【トイレの前で】

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それはカズが小学2年生の時だった。なかなか逆上がりができないので放課後ずっと校庭で練習していたがどうしてもうまく行かない。ちょっと疲れてきた時にトイレに行きたくなった。カズは校庭から階段を上がると、プールの横にあるトイレの前まで来た。普段ならここで左側の男子トイレに入る。しかし、今日、カズは何だかそこに入りたくない気がした。
カズはそのままずっとそこに立っていた。諦めて左側の入口に入ろうとした時のことだった。「どうしたの?」声を掛けてきた人がいた。担任の水沼先生だった。「いえ。なんでもないです」カズは先生の声を振り切るように、左側の入口に向かって1歩踏み出した。「さっきからずっとそこで迷ってたよね」
「え?」見られていたのだろうか。カズは心臓がどきどきするのを感じた。
「もしかして女子トイレをのぞいてみたいの?」「そんな」
「あ、分かった。女子トイレを使いたいのね?そうでしょ」「あ、えっと」
水沼先生は全てを見通したようなまなざしで優しくカズを見ると「いいよ。変なことしたいんじゃなくて、トイレ使いたいんなら、そちらに入りなさい。私がここで見てるから大丈夫」
カズは真っ赤になってしまった。水沼先生はカズがもじもじしているのを見ると漏れそうになっているのではと誤解したようだ。「あら、大変。急がなくちゃ。おいで」そういうと水沼先生はカズの手をとって女子トイレの中に入っていった。
初めて見る女子トイレの中。そこには個室の扉だけがずらっと並んでいる。
男子トイレみたいに溝と土手と作られている、立っておしっこをするような場所がない。「早く」先生はカズを手近な個室の中に押し込んだ。
それがカズにとっての最初の女子トイレ体験だった。
「今度うちに遊びに来ない?」先生はその日そうカズに行って別れた。
その後も時々人がいないような時に水沼先生はカズに女子トイレを使わせてくれた。そしてある日のことだった。「今日はこのあと何かあるの?」とカズに聞く。「いえ」「じゃあうちに寄っておいでよ。お母さんには私から電話しておくよ」と言う。
カズは先生の家に行くのは初めての経験だったが、今日は何だか行ってみたい気がした。「はい。お邪魔します」
水沼先生は小さな車の助手席にカズを乗せて、自分の家まで連れて行った。
「東さん、いつも思ってたけど言葉が丁寧よね」「そうですか」
「他の男の子はみんなけっこう乱暴な言葉使うけど、東さんはいつもです・ますを使うよね」「ただの癖です」「色も白いし、女の子だったら良かったのにとか言われたことない?」
カズはどきっとした。幼稚園の頃までそれは良く言われていた。ただ小学校に入ってからは久しく聞いていなかったことばだ。
「友達も女の子の友達のほうが多いみたい」
「野球とか得意じゃないから」
「そうそう。もてて女の子の友達が多いんじゃなくて、女の子たちの仲間という感じだよね」
カズはまた赤くなってしまった。
「うふふ。そういう所も女の子っぽいし」
車が先生の家に到着する。カズは先生に導かれて家の中に入った。
カズを応接室のソファに座らせると先生はお茶を入れてきた。そしてお茶を飲み終わったカズに先生はおもむろに尋ねた。
「東さん、女の子になりたいとか思わないの?」
カズはドキッとした。その顔がかなり答えを語っていた。先生は微笑んで何かの錠剤を3粒、カズの前に出した。
「ねえ。このお薬飲むと、あなたは女の子になっちやうの。これ飲んでみたいと思わない?」
カズの心臓はもうドキドキしていた。
女の子になっちゃう?女の子になれる? そんなこと何度考えたか分からない。
でもお母さんにはそんなこと言えなかった。デパートで洋服を買ってもらう時に妹が買ってもらっているスカートが羨ましかった。夜中にこっそり穿いてみようとしたこともあるけど、小さくて履けなかった。
この薬を飲んだら女の子になっちゃう?ちんちん無くなっちゃうのかな。そして妹と同じようなかたちのおまたになっちゃうのだろうか。。。カズはドキドキして息が苦しいような気さえしてきた。そしてもう我慢できずにその薬を手に取ろうとした時。
「ごめんね。別に女の子になりたい訳じゃないのかな」そういって先生は笑顔で薬を引っ込めてしまった。カズは心の中で「あぁ。。」と思った。
「でも東さん、女の子になれる素質あると思うよ。スカート穿いてみたくない?」
カズは大きくうなずいた。
「じゃこっちおいで」
先生はカズの身体に合うスカートを準備してくれていたようだ。穿いてきたズボンを脱いでスカートを穿いてみた時。そしてその姿を鏡に映してみた時、カズは心の中につかえていたものが全部融けて消えていくような気がして、涙が出てきた。
「あらあら。でもスカート穿きたかったら、いつでも私のおうちにいらっしゃい。
いつでも穿かせてあげるからね」
カズはその後もしばしば先生の家におじゃましてスカートを穿かせてもらった。
スカートだけでなくいろいろ可愛い服も着せてくれて、髪にリボンを結んでくれたり、髪飾りを付けたりもしてくれた。何度かその格好で外に連れ出されたこともある。もちろん外に出ている時にトイレに行く時は女子トイレだった。その内カズはそうしてスカートを穿いている自分が普通に思えてきた。
しかしそんな関係は2年生が終わって先生が他の学校に移っていくとともに終わってしまった。先生は別れるとき、カズが着ていた服をあげようか?と聞いたけど、お母さんにとても言えないし、先生が何かお母さんから言われるかもと思うと「いえ、いいです」と断った。
カズが再びスカートを穿いたのは、高校生になってからだった。今度はもう自分のお小遣いをためてスカートを買い家の中で堂々と穿くようになった。家の中ではしばらくパニックだったが嵐はすぐに消えてお母さんはちょっと諦めたような顔をした。カズは水沼先生から、女の子の服を着るときにたまたまを身体の中に収めておく方法を習っていた。カズはそれを水沼先生と別れてからもずっと実践していた。
おかげでカズには第二次性徴が来なかった。変声期もなかった。そもそも普段の雰囲気で、お母さんはカズのことを気付いていたのだろう。
カズは今は学校にだけは男子の制服で行っている。しかし日曜日の部活の時は私服のスカートを穿いていく。そのうち女子の制服で行きたいなと思って、制服を先輩から譲ってもらって確保だけはしている。そして日曜日にはその服で町を歩くこともある。何人かの友達に目撃されて驚かれたけど、こちらが平気な顔をしていると相手はそのまま受け入れてしまったようだ。
しかし思えば惜しい気がするのが、あの時先生が見せてくれた「女の子になる薬」。
あれはいったい何だったんだろうなと思いながら、カズは毎日、お母さんが買ってくれた女性ホルモン剤を飲んでいる。
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