【ある朝突然に】(1)
(c) 2002.03.26 written by Eriko Kawaguchi
朝起きた時、私は何か不思議な違和感を感じた。最初その違和感が何なのか良く分からなかった。いつも通りの安アパートの天井が見える。何が変なのだろう。そうか、布団がなんだかフワフワしている感じがする。いつも寝ているのは何ヶ月も干していないペラペラの硬い布団だ。あれ?布団干したんだったっけ??昨夜は友人の送別会があり遅くまで飲んで帰ったので記憶が必ずしも定かでない。寝る前に自分で布団乾燥機でも掛けたのだったろうか?
まぁ、いいか。と思って私は布団から起きてまずトイレに行こうとして、いきなり転んでしまった。なんだ、これは? 私は変な服を着ていた。最初はガウンかとも思ったが、やがてそれが女物のネグリジェであることに気が付くと私は顔を赤らめた。こんなもの着てまともに歩けるわけがない。私はそのネグリジェのすそに足を引っかけてしまったのだった。
これは誰のだ?誰か女の子の家に泊まってしまい、それで寝間着がなくて、こんなものを借りてしまったのだろうか。そう思って部屋を見回すと確かにこれは女の部屋という感じである。ピンクのカーテン、布団も可愛いキャラクターもの。壁には男性のロックグループらしいポスターが貼ってある。部屋の隅にはドレッサーがあり化粧品が並んでいる。しかし誰の部屋に泊まったんだ。やばいなぁ。
その泊めてくれた主がいるかと思って見回すが誰もいない。私は起きあがると、また転ばないように、おそるおそる足を動かして部屋を出て台所に行ったが、そこにも誰もいない。しかしこのアパート、自分のアパートとよく似た間取りだ、というよりもほんとにそっくりだ。ここはどこなのだろう。
もしかしてトイレ?私はしばらく待っていたが動きがないので、トイレの所にいき、ドアをノックしてみた。返事がない。開けると誰もいなかった。私はとりあえず、おしっこをすることにした。
しかしこんな服を着ているとなんだか面倒だ。洋式の便座をあげてから、裾をまくりあげて、パンツからちんちんを出そうとして困った。どうも自分は女物のパンツを履いているようである。何かで汚してしまうかなにかで、下着まで借りたんだろうか。これは後で、よくよく謝らねばと私は頭を掻いた。しかしすそをまくったまま、パンツからちんちんを出しておしっこしようとすると、どうも裾におしっこがかかりそうで怖い。私は諦めて、座ってすることにして便座を戻し、パンツを膝下までおろして、ネグリジェのすそを腰の所まで引き上げて座っておしっこをした。一息である。
さて、今この部屋の主がいないということは、どこかコンビニに買い物にでも行っているのだろうか。とすれば、それを待つしかない。私はトイレを出て、部屋に戻ったが、何か落ち着かない感じがした。
何かそのあたりにある雑誌でも見ながら待つことにしようと思い、探すと台所のテーブルの上にファッション雑誌が置いてある。こんなもの読んだことないが、まぁ女の部屋なら仕方ない。私はそのテーブルの所に座って雑誌を読んでしばらく過ごすことにした。
しかしこういう雑誌は何だか難解だ。どうも洋服の種類やアクセサリーなどを表すらしき言葉がたくさん出てくるが、何が何だかさっぱり分からない。こんなものが全部分かるなんて、女の子たちって結構頭がいいのではないか、などといったことを考えていた。
新作の下着の特集のページはつい熱心に見てしまった。今時の女の子たちってこんなカラフルな下着を付けているのだろうか? 私は大学時代に一度だけ恋をして2〜3度だけその娘と寝たことがあるが、そのあとすぐ別れてしまってそれ以来、ずっとこういうものにはご無沙汰である。その時の彼女は普通に?白い下着を付けていた。そういえば自分は昨夜、この部屋の主とやってしまったのだろうか。記憶が無いというのは、なんとももったいない。
1時間がたった。さすがに、こんなに戻ってこないというのは変だ。私はここの住人が誰なのか、確認させてもらおうと考え、何か名前の入っているものがないか、調べ始めた。
ダイレクトメールの類でもなかろうかと思って、テーブルの近くや本棚などを見てみるが、それらしきものは無い。部屋の中をいろいろ見てみるが分からない。そのうちテレビのそばのフックにハンドバックが1個かけてあるのに気が付いた。さすがに、その中を開けてみるのはまずいよな。私は他にヒントになりそうなものを探したが、どうしても見付けることができなかった。やがて、最初に私が起きてからもう2時間くらいがたとうとしていた。
私は意を決して、そのハンドバックを開けさせてもらった。赤い財布が入っている。その中にきっと何かあるだろう。私はそれをそっと開けた。さすがに、たくさんカードが入っている。1枚クレジットカードらしきものを出してみる。
「NORIE YAMAMOTO?」誰だそれ?私は記憶がなかった。しかしヤマモトというのは自分と同じ苗字だ。但し自分のは「山元」と書くのでよくある「山本」よりは随分少ない。しかし親戚か何かにでもノリエって娘いたっけ?と一瞬思ったがどうして自分が親戚の家にいなければならないのか分からない。他にもっと、はっきり分かるものがないか調べてみる。運転免許証がある。それを取り出して私は完璧に戸惑ってしまった。
「山元倫英」と書かれた免許証。それは私の名前だ!まさかこれが NORIE?
