【TSBコンテスト】(1)
(c)2002.1.18-2002.2.22 written by Eriko Kawaguchi
「TSBコンテストに参加しませんか?」
このお手紙は任意に選んだ人に送っております。
「先着10名」
「面接にて決定します」
「参加報酬600万円、但し説明を受けずに「何をしてもいい」と契約した場合800万円を前金でお支払いします」
怪しすぎる話しである。「何をしてもいい」というのは、かなり危険なことをすることになるのであろう。
ひょっとしたら命を落とすかも。
しかし借金の返済期限は迫っている。来週中に少なくとも50万円が払えないとかなりヤバイ。それこそどこかに送られて臓器を取られて川にポイかも知れない。
雨の降る日だった。彼女と会ったのは。
上司と完璧に衝突し、私はもう明日にも辞表を出さねばならないかも知れないという状況だった。
居酒屋で一人で飲んでいた私のそばに彼女はいつの間にか自然に座って、私にお酒を勧めた。
なんとなく彼女にさそわれてホテルへ。
あれ?お勘定どうしたっけ。まぁいいや。
彼女はいきなりフェラチオをしてくれた。ものすごく気持ちが良かった。そのあとお風呂場できれいに洗ってくれて泡の付いたまま今度は手でしてくれる。がそれがすごくうまい。自分でやってもこんなに気持ちよくなったことはない。気持ちよさの果てに私は眠ってしまったようだ。
ふと目が覚めた時、彼女はまたフェラチオしてくれていた。
「気持ちいい?」彼女はちょっと口を離してきく。
「うん」私はさすがにこれは「無料」ではないんだろうなということに思い至り始めた。彼女は私の上位になったまま、私のを彼女のにスルスルと入れてしまった。「え?」ここまでもかなりサービスしてもらっている。これで更に本番まで付くとは思ってもみなかった。これは10万くらいとられるかな。ま、いいか。これほどの体験そうそうはできない。私もセックスするのは3年ぶりくらいだった。
その時私は別の感覚にも気づいた。「え!?」
彼女は自分の指を私の後ろに入れてきたのである。こんなことされるのは初めてだ。そこを使ったことはなかったので恥ずかしくもありちょっと抵抗しようとしたが彼女は巧かった。完璧に入れられ私はいまだかって味わったことのない不思議な感覚に支配された。私の脳味噌は完璧に溶けてしまった。
私はまた眠ってしまったようだ。からだがだるい。何かされている。と思って頭を少し目覚めさせると、どうやら彼女が手で刺激しているようだ。
「さすがにもうたたないわね」
「ごめん」
「ううん。だってあなた今夜5回もいったから。二十....八くらい?」
「二十九」
「結婚は?」
「してない」
「予定は?」
「ないよ。相手もいない」
「ふーん」
「ところで、気を悪くしたらごめん。いくらか払うのかな...」
彼女はしばらく考えていたようだったが、突然吹き出してしまった。
「違うわよ。大丈夫、私の好きでやってるんだから」
「あ、ごめんね」
「いいのよ。その代わりといっては何だけど、あなたコンテストのモデルになる気ない?」
「モデルって、ヘアカットか何か?」
「ああ、似たようなものね。ただし切るのはヘアじゃないわ。おちんちん」
「え?」
「性転換コンテスト, Trans Sexual Beauty Contest」
「ええ!?」
私はあまりにも意外な言葉を聞いたために、なんと言っていいか分からないうちに彼女はどんどん説明をしていった。
なんでも世界中の性転換の名医が集まって、その腕を競う性転換コンテストというのが開かれているらしい。毎年1回で今年は8回目。その手術のモデルを募集しているという。
「そんなの、おかまバーに行けばニューハーフさんとかがたくさんいるのでは」
「ううん。コンテストのモデルとしては完璧な男性の身体を持った人でないと困るのよ。ニューハーフさんたちは既に身体をいろいろいじってるから」
「最高の医師たちだからレベルは高いし、完璧に美しい女体が得られるわ。もちろん戸籍上の性別も修正できるし。コンテストの主催者で就職先も紹介するし」
「就職先ってゲイバーとか?」
「ううん。だいたい一流企業の秘書とかが多いよ。特殊な技能を持っている人はその技能を生かす仕事を紹介するし」
なんだか彼女−いつまでも「彼女」では可哀想だ。玲子といった−の話を聞いている内、私はそんなのもいいかもなぁ、と思えてきてしまった。
