【娘たちの収縮】(3)

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女になると言う女装の千里に激怒して日本刀を振り回した武矢は、所轄署のベテラン警部が来て、みっちりお説教をくらうと、さすがに少し反省した。しかし男の身体にメスを入れて女の形に変えてしまうという“息子”に対する怒りと嫌悪感は納めようが無かった。
 
日本刀は妻と警部に促されて権利放棄して警部が持ち帰ってしまったし、酒は1ヶ月間禁酒を言い渡されたし(日本刀を持って“暴れた”時、新ジャンルのお酒を3缶開けていたことも問題にされた−不味いと言いながら3缶空けていたのである)、ふてくされて寝てようかと思ったが、放送大学のスクーリングがある。
 
それで5月3日、武矢はぶつぶつ言いながら、お酒代わりにと玲羅から渡されたコーラを飲みながら高速バスで札幌へ出かけて行った。普段は旭川のサテライトに行っているのだが、ゴールデンウィーク期間中に札幌のセンターで行われる特別講義を聴きたかったのである。
 
なお武矢は運転免許を持っていない。免許くらい無いと就職先が無いといって取りに行ったものの、教習車を2台壊して(損害賠償は求められなかったものの)退校処分になっている。教官からは「あんたは性格的に運転に向いてないから、取らない方がいい」と言われた。確かに武矢のようにカッとなりやすい性格は運転者としては危険である。
 

講義を聴いてから学習センターを出る。ラーメン屋さんで夕食を取った後、スーパーで夜食を買うが、つい習慣で菊正宗180mlを買おうとして、妻の怒った顔を思い出し、すんでで諦める。
 
「あいつの教育が悪いんだ」
などと文句を言っている。
 
代わりにオレンジジュースの紙パック1Lを買って帰って飲んだものの、どうも不愉快だ。それでともかくも安ホテルの堅いベッドの上で、ふて寝する。武矢は実は「柔らかいベッド」が苦手で、こういう安ホテルの堅いベッドの方が好きである。長年漁船内の狭くて堅いベッドで寝ていたからで、実は安ホテルのベッドにしても「広すぎて」落ち着かない。できたらシングルの半分くらいのサイズが良い。
 
そのような中で放送大学の講義を受け、最後の宿泊日となった5月5日の晩のこと。武矢が寝ていると、
 
「お父ちゃん」
という声がする。それで「へ?」と思って目を開けると、千里が立っている。
 
「出てけ!お前の顔など見たくもない」
と言うが千里は
 
「お父ちゃんに私を見て欲しいの」
と言うと、着ていた白いドレスを脱いでしまった。
 

武矢はごくりと唾を呑む。
 
それはあまりに美しい曲線美だった。
 
胸はかなり巨大だ。武矢的には「ボイン」という感じである(この言葉を使うと、それは死語だと玲羅から馬鹿にされるので口にはしない)。形も良く、上向きでツンとしている。
 
ウェストは細くくびれていて、腰は安産型である。道産娘の白い肌が魅惑的だ。武矢はそれが自分の“息子”であることを忘れて見とれていた。
 
しかし・・・お股の所には既に何も無く、むしろ縦の線が茂みの中に見える。千里は確か7月に手術を受けてチンコを取ると言っていた。でも既に無いじゃん!
 
「お前、まさかもう性転換手術ってしてしまったの?」
「ごめんね。もう終わっているの。そこまで言ったらお父ちゃん怒るかなと思って、あの時はこれから受けるみたいなこと言ったの」
 
と言葉にする千里は、あまりにも可愛い。武矢は自分のあそこが立つのを感じた。
 
「私の身体をよくよく確かめて」
と言うと、千里は武矢にのしかかってきた。
 
ちょっと待て〜〜〜!!!
 

「お父ちゃんの身体で私の新しい身体を確かめて」
と千里は言うと、武矢を抱きしめた。思わずあそこは完全に立ってしまう。
 
すると千里は武矢の浴衣の裾を開き、トランクスを下げると、そこに立っていたものに素早く避妊具を付けると自分の中に入れてしまった。
 
うっそー!?
 
「ね。ちゃんと女の子の形になっているでしょ?」
「あ、うん」
 
「ちゃんと男の人を満足させられるんだよ」
と言って、千里は腰を動かす。武矢は一瞬つながっているのが自分の“息子”であることを忘れてしまった。
 
実は・・・・武矢はもう長いことセックスというものをしていない。10年ほど前に津気子が乳癌になった時、セックスに応じる体力が無いし、セックスすることで女性ホルモンの分泌が促されると、それが乳癌によくないからと言われてセックスお断りされて以来、していないのである。もう既に乳癌の再発は心配無い状態になっているはずだが、それでも一度途絶えてしまった習慣はなかなか復活させられない。
 
それで武矢にとってはこのようなことは10年ぶりの体験になった。
 
武矢はあっという間に逝ってしまった。
 
「気持ち良かった?」
「うん。気持ち良かった」
とうっかり言ってしまってから、待て、こいつは俺の息子だぞ!?息子とセックスしてしまうなんて。。。しかも女になった息子とするなんて。。。
 
「だから私、ちゃんと男の人のお嫁さんになって、赤ちゃんも産むから、私のこと、良かったら娘と思って欲しいの。私、婚約指輪ももらったんだよ。今年中には私お嫁さんになるから」
 
「そうなのか・・・」
「だから、私が赤ちゃん産んだら、孫の顔を見に来てね」
と千里は言った。
 
「分かった。見に行く」
と武矢は言ってしまった。
 
「でも、今の・・・で赤ん坊ができたら?」
「ちゃんと避妊したから大丈夫だよ」
と言って、武矢のものにかぶさっている避妊具を取り外し、千里は丁寧に後をティッシュで拭いてくれた。
 
「あ、そうか。付けてたから大丈夫か」
「万一避妊失敗していたら、私の結婚相手の子供ということにしちゃうし」
「いいんだっけ?」
「そのなの分からないって。じゃまたね」
 
と言って千里は避妊具をバッグに入れ、ベッドから出ると、さっきまで来ていた白いドレスを裸の上に着た。そして可愛く手を振って、部屋の外に出て行ってしまった。
 

武矢はボーっとしたまま、その扉を見ていた。
 
しかしその後で猛烈な自己嫌悪に陥る。
 
「俺は、俺は、結婚して以来初めて浮気してしまった」
「それに息子とセックスするなんて、同性愛で、近親相姦で」
 
しかし悩んでいる内に武矢は眠ってしまう。
そして翌朝起きた後、玲羅に電話してみた。かなり叱られたので妻には話しにくいのである。
 
「千里のことだけどさ」
「少し考え直してくれた?」
「あ、いや、あいつ嫁さんになるんだっけ?」
「そうだよ。そのあたりまで話そうとしてたのに、お父ちゃんったら暴れ出すんだもん。結婚式は12月くらいの予定だから、よろしくね」
「うっ・・・」
 
息子が・・・嫁になる!?あいつまさかウェディングドレスとか着るのか?
 
