【宴の後】(2)

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深夜のお出かけはその後1月くらいの間に5〜6回に及んだ。ファミレスやラーメン屋さん、コンビニ、お弁当屋さん。その間女の子らしい声の出し方もだいぶ訓練させられた。そしてお弁当屋さんではとうとう声を出して注文するのに初挑戦した。
昼間のお出かけはしてみると以外に怖くなかった。さんざん夜出歩かされたので慣れたおかげだろうか。何度かの短い練習の末、翌月にはもう外に出掛ける時は女の子の格好をする、というのが当たり前という気になってきた。
2月後、妻が「知り合いに色々聞いたけど、ここなら安心そう」と言って美容整形外科に連れていってくれた。最初はカウンセリングである。結婚しているのに、いいんですか?とか、男性なのにどうして?とか聞かれるかと思ったが、そういう質問は無かった。主としてどのくらいのサイズにしたいのかというのを聞かれ、また幾つかの方法を説明されて、どの方法を選ぶかということを聞かれた。食塩水パックの挿入をすることになった。
実際の手術はその一週間後、金曜日に会社は有休を取って受けに行った。
ちょうど月曜が祭日で3連休なので手術後3日間からだを休めることができる。普通は部分麻酔で自分でサイズを確認しての手術になるのだが妻にサイズを決めて欲しいと頼み、全身麻酔にしてもらった。部分麻酔だと、かなり痛い手術なのだそうだが、お陰でそんなに痛い思いをせずに済んだ。
それと折角全身麻酔をするからついでに?ということで喉仏を取ってもらうことになった。
麻酔から覚めて膨らんだ自分の胸を見た時は、初めてたいへんなことしちゃったかなという気がしてきた。ちんちんが無くなってしまったのは自分の意志ではないし、考えると分からなくなるので考えないようにしていたのだが、胸を大きくしたのは妻に勧められたとはいえ自分の意志である。
初めて自分がもう男には戻れないんだということを実感し、少し涙が出てきた。胸の方に考えが行っていたので喉仏を取ったことについてはあまり考えずに済んだかも知れない。元々自分でそう意識していたものではないということもあるかも知れないが。
その晩、そんな私の気分を配慮してくれたのか、妻はとても優しく、私のからだを愛撫してくれた。ただし胸はまだ触れない。傷が安定してからでないと、強くもんだりはできないようである。
胸のサイズはBカップである。妻と一緒に買いに行ったBカップのブラジャーで包んでみると、ピッタリとフィットして気持ちいい。今まではAカップが余っていたのに。でもこの大きなバストが自分のからだに付いているという感覚に慣れるのに、かなり時間がかかった。妻が寝ている間に、全身を鏡に映してみたりした。いいプロポーションだという気がする。この2月髪も切らずに伸ばしていたので、何とか女性の髪の長さに見えないこともないし。でももう少しウェストを絞った方がいいかな?翌日妻は私の乳首を吸ってくれた。大きくする前より感度が上がったような感じがする。すごく気持ちがいい。私はおもわず喘ぎ声をあげた。「声もう出してもいいの?」「うん。大丈夫かな」「でも、無理しないでね」
このところ私はキャミソールやスリップのあの優しい感触がすごく気に入るようになっていた。以前は家に帰ると女物に着替えても、会社に行く時は全部男物だったのだか、そのうち下は会社に行くときもショーツにして2週間ほど前からは上もブラジャーとスリップを付けるようになっていた。

「明日会社に行くときは下着どうする?」連休の最終日妻に聞かれて私も困った。何も考えていなかったのである。「カミングアウトして会社でも女の格好で通す?」「うーん。それはさすがにクビになると思う」「どうして?別に悪いことしてる訳じゃないのに」「それはそうだけど」
結局私はブラジャーは普通にした上でスリップの上にワイシャツを着、その上にゆったりしたセーターを着てから背広を着た。「冬だから、これで背広を脱がなきゃ大丈夫だよ」「夏になったら?」「それまでに考える」
でも、ほんとどうしよう?この身体のまま働ける所ってオカマバーくらいだろうか??ともかくもその格好で会社に出て、最初の内はバレないだろうかとヒヤヒヤだったが、そのうち慣れてくると全然平気になってきた。それが日常になると、どんどん心の余裕が出てきて、更に翌月には足の毛とヒゲも永久脱毛してしまい、面倒な処理から開放された。特に毎朝ヒゲを剃らなくて済むようになったのは、とても気持ちの上で助かった。
