【ロバの皮】(2)
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(C) Eriki Kawaguchi 2019-11-02
ポリーヌは青の国を出て旅を続けました。女として生活するようになって既に1年半が経ち、胸も小さいながら女のように膨らんでいますし、スカートを穿いているのでポリーヌは女にしか見えません。しかしロバの皮をかぶり、旅の疲れで顔も汚れていくので、旅先ではどこでも変に思われ、石をぶつけられたりもしました。しかし持ち出した路銀のおかげで何とか食いつなぐことができ、やがてポリーヌは東方の赤の国までやってきました。
ポリーヌが赤の国の田舎を歩いていたら、農家がありました。喉が渇いたので水を少しもらえないかと乞いますと、人の良さそうなおかみさんが、ポリーヌの変な格好は気にせず、水をコップに1杯恵んでくれました。
「あんたどこから来たの?」
「青の国から流れてきました」
「随分遠くから来たね!身寄りとかは?」
「どこにも頼る者がないのです」
「だったらさ、あんたうちの豚小屋の番とかしてくれないかね?残飯集めて餌をやったり掃除をしたりだけど。これまでやってくれてた下女がお嫁に行っちゃってさ、誰か雇いたかったんだよ」
「ぜひさせて下さい!」
それでポリーヌは赤の国の田舎の豚小屋の女番人つまりスチュワーデス(**)となったのです!
(**)飛行機の客室乗務員(flight attendant)のことを昔は「スチュワーデス(stewardess)」と呼んでいた。この単語は steward の女性形だが、それは stig weard という古いことばの変化形である。weardはguardと同じで番人。stigはstyと同じで、家屋またはその一部を指すが、古くは家畜小屋を意味していた。つまり初期の頃は家畜小屋(豚小屋・牛小屋・羊小屋・山羊小屋)の番人を意味したものが、後に一般化して家庭の使用人全般を意味するようになり、後に船や列車の乗務員のことを steward (="boy")と呼ぶようになる。そして飛行機が発達すると一部の航空会社が船や列車の応用で飛行機の客室乗務員も steward と呼ぶようになる。そして後にこの役割として女性を積極的に起用したことで stewardess と呼ばれた。「スチュワーデスは元々は豚小屋の女番人の意味」という俗説は間違ってはいないが、あまり正確ではない。その話は、飛行機以前に列車や船の乗務員もそう呼んでいたことを無視している。
ポリーヌが住み着いた村は、近くに角張った岩山があることから、岩山村(village des montagne rocheuse) と呼ばれていました。
ポリーヌがこの村に住み始めて3ヶ月が経ち秋にました。おかみさんは優しい人で、ロバの皮をかぶったポリーヌの格好には何も言わずに親切にしてくれたので、1年半にわたる父からの求愛に疲れていたポリーヌの心も少しずつ癒やされていきました。
そして思うのでした。
「私、おっぱいも大きくなっちゃったし、女になってしまうのは構わない気がするけど、やはり父親と結婚するなんて異常だよ」
そして、女になってしまうのなら、どこかに素敵な殿方がいたらいいな、などと思うようになりました。
ある夜、ポリーヌが住んでいる豚の番人小屋の戸をトントンとノックする者がいます。おかみさんか、あるいはご主人かと思い
「はーい」
と言って、ドアを開けますと、思わぬ顔がありました。
「リリア!」
それはコレット付き侍女のリリアだったのです。
「入ってもいいですか?」
「もちろん。でもよくここが分かったわねぇ!」
「この指輪が導いてくれました」
「あっ」
それはポリーヌに色々教えてくれた仙女たちからもらった指輪でした。でもポリーヌはお城を出る時、うっかりこれを忘れてきていたのです。
「ポリーヌ様のものですよね?そしてこの衣装箱も持って来ました」
と言って大きな箱を見せます。それは台車を付けているとはいえ、女1人でこんな遠い所まで引いてくるのは大変だったでしょう。
「よく盗賊とかに襲われなかったね!」
「昼間は休んでいて、夜の間にライオンの皮をかぶせて引いて来ましたから」
「ライオンには近寄りたくないだろうね」
箱を開けますと、王様から頂いた3つのドレスをはじめ多数の素敵なドレス、ティアラやネックレス、ピアスなどまで入っています。
「でも私、今はここの豚小屋の番人なんだよ。とてもこういう服を身につける機会は無いよ」
「きっと、使う機会があると思うとコレット様はおっしゃっていました」
「そう?あの子がそう言うのなら、そうかもね。お城はどうなっている?」
「ポール王子はまた外国に留学に出たことになっています。ポリーヌ様はご病気ということになっていますが、王様は真面目にお仕事していますよ」
「それはよかった」
「ポール様の王子・王女が4人もできたので、それが張り合いになっているようです」
「そうか」
「一応最初の男の子を産んだコレット様がポール様の正妃ということになっていますが、コレット様は他の3人とも仲良くやっておられます」
ポリーヌは考えました。
コレットが正妃となったということは、コレットが産んだソレイユが王位継承権を持つことになる。他の3人は公妾(maitresse royale **)の子供ということになり、エトワール王子には王位継承権がないが、あの子はたぶん大公家でも興すことになるだろう。シエラ王女とルナ王女は有力家臣か外国の王室に嫁ぐだろう。大臣も大公も自分の娘を正妃にしたかったろうけど、産まれた子供が女の子では仕方ない。将軍の娘を正妃にするよりはコレットの方が扱いやすいと考えたか。結果的に大臣も大公もコレットの後ろ盾になってくれるだろう。
