【女たちのベビーラッシュ】(下)

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ところで千里は、2015年6月に京平を産んでからずっとお乳が出ていたのが、2017年11月に緩菜を妊娠した所でお乳は出なくなった。しかし2018年8月に緩菜を出産すると、またお乳が出るようになった。
 
このお乳の処理に関しては、羽衣が千里(千里1)に付けてくれている眷属・ヤマゴの指示で搾乳しておくと、それがいつの間にか無くなっていた。実際はヤマゴと連携した《いんちゃん》か《たいちゃん》がそれを貴司の家に運び、それを“実は出産していないのでお乳が出ない”美映が緩菜に哺乳瓶であげていた。
 
美映は初期の頃搾乳を試みたもののどうやっても出なかったのが、搾乳中に眠ってしまっていると、いつのまにか搾乳ボトルが満杯になっているので、私って眠っていると、その最中にお乳が出るのかも、と解釈して、あとは特に疑問を持たないまま、そういう生活を続けていた。
 
美映はわりと、アバウトな性格である。
 
なお、千里がお乳が出るようになったので、千里は由美にもお乳をあげることができるようになった。早月もたまにお乳を欲しがるので、早月にも飲ませていたが、早月は千里のお乳より桃香のお乳の味の方が好みのようである。
 
「でも千里しばらくお乳出なかったのにまた出るようになったのは、体調が回復してきたんだね」
 
などと桃香は言っていた。この時期、桃香のお乳はさすがに出産から1年以上たち、出が悪くなってきていたので、千里のお乳が出るようになったのは、桃香としては大いに助かった。
 

2018年9月12日(水).
 
月山淳がとうとう性転換手術を受けた。
 
若い年齢で性転換した人が多いクロスロードのメンツの中で最後まで男の身体のままであったのが、淳とあきらであったが、ちょうどソフトハウスの方の仕事が一段落し、また和実が仙台で開いているメイド喫茶クレールの経営も安定していたのでここで手術に踏み切った。
 
淳は1981年6月17日20:21、今治市の生まれで、性転換の時点で37歳であった。性転換手術は費用も掛かるし、周囲との関係の問題、仕事の問題などでどうしてもこのくらいの年齢になってやっと手術できるようになる人も多い。淳の場合は、資金的には足りていたのだが、やはり仕事がなかなか休めないということから、この時期の手術になった。淳は手術後1月末まで仙台で和実と一緒に過ごして療養し2月から東京のソフトハウスに復帰する予定である。
 
淳のパートナー和実(1991年11月16日15:03酒田市生)は2012年7月25日に20歳で性転換手術を受けている。彼女はすぐに戸籍を女性に変更し、ふたりは2015年6月17日に婚姻届を出したが、淳はこの婚姻を維持するため、戸籍上の性別は変更しないことにしている。戸籍の性別と実態上の性別が一致していないと色々不都合もあるのだが、同性婚が認められていない以上やむを得ない所である。
 
なおふたりの間には2016年7月7日に長女・希望美(のぞみ)が生まれている。実際には代理母さんに産んでもらい、1年後に特別養子縁組が認められて、ふたりの実子になっている。
 

「やっと女の子になれたね」
と集まったクロスロードのメンツが祝福して言う。
 
「まあ『女の子』というほどの年齢ではないけどね」
「女の身体になれた感想は?」
「まだ凄く痛くて、感想どころじゃないけど、やっと解放されたって気分」
「そうそう。中身は女なのに男の身体に拘束されていたんだよね」
「やっと自由になれたって感じだったね」
 
「あとはあきらだけか」
「あきらさん、いつ性転換するの?」
「12月にすることにしている」
「とうとうか」
「これでクロスロードのメンツからおちんちんが全て消滅するのかな」
「おちんちん完全消滅祝いのパーティーしようよ」
「じゃ、あきらさんの身体が落ち着いたあたりで」
 

「でも淳さん、いつ頃までおちんちんは立っていた?」
とあきらが訊く。あきらはもう4年ほど前からちんちんが立たなくなっている。
 
「手術直前まで立ったよ」
「え?」
「嘘!」
「だから性転換手術前夜に和実と男女型のセックスしちゃった」
「すごーい」
「あれやったの、5年ぶりくらいだったね」
と和実。
「うん。和実が女の身体になった記念に男女型でやったもんね」
「なるほど、なるほど」
 
「だけど松井先生って悪趣味でさ。私はもう役立たずになったちんちんを切るより、現役バリバリのおちんちんを切る方が楽しい、なんて言ってた」
と淳。
 
「私のはもう役立たずだけど」
とあきら。
 
「できたら、嫌だ!切らないで!女になりたくない!と泣き叫んでいる患者を強引に手術室に運び込んで、強制的に性転換してしまうのが好きだとも言ってた」
 
「それ犯罪だと思う」
「でもアメリカでそれ数回やってるみたい。日本でもやったことがあるみたい」
 
「よく訴えられなかったね」
「自分では踏ん切りが付かなかったから、女になれて嬉しいと患者はみんな言ったらしいよ」
「まあ最後の最後で迷ってる人たちって多いからね〜」
 

9月22日。スペインで女子バスケットボール・ワールドカップが開催された。千里3は“村山千里”名義で、日本女子代表の一員としてこの大会に臨んだが、どうも本調子ではないようで、スリーポイント女王も取れなかった。むろん千里が本調子でなくても花園亜津子や高梁王子の活躍で日本女子は充分善戦して、東京五輪の《開催国枠》をもらえる可能性が高まった。
 
(東京五輪では、男子は世界ランキングがあまりに低いので開催国枠をもらうことができず、予選を勝ち上がるしかない模様である)
 
千里3は玲央美や王子たちと一緒に10月1日帰国。千里3はすぐに始まったWリーグにレッドインパルス1軍メンバーとして参戦する。
 
一方この時期、千里2はバスケットの練習もするにはしていたが、作曲の方で大忙しであった。
 
上島雷太の作曲数をみんなでカバーする作戦は50人ほどの作曲家が各々5本くらいずつ引き受けることで約250曲をカバーすることができた。醍醐春海は30本引き受けると言っていたのだが、新婚早々の夫の死という非常事態で全く曲が書けなくなり、18曲で停まってしまった。
 
そして最終的にはこの作業はケイ頼りになってしまった。ケイは婚約した正望とのデートもままならない中、ローズ+リリーの活動もKARIONの活動も放置してこの年は作曲家に徹していた。
 
2018年4月から2019年3月までの間にケイの名前で発表された曲は700曲にも及ぶが、本当にケイが書いたのはその内300曲ほどである。これでもかなりアンビリーバブルな曲数である。
 
