【鷽替えの夜】(1)
「鷽替えに行こうよ」
私は帰りのバスの中で同級生達が話しているのを聞いた。
「鷽替え?あれ?それ先月終わったんじゃ?」
「神社によってやる日が違うんだよ。元々は年越しの行事みたいだけど、正月にやる所と節分にやる所があって明治の新暦移行でもうばらばらになったみたい。観鳥天満宮では節分の夜にやるんだ」
「へー。で鷽替えって、どんなことやるのさ」
「鷽(うそ)は鳥の鷽だけど、つく嘘(うそ)に掛けてあるんだよね。ついた嘘を本当のことに替えましょう、というので昨年ついた嘘をチャラにするというのとできそうもないこと言っちゃったけど、それを本当にできるようにしようというのと。それでお祭りでは、最初に木の鷽を買って、それを各自手に握って、『替えましょ替えましょ』の声でお互いどんどん隣の人のと交換していくんだ」
「替えてく中に当たりがある?」
「そうそう。集まった人の中に神社の神職が何人か紛れ込んでいて、金の鷽を投入するのね」
「でもその金の鷽をいったんもらっても、また替えましょと言われたら替えないといけないのでは?」
「うんうん。だから終了の合図があった時に持ってた人は運のいい人」
「金の鷽って持った感触が違うだろうから、受け取ったら手放したくないなあ」
「それ受け取ってまた人に渡すのも良運らしい。『金が回る』ということで」
「なるほど。でもそれじゃ、最後に金の鷽が残ったら、金が回らない?」
「それは金が残るというのでいいんじゃない?」
「要するにいいように解釈するのか」
「で、観鳥天満宮の鷽替えにはちょっと伝説があってさ・・・・」
神社のお祭りなんて行ったことなかったが、私はその行事に何となく興味を感じた。そこで、夕飯時、母に「ご飯食べたら鷽替えに行ってくる」と言った。「あら、そんなお祭り行ったことないのに」という。
「うん。でも友達に誘われたから」
「あら珍しい。あんたが友達に誘われてどこか行くなんて」
また嘘をついてしまった。。。。。私に友達なんていないのに。
そういえば小さい頃は近所の女の子たちとよく遊んでいた。でも彼女たちとは小学校の高学年になる頃には少しずつ疎遠になってしまった。
女の子たちは女の子たちだけでまとまっている。
といって、私は男の子たちとは話が合わないというか何か違うというか・・・
しかし節分の行事といえば豆まきだ。うちでも私が小さい頃はやってたっけ。あの頃はお父さんも毎日夕方には帰ってきていたし。私が小4の時に、不況で大手自動車メーカーを辞めて、運送会社に再就職してからは、いつ帰ってくるか全く分からない。たまに帰ってくるとビール飲んで寝ているから、私はもう長いこと父とはまともに話したこともなかった。
私は食事が終わり、茶碗を洗って食器乾燥機に入れると、タンスを開けて着ていく服を選んだ。えへへ。今日はこれにしよう。
私が選んだ服は、モスグリーンのセーターに厚手のジーンズのスカートだ。「あら、今日はスカートなの?」と母が声を掛けた。
私がこういう服を着ることは、母にだけは公認である。父に見られるとまずいのだが、今日はいない。小さい頃、私がスカートを穿きたがるのを母はほんとうに困ったようであった。そのうち「お父さんには内緒よ」といって時々穿かせてもらっていた。あの頃はその格好で友人たちとも遊んでいたのだけど、小学校に入ってからは、友人の前でスカート姿を見せることはほとんど無くなった。
「うん。ブラも付けてく」
と私は答える。スカートを穿く時は下着も女の子用を着ける習慣だ。
こういう服は、母のタンスに入れられていて、自分の分については勝手に着てよいルールになっている。
「でもあんたがそういう格好で会えるお友達がいたのね」
と母は意外そうである。いや、そんな子いないのだけどね。
私はそんなことを思いながら、ひとりの友人を思い出していた。
幼なじみのその子とは、幼稚園の頃よくお人形遊びとかママゴトとかで遊んでいた。でも小学1年生の時に交通事故で亡くなってしまったのだ。あの子は私のスカート姿を「可愛い」と言ってくれて「みちる、女の子だったら良かったのにね」と、ニコニコした笑顔で言っていた。
7時頃に家を出る。母が「寒いからこれ着ていくといい」といって、ハーフコートを貸してくれたので、それを着てバス停まで行き、3区間乗って、観鳥天神の最寄りバス停で降りた。帰りは遅くなるから歩きかな・・・・一応「反射たすき」と小型の懐中電灯も財布と一緒に肩から掛けたポーチに入れている。数少ない、私のこういう『趣味』の理解者である従姉からおみやげにもらったシナモロールの可愛いポーチだ。
