【浦嶋子】(1)
(C)2017-09-29
雄略天皇22年(AD500頃)7月のことでした。
丹後国与謝郡日置郷筒川村に水江浦嶋子(みずのえのうらのしまこ*1)という24歳の男性が居ました。
(この人の名前の読み方は「水江の浦の嶋子」説と「水江の浦嶋の子」説があるが、この物語では前者を採る)
彼は物凄い美男子で、また和歌や絵なども上手だったので、しばしば郡司や国司などの家に呼ばれて、祭礼などに参列することもありました。
その日、嶋子は船を出して遙か沖合の海上で漁をしていたのですが、3日経っても何も獲物がありませんでした。ところがやがて、美しい五色の亀が獲れました。
こんな亀は見たこと無い。不思議なものだと思って亀を船の中に置いたのですが、なぜかそこで嶋子は眠くなってしまいました。
そして目が覚めると、そこに美しい女性が立っていました。
(浜辺でいじめられていた亀を助けた太郎が龍宮に招待される話は明治時代の巌谷版で作られた話。元々は亀=姫で、姫の方から嶋子に言い寄っている。風土記版では亀の姿で寄ってくるが、御伽草子版では姫がひとりで船に乗ってやってくる。いい男がいたら言い寄るのは普通のこと。この物語はしばしば類話とみなされる鶴女房のような恩返し物語ではなく、浦嶋子と姫の純愛物語なのである)
「こんな何も無い海の上で突然現れた、あなたはどなたです?」
と嶋子は驚いて訊きます。
「素敵な男の方が、海の上に浮かんでおられるのに気付き、少しお話したいと思って、風とともにやってまいりました」
「それはまたどこから吹いてきた風なのでしょう?」
「天上の仙境です。でも私の身元はあまり追及しないで。あなたと色々お話がしたいだけなのです」
それで嶋子はこの女性は天女の類いであったかと驚いたものの、嶋子も普通の男なので、女性とおしゃべりするのは大好きです。それで話している内にどんどん盛り上がっていきます。
そしてふと話が途切れた時にふたりは見つめ合って、つい口付けしてしまいました。
そしてそれがきっかけでお互いの理性が吹き飛んでしまいます。ふたりは熱く抱き合ってしまいました。
「いいの?」
と嶋子が訊くと、姫は恥ずかしげにコクリと頷きました。
それでふたりはお互いの身を若い情熱に任せてしまいました。嶋子は、この姫は何て素敵な女性だろうと思い、姫もこのお方、やはり素敵な男性だわ、と思います。
ふたりの熱い時間は夜の間中続きました。
嶋子は姫を抱きながら、暗闇の中で目には見えないものの、この姫はあそこに毛が無いんだなと感じていました。まだ生えていないほど幼いとは思えません。そういう体質なのでしょうか?
明け方、さすがに疲れて少し寝て、起きた所で姫は言いました。
「私の心は天地が尽きるまで、そして日月共に極まるまであなたと一緒に居たいのです。この私の思いをあなたは聞いて下さいますでしょうか?ダメならすぐダメと言って。そうしてくれないと、私はもう耐えられなくなってしまう」
(天地が尽きるまでというのは普通は比喩的表現だが、姫の場合はむしろ、文字通り取るべきであった!)
それに対して嶋子も答えます。
「僕も君を愛する気持ちが揺らぐことはないよ」
「だったら、私と一緒に蓬莱島まで来てくれる?」
「うん。行こう」
そこで浦嶋子は、棹を取り、姫の言うままに船を操っていきました。ふたりはしばしば棹を停めては愛の語らいをするので、結構な時間が掛かり、10日あまりを経て、やがて海中に浮かぶ広く大きな島(*2)に辿り着きました。
船を降りてみると、浜辺は宝石を敷き詰めたかのように美しく、銀の塀に金の屋根が乗っています。高い宮門は長い影を落とし、楼殿は鮮やかに輝いていました。
ふたりは手を繋いで歩いて行き、やがて大きな屋敷の門に着きました。姫は
「母を呼んできますから、あなたはちょっと待ってて」
と嶋子に言うと、門の所に彼を置いたまま、中に入っていきます。
しばらく待っている内に、青く裾の長い千早(ちはや)のような服を着た、幼い少女が7人出てきて、結構離れた距離から
「わあ、この人が亀姫様の夫だよ」
「へー。格好いい男だね!」
「私がお嫁さんになりたい」
などと騒ぎ立てます。
嶋子は微笑ましくその子たちを見ていました。
その子たちが去ってから少しすると今度は赤い小袖に裳(も)を着けたさっきの子たちよりは少しお姉さんかなという感じの少女が8人出てきて、さっきの子たちより少し遠い距離から
「ねえ、あの人が亀姫様の夫かな」
「美しい人だね」
「でも本当に男なのかな?女の人が男装してるとか?」
「まさか」
などと言っています。嶋子は苦笑しながら立っていました。
しかしそれで嶋子は姫の名前が「亀姫」であることを知りました。
やがて、かなり豪華な大袖(おおそで)を重ね着し、裾の長い立派な裳(も:スカート)を着けた姫と、やはり豪華な服を着たその母親らしき女性が出てきます。その母親が
「ようこそいらっしゃいました。亀姫の母で乙姫と申します。急ぎ宴の準備なども致しますが、それまで粗末なもので申し訳ありませんが、取り敢えず上にお上がりになって食事などお召し上がり下さい」
と言いました。
「ありがとうございます。水江浦嶋子と申します。よろしくお願いします」
と挨拶してから屋敷に上がりました。
粗末な食事とは言われたものの、国司(くにつかさ)の館に招かれた時に頂いたような立派な食事が並んでいます。ここに姫と母、それに3人の姉も出てきて、嶋子を歓迎してくれました。
「そういえば」
と言って、浦嶋子はさきほどの童女たちのことを話します。
「七人組の幼女たちは、昴星(すばるぼし:プレヤデス星団)、八人組の少女たちは畢星(あめふりぼし:ヒヤデス星団)なんですよ。何かされました?悪気は無い純情な子たちなので、許してあげてね」
と姫は笑顔で言いました。
なお、3人の姉たちは、上から鰐姫(わにひめ)、鯨姫(くじらひめ)姫、鮫姫(さめひめ)、という名前で、鰐姫と鮫姫はひとりで座っていましたが、鯨姫の傍にはお気に入りの侍女でしょうか、仲の良さそうな同年代の女性がピタリと付いていて、その人の名前は入加(いるか)と言いました。鯨姫様は入加のことを「私の良い人」と紹介しましたが、女性が夫の訳がないので、きっと「仲の良い人」という意味なのでしょう。