ちがう。この名前は ノリエと読むのではない。ミチヒデと読むんだ。
そんな読み間違いなんて、今までされたことないのに。いや、それはそうだ。実物を見れば女には見えないだろうから、男性だったらミチヒデと読むんだろうと、みんな思ってくれていたのかも知れない。
免許証をよく見るが、そこに書かれていた住所はどう考えても自分の住所だった。そしてなによりも私を戸惑わせたのが、そこに貼ってあった写真だ。最初それは何かとてもよく知っている人の顔のように思えた。しかし、よくよく見るとそれはまぎれもない自分の写真であることに気が付いた。ただし、その写真はどうもお化粧をしているように見える。
私は慌てて部屋の中にあったドレッサーに行き鏡に自分の顔を映してみたが、私は別にお化粧はしていなかった。しかし、まさか自分は女になってしまった?私は服を脱いでみることにした。ネグリジェの下に着ていたのは、下は女物のパンツ、上も女物ののシャツのようであった。それを脱いでみると、胸はそんなに大きい訳ではないし、ちんちんもタマタマもちゃんと付いている。足にはすね毛だって生えている。やはり自分は間違いなく男だ。
しかし一体ここはどこだ?
私は裸というわけにもいかないので、今まで着ていたネグリジェだけ再び身につけると、窓を開けてみた。半ばそのことは予想はしていた。しかしたしかにその景色はいつも自分の部屋から見ている景色だった。
私は窓を閉めると玄関に出て戸を開けてみた。そこは防犯のため表札こそ出していないが、404というその部屋番号はまさしく自分が住んでいるはずの部屋番号だ。ということは自分は確かに自分の部屋にいる、ということなのだろう。
私は戸を閉めると、再び部屋に戻り、さっきの財布の中身をもう少し確かめてみた。美容室の会員証、ケーキ屋さんのスタンプカード、洋服屋さん?らしき店のカード、どれも自分には見覚えのないものだが、全部、山元倫英またはヤマモト・ノリエという名前が入っている。そして、健康保険証!! これには山元倫英の名前にちゃんと「ノリエ」とカナが振ってあって、性別欄が確かに「女」になっている。そして更に社員証!! それは自分が勤めているはずの会社のものだが、それも「山元倫英/ヤマモトノリエ」という名前と振り仮名が入っていて、運転免許書と同様に、お化粧した自分の写真が貼ってあった。
私はタンスを開けてみた。そこにあるのは全て女物の服だ。女物のパンツがきれいに小分け用のケースに整理されて入っている。ストッキング、これは...キャミソール? これは少し長いからスリップ? そして大量のブラジャー、ガードル? Tシャツやポロシャツ、カットソーなとも入っているが全部女物。それにパジャマ...これも全部女物。それにネグリジェ。
洋服ダンスを開けてみる。ブラウス、スカート、.....ズボンも入っているが全部レディス仕様のようだ。これはいったいどういう悪夢なんだ!?