残りの400曲の内、100曲ほどが、ケイが過去に他の歌手に歌わせてあまり売れていなかった曲の焼き直し(作業は音楽大学の学生さんがしている)。300曲ほどがゴーストライターによるものだが、その内50曲ほどを上島雷太の元恋人・福井新一さんが書いている。
 
彼女は実は以前から上島雷太のゴーストライターをしていて年間20-30曲書いていたのだが、今回は非常事態で、上島がみんなに迷惑を掛けているというので、かなり頑張ってくれた。
 
AYA, 百瀬みゆき、大西典香、松浦紗雪、篠田その歌、鈴懸くれあといった上島ファミリーの面々も、自分たちの名前では出しにくいのでケイの名前を借りて、各々10曲くらいずつ書いてくれている。特に元々そういう才能のある大西典香は20曲も書いてくれた。
 
実は政子も20曲ほど書いている。政子は楽譜が書けないので、五線譜に\/のような線を書き、それを友人の南野博美が普通の人が読めるような楽譜に翻訳するということをしている。
 
そして150曲も書いたのが琴沢幸穂である。これは実は千里2と千里3の共同ペンネームで、その割り振りをしているのは琴沢のマネージャーを自称する天野貴子、つまり《きーちゃん》である。実際には千里2が100曲程度、バスケットで忙しい千里3も50曲ほど書いている。ふたりが書いているのはあくまでメロディーであり、それをスコアにまとめるのは音楽大学の学生さんがしている。歌詞は大学生や一部社会人の詩人の作品を利用させてもらっている。
 
この時期、千里2はバスケットをしていない時は、京平と会っているか、楽曲を書いているかという感じになっていた。
 

10月7日(日)に百箇日法要を終えた後、千里1は、千葉の川島家を出て東京・経堂の桃香のアパートに転がり込み、またJソフトウェアに復職した。
 
実際にソフトの仕事をすることになる《千里C》こと《せいちゃん》が悲鳴をあげたものの
 
『新婚の夫に死なれた傷心の女性を演じて、仕事量はセーブしなよ』
と《きーちゃん》から唆されて、以前の半分くらいのペースで仕事をすることにした。
 

10月11日(木).
 
2月に冬子の精液を人工授精して勝手に妊娠した!若葉が自身3人目の子供となる女の子・政葉(ゆきは)を出産した。
 
冬子は自分の子供が産まれているとは全然知らず、政子は妊娠を発表したばかり、和実も体調不良(理由は後述)で、この出産に立ち会ったのは、若葉の母以外では、メイド時代の同僚の麻衣、古い友人で若葉の最初の子供・冬葉の父である野村治孝と貞子の夫妻、2番目の子・若竹の父である紺野吉博らであった。
 

その翌日10月12日(金).
 
冬子・政子の高校時代の友人・仁恵が最初の子供を出産した。
 
彼女は昨年6月に結婚した。彼女は同じく高校時代の友人・琴絵といっしょに、ローズ+リリーが“なんちゃって休業”していた時代、ふたりの実際の活動情報をホームページで広報する《千葉情報》というサイトを運用していた。ローズ+リリーには長いことファンクラブが無かったのだが、それができた後は、そちらの作業を実質担当するようになっていた。
 

10月15日仙台。
 
淳は性転換手術を受けた後、退院してからは仙台の和実の自宅で療養を続けていたのだが、この日の夜、和実が妙に女らしい雰囲気を漂わせて寝室に入ってきた。セックスしたいのかな?とても今無理だけどと淳は思う。まだあの付近がかなり痛いのである。しかし和実は意外なことを言った。
 
「私、できちゃったみたい」
「は?」
 
「今日、お医者さんに行ってみたら、妊娠6週目(=受精4週目)くらいだと言われた。だから淳が性転換手術を受ける直前にしたセックスで受精しちゃったみたい。あの日はコンちゃん付けずにしちゃったじゃん」
と和実は言う。
 
「和実、妊娠できるの〜〜!?」
 

男の娘であるはずの和実が妊娠というあり得ない事態に、淳は誰に相談したらいいか悩んだが、ここはこういう非常識なことを冷静に考えてくれる人というので結局クロスロードの友人たちを集めた。
 
集まったのは、冬子、あきら・小夜子、青葉、千里(千里2)、桃香、それに和実の姉・胡桃と母・光里である。
 
「だって希望美ちゃんの卵子は和実から採ったんでしょ?卵子があるんだから妊娠する可能性もあったんだよ」
と桃香は言った。
 
彼女たちは和実抜きで!善後策を話し合った。
 
冬子は和実はすぐ入院させて出産まで厳重な医師管理の下に置くべきだと主張した。和実の母はむしろ、生まれてくる子に異常が無いだろうかというのを心配した。
 
「病院の先生の話では和実は腹膜妊娠しているらしいです。この場合、途中での母子死亡率もかなり高く、無事産まれた場合でも、高確率で奇形などが起きる可能性が高いと言います」
と淳は説明した。
 
「中絶すべきだと思う」
と胡桃は言った。
 
千里2は
「実は男の子が子供を妊娠して出産したケースを知っている」
と言った。
 
「え〜〜〜!?」
 
「6年ほど前に大阪でそういう事例があったんだよ。物理的には腹膜妊娠だったんだけど、本人は自分は見えない子宮で妊娠していると言っていた。生まれた子は五体満足。元気に育っている」
と千里は言った。
 
「それは和実が主張している話と似ている気がする」
と淳が言う。
 
「和実は何と言っているの?」
「ハイパー何とか、いや違ったかな、ハイドロ何とかいう状態で子宮が存在しているんだと言っていた」
「ハイティング代数でしょ?」
と千里2が言う。
 
「あ、そんな感じでした」
と淳。
 
「それと実は今掛かっている病院の先代院長さんが、昔1度腹膜妊娠の女性を担当したことがあり、無事生児を得たらしい。その子も全く異常がなく、今は東大生だそうです」
と淳。
 
「それは心強い」
 
「もしそこの病院に掛かるなら、その先代院長さんが張り付いて見守ると言ってもらっている」
 
「でも死亡率も高いし、先天異常がある可能性もあるんですよね?」
とあきらは心配して言う。
 
「和実は中絶は絶対拒否と言っています。そのために自分が死んだとしても悔いはないし、異常のある子が生まれてもその結果を自分は引き受ける。だから、このまま10ヶ月見守ってくれと言っています」
と淳。
 
「10ヶ月まで見守る必要は無いね」
と冬子が言う。
 
「うん。8ヶ月くらいまで行ったら、帝王切開の一択だよ」
と千里2。
 
「そもそも和実のヴァギナは、おちんちんを改造して作ったものだから、赤ちゃんの身体が通過できない。帝王切開しかないと思う」
と青葉。
 
そのあたりは2016-2017年に実質男の身体のまま妊娠・出産したフェイの事例と似ている。フェイは半陰陽だが、人工ヴァギナだったので帝王切開しか手が無かった。
 
それでかなり議論は白熱したものの、和実の決意を認めてあげようということになる。
 
「私も出産まで見守ります」
と青葉は言ってから、チラッと千里を見る。
「ちー姉、だいぶ元気になったみたい」
「青葉、見守りは私と青葉の交代で。常時1人で見ていたらこちらがダウンする」
「うん、そうしよう」
 
と青葉は言った。
 

2018年12月3日(月).
 