また亀姫のお母さんの名前は乙姫(おとひめ)で、そのお姉さんが絵姫(えひめ*3)。この人がこの宮の主(あるじ)のようです。絵姫様には4人の娘が居て、鯛姫(たいひめ)、鮃姫(ひらめひめ)、鮭姫(さけひめ)、鱒姫(ますひめ)と言いました。
他にもたくさんの親族が紹介されましたが、嶋子は一度にはとても覚えきれなかったので、あとで亀姫に聞こうと思いました。
ここでひととき団欒(だんらん)した所で
「そろそろご準備を」
と言われます。女童(めのわらわ)が数人来て、嶋子を案内しました。かなり長い回廊を歩いた先に岩風呂がありました。きれいな水が張ってあり、女童が赤く焼いた石を投入します。これで水が温められて湯になるのです。嶋子もこういうものは今まで何度かしか見たことが無かったので、凄いと思いました。
女童が、細い板でかき混ぜて手を入れ、温度を確認しています。
「適温でございます。どうぞ、入浴を」
と言われ、着ていた服を脱がされます。
最初にお湯を身体に掛けられ、柔らかいスポンジ状のもので身体を洗われました。初めて見るものだったので尋ねたら
「ツーワ(*4)と申します。大きな草の実ですが、実の肉質部分を落としますと、このようになりますので身体を洗ったりするのに使用します」
と答えました。
(*4) ヘチマのこと。
やはり仙境には不思議なものがあると思いながら身体を洗われていますが、あそこまで洗われると、つい立ってしまいます!しかし女童たちはそれを全く気にせずに洗ってくれました。
いったん湯に浸かります。女童は今度は服を着たまま湯の中に入って手足の凝りを揉みほぐしてくれました。これは気持ちいい!と嶋子は思いました。
湯からいったん上がると、女童が小さな刃物を持っています。
「毛を剃らせて頂きます」
と言って、何か白い塊を湯に浸けて手で揉むと泡が立ちます。
「それは何ですか?」
と訊くと
「フェイザ(*5)と申します。これを付けてから剃るときれいに剃れるんですよ」
と答えました。
(*5)石鹸のこと。
それで女童は「目を瞑っていて下さい」と言って嶋子の顔に石鹸を付けると小刀でヒゲや顔の毛を剃り始めます。
石鹸の泡に守られているので全く痛くないし、むしろ気持ちいい!と嶋子は思いました。
女童たちは嶋子を横に寝せると腕の毛、脇毛、胸や腹の毛、更には足の毛まで剃ってしまいます。
「足まで剃るの〜?」
「美しい身体で姫に婿入りして頂きますので」
それで足まではまあいいかと思っていたものの、最後はあの付近の毛まで剃り始めます。
「そこもなの!?」
「はい。きれいな身体になりましょう」
「髪の毛までは剃らないよね?」
「髪の毛と眉毛は剃りませんよ」
その時、嶋子は姫のあの付近に毛が無かったことを思い出しました。そうか。仙境ではここの毛まで剃る習慣なのか、と思い至りました。
しかしその後、女童は頭の髪にもそのフェイザ(石鹸)を付け始めました。
「ちょっと待って。やはり頭も剃るの?」
と嶋子が驚いて訊きますが
「洗うだけですよ。洗うのにもこれを付けたほうがきれいに汚れを落とせるので」
と女童が言うのでホッとした嶋子でした。
そういう訳で、嶋子は髪の毛と眉毛以外の全身の毛を剃られた上で、再度湯に入り、身体を温めました。
湯温が下がっていたので、女童が焼けた石を追加で投入していました。
しかし・・・きれいに毛を剃られた足を見ると、嶋子が元々色白なので、まるで女人の足のようで、それを見て自分に欲情してしまいそうだと嶋子は思います。毛を剃られてしまった股間の釣り竿と魚籠(びく)は、まるで少年のもののように見えました。
仙境ではこういう所の毛まで剃っちゃうとはね〜、まあ釣り竿を折られたりしない限りは問題無いが、などと嶋子は考えましたが、釣り竿が無くなってしまっては、姫の池に釣り竿を垂れることができません!
結構暖まったかなと思った所で湯からあがります。
柔らかい布で身体を拭かれます。麻や絹の感触ではないので尋ねるとメン(綿)という植物で作った布ということでした。
その後で、白い麻布を腰の所に巻かれます。ああ下帯かと思います。昔は下帯を着けていたのは上流階級のごく一部の男性で、庶民は着けていませんでした。しかし女童は、その下帯をお股の間には通さず、ぐるぐると腰の周りだけに巻いてしまいます。へ〜これが仙境の巻き方か、と嶋子は感心しました。
次いで金糸が織り込まれている詰め襟の青い色調の服を着せられます。ああ、たしかこれは衣(きぬ)とかいう服だなと嶋子は思いました。新嘗祭の時に国司が着ているのを見たことがあります。するとこれに袴(はかま)を合わせるのだろうと思ったら、やはりそうで、同色の袴を穿かせられました。
衣(きぬ)自体は男女とも着る服ですが、男性は下に袴(はかま)を穿き、女性は下に裳(も)を付けるのが一般的です。
「あれ?この袴って、左右の足が別れてないんだね(*6)」
と嶋子は女童に尋ねました。
「はい。倭国(わこく)の袴は左右に分かれているようですが、蓬莱国では別れていないんですよ」
と女童が説明するので嶋子も納得しました。
しかし左右に分かれてない袴って、まるで女の裳(スカート)みたいだと嶋子は思いました。
髪もきれいな形に結われ、金銀の飾りまで付けられます。さすが仙境の婿入りの衣装は凄いと嶋子は思います。そして最後はお化粧までされるのでびっくりします。
「男もお化粧するの〜?」
「普通にしますよ」
「へー!凄い」
やはり仙境の習慣は色々違うようです。
結局お風呂に入って、その後こういう衣装を着せられるので1時間くらいは掛かっているので、嶋子が屋敷に迎えられてから2時間以上、この島に着いてからは3時間くらいが経過しています。
女童に先導されて嶋子は回廊を歩き、やがて大きな広間に出ます。そのいちばん奥の席で、先ほど着ていた服より更にグレードアップした豪華さの服を着て、きれいにお化粧もした姫がこちらを見て笑顔で会釈しました。
それで嶋子がその隣の席に着くと大勢の列席者から歓声があがりました。
宴(うたげ)はとても盛大なものでした。
仙歌は清らかな声で聴いているだけで天国にいる気分になります。神の舞は手振りたおやかで惹き込まれてしまいそうです。先ほどの昴7幼女・畢8少女も美しく着飾りお化粧もして歌や舞を見せてくれますし、嶋子は姫の親族たちとたくさん杯を交わしました。