私はしばらく呆然としていた。しかしこれは何とかしなければという気がしてきた。今日は土曜日だが、会社にはたぶん何人か仕事に出てきているだろう。私は会社に行ってみようと思った。しかし何を着ていく?女物ばかりしかない。
私はためいきをつくと、さっき脱いだパンティーとシャツを身につけた上で、ポロシャツの中でできるだけ中性的なものを着て、ジーパンを履いた。化粧?悩んだが、しないことにし、ただ丁寧にヒゲだけは剃っておいた。3枚歯のカミソリがあったので、それを使用した。
ハンドバッグを持ち歩くのはなんだか変な感じだ。小型のトートがあったのを取り出し、中に財布と社員証を入れた。さて出ようとしてまた困る。靴!!
女物の靴ばかりが並んでいる中で、できるだけ男でも履きそうな感じのするものを履いて外に出た。かかとが高いのでなんだか歩きにくい。バス停でバスを待つ間、近くの人が自分をジロジロ見ているような気がしたが開き直って何も気にしないことにした。やがて町に出て、自分の会社のあるビルに行く。日曜日なので表玄関は閉まっている。裏口にまわり、守衛さんに社員証を見せて中に入った。守衛さんは別に変には思わなかったようだ。
自分の課に行き、おそるおそるドアを開けた。やはり出てきていた。田中君だ。「お疲れさま」と声を掛けて、私は自分の机の方に行った。
「やぁ、誰かと思ったら山元さんか。お化粧してないんで分からなかったよ。お疲れさま。昨日はみんな遅くまで頑張ってたみたいだね」「うん、そうみたいね」「あれ、山元さん、声の調子がおかしいみたい。低音で、そのまま聞いたら男の声だよ」「あれ、そう?」「しかし僕、山元さんのスッピンは初めて見たよ」「あ、なんだか今日は気分が変で」「飲み過ぎじゃないのかな?あまり無理しない方がいいよ」「ありがとう。すぐ帰るようにする」田中君はそんな会話をすると、電算室の方に入っていってしまった。
会話の内容を分析してみると、やはり自分は「女」ということになっているようだ。どうも訳が分からない。私は机の中を開いてみた。使い慣れている机だ。中の書類は全部見覚えのあるもの。昨日、送別会に出る前に途中まで仕掛けた書類もちゃんと引き出しの中に入っていた。あちこち書類を探していると、課の名簿が出てきた。自分の名前が並んでいるが、振り仮名はやはりノリエになっている。ご丁寧に性別欄には「女」と印刷されていた。この名簿自体は今年の春に印刷されたもののようだ。端の方がよれていたりして、新しいものではないことがわかる。
ふう、っとためいきを付くと、私はロッカーの方に行ってみた。男子社員のロッカーはオフィスの脇のほうに並んでいる。しかしそこに山元という名札のあるロッカーはなかった。本来は村上君と和田君の間に私のロッカーはあったはずなのだが、村上君の隣りに直接和田君のロッカーがあった。私は給湯コーナーの先にある女子更衣室の方に行ってみた。ちょっとここを開けるのは勇気が要る。ここには大きな荷物の上げ下ろしを頼まれて2〜3度入ったことがあるだけだ。私は念のため田中君の方を伺い、彼が電算室で一所懸命仕事をしていて、こちらを見ていないことを確かめてからそこを開けた。
女子社員のロッカーが並んでいる。果たして、そこに山元という名札のロッカーはあった。私はため息をついて、そこを開けてみる。女子用の制服が掛かっている。ほかに雑誌が置いてあったり、小型の折り畳み傘があったり。
私はロッカーのドアを閉めると、とりあえず今日は家に帰ることにした。
帰ろうとして私はトイレに行きたくなった。自分の課を出てそのフロアのトイレの所まで来て、ハタと困った。どっちに入ればいいんだ? 私はそこでかなり迷った末に、思い切って女子トイレに入った。幸い休日だから誰もいない。
女子トイレ。初めて入ったが変な感じだ。入るとただ個室だけが並んでいる。私は出やすいように一番手前の個室に入り、そこでズボンを下げ、パンティーを下げてしゃがみ、おしっこをした。ちんちんから出てくるおしっこが、何だか頼りない感じがする。女子トイレの中にちんちんが付いている自分が入っているというのは本当にいいのだろうか。私はよく分からなかった。
水を流して個室を出て手を洗う。そしてドアの外に出るまでドキドキした気分が続いていた。
アパートに戻り鍵を開けようとして、あれ?と思った。開いてる。私は戸惑いながらドアを開けると、男の声がした。「あ、帰ったかい?勝手に入ってたよ」
と男は言う。「どうしたのさ?11時待ち合わせなのに、いつまでも来ないし、携帯はつながらないしさ」男は少し怒っているようだ。これは誰だ!?