とうとう、あきらが性転換手術を受けた。これでクロスロードに当初から参加していたメンツは全員女性になった。最初に会った時に性転換手術を済ませていたのは冬子だけだった。
 
下記は全て「本人が主張している」手術の日付である。括弧内は当時の年齢。
 
2011.04.03(19) 冬子の性転換手術(タイ)
2011.06.19 クロスロードの遭遇
2011.06.28 クロスロード第1回会合
2012.07.18(15) 16:00 青葉の性転換手術(富山)
2012.07.18(21) 18:00 千里の性転換手術(タイ)
2012.07.25(20) 和実の性転換手術(富山)
2012.08.15(16) 春奈の性転換手術(アメリカ)
2018.09.12(37) 淳の性転換手術(富山)
2018.12.03(37) あきらの性転換手術(富山)
 
「おちんちん全消滅記念パーティーだけど、和実が妊娠中だし、冬子がハンパ無い忙しさだから、4月くらいに」
と、いつの間にか仕切っている若葉が言う。
 
「私も今はとてもパーティに出る体力はない」
とあきらは言っていた。
 
「このまま全人類のおちんちんを消滅させよう」
と若葉が言う。
 
「それ、本気で言ってない?」
 

解散した後で若葉が赤ペンを持って、表に書き込んでいるので、小夜子は
 
「それなあに?」
と声を掛けた。
 
「みんな嘘ついている」
「嘘って?」
「本人たちの主張している性転換した日と本当に性転換した日が違いすぎるんですよね〜」
「ああ、それは何となく変だと思ったことはある」
と小夜子も言う。
 
「これが私の推測による正しい性転換の時期」
と言って、若葉は表を小夜子に見せた。
 
○2007.11.10(16)×2011.04.03(19) 冬子の性転換手術(東京)
2011.06.19 クロスロードの遭遇
2011.06.28 クロスロード第1回会合
○2009.07(12)×2012.07.18(15) 16:00 青葉の性転換手術(山形)
○1998.12( 7)×2012.07.18(21) 18:00 千里の性転換手術(仙台)
○2002.07(10)×2012.07.25(20) 和実の性転換手術(秋田)
2012.08.15(16) 春奈の性転換手術(アメリカ)
2018.09.12(37) 淳の性転換手術(富山)
2018.12.03(37) あきらの性転換手術(富山)
 

「みんな小学生の内にやっちゃったのか!」
と小夜子が驚いたように言う。
 
「冬子は高校の時だね。2007年秋に精液の冷凍保存をして、その最後の保存をした直後、性転換手術を受けたんだよ。実は私が病院に付き添ってあげたんだよね。だから正確な日付が分かる」
 
「そうだったのか!」
 
実際はこの時は、途中で知人に会って中断したのだが、若葉はそのとき冬子を病院まで連れて行ったような気がしているのである。
 
「青葉は小学6年の時から女湯に入り始めたらしい。つまり女の身体になったから」
「ああ」
 
「千里は小学2年の冬休みに仙台の婦人科で男性器を全部除去して女の子の形にしたという証言があるし、小学4年生の9月に卵巣を移植したと千里の親友が言っていた」
 
「ちゃんと証言もあるのか」
 
「和実は小学5年生の時に先輩と初体験したと以前職場でもらしていた。つまりその時点で性転換済みだったことになる」
「みんなどこかで漏らしてるのね」
 
「それに青葉・千里・和実の3人は骨格が女の子なんですよ。つまり第2次性徴が発現する前に手術したのは間違い無いです」
「なるほどぉ!」
 
「冬子と千里の2人は卵巣と子宮も移植されているのではと睨んでいるんだよね」
 
「千里はあれ間違い無く子供産んでるもんね」
「堂々とそう発言してるし」
 

2018年12月28-31日。
 
桜野みちるが東京・大阪・名古屋の三都市でドーム公演を行い、これをもって引退した。引退後については結婚するのだろうと多くのファンが思ったものの、
 
「私は現役中はアイドルに徹するから結婚などという単語は口にしない」
と言い、相手の名前は一切出さなかった。
 
そして桜野みちるの引退に伴い、彼女が所属していた§§プロは閉鎖されることになった。彼女は§§プロの売上の95%を稼いでいたので彼女が引退すると経営的に成り立たないのである。
 
所属アーティストは、大半を、∞∞プロにマネージャーごと引き受けてもらって§§プロは精算された。一部は秋風コスモスが社長を務める§§ミュージックに移行したタレントもいる。§§プロの紅川社長は名前だけは∞∞プロ副社長で§§系アーティストの総括ということになったものの、実際には芸能界から実質引退して、郷里の沖縄県宮古島に帰り、悠々自適の生活を送るということであった。
 
なお§§ホールディングの社長は、日野ソナタ(霧島鮎子)が務めることになった。
 

明けて2019年。
 
1月4日。“千里と信次の娘”由美が、仙台の産婦人科で生まれた。代理母さんは一週間後に病院から姿を消した。その結果この子は「捨て子」ということになり、病院の院長が職権で出生届を出した。
 
出生証明書には、母:不明、父:川島信次、と記載されたが、その信次は死亡している。それで、この子は信次の妻である川島千里に引き渡され、千里は養子縁組の申請を出した。申請はすぐ認められ、1月29日付けで千里は由美の法的な母親になった。
 
そして千里は1月いっぱいでJソフトを退職した。
 
「子育てが大変でSEと両立できないので」
と千里は言ったが、実際には作曲活動のための時間確保と、もっとバスケの練習をしたかったからである。
 
この時期、千里1はまだプロレベルの楽曲を書くまでの力は戻っていなかったもの、編曲作業ならできるので、そういう作業を雨宮先生から回してもらい、これが結構な収入になっていた。
 

