醍醐さんにしても自分の名義で書いている以外のものが多くて、実はよく分からない。ひょっとしたら上島君を抜いているかも知れない」
 
「上島先生は多数のレコード会社にまたがってますから」
「それもあるし、上島君の場合、売れてる曲も書いてるけど売れてない曲が多くて、曲数では年間300曲以上あるけど、売上ベースでは1割程度にすぎない」
 
「とにかく緊急役員会を開いて、この6組にドライバーを★★レコードの費用で雇うことにした」
 
「えーー!?」
「もちろん君たちに車の運転を禁止するわけではない。特にケイちゃんとか醍醐君とか、運転しながら曲を思いつくんだとよく言ってるよね」
 
「はい」
 
「だから自分で運転してもいいけど、ちょっとでもきついと思ったらその専任ドライバーを24時間いつでも遠慮無く呼び出して欲しい」
 
「その運転手さんの体力が心配です」
「10人くらいでチームを組むので、その時対応できる人が対応する。彼らには充分な給与を払って他の仕事をしなくても大丈夫なようにするから」
 
「だったら安心ですね!」
「女性の作曲家さんにはできるだけ女性のドライバーを行かせるけど、タイミング次第では男性になる時もあるかも知れない」
「それは気にしませんよ。着替える時は向こう向いててもらったらいいし」
 
「買物とかデートとかの私用でも自由に使っていいし、遠出している時に必要になった場合でも、こちらで近くの★★レコードの支社とか営業所に連絡して誰か行かせるから」
 
「分かりました」
「専用の呼び出し電話番号・メールアドレスを後日連絡するね」
 
「遠慮無く使わせてもらうかも」
「うん。とにかく疲れたとか眠いという時は絶対に無理しないで」
「ええ。そういう時は締め切りが過ぎていても休ませて頂きます」
 
と言ったら、氷川さんは笑っていたが、加藤課長は困ったような顔をしていた。
 

「しかしさっきの書き込みから見ると、本坂さんもひょっとして呪いを掛けられていたのかね?」
 
と松前社長が言う。
 
「それは間違い無いと大宮万葉が言っていました」
 
「彼女って日本で五指に入る霊能者だと言っていたよね?」
「そうです」
 
「だとすると、ちょっと気の毒だね、本坂さん」
 
「その件、先日私と上島先生・東郷先生の3人で、立ち話の状態で話していたのですが、レコード会社から長年の貢献に対して慰労金か何かを遺族に渡せないだろうかと。特に里山さんは法的な婚姻関係が無かったので、遺産ももらえないと思うんですよ。子供たちの親権の行方も心配で。お父さんを亡くしたのに、お母さんからまで引き裂かれたら、あの子たち可哀想だと」
 
と私は言う。
 
「それはちょっと私が関係各方面と早急に調整してみる」
と松前社長が言ってくれた。
 

マンションに戻ると、もう千里と青葉が来ていた。
 
「見付けましたよ。このハガキです」
と言って青葉が見せてくれたのは、洋服屋さんのDMである。
 
「それが呪いの仕掛けなの〜?」
「この洋服屋さんで冬子さん、洋服を買ったことあります?」
「いや。知らないお店」
 
「たまたまここの洋服屋さんのハガキを入手して、呪いの仕掛けを設定して冬子さんの住所を書き投函したんです。だいたい料金別納と書いてあるのに切手が貼られて消印が押されているの変でしょう?宛名も手書きだし」
 