私は靴を脱ぎながら考えた。待ち合わせ?そして勝手に入ってきたということは鍵を持っているということ?つまり「私」の恋人か?「ごめん。風邪ひいたみたいで、ちょっと薬買いに行ってたの」私は自分で少し気持ち悪いかな、と思いつつも女言葉でそう答えた。
「風邪か。そういや声の調子も変だな。それにしても電話くらいすればいいのに」「御免ね。少しぼーっとしてて」やはり女言葉使うなんて自分でも相当気持ち悪い。「どれ?熱は?」あっと思った時はもう遅い。抱きしめられて唇にキスされた。げー、男とキスなんて!! 「熱はないみたいだけど、肌が荒れてる感じだね」私は彼が舌を入れてこようとするのを、何とか避けながらあまり不自然にならない程度に手で相手の身体を押して、身を外した。
「御免。それ以上キスすると風邪移しちゃうから。悪いけど、今日は寝ていたいから、帰ってくれない?あとで埋め合わせするから」「そうだね。そばにいちゃ、ぐっすり眠れないだろうし。お昼は食べた?」
「あ、まだ」「じゃ、近くのコンビニでお弁当でも買ってきてあげるよ。あまり油っこくないのが、いいのよね?」「ありがとう。じゃなにか適当に」その彼は親切だった。出かけていくと5分くらいで戻ってきたが、手に一杯荷物を抱えていた。「和風弁当買ってきたよ。それから、おにぎりにアンパンに、レトルトのおかゆも買ってきたから、食欲があまり無い時はこれを食べるといい。お茶と、君の好きなポカリスエットも買ってきたよ」「ありがとう、助かる」「じゃ、僕は帰るけど、気分悪い時は呼んでね。すぐ駆けつけるから」「うん」
男は帰っていった。しかし彼は何という名前なんだろう。そのくらい知っておかないとヤバイ。私はハンドバックの中に入っていた携帯を取り出すと電源を入れ短縮のリストを見てみた。1番に「けんちゃん」というのが入っている。これだろうか?着信履歴を見ると、この「けんちゃん」がたくさん入っている。どうやらこれがさっきの彼のようだ。しかしフルネームも知りたいものだ。
私は冷蔵庫の横にノートパソコンが置いてあるのを見て、台所のテーブルの上に乗せスイッチを入れた。電話回線にもつないである。メールを見てみよう。メーラーは?Outlook Expressかな?お、入ってる。それはたくさん見つかった。大井健児という名前のメールがたくさん入っている。見てみると、明らかに恋人へのメールという感じ。これがさっきの彼の名前なのだろう。しかし、文章を流し読みしてみると、これを自分が言われていると思うと妙にむずかゆい。
しかしこれからどうしたらいいのか。
私は考えても仕方ないので、彼が買ってきてくれたお弁当−暖めてあった−を食べ、とりあえず寝ることにした。
目が覚めて時計をみると夕方の5時だった。部屋の状況は特に変わっていなかった。自分の身体も念のため確かめてみるが、特に変わっていなかった。タンスを開けてみるが、やはり入っているのは女物ばかり。バッグの中の運転免許証、保険証、社員証もやはりノリエのままだ。
考えている内に、自分がミチヒデという男だったという記憶自体が間違っているのではないかという気がしてきた。自分は最初からノリエという女だった?だったらこの男の身体はどうしたのだ?性転換でもしたというのか?いや性転換という意味では、自分の社会的な性別のほうが性転換させられてしまったみたいだ。肉体的な身体の上での性はそのままで。
私は本棚の中を探して、自分が確かにミチヒデであったという証がないかどうか探してみた。高校の卒業アルバム!! 最初にクラスごとの集合写真がある。自分は3年4組だった。探すがよく分からない。男子の顔の中に自分の顔がない。そして女子の顔の中に.....確かに自分がいた。女子の制服を着ている?そのあとに個人別の写真がある。ページをめくっていく。いた。確かに自分が。確かに女子の制服を着ている自分が。
もし自分がどこかの秘密機関か何かの陰謀で突然こんな目に遭っているとしても(それも荒唐無稽な話だが....だいたいどうして自分みたいな年収400万円いくかいかないかの人間に陰謀を仕掛ける必要がある?)、それにしてもまさか高校の卒業アルバムまでは改竄できないだろう。やはり自分はノリエであって、ミチヒデであったという記憶が間違っているのだろうか。
パラレルワールドか.....