並ぶ食事は香り豊かな、見たことも無い料理ばかりで、それが数百品並んでおり、どんどん追加されていました。嶋子は「まあまあ」と言われてたくさん飲み、たくさん食べたので、最後の方は完璧に酔っ払い、お腹もこれ以上とても入らない!という感じになりました。
賑やかな宴も、日が落ちる頃には潮が引くようにみんな居なくなってしまいます。嶋子と姫だけが残り、ふたりは手を取り合って寝室に行きました。
邪魔にならないように、髪留めなどの装身具を外して、部屋の隅にある美しい漆塗り(*7)の櫛笥(くしげ)に納めます。
そして改めて並んで座りました。
「素敵。すべすべとしたお肌になってる」
「全部剃られちゃった」
「人間の世界のものは全部洗い落とさないとね」
「ここではみんな剃ってるの?」
「ふふふ」
嶋子はかなり飲んだので、できるかなと自信があまり無かったものの、姫を実際に抱きしめると、愛おしい感情が強く湧き上がってきて、強く抱きしめ、そしてふたりは熱い思いを交わしたのです。
朝起きると、お互いに普段着に着替えることになります。しかし普段着と言ってもけっこう贅沢な服です。姫は絹製の薄赤の小袖に同色の裳を着け、嶋子も緩やかな青色の絹の小袖に同色の袴を穿きます。女性用の小袖は男性用より細身で丈が長く、実際、裳を着けなくても腰の下まで覆っていました。裳と袴は似ているのですが、ここの裳は巻きスカートのような構造になっているようです。
「この袴、左右に分かれていないから、穿いている内に回転してしまうことがあるんだけど」
と嶋子ば言いますと
「女が穿く裳もそうですね。そのうちどちらが前か分からなくなる」
「やはりそうなるのか」
「あなたも裳を穿いてみる?」
「なぜ女の服を着ねばならぬ?」
「あなたは見目麗しいから、女の服でも似合いそうなのに」
「見目麗しいという言葉は女について言うんじゃないの?」
「あなたの場合はいいのよ」
姫は朝御飯の後、お屋敷の中を案内してくれました。
「この宮は春夏秋冬と4つの町から成るのですよ(*8)」
それで東にある春の町に連れて行かれると、梅や桜の花が咲き、柳の枝が春風に吹かれて、たなびく霞の中からウグイスの声が聞こえます。
次に南にある夏の町に連れて行かれると、春の町との境界付近に卯の花が咲き、池の蓮には露が付着しており、汀(みぎわ)のさざ波に水鳥が遊んでいます。空には蝉の声が聞こえ、夕立の過ぎた雲間から、ホトトギスが鳴いて夏を報せています。
西にある秋の町に連れて行かれると、その付近の梢(こずえ)も色づいて、垣根の内側に白菊が咲き、霧が立ちこめる野の果てに寂しい鹿の声が響いています。
そして北にある冬の町に連れて行かれると、梢は冬枯れて、枯葉に初霜が降り、山々は白い雪に覆われ、その麓に炭焼き小屋があって煙が出ていました。
浦嶋子は姫と愛があふれる楽しい生活を続けました。むろん遊んでいるだけではありません。ここでは多くの人が農業に従事していて嶋子も畑を耕していましたが、実に様々な作物が育てられていました。
浦嶋子は最初の内はあまり気にしていなかったのですが、ある日気付いて聞きます。
「聞いてもいいのかな。姫のお父様って、どこか遠くにおられるのですか?それとももう亡くなられたのですか?」
すると姫は悲しい目をして答えました。
「遠くの国に行って亡くなったんですよ。もう遠い昔です」
「そうであったか。ごめんね。辛いことを聞いて」
「いえ、あなたに言わずにいた私がいけなかったわね」
それからまたしばらく経った日、浦嶋子は別の疑問を感じます。
「この屋敷って、男の人が全然いない気がするのだけど」
「そうですね。うちは女系家族で、それに姉たちの夫ももう既に亡いので、今はこの屋敷で男はあなただけですね。女ばかりの家なので、使用人も皆、女ばかり雇っているのですよ」
「なるほど。そうであったか」
ふたりの生活はその後も平穏に続き、やがてふたりの間には子供も2人生まれました。ふたりとも美人の女の子でした。
「美しい姫に似て美しい」
「美しいあなたに似たから美しいのよ」
「美しいという言葉はあまり男には言わない気がするが」
「あなたは女子(おなご)になってもいいくらい美しいわ」
「私が女子になったら、姫と愛し合えないではないか」
「女同士でも愛し合えるわよ」
「そうなの!?」
仙境の秘術なら、男を女に変えてしまう術くらいありそうで、ちょっと怖い気分です。
嶋子と亀姫はふたりの娘に、蛤姫(はまぐりひめ)、蜊姫(あさりひめ)という名前を付けました。
嶋子が蓬莱に来てから3年ほど経った時、ふと彼は両親に何も告げずにここに来てしまったことが気になり始めました。
忘れていた訳ではないのですが、ここでの生活があまりに刺激的で、ついつい放置してしまっていたのです。そしていったん気になり始めると、どんどんそのことは嶋子の心の中で大きくなっていきました。
「最近、あなたの顔色が冴えません。どうかしたのですか?」
と姫は心配して言いました。
「実は郷里に残して来た両親のことが心配になって。無事でいてくれるだろうか。私が居なくても何とかなっているだろうかと」
と嶋子は言いました。
「帰りたいの?」
と姫は不快そうに言います。
「私は故郷から離れて、この神仙の世界に来た。それなのに、こんなことを口に出してしまってごめん。でも、どうだろう?一度向こうに行って、両親たちの様子を見てから、またここに戻ってくることはできないだろうか?」
と嶋子は姫に言いました。
「つまり私と別れたいの?私はあなたと天地が尽きるまでずっと一緒に過ごすつもりでいたのに」
と言って、姫は泣き出します。
「違うよ。僕もずっと君と一緒にいたい。だから1ヶ月だけ時間をくれないか?必ずここに戻って来るから」
「ほんとに?ほんとに戻ってくる?」
「もちろんだよ」
浦嶋子が蓬莱に来た時の船はもう朽ち果ててしまい、残っていなかったので、姫が新しい船を作らせました。そして、大きなワニに命じて、嶋子を故郷の村まで連れていくことにしました。また蓬莱の国の服は外に持ち出してはいけないということで、大和の国の男性用衣服を用意して、嶋子に着せてくれました。
出発の日、別れを惜しんで、姫はこのような歌を詠みました。
『日数経て重ねし夜半の旅衣、たち別れつつ、いつかきてみん』
(長い日々、ひとつの夜具を共にして来て今別れようとしていますが、またあの夜具を着られるように来てくださいますか?)