(**)日本の側室制度と違い、ヨーロッパの公妾の場合、その女性が産んだ子供はよほどのことがない限り、王位継承権は与えられない(例外はある)。
「だったらコレットも大変だね!」
「コレット様については、シャルル王が、実は先王(シャルルの父)の庶子の娘であったと発表なさいました。つまりポール様の従妹ということですね」
「そうだったの!?」
「でっちあげです」
「うーん・・・。まあいっか」
「コレット様は本当は両親を知らないのですよ。村の教会の前に捨てられていたらしいです」
「あの子も苦労したんだね!」
「でも西の仙女に育てられたという噂も元々あったらしいんですよ。占いがよく当たるし、薬草の知識も深くて侍医殿が習いに行っているくらいですし。コレット様は小さい頃のことは何もおっしゃいませんが」
「ミステリアスだね」
と言いながら、ポリーヌは自分に助言をしてくれた3人の仙女のことを思い起こしていました。ひょっとすると、あの3人が来てくれたのはコレットの縁なのかも?
「コレット様自体に今、お付きの侍女が20人いますよ」
「その管理がまた大変だ!」
「アンナに管理させていますが大変そうです。私はコレット様直属アシスタントという名目でわりと自由に行動ができるのですよ。コレット様に何か伝言とかありましたら」
「分かった。手紙を書く」
と言ってアラビア紙を取り出してから、ポリーヌは少し不安な顔で言いました。
「この小屋、豚の臭いが凄いから、手紙も豚の臭いが染みついちゃう」
「コレット様はそんなこと全く気にしません」
とリリアは言いました。
それでコレットへの手紙を預かった後、リリアは言いました。
「そうだ。このお薬、毎日朝晩1錠ずつ飲んで下さいね」
それでリリアは薬の瓶を渡します。
「まだ飲まないといけないの〜?」
とポリーヌは声をあげました。
この後、リリアは定期的にコレットとポリーヌの間を往復するようになりました。またポリーヌは、勤めている農家から少し離れた森の中に、リリアに頼んで小さな小屋を建てさせ、そこにドレスなどの類いは置くようにしました(それまでは倉庫の隅にボロ布を掛けて置いていた)。そして週に1度、お風呂を頂いた後は、その小屋に行って、様々なドレスを身に付けてみるようになりました。
「やっぱり女の子っていいなあ。こんなきれいなドレスが着られるんだもん」
などとポリーヌは独りごとを言っていました。
ちなみにお風呂は、女ではないことがバレると面倒なので、みんなが入った後、お湯を流す前の最後に夜中1人で入っていました。むろん灯りなどは無く暗い中です。しかし最後はのんびり入れるのがいい所でした。豚小屋の番人でもあり、いつもロバの皮をかぶっている娘は“汚い”というイメージがあり、ポリーヌの入った後の湯には(おかみさん以外は)誰も入りたがらないので、その意味でも最後に入るのは気楽だったのです。
おかみさんはポリーヌが入っている所に「疲れた疲れた」などと言って入ってきて、一緒に入浴することもありました。男だということがバレないかポリーヌは冷や汗ものなのですが、夜中でもありますし、ポリーヌは胸もあるので、まさか男だと思われることもないようでした。
「あんた、実は凄い美人じゃん。お嫁さんの口紹介しようか?あんたがきれいなドレスでも着たら、領主様だって目に留めてくれるかも知れないよ。なんでいつも変なロバの皮とかかぶっているのさ?」
と、満月の夜にポリーヌの素顔を見た、おかみさんから言われました。
「私、男嫌いなんです。だから言い寄られたりしないようにこういう格好しているんです」
とポリーヌは言い訳をしました。
「ああ、男嫌いか。だったら仕方ないね」
とおかみさんは言いましたが、もしその気になったら、誰かいい男の人紹介してあげるよ、と言ってくれました。
ポリーヌが赤の国に来て半年ほど経った、冬のある日。
赤の国の王子ジル(**)が狩りをしていて、ポリーヌの住む村の近くを通りました。王子は獲物を追っていたのですが、このあたりで取り逃がしてしまったのです。
(**)フランス語のジル(Gilles)は男性名。英語のジル(Jill)は女性名である。Gilles Gambus は、ポール・モーリア・グランドオーケストラの男性ピアニスト兼編曲者。ついでに凄い美形! Jill Stuart は、アメリカの女性ファッションデザイナー。
獲物を追っている内に家来とも離れてしまったのですが、
「大きな猪だったのに残念だ」
などとつぶやきながら、王子が月明かりを頼りに歩いていた時、小さな小屋があるのに気付きます。夜も遅いのに、その小屋には灯りがともっていました。
当時灯りといえばロウソクが一般的でしたが、多くは獣脂ロウソクで、結構臭いがします。ところがこの小屋からはその臭いがしません。どうも高級な蜜ロウソクを使用しているようです。ということは身分のある者が使っているということでしょう。それにこの小屋の灯りはとても明るいのです。小屋は小さいのにロウソクを何本も使っているのでしょう。
王子はドアをノックしようかと思ったのですが、少し気になり、ドアの鍵穴から中の様子を覗き見してしまいました。
すると、何ということでしょう!