きれいかも知れない!と武矢は思ってしまった。
 
昨夜の千里の白く美しい裸体が目に浮かぶ。
 
「指輪ももらったって?」
「うん。私も2月に見たよ。お父ちゃん、ちょうど札幌に行ってたから見せられなかったんだよね。1日こそお父ちゃんに見せようとしていたのに。写真撮らせてもらってるから、追ってそちらにメールするよ」
 
「そっか。千里は・・・今どこに居るんだっけ?」
 
「姉貴、4月下旬からずっとバスケットの合宿に入っているんだよ。1日は特に許可もらって抜け出して留萌まで来たみたいだけど、5月15日までは缶詰だと言っていたよ。話し合いたいなら、私から連絡するよ」
 
玲羅が千里のことを「姉」と呼んでいるのはひじょうにムカつく。しかし今武矢は千里の顔を見るのが“恥ずかしかった”!
 
しかし・・・千里がどこかに缶詰になっているのなら、ひょっとして昨夜のは夢だということはないだろうか?? そう考えると、夢だと考えた方がいい気がしてきた。
 
「あ、いや、また後で少し考える」
 
と武矢は玲羅に返事したので、玲羅は武矢は早期に軟化するかもと思った。実際この“夜の訪問者”のおかげで、既に軟化していたのだが、武矢はプライドだけ高いので「振り上げた拳を降ろす」のが恥ずかしくて、意地を張ったままになり、千里のことを許すと言い出すのは、7年後になる。
 

昔の体操着といえば、男子は短パン、女子はブルマであったが、1990年代半ばにブルマ反対運動が起きて、だいたい2000年代半ば頃には、ほぼ見なくなり(*1)全国的に、男女ともハーフパンツ(一部の学校ではショートパンツ。また男子はショートパンツで女子はハーフパンツという所も)となった。
 
(*1)「アイシールド21」で「(夕陽ガッツのマネージャー)今時ブルマですよ」といった言葉が出てくるのが2004年のジャンプ40号掲載・第102話である。
 
龍虎の小学校でも2003年の新入生から男女とも上は白いジャージで、下は水色のハーフパンツという仕様になった(それ以上の学年では任意切り替え)。2003年から入れ替えが始まったので2008年には全学年体操服は新仕様になった。実際には各児童は成長に合わせて新しい体操服を買う時に新仕様のものを買っていたので2006年頃までにはほぼ全生徒、男女共通仕様の体操服を着ていた。
 
それで龍虎がこの小学校に通った時期(2009.1-2014.3)には、体操服だけを見ると男女の差は無くなっていた(ここ大事)。
 
また男女混合名簿は2000年に東京都で提案されて以降少しずつ広まっており、龍虎の小学校では2010年から男女別名簿が男女混合名簿に切り替えられた。それで龍虎は小学3年生以降、男女混合名簿になっている。つまり、出席番号を見ただけでは性別は分からない。
 

2012年4月、田代(長野)龍虎は小学5年生になった。
 
今年龍虎たちのクラスの担任になったのは“今年転任してきた”増田先生という30代の女先生だった。先生は体育が専門なので、通常の科目に加えて体育も教えていた。それで先生は龍虎がダンスに非凡な才能を持っていることに気付く。
 
「田代さん、凄く手や腕の動きがいい。ダンス教室か何かに行ってるの?」
と先生が訊くと、1年生の時以来の親友である彩佳が
 
「龍ちゃんはバレエ習っているんですよ。年末の公演では『眠りの森の美女』の《青い鳥とフロリナ王女》(*1)を踊りましたから」
と言う。
 
「あら、フロリナ王女を踊ったんだ!」
と増田先生は言うが、むろん龍虎が踊ったのは青い鳥(=チャーミング王子)のほうである。彩佳はわざと誤解されるように言っている。
 
龍虎がどう訂正しようかと思い「えーっと・・・」と言っている内に先生は言った。
 
「だったら、田代さん、運動会のダンスの前面で踊ってくれない?」
「はい?」
 
この時クラスメイトたちは素早く視線の交換をしていたが、やがて全員《龍ならいいよね》という雰囲気になった。
 
(*1)「眠りの森の美女」(1890)第3幕の祝賀会の場面で出てくる「青い鳥」はメーテルリンクのチルチルとミチルの物語(1908)ではなく、オルノワ夫人の童話集(1697)に見る、チャーミング王子とフロリナ姫の物語(フランス語ではシャルマン王子とフロリーヌ姫)である。継母により青い鳥に変えられた王子とそれを助けようとする姫の愛の物語。メーテルリンクの作品の方が、眠りの森の美女より後の時代に作られている。
 

そういう訳で運動会に向けて5年1組の“16”人による『Everydayカチューシャ』のダンス練習が始まったのである。最前列に並ぶ4人は、バレエを習っている龍虎と空手を習っていて身体の動きが良い桐絵がまず確定で、あと2人は練習の状況を見て決めることになった。決まるまでは日替わりで色々な子がその場所で踊ってみる。先頭で踊る人は誰も見ずに踊らなければならないので、振り付けを完璧に覚えておく必要がある。実際には数日の内に、真智と弘恵がうまいので最前列固定となった。
 
ちなみにこの小学校の5年生は男子58人・女子44人の合計102人で、3クラス作られており、各クラスは男子19-20人・女子14-15人である。龍虎の所属する5年1組は男子19人・女子“15人”で4人差なので、行進とかフォークダンスとかで、男女組になるような場合は、男子から2人女子の列に借り出されるが、男子の中からだいたい背の低い2人、龍虎(125cm)と立石君(138cm)が回るのが常になっていた。龍虎は男女通して身長がいちばん低い。立石君は女子の平均付近より少し下である。
 
さてクラスの中の“16人”でダンスの練習をさせていた増田先生は、最初、龍虎は背が低いので、背の高い桐絵(149cm)と真智(152cm)を中央に置き、125cmの龍虎と132cmの弘恵を両端にしようと思った。
 
しかし数人の女子が言った。
「龍ちゃんが真ん中のほうがいいと思います」
「うん。龍ちゃん、手足がピシッと伸びているから、身長は低くても凄く目立つ」
 
先生も
「確かにそうかも」
と言い、結局左端から、弘恵132-龍虎125-真智152cm-桐絵149cmと並べてみた。
 
すると確かに静止している時は龍虎は弘恵より低いのが分かるが、踊り出すと、龍虎の方が高い所まで手が上がっているし、27cmもの身長差のある真智と並んでも全く背の低さを感じさせない動きであった。
 