私が出した結論はそれだった。SFにあるではないか。そこに迷い込んだら性別が全員逆転していたなんて話が。ただこの場合は自分の性別だけが違っているようだ。すると、代わりにこの世界にいたノリエさんが自分のいた世界に紛れ込んで、女のからだなのに、男として扱われて戸惑っているかも知れない。本棚の奥に押し込んであったちょっと過激な写真集なども今頃見付けて「げー」などと思っているだろうか。そんなことを考えると、少し愉快な気分になってきた。
何かの間違いでパラレルワールドに迷い込んだのなら、また何かの拍子で戻ることがあるかも知れない。しかし戻らなかったら?
私はためいきを付いた。この世界で生きていかなければならないのだ。ノリエという女として。
「そうなったとしたら、このチンチンどうしよう?」私はそこに触りながら、またため息を付いた。「それと、この胸もな....」自分には恋人がいるようだ。彼には鍵を渡しているくらいだから、当然肉体関係はあるとみて良い。しかし今の自分の身体では、男性とのセックスは無理だ。これも何とかする必要がありそうだ。
何とかする?そう考えてから私はピクッとした。何とかするって、まさか性転換手術でもして女になるとか? 参った。私はその問題は今は考えないことにした。首を振ったらドレッサーが目に入った。お化粧か?やり方、分からないよな。
私は気分を変えるのに下着を変えてみた。パンティーは何だかよく分からない。少しずつ開き直りの気分が出てきたので、ヒョウ柄の少しハイレグのを履いてみた....だめだ。チンチンがこぼれてしまう。ということは、ハイレグは無理か。私はもう少し股の所の幅が広いもので、バックプリントで可愛いネコの柄が入っているものを選んで履いた。うん、これなら大丈夫。ブラジャーも付けてみることにした。胸なんかないけど、女で生活するなら付けてもいいだろう。どれがいいのか分からないので適当に選ぶ。しかし付け方が難しい。肩ひもを腕に通し、カップの部分を胸に当てて、後ろでホックをはめようとするのだが、なかなか大変だ。かなり苦労して付けることができた。
せっかくだから、ぐっと女の子らしくしてみよう。私は可愛い感じのクリーム色のセーターを着てみることにした。ブラジャーをつけている状態でこれを着ると、胸の部分が飛び出していて、鏡に映すと、本当に女の子体型みたいだ。悪くないじゃんこれ。そして、やはり女の子なら、フフフ。スカート履かなくちゃね。私はタンスの中で、かなり可愛い感じのプリーツスカートを手に取ると、履いてみた。スカートは初体験! うん。なんだか変な感じだけど、面白い。
鏡に映してみて、私は重大な問題に気付いた。すね毛、何とかしなくちゃ。私はいったん服を脱ぐと風呂場に行き、すね毛を剃りはじめた。ヒゲを剃るのとは要領が違って、なかなかうまく剃れない。これはかなりの苦労だ。もし、このままの状態がずいぶん続くのなら、永久脱毛でもするか、などと思ってちょっと苦笑いした。
少し肌も剃ってしまったようであちこち足の皮膚が痛いが、そのくらい気にしない。あらためて女の子の服を身につけ、鏡に映してみると、意外に似合っていることに驚いた。あ、自分はこれ結構女の子でもいけるかも知れない。そんな変な自信がわいてきた。しかし、それと同時にちんちんが立ってきて、スカートの前に変な山が出来てしまった。これは困った。まずいよね、これ。
といってもチンチン切ってしまうのは痛そうだ。血だって簡単には止まらないだろう。私は何かいいアイデアがないか考えたが、ガードルを使うことを思いついた。確かそれが整理ダンスの中にあったはずだ。スカートの中で履いてみる。きつーい!!しかしそれでちんちんが立ってくるのは押さえておくことができるだろう。