小屋の中には12-13歳くらいの美しい娘がいて、とても豪華な、見たこともない、まるで空をそのまま切り取ったような真っ青な美しいドレスを着て、姿見に自分の姿を映していたのでした。
王子は一目で娘のことが好きになってしまいました。ドアをノックして中に入り、名前を訊きたいと思ったのですが、なぜかできませんでした。小屋からはやがて美しいフルートの音色も聞こえてきました。王子はその調べに酔ってしまう気分でした。王子がずっと小屋から少し離れた木の陰(かげ)に隠れておりますと、その内灯りが落ちて、小屋の戸から、ロバの皮をまとった変な女が出てきます。
「何だあの化け物のような女は?」
と思わずつぶやいてしまいます。
「しかし、さっきの姫君はまだ小屋の中にいるのだろうか?灯りも落としてしまったのに」
などと思い、小屋の中の様子を伺いますが、誰もいないようです。王子はまるで夢でも見たかのような思いで、腕を組んで、なぜ姫が消えたのか考えながらお城に帰還しました。
翌月、王子は狩りに出かけると称して、またポリーヌの住む村にやってきました。護衛には村の中で待っているように言い、夕方くらいからじっと、あの姫君のいた小屋を見ています。するとかなり夜更けになってから、ロバの皮をかぶった変な女が小屋にやってきました。
そして小屋の灯りがともります。王子は少し経ってから、そっと小屋に近づき、鍵穴から中の様子を覗き見しました。
すると、何ということでしょう!
小屋の中には先月も見た12-13歳くらいの美しい娘がいて、すごく豪華な、見たこともない、まるで月が光っているような銀色の美しいドレスを着て、姿見に自分の姿を映していたのでした。ドレスにはたくさんの真珠も縫い付けられています。
王子はあまりにも美しいその姿に見とれていました。ドアをノックして中に入り、名前を訊きたいと思ったのですが、なぜかできませんでした。小屋からはやがて美しいヴィオール(ヴァイオリンの元になった弦楽器)の音色も聞こえてきました。王子はその調べに酔ってしまう気分でした。王子がずっと小屋から少し離れた木の陰(かげ)に隠れておりますと、その内灯りが落ちて、小屋の戸から、ロバの皮をまとった変な女が出てきます。
王子はこの日は小屋の方は放置して、ロバの皮をかぶった女のほうを追いました。すると、女は近くの農家の豚の番人小屋の中に入ったのです。
王子は腕を組み、考え込んでしまいました。
それで歩いて村道を歩き、護衛と合流してからお城の方に帰ろうとしていた時、村人と出会います。
「もし、ちょっと訊きたい」
「はい、なんでございましょうか?」
「あそこの豚小屋の近くで、ロバの皮をかぶった女を見掛けたのだが、何者だ?」
「貴族様、あんな変な女のことは構わないほうがよいです。この世で最も汚らしい女ですから」
「いつもあの皮をかぶっているのか?」
と王子は訊きます。
「そうです。だからみんなあの女のことを“ロバの皮”(peau d'Ane ポダン)と呼んでいるのでございます」
と農民は答えました。
そしてまた翌月、王子は狩りに出かけると称して、ポリーヌの住む村にやってきました。護衛には村の中で待っているように言い、太陽も沈み空も暗くなった頃からじっと、あの姫君のいた小屋を見ています。するとかなり夜更けになってから、ロバの皮をかぶった変な女が小屋にやってきました。
そして小屋の灯りがともります。王子は少し経ってから、そっと小屋に近づき、鍵穴から中の様子を覗き見しました。
すると、何ということでしょう!