神社は大勢の人で賑わっていた。私は鷽替えで使う鷽を買い求めた。
すぐには使わないのでポーチにいったんしまう。
ここまで来てから、同級生とかに会うと少し恥ずかしいかな、などという思いがこみ上げてきた。しかし私のこういう格好を見せたことのある人はいないし、ハーフウィッグも付けて胸くらいまで髪がある状態にしているから、そう簡単には気づかれないかなとも思い直した。スカートでの外出はときどきしているのだけど、知っている人とのニアミス経験は少なかった。こちらで気づいたら回避していたのもあるけど。ただ、こういう人混みは初体験だ。人混みの中で鉢合わせしたら、その時だな、と私は覚悟を決める。
ほんとうの女の子になりたいな。私はまた思った。「性転換手術」という単語がしばしば私の頭の中で大きくクローズアップされるように浮かび上がってくる。女の子になりたい思いは強かったから、小学5年生の頃、そういう手術があることを知ったときは、ほんとによくそのことについて調べた。しかしまもなく私の期待は失望に変わった。性転換手術といっても、それは外形を似せるだけで、本当に女の体になれる訳ではない。子供も産めない。そのことを知ってから私はそういう手術を受けたいという思いは少し弱くなっていた。でも男の体のままでいたくないという気持ちも大きかった。
8時にまず豆まきが始まった。今年の年男・年女の氏子さんが設置された少し高い台から「福は内。鬼は外」のかけ声にあわせ、耐水性の袋に入った豆を蒔き始めた。
私の近くにもけっこう飛んできたのだが、そばの人にキャッチされてしまったり、地面に落ちたのを拾おうとしても他の人に先を越されてしまう。要するに私はとろいんだろうな、とこういう時はつくづく思う。体育でも徒競走はいつもビリだし、ドッヂボールでは最初にアウトになるし。
「あと3分で終了です」のアナウンスがあった時も、私は全く拾えていなかった。諦めかけていた時「これあげる」と突然、後ろから豆の袋を
渡された。「あ、ありがとうございます」といって私は振り返ったが、後ろには誰もいなかった。あれ?
その時は私もあまり深く考えずに、もらった福豆をポーチにしまった。どこかで聞いたことのあるような声だったような気もした。同級生かな?女の子だったけど。知り合いだからというのではなく私が手ぶらなのを見て、余ってるのをくれたのかも知れない。でも凄く柔らかい手の感触だった。
神社は9時から始まる鷽替えを前に30分間のインターバルに入っていた。私は少し小腹が空いてきたので、境内で売っていた焼き饅頭を1本買って、大きな杉の木の下で食べた。この神社はこれまで何度か来たことがあるのだが、この杉の木の下が実はお気に入りのスポットだった。
そこは境内の他の場所とは何か微妙に空気が違うような感覚があった。中学1年の時にこの杉の下で突然ひらめいたビジョンを描きあげた絵は、美術の先生に絶賛されて、市の美術賞に出したら銀賞をもらってしまった。
「嘘が本当になるんだよ」
え?私は突然そんなことばを聞いた気がして、声のした方を見るが誰もいない。
「そろそろ鷽替え始まります」
アナウンスが鳴り響く。私は焼き饅頭の串をティッシュでつつんでポーチの中に入れ、代りに木の鷽を取り出した。
しかし嘘が本当になるのだったら今嘘を言っちゃえばいいのかな。私はそう思うと、じゃと思い「私は女の子です」と小声で言ってみた。それから私はちょっと照れ笑いをしてから、杉の木の下を離れて、群衆の中に戻った。しかし私は群衆の中にもまれながら少し後悔していた。「私は女の子です」
というのは、他人から見たら嘘かも知れないけど、自分自身の心の中ではまごうことなき真実なのだから。『ちゃんと嘘になってないよなあ』
やがて拝殿の前に立つ宮司さんが大きな声で「替えましょ替えましょ」というと、境内にいた人たちもみんな「替えましょ替えましょ」と言って、隣の人と鷽を交換しはじめた。私も近くにいた人から手を伸ばされ、鷽を交換しては、また別の人と交換した。人混みには緩やかな動きが出来ていて、その流れに沿って歩きながら、私たちは鷽の交換を続けていた。私も小さな声で「替えましょ替えましょ」と言い続けた。
「これより金の鷽5個と銀の鷽20個を投入します。受け取った方はそのまますみやかに人混みから離れてください」
というアナウンスがあった。え?金の鷽って受け取ったらそのまま持っていていいの?人にまた渡すんじゃないんだ?と私は思った。バスの中で友人が話していたのとは少しシステムが違うのだろうか。それに銀の鷽もあるのか。