私はハンドバックの中にお財布と免許証、ハンカチ、ティッシュなどなどを入れると、家を出て町に出た。もう7時くらいだが、町中の店はまだ開いている。私は本屋さんに行くとお化粧の仕方を書いてある本がないか探してみた。
ところが意外にそんなもの無い。そうか。女の子は中学生の頃から少しずつ何かの機会に練習しているから、わざわざそんなものの解説を見ようとする人はいないんだ。それが見たいのはオカマちゃんくらいかな、などと思って自分がまさに今オカマちゃん状態であることに気付き、吹き出してしまった。自分は男の身体で女の服を着ているのだから、まさにオカマちゃんかも知れない。
結局本屋さんを3軒ハシゴして、そこでようやく小学生向けのお化粧のガイドとほかに、メイクに関する本を何冊か買った。それで帰ろうと思い、その前に化粧品コーナーなんて一度少しのぞいてみるかな、と思ってブラブラと通っていたら、「今少しお暇?」と声を掛ける女性があった。「はい?」私がよく分からずに返事をすると「ちょっとメイクしていきません?」とその女性は言う。私は何だか助かる気がしたので「あ、いいですよ」と答えると、さっそく椅子に座らされ、まずは顔をウェットティッシュできれいに拭かれた。
「あまりお化粧しないんですか?」と聞かれる。「ええ、まあ」「学生さん?」
「いえ、勤めてますが、あまり化粧の必要がない職場なので」「肌が荒れてるわ。メイクしないでもいいけど、化粧水や乳液・美容液なんかは使っておいたほうがいいですよ」「あ、はい」化粧水というのは分かる気がするが、乳液って少しドロドロしたやつ??美容液って何だっけ???
私はあっという間にきれいにメイクされてしまった。鏡の中を見てみるが、とてもきれいな気がする。こんなのだったら、やはりお化粧ってするのもいいもんだ。そんな気がした。私は結局、そこで付けてもらった色の口紅を買うことにした。すると、化粧水と美容液のサンプルをくれて、何だか得した気分がした。
私は家に帰ると、その化粧された自分を鏡に映し、デジカメで撮影した。うん。これをお手本にやればいいんだ。自分でもやってみよう。えっとお化粧落とすのはクレンジングが必要だよな。私は服を脱ぐと、おふろ場に行きクレンジングを掛けて化粧を落とし、そのまま洗顔フォームで顔をきれいに洗った。そして全身にシャワーをして、汗を洗い流す。
ベッドに入って少し休むつもりだったが、そのままねむってしまったようだ。
起きたらもう朝の6時だった。お腹が空いた。昨日「けんちゃん」が買ってきてくれていた、おにぎりを食べ、お茶を飲む。一息付いたら顔をあらって、お化粧の練習だ。
うまく行かない。どうしても変な顔になる。私は何度も「こら、あかん」と思って洗い流し、再度挑戦するというのを繰り返した。2時間くらい格闘して、かなり不満ながらも、なんとか見れる顔が作れた。そこに電話がかかってきた。けんちゃんだった。「気分どう?」「あ、うん。まだ何だか調子悪い。今日は一日寝てるよ」
「うん、それがいいね。声の調子もまだ変だし」
声の調子か.....だよな。男の声だもん。これ何とかしなくちゃ。私は手早くポロシャツとロングスカートを履くと、町に出かけた。できるだけ空いてそうなカラオケ屋さんを探す。受付をして部屋に入った。
もっと女っぽい声が出せなきゃだめだよな。私はマイクの音量を少し調整して、あまり大きくならないようにし、おそるおそる、自分の頭の中で女っぽいと思えるような声を出してみた。ダメ。ただのキンキン声ではないか。どうすれば出るんだ。裏声を使ってみる。確かにこれならハイトーンだが、女の声には聞こえない。それを少しずつ音程を下げていってみた。低くするにつれて次第に声の緊張感が弱くなっていく。あ、これいい感じかも知れない。裏声の範疇をわずかに逸脱したような感じのところで、けっこう女の声に聞こえるような気がした。よし、これを出せばいいんだ。