30年近く男として生きてきたから、残りの人生は女でもいいかも知れないという気になってくる。
一流企業の女秘書。自分がそんなものになれるとは夢にも思っていなかった。どうせ明日には失業する身である。玲子の説得があまりにも巧かったせいだろうか。私はつい「いいかも」と言ってしまった。
二週間後、私はアメリカに行く飛行機に乗っていた。
会社には辞表を郵送した。3日後口座に退職金らしきお金が振り込まれていた。しかしそのお金は借金の返済ですぐに消えてしまった。
あちこちに合計で1500万円くらい借金がある。額は毎年増えていっていた。なんとしなければと思っていたが給料は一定額。ボーナスも期待できない。更にここ1年ほど不況のため給与がカットされていた。
退職したことで収入が途絶えると返済が滞る。滞るとかなりまずいと思われる所も借入先にはあった。下手するとコンクリ詰めで東京湾に沈められるかな.....それともバラされて臓器移植用にされるだろうか。
どっちみち命はなさそうな気がした。
その件を玲子に言うと、借りているお金を全部書き出せというので書き出したところ彼女が全部返済してしまった。総額は1627万8437円であった。
「モデル料が800万円なの」
このコンテストのモデルはだいたい普通に男として生活している人が多い。そこでそういう人に男をやめる決断をしてもらうにはそのくらいは払う必要があるらしい。「残り827万8437円。金利5%であなたに貸しますから毎月返せる分だけ返してください」玲子は言った。
しかしこれで私はもうこのモデルになるしかなくなったのである。
臓器に分解されてしまうよりは、ちんちんくらいなくなってもいいだろう。また玲子は毎日のように女であることがいかにいいことか私に語った。ほとんど私は洗脳されてしまったようなものである。
アメリカにつくと私は病院に入院させられ毎日なにやら分からない色々な検査をされた。性器の状態もずいぶん調べられて写真も撮られた。きちんとセックスできるか調べる必要があるといわれて、私は玲子と医師たちが見ている前でセックスもした。また心理的なテストもされたが、これは日本語の分かる医師がしてくれた。検査は1ヶ月以上続いた。
それからいよいよ性転換のプロセスが始まることになり、私は何やら契約書にサインさせられた。これで私はもう女になることが確定してしまった。今までは一応男の服を着ていたのだが、その日から女の服に変更された。
はじめのうちは女物のパンツなど履くたびにチンチンがたってしまってどうしようもなかった。体毛やヒゲは間をあけて全部で20回くらいの施術で全部永久脱毛させられた。それから女性ホルモンの注射を毎週受けた。受けた日はそのあとずっと気分が良くなかったがそれで正常らしい。そのホルモンの効果は如実にあらわれた。3ヶ月もするうちに私の胸は少女のように膨らみ始めた。チンチンは毎日オナニーすることを命じられていた。これは膣の材料に使うので小さくなっては困るのだとか。次第にたちにくくなってくるちんちんを私は毎日がんばってもんでいた。時々玲子がセックスの相手をしてくれた。なおのどぼけはホルモンを打ち始めてから1ヶ月後くらいに手術して削られた。
その間また私は女性としての教養その他を身につけさせられてた。料理も裁縫もしたことがないというと、毎日やらされた。また女性らしい声の出し方の特訓を受け、お化粧の仕方、女性らしい動作のしかた、などを訓練させられ、またピアノ、バレエ、フラワーアレンジメント、ベビーシッティングなどの教育を受けた。このため私の日々のスケジュールは完璧に詰まっていた。
半年ほどたったとき、朝突然「今日は去勢します」といわれて麻酔を打たれ、手術室に連れて行かれた。下半身を固定しての部分麻酔で手術が行われた。これで私は完全に男ではなくなった。摘出した睾丸は資料として保存する必要があるので渡せないと言われたが、別にもらってもしょうがないので「O.K. O.K.」と言っておいた。
去勢手術の傷が癒えた頃、女性としての生活テストを始めると言われ、買い物に行ったり、図書館に行ったり、展覧会やコンサートに行ったりなどということを毎日させられるようになった。そして1ヶ月後、今度は女性として仕事をしてもらうといわれ、私は玲子に連れられて病院から電車で30分ほど行ったところにある会社につれていかれ、面接を受けさせられた。