「龍ちゃんすごーい。あんた、きっとダンサーか歌手になれるよ」
と先生は言った。
 
「龍ちゃんは歌もうまいから、きっとアイドル歌手になれますよ」
「そうそう。可愛いミニスカートとか穿いて、踊りながら歌ったりして人気になると思うよ」
 
と女子たちからは声が出ていた。
 

5月6日(日)、福岡市の体育館で開かれた第1回玄海カップというオープン・バスケット大会は出場組が男子は40チーム、女子は22チームという規模であった。男子は博多区の市民体育館をメイン会場に、女子は早良区百道(ももち)の体育館をメイン会場に行われる。スケジュールはこのようになっている。
 
_9:00 リーグ戦第1試合
10:00 リーグ戦第2試合
11:00 リーグ戦第3試合
(12:00-13:00休憩)
13:00 準々決勝
14:20 準決勝
(15:40-16:10休憩)
16:10 決勝・3位決定戦
17:40 表彰式(18:00終了)
 
午後からは交流戦も行われるので、どんなに弱いチームでも午前中の3試合+交流戦1試合はできるようになっている。4位以上になれば1日6試合である。なかなかハードだ。2日以上の日程にすると宿泊費が掛かるので、参加者の負担が大きくなって厳しくなるとして1日でやってしまうスケジュールにしたらしい。(しかし体力的に辛かったという意見が多く、来年からは2日間の開催を検討することになった)
 
なお、リーグ戦・交流戦は6分クォーター、準々決勝と準決勝は8分クォーター、決勝と3位決定戦は10分クォーターとなっている。
 
女子は4チームずつ6組、男子は5チームずつ8組に分かれて午前中にリーグ戦をおこなう。女子のE組・F組は3チームずつしかないので第3試合はE組対F組の試合が入る。それで各組の最優秀チーム6つと、ワイルドカード2チームが決勝トーナメントに進出する。男子は5チームのリーグ戦だが、3試合しか行わないので、同じ組なのに対戦しないチームも出る。どっちにしろ3試合の成績で優劣を決めて男子の場合は各組の最優秀チームのみが決勝トーナメント進出である。
 

女子の参加チームだが、福岡県内のチームが14チームの他、唐津、長崎、熊本、宮崎、鹿児島、大分、広島のチーム、それに千葉から参加のローキューツという面々である。その長崎から来たというのが、全日本クラブ選手権の準決勝でも当たったカステラズなので、お互いびっくりする。代表者会議の席でカステラズのマネージャー出口さんと司紗は
 
「おたく、こんな大会に参加するの〜?」
とお互いに言ったが
 
「1.5軍ですよ〜」
「あ、同じくだ」
ということで納得する。
 
「でもわざわざ千葉から交通費掛けて?」
「いや、半分は九州旅行です」
「なるほどー!」
 
大会主催者は事前に提出してもらった「各チームの実績」を見て、カステラズとローキューツを、各グループで1位になった場合、準決勝でぶつかるように振り分けていた。できたら県外チーム同士の決勝戦は避けたいという所かなと司紗は思った。
 

1日4〜6試合というのは、ホントにハードなので一応全員ベンチに入るものの、取り敢えず午前中の試合には、揚羽・ソフィア・桃子の3人は負けそうにならない限りは出ずに戦力温存することにする。
 
ローキューツはD組に割り当てられたが、他の3チームは、中学生チーム、高校生チーム、ママさんチームの3つである。高校生チームはある程度強そうなので、こういうスターターで行った。★がコート上のキャプテンである。
 
1.中 司紗・玉緒・茜・瀬奈・聡美★・(岬・雪枝)
2.高 蘭・葉子・真知・雪枝・元代★・(瀬奈・司紗)
3.マ 玉緒・茜・蘭・聡美★・岬・(葉子・真知)
 
できるだけ出場機会を均等にし、結果的に疲労が蓄積しないようにしている。
 
さすがに高校生チーム(Q高校)にはこの戦力では苦戦したものの、とりあえず3勝。D組1位で決勝トーナメントに進出した。(Q高校もワイルドカードで決勝トーナメントに進出した)
 

お昼(博多ラーメンを食べた)を取ってから、午後からは準々決勝・準決勝と進むことになる。
 
準々決勝で当たったのは、雅美が率いるママさんバスケットチーム“いとのくに”である。古代この付近にあった伊都国にちなんだ命名だ。
 
こちらは、司紗/ソフィア/蘭/元代/揚羽
 
という、雅美の家にお世話になった4人を入れたオーダーで出て行く。
 
でもちょっと強すぎた感じだった!
 
第2ピリオド以降は午前中に活躍したメンバーなども入れつつ、あまり極端に点差が開かない程度にゲームを進め、最終的には20点差の勝利にした。結果的に桃子を温存できたが、これが最後に効いてくる。
 
「胸を借りた感じだった」
と雅美。
「私、あまり胸には自信無いけど」
と司紗。
 
それで全員ハグしたりして試合を終えた。
 

準決勝はやはりカステラズとになった。準々決勝を高校生チームに20点差で勝ってあがってきたが、むろん本気では無いだろう。
 
そういう訳でこの試合はお互い本気と本気がぶつかるゲームとなった。先発も
 
岬/ソフィア/葉子/揚羽/桃子
 
と公式戦でもあり得るオーダーで行く。
 
むろんこちらも向こうも本来の中核メンバーは入っておらず、朝司紗と向こうの出口さんが言ったように「1.5軍レベル」同士なのだが、だいたい似たようなレベル同士になったので、激しい戦いになる。
 
唐突に始まったハイレベルな試合に、集まっている出場者や一部応援の人たちからどよめきが起きていた。
 
試合は追いつ追われつの好ゲームとなり、最終的には87-85の場面からソフィアがスリーを決めてローキューツの逆転勝ちとなった。
 
全力を尽くした戦いの後、お互いハグしあったりして健闘を称えた。
 

決勝戦は、福岡W大付属高校。インターハイ常連校のひとつだが、この会場から3km程度しか離れていない、バリバリの地元校である。今回ベンチ枠に入りきれなかった部員が大会運営のスタッフとしても頑張っていた。
 
フルオーダーで出てきていたらこちらの1.5軍では厳しかったろうが、向こうもやはり1.5軍という感じである。全国大会のベンチには微妙な子たちだが、それ故にこういう大会で実力をアピールできたら、公式戦のベンチも近づくので、向こうはかなり必死である。今度はこのようなオーダーで始めた。
 