お正月には全日本バスケットボール選手権が開かれる。
 
今年も千里(千里3)はレッドインバルスの一員として活躍。6度目のスリーポイント女王に輝く。
 
「国内敵無しですね」
「本当の女王は花園亜津子だと思うんですけどね。私は鳥の居ない島の梟で」
と千里3は答えた。
 

2月3日。政子の最初の子供である、あやめが生まれた。結局政子はこの子の父親について、若葉・冬子以外には誰にも明かさなかった。
 

3月11日。和実は“奇跡の子”明香里(あかり)を帝王切開で出産した。明香里の胞衣(えな)はひじょうに硬くて、お医者さんが切開するのに苦労するほどだったが、やはり子宮が無い状態で育っていたので自分を守るため強い胞衣を発達させたのだろう。千里は6年前の大阪のケースでもやはり胞衣が物凄く硬かったということを話した。
 
淳は最初は2月から会社に復帰する予定だったのだが、和実のお世話をするためと、その間メイド喫茶の経営のため、3月いっぱいまで休職期間を延長させてもらっていた。実際にはメイド喫茶は和実の親友の梓と、チーフのマキコが何とか運用していた。
 
今回の出産でも、フェイの時と同様、最後の付近は青葉と千里2がほとんど付きっきりで和実の体調をコントロールしていた。
 
むろん青葉も千里もふたりだけでこの監視をやるのは体力的に不可能である。実際には大半の時間、各々の眷属をそばにつけておいて、自分は1日1回くらいチェックするようにしていた。千里2は《きーちゃん》を通して、他の眷属に見守らせたのだが、千里2は《きーちゃん》としか話せないので、仲介をする《きーちゃん》の負荷は大変だったようである。
 
《きーちゃん》は千里の分裂(増殖?)以来、3人の千里がかち合わないようにする調整作業と、千里2の司令を他の眷属に伝える作業に専念している。
 

3月29日。上島雷太と茉莉花(春風アルト)の最初の子供・美音良(びおら)が生まれた。ふたりは2008年10月12日に結婚したが、結婚して10年半経過しての初めての子供であった。上島雷太40歳・茉莉花32歳である。
 
「不妊治療なさいました?」
と記者から訊かれた上島は
「いえ、自然妊娠なんですよ」
と笑顔で答えた。
 
このインタビューは上島雷太にとって1年ぶりのテレビ出演になった。
 
そして同日、作曲家協会の会長は上島雷太の謹慎を解除すると発表した。
 

2019年4月1日(月)。
 
水鳥波留が信次の忘れ形見・幸祐を出産した。
 
波留は信次が死亡するわずか3日前にしたセックスでこの子を妊娠した。信次死亡のショックで会社を辞め、埼玉県久喜市に住む姉の家に転がり込んだ。そこでしばらく傷心を癒やしていたのだが、その時、妊娠に気付く。産むべきか中絶すべきか、かなり悩んだものの、自分が子供を産む機会は今回だけかも知れないという気がして、出産に踏み切った。
 
精神的にも経済的にもかなり姉夫婦に負担を掛けてしまったが。
 
幸祐の存在を千里たちが知るのは、少し先のことになる。由美と幸祐は同学年の姉弟(しかも3ヶ月違い)ということになる。
 
そして、これでベビーラッシュも一段落することになる。
 

4月6日(土)。
 
千里(千里1)と桃香が、早月・由美と一緒に暮らす経堂のアパートに、突然千里の父が、母・妹の玲羅とともに訪問してきた。
 
父は、千里の勘当を解除すると宣言した。父は2012年の春に千里が性転換手術を受けるということを言いに行った時、怒って勘当を言い渡していたのである。
 
しかし玲羅がこの秋(9月14日)に結婚することになり、その結婚式への千里の出席を巡って父 vs 母・妹が大議論。
 
「千里と和解して、孫の顔を見に行こうよ」
という母の説得でとうとう父は折れて、千里の性別変更を受け入れることにしたのであった。
 
「ところでどっちが俺の孫?」
という武矢の問いに対して玲羅は説明した。
 
「大きい方は早月ちゃん。千里姉さんを父親とする子供、小さい方は由美ちゃん。千里姉さんを母親とする子供。どちらもお父ちゃんの孫だよ」
 
「お前、母親と父親の両方になったの!?」
 

4月8日(月).
 
青葉の姉弟子で事実上の師匠でもある菊枝が、千里(千里1)を訪ねてきた。菊枝は2017年夏のクロガーとの対決で重傷を負い、あれから1年ほど入院していた。クロガーと羽衣の対決で羽衣がかろうじて勝利できたのは、その直前に彼が菊枝とやりあっていたのもひとつの要因である。また菊枝がトドメを刺されなかったのは、そこに羽衣や千里が現れたからでもある。
 
菊枝は昨年春に退院したものの、ここ1年ほどはリハビリをしながら少しずつ霊的な能力を研ぎ澄ませてきていた。しかし困っていたことがある。それは「エネルギータンク」たる千里の不調である。
 
青葉・天津子・菊枝の3人は千里の莫大な霊的エネルギーを霊能者としての活動のエネルギー源にしている。その千里が2017年7月のクロガーとの対決で霊的な能力を失ってしまったため、この3人はここ2年ほどお互いにパワーを融通しあってはいたものの、絶対的なパワー不足に悩んでいた。
 
青葉の所に居候している《ゆう姫》などは、千里の霊能力喪失は不可逆だと見ていたのだが、この3人は諦めていなかった。
 
基本的には本人が少しずつパワーを回復させてくるのを待ち、見守っていたのだが、菊枝はとうとう我慢できなくなって、千里に直接言いに来たのである。
 
「千里さんが物凄い霊的なエネルギーを持っていたことを思い出して欲しい」
 
菊枝は千里1が自分の能力に気付きやすいように、千里1が体内に持っている勾玉を刺激してみた。千里1もその感触に記憶があったので、少し考えてみると言った。
 
この勾玉は千里が高校2年の時に、唐津で松浦佐用姫(まつらさよひめ)から頂いたものである。
 

さて、上島雷太は4月から作曲家活動に復帰したのだが、この1年間彼の代わりに大量の楽曲を書き続けていたケイは肩の荷が下りたと思った途端、全く曲が書けなくなってしまった。
 
