【七点鐘】(下)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-09-19
私は別に性転換手術など受けるつもりは無いものの、警部補さんと一緒に乗ったスポーツカーでの高速道路走行が快適に感じたので、運転免許を取ろうと思った。それで、毎日夕方からの時間と、非番の日を使って教習に通うことにした。うちの職場は土日はまず休めないので代わりに平日のどこか2日間を仕事の状況を見て休んで良いことになっている。
夕方会社から行きやすい所と思って高崎市内の自動車学校に入ったのだが、実際は夕方までどこかで取材をやっていて、駆けつけるのに苦労することもあった。
それで1ヶ月ほど通っていた時に、私は事務の人から呼ばれた。
「あのぉ、あなた、女性ですよね?」
「え?私は男ですけど」
と私は答える。
「男性用トイレをお使いになっているようだなと思って。でも書類では女性になっていますよね。もしかして女性から男性に性転換なさったのでしょうか?」
「え?書類が女になってますか?」
それで慌てて自分が手に持っている生徒票を見てみると、本当に女の方に○が付けてある。
「私は法的にも男ですけど」
「戸籍も変更なさったんですか?」
「変更も何も生まれた時から男なんですけど」
「あら、そうですか?」
「入校する時に、住民票を提出していますよね。確認してください」
それで事務室で私の書類をチェックしてくれた。
「あ、本当だ。ちゃんと男と書かれていますね。すみませーん」
「いえいえ」
私はこういうミスって結構あるものなのかな、と思った。
私と同時期に入校した人で、20歳くらいかなという感じの女性がいた。しばしば講義で一緒になるし、2時間連続実車の講習で同じ車に同乗したりもしたので、結構親しくなり、言葉を交わす。むろん下心は無く、純粋に同じ教習を受けている者同士の連帯感のようなもので結ばれている(と少なくともこちらは思っていた)。
その日は、夕方からの教習だったのだが、18時からの学科を受けた後、20時からの実車の時間が来るのを待つが、自習室に入ってパソコンで交通法規の練習問題を解くことにした。
その日は私が自習室に行った時は誰も居なかったが、しばらく問題を解いている内にその彼女が入って来た。お互いに会釈する。彼女は私の隣の机に座った。
「今日は生徒さん少ないみたいですね」
と彼女も問題の画面を開きながら言う。
「ええ。やはり天気が悪いからですかね」
と私も答えながら、問題の続きをする。
私たちは時々言葉を交わしながら、各々問題を解いていたのだが、30分くらいした時に唐突に彼女が言った。
「でも、明宏さん、ごく自然に男性ですよね。やはり10代の内から性別移行して男性ホルモンとか取ってたんですか?」
「へ?」
「あ、いや、確か女性から男性に性転換なさったんでしょ?」
「そんなのしてません。私、生まれた時から男です」
「え!?そうなんですか? 他の生徒間で噂になっていたので」
「いや、入校する時に書類が間違って女になっていたんですよ。それでこの通り、生徒票が女のままになっているんですが」
と言って私は生徒票を見せる。
「あ、そうそう。生徒票を見たけど女になっていたと言っていた人が何人かいたんですよ。じゃ、これ間違いなんですか?」
「そうなんですよ。再発行すると、手書きで書かれた先生のコメントとかを転写できないので済みません、そのままで使って下さいと言われました。卒業証書はちゃんと性別男で出すからと」
「私、てっきり女性から男性に変わられたものと」
「違います」
「何だ。間違いだったのかぁ。凄いなあと思っていたのですが」
「たまにこういう性別の記載ミスってあるみたいですね」
「だったら、私こそ性別を記載ミスして欲しかったなあ」
「え?由美子さん、男の生徒票にしたかったんですか?」
「うーん・・・」
と言いながら、彼女は生徒票を見せてくれた。私は驚いた。
「性別、男になっているじゃないですか?」
「そうなんですよ。性別は20歳まで直せないんですよね〜」
「え?まさか」
「私、生まれた時は男の子だったんです。でも高校卒業してすぐに性転換手術を受けたんですよ」
「ホントに?全然男の子だったようには見えない」
「ありがとう。物心ついた頃から自分は女だと思っていたし、友達もみんな私のこと女の子とみなしてくれていたし。中学の間は男子制服だったんですけど、中学3年の時に法的に名前を女の子名前に変えて。そしたら高校は理解してくれて女子制服で通学したんです」
「良かったですね」
「私女性ホルモン飲んでいたから、当時けっこうおっぱい膨らんでいたし。男性機能はもう消失していると話したら、だったら女子に準じていいと言ってもらえて」
「それは良かった」
「ただ、性別がまだ修正できなくて不便しているんですよ」
「大変だけどあと少しの辛抱ですね」
「そうですね〜。でも、ああ。私、性別を変更している者同士でお友達になれるかなあと思っていたんだけど」
私は微笑んで言った。
「性別は関係無いよ。お友達でいようよ、由美子ちゃん」
「ほんと?じゃ、そうさせてもらおうかな、明宏ちゃん」
と言って私たちは携帯のアドレスを交換して、握手した。
「ちなみに、今男の人なんだったら、性転換して女の子になる気は?」
と由美子が言う。
「無いよぉ」
と私は言った。
「そう?だって、明宏ちゃん、雰囲気的に性別が曖昧なのよね。だから私も女から男に変わったという噂話を信じちゃったんだけど」
へ?雰囲気的に性別が曖昧??