雪枝/ソフィア/真知/揚羽/桃子
 
これもかなりのハイレベルな試合となった。
 
しかし向こうには178cmの桃子に対抗できるようなセンターが居ない。そういう選手は最初から公式戦のベンチ確定でここには出てきてないのだろう。桃子は誠美がいるからこそ控えセンターだが、本来は充分な実力者である。
 
基本的に戦闘能力ではそんなに差は無い感じ(向こうがやや上)だったが、リバウンドを桃子が拾いまくり、最終的にはその差が出た。
 
前半は均衡して進み、38-36とこちらが2点ビハインドだったが、後半になると1日6戦というハードな日程で向こうに疲れが見え始め、1〜4戦に出ていない桃子は元気なので、少しずつ点差が開き始める。第3ピリオドを20-23として逆転。最終ピリオドは22-27と5点差を付けて、80-86と、6点差で勝利した。
 
カステラズとの準決勝に続く緊迫したゲームで、会場全体から大きな歓声や拍手が起きていた。W大付属の監督からは「また機会があったらぜひやりましょう」と言われ、主催者からも「いいゲームを見せて頂きました。来年もよろしかったら来て下さい。これなら、他にも強いチームを呼べる」などと言われた。
 
“強すぎない”チームだったから、良かったかなとマネージャーの司紗は思った。司紗自身も第1〜第4試合で全力投球。決勝戦でも主力を休ませるのに少しコートインして、充分満足だった。
 

表彰式で、賞状と楯、賞品の辛子明太子・地元銘菓セットをもらい、キャプテンの桃子が手を振ると、会場から声援までもらった。2位福岡W大付属、3位のカステラズも賞状をもらったが、2〜4位のチームにも辛子明太子と銘菓セットの賞品が出ていた。スポンサー間にランクを付けないように配慮してるのかなと思った。銘菓セットの中身は、通りもん・ひよこ・筑紫餅・花千鳥と、福岡のお土産として人気のお菓子である。
 
表彰式が終わると、すぐに地下鉄で博多駅に移動し、18:55の新幹線に乗り込んだが、博多駅で30分くらいの余裕があった感じである。夕食に関してはあらかじめ地元の仕出し業者にお弁当32人分(今回の遠征参加者は16人である)とお茶を2Lのペットボトルで24本(お茶だけで48kg!!)、ビール350cc缶2箱(48本で18kg *1)頼んでおいて博多駅で受け取ったのだが、足りない!という声があり、結局賞品でもらった銘菓セットも食べ尽くしていた!
 

(*1)350cc缶の中身は95%の水と5%のアルコールと考えた場合、各々の重さは
351 x 0.95 = 333.45g
351 x 0.05 x 0.8 = 14.04g
合計で347.5gと考えられる(*2)。0.8はエタノールの比重である。
 
350cc缶の空きアルミ缶の重さを多数量ってみたら全て16gであったので、中身と合わせて363-4gになることが予想された。
 
念のため、ヱビスビール350cc缶を実際に買ってきてみてクッキング秤で量ってみると365gであった。この差は或いはビールに溶けている他の成分(ホップ)の重さかも知れない。
 
ビールの入っている段ボール箱のサイズはあちこちのカタログを見ると41x23x13くらいである。手近にそれに近い40x31x11の段ボール箱があったので、これの重さを量ってみると360gであった。それでビールの箱の重さも約360gと考えると、結局ビール1箱の重さは、365 x 24 + 360 = 9120g となる。
 
(*2)アルコール50ccと水50ccを混ぜ合わせると100ccではなく、96-97cc程度にしかならないのを高校の理科の実験でやった記憶がある人もあるだろう。どのくらい減るのかはアルコールと水の比率により決まり、そのグラフが例えば下記に掲載されている。
 
https://en.wikipedia.org/wiki/Alcohol_by_volume
 
さて、今350x0.95=332.5 350x0.05x0.8=14 として、332.5gの水と14gのアルコールを混ぜる場合を考える。水H2Oの分子量は1x2+16=18, アルコールC2H6Oの分子量は 12 x 2 + 1 x 6 + 16 = 46 であるので
 
332.5g / 18 = 18.47 mol
14g / 46 = 0.3043 mol
 
となり、アルコールのモル比率は 0.3043 / (18.47 + 0.3043) = 0.01621 となる。その場合、グラフでみると縮小率は 0.05 ml/mol 程度でありこの場合縮小は0.9ml程度と考えられる。ということは混ぜて350ccにするには水は1cc程度、余分になければならないことになる。ここから上記の計算では350ではなく351を母数にしてみた。
 

後に“アクア”としてデビューすることになる龍虎は2001年8月20日14:21に町田市の病院で高岡猛獅・夕香夫妻の子供として生まれたが、産まれてすぐに厚木に住む志水英世・照絵夫妻に預けられた。
 
志水英世は龍虎の父・高岡猛獅の高校時代の2年先輩で、1999年3月に音楽系の大学を出た後、スタジオミュージシャンをしており、しばしば高岡たちのバンド《ワンティス》のサポートミュージシャンもしていた。担当楽器はギターである。
 
照絵は英世より更に2つ上であり、高岡たちより4つ上になる。1990年代前半にはアイドルグループのメンバーとして活動していたが、グループ解散以降はカラオケ屋さんでバイトしながら、アマチュアのガールズバンドをしていた。担当楽器はキーボードまたはドラムスである。1996年頃カラオケ屋さんに来た英世と知り合い、数ヶ月後には同棲状態となる。ふたりは英世が大学を卒業した1999年3月に結婚した。
 
志水夫妻がどういう理由で龍虎を預かることになったのかは分からない。照絵の記憶によれば、2001年8月上旬に照絵が流産し、その後体調もあまり良くなく精神的にも沈んでいた時(多分2001年の10月頃)に突然、夫が高岡夫妻と龍虎を連れてきて、夫からこの子を俺たちが育てることになったからと言われたらしい。
 
照絵は龍虎の誕生日が自分が流産して間もない時期であったこともあり、流産で失った自分の子供の生まれ変わりのような気がして深い愛情をもって龍虎を育てたし、龍虎を育てることで、精神的にも回復していった。
 
ちなみに照絵は龍虎がとても可愛いし「りゅうこ」と名前を音だけで聞いていたので、最初てっきり女の子と思っており、可愛い服を着せてあげようと女児服をたくさん買ってきた。そしておしめを替えようとした時、初めてお股を見て、ギョッとしたらしい。
 
なお、高岡夫妻からは毎月結構な額の養育費をもらっていたので、当時の志水家はかなりゆとりのある生活であった。また高岡夫妻は仕事が立て込んでいない限り、週に1度は龍虎を見に来て、5人で団欒の時を過ごしていた。当時照絵はその内、龍虎は向こうに返さなければいけないのではないか?それは嫌だなと思っていたという。
 