それで今度はケイの楽曲の肩代わりをという話になり、千里や鮎川ゆまなどケイに近い作曲家たちは「参った」と思った。
 
千里は会合からの帰り、マリと一緒にタクシーに乗ったのだが、マリの極めていい加減な道案内にタクシーの運転手さんが
 
「お客さん、目的地はどこですか?」
などと言い出す。
 
千里はボーっとしていたのでタクシーが迷走していることに気付かなかったのだが、ふと外を見ると東京体育館なので、千里は「ここで降ろして下さい」と言って、マリと一緒にタクシーを降りた。
 
そしてその付近を散歩している内に、お人形さんの持ち物のような感じの小さな手鏡を拾った。
 
高校時代にここでウィンターカップを戦った時の記憶が蘇る。それとともに、自分が「何か思い出さなければならないことがある」ということに気付いた。
 

更に高3のインターハイで使用した埼玉県の本庄市総合公園体育館で千里は“剣”を拾う。
 
千里は“鍵”を開けなければならないと思った。
 
それから一週間にわたり、千里1は信次の遺品のムラーノを駆って、西は佐賀県の唐津から、北は宮城県の鮎川まで走り回り、ついに2年前にコネクションが切れていた12人の眷属とのつながりを回復したのである。
 
千里1は次いでその存在を自分自身が忘れていたアテンザに乗り換えて、出羽の八乙女のひとりひとりと会う。最後に4月30日の朝8時、羽黒山で美鳳と再会し、千里1は一昨年の7月に失った霊的な能力をほぼ回復することができた。そして12人の眷属たちはあらためて美鳳から千里の守護を命じられた。
 

千里が美鳳との再会を果たしてから帰ろうとしたら、アテンザがバッテリー切れ、燃料切れになっていることに気付く。
 
ちょうどそこに「出羽山にお参りするとバスケットが強くなる」という噂に惹かれてやってきた貴司・美映・緩菜の親子と遭遇する。貴司は千里がバッテリーと燃料が切れているというのを聞くと、燃料を少し分けてくれた上で、ブースターケーブルを繋いでアテンザのエンジンを始動してくれた。
 
この時、美映は女の勘で「こいつは自分のライバルだ」と感じ取ったが、千里も実質的な「貴司奪回宣言」を視線に込めていたのである。
 

5月1日(水)、東京に戻った千里(千里1)は美容室に行き、長い髪をバッサリ切ってしまった。
 
経堂のアパートに戻った時、桃香は最初
「どなたでしょう?」
と言った。
 
「私、千里だよ」
 
「嘘!?千里なの?髪どうしたの?」
と桃香が悲鳴のような声をあげる。
 
「自分がなまっていることに気付いたから鍛え治す。この髪が元の長さに戻る頃までひたすら頑張ってレベルアップする」
 
「はぁ・・・まあいいけど・・・。千里、女の子だよね?」
「そうだと思うけど」
「確かめていい?」
「一周忌までは待って」
「分かった!」
 
それで千里は毎日10kmのジョギングと腕立伏300回・腹筋300回・背筋/側筋、28mダッシュなどの基礎トレーニングを自分に課した。
 

シュート練習もしたいのだが、アパートの中でやったら桃香から叱られるし、近隣にも迷惑である。といって公共の体育館はあまり長時間使えないし、毎日というわけにもいかない。
 
それで千里は不動産屋さんに飛び込むと、板橋区内で15坪(50平米)1500万円という何とも微妙なサイズで売りに出ていた土地を買っちゃう!
 
そしてここに不動産屋さんに紹介してもらった工務店で、軽量鉄鋼構造で建坪6坪・床面積9坪の小さな家を400万円で建てる契約をその日の内に結んでしまう!
 
住宅の衝動買いである。
 
その建物は7月上旬に完成ということであった。
 
ここの土地は台形型で、8m x (6.8m-5.7m)というサイズである。建蔽率40%, 容積率60% なので、1階20平米、2階10平米までの家を建てることができる。その20平米を8m x 2.5m という非常識なサイズで建ててもらうことにした。するとここにスリーポイント練習用のゴールが作れるのである。
 
スリーポイントラインは6.75mである。
 
2階の10平米(6畳サイズ)には、小型のキッチンとユニットバス、それに用具室を兼ねた小部屋を作り、仮眠などもできるようにする。周囲への騒音防止と衝突した時の安全性も兼ねて1階内側にはクッションボードを貼り付ける。また早月と由美を置いておけるように1階の練習室内には透明のアクリルボードで仕切られたエリアを設置する。
 
面積の割に建築費用が高くなったのは、このような内装を入れるせいである。なお、バスケットのゴールは高さと向き!を可変にしてリモコンでも変更できるようにする(電気工作が得意な美緒が作ってくれた。彼女はプラモデルなども大好きである)。この練習室は翌年浦和に住居を買った時に地下に作った練習室の原型のようなものとなった。
 
この家が完成するまでの間は世田谷区内の体育館に週2回くらい行ってシュート練習をしていた。
 

6月中旬。政子は、ずっと精神的な不調が続く冬子に気分転換をさせようと考え、クロスロードの仲間たちの勧めもあり、沖縄県の宮古島でしばらく過ごすことにした。
 
宮古島にはこの1月に芸能界を引退した§§プロ元社長の紅川さんが住んでいる。実は冬子たちが宮古島で長期滞在できる民宿とかはないかと探していた時、秋風コスモスが
 
「だったら会長(既に会長ではないのだがコスモスはこう呼ぶ)の実家にお邪魔すればいいですよ。あそこかなり部屋が余ってますよ」
と言った。
 
それで連絡を取ったら歓迎ということだったので、冬子と政子は、2月に生まれたばかりのあやめを連れて、宮古島に飛んだのである。
 
現地では紅川さんが歓迎してくれて、3人は紅川邸の離れでしばらく過ごすことにした。
 

6月27日(木)。★★レコードで株主総会が開かれたが、ここで取締役人事を巡って会社側の提案に対して批判が相次ぐ。そして同社の創業者のひとり星原博秋の娘で大株主の鈴木片子が動議を提出。村上社長とその一派が全員解任されてしまった。
 
代わって新しい社長に選出されたのが、町添専務である。町添さんは鈴木さんたちの動きを聞いていなかったので驚いたものの、戸惑いながらも議長席に座り、ここ数年低迷していた★★レコードの売上げを3年で倍増させたいと抱負を語った。
 
この新しい営業体制の中で、加藤次長が制作部長に就任。氷川係長がJ-POP部門の課長に就任した。
 

6月29日(土)。信次の一周忌法要をしたが、この時、大方の儀式が終わった後で、水鳥波留が幸祐を連れて線香をあげさせて欲しいと言ってきた。その時、千里は唐突にこの子は信次の子ではないかと気付いた。
 