そしてそんなある日。あのおチンチンが無くなった日からもうそろそろ4ヶ月がたとうとしていた2月中旬のある日。
その日私は朝からちょっと体調がすぐれなかった。ちょっとお腹が痛いような気がする。しかし今日までに提出しなければならない書類がある。私は風邪かなと思って風邪薬を飲み、そのまま会社に出た。そして16時頃。多くの同僚が営業で外に出ていた。それが幸いだった。自分の机でパソコンに向かって書類を書いていた私はまた腹痛に襲われた。急な痛みではなく、ジワっとくるような痛みである。そしてその次の瞬間、今まで感じたことのないような感触を下半身に感じた。
何かがズボンを伝って滴り落ちる感触があった。え?何、これ?戸惑っていた時、私の隣りに座っていた諸橋慶子がさっと椅子を寄せて来て私の手に何かを握らせ「トイレ行ってきなさい。ここ私が拭いといてあげるから。まだ誰も気付いてないよ」と囁いた。
私は訳が分からずに、言われるままにトイレに飛び込んだ。
ズボンを下げるとショーツが赤く染まっていた。何か怪我したんだろうか?そうだ。もしかして性転換手術を受けた?時の傷が開いた??と思いつつ、諸橋さんが渡してくれたものを眺めた。それは生理用ナプキンだった。
「まさかこれ生理?」私は頭が混乱してくるのを止められなかった。性転換すると生理も来るものなのだろうか??しかし以前テレビの深夜番組に出ていたニューハーフの人が「子供が作れないのだけがねぇ」などと話しているのを見た気がする。そもそも生理は卵巣と子宮が無ければ来ないのではないだろうか。元々男である私にそんなものがある訳がない。性転換手術を受けても、形だけ女になっているだけであって、生理が来るはずがない。でも今ここにあるのは何だろう?私は全く訳が分からなかった。しかし落ち着いてくると、とにかく諸橋さんが渡してくれたものが今使えそうだということだけは理解できた。私はまずトイレットペーパーにできるだけ血を吸い取らせた上でとにかくナプキンを付けることにした。以前妻のをふざけて開いてみたことがあるので、使い方だけは分かる。袋を破いて中身を出しシールを剥がしてショーツに付ける。
その前にショーツについた血もできるだけトイレットペーパーに吸わせた。
そしてナプキンを装着したショーツをきちんと履く。ふわっとした感触。でもなんだか安心感がある。
そのあと足に付いた血、それからズボンにも少し血が付着していたのでそれもぬぐう。使ったトイレットペーパーを水流で流してボックスを出る。手にも血が付いていたので丁寧に洗う。外に出ると諸橋さんがいた。
「大丈夫?」「え、うん。ありがとう。でも....」「いいのよ。少し前から気付いていたわ、中村さんが本当は女性だって」「え?」「心配しないで。
誰にも言ってないから。胸のふくらみがあるのにこないだ気付いて。それに何ヶ月か前に下田さんたちと一緒に飲んだ日、あの日私も酔ってたから中村さんの股間なんかに目が行っちゃってさ。その時、あんまり膨らんでないのね、なんて思った記憶があったし。それで最近実はよく観察してたんだけど体のバランスの取り方が男性の取り方じゃないのよね。まるで子宮でバランスを取っている感じ。それに喉仏も無いし。ヒゲなんか伸びてる所見たことないし。でも凄いわ、完全に男の振りして。結婚もしてるんでしょう。相手は女性?」「うん」「そうか。そちらの趣味もあるのか。それに中村さん、仕事やり手だもんね。そのくらい出来たら、お茶くみOLなんか、やりたくなかったよね」「いや、それは....」「大丈夫、誰にも言わないよ。頑張ってね。でも男に徹しすぎて生理のこと忘れてちゃだめよ。じゃ」
そう言って諸橋さんは女子トイレに消えていった。彼女にはバレてしまったようだが、彼女は口は硬そうだし、それ以上は広まらないかも知れない。何よりもナプキンをもらって助かった。しかし今日はできるだけ早く帰ろう。
とにかく私は生理のことで頭がいっぱいだったので、諸橋さんの言っていた言葉については深く考えていなかった。