小屋の中には先月も先々月も見た12-13歳くらいの美しい娘がいて、物凄く豪華な、見たこともない、まるで太陽が輝いているような金色の美しいドレスを着て、姿見に自分の姿を映していたのでした。ドレスにはたくさんのダイヤモンドも縫い付けられています。
王子は想像を絶する美しいその姿に見とれていました。ドアをノックして中に入り、名前を訊きたいと思ったのですが、なぜかできませんでした。小屋からはやがて美しい歌声も聞こえてきました。王子は聞いた瞬間、これは天使の歌だと思いました。王子がずっと小屋から少し離れた木の陰(かげ)に隠れておりますと、その内灯りが落ちて、小屋の戸から、ロバの皮をまとった変な女が出てきます。
王子はそっとロバの皮の後を付けました。
その時、女の前に1人の男が立ちふさがります。
「なぁ、ロバの皮ちゃんよぉ。お前一応女だったら、俺とちょっと遊ばない?」
などと男は言っています。
「申し訳ありません。人間の女なら良かったのですが、私はロバの皮ですので」
と言って、女は男の横を通り過ぎようとしますが、男は手を横に伸ばして通させません。
「通して下さい」
「お前さあ、男に抱かれたことなんてないだろう?一度体験しておくのもいいぜ」
「どうか人間の女を誘って下さい」
「あんたが少々汚くても俺は平気だぜ」
それでふたりが押し問答をしていたので、王子は出て行きました。
男がギョッとしています。王子は
「立ち去れ」
と男に言いました。王子は明らかに強そうです。
「分かった、分かった。じゃな」
と言って男は去って行きました。
「どこのどなたか分かりませんが、助かりました。ありがとうございます」
と“ロバの皮”は王子に御礼を言いました。
「名前を教えてくれないか?」
「ロバの皮と申します」
「本当の名前は?」
「ロバの皮ですよ」
とだけ言って女は微笑んでいます。
「私は狩りをしていて、少し疲れたのだが、お茶でも所望できないだろうか」
「そうですね。助けて頂いた御礼に。汚い所ですが」
と言って、ポリーヌは王子を自分の豚の番人小屋に案内しました。凄い臭いがしますが、王子は構わず部屋の中に入り、椅子に座りました。ポリーヌは「ふーん。平気で座るのか」と思いました。これまでこの椅子に座った者は、おかみさん以外には、誰もいなかったのです。
(リリアは常に立っている。臣下の者が主人の御前で座ったりすることはありえない)
ポリーヌは小屋の中で微かな月明かりの中、火打ち石を打って炉に火を入れると、その上のフックに茶瓶を掛けてお湯を沸かし始めました。
「その茶瓶はアラビア渡来のものでは?」
「お目が高いですね。みんな“変な形の茶瓶”と言うのですよ」
やがてお湯が沸いたので、ポリーヌはお茶を入れて磁器の茶碗に入れて勧めます。
「この磁器はジャポン(日本)のイマリ(伊万里焼き)ではないか!」
「本当にお目が高いですね。みんないやに生地の薄い安物の陶器かい?と言うのに。もっともこの小屋に入ってきて、お茶を飲んだのはあなた様がまだ5人目です」
それで王子はその伊万里焼きの茶碗でお茶を飲みました。
「このお茶は中国のプーアール茶ではないか!」
「みんな苦くてカビ臭い、きっと廃棄寸前のをもらってきたのだろうとおっしゃるのです」
とポリーヌは微笑んで言った。
「君は一体何者だ?」
「ロバの皮です」
王子は3時間近くこの豚小屋に滞在し、自分は赤の国の王子ジルである、と身分を明かしたのですが、ポリーヌは自分はロバの皮であるとしか言わず、決して名前も出自も明かさなかったのです。
王子はこの後、毎月1度“ロバの皮”を訪問するようになります。王子は度をわきまえていましたので、彼女を無理に押し倒したりすることもなく、お茶やお菓子などを食べながら数時間おしゃべりをするだけでした。最初の夜は豚の番人小屋で話したのですが、2度目からは森の中の小屋で話すようになりました。でも彼女は王子の前では決して皮を脱がず、ドレス姿を見たいと王子が言っても「私はロバの皮だもん」と言って、見せてくれませんでした。
(でも実は王子はしばしば覗き見していましたし、ロバの皮本人も見られているのを意識しているように思えました)
「君はお菓子作りもうまいね」
「お母様が作ってくれていた作り方なんですけどね」
「ケーキとかタルトとかは焼かないの?」
「さあ、どうかしら?」
「君が焼いたケーキを食べてみたい」
「その内気が向いたら」
ポリーヌは、お料理というものは王子時代にはしたこともなかったのですが、1年半ほど“王様の婚約者”として過ごしていた時期に覚えたのです。亡き母ジャンヌのレシピを、ジャンヌの侍女をしていた人に尋ねて習ったりもしていました。
ポリーヌ不在の青の国で、王様は以前にもまして精力的に仕事をしていました。
王様は当時のヨーロッパの工業先進国だったイタリアや、もっと高い技術を持つアラビアからも多くの技術者を呼んで、様々な新しい技術を導入しました。