「なお、金の鷽・銀の鷽を受け取っても、他の方に福を分けてあげたい方は、更に交換を続けてもかまいません」
と続けてアナウンスの声が言う。ああ、なるほど、止めてもいいし続けてもいいのか。でもそのまま止める人のほうが多いのではなかろうか、という気がした。
群衆はややどよめいたが、交換は続いていた。しかし金の鷽・銀の鷽なんて、当たらないよなあ、と私は思った。ずっと交換しているのは大きさの違いがいくつかあったものの、みんな感触的に木の鷽だった。金属製のものにあたれば、絶対感触が違うはずだ。
ところどころで「わっ当たった」という声がした。しかし受け取ってすぐに離れていいシステムなら、神職さんたちは、どういう基準で渡す人を決めているのだろう? ほんとに適当なのだろうか?? そんなことを考えていた時耳元で「それは思いの強い人」という声がした。
え?と思ってそちらを見ると、緑色の振袖を着た中学生くらいの女の子がこちらをニコっと見ていた「替えましょ替えましょ」というので、私は彼女に自分が持っていた鷽を渡して「替えましょ替えましょ」と言った。代わりにもらったのは、何かずしりと重い鷽だ。「強い思いを持った人は独特のオーラをまとっている。そういう人に金の鷽や銀の鷽を渡すの。でもあなたの鷽はこれ。このまま静かに人混みから離れて」そう少女は言った。
私はその声に覚えがあった。福豆を渡してくれた子の声だ。そして、杉の下で聞いた声だ。そしてこれは確か・・・・・
私はその子に誘導されるように、人混みから静かに離脱した。替えましょ替えましょの声で腕を伸ばしてくる人はいるが、私は交換せずにしっかりとその鷽を握りしめていた。
「みちる、大きくなったね」「やはりかずみちゃん?」私は小学1年の時に事故で亡くなったはずの親友の名前を口にした。彼女はふふふと可愛く笑うと、人混みの中にまた消えていった。私が手にした鷽を見ると、それは緑色に塗られた鷽であった。
そしてその時、私は自分の体に異変が起き始めていることにも気づいていた。
私はとにかく家まで帰ろうと思って歩き始めたが、そのままふらふらとして堪えられず、しゃがみ込んでしまった。
「君君、大丈夫」「あ、すみません、何とか」
とは言ったものの立ち上がれなかった。人が集まってくる。
私は結局、神社の巫女さんのひとりに車で家まで送ってもらうことになった。家の前でお礼を言って降りたものの、またふらふらとしたので、結局巫女さんがインターホンのベルを鳴らしてくれた。
母が出てきて、びっくりしたようにして私を家の中に入れ、巫女さんにお礼を言う。「貧血かな?気をつけてね。あなた体が細いし、無理なダイエットとかしちゃダメよ」「はい、ありがとうございました」
「あら、あなた何を握りしめてるの?」「あ、これ?」といって私は
その緑の鷽を母と巫女さんに見せた。そうだ。ずっと握りしめてたんだ。
「その鷽は!」
巫女さんは驚いた様子だった。
「これは何か特別な鷽なんですか?」
「いえ。私も詳しく知らないというか、ごめんなさい。失礼します」
巫女さんは慌ただしく帰って行った。
その頃、お祭りが終わって帰り道を歩いていた高校生が会話をしていた。
「なにその観鳥天満宮の伝説って?」
「もともと観鳥天満宮って、今は鳥を観るって書くけど、昔は緑色の緑で緑天満宮だったらしいね。寛文年間に、徳川綱吉公がまだ館林の城主だったころ、緑色の小袖を着た乙女に先導されて天神様が降臨したというのが、この神社の御由緒らしい」
「それでその緑色の小袖の乙女というのが、この鷽替えの人混みの中に何年かに1度現れるという伝説があってさ」「緑色の着物くらい着ている人いるんじゃない?お祭りだから和服の人もいるでしょ」「まあね。でもその緑色の乙女が、緑色の鷽を渡してくれるんだって」
「へー、じゃ金の鷽、銀の鷽のほかに大当たりの緑色の鷽があるんだ!」
「その鷽をもらった人は、ホントに自分がついた嘘を本当にできると」
「ふーん。誰か緑色の鷽とかもらった人いるの?」「あくまで噂だから。でも、それで本当にできる嘘というのは、自分でも嘘と思ってついた嘘じゃなくて、自分にとっては本当であるような嘘なんだって」「例えばどんな?」
「うーん。例えば金持ちの男の財産に目がくらんで、好きでもないのに『あなたが好きです。あなたのこと一生愛しますから結婚しましょう』とか嘘で言っても、そういうのは叶わない。でも、自分はここに大きな遊園地を作ってみんなが楽しめるようにしたいとかお金も無いのに言っても、誰もいい加減なこと言ってと思うけど、本人が本気でそうしたいと思っているのなら、そういう人が緑の鷽をもらうと、それは叶うんだって」