面接をしてくれた人は私を気に入ってくれたようで、採用が決まった。また私は病院を出て近くのアパートに一人で住むことになった。この頃には私の胸はAカップ程度には成長していた。しかしオナニーは毎日続けていた。睾丸を取ってしまったのでもう精液は出ないのだが何やら透明な液が出ていた。
会社での仕事は簡単な事務作業で、エクセルやワードを使って書類をまとめる仕事だったので、楽勝であった。この頃までには私の英語もかなりまともになってきていた。私は毎朝アパートで起きてはお弁当を作り、女物のスーツを着てはお化粧をして電車で会社に出かける典型的なOLとなった。
最初はかなりビクビクものであったが、次第に慣れてきた。問題は会社の人達が私が男と知っているのかということであったが、それについて一週間に一度くらい様子を見に来る玲子は黙って笑って「とにかくバレないようにちゃんと女の子してなさい」とだけ言った。
そしてOLを半年ほどした時、ある金曜日、普段通り会社から戻ってくると玲子が待っていた。「今から性転換手術をするからね」と言われた。私はとても心の準備ができなかったが、玲子は強引である。即車に乗せて病院に連れて行き簡単な検査の後麻酔を打たれた。「目が覚めた時はもう女の子よ」
私は何も考えるひまがないまま、深い眠りにおちていった。
けだるい感覚が私を目覚めさせた。何かまわりが騒々しい。軽い頭痛がする。「えーっと何だっけ」私は何が何だか分からない感じで天井を見つめた。
そうだった。私は性転換手術を受けたんだった。借金で首が回らなくなって会社も辞めなければならなくなっていた時に玲子に会った。そして性転換のコンテストのモデルになることを勧められ、アメリカに渡った。そしてホルモンの投与を受け、OLとして生活して、そして突然今から手術するからと通告されて病院に連れて行かれ、麻酔を打たれて....ということは、ここは病院か?
と思ったが、どうもそういう場所ではないような気がする。私はもう一度自分の記憶を辿ってみたが、やはり手術を受けた所で記憶が途絶えている。少しずつ意識が回復してきた。やはりまわりは騒々しい。一体ここはどこなのか。
私は起きあがった。そこは小さな部屋で下は柔らかいタイルカーペットが敷かれていて、私は毛布を掛けられて寝せられていた。まわりには誰もいない。しかし少なくとも、病院の一室には見えない。大きな姿見がある。私は移動してその前に立ってみた。ドキっとする。
随分見慣れたとはいっても、まだ自分ではないみたいだ。セミロングの髪、きれいにお化粧されている。濃緑のスカートスーツを着ていて、内側は白いブラウス。通勤に使っていた服だ。美人だよな、と実は思う。見とれていてハッと大事なことを思い出した。そうだ!手術されたんだった。
私は回りに人がいないことを確認して座っておそるおそる、あの付近に手をやってみた。
感触が明らかに違う。私は大きく息を付いた。パンツを下げてみる。そこにはそれまで有ったものは無かった。覚悟していたこととはいえ少しショック。しかしまぁ仕方ない。自分で決めたことだ。触るとまだ少し痛い。腫れているような感じもする。あまりまだ直視したくない気がする。私はパンツをあげた。
しかしここは本当にどこなのだろう。病院とは思えない感じ。身の回りを確認すると小さなハンドバックがひとつあった。見覚えはないが私に与えられたものであろうか。そっと中を開けてみる。
女物の財布。これは私がアメリカに来てから買って使っていたものだ。中を見ると日本円で1万円札2枚・千円札が10枚と小銭が少々入っている。口紅とコンパクト。ハンカチとティッシュ。
日本国政府発行のパスポート。そこには最近の私の写真が貼られていたが、名前は山橋美智子・女性となっていた。生年月日は自分の誕生日だが名前は聞いたこともない名前。このパスポートを使えということだろうか。
履歴書が一枚。そこにはやはり私の写真が貼られていて「山橋美智子」の履歴が書かれていた。本籍地と住所に書かれているのは東京の知らない住所。そして知らない学校の名前が出身校として書かれていた。最後の大学を出たあと、アメリカにずっといたことになっている。
他に何か無いかなと思って探してみると、ポケットの中から一枚の紙片が出てきた。航空券?? そして荷物タグ!?