農業用水を確保するための貯水池を作り、用水路を建築しました。効率的な農耕の仕方や糸紡ぎの新しい技術を導入、更には水車を利用した製紙工場まで建設しました。そのため国の生産力は上がり、干魃も減り失業者も減り、安価で良質な繊維製品や紙などを他国ににも輸出するようになり、数年後には、黄金を産むロバなどに頼らなくても、国全体が豊かになっていくのです。
ポリーヌは姿を見せないものの、しばしばポリーヌ様から国民へのメッセージが伝えられるので、ポリーヌ様はきっとご病気なのだろうが、それでもしっかり国の様子を見ておられるようだと国民たちは思い、いわば国民のアイドルのようになっていました。
一方赤の国では最近、王子ジルが物思いにふけっている様子なのを王様もお妃様も心配していました。
「最近、お前は元気がないがどうしたのだ?」
と王様が訊きますが、
「いえ、少し考え事があって」
などと言っています。
王子としては“ロバの皮”を妻にしたいと思うようになってきたのですが、どこの馬の骨(というより驢馬の皮!)とも知れぬ女との結婚など認められるはずがありません。
そして王子が初めて“ロバの皮”を見てから半年ほど経った夏の日、ジルはとうとう病床に伏してしまったのです。
「何か欲しいものは無いか?何でも持って来させるぞ」
と王様が言ったのに対して、ジル王子はふと思いついたように言いました。
「北の岩山村に住む“ロバの皮”という者にケーキを焼かせてください。私はそのケーキが食べたいのです」
「その者はケーキの名人か何かなのか?」
「ちょっと気になる者なのです」
「分かった。使いをやろう」
王様はそうおっしゃったのですが、王様の使いの者が岩山村まで行き、“ロバの皮”の所在について村人に尋ねると
「あの女はこの世で最も汚れた存在です。あんな女の作った料理など食べたら、王子様はご病気になりますよ」
などと言うので、お使いの者は“ロバの皮”には会わずに帰って来てしまいました。そして報告します。
しかし王子は、どうしても“ロバの皮”の手作りケーキが食べたいと言います。
それで今度はお妃様が自分の腹心の侍女でマルゲリートという者を、岩山村まで使いにやりました。侍女は村人が「あんな汚い女に関わらない方がいい」と言うのにもめげず場所を案内させ、“ロバの皮”が住んでいる、豚の番人小屋まで行きました。
すると女は名前の通り、ロバの皮をかぶった奇妙な格好をしています。そして豚の番人小屋ですから、豚の臭いもきつい。マルゲリートは本人を見た上で、こんな女の焼くケーキなど食べられるものかと思ったので、結局用事を言わないまま、王宮に帰ってきて報告しました。
しかし王子はますます衰弱していきます。そして王子が“ロバの皮が作ったケーキを食べたい”と言うので、とうとうお妃様自身が、マルゲリートと警護の少尉1人だけを連れて、岩山村に行きました。
マルゲリートの案内で、豚の番人小屋までいきます。凄い臭いがしますが、王妃様はめげません。勧められた椅子に座り、ロバの皮をかぶった奇妙な格好の女に言いました。
「私はこの国の王妃である。ロバの皮というのは、そなたか?」
「はい、そうですが、何か御用でしょうか?」
と言いつつ、この人も椅子に座ってくれるんだなあと思いました。
王妃は女がこちらの身分を明かしても全くびびらず、しかもこの女のイントネーションがひじょうに上品なのに気付き、この女はこんな格好をしているが、本当はどこかの貴族か王族の女なのでは?と思いました。それで女に頼みました。
「実は王子ジルが何かに思い悩んで病気になっているのです」
「それはいけませんね!」
とロバの皮が驚いた様子で言います。それでここ2ヶ月ほど来なかったのかと思い至りました。
「あなたが焼いたケーキが食べたいと申しております。ケーキを焼いてもらえませんか?必要な材料があったら、どんなものでも調達します」
「分かりました。それではメモを書きます」
と言って、ポリーヌは小屋の棚から1枚のアラビア紙(**)を取り出しました。
王妃は女がアラビア紙に万年筆まで持っており、しかもそこにとても美しい字でメモを書いたので、やはりこの女は、ただ者ではないと思いました。だいたい字を書けるということ自体、下層階級の者ではないことを示します。
(**)中世の西洋では記録用の紙としては動物の皮を加工した“羊皮紙”が一般的だった。実はこの物語のタイトル peau d'Ane (ロバの皮)には“羊皮紙”という意味もある。ペローがこのことを意識していたかは不明。
しかし中国の製紙技術がアラビア経由でヨーロッパに伝わると13世紀頃イタリアで製紙工業が生まれる。しかし当時は紙の需要はそうなかったし生産規模も小さく、この“アラビアから伝わった紙”は高価で希少なものだった。
それが15-16世紀に宗教改革と活版印刷の発明により、庶民が買う聖書を印刷するため紙の需要は急速に高まる。この時期からフランスで安価に効率良く紙の生産が行われるようになり、紙生産の中心地はフランスに移る。この物語はその少し前の時期を想定している。