4月。
私は入社3年目になった。そして会社には新入社員が5人入ってくる。男性2人と女性3人だ。この1年間にうちの雑誌社では8人の社員が辞めている。その補充には10人程度入って欲しかったのだが、なにせうちの会社は給料が悪い。それに労働時間も長く結構ハードである。それで、なかなか応募者も無いようである。今回応募者は9人居たものの、3人はあまりに常識が無かったり性格に問題がありそうで落とし、1人は向こうから辞退して5人の入社になった。
仕事にあまり影響の無い水曜日の夕方、歓迎会をした。男性1人と女性1人は大卒で23,22歳だが、他の3人は専門学校を出た20歳である。一応全員20歳を過ぎているので、居酒屋さんでパーティールームを借りて、お酒を酌み交わしながら、色々話をしたり、余興をしたりした。
男性の新入社員は2人ともセーラー服女装させられていた。女性3人の内2人は歌を歌ったが、もう1人は『独り漫才』をやっていた。
宴会が終わった後、課長が「希望者だけ二次会に行くぞ」と言ったが、新入社員の5人は全員付いていった。2次会はカラオケ屋さんで歌いまくったが、ここで結局12時を過ぎてしまう。
「もう終電が行っちゃってるね」
「タクシーに相乗りして帰らない?」
などという声も出ている。
二次会は途中で結構帰る人もあり、新入社員も3人は帰宅したのだが、男性1人と女性1人が最後まで残った。私はふたりを心配して言った。
「君たちはどうやって帰るの?」
「僕はネットカフェで一晩過ごそうかと思っています」
と男子の方は言う。
「君は?」
ともうひとりの女子の方に訊く。
「タクシーで帰ろうかなと思ったんですけど、お金掛かりそうでどうしようかと思っていた所です」
「君どこだっけ?」
「**町なんですけど」
「うーん・・・」
と私は悩んだ。結構な距離がある。おそらくタクシー代は3000円くらいかかる。ただ私はひとつのことを考えた。
「ねえ、もしよかったら、僕と相乗りしていかない?僕のアパートは**町に行く途中の**町なんだよ。だから僕が自分ちまでの料金を払うから、その先の分だけ君が払えばいい。そしたら多分1500円程度で済むよ」
「あ、じゃ相乗りお願いします」
それで私は彼女と一緒にタクシーを停めると一緒に乗り込んだ。彼女を後部座席に乗せ、私は助手席に乗せてもらう。
「済みません。私、もっと早く帰るべきでしたよね。でも課長さんが飲んでおられるのに新人が先に帰っていいものかと悩んじゃって」
「宴会の退出タイミングって難しいよね。**さんが帰る時に一緒に出れば良かったかもね」
「私、そのあたりの空気読むのがへたくそなんですよ」
「まあ少しずつ感覚を磨いていけばいいね」
そんなことも話しながら、タクシーが走っていき、もう少しで私のアパート付近に到達すると思った時、唐突に彼女が言った。
「しまった。私、自宅の鍵を会社に忘れてきちゃった」
「え?」
「これだと自分のアパートに入れない」
「ありゃあ、それは困ったね。どこか深夜営業のファミレスか何かででも夜を明かす?」
と私は提案した。
すると彼女が言った。
「あのお。失礼は承知なんですけど、先輩のおうちに泊めていただけません?」
「え〜〜?」
「ダメですか?」
「うーん。僕は構わないけど、変な誤解をされないかな」
「黙っていれば大丈夫ですよ」
この子、意外に大胆じゃんと私は思った。
しかし鍵を忘れて自宅に入れないという後輩を放置する訳にもいかないので、タクシーには自分のアパートの所を終点にして欲しいと告げ、そこで一緒に降りた。彼女は料金を半分出すと言ったが、大丈夫大丈夫と言っておいた。
「散らかっていてごめんね」
と言って彼女を家にあげる。
「あら、きれいじゃないですか。キッチンもきれいに整理されているし」
「ああ。僕は母親の躾が厳しかったから、使った茶碗とかはすぐ洗って拭いて食器棚にしまうんだよ。だからシンクが食器であふれているなんてことにはならないんだよね」
「先輩、いいお嫁さんになれますよ」
「あはは。そういう意見は過去に聞いたことある」
取り敢えず台所のテーブルの所の椅子を勧め、紅茶を入れた。
「砂糖は適当に入れてね」
と言って、シュガーポットを置く。
「あ、私ノンシュガーがいいので」
「へー。紅茶をノンシュガーで飲む人は、特に女の子ではレアだね」
「実はノンシュガーの方が美味しいんですよ。わあ、このディンブラ美味しい」
私は少し驚いた。
「キーマンとかダージリンは味が特徴的だから分かる人も多いけどディンブラを飲んだだけで分かるという人は凄い」
「私、アッサムとかウバとかディンブラとか、この傾向の紅茶が好きなんで、よく飲んでいるんですよ」
「へー。僕も実はそのあたりが好きなんだよ」
「わあ、気が合いますね」
と彼女は無邪気そうに言う。これは本当に無邪気なのだろうか。それとも自分を誘惑するつもりなのだろうかと私は判断に迷った。むろん私は彼女が私に強引に迫った場合はアパートから逃げ出すつもりである。
「クッキーでも食べる?」
と言って、私はストックしておいた森永のムーンライトを出す。
「わあ、これ大好きです」
と言って笑顔で食べている。
屈託の無い笑顔だ。やはり単に純粋で少し世間知らずなのかなと思った。こんな深夜に男性の家を訪問してはいけないということ自体を知らないのかもしれない。
私もクッキーを摘まみながら、彼女が仕事の仕方などでいくつか質問するのに自分の考えではこうだというのを断った上で私は答えていた。
それで10分ほど話した時のことであった。
「でも実は私、先輩と少しゆっくり話したかったんです」
「え?」
ちょっと待て。まさか好きですとかは言わないでくれよ。
「私のお仲間みたいだなと感じて」
「仲間?」
「私は小学3年生の時に性別変更したんですけど、先輩はいつ頃女の子になられたんですか?高校生くらい?」
「へ!?」
「性転換なさってますよね?でもやはり女子社員として勤めるのが難しくて仮面男子なさってるんですか?」
「えっと、僕男だけど」
「大丈夫ですよ。私、誰にも言いませんから」
「いや本当に性転換はしてないんだけど。君は、小学生で性転換したの?」
と私が訊くと、彼女は微妙な微笑みを見せて語り始めた。
「私、生まれた時はおちんちん付いてたから、自分は男の子だと思っていたんですよ。ところが小学1年生の頃からそのおちんちんが縮み始めて」
「え?」
「どんどん小さくなって行くんです。それでタマタマもしばしば身体の中に入り込むようになって、その内全然降りてこなくなって。でもそんなこと恥ずかしいから、私誰にも言えずに悩んでたんです」
「ええ」