机に戻り、パソコンで書類の最後の方の計算を行い、充分チェックした上で課長に電子メールで送る。課長は出張中で今夜遅くしか戻ってこない。私は定時になると、そそくさと机の上を片づけて帰り支度をした。諸橋さんと目が合う。軽く微笑んで感謝の礼をした。そして電車に乗っていて、諸橋さんの言葉の中の重要なフレーズに気が付いた。股間が膨らんでなかった!?そうだ。あの日最後まで飲んだのが下田君と諸橋さんだった。下田君とは翌日話を交わしたが、諸橋さんの方は翌日飲み過ぎでダウンして休んでいた。
それでなんとなく話は聞かないままになっていたのだった。飲んでいた時に股間の膨らみが無かったということは既にその時に、もうおチンチンは無かったのだろうか??私は何とかあの日のことを再度思いだそうとした。あの日最後に自分のチンチンに触ったのはいつだろうか?会社では何度かトイレに行っている。その時はあったはずだ。まだ全然酔ってないのだから、無くなっていたら気付くはずである。その後下田君の話では居酒屋からスナック、カラオケ、ホテルのラウンジと移動したはずだ。諸橋さんが私の股間を見たのはいつだろうか?私は席順を思い出してみた。居酒屋では諸橋さんとは別のテーブルだった。
スナック?いや。彼女は近くにいたが間に香山君がいた。カラオケ?確かにこの時隣りだったような気がする。ホテルのラウンジは3人で丸いテーブルを囲んでいた。とするとカラオケの時?そういえば居酒屋では一度トイレに行っている。その時は立ってしたと思うからチンチンはあったはずだ。その後は....トイレに行ってないかも知れない。するとチンチンが無くなったのは居酒屋からカラオケに移動するまでの間??会社が引けてから、私はあのスナックに行ってみることにした。
「いらっしゃい」と若いママが声をかける。時間が早いせいか客は他に誰もいなかった。水割りを注文する。「中村さんでしたわよね」とママが言う。
「すごいですね、覚えていてくださったんですか」「それが商売ですから」
「実はちょっと訊きたいことがあるのですが」とママの顔を伺う。「先日、こちらに来た時に、私たちの様子で何か変わったことはなかったかな、と思いまして」と自分でも訳の分からない聞き方をする。
するとママはしばらく考えていた風だったが、やがて「違ったら御免なさい。
もしかして、あなた女の方ですか?」「え?」ドキっとする。ママは続けた。
「違うわね。最近、女になった方ですね」私はあまりにストレートに言われて、返す言葉を失っていた。
「でしたら、もしかしたら、ここがお役に立つかも知れないわ」ママはそういうと、近くのメモ用紙に何かを走り書きして渡してくれた。
そこには「青木クリニック」という名前と簡単な地図が書かれていた。
「もし、そこに行かれるのでしたら私の服をお貸ししてもいいから、女の格好に戻ってから行かれた方がいいわ。そちらの部屋で着替えれるけど、どうします?」
私は何をどう考えていいのか分からず、取り敢えずその小部屋に入った。
休憩用の部屋のようである。ママはいくつか服を取り出して渡してくれた。
「これとこれ、着ていくといいわよ。返さなくてもいいから。じゃ、私は店に出てるから」といってママは先に小部屋を出る。
私は手渡されたブラウスとスカートを手に取ったまましばらくながめていたが、やがてため息を付き、それに着替えて外に出た。するとママが「あらやはり可愛くなるわね。お化粧品は?」私が用意してないというと、ママは手近のバッグを取り出して、簡単にメイクをしてくれた。私はお礼を言い、1万円札を2枚出して渡そうとしたがママは「多すぎるわ」と言って1枚返してよこした。私はおじぎをしてスナックを後にした。着てきた背広はママが紙袋に入れてくれた。
私は近くの駅から電車に乗り、そのメモ用紙を眺めていた。「青木クリニック」私はここで手術されたのだろうか?とにかくそこに行けば、何かが分かるに違いない。もしかしたら男に戻れるかも。
そんなことを考えている時、電車の中に若い女の子たちの集団が乗ってきた。
今からコンサートにでも行くか、どこかのクラブに踊りにでも行くのだろうか。
かなり派手ないでたちをしている。楽しそうな声。
ふと、視線が近くに座っている会社帰りのサラリーマンらしき人たちに行った。
会社が終わった後だけあって、少しくたびれたような格好をして、一人はスポーツ新聞を読んでいる。一人は他人の迷惑も考えずに大股を開けて座っている。