(**)この時代の西洋での一般的な筆記具は羽根ペンで、ガチョウの羽根の先端をとがらせ、インク壺に漬けて使用した。しかし万年筆もエジプトで953年に発明されている。もちろん、そんな物を所有している者は西洋では極めて稀である。
ポリーヌは自分の雇い主の農家のおかみさんに、オーブンを貸して欲しいと言いました。なにやら高貴そうな女性も来ているので、おかみさんはふたつ返事で貸してくれました。
ポリーヌは自分の臭いがケーキに移ってはいけないからと言って、この日はお風呂の日ではなかったのですが、特に頼んでお風呂に入れさせてもらい、その後、森の小屋に置いていた質素ではあるものの清潔な服に着替えました。初めてロバの皮を脱いだポリーヌの美貌に王妃は驚きました。
ポリーヌは王妃が用意してくれた材料を秤(はかり)で量ってから混ぜ合わせます。小麦粉、卵、塩、砂糖(**)、バター、酵母(**)、この季節に入手できる数種類の果物、更にポリーヌが指定した珍しいスパイス数種類。
(**)この酵母はポリーヌが青の国のお城を出る時に持って来たもので、その後自分で増やしていたもの。この物語の時期にはまだ重曹は無い。
(**)砂糖はインドから広がり9世紀頃からアラブ世界で普及したが、初期の頃ヨーロッパでは、スパイス同様に超高価なものだった。しかしアラブ世界の一部であるスペイン南部では生産されていたのでフランス付近はまだ入手しやすい地域だったと思われる。15世紀頃になると生産量が増えて急速に価格が低下していく。この時期はその安くなり始めではないかと思われるが、庶民には入手困難な素材だったかも。砂糖導入以前、ヨーロッパでは蜜くらいしか甘味料は存在しなかった。
材料をポリーヌが混ぜていた時、本人も含めて誰も気付かなかったのですが、ポリーヌの胸のポケットから指輪が落ちて材料の中に入ってしまいました。
しかしポリーヌはそんなことが起きたとは知らないまま、型に流し込んだものを数時間寝かせ、膨らんで来た所でオーブンに入れて焼きました。
そしてとっても美味しそうなケーキができあがりました。
「2つ焼きましたので、片方は試食にどうぞ」
それで王妃様と侍女、おかみさんも試食しますが
「美味しい!」
「柔らかい!」
と思わず声をあげました。
「ロバの皮ちゃん、こんなにケーキ焼くのがうまいのなら、あんた料理番の助手とかしない?」
とおかみさんは言いましたが、ポリーヌは
「いえ、私は豚小屋の番人で充分です」
と慎ましやかに答えました。
それで王妃はロバの皮が焼いたケーキをお城に持ち帰ります。王子は嬉しそうな顔で起きあがると、ケーキを食べました。
「美味しい!」
と王子も声をあげます。王子が元気になった感じなので、王妃も王様も満足げです。
しかし王子がケーキを食べていた時、歯に何か当たりました。
何だろうと思って取り出してみると、美しい金の指輪でした。
これは・・・きっとあの娘の物に違いないと王子は思いました。
王子は“ロバの皮”が焼いたケーキやタルトを何度も所望し、その度に王妃付きの侍女マルゲリートが岩山村まで行って作ってもらい、持ち帰りました。それを食べている内にジル王子はどんどん元気になってきました。
王様は王子が元気になってきたことから、この機会に、ぜひ誰か適当な娘と結婚させようと思いました。
「結婚ですか?」
と王子は困ったような顔をして答えました。もう王子の頭の中にはあの“ロバの皮”が、小さな小屋の中で汚い毛皮を脱ぎ、美しいドレスを身に付けている所のイメージしか無いのです。
「そうだ。国中の娘を集めて、お前の目にかなう者と結婚させようか」
王子は“国中の娘”というのであれば、あの“ロバの皮”も来てくれるだろうと思い、この話を承諾しました。
それで王様はお触れを出して、赤の国の国民で13歳以上の未婚の娘はお城に来るように言って、翌月お城の大広間でパーティーを開くことにしたのです。
ところが“国中の娘”を集めたはずのパーティーで、会場となったお城の大広間を見てまわったのですが、ロバの皮は来ていませんでした。がっかりした王子がどんな美しい娘にも無愛想にするので、王様は言います。
「美しい姫君が大勢おるぞ。誰かと少しお話ししてみないか?」
「父上。私はこの指輪が入る女性と結婚したいと思っています」
と言って、最初に焼いてもらったケーキの中から出てきた指輪を見せます。
「この指輪なら、誰か細い指の娘なら入りそうだ」
と王様が言っておりましたら、その話を聞いた、地方領主の娘が
「それ私が試してもいいですか?」
と訊きます。けっこう指の細い娘です。王子はあまり乗り気ではないのですが、王様が
「よいよい」
と言って、娘の指に王様自ら填めてあげようとしました。
ところが、指輪は“逃げる”のです。
「あれ〜。どうして私の指に入ってくれないの?」
王妃様付きの祈祷師がそれを見て言いました。
「この指輪には強い魔法が掛かっている。これはたぶん西の大仙女が掛けた魔法だ。これはこの指輪が許した女しか、填めることができないようになっているのだよ」