「ほんとだ!でもさすがにDMまでは警戒しないよ」
「だからこの呪いってプロの仕業なんですよ」
 
「ネズダベさんがそういう呪詛のプロなの?」
「違います。ネズダベさんは呪詛のプロに利用されただけ。精神を乗っ取られたんですよ」
「じゃ彼も犠牲者?」
 
「恐らくはですね。薬物か何かやってて、邪悪な霊に憑依されたんです」
 
「さっきレコード会社に居て続報が入って来て聞いた。車から違法な薬物が見付かって、軽傷で済んだ3人が逮捕されたらしい」
 
「つまりこの事件の主犯は薬物ですね」
と青葉は言った。
 

それで千里と青葉は帰るということであったが、私は千里に先ほどレコード会社で聞いた話をする。
 
「千里にも直接連絡あると思うけど、専任のドライバーチームを付けるということだから」
 
「私には必要ないなあ。私、眠りながら運転するの得意だし」
「それは危険すぎる!」
 
青葉が呪詛の道具を処分しますと言って持って出ようとしているのを見たら郵便物は5通もある。
 
「それは?」
「全部呪詛の道具です。まだ効力を発揮していなかったものですが。犯人はバラバラだけど、それぞれ相応の報いを受けてもらいます」
 
「別口もあったの〜〜〜?」
「冬子さんほどの有名人になったら、たくさん逆恨みする人もいますよ。それに警戒しなきゃ」
と青葉。
 
「定期的にこの部屋、チェックさせた方がいいよね」
と千里も言っている。
 
「ちー姉、やはりそのあたりは本当に分からないみたいね」
「うん。私はそういうのが苦手」
 
「東京方面に居る人で誰か適当な人がいないかなあ・・・・」
と青葉は悩んでいた。
 

1月24日(土)。「ときめき病院物語」の撮影が始まったと聞いたので、私と政子は撮影の見学に出かけた。アクアの保護者ということなのだろう。支香も現場に来ていた。
 
それで撮影しているのを見ていたら・・・・
 
「ね、アクアちゃん、セーラー服着てる」
と政子が嬉しそう?な声で言う。
 
「あの子、結局、女の子役になったんですか?」
と支香に尋ねたら
 
「いや、それが院長の息子役と娘役を1人2役でやることになっちゃって」
と言って笑っている。
 
「へー!!」
「監督が、アクアちゃん、女の子の格好してあんなに可愛くなるなら、その姿を見せないのはもったいないとか言って。事務所は渋ったんですけどね」
 
「まあ渋るでしょうね」
と言って私は田所さんが嫌そうな顔をしている様の想像がついた。
 

1シーン取り終えた様子で、セーラー服姿のアクアがこちらに来たものの私たちの顔を見て
 
「きゃー見ないで」
などと言っている。
 
「どうせこれ全国に放映されるんだけど」
と私。
 
「アクアちゃん、かぁいいよ。もう女の子になろうよ。おちんちんなんて要らないじゃん」
と政子。
 
「要ります!」
とアクア。
 
「無くても構わないよね?」
と政子が私に訊くので
「ふつうの男の子は無くなると困るんじゃない?」
と答えておく。
 
「私、冬休みが終わった後、学校で随分からかわれたんですよー」
などと本人は言っている。
 
それでアクアが着換えて来て、今度は学生服姿で別のシーンを撮るようである。彼女、もとい彼のそばにセーラー服の少女が居る。
 
「あの子はアクアちゃんの妹役か何か?」
と政子が訊く。
 
「アクアが1人2役なんでボディダブルが必要なんですよ。だから顔は映さないんだけどね」
「なるほどー」
「でも可愛い子ですね。顔を映してあげたくなるくらい。名前分かります?」
「スーツアクターなどと同じで、俳優ではなくスタッフ扱いなんですよ。それで芸名は付いてないけど、アマギ・セイコちゃんって子だそうです」
 
「セイコちゃんか。可愛い名前ですね」
「本人も可愛い女の子だし。そのまま芸名でもいい感じ」
 
などと私たちが言っていたら
 
「違う、違う。あの子は男の子」
と支香が言う。
 
「え〜〜〜!?」
「セイコなのに男の子なんですか!?」
「だってセーラー服着てるじゃないですか!?」
 
政子があまりに大きな声を出したので監督から睨まれた。
 
「アクアがセーラー服を着ている時はセイコちゃんが学生服を着てるよ。ふたりは体型が凄く似てるから同じ服が流用できる。もっともセーラー服・学生服ともに、各々の専用のを用意しているけどね」
 
「すみません。どういう字ですか?」
と尋ねると、支香はメモ帳に《天月西湖》と書いた。
 
「なんか格好いい」
「苗字もかっこいい」
 
「彼を妊娠したのが分かっ時、逆算すると、ご両親が中国の西湖に旅行に行っていた時受精した計算になったんだって。それで生まれてくる子が男でも女でも西湖という名前にすることにしたらしいよ」
 