「でも小学2年生の春に風邪を引いて病院に行った時、お尻に注射されたんですけど、その時看護婦さんが、陰嚢の中に睾丸が無いことに気づいて先生を呼んで、それで調べられたら停留睾丸ですねと言われたんですけど、先生がその停留睾丸のせいか、おちんちんの発達も遅いみたいだねと言われて。でも実際は発達が遅いんじゃなくて、縮み掛けだったんですよね」
「ああ・・・」
「それで結局大きな病院に連れて行かれて精密検査を受けたんですけど、検査結果としては、体内に入り込んでいる性腺が睾丸なのか卵巣なのかよく分からないと言われて。それで私、やっと自分のおちんちんが縮みつつあることを先生に言ったんです」
「なるほど」
「だったら少し経過観察してみましょうと言われて。2ヶ月後に再度診察を受けたら、確かに前回の診察の時より、おちんちんが縮んでいると言われて。それで体内に入っている性腺も組織採取して検査されたんです。そしたら性腺の内部は睾丸だけど外側は卵巣だと言われて」
「そういうのがあるんですか」
「それで更に2ヶ月後に検査されたら、おちんちんが更に縮んで、性腺は睾丸部分が縮んで卵巣部分が大きくなっていると言われて」
「それで最終的には完全に卵巣になっちゃったんですか?」
「そうなんです。そもそももう2回目に検査された時にはおちんちんは1cmくらいのサイズになっていて、私もう立ってはおしっこできなくなっていたんですよね。3回目の検査の時は皮膚に埋もれてまるで付いてないかのように見えるようになっていました」
「凄い」
「そのあとおちんちんは完全に皮膚の中に埋没してしまいましたが、その内、お股の所に縦のくぼみが出来はじめて」
「へー」
「そのくぼみがどんどん深くなっていくんです。そしておちんちんはそのくぼみの一番上の部分の所に沈み込んで、女の子のお豆さんのようになってしまいました」
「もうそこまで行ったら、完全に女の子ですね」
「そう言われました。ただ、その形だと、お豆さんの所からおしっこする形になって、おしっこが前に飛びすぎるんですよ。実際当時私はおしっこを便器に座ってするんだけど、腰の向きをコントロールしてちゃんとこぼれないようにするのが大変だったんです。それでこれだけは手術して、お豆さんの所ではなく普通の女の子の尿道口の位置から出るように変えてもらいました。それで随分楽になりました」
「その方がいいですね」
「で結局私は女性半陰陽だったということになって、戸籍上の性別と名前も変更されることになって。小学3年生の春から、私は別の小学校に転校して、女の子として生活し始めたんです」
「大変だったでしょ?」
「それまで男の子として生きていたので、女の子の生き方がなかなか分からなくて。だから友達も少なかったし、親しい友人にかなり教えてはもらったものの、空気読むのが下手だと言われてました」
「そのあたりは元々の性格もあったかもね」
「そんな気もするんですよ」
「生理はあるの?」
「他の人より遅かったですけど、中学1年の時に来ました。結構生理来るのかな、来ないのかなと不安だったんですけど、ちゃんと来たんで、やはり自分は女なんだなと再認識しましたよ」
「どうしてもそのあたりの性別認識は揺れるだろうね」
「実際今でも揺れてる気はするんですよね。それと実は私、恋愛対象が女の子なんですよ」
「それはいいと思うよ。レスビアンの女の子も多いもん」
「そのレスビアンというのを高校生の時に知って、凄く安心したんです。自分は異常じゃなかったんだと思って」
「そういうの知らないと不安だよね」
「それでもう女の子を12年間やってきましたけど、まだ女の子として生きることに慣れてないみたいな部分があります」
「それはもう気にしなければいいと思うよ。世の中には男っぽい女の子だって結構いるし、そういうのは個性の範囲だよ」
「そうですよね」
「実際問題として、君は、男の子のままで居たかったとかは思うことあるの?」
「あ、それはないです。何か男の子って面倒くさそうだし。女の子になって良かったと思うことの方が多いです」
「だったら全然問題無いじゃん」
「生まれた時、男の子だったけど、女の子に勝手に身体が変わってしまったというのは、社長さんだけには言ったんですけど、病気なんだから全く問題無いと言われました」
「僕もそう思うよ。だから気にせず頑張りなよ」
「はい、そうします」
と彼女は笑顔で言った。
「でも先輩も女の子になっていることカムアウトして、女子社員として勤務できるようになれたらいいですね」
「困ったなあ。僕、ほんとに性転換とかしてなくて男なんだけど」
「はいはい。そういうことにしておいてもいいですよ。他の人には話しませんから。でも実は今夜は、しまったぁ、他の女性はみんな先に帰っちゃったと思った時に、先輩に気づいて。あ、女の人同士だし、泊めてもらえないかなと思って。実は私、お金も無くて」
「なあんだ。お金が無いならそう言えば良かったのに。でもいいよ。僕は何もしないから。取り敢えず今日は寝よう」
と言って、私は敷き布団とマットレスを1枚ずつ横に並べて敷き、その上にシーツを掛ける。そして片方には毛布と夏布団、片方にはタオルケットと冬布団を掛けた。
「僕の体臭が残っていて寝にくいかも知れないけど、良かったら寝て」
「ありがとうございます。お布団お借りします」
と言って彼女は毛布と夏布団の方に寝た。
「でも先輩は体臭も女の人ですよね」
「え?そうだっけ?」
「甘い感じの臭いがしますよ。男の人の体臭は酸っぱい感じなんですけど、女性の体臭は甘いんです。入社してすぐの頃にお茶を配っていてそれに気づいて、あれ、この先輩ってもしかして女性?と思って、それから色々観察していて、やはり女性に違いないというのを確信しました。でも男の声で話しているし。MTF,FTMどちらだろうと結構悩んでいたんですけど、立ち振る舞いとかが凄く優しいからきっとMTFだけど仮面男子しておられるんだろうなと思ったんですよ」
「そう?僕体臭が女性的?」
「ええ。このお布団も女性が使っていたような匂いですよ」
「うーん。そういうこともあるのかなあ」
と私は頭を掻いた。
その夜は結局2時頃ふたりとも寝た。朝は彼女の方が先に起きて、冷蔵庫の中のあり合わせのもので朝食を作ってくれたので、一緒に食べて、茶碗を洗ってから、一緒に出勤した。
「一緒に会社に入ると、変に疑われるから先に入って。僕はコーヒー買ってからオフィスに入るから」
と私が言うと
「女同士なんだから気にすることないのに」
と言って彼女は笑っていた。
彼女とも携帯のアドレスを交換し、私たちはお互い「明宏さん」「萌花ちゃん」と名前で呼び合うようになった。私たちは会社内でも結構親しくしていたのだが、私たちが恋愛関係にあるのでは、などと気を回す人はなぜか誰も出なかったようである。