※「きて」は「着て」と「来て」を掛けている。
嶋子が返歌します。
『別れ行く上の空なる唐衣、契り深くば、またきて見ん』
(あなたとの別れが辛く心がここにありませんが、私たちの縁が深ければ必ずや再びここに来て会いましょう、そして一緒の夜具を共にしましょう)
姫、姫との間になした2人の娘、姫の母や親戚一同まで出て、嶋子を見送ってくれました。
「そうだ。これをお持ちになって」
と言って、姫は嶋子に自分が愛用している漆塗りの櫛笥を渡しました。
「これを私だと思って大事にして。でも絶対にこの櫛笥のふたは開けないでね」
「分かった。大事にするよ。これは女が使う道具入れだから、男の私が開けるわけがない」
2人の娘が泣くので
「必ず戻って来るよ」
と言ってしっかり抱きしめます。
親族のひとりひとりが嶋子と別れを惜しんで握手してくれました。亀姫のお母さんの乙姫さん、亀姫のお姉さんの鰐姫、鯨姫、鮫姫と握手して、鯨姫の侍女?の入加さんまで握手してくれました。
その入加さんと握手した時、何か丸めたものを彼女が嶋子の服の袖の中に落とし込みました。そして小さな声で
「向こうの村に着いてから読んで」
と言いました。
最後に亀姫と抱き合い、人目も憚らず口付けまでしてから船に乗り込みました。船を出しますが、人々は皆ずっと手を振ってくれました。嶋子は永久(とわ)の別れという訳でもなく、1月経ったら戻ってくるのに大げさな気がすると思いました。
浦嶋子の乗る船はワニに導かれて、約7日で、筒川の村まで帰り着きました。
久しぶりに見て懐かしい岩の形などを眺めながら、浦嶋子は船を浜辺につけました。ワニは半月後に迎えに来ると言って帰っていきました。
それで嶋子は自宅に戻ろうとしたのですが、何だか様子が変です。
村の様子がすっかり変わっており、道を行き交う人々が顔も知らない者ばかり。それで間違った村に来たのではと思い、通りがかりの人に訊きました。
「済みません。ここは日置郷の筒川村でしょうか?」
「そうに決まっている。あんた誰?」
「あのぉ、この界隈に住んでいた水江の浦の家の人の行方とか知らないでしょうか?」
「そんな名前の人は聞いたことない」
幾人か呼び止めて尋ねたものの、誰もそんな名前は知らないと言います。しかし親切な人が
「お寺に行けばあるいは何か分かるかもよ」
と言ってくれたので、嶋子は道を教えられて、村の奥の古ぼけた感じのお寺という建物の所に行きました。ここは昔、村長の家があった所だと嶋子は思いました。そのお寺という建物の主で御住職と呼ばれている人に水江の浦の人々のことを訊きました。
(浦嶋子が筒川村に住んでいた頃、日本にはまだ仏教というものが入って来ていませんでした)
住職は自分もそういう名前は聞いたことがないが、昔この村に住んでいたというのであれば、記録が残っているかも知れないといい、お寺の記録を調べてくれました。ここには古い時代の村長の家だった所でもあり、お寺になる前からの様々な記録が残ってるということでした。しかしかなりの量があり、すぐには分からないようだったので、嶋子はその間お寺に泊めてもらいました。そして3日がかりで、ようやく古い記録が見つかりました。
「その人は大泊瀬幼武天皇(おおはつせの・わかたけの・すめらみこと)の時代の人ですね」
「大王(おおきみ)が変わられたのですか?今の大王は?」
「昔は大王(おおきみ)と言いましたが、今は天皇(すめらみこと)と言うのですよ。今の天皇は大泊瀬幼武天皇からすると24代後の天皇です」
「え〜〜〜!?」
「だから200年くらい経っていますね。その人の子孫は後に日下部の一族となり、この界隈に海運の民として大きな勢力をなしましたが、それもずっと昔の話です」
「そんな。。。」
と言ってから嶋子は訊く。
「その一族のお墓とかはどこかに残っていないでしょうか?」
「それは確か・・・」
と言って、住職は別の資料を調べてくれた。
「その一族の墓所が白幡にあったらしいが、詳しい場所は私も分からない」
「行ってみます。あ、色々調べて頂いた上に、寝食まで提供していただいたのに何もお渡しできるようなものがないのですが」
「構わん。構わん。村の人々のために奉仕するのが、坊主の役目だよ」
と言って、住職は嶋子に白幡までのお弁当にと干飯(ほしい*9)まで用意してくれました。
それで浦嶋子は3日ほど掛けて白幡の村まで行きました。そこで日下部一族の墓所が無いかと村人に尋ねるのですが、誰も知りません。
さて、困ったなと思い、姫から預かった櫛笥を抱きしめて座り込んでしまったのですが、その櫛笥を通して姫の声が聞こえてきました。
「浜辺に行ってみて。その場所を私が教えてあげる」
「姫!?」
それで嶋子は浜辺に行きました。やがて日が暮れましたが、その暗闇の中で1ヶ所松の枝に灯りが見えます。何だろうと思って行ってみると、その松の根本に古い石碑がありました。
「これだろうか?」
もう日が暮れてしまったので、嶋子はその日はその松の木の下で寝て朝起きてからあらためて石碑を見てみました。
するとそこにはもう消えかかった文字で確かに
《日下部首(くさかべのおびと)一族館跡》
と書かれていたのです。ああ!ここが自分の親族たちが住んでいた場所か!と嶋子は思い、手を叩いて、両親に親不幸をしてしまったことを詫びるとともに、一族の魂が安らかなることと、その子孫たちの繁栄を祈ったのでした。
また3日掛けて、筒川の村に戻り、浦嶋子は日下部一族の足跡(そくせき)を見つけることができたこと、その慰霊と子孫の繁栄を祈ってきたことを御住職に報告しました。
「御住職、本当にありがとうございました。これで思い残すことはなくなりました。私はあと1週間くらいするとお迎えが来ると思うので、それでこの村から去ります」
と嶋子は言ったのですが
「あんた死ぬつもり?」
と住職が言います。
「え?」
「だって思い残すことは無いとか、お迎えが来るって。あんた自分の身内が誰もいなくなったことをはかなんで、命を絶つつもりではないよね?」
「まさか!」
それで浦嶋子は自分は遠い蓬莱の島で過ごしていて、一時的に故郷の村に戻って来ただけであること。島に連れ戻してくれるお迎えが来てくれる手筈になっていることを説明しました。
すると住職は
「だったら問題無いが」