航空券は12月10日13:00 ロサンゼルス発東京行きと書かれている。この便に乗れということ?? 一体今は何日の何時なんだろう。私は部屋の中にほかに物がないことを確認すると、バッグを持ち外に出てみることにした。靴は私が最近履き慣れていた靴が出口のところに置いてある。
外に出る。ちょっとまぶしい。人がけっこう忙しげに歩いている。私はしばらく歩き回り、どうやらここがロサンゼルス空港のターミナルの中であることに気づいた。時刻は10:30。売店に行って新聞の日付を見る。それで今日が12月10日であることが分かった。持っているチケットの便の出発まであまり時間がない。
しかし何がどうなっているのだろう。性転換コンテストはもう終わってしまったのだろうか。それにしても何か説明があっていいはずなのに。そもそも私が玲子に連れて行かれて住んでいたのは東海岸のボルチモアである。ここがまだワシントンとかせめてニューヨークというのだったら分かるが、なぜ西海岸のロサンゼルス??それもさっぱり分からない。玲子に電話してみようと思い電話を探した。そして掛けようとして小銭を出そうとして「あっ」と思う。日本円しか財布には入っていなかった!! これでは掛けられない。どうする?
私は待合室の椅子に座って少しだけ考えた。しかし結論は明らかだった。この持っているチケットの便に乗る以外の道は無い。荷物タグがあった。それを成田で受け取れば、何かが分かるかも知れない。私は立ち上がった。
正直言って飛行機に乗っている内にお腹が空いてきたので、機内食が待ち遠しかった。食べて落ち着くとトイレに行きたくなる。席を立って化粧室の中に入ったところで、ちょっと気になった。うまくできるかな?
パンツをさげて便器に腰掛ける。初めての体験である。事前のオリエンテーションで、手術して間もない人はけっこうおしっこが飛び散り、コントロールも聞きにくいと聞いていた。しかし着替えもないし失敗できない。トイレットペーパーを少し取って構え、おそるおそる筋肉を少しずつ弛めてみた。
備え有れば憂い無し、とはよく言ったものである。私はグシャグシャになったトイレットペーパーを便器の中に落とすと、さらにトイレットペーパーを取りあまり擦らないように気を付けながら、よくよくその付近を拭いた。これ日本に戻ったら随分自分で練習しないといけないんだろうな、と思った。きれいに手を洗って席に戻り、シートベルトを締めて、私は大きくためいきを付いた。
成田に着いたのは夕方である。しかしロスでもそうだったが、この知らない名前のパスポートで入出国管理を通るのはちょっと勇気がいる。しかし今は本来の高多啓太のパスポートの方が使い辛い身である。特に不審がられることもなくホッとした。荷物を受け取る。中身を確かめたいがその付近で開けるわけにも行かない。空港内のサービスカウンターで都内のあまり高くないホテルを予約し、成田エクスプレスで東京に出る。
ホテルにチェックインする。住所を書かねばならない。機内でよくよく眺めて頭に入っていた「山橋美智子」の住所と電話番号を記入した。そこがどこかは知らないが、ホテルがそこに電話することもないだろうから構わないだろう。しかし未だに性別の所でFに○を付けるのはドキドキする。
部屋に入ってまずシャワーをあびた。汗が流せて気持ちいい。あの付近はまだ直視するのがこわいので、手の感触で丁寧に洗った。なんとも不思議な感触だ。しかしこの身体とこれからずっと付き合っていかなければならないのだ。
身体を拭いてから部屋の姿見の前で自分の裸体を見てみる。いいプロポーションだ。アメリカでずっと鍛えられたおかげで、ちゃんと腰のくひれがある。胸もホルモン療法のおかげで充分に発達している。そして、今まで股間にあった男性を示すものが消滅している。女の子っとどんな感じなのかなと思って、今までもそれを股の間にはさんで鏡を見てみたことはある。今はちょうどそんな感じだが別に股には何もはさんでない。その証拠に少し足を広げてみる。そこはスッキリして代わりに小さな割れ目があった。
あまりこの状態を見ていたくもないのでバスローブを着てベッドに行き、荷物を開けてみた。着替えが少々。お化粧道具一式。ディレーターがサイズ違いで数本入っているのを見た時はドキっとした。これをこれから一生使わなければならないのだ。ため息を付き首を振ってテーブルの上に置く。他はこれといった特別な物が入っていない。困った。ポケットの中から通帳と印鑑が出てきた。これも山橋美智子名義。使っていいということなのだろう。金額を見てびっくりする。100万円入っている。取り敢えず御飯を食べるのには苦労せずに済みそうだ。それから鍵。もしかしたら書かれていた住所の場所の鍵なのかも知れない。とすると、そこに行ってみると、何か分かるかも知れないと思った。何とかなりそうな気がしたところで安心すると眠くなった。機内では必ずしもよく眠れなかった。
翌朝、ホテルをチェックアウトすると、書店で地図を買い、履歴書に書かれていた住所の場所を探す。結構苦労したが何とか見つかった。あまり高くなさそうな鉄筋の賃貸マンションという感じ。問題の部屋に行き、おそるおそる鍵を入れると開いた。
中に入ってみる。意味もなく「お邪魔します」と言っておそるおそる奥へ進む。誰もいない。ここに住めということなのだろうか。家具は一通りそろっているが、タンスの中は空っぽであった。玲子からメッセージか何かがないだろうかと思って探すが、それらしきものは無い。賃貸契約書だけが見つかった。山崎美智子名義でここが借りられている。家賃は月8万円。場所から考えて妥当な金額か。家賃の引落し口座は持っている通帳の口座になっている。契約されたのが今月初めになっていた。
結局のところさつぱり分からない。しかし取り敢えず....