「格好良いけど、音で聞いたら可愛い女の子を想像します」
「小さい頃からかなりからかわれていたらしい。まあ、それはうちの龍虎もそうだけどね」
 
「でも西湖ちゃん、セーラー服を着ているとふつうに女の子に見える」
「うちの龍虎は学生服を着ても女の子に見えるよね」
「ですです!」
「でも西湖ちゃんはもう声変わりが来てるんだよ。年は小学6年生でうちの龍虎より1つ下なんだけどね」
「それは残念」
と政子は言ってから
「支香さん、龍虎ちゃん、眠っている間に病院に運び込んで去勢手術しちゃいましょうよ」
などと言っている。
 
支香は笑って、
「それ例の川南ちゃんから、かなり言われているみたい」
 
「かな?」
と政子が訊くので、龍虎の古い知り合いのお姉さんだと説明しておく。千里との関わりまで説明するとややこしくなる。
 
「あ、そうだ。例の女子制服は出来たんですか?」
と私は訊いた。
 
「うんうん。試着した写真もらった」
「見せてください」
と政子が言うので、支香が自分のiPadを開いて見せている。
 
「可愛い〜!」
 
「アクア、女子として学校に行くことになったの?」
と事情を知らない政子が訊く。
 
「いや、その川南のお友達の夏恋という子が、アクアに女子制服をプレゼントしたんだよ。本人はそんなの着て学校に行ったらからかわれる、と言ってたけどね」
 
「いや、もうそれは今更だと思う」
と政子が言うので、私も支香も頷いた。
 

私たちがドラマの撮影現場を見に行った翌日。12月に買ったエルグランドとリーフが納車されてきた。
 
「わーい!早速試乗、試乗」
というので、リーフの運転席に政子が乗り、私が助手席に乗って、深夜のドライブに出かけた。東京都内は昼間は凄まじく車が多いので、夜間の方が練習によいということで勧めたのである。
 
「ふーん。結構慣れた感じの運転するじゃん」
と私は言う。
 
「やはりあの事故が悔しくて悔しくて、なんか自分に対して怒りがこみあげてきたからさ。最近ずっと脳内ドライブしてた。私、これから半年で6000km走るから」
「へー。1ヶ月1000kmか」
「毎日33km走ればいけるよね?」
「うん。6000kmって凄そうだけど、そう考えると充分達成可能だよね」
「頑張るぞー」
 
と言って政子はしっかり車を運転していた。
 
「そうそう。私が付き合えない時は、例の番号に電話して。誰かドライバーさんが来てくれるから。私たちのドライバーは第1優先は佐良しのぶさんって人だから」
「しのぶちゃんかー」
「35-36歳くらいかな。国際B級ライセンス持ってる、凄い上手な人」
「へー!」
「私の代わりにその人に助手席に乗ってもらってアドバイス受けるといい」
「よし。たくさん教えてもらおう」
「あ、そうそう。例の事故のことはその人も含めて誰にも言わないようにね。マーサが事故を起こしたなんて聞いたら、氷川さんが飛んできて『免許証、お預かりします』と言われるよ」
「それは困る。よし誰にも言わない」
 

エルグランドが来たので、ここまで4年半乗ったカローラフィールダーは売却することにし、友人(というよりほぼ親戚)の佐野君が高く買い取ってくれるところを見付けたので、そこに持っていくことにした。
 
佐野君が「お前ら最近忙しいみたいだし、疲れてるだろ?俺が運転してくよ」と言うので、遠慮無くお願いする。フィールダーに取り付けていたETCを佐野君と麻央が協力して取り外し、エルグランドに取り付けた。ついでにハンドルの所にぶら下げていた《二見浦の蛙》はリーフの方に移す。
 