信次は生前
「生まれてくる子が男なら幸祐、女なら由美」
と言っていたのである。
 
それで千里と信次の子供はその信次の遺言になってしまった言葉に従って女の子だったので由美と名付けられた。
 
それで「男の子で幸祐」という名前に覚えがあったのである。
 
波留は千里に「ごめんなさい!」と謝り、2度とここには来ないから許してくれと言ったが、千里は「お母さんに会っていって。きっとあなたたちを歓迎する」と言った。そこにちょうど青葉も来たが、青葉は何も言わない内に、幸祐が信次の子供であることを認識した。
 
それで青葉・千里・波留の3人が打ち解けて、楽しく会話をしていた所に康子が帰宅したのだが、千里1が笑顔で
 
「こちら信次さんの彼女だった水鳥波留さん。この赤ちゃん・幸祐くんは4月に生まれた、信次さんのもうひとりの忘れ形見です」
と言うと
 
「えーーーー!?」
と康子は超絶驚愕していた。
 

千里が波留のことを受け入れているので、康子もすぐに彼女を受け入れて、時々孫の顔を見に行かせてくれと言った。
 
「でもお母さん、ひどいと思いません?信次さんって、男なら幸祐、女なら由美というのを、私と波留さんの双方に言っていたんですよ」
 
「それ、子供が男と女だったからよかったけど、同性だったら同名になってしまってたじゃん」
と康子も呆れて言う。
 
「まあそういう時は片方を性転換させて改名させる手も」
「それどちらが性転換するの?」
「やはりじゃんけんで」
 

7月5日(金)。板橋区内に建てていたバスケットの練習室が完成。引き渡されたので、千里は毎日これも衝動買いした40万円の中古のヴィッツで出かけてはシュートの練習をするようになった。
 
最初5月に公共の体育館で練習を始めた頃は、スリーが全く入らず、フリースローでさえも半分外れるという酷い状態であったが、この専用練習場に来る頃にはフリースローはほぼ全部入るようになり、スリーも5回に1回くらい入るようになった。
 
「やはりスリーくらい全部入るようにしないとね」
と言って千里は、日々練習に励んでいた。
 
だいたい日中に来るので早月と由美を連れてくるのだが、早月は千里の練習を結構楽しそうに見ていた。おもちゃも色々用意しているのでそれでも結構遊んでいた。
 
なおヴィッツを買ったのは、ミラでは後部座席に早月用のチャイルドシートと由美用のベビーシートの両方を設置するのが困難だったからである。アテンザを使うつもりだったのだが、なぜかアテンザがよく出ているのである。《きーちゃん》が
 
『ごめーん。今別件で使用中』
 
と言っていた。それで眷属たちが使うのであれば、近距離はもっと小さい車でもいいかと考え、安い中古を1台買ったのである。
 
(実際にはアテンザは千里3が使用していることが多かった)
 

同じ7月5日。東京の∴∴ミュージックではKARION関係者が集まり、KARIONの制作をどうするかで深刻な会議が開かれていた。
 
水沢歌月ことケイが、昨年1年間は上島雷太の代替で大量の楽曲を書き、今年はその反動で全く曲が書けない状態になっているため、結局、KARIONの活動が1年以上停滞しているのである。
 
KARIONの楽曲に求められるクォリティがあまりに高いので、簡単に他の作曲家さんに頼んで曲を揃えてというわけにはいかない。
 
暗い雰囲気になっていた時、蘭子(ケイ)が突然帰って来た。
 
そして宮古島で書き上げた曲の楽譜を示す。
 
「蘭子ちゃん、復活したね!」
「アルバム作りましょう。ツアーもしましょう」
とケイは笑顔で言った。
 

2019年9月8日。
 
政子の元恋人で、現在は大阪で別の女性と結婚生活をしている松山貴昭に2人目の子供・安貴穂(あきほ)が生まれた。貴昭は2016年4月30日に鹿児島県出身の露子という女性と結婚し、最初の子供・紗緒里(さおり)は2017年5月13日に生まれている。
 
政子は実は紗緒里が生まれた時も、安貴穂が生まれた時も、気になって赤ちゃんを見に行っている。前回、廊下の窓ガラス越しに見た紗緒里は政子を見てニコッと笑った気がした。そして今回も同様に安貴穂を見たら、この子も政子を見てニコッと笑った気がした。今回、安貴穂を見ていたら、小さな女の子が寄ってきて尋ねた。
 
「おばちゃんもあかちゃんうんだの?」
「こないだ産んだよ。今日はおうちでお留守番してるけどね」
と答える。
「このこ、わたしのいもうと。かわいいよね」
「へー。だったら、あんたさほりちゃんか?」
 
政子は紗緒里(さおり)のことを誤って『さほり』と呼んでしまったのだが、紗緒里は、はにかむような表情を見せると
 
「うん。おばちゃん、お母さんのお友達?」
などと訊く。
 
「古い友だちなんだよ。さほりちゃん、あきほちゃんを可愛がってやってね」
と政子は言った。
 
ふたりは5分くらい話していたが、冬子から
「あやめが泣きやまないよぉ、どこまで買物に行ってるの?」
というメールが来ていたので
 
「じゃ、またね」
と言って別れた。政子は冬子に
「ちょっと買物に行ってくる」
と言って、新幹線に乗って大阪まで来ていたのであった。
 

政子自身はこの年の秋、ドラマに出演したことから、共演の大林亮平との仲が復活してしまった。ふたりは以前かなり真剣な付き合いをしていて。その内結婚するのだろうと、冬子などは考えていたのだが、結局別れてしまった。亮平からもらっていた婚約指輪は、政子が返そうとしたのを
 
「俺に返すつもりならば捨ててくれ」
と亮平が言ったので、
 
「捨てるのもったいないから、とっておく」
と言って政子はそれを保管していた。
 
しかしこの時期はその指輪を出してきて、プライベートな場では指に付けていることもあった。多くの人はその指輪は、あやめの父親からもらったものなのだろうと思っていた。実際亮平は、よく政子の自宅を訪れ、あやめのことも随分可愛がってくれたし、あやめも亮平に懐いていた。
 