私はお腹が空いたので戸締まりして外に出て近くにあったファミレスに入り、ランチを食べた。どうやらここでしばらく暮らせということのようなので、そのためには色々買う物がある。まずは着替えが欲しい。食器や調理器具なども買わねば。それより...
私は新宿に出ると真っ先に携帯電話を買った。これがないと始まらない。国際電話で玲子の所に掛ける。つながらない。それどころか、電話番号が違うというメッセージが流れる。そんな馬鹿な。何度も掛けている番号だ。間違っているはずがない。ふと思い立って、自分が手術の直前まで勤めていた会社に掛けてみる。今日本は13時。ボルチモアは23時、まだ誰か残っているに違いない。「Hello」懐かしい同僚の声がした。急に休んで済みません、と謝ろうとすると向こうは意外な答えを返してきた。「どうしたの?寝ぼけちゃった?」と言う。
「君が急に帰国したのはびっくりしたよ。でも結婚するんだったら仕方ないよね。おめでとう。いい奥さんになるんだよ」「え、ありがとう」私は虚を突かれた感じで、何だかよく分からないことを言って電話を切った。
近くのマクドナルドに入ってハンバーガーを食べながら考えてみる。どうやら私は結婚するために会社を辞めて日本に帰国したことになっているらしい。つまり日本で暮らせということなのだろう。ということは、こちらで仕事を探さなきゃと思って、突然さっき同僚に言われた「Make him a good wife」という言葉を思い出した。奥さんか....そうか、自分は女になったから、いつか男性と結婚して奥さんになるのかな、と想像し見知らぬ夫のために御飯を作ったり洗濯をしたりしていることを想像していたが、次の瞬間男性とのセックスのことを考えると、ちょっと抵抗感を感じた。はぁ、とため息を付くと、私は取り敢えず暮らしに必要な物を買いに店を出た。
私はすぐ仕事を探そうと思ったがその前に自動車の免許を取っておくことにした。住民票を取りに行ってみると、ちゃんと山橋美智子の住民票は取れた。これで自分はこの名前で法的に存在していることを確認できたので、自動車学校に入学の手続きを取る。貯金をかなり使うことになるが、やはり免許がないと不便である。高多啓太の名前では免許があるのだが、それは使えない。しかし元々運転はできるので、最短時間で免許を取得することができた。
続けてえり好みは一切しないつもりで職安に行き仕事を紹介してもらう。幸いにも都内でパソコンのオペレータ兼雑用係の仕事を得ることができた。複数の企業で設立した、小さな事業を行う事業所で、職場はほとんどが老年の男性。女は私一人だけであった。おかげで平均的な女性からは少し背が高すぎることについては誰も不審に思っていないようだ。今更女の子を誘惑しようという色気も残っていなかったので、とても楽に仕事ができた。事務所内にパソコンが何台もありLANでつながっているのだが、設定その他が分かる人は誰もいないので結局、システム全体の面倒を見る羽目になる。最初に聞いていた話とは仕事の内容が変わってきたが、その分給料を上げてくれたので、よけい助かった。
女の子が一人しかいないため、休みが取りにくいのがちょっとだけ辛いところだが、どうしてもきつい日は生理ということにして休ませてもらった。自分が「生理」になった日はしっかりダイアリーにつけておき、変な間隔にならないよう気を付けた。
その後玲子とは全然連絡が取れない。しかし返済するお金は残っているはずだ。私は毎月少しずつ別口座にお金を積み立てていた。1年ほど働いているとさすがにお年寄りの男性ばかりの職場にも変化が欲しくなった。そこで週1回エレクトーンを習いに行くことにした。これはさすがに女の子が多い。ちょっとドギマギしたが、おかげで女の子の友人ができた。最初はおそるおそるの付き合いという感じであったが、次第にごく普通に付き合えるようになっていった。同じクラスの中に私と同じくらいに背の高い女の子がいて、特に彼女とは仲良くなれた。
時々水泳にも行くようになった。水着姿になるのはかなり勇気が必要であったが、水着を着た自分を姿見でよくよく見て、大丈夫だよなと自信が持てたので通いだした。身体を動かすというのは、とても気持ちがいい。