しかしいきなりこれを出そうとすると、なかなかうまく行かない。結局私はそこで3時間ほど格闘して、少しノドが痛くなってきたので帰ることにした。あとは少し経験を積むしかないだろう。
私は疲れたので近くのハンバーガーショップに入り、コーラを飲んでひとごこち付き、ポテトをつまみながら、これからのことを考えていた。一番問題なのはこの男の身体だよな....胸ないし、ちんちん付いてるし。女として生活するにはかなりまずい状況だ。私はスカートの中で足を組み替えながら考えた。
結局ハンバーガーは残してつつみを念のためトレーの上に敷いている紙に包んでハンドバッグに入れて持ち帰る。そしてブラブラと町を歩いてバス停のほうに向かっていた時、美容外科の看板が目に付いた。豊胸手術か....いくらくらいするんだろう。チンチンは取るのはちょっと抵抗がある気がするが、豊胸ならあとで戻すこともできるだろう。
私は聞くだけ聞いてみようかなと思ってビルの中に入った。病院というよりもなんだか少ししゃれた喫茶店か何かの雰囲気だ。受付で私は「あの、豊胸手術はどのくらい費用かかるんでしょうか?」と尋ねた。
すると受付の人は、方法にもよるしとりあえずカウンセリングを受けて下さいと言う。私は少し迷ったが「じゃ、お願いします」と言い、名前を書いた。山元倫英、ヤマモトノリエ、女、28歳。....ふう。
ソファに腰掛けて雑誌を見ているとすぐに名前を呼ばれた。先生は女医さんだ。豊胸手術を考えていると言うと、胸を見せるよう言われる。私はちょっと迷ったが、隠しても仕方のない問題だ。上半身の服を脱いだ。真っ平らな胸が顕わになる。しかし先生は別に気に留めた風でもなく、手術の方法について説明した。費用は80万円くらいだがローンも可能だという。「何でしたら、今すぐしますか?」
「え?今ですか、あ。じゃお願いします」私はその先生の話し方が優しくて、感触が良かったこともあり、同意してしまった。
手術は超痛かった。部分麻酔で行われた手術中もすさまじく痛かったが、手術後しばらく病室で休んでいる最中も、痛み止めを打ってもらっているのに、すごく痛くて痛くて、ほんとうにたまらない感じだった。
3時間ほどで少し気分がよくなってきたので痛み止めの錠剤をもらって帰宅する。しかし私はそのままベッドの中にもぐりこみ、化粧も落とさずにねむってしまった。
起きたのは翌日の朝だったが、まだ傷が痛い。今日は休ませてもらおう。私は8時半になると会社に電話をかけると昨日鍛えた、女っぽく聞こえる発声法で風邪がなおらないので休みますと伝えた。ハンドバックの中に入っていた昨日のハンバーガーを食べると眠ってしまった。
お昼頃まで寝ていたが、お腹が空いたので起きあがる。冷凍室にピラフがあったのでそれを解凍して食べる。痛みの方は少しは落ち着いてきていた。それで鏡を見ようという気になれた。すごい。胸が大きくなっている。これなら女に見えるよな。私は何だか安心してきた。チンチン付いてたって、そこを見せるのは恋人くらいだし。
と考えて困ってしまった。けんちゃんとのことをどうしよう? さすがにそこまで手術してしまうのは..... それにもし元の世界に戻れたら、ちんちん無いと困るし。それに性転換手術って、そう簡単に受けられるものではない気がする。日本では年間に2〜3人しかやってないんだよな。となると、けんちゃんとは別れるのが妥当な線か。しかし、いい人そうだけど。
悩んでいる内に眠くなって、私はまた寝てしまった。
そして何度も何度もなる着信音に起こされた。私はハンドバックの中から携帯を取り、ロックを外してからボタンを押す。「はい?」例の女声で答える。「あ?のりちゃん。御免ね。寝てた?」けんちゃんの声だ。「うん。こないだから御免ね」「声の調子もだいぶ良くなったみたい。ちょっと話があるんだけど出てこれる?」「えっと、どこ?」私はメモを取った。