「なるほどねえ。私はその緑の鷽もらって東大に受かりたかったな」
「本気で東大に行こうと自分で思ってる?」
「ぜんぜん」
「じゃダメじゃん」
「そうか!」
「大丈夫?みちる」
母は何とか居間までたどり着いてカーペットの上に横になった私に声を掛けた。
「お母さん、驚かないでね」
私は母の前でぜんぶ服を脱いだ。
「みちる、これは・・・・・」
私は「信じてくれないかも知れないけど」といって、神社の境内で起きたことを語った。母は私の体にとりあえずガウンを掛けてくれていた。
「信じるしかないわね。これ見たら。でもどうしようか?このあと」
「私は、そのうちお金貯めて手術してこういう体になりたかったから、今こうなっちゃっても、全然問題無い。今日は寝るね」
「気分が悪かったら言うのよ。救急センターに連れて行くから」
私の体の「トランスフォーム」は実はその時点でもまだ続いていたのだが、翌朝には完全に完了していた。母は抵抗する私を説得して病院に連れて行った。
ずいぶんあれこれ検査された。その結果、私の体は完全な女性であり、卵巣も子宮もあることが分かった。半陰陽の一種ではないかと医師は思ったようで染色体検査などもされた。生まれた時に女性の外見だったのに、10代の頃に突然男性の外見になってしまう「5α還元酵素欠損症」という症例が30年ほど前ドミニカで大量発生したことがあり、それの逆のタイプの半陰陽かも知れないと医師は言っていた。
しかし・・・検査の結果は「正常なXX」ということだった。
「あなたね、ほんとに男の子だったんですか?元々女の子だったのを男と偽って今まで暮らしていたのでは?」などと医者からは不審の目で見られる始末だった。
私は「間違いなく女性である」という診断書を下さいと言った。
医師は不満そうな顔で診断書を書いてくれた。数日後、母と一緒に裁判所に行き性別訂正の申請をして即日認められた。父はこの件に関して沈黙を守っていた。結局、私はそのあとずっと父とは何も話していない。
半月ほどにわたる欠席のあと、私が女子の制服を着て学校に行くと、みんなは驚いた様子であった。母が検査結果の報告書や診断書、そして性別の訂正がなされた戸籍抄本などを添えて学校に説明したので、学校側もすみやかに学籍簿上の性別を変更してくれた。「いや、性同一性障害のケースかと思って職員会議で討議せねばと思ったのですが、一種の病気だったんでしょうね。その場合の性別変更は全く問題ありません」と校長先生は言っていた。
私はクラスメイトたちからあれやこれや質問攻めにあったが、その異変があの鷽替えの夜に起きたということ以外は何でも素直に答えた。体育での着替えの時は、私がもじもじしていたら女子達に腕を引かれて女子更衣室に連れていかれ下着姿にされてたくさん観察された。彼女たちの厳密な査察?の結果、私は女子更衣室の使用、問題無しということで結論付けられたようであった。女子トイレを初めて使った時もドキドキだったし、注目の的だったが、私もすぐに慣れたし、みんなもすぐ慣れた。そして私はごく普通の女の子ライフを送り始めた。そして、男の子時代は全然友達がいなかったのに、女の子になってからは、何人か親しく話せる友人ができていた。
1年後。私は節分の夜、ひとりで観鳥天満宮を訪れた。今年はもう鷽替えには参加しない。あの杉の木の下で見物を決めていた。するとあの声がした。「どう、新しい生活には慣れた?」私はその声のする方を向くと彼女が消えてしまいそうな気がして振り向かずにそのまま答えた。ただ、目の端に緑色の振袖が見えているような気がした。
「ありがとう。最初はいろいろ戸惑いがあったけど、だいぶ慣れたよ」
「よかった。みちるは女の子のほうがふさわしいもん」
彼女の声はよく考えると耳に聞こえるのではなく、直接頭の中に飛び込んでくる感じだった。
「また会える?」「必要な時には。どっちみち63年2ヶ月後には会えるけど」
私はその年数の意味は聞かないことにした。
「でも会えなくても、私はみちるのそばに存在してるよ。それが私の修行なんだって。あ、あまり余計なことしゃべるなと注意された。じゃ、またね」
彼女が手を振った気がしたので、私も手を振った。
私はポーチからあの緑の鷽を取り出した。
「私も頑張らなくちゃ」
鷽替えが始まっていたが、その声を背中に、私はゆっくりと神社を後にした。
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【鷽替えの夜】(1)