なお、自動車学校の方だが、仕事が忙しかったりしてなかなか教習に行けない日などもあったものの、私は4月下旬にやっと自動車学校を卒業した。ちょうどゴールデンウィークで生徒さんが増える時期の前までに卒業できて良かったと思った。卒業した翌日に運転免許センターに行き、学科試験を受けて、私はグリーンの帯の免許証を手にした。
しかし免許証って、性別とかは書かれていないんだな、と私はふと思った。
由美子は私より半月ほど早く卒業して免許証を手にしていた。彼女は原付を持っていたらしく、免許証の帯はブルーだと言っていた。私たちはその後もしばしばメールの交換をしていた。
私は免許を取ったので、練習用も兼ねて中古車でも買おうと思った。それでゴールデンウィーク中に、けっこう休みが取れたこともあり、中古車屋さん巡りをした。
ある中古車屋さんに行った時、私は何かちょっと格好いい車に39万円という値段が書かれているのに気付いた。今貯金が70万くらいあるし、これなら買えるなと思う。それで車の後ろに回って車種名を確認すると、RX-8であった。
すごーい。これがあのロータリーエンジンで有名なRX-8かと思う。私は試乗してみたくなった。それで近くに居た男性スタッフに声を掛ける。
「すみません。この車、試乗できます?」
と私はRX-8を指さしながら言った。
「いいですよ」
とスタッフの男性は言い、キーを持ってくる。
「免許証を拝見できますか?」
「あ、はい」
と言って見せると
「ああ、免許取り立て?」
「ダメですか?」
「いや、いいけど、万一壊したら補償してね」
「はい。それはちゃんとします」
事務所で念のためと言って、一筆書く。それでスタッフさんが初心者マークを持って、一緒に車の所に行く。そしてRX-8の隣にあったミラココアに初心者マークを貼っちゃう。
「いや、そちらじゃなくて、このRX-8の試乗をしたいんですけど」
と私は言ったが
「え?そちら?でもその車はMTだし、初心者の女の子には無理だよ。悪いこと言わないから、最初は軽に乗った方がいい」
へ?初心者の女の子??
私は初心者ではあるが女の子ではない。私は自分の服装が女に見えるかなと思って再度自分を見直してみたものの、女に見えるような格好とは思えない。しかしスタッフさんは、初心者マークをミラココアに貼ると、さっさと助手席に座ってしまう。
仕方無いので、まあいいかと思い、私はミラココアの運転席に座った。なおこのミラココアには、19万円と書いた紙がフロントグラスに貼られていたが、その紙はスタッフさんが乗り込む前に剥がした。
教習所で習ったことを思い出しながら、エンジンを掛けシートベルトをして、ブレーキを踏んだままセレクトレバーをDにする。ブレーキをゆるめてクリープで発進する。
しかしこのミラココアはクリープだけでは遅すぎる感じだ。私はアクセルを軽く踏みながら通路を走り、お店の外に出た。
「左手行きましょう」
とスタッフさんが言うので
「はい」
と言って、そちらに進路を取る。
「この車、視界がいいような気がします」
と私は運転しながら言った。
「教習所では何で練習したんですか?」
「えっと、コンフォートとか言ったかな」
「ああ。だったら、ボンネットがあるから。この車は前が無いから、そのまま視界が開けるんですよ」
「なるほどー」
「それとやはりコンフォートは大きいでしょ?どうしても男性のドライバーを想定した作りになっている。ミラココアは女性のドライバーを想定しているから、あなたの身長ではこちらの方がポジション的にもよく見えるはずです」
「へー」
と言いながら、また女性と言われたなと思う。それに私、そんなに身長低いかなというのも考える。私は身長が171cmある。一般的な女性よりは随分視点の位置が高いはずだ。
そんな会話もしながら、私はその付近を一周してお店に戻って来た。
「どうです。気に入りました?」
「そうですねぇ」
「この車可愛いから、若い女性には人気なんですよ」
「うーん。。。若い女性か」
「あなた何歳?」
「え?24歳ですが」
「充分若いですよ。その年齢で若くなかったら、私なんか既に化石になってる」
とその40代くらいの男性スタッフさんは言う。
「でもRX-8も運転してみたいけど」
「いや、その車はあなたには無理ですって。そのタイプが好きなら、こっちはどうですかね」
と言って、スタッフさんは私をアクセラの所に連れて行ってくれた。この車はCVT車のようである。
この車でも周辺を一周してきたが、私はCVT独特の動きに微妙な不快感を感じた。
「なんか運転しづらいです」
「でしょう。やはり、ミラココアの方がお勧めですよ」
「そうだなあ」
「あなた美人だから19万円の所を15万円まで負けてもいいですよ」
「そんなに!?」
《美人》ということばには、ひっかかりを感じたものの、私は15万なら考えてもいいかと思った。それに車屋さんの言うように、最初は運転しやすい車で慣れて、それで技術があがってから、上位の車を買う手もある。15万の車なら少々ぶつけても惜しくないし。
「分かりました。じゃミラココアを買います」
「ありがとうございます。ではこちらで手続きを」
それで私は購入手続きをし、15万円はその場で車屋さんの口座に振り込んだ。それ以外にも任意保険を勧められたが、私はその金額に驚く。
「そんなに高いんですか!?」
「若い内はどうしても高いんですよ。でも無事故でいれば年々安くなりますから」
私は最近車が若い人に売れていないという訳が分かった思いだった。こんな高額の保険を払えないじゃん!
名義変更手続きなどは車屋さんでしてくれて、後日車検証を郵送してくれるということであった。私はそのまま今買ったミラココアを運転してお店を出て、取り敢えず、会社の駐車場に駐めた!
ここは来客が多いので、自由に誰でも駐められるのである。ただ長期間駐めておいたら文句を言われそうなので、早急に自宅アパート近くに駐車場を確保しようと思った。
なお、私がミラココアを買ったというのを萌花や由美子に言ったら
「さすが女の子らしい車を買ったね」
と言われた。どうも彼女たちには私は誤解されているようだなと私は考えた。
7月上旬の金曜日。私が19時頃、仕事を終えて帰ろうとしていたら電話が掛かってくる。取ると係長からである。
「あ。君か。女の子誰か残ってない?」
私はオフィスを見回すが誰も残っていないようである。
「今日はもう全員帰ったようです」
「ほんと?困ったなあ。。。。そうだ。この際、君でもいいからちょっと来てくれない?」
「何か補助作業か何かですか?いいですよ。行きます。どこですか?」
係長は高崎駅近くのホテルに居るということであった。まだ残っている課長にひとこと言ってから私は会社を飛び出した。
バスに乗って駆けつけると係長が和服の女性と話している。
「係長、参りました」
「助かる。この人の指示に従って」
「あ、はい」
と私が言うと、女性は
「あら、可愛い子ね」
と言った。
へ?可愛い??