できるだけ可愛い洋服を着て、あまり破綻しない程度に控えめのメイクをして出かける。待ち合わせ場所のファミレスに、彼はもう来ていた。
「実は急な話があって」とオーダーをするまもなく彼は話し始めた。
「なんと、ソマリア支店に転勤してくれ、というんだ」「そまりあ?えっと、何県だっけ?」「日本じゃないよ。アフリカの北東部」「アフリカ?どうしてそんなところに」
「何でもソマリア支店のコンピュータ技師が爆弾で死んじゃって、すぐに後任が必要なんだって」「ちょっと待って。爆弾がそんなに飛び交っているようなところなの?」「ソマリア支店は、日本人・中国人・フランス人・アメリカ人あわせて20人くらいいるんだけど、毎年2〜3人は死んでいて、こんなのは日常茶飯事らしい」「それにしても、なんでけんちゃんが行くのよ?」私は興奮のあまり、とても自然に女言葉が出ているのが不思議な気がした。
「先月、俺とんでもない失敗やったろ?」私は聞いてないが、そういうことがあったのだろう。私は「うん」とうなずいた。「あれはまずかったよな。データを間違って消してしまって、復旧に大量の人員を導入して、オンラインシステムが1日乱れまくり、苦情の来まくりで、被害額は3000万円は超えている」
げっ。そんなことがあったのか。「どこか地方に飛ばされることは覚悟してたんだけど、国内じゃなくて海外だったよ」けんちゃんは苦笑している。
「私付いていくよ」と私は何も考えずに言葉が出ていた。「だめ。あんな危ないところに君を連れてはいけない」「だって」「一応2年勤務すればいい、といわれてるんだ。戻ってきたら課長にしてくれるらしいし」「でも毎年2〜3人死んでいるんでしょう?」「2年の間に死ぬ確率は2割くらい。でも君も一緒に行けばどちらかが死ぬ確率は倍の4割になっちゃう。だからのりちゃんは、日本にいて僕の無事を祈っててよ」私はうなずいた。「じゃ、私毎朝神社にお参りして、その日のけんちゃんの無事を祈るから」私はほんとうにそうしようと思った。
「ありがとう」「ねぇ、今夜は朝まで一緒にすごせるよね」私は自分の身体のことはどうにかすれば誤魔化せるかもと思いながらそう言った。しかしけんちゃんは首を振った。「今日君を抱いてしまうとさ、それで思い残すことは無いみたいな気分になってしまうと思うんだ。だから、君を抱くのは今度ソマリアから帰国した時。それまでお預け。そうしたら、君とやらずに死ねるか、って頑張れると思うんだ」
それは本当にそうかも知れない。私はそんな気がしてうなずいた。私たちはキスだけして別れた。彼が成田を発ったのはその3日後であった。私は出国ゲートの前で彼の手を自分のバストに当てて言った。「このおっぱいを忘れないでね。これをもむために戻ってきてよ」「うん」けんちゃんは明るい顔で手を振りながら出かけていった。
私は自宅に戻ると、どっと疲れてベッドの上に寝転がった。
2年間か......その間に自分の身体のことはゆっくり考えようと思っていた。その間にひょっとして元の世界に戻れたら、胸の方を再手術すればいいし、戻れずこのままだったら、彼が帰国する前に、こっちの方をどこかで手術してしまおう。そう思って私はスカートの上からそれを指で少しいじった。ちんちん取るのって何だか変な感じがするけど、女の子には付いてるべきものではないもん。それより、自分がほんの数回会っただけで、けんちゃんのことを好きになっているのに気が付いていた。
さてと。
私は鏡に向かうとまたお化粧の練習を始めた。会社の同僚の女の子たちからも「最近お化粧の調子がおかしいよ」と言われていた。頑張って練習しなくちゃ。私は女の子なんだから。目の上にアイシャドウを丁寧に入れていると、何だかとても楽しい気分になってくる。女の子っていいじゃん!!
【ある朝突然に】(1)