高岡猛獅・夕香夫妻は2003年12月27日AM5時頃、中央自動車道で事故死した。
 
龍虎が2歳4ヶ月の時である。龍虎は両親に関する記憶がほとんど無い。ただ母・夕香が青い振袖を着ていたのを「きれいだなあ」と思って見ていた記憶が微かに残っているだけである。
 
(この振袖は後に母の形見として祖母から龍虎にプレゼントされた)
 
志水夫妻は実は高岡猛獅・夕香の葬儀に、龍虎をふたりの遺児だとして連れて行ったのだが、ワンティスの事務所社長に叩き出され、ふざけたことを言うならヤクザに3人とも始末させるぞと恫喝されたらしい。
 
それで志水夫妻は龍虎を自分たちだけで育てる決心をする。
 
当時の龍虎も自分の両親が亡くなったということ自体は認識していた。その両親を失った龍虎に、志水夫妻は「私たちのことをお父さん・お母さんと呼んでね」と言った。龍虎は記憶が無いが、両親が亡くなるまで龍虎は高岡夫妻のことを「お父さん・お母さん」、志水夫妻のことは「おじさん・おばさん」と呼んでいたらしい。
 
(龍虎は大きくなってからも志水照絵を「お母さん」と呼ぶ)
 
それで龍虎が寂しそうにしていたら「ピアノでも習いに行く?」と言われ、幼児ピアノ教室に通うことになるが、音楽に非凡な才能があることが分かる。両親の遺伝もあるのだろうが、そもそも志水夫妻が元々ミュージシャンなので、家にはいつも音楽があふれていて照絵はいつも歌を歌っていたし、家の中に様々な楽器が転がっていて、龍虎は物心付く前からキーボードやギター、フルートなど色々な楽器を弾いて遊んでおり、その影響も大きいようである。
 
龍虎は幼稚園の時にまるで貧血でも起こしたかのようにして気を失い、結局入院することになるが、原因は分からなかった。最初は貧血だろうと思われ、志水夫妻は随分医者から栄養面のことを注意された。
 
しかし栄養に気をつけていても、龍虎はしばしば気を失った。それでこれは貧血ではないのではと考え、あちこちの医者に診せるが、多くの医者が首をひねり、鉄分を補給したり、あるいは栄養を補給する薬などをもらうものの、症状は全く変わらない。診断名もはっきりしなかった。そうこうしている内に英世が深夜の帰宅中に崖から転落して死亡する。収入が断たれ、やがて貯金も尽き掛け、龍虎の治療費(龍虎は健康保険に加入できないので全額負担であった)も負担できなくなった照絵は、一番話ができそうだと思った長野支香に泣きつき、それで初めて支香は龍虎の存在を知った。
 
龍虎に姉・夕香の面影があったので、支香は見てすぐにこれは姉の“娘”だと確信したらしい。娘だと思っているので、龍虎が男子トイレに入って行こうとするのを「女の子が男トイレに入ってはいけない」と注意し、それで龍虎が「ぼく男の子ですぅ」と言うので、びっくりしたらしい。
 

さて、この時、志水照枝が
「この子は健康保険も無いので医療費がそもそも高いんです」
と言ったので支香は
 
「親がいなければ国民健康保険に入れるのでは?未成年なら結果的に医療費は全額国が負担してくれたはず。里親には里子の医療費を負担する義務は無いんですよ」
と言う。
 
「それがこの子は戸籍とかが無いので、国民健康保険への加入を断られたんです」
と照絵は説明した。
 
「戸籍が無い!?」
 
それで支香は上島雷太に相談した。上島は支香・照絵と話し合った上で、その方面に詳しそうな弁護士にこの問題の処理について相談した。
 
この弁護士さんは民法772条(離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子とみなす)問題で出生届を出せなかった子供や、夫のDVから逃れて住民票が移動できず行政サービスを受けられずに困っている子供の処理、また外国人女性が子供を産んだまま帰国してしまったりして無国籍になっている子供に日本国籍を取らせるなどの処理をした経験はあったのだが、龍虎のようなケースは初めての経験だった。
 
しかし弁護士さんは龍虎の出生に関して残されていたわずかな手がかりから、龍虎が確かに長野夕香の子供であるという証拠を揃えてくれた。
 

志水照絵は、龍虎の生年月日を2001年8月20日だと認識していたし、高岡からの養育費振込みに使用されていた龍虎名義の口座の暗証番号が2525だったのだが、これは龍虎の出生時の体重であると夫・英世が話していたと語った。更に龍虎が幼い頃に作られたホロスコープが残っていて、そこには出生情報が2001.08.20 14:21 町田市と印刷されていた。
 
そこで弁護士さんは町田市内の産婦人科を訪ね歩いて、2001年8月20日14:21に体重2525gで男の赤ちゃんが生まれていないか聞いて回った。その結果弁護士さんはついに生まれた病院を探し当てたのである。
 
そしてその時出産した母親が母子手帳を持っていなかったこと、名前もどうしても名乗らなかったことをお医者さんは語った。夕香の写真を見た医者は確かにこの女性だったと言い、お医者さんも、その子を取り上げた助産師さんも、裁判で証言してもいいと言ってくれた。
 
この医師・助産師の証言と、病院の記録、それが龍虎側に残っていた生年月日のヒントと一致したこと、また龍虎と叔母の支香や祖母の松枝のDNA比較結果から、裁判官は龍虎を夕香の産んだ子供と認定してくれたのである。
 
DNA鑑定は、夕香が死亡していて検体が取れないのだが、松枝・支香・龍虎のミトコンドリアDNAが一致したことから支香も龍虎も松枝の女系子孫である可能性が高いと鑑定された。それ以外にも様々な遺伝子上の類似が見られた。
 
この時、上島と弁護士は、高岡猛獅の父にもDNA鑑定への協力を要請したのだが、祖父は猛獅の死後6年も経って唐突に「子供がいた」という話を聞かされて、疑心暗鬼になり、協力を拒否した。それで上島・支香・照絵の3人は、今は争わないことにしようと言い、龍虎の父親欄は空白にすることになった。
 
なお、後に猛獅の従弟(猛獅の父の弟の息子)が鑑定に協力してくれて、彼のY染色体と龍虎のY染色体のSTR検査が一致し、龍虎は少なくとも猛獅の祖父の男系子孫である可能性が高いことが確認されたが、猛獅の父の心情に配慮して裁判などは起こさず、龍虎の戸籍父親欄は空白のままにしている。
 