女性は私をホテルの奥の方の小部屋に連れて行くと
「ちょっと和服を着て下さいね。私が着付けしますから」
と言う。
「あ、はい。着物くらいいいですよ」
と私は答えたのだが・・・
20分後、私は自分が着ている服に戸惑う。
「あのぉ、これもしかして振袖ですか?」
「そうよ。着たことなかった?」
「はい、初めてです」
「あなた成人式はどうなさったの?」
「成人式ですか?出なかったなあ」
成人式に出たとしても男が振袖着るわけないじゃんと思う。
「あら、最近はそういう子、多いわよね。お化粧もしちゃうね。和装用のお化粧の仕方があるから」
「お化粧もするんですか?」
と私は言いながら、そういえば係長は誰か女の子が残ってないかと聞いたんだっけということに思い至る。そうか。私は女の子の代理か。だったらお化粧も仕方ないかと思ったものの、果たして自分の顔にお化粧しても女に見えるものかと私は不安を感じた。
しかし私の顔に色々塗っていた女性は
「私の思った通り。あなた凄く可愛くなった。あなたって日本風の美人だから、洋服より和服の方が映えるわよ」
などと言っている。
あはは、そうですか?まあいいや、今日は、と私は開き直った。
それで連れられていくと、私の1年先輩の女子、藤田さんと、今年入った女子でいつもメール交換している萌花が、やはり振袖を着ている。
「あ、アキちゃーん」
と言って萌花は手を振っている。私も手を振る。藤田さんの方は
「へー。ちょっと最近噂には聞いていたけど、あんたそういう服を着ると様になるね〜。会社にも普段スカート穿いて出ておいでよ」
と言った。
「スカートは勘弁してください」
と私は答えた。
「照れることないのに」
と彼女は言っている。
「あ、そうそう。女の子同士で苗字で呼ぶのも変だから、今日は私のことは里美ちゃんでもサッちゃんでもいいから、名前で呼んで」
「分かりました、里美さん」
「先輩ではあっても年齢は私の方が下なんだから里美ちゃんでいいよ」
「じゃ、里美ちゃん」
「私はあんたをアキちゃんって呼ぶね」
「ええ、いいですよ」
その日のお仕事は、様々なスポーツ・芸術などで活躍する県内のシニアの人たちに贈る賞の授与ということで、うちの雑誌社がその協賛になっているということらしかった。
賞のプレゼンターを含む《きれい所》が6人必要で、それを主催の新聞社とうちの雑誌社で3人ずつ出す予定になっていた。ところが出る予定だった三輪さんが、腹痛を起こして辛そうだったので返したらしい。それで急遽ピンチヒッターが必要になったということであった。
「そんな大事な役で、男の僕の女装ってまずくないですか?」
と私は里美に尋ねたのだが
「アキちゃんのレベルなら全く問題無い。女にしか見えないから」
と言われた。
「え〜?そうですか」
6人のプレゼンターと、司会者(テレビ局の女性アナウンサー:彼女は豪華な振袖を着ている)とで話し合い、誰がどの賞を渡すかを決めた。私はニャン舞と呼ばれる古典芸能の伝承者の女性に賞状と盾を贈ることになった。
受賞者が並んでいる。私たちは各々渡す賞状と盾を持ち立っている。最初に主催の新聞社の社長が長々とメッセージを言う。その後でやっと授与式に移る。
司会者が名前を呼ぶ度に一同拍手をする。呼ばれた人が出てくるのでプレゼンターもそちらに行く。プレゼンターから社長に賞状を渡し、社長が受賞者に賞状を授与する。そしてプレゼンターが盾を渡す。
私もそれで「ニャン舞第12代家元****さん」と言う声で社長のそばに寄り、賞状を社長に渡して授与してもらい、そのあと盾を直接本人に渡した。
6人の受賞者への授与式が終わった後は、喜びの言葉などを聞くための取材もさせてもらう。これも新聞社と雑誌社で3人ずつインタビューして記事はシェアして双方で同じ日に掲載されるということであった。
私はそのままニャン舞を受賞した女性家元に別室で取材した。なお、里美は自分の担当の磁器制作者をインタビューしたが、萌花はまだ経験が浅いので係長と一緒にふたりでの取材になったようである。
「功労賞の受賞、あらためておめでとうございます」
と私は言った。
こちらは振袖のままなのだが、もうこうなれば開き直りだ。男だとバレたら緊急事態だったのでということを言って謝るしかない。
「ありがとうございます。私のようなものにこんな名誉ある賞を頂いて、本当に頂いていいのだろうかと悩むくらいですけど」
「でも女性で、家元を務めておられるのは凄いと思いますよ」
「いえニャン舞は女舞なんです」
「あ、そうでしたか。済みません、門外漢で」
「でも物心ついた頃からずっとニャン舞をしてきて、まあ女をやってきただけの甲斐はあったかなというのも思いますし、こういう賞を頂くのは自分が報われる思いです」
「家元を継がれたこと自体が評価されるべきですし、家元をえっと何年間でしたっけ?」
「15歳で継承したので70年ですね」
「それは凄いですね。70年間家元を続けられたのは、やはりしっかり舞を磨いてこられたからだと思いますよ」
「でも家元は一度成れば死ぬか寝込んだりしない限り家元のままですから」
「いえいえ、家元がしっかりしていなかったら、弟子はみんないなくなってしまってその派が消滅するはすです。ですから続けられたことが間違い無く実力の証です」
「そうですね〜。そうかも知れない気もしてきました」
「では2歳か3歳くらいから始められたのですか?」
「私自身は記憶無いんですけどね〜。1歳で舞の衣装つけて舞っているかのような写真があるから、1歳の頃からやっていたんでしょうね」
「それはもう物心着く前からですね。凄いですね」
「本当は姉が家元を継承する予定だったんですよ」
「あら、そうなんですか?」
「ところが私が10歳、姉が12歳の時に、母の運転する車に乗っていて事故に遭いまして」
「あらぁ・・・」
「それで母も姉も亡くなったのですよ。私も実は半年近く入院していました」
「それは大変でしたね」
「それで後継者をどうするかというので随分揉めたみたいですよ」
「色々と難しいんでしょうね」
「ニャン舞は直系にしか継がせないことになっているんです。そして、その時点で、当時家元だった祖母の直系は私ひとりで」
「あらあ」
「それでおまえが継ぐしかないと言われたのですが、困ったことにニャン舞は女舞なので、当然家元も女でなければなれないのですよ」