2019年9月14日(土)大安。
 
千里の妹・玲羅が友人を通して知り合った長内陽介さんと札幌市内で結婚式を挙げた。
 
千里は桃香・早月・由美と一緒に新幹線で北海道に渡り、スーパーカムイに乗り継いで札幌に入った。結婚式には玲羅の友人ということで、細川理歌・美姫の姉妹も来ていて
 
「千里お姉さん、お久〜」
と挨拶してくれた。
 
女性用控室で千里が由美におっぱいをあげていたら、一部の親戚から
 
「千里ちゃん、おっぱい出るの!?」
と驚かれた。
 
「2015年に京平が産まれて、2017年に早月が産まれて、今年は由美が産まれて、私のお乳は停まる暇が無い」
 
「京平ちゃんって誰だっけ?」
「私が産んだ子」
 
「その京平君のことについては私は千里を少し追及したいのだが」
と桃香は言った上で
 
「でも一時期出なくなってたね。2017年の暮れから2018年の夏頃までかな」
と言った。
 
「まあ体調が悪かったんだろうね」
と千里は答えておいたが、本当は緩菜を妊娠したことによる母乳停止である。緩菜を出産したことにより、また出るようになった。
 

10月末。青島リンナ・百道大輔夫妻の離婚が報道されていた。おしどり夫婦のように思われていたので、この離婚には多くの人たちが驚いた。子供・夏絵(1歳2ヶ月)の親権は百道の方が取るということも公表され、これも意外に思われた。リンナが経済的にゆとりがない訳でもないのに、妻ではなく夫の方が親権を持つというのは、少なくとも日本では珍しい事態である。
 

2019年11月11日。
 
冬子の高校時代の友人・佐野敏春と、冬子の小学校時代の友人・麻央の夫婦の間に、最初の子供・柚が生まれた。
 
「どっちが産んだんだっけ?」
と友人から随分訊かれたようだが、一応産んだのは麻央である(多分)。
 
佐野君と麻央は大学時代の友人で、2011年春から付き合っており、2017年6月に長い交際を経て結婚していた。
 
麻央は別に男装している訳ではないし、FTMの傾向も全く無いのだが、極めて漢らしい性格であり、外見的にもふつうに男に見える。それでしばしばふたりはゲイの夫婦と誤解されることもあったのだが、今回は
 
「男女の夫婦だったのか!」
と驚かれ、
「でどちらが女なんだっけ?」
などと言われていた。
 
「じゃ麻央ちゃん、性転換手術して女になったの?」
と訊かれると
「うん。2年前にタイに行って手術してきた」
 
などと麻央も悪のりして応じていたが、それを信じてしまった人もいる気がする!
 

2020年1月。
 
千里(千里3)は今年も所属するレッドインパルスで全日本バスケット選手権に出場し7度目のスリーポイント女王を獲得した。
 

この月、政子は自宅(実家)の敷地内に、離れを建て始めた。
 
「そこで亮平さんと暮らすの?」
と友人たちが訊くと、政子は
「えへへ」
などと笑っていた。
 
そして2月、政子は冬子に亮平の子供を妊娠したことを告げた。冬子はちょっと寂しい気もしたものの、
 
「いいんじゃない、幸せになってね」
と言った。
 
冬子はこの時点では、ローズ+リリーも解散かなあ・・・と覚悟していた。
 

ところがである。
 
政子は3月に亮平と別れてしまったのである。
 
「妊娠してるんでしょ?赤ちゃんは?」
「産むよ。出産費用と養育費も払うと言ってたけど、取り敢えず養育費は拒否した。認知も拒否」
「せめて認知くらいしてもらえばいいのに」
「そんな法的な記載にこだわらなくても、お互いにその子供の父と母が誰かということを認識していればそれで問題ないんだよ」
などと政子は言う。
 
しかし亮平は養育費について
「これは僕が政子に払うお金ではなく、そのお腹の中の子供に払うお金だから」
と主張し、結局政子はその子供の名義で銀行口座を開設し、亮平はそこに毎月かなりの額を振り込み、政子はその口座には一切手を付けないということで収まった。恐らくその子供が成人するまでにはとんでもない金額が貯まるであろう。
 
「離れはどうするの?」
「最後まで建てるよ。ボーイフレンド連れ込むのに便利だし」
 

2020年4月。
 
青葉は大学を3月で卒業して、金沢市のテレビ局にアナウンサーとして勤め始めた。
 
ところが同局では《新人アナウンサーのお宅拝見》などという企画をすることになる。驚いた朋子は、お部屋の掃除をするのに、桃香・千里を呼んだ。彪志も一緒に来て、掃除を手伝ってくれたが
 
「新人アナウンサーの彼氏まで映ったらやばいだろう」
と言って、掃除が終わった所で、彼は帰っていった。
 
なお、彪志は昨年7月に青葉に婚約指輪を渡したが、青葉がアナウンサーになったこともあり、ふたりの結婚式はいつになるか全く不明である。
 
それで結局、同期入社のアナウンサー・森本さんがレポーター役になり、テレビ局のクルーがたくさん高岡の高園家にやってきた。なおこれは生中継ではなく、撮影してあとで編集した上で放送する。万一やばいハプニングが起きたら困るからである。
 

結局、朋子と、早月を抱いた桃香、由美を抱いた千里(千里1)が並んだ状態で撮影されることになる。
 
「お姉さんたちですか?」
と森本さんが訊く。
 
「そうでーす」
と3人とも言う。
 
「3人とも青葉の姉です」
「若干年の離れたお姉さんがおられるようですが」
「あはは」
 
「赤ちゃんがおられるんですね」
「はい。青葉の姪です」
 
「ふたりとも女の子ですか?」
「そうです。男の子ではないようです」
 
ここで早月は昨日イオンで買ってきた可愛いワンピースを着せているし、由美にも可愛いピンクのベビードレスを着せている。
 

それで話していた時に、突然の来訪者があった。
 
花園亜津子である。彼女はもう少ししたらアメリカに戻ってWNBAに参加するのであるが、その前に千里と話したいと思ったら高岡に行っていると聞き、ここまでわざわざやってきたのである。
 
予想外の人物の登場にテレビ局のクルーは困惑するが、森本アナは亜津子の正体にすぐ気付いた。
 
「WNBAで活躍なさっている花園亜津子さんですよね?」
「はい、そうです」
「川上青葉ちゃんのお知り合いですか?」
「いえ、そこに居る川島千里の古い友人です」
と亜津子は答えた。
 
ここで亜津子が「川島千里」と言ったこと、そして千里1は昨年5月に髪を切って、まだ充分伸びていなかったことから、この人物が“ロングテール”の異名もある村山千里であることに気付いた視聴者はほとんど居なかった。
 