と言った上で、何か考えているようでした。そして言いました。
「あなたが蓬莱の国から来た人であれば相談したいことがある」
「何でしょう?」
それで住職はこの村に降りかかっている災難について話したのです。
それはいつ頃からそういうことになったのか、御住職にも分からないが、20年前にこの地に赴任してきた時既に行われていたので、恐らく40-50年前からではないかということでした。
「この村の裏手の山の中腹に大きな池があるのを知っていますか?」
「はい。椰子(やし)池ですね。昔あの池の畔(ほとり)には椰子の木が生えていたので、椰子池と呼んでいたんですよ」
「あそこに椰子の木があったのか! 今はそんな木は無いよ。雑木林になっているし、今はあの池には夜叉(やしゃ)が棲んでいると言われて、夜叉ヶ池と呼ばれている」
「ヤシがヤシャに変化してしまったんですかね」
「200年も経てばそんなものだろう。そしてその夜叉が人身御供(ひとみごくう)を要求するんだよ」
「え〜〜!?」
「2年に一度、若く美しい生娘(きむすめ)を差し出さなければならない。人身御供に選ばれた娘は、白い婚礼衣装を着せ、盛大に嫁入りの宴を開いてから棺(ひつぎ)に入れて、盆の朔の夜に村人が担いで池の前に酒樽と一緒に置いてくる。翌日、昼間になってから行ってみると、棺はバラバラに壊れていて酒樽は空。近くには血も落ちている。村人はその棺と酒樽を池の畔でお焚き上げして帰ってくる」
「もしかして近い内にその人身御供が行われるのですか?」
「そうなのじゃ。今年の人身御供には、村人がそういうのになるのは気の毒だと言って、村長(むらおさ)の末の娘で年は13なる者が自分が人身御供になると言っております」
「13歳の娘が!?なんて可哀相な。こんな馬鹿げた習慣が、古い時代ならいざ知らず、200年も経った未来に残っているなんて・・・。それ、熊か何かにやられているんじゃないんですか?この山は昔から熊が出ますよ」
と嶋子は言いました。
「私も疑問は感じている。実際、こんなことはする必要無い。やめようという意見が出たことがある。それでその年は何もしなかったのだが、そうしたら、やめようと言った者、そして本来人身御供になるはずだった娘の一家全員が惨殺されていた」
「うーん。。。。」
「それ以来、誰もこれを止めようなどと言う者は居なくなった」
「それをまさか私に何とかしてくれないかとか?」
「実は言い伝えがあったんだよ。海の一族の長者で、遠き蓬莱国より来る者があらば、この災厄は取り除かれようと」
と住職は言います。
浦嶋子は腕を組んで考え込みました。そして1晩考えさせてくれと言いました。
その夜、お寺で食事を頂いてから嶋子が部屋に戻り、考え事をしていたら、ふと、自分の服の袖に何か石のようなものが入っていることに気付きました。そうだ。入加さんから渡されたんだったと思い出して取り出してみると、紫色の瑠璃(*10)の珠を薄い竹皮で包んだものでした。竹皮に字が書いてあります。ちなみに瑠璃の珠は蓬莱島ではその辺りにいくらでも転がっている珍しくも無いものです。
(*10)瑠璃=ラピスラズリ
廊下に出て、二十六夜月の薄い灯りを頼りに読むとそこには入加の字で驚くべきことが書かれていたのです。
「嶋子さん。姫から渡された櫛笥(くしげ)、あなたはしっかり約束したから絶対開けないとは思いますが、あれを開けると開けた人は死にますから念のため」
何〜〜〜!?
「蓬莱から出る男にはあの箱は必ず渡さなければならない決まりなのです。万一男が妻を裏切って他の女と結婚しようとしたら、その相手の女は美しい櫛笥(くしげ)に絶対興味を持ちます。そして開けると死んでしまうという罠なのです。ですから蓬莱に戻りたければ絶対に開けてはいけません」
浦嶋子は腕を組んで考え込みました。
そしてひとつのアイデアが浮かびました。
翌朝、嶋子はこのようなことをしたいと住職に言いました。住職は考え込んだものの、村長(むらおさ)を呼び、3人で話し合います。そして
「あなたが蓬莱国から来たというのは分かります。こんな立派な服を着た人は都にもいませんよ」
と村長は言いました。それで嶋子が言うことを実行することにしました。
その人身御供をする日が来ました。
村長の末娘が美しい婚礼衣装を着、きれいにお化粧して宴に臨みますが、さすがに本人も顔色が青ざめています。自分から言い出したこととは言え、これからの運命を考えると、もう泣き出したい気分でしょう。
やがて宴が終わり、娘は棺の中に納められました。お母さんやお姉さんたちが泣いて名残りを惜しんでいましたが、やがて父の村長に促されて棺を離れ、女中と一緒に部屋に戻りました。
そして男たちが棺を担ごうとした時のことです。
「火事だぁ!」
という声があります。棺を運ぼうとしていた男たちは驚いて、棺を放置したまま、声のした方向へ駆けていきました。
そこに嶋子が忍び寄ります。嶋子は自分も美しい花嫁衣装を着てお化粧をしていました。女の衣装を着けるのは恥ずかしかったのですが、娘を助けるためです。
棺のふたを開けます。
「お嬢さん、私が身代わりになります。外に出て隠れていて下さい」
「え?でも」
「早く。人が戻ってくる前に」
「はい」
それで浦嶋子は娘と交代で棺の中に入りました。娘が棺のふたを閉じ、納戸に隠れたようです。そこに男たちが戻って来ました。
「どこにも火事なんか無かったじゃないか」
と文句を言っています。
そして男たちは棺を担ぐと、山中の池まで夜道を登っていきました。
20分ほどの坂道を歩いて、棺が下に降ろされました。
「○○ちゃん、ごめんな」
と男たちが言いますが、嶋子は声を出すと身代わりがばれるので何も答えません。
「気を失っているのでは?」
「その方が良いよ。恐ろしいことを知らずに逝くことができる」
男たちは棺に向かって手を合わせると、去って行きました。
男たちの足音が遠くなっていきます。
浦嶋子は棺の中で息を潜めていました。
やがて大きな音がして何かが近づいてくるようです。浦嶋子は緊張して待ちました。
「どれどれ今年の娘はどんな娘だ?」
という声がして、ふたが開けられました。
嶋子は驚きました。夜叉というので、鬼かあるいは龍の類いかと思っていたのに、ふたを開けたのは大きな猿でした。
「お、なんか結構好みかも」