「え?あなた女性ですよね?」
「当時は私、男の子だったんです」
「え!?」
「だから女になれと言われました」
「そんな無茶な」
「ひとつの手は私が早く結婚して子供を作り、その子が女の子であれば、その子に継がせる手がありました。しかし当時私は10歳だから、早く結婚するにも8年後。ところが当時祖母は癌を患っていて闘病中で、実際問題としてあと何年生きられるか分からないという状況だったんです」
「うーん・・・・」
「それで私は女になることに同意しました」
「それってまさか性転換手術したんですか?」
「しました。手術が終わった後の自分のお股を見た時はショックでしたよ。女の子になる手術を受けることに同意したことをたっぶり後悔しました」
「するでしょうね」
「ただこの時点では形だけ女になればいいと言われて、おちんちんは切って、割れ目ちゃんを作って、お股の形は女の子になったのですが、実は当初睾丸を温存していました」
「それはまたどうして?」
「私の子供を作らなければならないからです」
「あぁ・・・」
「ですから私、おちんちんは取られたけど、何度もオナニーして精子の採取をしたんですよ」
「精子が出るんですか?」
「実際には私が女の子になる手術を受けたのは小学4年生の7月で、その時はまだ精通が来ていなかったんです。それで男性ホルモンを投与して早く精通が来るようにして。それで年明けて1月には精子が取れるようになりました」
「失礼ですが、それどういう風にして採取するんですか?」
「普通の女の子のオナニーと同じですよ。栗ちゃんをもみもみしている内に気持ちよくなって、その頂点で、尿道口から精子が出てくるんです」
「へー!」
「それを容器で受けるんですけど、おちんちんが無いから採取は大変で」
「でしょうね」
「割れ目ちゃんの内部に溜まってしまうのをスプーンでこそぐようにして取っていました」
「なるほど」
「それで精子を5回採取したところで、これだけあればもういいだろうということで、再手術して睾丸は取りました」
「なるほど」
「それと交換に実は、死んだ姉の卵巣・子宮・膣が保存されていたのをセットで移植したんです」
「え〜〜〜!?そんなの定着するんですか?」
「定着しました。だから私は12歳の時から生理が始まって、45歳で閉経するまでずっと生理に付き合ったんですよ」
「それ妊娠はできなかったんですか?」
「自然のセックス、人工授精とやりましたが、どうしても妊娠しませんでした。お医者さんが言うには、たとえ女性の生殖器があっても、脳が男の脳だから、それをコントロールできないのだろうということでした」
「人間の身体って難しいですね」
「妊娠って子宮でしているようで、実は脳下垂体で妊娠しているんですよ」
「ああ、それは何となく分かります」
「でも私から採取した精子があるから、それで私の又従妹にあたる女性に妊娠してもらって、娘を3人作りました。その長女が私が死んだら家元を継ぐ予定です」
「戸籍上はどうなっているんですか?」
「私と彼女は法的にも結婚したんです」
「え?じゃ女同士の結婚ですか?」
「そうです。白無垢同士の結婚式をあげましたよ。私は身体は女になったけど意識としては男だから、男と結婚しろと言われたらどうしようと思ってました。でも女性と結婚できたからホッとしました。彼女は私が女の身体だけど、男の意識だというのを理解した上でずっと連れ沿ってくれています」
「いい奥さんですね」
「はい。彼女には感謝しています。ですから、私は性別は男のまま、名前だけ女名前に変えたんですよ。もっとも当時は今みたいに戸籍上の性別を変えることはできませんでしたけどね」
「確かに法的な性別を変えられるようになったのは最近ですもんね」
「記者さんは美人さんだけど、性転換なさってますよね。戸籍はもう修正なさったの?」
と彼女は訊いた。
あちゃあ、やはり男だとバレたか。しかしここは男から女に変わったということにしておいた方が無難かもと私は思った。それでこう言った。
「いえ、実はまだ最終的な手術が終わってないので、戸籍を変更できないんですよ。だからまだ法的には男で」
「あら、だったら大変でしょう? 私も名前は女、見た目も女なのに戸籍上の性別は男というので、随分苦労しましたから」
「昔は特に大変だったでしょうね」
「クレカ使っていると、旦那さんのカードですかと訊かれるし、病院でもこの診察券違いますよと言われるし、選挙に行っても、これ誰の投票券ですかとまるで不正投票でもしにきたかと疑われたり」
「やはり性別が変更できるようになって、本当に良かったんですね」
「ええ。でも私は妻と離婚したくないから、性別も変えませんけどね」
「ああ、結婚していると性別を変えられないんですね」
「日本は同性婚を認めてないから」
「そのあたりも改善して欲しいですね」
私は彼女が男の子だったのを家元継承のために女の子になったという話は一切書かずに、姉の急死で急遽跡を継ぐことになり、姉の分までと思って必死に頑張った故に、高い芸術性のある舞の境地に達したのだろう、などといった論調の記事を書いた。
9月上旬、私は病院で健康診断を受けてくるように言われた。そういえば去年もこの頃、健康診断やったかなと思い出す。
それで私は仕事のキリのいい日を見つけて、指定された病院に行って診断を受けた。
受付で紙コップをもらい、トイレに行っておしっこを出す。そのままトイレの端の壁の所にある棚に置いてと言われたよなと思い、そこに置く。ここは向こう側の壁が開いて、検査室から棚の紙コップを取れるようになっている。
そのあと採血をするので内科の処置室に行く。それでレントゲンの方に行こうとしていた時、看護婦さんから呼び止められた。
「あなたおしっこは取りました?」
「取りましたけど」
「棚に置きました?」
「ええ」
「あら?あなたのが無かったので」
「え?ちゃんと置きましたよ」
「どこに?」
と言うので、私は彼女と一緒にトイレに行く。
「え?あなた男子トイレを使ったんですか?」
「え?いけませんでしたか?」
「ちゃんと女子トイレを使ってくださいね。苦情が出ることもありますから」
「あ、はい」
それで看護婦さんは男子トイレの棚から紙コップを回収して検査室に持って行ったが、私は怪訝な顔をした。
なんで女子トイレを使えと言われるの〜〜!?