電車が乗換駅に到着した。
しかし私は降りなかった。紙袋に入った背広のポケットから手帳を取り出して路線図を確認する。「2つ先で乗り換えたら、そのまま家に帰れる」私はそう思うと、ママからもらったメモを手の中でクチャクチャにした。そして、乗換駅のゴミ箱に放り込んでしまった。

やがて駅に着き、自宅への道をたどる。そしてドアを開けると妻が飛びついてきた。「どうしたの?」「ふふふ。ちょっとお祝い」と言ってキスをする。
「思わずお赤飯炊いちゃった」私はドキッとした。そういえば女の子の初潮の時ってお赤飯炊くんだっけ?「なんで私に生理が来たこと知ってるの?」最近私は妻と話す時には一人称が「私」になっていた。言葉も完全に女言葉である。「生理?何それ?あのね、私妊娠してたのよ」「え?」「あら、そういえばどうしてあなた今日は女の子モードなの?」
妻はそもそも生理不順のたちだったのだが、ここしばらくあまり生理が来ないので今日病院に行ってみたところ妊娠4ヶ月くらいということが分かったということだった。「あなたが女になっちゃう3日くらい前に一度セックスしたじゃない。あの晩に出来た子よ、きっと。私たちにはもう子供はできないのかって諦めていたから、私嬉しい」
妻はとても喜んでいた。私もとても嬉しかった。しかし私は更に自分に生理らしきものがきたことを妻につげなければならなかった。妻はまたびっくりしたようだった。「ね、あなたも一緒に病院に行って見てもらいましょう。
取り敢えず、私の友達ってことにして。保険に入ってないから自由診療ということにしちゃいましょう。あなた今裸になっても完全に女の子の姿だから婦人科に行っても大丈夫よ」
そこで私は数日後生理が終わった所で1日会社を休み、妻の友人の平沢玲子という女性ということにして婦人科の診察を受けた。「生理不順なので少し詳しく検査してください」ということにしたのである。すると『子宮の中』
まで調べられて「大きな問題は無いですが、少しお薬出しておきましょう」
ということになった。つまり今の私には確かに子宮が存在しているようなのである。しかし婦人科のあの診察台は!超恥ずかしかった。ああいう経験をすることになるとは、半年前の自分には信じられないだろう。
ちょうど28日後に私には2度目の生理が来た。間違いない。私は完全な女になってしまったようである。このことについては自分でもやっと開き直りができてきた。妻の妊娠の方は順調であった。私は仲の良い友人ということで、妻の子宮の中の赤ちゃんの様子も超音波で見せてもらうことができた。
春が近づいていた。いつまでもゆったりしたセーターで胸を隠しておくことはできないであろうと思われた。3月末で私は会社を退職した。
しかし子供は夏頃には生まれる。稼がなければならない。私は最初から女性の格好でまた平沢玲子の名前を使いファミレスの皿洗いの仕事を得た。それと合わせてインターネットのホームページで女装する人向けの化粧品や衣服・靴などの通信販売をするサイトを立ち上げた。
自分が最初なかなか合う靴がなくて苦労した経験などをもとに、服にしても靴にしても詳細なサイズを掲載し、また画像の色数をうまく減らしてカタログの閲覧をとても軽くできるように工夫したことと、荷物を局留めで送れるようにし支払いもコンビニでできるようにしたため、家族にかくれて女装する人たちにうけたようで、バナー広告による収入も合わせると、月間10万円近くの収入になった。それとファミレスのバイトの収入を合わせると月収22万円。会社では給料は月に18万円くらいしかもらっていなかった(しかもボーナスは不況で出ていなかった)ので、結果的に収入は増えたことになる。
これだと子供が生まれてもなんとかやっていけそうである。来月には別のドメイン名で、普通の女性でややサイズがイレギュラーな人向けの通販サイトも立ち上げる予定。
「パパがいなくてママが二人って子供の教育に良くないかな?」「気にすることないよ。世の中、理想的な親なんていないし、いたら気持ち悪いもん」
プラス志向の妻の言葉に支えられて、私は8月か9月には自分を遺伝子的には父とする娘(超音波の診断では女の子とのことだった)の母の一人になる。
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