と言うと、棺を乱暴に壊して、嶋子を抱き上げました。
「娘子、怖がらなくてもよい。取って食うだけだから」
などと猿は言っています。
「取り敢えず酌をせい」
と言い、猿は酒樽のふたを乱暴に手で割ってあけました。
嶋子は怖がっているふりをしながら(というより実際けっこう怖い)、柄杓(ひしゃく)で酒を汲むと枡(ます)に入れて大猿に渡します。
「うーん。うまいうまい。やはり良い酒を飲んでから、人は喰わんとな」
嶋子が俯くので
「ああ、怖がらなくていい。朝日が差す直前にお前は俺の嫁にした上で食うから、今すぐ食うわけではない」
などと猿は言っています。
それで猿は楽しそうに酒を飲んでいたのですが、ふと浦嶋子の衣装を見て、気付いたように言います。
「お前、角隠し(つのかくし)はどうした?花嫁は角隠しを頭にかぶるものだぞ」
「すみません。動転していたので、化粧箱の中に入れたままでした」
「だったら着けろ」
「すみません。怖くて怖くて腰が抜けてしまって立てません。その棺の中に入っているはずですが」
「まあ腰が抜けるのは仕方ないな。どれどれ」
と言って、大猿は立ち上がると、棺の中を見ます。
「これか?」
「はい」
「どれどれ」
それで猿が姫からもらった櫛笥のふたを取ると、中から紫色の煙が出てきました。
「わっ」
と猿は驚いたように声をあげましたが、その紫色の煙を浴びた大猿は、みるみるうちに老けてしまい、腰が立たなくなって座り込み、やがてそのまま息が絶えてしまいました。更に朽ち果てて、結局骨だけになり、その骨もガラガラと音を立てて崩れてしまいました。
嶋子はおそるおそる近寄ると、その櫛笥(くしげ)のふたを閉めました。
そして櫛笥を抱きかかえるようにして声を出します。
「これどうなってんの?」
と独り言のように言ったのですが、櫛笥から姫の声がします。
「あなたが蓬莱で3年過ごしている間に、地上では200年程すぎていたのです。私たち仙境の者は永遠の生命を持っていますが、あなたは人間なのでそのままにしておくと、年老いて亡くなってしまいます。それであなたの年齢をその箱に閉じ込めていたのです。ですから、その夜叉を名乗る化け物は200年の時を経て、死んで骨だけになってしまったのです」
「じゃ、僕が開けていたら、僕がこうなっていたの?」
「あなたは絶対開けないと約束しました。仙境に来た人間が人間界に戻る時は必ずその年齢を閉じ込めたものを渡さなければならない決まりになっています。過去に私の父も、私の姉たちの夫も、みな櫛笥を開けてしまい、二度と蓬莱に戻ることはありませんでした。だからあなたが人間界に戻ると言った時、あなたもそうならないかと不安でたまりませんでした。あなたはあと何日か、開けずにいてくれますよね?」
「もちろん!僕はまだ死にたくない。娘たちの成長も見守りたいし」
「あなたが約束を守る人で良かった」
それで姫が歌を詠んで言うよう。
『やまとべに、風ふきあげて雲離れ、退(そ)き居りともよ、我を忘るな』
(やまとの方に風が吹いて雲が離れるように遠くにいても私のことを忘れないでね)
嶋子も返歌する。
『子らに恋い、朝戸を開き我がおれば、常世の浜の、波の音(と)聞こゆ』
(そちらに残して来た子供たちのことを思い、朝戸を開けると、常世の国の波の音が聞こえるかのようです)
嶋子は山を下りて、池の夜叉を騙っていた大猿を退治したことを住職に報告しました。
それで村人たちも驚き、みんなで池の所まで登って、大猿の死体(骨)を確認します。
「これは巨大な猿だ」
「こんな奴にたぶらかされていたのか」
それで猿は塚を作って埋め、棺はお焚き上げしました。そしてこれまで犠牲になった少女達の冥福を祈るため、石碑を作ることにしたのでした。
浦嶋子は村を救った英雄として感謝されます。浦嶋子は自分が200年前の者であり、ずっと常世の国に居たことを話しました。村人たちは半信半疑のようでしたが、この時浦嶋子が話した内容が、国府にも伝わり「水江浦島子」の物語として風土記にも記載され、そのことが日本書紀にも書かれることになります。
ところで浦嶋子は人身御供の身代わりになった時からずっと、花嫁衣装を着ていました。それで浦嶋子の性別を誤解するものもあったようです。
「しかしあなたも女の身でよく、大猿を倒しましたね」
「あなた凄い美人だ。嫁さんにしたい」
などと言われます。
「すみません。私、男なんですけど」
「えーー!?」
ここでちゃんと性別の誤解を解いておかなかったら、浦嶋子の物語は仙境に行ってきた女の物語として記録されていたかも知れない!
村長さんは自分の娘を助けてもらったこと、そして村を救ってくれたことへの御礼として、浦嶋子にその昔、聖徳太子の側近・鞍作鳥(くらつくりのとり)が作ったという、掌に載るくらいの大きさの美しい小箱と、その中に入れた艶紅(つやべに)の小皿をくれました。
「これはうちの家に家宝として伝わっていたものです。これほどのことへの御礼にはとても足りないかも知れませんが」
と言って村長はその箱をくれた。
「美しい色合いですね!」
「中国や天竺由来の染料・顔料を使っているらしいです。鞍作鳥といえば、国宝の玉虫厨子が有名ですが・・・」
「済みません。私には分からない」
「あなたが以前こちらにおられた時よりずっと後の人だから分かりませんよね!」
艶紅の方もとても美しいものでした。
「仙境にはもっと美しい紅があるかもしれませんが」
「いえ。これはとてもきれいなものですよ。かなり高価なものなのでは?」
「はい。同じ重さの金(きん)と等価交換されます(*11)」
「きゃー!これかなりの量ありますけど」
「せめてもの御礼で」
「しかし、もらってばかりでは申し訳ないです。そうだ。お寺に半月も泊めていただいた代金代わりにこれを」
と言って、浦嶋子は入加が手紙を渡すのに使った、石代わりの瑠璃の珠を御住職に渡します。
「これは物凄いお宝だ!」
「そうですか?蓬莱にはたくさん転がっていますが」
「それは凄い所のようですね」
「来てみます?」
「いや、行くと二度と家族とは会えないようだから遠慮しておく」
と村長は言いました。
この瑠璃の珠はお寺の宝として後の世に伝えられることになります。100年ほど後、お寺で薬師瑠璃光如来の像が造られた時、この珠は如来の体内に納められました。その如来様は、病気平癒にご利益(りやく)があるとして評判になるのですが、それはまだ先の話です。