その後、レントゲンに行くのだが、名前を呼ばれて私が1号室に入っていくと、中にいた男性技士さんが、驚いたような声をあげる。
「あなた、なぜこの部屋に来るんです?」
「え?名前を呼ばれたので」
「すみません。どこかで性別を間違ったようです。申し訳ありません。いったん廊下に出てもらえますか?」
「あ、はい」
それでしばらく待つと再度名前を呼ばれる。今度は2号室に入ってくれと言われたので入った。中には女性の技士さんがいた。
「では上半身の服を脱いで下さい。ブラジャーにワイヤーは入ってますか?」
「え?ブラジャーはしてませんが」
「ああ。ノーブラですか。このシャツはそのままでもいいな。でしたら、このシャツは脱がずにそのままその台の上に立って下さい」
「分かりました」
女性技士は私の立つ位置、機械への接し方を私の身体に触りながら指示して、操作室に消える。
「息を吸って・・・停めて」
「はい、終わりました」
「ありがとうございました」
「では服を着てから心電図に行って下さいね」
心電図の所では今度こそ上半身裸になり、女性の技士さんが私の胸付近に多数の電極を付けた。
「えっと胸にはシリコンは入れていますか?」
などと訊かれる。
シリコン?何それ?
「いえ。入れてませんけど」
「ああ、じゃホルモンだけか。だったら普通にこの場所でいいな」
ホルモン??何それ??と思ったものの私は質問しなかった。実は何を質問すればいいのかも分からなかった。
しかし電極を付けられていると何だかくすぐったい感じである。それを我慢してじっとしている内に心電図は終わった。
その後、バリウムを飲まされて胃の透過写真を撮ったり、内科医の診察を受けたりする。胃の透過写真も女性の技士さん、内科医も女性医師で、私はこの病院って女性のスタッフが多いのかな、などと考えた。
内科医のあと、何かよく分からない検査室に行き、上半身裸になって胸を強く揉まれた。異常ありませんねと言われたが、いったい何の検査なんだろうと私は首をひねった。その後、眼科・耳鼻科にも行ったが、そのあと23番診察室に行ってくださいと言われるので、番号を探しながら行く。すると23番というのは婦人科である。
私はいくらなんでも婦人科というのは何かの間違いではと思ったものの、そのことを訊こうとしていた時に名前を呼ばれるので、私は取り敢えず中に入った。
「貧血などになることはありませんか?」
「いいえ」
「今妊娠していませんよね?」
「してません!」
「生理の乱れはありませんか?」
「生理の乱れ?いえ特には」
私は生理の乱れも何も、そもそも生理がないけどと言おうとしたのだが、その前に医師は
「では内診をしますので、そちらに腰掛けて下さい」
と言われる。
私はナイシンって何だろうと思った。
ところが疑問に思っている内に椅子が傾き、私は仰向けの姿勢になる。
何これ?
「あ、まだズボン脱いでなかった?ああ、いいですよ。脱がせますね」
と言って、女性医師は私のズボンを脱がせてしまう。
更にパンツまで下げられてしまう。
うっそー!?
と思っている内に、椅子のガードのようなものが開いて、私は大きく股を広げる形になった。
ちょっとぉ!これ何、あそこを女の医者に見られるって、無茶苦茶恥ずかしいんだけど!?と思う。
もっとも男の医者に見られるのも結構恥ずかしい気はする。
しかし医師はどうも大きく開いた私のお股をチェックしているようである。何だかたくさん触られているし。
一体これ何の検査なのさと思う。
さらには何か冷たいガラス製のものが身体の中に入ってくる感覚があった。待ってぇ!どこに入れているのよ!?
この何かをどこかに入れる診察は5分ほどで終わった。
「はい。OKです。異常はありませんよ。これで診断項目は全部終わりましたから、ロビーで待っていてください。診察結果をお渡しします」
「分かりました。ありがとうございました」
私は御礼を言って、初体験となった婦人科での診察を終え、この健康診断の全ての診察を終えた。
ロビーで10分ほど待っている内に名前を呼ばれて、診察結果の入った封筒をもらう。これを受け取って私は会社に戻り、事務の子に渡そうとしたのだが居ない。
「どうしたの?アキちゃん」
と藤田さんが訊く。
「健康診断の結果をもらってきたんだけど、小砂さん居ないみたいで」
「ああ。私が渡しておくよ」
「ほんと?じゃ、よろしく」
と言って私は封筒を彼女に渡した。
「でも健康診断って憂鬱だよね。私便秘症だからさ、バリウム飲むと出てくるまでに1週間くらい掛かるんだよ」
「それは難儀だね」
「その間ずっとお腹が痛くて辛い」
「本当に辛そう」
「辛いよ。あと婦人科の内診も憂鬱でさ」
「ないしん?」
「アキちゃんは婦人科は受けたんだっけ?」
「あ、それが何だか診察コースに入っていた」
「へー!内診は?」
「なんかよく分からないけど、変な椅子に座らされて大きく股を開けられて」
「おお、あれ恥ずかしいでしょ?」
「無茶苦茶恥ずかしい。去年まではあんな検査無かったのに」
「ああ。去年まではまだ男として受診したんだ?」
「へ?」
「今年はちゃんと女の子として受診したのね。先生何か言ってた?」
「異常はありませんって」
「うん。アキちゃんは女の子として何も異常は無いってことだよね」
え?え?え?