「同級生か何かですか?」
「ライバルですよ。彼女もバスケット選手で私は彼女に勝ったことがない」
と亜津子は言った。
 
「すごーい! 日本代表・WNBAプレイヤーに負けないというのは世界代表レベルじゃないですか」
と森本さんは若干意味不明なことを言う。
 
いったんカメラが停められる。
 
「お姉さん、バスケット選手ですか?」
と撮影の責任者っぽい人が言う。
 
「でも結婚出産で長く試合から遠ざかってますから大したことないです」
と千里1が言ったのに対して、亜津子は怪訝な顔をした。
 
そして亜津子は断言する。
「いや、千里のスリーポイントシュートは凄い」
 
それで結局、舞台を体育館に移して、WNBA花園亜津子と、新人アナウンサー川上青葉の姉・川島千里の「シューター対決」を収録することになった。
 

もはや青葉は脇役になってしまった。
 
ふたりは1球交代でスリーポイントラインからシュートを撃っていく。最初ディレクターさんは、余興だし2〜3分あれば決着がつくだろうと思っていた。ところが決着がつかないのである。
 
ふたりは1本も外さない。
 
最初笑いながら見ていたクルーたちの表情がどんどん真剣になっていく。
 
対決は30分を越えて続き、誰もことばを発することができなくなっていた。
 
2時間を過ぎて、後で撮影されたビデオから本数を数えたら127本目になるシュートを亜津子が撃った所、リングに当たった後、入りかけたのだが、ぐるぐるとボールが回った後、外に落ちてしまった。亜津子はふっと大きく息を付いた。
 
千里は無表情で撃つ。
 
バックボードに当たって、ボールはゴールに吸い込まれた。
 
「うっそー! 青葉のお姉ちゃん、WNBAシューターに勝っちゃった」
と森本さんは言ったのだが、千里1は否定する。
 
「私の負けです」
 
「なんでー!?」
「亜津子さんのはバックボードにもリングにも当たらずに直接ネットに飛び込んだのが9割を占めていました。私のは半分はバックボードに当たってから入っています。私のシュートは精度で完璧に亜津子さんに負けています」
 
「まあ私たちのレベルはフリーで撃つ限りスリーが入るのは当然なんで、昔はよくそのダイレクトに何本入るかって競争をしたよね」
と亜津子。
 
それでふたりは握手をし、ハグしたのだが、もう放送のカメラが停まってから、亜津子は小声で千里1に言った。
 
「ちょっとナマってない?」
「うん。今日は完璧に負けていた。しっかり鍛え治すから」
「今年は東京五輪だからね。それまでにきちんと仕上げろよ」
「そんなのに呼んでもらえたらいいけど」
「千里はいつもそう言う。そんな逃げ腰の気持ちがいけないんだよ。私が日本を優勝させます、くらい言いなよ」
と亜津子は苦言を呈した。
 

千里(千里1)と花園亜津子とのシュート対決は、あまりに凄すぎるということで、全国枠のバラエティ番組の枠内でも流された。127本×2人のシュートが早送りで完全に放送された。
 
そして日本代表の天才シューターとあそこまで対抗できた《専業主婦》って何者?と話題になったが、日本代表の顔のひとりとなっている佐藤玲央美がネットでコメントした。
 
「川島の苗字を名乗っていたし、放送の時は髪をまるでショートのようにしてたから気づかなかった人もあったろうけど、あれは村山千里ですよ」
 
玲央美はふだんロングヘアーの千里(千里3)を見ているので、あれは髪型をああアレンジしたのだろうと思ったのだが、実際には放送に映っていたのは髪を切ってしまった千里1である。
 
しかしこの玲央美のコメントでネット民たちは
 
「なーんだ!」
「村山だったのか!」
「村山というとロングヘアのイメージがありすぎて」
「しかしさすがあの2人の対決は見応えがある」
 
という声が上がっていた。
 
「ところで川島って何?」
という質問に対して玲央美は答えた。
 
「一昨年、実は結婚したんだけど、新婚3ヶ月で彼氏が死んでしまったんだよ。だから今でも千里は独身」
「きゃー」
「3ヶ月で亡くなったって可哀相!」
 
「それで2018年のワールドカップでは本調子じゃなくて、スリーポイント女王取れなかったんだよね」
「その精神状態でワールドカップに出て行ってプレイしただけで凄い」
 

千里や桃香たちは、高岡に来たついでに、そのまましばらく滞在していた。
 
4月16日(木)。
 
その日は桃香と朋子は買物に出かけていて、千里(千里1)はひとりで留守番していた。青葉は金沢で仕事である。
 
そこに訪問者があったが、その人物の顔を見て、千里1は驚愕する。
 
「誰?あなた?」
「たぶんあなたと同一人物」
と千里3は語った。
 
千里1の後ろに付いていた子たちはパニックである。
 
『これどうなってんの〜〜!?』
 
しかし《くうちゃん》は言った。
『時が来たんだよ』
 

千里3は言う。
 
「テレビ見てびっくりした。だって自分がテレビに出ていて、あっちゃんとシューター対決してるんだもん」
 
千里1はあまりの驚きに声が出ないようである。
 
「ここ3年くらい、ずっと疑問に思っていた。何か自分が完全ではない気がしていた。それは私が2人に分裂していたからだったんだ」
と千里3は言った。
 
「私たちどうなるの?」
と千里1。
 
「ひとつに戻ろうよ」
「ちょっと怖い」
「怖くないよ。結婚するのと同じようなものだし」
「私たち女同士だよね?」
 
「そちらはたぶん本当の女だよね?生理あるでしょ?」
「うん」
 
「千里は元々男の娘だった所に、IPS細胞から作られた女性器が埋め込まれて、実質完全な女になっていたはず。でも、私は男の娘なんだよ。身体の形は女の形しているけど、生理がない。だからこの身体はたぶん性転換手術で作られた身体。実は女性ホルモンをずっと錠剤で摂っている。男と女だから結婚できるよ」
 
「赤ちゃんできたりして」
「それもいいけどね」
 
「ひとつになったらどうなるのかな」
「なってみれば分かるね」
 
それでふたりは同じ方向を向いて並んだ。
 
明るい光がふたりを包み込み、やがて2人の千里は合体して1人になった。
 
『特に何も変わってない気がする』
『まあそのままだよね。お互いの意識はそのまま生きているし』
『じゃ、この後は私たちは1人の千里として生きていけばいいのね』
『分離しようと思ったら分離できますよね?くうちゃん』
 
『いつでもできるよ』
と《くうちゃん》が答える。
 
『だから作曲が忙しい時とか分離して2人がかりでやろうよ』
『楽しそう』
『食費は倍かかるけど』
『飛行機で移動するときは合体していれば1人分の運賃で済むね』
 
『じゃひとつになっていて、いいんだね』
と言って千里1と3はひとつになった千里の体内で、微笑みあった。
 
 
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