浦嶋子の活躍をねぎらう宴が開かれ、夜まで続いていましたが、浦嶋子は途中でそっと宴の場を抜け出し、寺の住職と村長にだけ挨拶しました。
「ありがとうございました。ご住職のおかげで墓参りができましたし」
「いえこちらこそ本当にありがとうございました。うちの娘をはじめ多くの娘の命が助かりました」
「私はたぶん、時の定めていたことをしただけです」
それで嶋子はふたりと別れて浜辺に行きました。
海に向かって座り、目を瞑って、悠久の時が流れる蓬莱島のことを思い起こしていました。もう自分の帰る故郷はないのだから、これからは本当に蓬莱島の住人として頑張って行こう。
そんなことを考えていた時、何かが海からあがってくる音がします。目を開いて見てみると、五色の亀があがってきた所でした。もう空は明るくなり始めています。
あれ?そういえば姫と出会う直前に自分はこんな色の亀を獲ったんだった、とふと3年前の出来事を思い出しました。
「亀よ、私を覚えているかい?」
と太郎が言うと
「忘れるものですか」
と亀は言い、姿を変じて、亀姫になりました。
浦嶋子はびっくりします。
「姫があの亀であったのか!」
「あの時は船を用意する時間がなくて泳いで辿り着いたのです」
と姫は言います。
「そうだったのか。亀を食べてしまわなくて良かった」
「あなたに食べられたら本望だけどね。じゃ私の背中に乗って蓬莱島に還(かえ)る?」
「うん」
それで姫は再び亀に変身したので、その背中に乗ろうとしましたが、その時、ふと浦嶋子は村長から頂いた小箱が結構邪魔になるなと思いました。
「そうだ。この櫛笥の中に入れてしまおう」
と言うと、櫛笥を開けてしまいました。
「あっ!」
「あっ!」
と浦嶋子と亀に変身している姫の双方がほぼ同時に声を挙げました。
慌ててふたを閉めたものの時既に遅く、中から出てきた白い煙を浴びて、浦嶋子はたちまち60歳くらいのおじいさんになってしまったのです。
「あんた馬鹿ぁ!?」
と亀の姿から人間の姿に戻った姫が呆れたように言います。
「うっかりしていた。でも猿を倒した時に出た煙で終わりでは無かったのか?」
と浦嶋子も我ながら本当に馬鹿なことをしたものだと思って言います。
「煙が白かったでしょ?」
「うん」
「煙はゆっくり出てくるから。全部出終わるのにけっこう時間がかかる。だから猿を倒した時点ではまだ少し残っていたんだよ。でも残りは薄いから色は紫ではなく、白かった」
「じゃ、あの時、もう少し経ってからふたを閉じれば良かったのか」
姫は頭を抱えています。
「でもどうしよう?」
と浦嶋子は途方に暮れています。
姫は困ったような顔をしていました。
「若い年齢に戻りたい?」
「戻りたい。これではたぶん姫と営みもできないし、早く死んでしまいそうだ」
「そうね。あなたのその見た感じでは、蓬莱島に戻っても、あと10年くらいしか生きられないと思う」
「ごめーん」
「私はもっと長くあなたと居たい。あなたは私と一緒に長く居たい?」
「居たい。何か方法があるの?」
姫は厳しい顔をして、櫛笥を自分で開けて、三段重ねの内箱を出し、一番下の段から、黒い丸薬、白い丸薬、青い丸薬、そして赤い粉薬を取り出しました。
「黒い丸薬を飲めば、あなたの身体に流れる時間の早さを8分の1にすることができる。蓬莱国では地上のだいたい70分の1くらいの速度で時間が流れている。この薬を飲めば蓬莱国と地上との中間くらいの速度になり、櫛笥に閉じ込める年齢も少なくて済む。但し」
「但し?」
「この薬を飲めばあなたの睾丸が消滅する」
「え〜〜!?」
「白い丸薬を飲めば、あなたの身体に流れる時間を更に8分の1にできる。すると、蓬莱国に来た地上の人間と似たような時間の流れになる。するともう櫛笥に年齢を閉じ込めなくても一緒に過ごしていける。但し」
「但し?」
と浦嶋子はおそるおそる聞きます。
「この薬を飲めば、あなたの陰茎が消滅する」
「うっそー!?」
「青い丸薬を飲めば、あなたの身体に流れる時間は停止する。だから、この世の終わりまで、私と一緒に過ごすことができる。実際問題として、あなたが櫛笥を開けなかった場合でも、一緒に過ごすことのできる時間は3000年くらいしか無かった。でもこの薬を飲めば仙境の者と同じ体質になり、永遠に生きることができる。但し」
「但し?どうなるの?」
と浦嶋子はもう苦笑しながら訊きます。
「この薬を飲めば、あなたのお股は女の形になる」
「やはり・・・」
「そして赤い粉薬を飲むと、飲んだ量に応じて年齢が若返る。飲み過ぎは注意ね。40年分若返れば20歳、50年分若返れば10歳だけど、60年分若返ると0歳で消滅してしまうから」
「それは怖い」
(当時の年齢の数え方は生まれた時が1歳なので、0歳は生まれる以前)
「でも但しがあるんだよね?」
と浦嶋子は言います。
「但しこれは飲めば飲むほど、胸が膨らんで女のようになる。たくさん飲むとたくさん膨らむ」
「あはは」
「この薬飲む?」
「それ赤い粉薬だけ飲むってわけにはいかないんだよね?」
嶋子はおっぱいが膨らんでも、ちんちんがあれば何とかなりそうな気がしました。
「黒を飲んでいなければ白の効果は無い。白を飲んでいなければ青の効果は無い。青を飲んでいなければ赤の効果は無い」
「はあ」
と息を抜くように声を出して、浦嶋子は座り込んで考えました。
「ね、ちょっと試してみたいんだけど、後ろ向いててくれる?」
「立つかどうか確認するのなら、私が見ていた方がよくない?」
「そうかも!」
それで浦嶋子はまだ着ている花嫁衣装の裾の間に手を入れ、その下に着けている女物の湯文字の中にも手を入れて、自分のものを手で刺激してみました。
浦嶋子は10分くらい頑張ってみたのですが、全く反応しません。
浦嶋子は力なく肩を落としました。
「ダメみたい。どっちみち姫とできないのなら、できなくてもいいから、ずっと姫と一緒にいたい」
「だったら、薬を飲む?」
「飲む」
と言って、浦嶋子は最初に黒い丸薬を飲みました。すると1−2分ほどで嶋子の睾丸は無くなってしまいました。
「無くなっちゃったよお」
「仕方ないわね」
次に浦嶋子は白い丸薬を飲みました。すると3-4分の内に嶋子の陰茎は