私が今回の健康診断って何かおかしいぞと悩んでいたら、数日後、私は社長と唯一の女性取締役である広報部長に呼ばれた。
個室で話をすることになる。
「君の健康診断結果なんだけどね」
「あ、はい」
「これ、そもそも性別が女と印刷されているんだけど」
「え!?」
それで私が健康診断報告書を見ると、私の名前が印刷されている横に25歳女と印刷されている。
「なんで女になっているんですかね?」
「それで血液検査の所を見ると、全ての数値が女性の正常値なんだよ」
と社長。
「え?」
「あなたこれ見ると、男性ホルモン値は普通の男性より遙かに低くて女性の正常値、逆に女性ホルモンは普通の男性より遙かに多くて女性の正常値なのよ」
と広報部長。
「え!?」
「それから診断項目にマンモグラフィーと婦人科検診が入っているし」
「マンモ・・・?」
「乳癌の検診なんだけどね」
「そんなの私、受けたんですか?」
「おっぱいをもまれたりしなかった?」
「されました!痛かったです」
「婦人科検診で内診の結果も異常なしと書かれているのよね。あなた内診受けたの?」
「なんか変な椅子に座らされて仰向けより深い角度にされて、お股を広げられて観察されました」
「それで異常なしということは、あなた女性なのよね?」
「待ってください。私は男ですけど」
「だって男のお股を内診台で見たら、先生は『ふざけないで。すぐ帰って』と言うよ」
「はぁ・・・」
「ねえ君、もしかして密かに性転換手術を受けたの?もしそうだったら、遠慮せずに女子社員として勤務していいよ。うちの会社は男女同一賃金で、昇給昇進も男女の差はもうけてないつもりだから」
「え〜〜〜!?」
「これまで男として勤務していて、突然女として勤務し始めるのは気恥ずかしいかも知れないけど、私からもみんなに説明してあげるから。実は何人かの女子社員に聞いてみたら、みんなあなたは女の子だけど、どうも男性の振りして勤務しているみたいと言っていたのよね」
と広報部長。
「実際問題として女性記者で長続きする人が少ないから、うちは慢性的に女性記者不足なんだよ。だから、君が女性として勤務することになった場合、多分仕事は増えると思う」
と社長は言う。
私は何かがおかしいと感じた。
「すみません。2日間休暇を頂けますか?少し考えたいので」
「うん。いいよ。でも退職するなんて言わないでよね。君は凄く重要な戦力なんだから」
私はその日会社を早退すると、会社の駐車場に駐めていたミラココアに乗り、県道777号線方面に向かった。
花序を過ぎて、山道に入る。峠まで到達する。私はそのあと速度を落としてどこかに脇道が無いか、じっと見ていた。
道はあった。
カーナビには表示されないから、林道か何か。あるいはひょっとしたら私道なのかもというのも私は考えた。
その道を進んでいく。
果たして、見覚えのある洋館が建っていた。
私はその洋館の前に車を停め、玄関の呼び鈴を鳴らした。少ししてドアが開く。そこには月目スネさんが居た。
「明宏ちゃん、いらっしゃい。まあ入って」
「うん」
私は中に入った。
「今日はご主人や娘さんは?」
「主人は単身赴任中、娘は下宿先」
「そのご主人とか娘さんって実在するの?」
「明宏ちゃん、私自身が実在するかどうか疑っているでしょ?」
「うん、実はそうなんだ」
「1年近く前、明宏ちゃん、女の子になる水を飲んだよね?」
「え?まさかそれで私、女の子になっちゃったの?」
「ああ、自分が女の子になっていることには気づいた?」
「それが困っているんだ。なんか私って見た目が女の子らしくて、体臭も女らしくて、それでこないだ健康診断受けたら、女性患者と誤解された上で異常無しと出た。女性ホルモン、男性ホルモン、他にも鉄分とかの数値が男性としては異常だけど、女性としては正常な数値なんだって」
「それは明宏ちゃんが女だからよ」
「私、女なの?」
「本当はね、明宏ちゃん、1年前にこの屋敷に来た時、もう女の子になっちゃっていたのよ。実は女の子になる泉の水は関係無い。ただ、自分が女の子になってしまったことに、まだ気づいてないんだな」
「そんなことってあるの?」
「明宏ちゃんはもう女の子なのに。まだ男の子だった頃の夢を見ているんだな。その夢から覚めたら、ちゃんと自分でも女の子であることを認識できると思うよ」
「どうやったら目が覚める?」
「私と一晩寝たら目が覚めるよ」
「私、結婚している女性とセックスはできない」
「でも私の夫の存在を疑っているよね?」
「うん」
「だから私に夫や娘がいるかどうかは曖昧。明宏ちゃんが男なのか女なのかも曖昧。曖昧と曖昧をぶつけて相殺するんだよ」
「それでどうなるの?」
「やってみれば分かるよ。私とセックスするの嫌?」
私は考えた。
「じゃ、スネちゃん、セックスさせて」
「いいよ。お風呂に入ってきて」
「うん」
私はシャワーを浴びた。シャワーを浴びながら自分のお股を、そして胸を触る。胸は平たい気がする。お股にはちゃんとおちんちんと玉袋がある気がする。
身体を拭いて外に出て行く。脱衣所に脱いだ私の男性用ビジネススーツやワイシャツに男物の下着は無くなっている。スネが持って行ったのだろう。私が導かれるようにして、奥の部屋に行く。スネはベッドの中で目を瞑っていた。
「ようこそ、わがキツネのお宿へ」
と彼女は言った。
私は黙ってベッドに入り、彼女を抱きしめた。
何時間経ったのだろう。
鳥の声で目が覚めた。
隣にもうスネは居なかった。
私は彼女の名前『つきめ・すね』というのが『めす・きつね』のアナグラムであることに気づいた。
私は起き上がって自分の身体を確認した。胸はこれはEカップくらいあるのではと思う。そしてお股には25年間なじんでいた棒も玉も無く、その代わりに密林の中に縦のスリットがあり、スリットの中に指を入れると、上の方にはコリコリとした場所、そして奥の方には湿った穴があり、そこに中指を入れると指は全部入ってしまった。
私は微笑んで、起き上がり、サイドテーブルに置かれた着替えを取った。そこには女性用のパンティとブラジャー、ブラウス、女性用ビジネススカートスーツが置かれていた。
パンティを穿いて、ブラジャーをつける。つけるのは初めてなので結構苦労した。そしてブラウスのボタンを留めるのに悪戦苦闘する。全く女物の服って機能的じゃないなと思う。そしてスカートを穿き、ブレザーを着てリボンを結ぶ。リボンの結び方は実はよく分からなかったので適当になった。あとで萌花にでも教えてもらおうと思う。
そして洋館を出て前に泊めているミラココアに乗る。乗ってからあらためて洋館の方を見ると、そこには何もなく森だけが広がっていた。私は
「スネちゃん、また会おうね」
と言って、ミラココアを発進させた。
多分・・・・スネが言っていた娘って、私の子供だ。
私はそんな気がした。
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【七点鐘】(下)