休日にはしばしばエレクトーンで知り合った友人と一緒にショッピングなどに出かける。恋の悩みを相談されることもあり、一応人生の先輩としてアドバイスなどしていた。言えないけど、男心が分かるのが実は強みだ。
こうして自分が以前は男だったなんてことはほとんど忘れてしまえそうな日々が続いていった。ただディレーションは数日おきに必ず実施していた。また差出人無しで時々荷物が送られてきて、中に女性ホルモンが入っていたので、それを書いてある処方通りに服用していた。その荷物が届くたびに、私はどうやら玲子に忘れられている訳ではないようだ、と思い、その内また会うこともあるのだろうか、と考えたりしていた。
日本に戻ってきてから1年半した頃、身の回りに大きな変化があった。私が勤めていた事業所が出資先の事情で本社に吸収されることになり、私はそのまま大手企業の本社ビルの一室に勤務先が変わることになった。スタッフも増えることになり、若い男性が2人加わってきた。
その中の一人、春前淳次さんが問題である。彼はコンピュータに詳しい人で以前独立系のソフトハウスにいたこともあるらしい。何かとシステムのことで話をする内に、どうも私個人に興味を持ってしまったようだった。
お茶やお食事によく誘われ、最初は適当に流していたのだが、そうそう断ってばかりもいられない。少しずつ応じるようになる。そしていつしか週末にデートまがいのことをする仲になってしまった。
「好きだ」と告白されたが、私は男性に対して恋心のようなものが持てない。だから、お友達としてなら付き合ってもいいと答えたが、それを彼はかなり拡大解釈しているようだ。
彼に告白されてから1月もしない内に、半ば強引にホテルの一室に誘われることとなった。私も開き直りゼリーを用意していく。そして一人でシャワーを浴びさせてもらい、きれいに洗った上で内部にゼリーを仕込んだ。これでトラブルなく入れられる筈。
しかし彼は最初から私が濡れていたことから、逆に感激してしまったようである。彼は私の身体をむさぼるように何度も何度もせめてきた。男性との初めての体験になったが、男の立場では経験があるから、それほど慌てることもなく済んだ。思っていたよりも気持ちが良かったので、これなら、またしてもいいかなという気がした。なにせ入れられること自体は日々のディレーションで慣れている。そして彼と私は週末ごとに結び付き合う関係になった。しかし彼はもっと私に期待していたようであった。
彼とそういう関係になってから1ヶ月後、私はいきなりプロポーズされてしまった。目の前にダイヤの指輪があるのを呆然と見つめる。何と答えていいか分からなかった。
「あの....私、黙ってたけど、以前に手術受けてて、子供が産めない身体なの」
それだけ言うのが精一杯だった。彼は少しショックを受けていたようだった。いったんそのまま指輪を持ち帰ったが、その夜、私のマンションを訪ねて来た。
「考えたんだけど、別に僕は子供を産む道具として君が欲しいわけではない。君そのものが好きなんだ。僕は兄貴がいて、そちらはもう結婚して子供がいるし、僕には孫はできなくても構わないと思う。それにどうしても子供を育てたくなったら養子の口を探してもいいと思うし」
そう言うと彼は「だから結婚して欲しい」と改めてプロポーズされた。私はそれまで彼に対して恋愛的な感情を感じたことはなかったが、この時突然、彼を愛おしく思ってしまった。「淳次さん....」
私は言葉では返事できなかったが、その顔はほとんど結婚に同意したも同然であった。彼が私を押し倒してくる。しまった。ゼリーの用意が。しかし彼は構わないようだった。抵抗を感じて少し戸惑ったようだったが、ゆっくりと優しく入れてきた。するとこちらも自然に受け入れることができた。ゼリー無しでもできるもんなんだなぁと、ちょっと驚いた。
翌日の昼、私はこれからどうしたらいいのか、困ったなと思いながら一人で普段より少し離れたレストランで昼食を取っていた。その時、私の目の前に一人の女性が座った。
「玲子」私はびっくりして彼女の顔を見た。「元気にしてるみたいね」彼女は笑顔で言う。「一体何がどうなってるのか、説明して欲しいんだけど」と言うが彼女は遮り「その内説明するから、今のあなたの状況を教えて」と言う。
私はロサンゼルス空港で目が覚めてから日本に帰国し、就職したこと。またいろいろ友達ができたことを話し、最後に男性からプロポーズされて同意してしまったこと。しかしそれで今後どうしたらいいか戸惑っていることを話した。