「なるほど、そういう仕組みだったのか」
それでこの日は数人の娘が指輪を試してみたものの、指輪は全ての娘の指から逃げてしまい、填めることができませんでした。
王子は王様に言いました。
「父上、国中の全ての娘といっても、昨日集まっていたのは、良家の娘ばかりでした。どうか召使いや下女などでも構わないから来るようにおっしゃっていただけませんか?」
「お前がそう言うのであればそうしよう」
それで王様はお触れを出して、ドレスなど持たないものには入口で渡すから、赤の国の国民で全ての13歳以上の未婚の女は身分に関わらず誰でもお城に来るように言い、翌月お城の中庭でパーティーを開くことにしたのです。
ところが“国中の娘”を集めたはずのパーティーで、会場となったお城の中庭を見てまわったのですが、ロバの皮は来ていませんでした。がっかりした王子がどんな美しい娘にも無愛想にするので、王様は言います。
「美しい娘たちが大勢おるぞ。誰かと少しお話ししてみないか?」
「父上。きっとこの指輪がはまる娘はこの会場には居ないと思います」
「試してみなければ分からん」
それで大勢の娘がこの指輪を填められるか挑戦してみるのですが、指輪はどの娘の指からもスルリと逃げてしまい、誰もその指輪を填めることはできませんでした。
ジル王子としては、結婚したいのは“ロバの皮”ひとりで、恐らくこの指輪はあの娘の指には、ちゃんと填まるだろうと思っていたのですが、やはり王子という立場上、田舎の豚小屋に住む娘と結婚したいとは言えません。パーティーの席で妃として選びたいので、彼女にパーティーに出てきて欲しいのです。
それで王子が母の王妃に相談し、王妃は腹心の侍女マルゲリートを岩山村のロバの皮の所に遣わしました。そして「どうしてパーティーに出て来なかったのか」と尋ねました。するとロバの皮は答えました。
「私は娘でもありませんし、この国の者でもありませんので、パーティーへの出席はご遠慮致しました」
“娘ではない”というのは、実はポリーヌ自身が男だからそう言っているのですが、マルゲリートは“未婚ではない”という意味に解釈しました(普通そうとしか取れない)。
「もしかして、そなたには夫が居るのか?」
「夫はおりません。ただ、結婚の約束をした人はいます」
「もしかして、そなた、その男から逃げてこの国に来たとかは?」
「ご明察ですね。私は結婚の約束はしたものの、その方と結婚したくないのです」
「ちなみにそなた処女か?それともその男と既に寝たか?」
「私はまだどんな男の方とも交わっていませんよ」
女の子とはたくさん寝たけど、男の人とは寝たことないから、嘘じゃないよね?それでも処女といえるかどうかは微妙だけど。
「だったら、その人に手紙を書いてみてはどうか? 聞けばそなたがこの村に住み着いてから1年以上経っているという。相手は婚約の解消に同意してくれないだろうか?王妃様にも手紙を書いてもらってよいし、手切れ金が必要なら調達するぞ」
「そうですね。お手紙を書いてみます。王妃様のお心遣いは感謝しますが、自分1人で何とかしてみます」
「分かった。王子様はそなたを妻としてみんなの前でお披露目できる日を待っているから」
とマルゲリートは言いました。
またポリーヌは、マルゲリートの話から、行方不明になってどうしたものかと思っていた例の指輪をジル王子が持っていることを知りました。
自分自身、ジル王子のことが好きになってしまっている。だからきっと指輪は自分の指に填まるだろう。そしたらきっと自分は、あの仙女たちが言ったように、女の身体に変わるのではないか。
ポリーヌはそう思い、とっておきの上質紙に、愛用の万年筆で手紙を書き始めました。それを定期的に来てくれる侍女リリアに託しました。
ポリーヌから自身への手紙を読んだ青の国の王シャルルは涙を流しました。そして自分の“娘”へのお返事を書いたのです。
その週末、ポリーヌが仕事を終えて、深夜お風呂を頂き、週に1度の楽しみで森の中の小屋に行って、今日はどのドレスにしようかな?と悩んでいた時、ドアがトントンとノックされます。ここを知っているのはリリアとジルだけなので、きっとリリアかなと思い
「どうぞ」
と言って、ドアを開けるとそこには思わぬ顔がありました。
「コレット!」
「ご無沙汰しておりました。ポリーヌ様」
とコレットは笑顔です。
「お前ひとりで来たの?」
「リリアに代役をさせておいて私が来ました」
「よく来れたね!」
「私は道に迷ったことがありませんから。でも実はエマール中尉にこの近くまで警護してもらいました」
「だったら良かった」
「シャルル様からのお手紙を預かってきています」
と言って、コレットは手紙を差し出します。
ポリーヌは黙ってその手紙を受け取ります。そして読みました。
ポリーヌは涙を流し、声をあげて泣きました。
コレットはそういうポリーヌをそっと抱きしめてくれました。ポリーヌもコレットを抱き返しました。