それでフィールダーを佐野君が運転し、私と政子は佐野君の恋人・麻央が運転するインテグラの後部座席に並んで乗り、中古車屋さんに向かった。
 
郊外に出て結構走る。都内とは思えないような自然豊かな!景観の所を走っていた時のことであった。
 
「あっ!」
と私たちが乗る車を運転していた麻央が大きな声を挙げた。
 
「佐野君!」
私たちも声を挙げる。麻央が車を脇に寄せて停める。
 
佐野君の運転するフィールダーが突然何かを避けるかのように左に急ハンドルを取り、道路脇の斜面に滑落したのである。
 
崖の下3mほどの所でフィールダーが横転して炎が上がっている。私は青くなった。
 
「トシーー!」
と麻央が必死の声で叫ぶ。麻央が崖を降りようとしたのでそれを留めて、
 
「マーサ、麻央をつかまえておいて」
と言って、私は崖を慎重に降りようとした。
 
が、その私の目の前に佐野君の顔があった。
 
「へ?」
「あ」
 
佐野君は崖を50cmも降りない所に居た。一緒に上に上がる。
 
「トシ!」と叫んで麻央が佐野君に抱きついて泣いている。
 
「佐野君、怪我は?」
 
彼はしばらく自分の身体のあちこちを見ていた。
「大丈夫みたい」
 
「どうなってんの?」
と政子が訊く。
 
「分からない。気付いたら、そこに居た」
と佐野君は言う。
 
「トシ、シートベルトしてた?」
「してたよ」
「それでなんで車外に投げ出された訳?」
「分からん。突然目の前に人が飛び出してきた気がして急ハンドル切った。それより唐本すまん。車を」
 
「いや、佐野君が無事なら問題無い。どうせ廃車にしても良かったから」
 
そう言いながら、私は確信していた。この車は本当はこないだの夜に燃えてしまったんだと。
 

車はすぐに鎮火したのでJAFを呼んで引き上げてもらった。売却予定だったからあまり燃料は積んでいなかった。その割には燃え方が激しいのでJAFの人は首をひねっていた。
 
「ここ私有地だろうか?」
「いや。多分国有地ですよ。黙ってたらバレませんよ」
とJAFの指定工場の人は言っている。
 
結局バッくれるのか!
 
車の廃車の処理はその人の工場にそのままお願いすることにした。
 
そちらの工場まで一緒に行き、手続きの書類を書いた上で、麻央がインテグラを運転してとりあえず八王子市内の料亭に寄ってもらった。
 
「なんかすげー。こんなところ初めて」
などと佐野君が言い、麻央が微笑んでいる。
 
この料亭の座敷で遅めの昼食を食べながら、私は、佐野君がこの事故で私に負い目を持ったりしないよう、先日の事故の話をした。
 
「凄く不思議な体験だったんだよ。目の前で車が燃えていたと思った。ところが、ふと気づくと車は何事もなかったかのように、単に道路外に逸脱しただけだったんだ。積んでいた6000万円のヴァイオリンも無事だった」
 
「じゃさっきの事故は・・・」
「たぶんあの時の事故の辻褄合わせ」
「不思議なこともあるもんだなあ」
「でもそれならあの車の燃え方が納得行くよ。神戸まで走るつもりなら燃料たくさん入れてたんでしょ?」
と麻央が言う。
 
「うん。近くのGSで満タンにしてから出発したから」
「今日は中古車屋さんまで行く分のガソリンしか入れてなかったもんな」
 
「じゃ、やっぱり私が燃やしちゃったのね」
と政子。
「気にすることないよ。それで中田、たくさん練習する気になったんだから」
と佐野君。
 
「あの時はたぶん呪いが成就する前に政子が事故を起こしちゃったから、呪いはターゲットを見失って術者に戻って行ったんだよ。だからフィールダーが私たちの身代わりになってくれたようなもんなんだよ。結局マーサのナイスプレイ。フィールダーちゃんには悪かったけど」
と私は言う。
 
「それなら納得が行く。だったら私たちを守って燃えてしまったフィールダーちゃんのためにも頑張って運転も歌も練習する」
と政子。
 
「うん。事故ってさ、どうしても起きちゃうけど、それをバネに努力すれば次は簡単には事故を起こさないように自分が成長できるんだよ」
 
と佐野君が言う。
 
「じゃ、利春はこの後せめて半年は事故を起こさないようにしない?」
と麻央が言うと、佐野君は頭を掻いていた。
 
 
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【夏の日の想い出・事故は起きるものさ】(2)