玲子はずっと頷いていたが、私が婚約したことを聞くとヒュー!と驚いたような顔になり、私の悩みを真剣に聞いてくれたようである。そして「良かったじゃない。結婚を申し込まれたなんて。いい奥さんになるのよ」と言う。
「だってバレたら」「バレる訳ないわ。あなたが黙っている限り」
「でも身元とか調べられたら」「その程度で問題が発覚するような安いことしてないわよ」と言う。「自分の戸籍は取ってみた?」と聞く。
私は頷いた。それはやってみている。山橋美智子の両親は死んでいて、兄弟はないことになっていた。「そうしておくのが楽だからね」と玲子は言った。
「そうだ。私があなたの中学時代の同級生ということになってあげるから、結婚式に呼んでよ」それは、そういう人がいたら助かる。こちらは本来は履歴の中身が空っぽである。「連絡先は?」と聞くと、そうかと言い、携帯の番号を交換してくれた。しかし結局詳しい話は何もしてくれないまま玲子は去っていった。
私は翌週淳次の実家に連れられて行った。淳次ももう30歳を過ぎているのが効いたのか、私のことについては、あまり聞かれず、結構気に入ってもらったようであった。
半年後、私たちは結婚式を挙げた。玲子が約束通り中学生の時の同級生としてスピーチをしてくれ、式自体にも親族代わりに出席してくれたので、なんとか格好が付いた。私は春前美智子になった。
しばらく後、彼が大阪に転勤になったため、私は仕事をやめて付いていき専業主婦になった。ようやくペースをつかんで来た頃、玲子が自宅に訪ねて来た。彼女はいつも突然だ。
「今日は何?そろそろ少し話してもらえるのかな」とお茶を出しながら言うと、玲子は1枚の紙を出した。『はぁ???』私は心の中で眉をひそめながら「何これ?」と玲子に尋ねた。
玲子が見せた紙には「TSB Contest Gold Prize」と書かれていた。
「あなたが優勝したのよ」と玲子は言った。
「つまりね、このコンテストは性転換を施した人がどれだけ新しい性別で社会に適合できるか、というところまで評価の対象になっているの。ただきれいに性器を形成できたらそれでOKという世界じゃない。だから何の説明もなくて申し訳なかったけど、あなたを一人で空港に放り出させてもらったのよ」
私はどっと疲れる気がした。「じゃ今までずっとコンテストの最中だったんだ」「そういうこと」「もしかして私ずっと監視されてたの?」「行動はチェックさせてもらっていた。室内で何をしているのかまでは関知しないけど」
どうりで玲子がいいタイミングで出現する訳である。
「TSBコンテスト自体は毎年行われているけど、モデルの選定からトランスの医学的措置、そしてその後の生活状況チェックまで含めると3年ごしのスパンがあるのよね」なるほど、と私はやっと納得することができた。その時私は大事なことを思い出した。
「そうそう。私残っていた返済のを返そうと少しずつ貯金していて、何とか結婚前までに200万円ほど貯めたの。こちらで今は専業主婦なので返済ができないけど、少し落ち着いたらパートに出て少しずつ残りを返していくから、振込先、教えてくれない?」
私が言うと玲子は「それは賞金と相殺しましょう」と言った。「優勝賞金は80万ドルで日本円で約1億円。その内5割が医師グループの取り分、3割がコーディネーターの私の取り分、2割があなた本人の取り分で2000万円ほどあるわ。未返済の金額を差し引いても1200万円前後になると思うから。正確な計算書はあとで送るけど、残額は来月くらいに口座に振り込むね」と言う。
「それから山橋美智子名義の口座に入っていた100万は...」
「あれは経費だから、そのままもらっていていいよ」と玲子は言う。
いったいどれだけのお金を掛けてこのコンテストは行われているのだろうか。大きなスポンサーが付いているのか。それを尋ねると玲子は、大きな企業ではあるけど、名前は出さないことになっていると答える。あくまで社会への貢献?のためにしているらしい。
「それから、今からあなたの就職先を紹介することもできるんだけど....いらないよね、たぶん」
私は笑って頷いた。玲子はこうも言った。「あなたが結婚してなかったら、私と同様にコーディネーターにならないかって誘おうと思ったんだけどね」