なお、龍虎を日本の戸籍に記載するに当たっては、既に亡くなっている長野夕香の籍がいったん親の戸籍から分籍され(高岡猛獅と長野夕香は正式に結婚しておらず、ふたりは内縁関係にあった)、龍虎はそこに入籍された形になっている。つまり死亡している夕香が戸籍筆頭者の戸籍に龍虎は入ったままである。20歳になったら分籍して自身が筆頭の単独戸籍にしよう、と上島や支香は言っている。
 
また龍虎の未成年後見人は(叔母である)長野支香になっており、この時期、支香は毎月龍虎の養育費収支と財産目録を自分で作成して裁判所に提出していた。(龍虎のデビュー後はとても素人には手に負えなくなる)
 
また健康保険についても、龍虎は支香の家に「同居する3等親以内の親族」なので、支香の国民健康保険に入れることができた。
 

さて、龍虎の病気の方だが、様々な医者に掛かって様々な薬を処方された中で、一番効果が出たのが小児性白血病の薬であった。龍虎には血液を検査しても白血病の兆候は見られないものの、症状が白血病に似ていると思った医師が処方してみたら効果を発揮したのである。
 
それで龍虎は幼稚園を卒業する頃は一時的に退院し、夕香の住んでいる浦和の家に居て(志水照絵も一時ここに同居していた)、この時期、体調が一時的に良かったことから、幼稚園にも1年半ぶりに登園し、更に誘われて民謡教室にも通い“振袖を着て”大会にも出ている。それで龍虎は幼稚園から卒業証書ももらったのだが、小学校の入学式の前にまた入院してしまう。入学記念写真には、ひとり別途撮影されて右上に丸囲みで顔写真が載っている。
 
上島は知人などにも聞いて、似たような症状の病気が無いか調べていった所、渋川市のお医者さんが書いた論文に記述されていたケースが龍虎の症状に似ていると気付いてくれた医者がいた。そこでその渋川市の医者を訪ねていき龍虎を診せた所、この貧血症状は骨髄に近い所にできた良性腫瘍によるものであると診断された。
 
骨髄自体に腫瘍がある訳ではないので白血病のような症状にはならないものの、骨髄の造血機能が阻害されて貧血になる。しかし腫瘍が原因なので、白血病の薬が結果的に効果を示していたし、またその薬のお陰で病気の進行も抑えられていたことが分かる。
 
ただ龍虎の場合、この腫瘍がMRIなどでも発見しにくいひじょうに難しい部位にあった。それで他の医師は原因が特定できなかったのである。結局龍虎は放射線療法や化学療法なども併用した上で、2008年8月1日に腫瘍の摘出手術を受けるが、その前日に千里たち旭川N高校の女子バスケット部のメンバーと出会い、その後、交流が続いて行くことになる。
 
この手術は実際に身体を開けてみると腫瘍が思っていたよりもかなり大きく、難手術となって、一時は心臓が停止してしまう事態もあったが、看護婦さんが「龍虎ちゃん、おちんちん!」と耳元で言うと心臓は動き出してくれた。それで何とか龍虎は持ち堪え、大手術に耐え抜いたのである。
 
「おちんちん!」というのは昨日会った旭川N高校のバスケ部メンバー佐々木川南が「龍虎、手術頑張らないと、おちんちん切られちゃうぞ」と脅かしていたので「おちんちん切られたら困る」というので、龍虎は頑張ったのである。
 

さて、手術以降、龍虎の病状は日に日に回復に向かうが、支香は困っていた。実は龍虎のお世話ができないのである。
 
龍虎が入院している間は、病院が世話をしてくれるから問題無いのだが、退院した場合、支香は仕事が結構忙しいので、龍虎の面倒を見てあげられない。といって、幼くして親を亡くしたこの子を、家政婦さんのような他人には任せたくなかった。一方で、志水照絵もこの時期、実家のお祖父さんが病気で倒れ、お祖母さんもその世話に手が取られて人手が足りないので、福井の実家に戻ってきて家業を手伝ってくれないかと言われていた。照絵のお父さんは早くに亡くなっており、この時期、実家は照絵の母がひとりで支えていて、実は忙しさとストレスで、母は倒れる寸前の状態になっていたのである。
 
それで一時は、龍虎は照絵と一緒に福井に行き、毎週渋川の病院に通院しようかという案も出るが、それは龍虎の現在の体力では厳しいと考えられた。一時は上島が自分の家に住まわせる案も出ていたが、新婚家庭(上島はこの年の10月に結婚した)に小学生の子供を同居させるのは申し訳無いと支香は言った。
 
そこに登場したのが田代涼太・幸恵の夫妻である。当時、田代涼太が手術のため入院しており(実は子宮筋腫で子宮を摘出する手術を受けている)、幸恵も毎日見舞いに来ていたので、夫妻は隣の病室で入院中の龍虎や付き添いの照絵・支香とも親しくなった。それで支香が龍虎の退院後のことで悩んでいることを漏らすと、田代夫妻は、だったら、うちの子にならないかと言ったのである。
 
田代夫妻は「医学上子供が作れない」(*1)ので、仲良くなった龍虎を自分たちの子供として育てたいと言ったのである。
 
照絵としては龍虎が生まれて間もない頃から7年間一緒に暮らしてきて、今更別の人に彼を託すことには抵抗があった。しかし、今は龍虎の身体のことを考えて割り切らなければならないと決断した。
 
それで龍虎は退院したら、熊谷市に住む田代夫妻の家で暮らすことになったのである。熊谷と渋川の間は電車で1時間20分くらいである。熊谷市に住む田代涼太がわざわざ渋川の病院で手術を受けたのは、男性が子宮摘出をするという特殊なケースなので、知り合いとあまり会わない場所で治療したかったこと、またこの病院に小学生時代の友人が勤めていたこともあった。
 

(*1)田代夫妻はいわゆる性別逆転夫婦である。
 
涼太は生まれた時は女性だったが高校時代から男性ホルモンを飲んで女性としての機能は停止。声変わりもした。高校卒業後、性転換手術を受けて男性になる。この時、卵巣摘出と乳房の切除をし、上腕部の皮膚から陰茎を形成。陰嚢も作っているが、膣口は“メンテ上の問題で”閉じていない。つまり実は《両性体》の状態である。子宮は手術の負荷の関係で残しておいたのだが、2008年に子宮筋腫を起こして摘出することになる。大学時代は男子サッカー部に入れてもらい、FWとして活躍。全国大会にも出場している(元々サッカーには女子の参加を禁止する規定がない:但し女子の部には男子は出場できない)。
 