どんどん小さくなり、やがて消えてしまいました。
「男の印が無くなってしまった」
「まあ男ではなくなったということね」
次に浦嶋子は青い丸薬を飲みました。すると7-8分ほど、嶋子のおまたの付近がムズムズする感覚が続きました。
「なんか凄く気持ち悪い」
「まあ我慢するしか無いよ」
落ち着いた所で、自分では見るのが怖いので、姫に見てもらいました。
「ああ。美事に女になっている。これはお嫁さんにもなれるよ」
「お嫁さんは嫌だよぉ」
「だから私のお嫁さんになればいいんだよ」
「それでいいの?」
「うん。私お嫁さん居てもいいよ」
「じゃそうさせて」
それでふたりは口付けをしました。
そしていよいよ赤い粉薬を飲みます。これは姫が正確に分量を量ります。
「どのくらいの年齢まで戻りたい?」
「できたら元の年齢に」
「じゃ、27-28歳くらいの感じ?」
「うん。そんな感じ」
それで姫が量ってくれた量の粉薬を飲みました。するとみるみるうちに浦嶋子は若返っていきます。それとともに胸も膨らんでいきました。
「けっこう大きくなったね」
「胸が重たい」
「蓬莱に戻ったら、乳当てを着けるといいよ。そしたら楽になる」
「そうしようかな。でもこれじゃまるで女の身体だ」
「鯨お姉様の夫の入加さんと似たような状態ね」
「え!?入加さんって、鯨さんの夫なの?だって女の人なのに」
「入加さんのことは、ちゃんと鯨お姉様の『良い人』と紹介したと思うけど」
「仲の良い人という意味かと思った!」
「あの人も櫛笥を開けずに我慢したんだけど、最後の最後で櫛笥を落としてしまって。その時少しだけふたが開いたのよ。急いでふたを閉じたから少ししか煙は出なかったんだけど、やはり年老いてしまったから、あなたと同様にして、男の身体を犠牲にして若返って、永遠の生命を手に入れたのよね」
「あはは。前にもやったことのある人があったのなら、少し気が楽になる」
「お馬鹿さんが時々いるってことね」
それで結局、女のような身体になってしまった浦嶋子は再び亀に変身した姫の背中に婚礼衣装のまま乗りました。
亀は物凄い速度で大海原を進みます。
そして3日ほどで蓬莱島に帰還しました。
「わあ、お父ちゃんだ」
と言って、娘の蛤姫と蜊姫が寄ってきました。
浦嶋子は、良かった。我が娘たちと再び会えたと思い、涙を流しながらふたりを抱きしめましたが、娘達が変な顔をします。
「お父ちゃん、女の人みたいな感じ」
「ごめんね−。女になってしまったけど、お前たちのお父ちゃんだから」
と浦嶋子は言いました。
親族たちにことの顛末を報告すると、少し呆れられたものの、ふたりが夫婦としてやっていくのなら、女になってしまったくらいは些細なことだから気にしないと言われました。
入加さんは
「私と同じような馬鹿が世の中にはいるもんだな」
と呆れたように言いました。
浦嶋子が無事(?)戻って来たことを祝って、そして女同士にはなったものの、あらためて夫婦になることを祝って、宴を開くことになりました。
「しかしあなたももう完全に蓬莱島の住人と同様になったのなら、名前も変えましょう」
と亀姫のお母さんの乙姫様が言いました。
「それはここに戻ってくるまでの間に考えてたの」
と亀姫が言います。
「俗に鶴亀と言うから、嶋子は鶴(つる)ということで」
「ああ。いいんじゃない?」
「鶴姫でもいいけど」
と亀姫。
「いや、姫をつけなくてもいいよ。鶴だけで」
と浦嶋子。
「うん。私も入加姫(いるかひめ)にしようかというのを、姫は付けずに入加(いるか)だけにしてもらった」
と入加さんも言います。
しかしそういう訳で、浦嶋子は鶴になったのです。
なお、鶴が筒川村から持ち帰った鞍作鳥の小箱は
「これは素敵なものだ」
と言われ、この宮の宝とされました。艶紅もとても上品な色合いのものなので、いったん絵姫様に献上したのですが
「このようなものは若い女が使えばよい」
とおっしゃて、まず2つに分けた上で、半分は鯛姫・鮃姫・鮭姫・鱒姫の4姉妹で、半分は鰐姫・鯨姫・鮫姫・亀姫の4姉妹で一緒に使うことにしました。
「入加も使っていいよ」
と鯨姫様。
「いや、私はあまりお化粧しないから」
と入加さん。
「鶴も使っていいよ」
と亀姫。
「化粧はしなくてもいいのなら、しないでおきたい」
と鶴。
「じゃお化粧する時は塗ってあげるね」
なお、鶴は女になってしまったので、服は女性用の小袖と裳、下着も湯文字と乳当てを使うように言われ、すぐに準備してくれました。乳当ては着けると確かに随分楽になりました。それまで重たくて重たくて肩が凝りそうだったのです。
「この湯文字、巻き方は今までつけていた下帯と似た感じだね」
ここ蓬莱流の下帯の付け方は、大和の国の方式とは違い、お股には布を回さず、男の物はぶらぶらして開放された状態になっていたのですが、湯文字は当然腰の周りに巻くだけで、お股を覆いません。ただし、鶴にはもはや、ぶらぶらするものがありません。
「巻き方は同じだけど、湯文字は幅が男物の下帯より広いのよね」
「確かに倍くらい幅があるかな。膝近くまで来るし」
祝いの宴は賑やかに行われました。親戚たちも、浦嶋子が女になってしまったことには驚いたものの、やはり無事生きて戻って来たことを祝ってくれました。この宴では、亀姫も豪華な女性の最高礼服を着ましたが、鶴も同様に豪華な最高礼服を身につけました。初めて裳を付けられて鶴はドキドキしました。なんかおちんちんが立ってしまいそうな気分なのですが、あいにく立つようなものがありませんでした。でも亀姫と一緒にいられるのだからいいか、と鶴は考えました。
当然ふたりともしっかりとお化粧されました。初めて唇に紅を入れられた時は自分は本当に女になったんだなあという意識になり、気が引き締まる思いでした。
宴が終わった後、子供たちは鮫姫お姉さんが見てくれるということだったので、亀姫と鶴はふたりで寝床に行きました。
「女同士でどうすればいいの?」
「鯨姫お姉様から聞いてきた」
「愛し方があるんだね?」
「もちろん」
その夜のふたりの営みは熱く燃えるようでした。しかも男と違って終わりというものが無いのです。鶴はこれって男と女でするよりずっと気持ちいいじゃん!と思い、女になって良かったのかもと考えました。ただついつい朝までやってしまうから、疲れるけどね!
【浦嶋子】(1)