と。その時私は初めて気づいた。「もしかして玲子も以前....」
「うん。あなたより5年前のコンテストで準優勝だった」信じられない気がした。玲子のことをこれまで一度も元男性などとは疑ったことはなかった。
「元男だとね、男の気持ちいい場所がよく分かるから、こういう仕事にはいいのよ。今も一人若い男の子をトランスさせようとしている最中なんだよ」と彼女は言った。「でも、その男の感じる部分が分かるというのは奥さんとしても使えるよ。頑張ってね」という。私は頷いた。
玲子の説明によれば今回のコンテストの参加者は10名。優勝が私で、自然に女性として社会にとけ込むことができた上に、結婚までしたことが大きなポイントとなったらしい。2位は賞金15万ドル。エジプトの人で、男女のしきたりの厳しいイスラム世界でうまく順応できたことが評価されたらしい。その彼女はエジプトで看護婦として暮らしているとのこと。3位は賞金5万ドル。フランスの人で現在は幼稚園の先生をしているそうであった。
「今回リタイアは4人ね」と彼女は付け加えた。「どうしても、完全に男性として暮らしている人を連れてくるから順応に問題がある人がいてね」と言う。3人はホルモン投与をしている最中に女としての自分に耐えられなくなって中止を申し出たらしい。リタイアした場合は、参加報酬の取消しでかなり高額の負債が掛かってくるとか。それも怖い話である。「あと一人は性転換した後で不適合を起こして。ちょっと可哀想だったわ」私はその人のその後については、尋ねるのがしのびない気がした。
玲子は笑顔で手を振って去っていった。
それから10年がたつ。玲子とはそれ以来一度も直接は会っていない。淳次はますます忙しくなり、私たちは数年おきにあちこち転勤を繰り返した。しかしその方が私のような人間にとっては好都合である。もちろん子供はできないが、そのことで特に問題は起きていない。子供がいないおかげで、逆にずっと「夫婦」のままでいられるような気もする。
自分が元男であったことについては自分の中で精神的に決着が付いてしまった気がする。多分永久に誰にも打ち明けることはあるまい。彼との夫婦生活があるのでディレーションはもうしていない。セックスレスになってしまったら必要になるとは思うが、ずっとこのままかも知れない。女性ホルモンの補給だけは必要なので続けている。コンテストが終了したため自費になったが玲子の紹介のある場所から購入している。自分の貯金があるのでこういうのには便利である。
思えば自分が女になって、そして男性と結婚して奥さんとしてうまくやっていけるなんて、想像もできないことだった。自分はホモだったつもりはないが、女になってみると、こうやって男性との生活に特に支障は感じない。そして本当に彼のことを愛していると思う。それは多分ヘテロとしての愛なのだろう。身体が女になったことで、あるいは女性ホルモンの影響で、自分の思考自体が変わってしまったのかも知れないという気もする。
そんなことを一度玲子に電話で話したら、そういう人は珍しいと言われてしまった。実は玲子はいまだに男性と恋愛関係になったことはないらしい。それでも酒場などで若くて素質のありそうな男の子を見付けると、酔い潰して自分の身体に溺れさせ、女の子にならないかと誘っているらしい。私の後でも10年間で5人の男の子を無事女の子に転換させたと言っていた。また誘いにはのらなかったものの自分で女装を始めヤミツキになってしまった男の子も20人はいるとか。しかし、充分に行けると彼女自身判断しない限り、モデルには推薦していないらしい。その結果、彼女がコーディネイトしたケースでは性別不適合などのトラブルが皆無ということで、優秀コーディネイターとして表彰されたとか。彼女も元気でやっているようだ。
一度彼女にどうしてそんなにトラブルが無いのか?と聞いたことがある。すると彼女の答えは「要するに自分と同じ空気を持っている人を探しているのよ」
と答えた。更に彼女は言う。「たぶんね、美智子ちゃん。あなたは私と出会わなくても、何かのきっかけで自分からトランスの道を歩んでいたかも知れない。わたしがしたのは、あなたのスイッチを入れただけ。だからね、あなたは元々女の子だったのよ」
その話を聞いて、私は自分の今の状態にとても自信が持てたような気がした。
【TSBコンテスト】(1)