一方、幸恵は生まれた時は男の子だったが小学5年生の時、声変わりを防ぐために自分で睾丸を切り落とした。合唱団に居たのでカストラートのことを知っており、現代ではカストラートが禁止されているので自分で切るしかないと決断したのである。さすがに病院に運び込まれることになるが切断した睾丸はトイレに流してしまっていたので再度身体にくっつけられたりせずに済んだ。その後本人の希望を親が受け入れて女性ホルモンを飲み女性的な身体を獲得。高校卒業後、タイまで親に付き添ってもらって性転換手術を受け、完全な女性になった。幸恵は元々歌がうまいし、小学生の頃から、女性的なスタイルになれるよう努力していたので、大学在学中は一時期歌手(むろん女性歌手)として活動していたこともある。
 
ふたりとも性転換手術直後に改名している(当時は性別の変更ができなかった)。
 
ふたりは1999年頃に知り合い、各々の出生性別のまま結婚したので、夫の涼太は戸籍上は妻、妻の幸恵は戸籍上は夫である。なお戸籍筆頭者は涼太である。ふたりの結婚式の時、涼太はタキシード、幸恵はウェディング・ドレスを着た。ふたりは各々理解のある学校に涼太は男性教師として、幸恵は女性教師として採用された。
 

そういう訳で、龍虎は幼稚園の時に最初に入院した時のネームプレートは「志水龍虎」だったのが、長野支香たちが介入して戸籍が作られてからは「長野龍虎」になり、小学1年の12月に退院する時は「田代龍虎」になっていた。但し戸籍上は長野龍虎のままであり、龍虎は田代夫妻の養子になる訳ではないので「田代龍虎」は通称である。しかし龍虎はこの通称で高校まで通すことになる。
 
なお、卒業証書は全て戸籍通り「長野龍虎」名義である。
 
2001 0歳 4月ワンティスデビュー 8月龍虎誕生 10月志水の許へ
2002 1歳
2003 2歳 12月高岡と夕香が事故死
2004 3歳 ピアノを習い始める
2005 4歳
2006 年中 原因不明の病気で倒れる
2007 年長 志水英世事故死。長野支香の知る所となる。上島の尽力で戸籍作成
2008 1年 浦和→4月再入院→8月手術→12月退院
 

龍虎の病院代と養育費については、上島雷太が支香を通して支援してくれたものの、実際には田代夫妻は自分たちの給料だけで龍虎を育て、病院代(の保険外診療分)だけはありがたく支援されたお金を使わせてもらった。養育費相当分はずっと龍虎名義で貯金していた。
 
志水照絵は龍虎が田代夫妻のもとで暮らし始めてから最初の半年は我慢していたものの、田代幸恵から「可能でしたら時々顔を見せてくださいね。交通費は上島さんから頂いているお金から出しますし」と言ってきたので、その後は月に2回主として週末に福井から出てきて龍虎・田代夫妻と一緒に過ごすようにした。
 
なお龍虎は退院した後、ピアノのレッスンを再開したが、ヴァイオリンとバレエも習いたいと言ったので、彼の体調を見ながら教室に通わせた。ヴァイオリンの購入費やバレエの衣装代は上島からもらった養育費を使用させてもらった。
 

結局龍虎は小学1年生の時はほとんど学校に行っていない。入学式も病院に入院していて欠席したし、この一応入学した浦和の小学校には全く出席しないまま12月まで過ごした。しかし幼稚園以来の友人たちはよく渋川の病院まで見舞いに来てくれた。
 
退院後は翌2009年1月に熊谷市の小学校に転入し、そこで初めて小学1年生としての生活が始まった。但し病み上がりでもあり、元々身体が弱かったので、龍虎は毎月4−5日は休んでいた。小学1−2年の龍虎を担任してくれたのは有森先生という40代の女先生で、とても優しい先生だった。有森先生は休みがちな龍虎の勉強が遅れないように、彼が休んだ日には手製のプリントを友だちに届けさせ、漢字や算数の勉強をしっかりさせた。
 
3年の担任は君原先生という大学を出たばかりの若い男の先生であった。君原先生は龍虎が1学期の間、随分欠席したし、体育の時間をほとんど見学にしたので「少しは身体を鍛えた方が君の病気にもいい」と言い、2学期になってから昼休みに校舎の周りを走ることを勧めた。そして毎日一緒に走ってくれた。走るペースは体力の無い龍虎にも辛くないよう、歩いているのと変わらないようなゆっくりしたものではあったが、龍虎自身、このお陰で自分の体力に自信を持つことができるようになる。これ以降あまり休まなくなったし、4年生5月の運動会では徒競走で(6人で走って)2位になり賞状をもらっている。
 
4年の担任は中山先生といい逆に定年間近の男の先生だった。中山先生は龍虎が朗読に非凡な才能を持つことに気付き、彼を国語の時間の《朗読係》に指名すると共に発声練習をさせた。龍虎は育ててくれた人の発音環境から「ひ」と「し」の区別はしっかりしていたものの、鼻濁音を知らなかった。また単語のアクセントが適当であった。それで先生は龍虎に標準アクセントをしっかり教えるとともに、普通の濁音(「が」など)と鼻濁音(「か゜」など)の聴き分けと発声・使用法を教えてくれた。
 
中山先生は龍虎が国語の教科書に載っている小説などを読む時、男のセリフは「男のような話し方」で読み、女のセリフは「女のような話し方」で読むことに気付き「男女どちらもできるようになると将来俳優とかになれるかも」と言って、女性の先生に協力を求めて、男の話し方・女の話し方それぞれを進化させてくれた。もっとも実際には龍虎のクラスメイトたちが「男の話し方」・「女の話し方」の身近な手本になっていた。でも訓練されたお陰で、龍虎はまるで1970年代生れのお嬢様たちのような、古風な女言葉も操ることができる(彩佳たちには「気持ち悪い」と言われる)。
 

2012年5月6日の午後、瞬嶽は青葉が瞬醒と一緒に山を下りて行くのを見送った。
 
青葉と会うのはこれが最後だろうなと瞬嶽は思った。さて午後からだけでも回峰するかなと思いながら阿弥陀経を唱えていたら、はぁはぁ息をしながらやってきた者が居る。
 
「千鶴ちゃん!?」
と思わず瞬嶽は彼女(?)を昔の名前で呼んでしまった。
 
「新しい受精卵の材料を確保してきた。もう一度やり直そう」
などと彼女(?)は言っている。
 
「あはは、失敗したのか」
 
「確かに男の子のはずだったのに、生まれたのは女の子だったんだよ。それとも光ちゃん、女の子に性転換する?あの子を男の霊能者として目覚めさせることは可能だと思う。事実上FTMになっちゃうけど。どちらでも行けるようにあの子の性別の届け出を留保してもらっている」
 
「今更性別なんてどうでもいいけどな。だからその子は普通に女の子として育ててあげなよ」
 
瞬嶽は思っていた。普段は弟子たちの前で威厳のある話し方をしているが、早紀の前ではどうしてもくだけた言葉になってしまうなと。かれこれ126年ほどの付き合いだ。
 
「そうしようかな。こっちの都合であまり翻弄するのも申し訳無いし」
 
「しかし、さっちゃんにしては随分と息が乱れているな」
 
「高野町から2時間で駆け上がってきたから。しかも表の道を使うと瞬醒たちと遭遇しそうだったから、弁天の道に回って回峰路を逆行してきた」
 
高野町から★★院までが2時間くらい、★★院からこの庵まで4時間掛かるのが《青葉や菊枝、瞬醒などの速度》である。但し青葉や菊枝は★★院に寄らずに短絡ルートを歩くことが多い。それだと高野町から5時間くらいで済む。その道を早紀は2時間で来たということらしい。《弁天》というのは回峰路の途中にあるポイントである。実は女性器に似た岩があるので、瞬嶽・瞬嶺や早紀は《弁天》と呼んでいる。そこにも登山路があることは多分瞬嶽と早紀しか知らない。その弁天からここまでは瞬嶽の足でも“歩いて”20分掛かる。
 
「弁天の道、通れた?崖崩れとかしてなかった?」
「40年ぶりに通ったけど、通れたよ。夏になると雑草とかで通りにくくなるかも。でもこの格好では苦労した〜!」
 
と言っている久保早紀は高校の夏服女子制服である。靴はローファーである。
 
この弁天の道の途中には、ほぼ垂直の崖を30mほど登らなければならいな所や幅10-20cm,長さ100mほどの“蟻の門渡り”まであるのである。ドラえもんの中に書かれていたように、人は畳の縁のように、左右が同じ高さの平面であれば細くマークされた通路をまっすぐ歩くことができるのに、塀の上のように左右に大きな段差があったり、ましてや崖であったら「落ちないか?」という不安を持ち、その不安が身体のバランスを崩して実際に転落してしまう。
 
深山に時々ある「蟻の門渡り」「剣の刃渡り」は、自分の精神力との戦いである。一瞬でも自分に不安を持ったら高さ300mの崖を転落する。物凄い精神集中が必要な難所だ。よくスカートにローファーでそんな道通るよ!と瞬嶽は思った。蟻の門渡りは、瞬嶽はもう今の“精神力”と“三半規管”では通る自信が無い。
 

「夏服で寒くない?」
「平気平気。汗掻いたし」
「ああ。ここにはあいにくシャワーとか無いしな」
「大丈夫だよ。すぐ帰るし。それより魂のコピーを」
 
「今度は容器に入れてきたの?」
 
早紀はジュラルミン製の箱を持っている。冷蔵できる容器だが、バッテリーの関係でどうしても時間に限度があるので、早紀は走って登ってきたのである。4時間以内には電気のある所に持って行く必要がある。
 
「前回は他人の子宮にあったものを取り出したから自分の子宮に放り込んだんだけど、今回は体外受精する。そして受精させたらすぐに魂のコピー作業をする。あれは実は妊娠6週、つまり受精4週以内にやればいいんだよ」
 
「受精前なんだ!? 誰の卵子と精子?」
 
「卵子はボクの。他の人の卵子をゲットするには色々工作しないといけないし。桃香ちゃんはレスビアンだからうまく行ったけど、ふつうの女子の卵子をゲットするのは難しい。精子は千里ちゃんのをもらってきた。これも時間無いから千里ちゃんの睾丸を持っている人物を誘惑してセックスしてゲットした。避妊具を被せてセックスして、避妊具内に溜まった精液をアンプルに吸い上げた」
 
「さっちゃんって割と誰とでも寝る?」
「そんなことないよー。実質千里ちゃんとセックスしたようなものだし」
 
「まあいいや。つまりその卵子と精子を受精させて育てたら、さっちゃんと千里ちゃんの子供になるのか?」
 
「うん。だから受精させてすぐコピー作業をしようかと思って」
 

瞬嶽はしばらく考えていた。
 
「それ逆に千里ちゃんの卵子と誰かの精子なら男の子になるかも」
「え〜〜〜!?」
 
「千里ちゃんの精子は、全てがX精子ではないかという気がする」
「うっそー!?」
 
と言ってから早紀は言う。
 
「実はこないだの受精卵は確かに男の子だと思ったんだよ。Y染色体を見た気がしたんだよね。だから光ちゃんの魂をコピーするのに使えると思ったのに。念のため生まれた子供の遺伝子検査もしてもらったんだけど、染色体はXXだと言われた。ボクが持ち込んだ資料との親子鑑定もしてもらったけど、間違い無くその2人、つまり千里ちゃんを父親とし、桃香ちゃんを母親とする子供だということが分かった」
と早紀。
 
「妊娠初期ではXYだったのかも知れないけど、途中でXXになったのかもね」
と瞬嶽。
 
「そんな馬鹿なぁ。YがXに変わるもの?」
「遺伝子の性転換かな」
「だってY染色体ってサイズはでかいけど、情報量は極めて少ないよ」
 
「あるいはXXYだったのがYが排除されるか封印されてXXになったとか」
「そんなの聞いたことない」
 
「あの子は色々と変則的なんだよ。神様を産み育てるために色々な仕掛けがされている」
「うーん。。。。」
 
「僕は長年の修行の成果、100年を越える寿命を得ている。さっちゃんは転生を重ねることで500年くらい生きてきた。でも千里ちゃんは多分素で1000年生きる」
「さすがのボクも500年は生きてないよ。でも、あの子、人間なんだっけ?」
「さっちゃんよりは、よほど人間に近い気がするよ」
 
えっと・・・と早紀は悩む。
 
「じゃ何とか、千里ちゃんの卵子を取ってくる」
「千里ちゃんの体内には卵巣が多分3セットあるから、千里ちゃん自身の卵巣を間違えないようにね」
「え〜〜〜〜!?」
 
「あと精子はどうするの?」
「光ちゃんの精子は使えないんだっけ?」
「僕の睾丸はもう100年も前に機能停止してるよ。さっちゃんの睾丸は?」
「ボクの睾丸は小学生の内に取っちゃったんだよね〜。男性ホルモンを体内に放出してほしくなかったから。自分で手術した。まあいいや。精子は適当な人のを獲得するよ。また来るね」
 
と言って早紀は1時間ほど前に青葉が降りていった道を駆け降りていった。
 
「全く元気な奴だ」
と瞬嶽は呆れるように言った。
 
 
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【娘たちの収縮】(3)