そして夜は更けていきました。
赤の国の王様はお触れを出しました。
この国に“居る”全ての13歳以上の“者”で、王子の妃選びのパーティーに来てくれるものは全員お城の前の広場に来るように。ドレスを持たない者にはその場でドレスを渡す。
お触れを見て、ロバの皮を着たポリーヌは、おかみさんに言いました。
「1年以上にわたって、本当に親切にして頂き、ありがとうございました。とうとうお別れの時が来てしまったようです」
「ああ、あんたは多分どこぞの王女か何かなんでしょ?王子とか王女って、なかなか自分の思うとおりに暮らせないもんね。でも元の暮らしに戻る気持ちになれたのなら、良かった。幸せになってね」
「ありがとうございました。御礼はまたあらためて」
「うんうん。あんた豚の番人としても優秀だったよ」
「ありがとうございます。それがいちばんの褒め言葉です」
ポリーヌは“ロバの皮”をかぶったままお城まで行きました。広場に入ろうとすると、警備の兵士が
「お前はなんと奇妙なものを着ているのだ?ドレスが無いなら渡すから、その変な皮を脱ぎなさい」
と言いました。
「兵士様、私はドレスは持っております」
とポリーヌは言い、その場でロバの皮を脱ぎ、更に粗末な麻のオーバードレスも脱ぎました。
その下にポリーヌは、美しい真っ青な“空のドレス”を着ていました。
裾は引きずらないようにロバの皮の中に畳んで収めていたのです。
そのドレスのあまりの美しさに兵士も近くに居た娘たちも息を呑みます。
「誰か裾を持て」
と兵士たちの中にいた少尉殿が言いますと、お妃付きの侍女が走ってきて、ポリーヌのドレスの裾を持ってあげました。
そしてポリーヌは優雅な動作で、ゆっくりと広場の中を進みます。ポリーヌの美しいドレス、美しい金色の髪、そして美しい容貌に、みんなが息を呑み、道を開けます。人々が開けてくれた道をポリーヌは歩いて行きました。
やがていちばん奥、王宮の入口の階段の所にジル王子が立っていました。その後方には、赤の国の王様と王妃が並んで座っています。
ポリーヌがジル王子の前に立った時、昼の12時を告げる、王宮の鐘が鳴り響きました。
一方この日、青の国では、王様が重大発表があると告げていました。
王様は、コレット様ほか、ポール王子の4人の妻および、彼女たちが産んだ4人の孫王子・孫王女を伴い大広間に姿をあらわすと、11時頃に居並ぶ大臣や領主・地方長官たちを前にそのことを告げたのです。
臣下の者たちは、ずっと姿を見せないポリーヌ様、あるいは外国に留学に行っているという話になっているポール王子のどちらかに何かあったのではないかと緊張していました。
しかし王様は笑顔です。
それで臣下の間にホッとした空気が漂います。
「まず第一点。私とポリーヌの婚約を解消する」
臣下の者たちが動揺しています。まさかそういう展開は考えてもみなかったのです。
「解消の理由だが、実はポリーヌの身元が判明したからである」
と王様は言いました。
「ポリーヌの両親の行方が分からないので、できたら結婚式までに会いたいとずっと言っていたのだが、実はポリーヌの母君が名乗り出てきた。それが実はジャンヌの妹ジョエルであった」
「それで、ポリーヌ様はジャンヌ様によく似ておられたのですね!」
という声があります。
「でもジャンヌ様に妹君がおられたのですか?」
という質問があります。みんなジョエルなどという名前は初耳です。
「庶子だったのだよ。それで正式には妹を名乗っていなかった」
「そうだったのですか!」
「そしてポリーヌの父親なのだが」
と言った所で王様は少し恥ずかしげな顔をしました。臣下の者たちが何だろう?という顔をしています。
「実は父親は私だった」
「え〜〜!?」
驚きの声があがりました。
「実は私はジョエルと若い頃、恋人だった時期がある。その時にできたのがポリーヌだったらしい。このことはポリーヌ自身も知らなかったし、私も聞いていなかった。ジョエルは自分は日陰の身だからと言って表に出てきていなかったのだが、私がポリーヌと結婚しようとしていることを知り、それはできないと言って名乗り出てきた。ジョエルに教えられなければ、私はあやうく自分の娘と結婚する所であった」
臣下の者たちがざわめいています。
「それでポリーヌとの婚約は解消し、ポリーヌは正式に私の娘ということにしたいと思う」
大勢の者たちから拍手が送られました。
「それでポリーヌ王女様はどこに?」
「まだ報告を受けてないのだが、ポリーヌには、私以外の者との婚儀が決まりそうなのだよ。これについては明日また報告できると思う」
と王様が言うと、概ねそれを歓迎する雰囲気です。
ひとりの廷臣が質問しました。
「大変恐縮なのですが、ポール王子様はどちらにおられるのでしょうか?」
「ポールは外国に留学しているが、何か?」
と王様は平然とした表情で言いました。
これがこの日のお昼、11時から11時半頃に発表されていたのです。
シャルル王からポリーヌへの手紙にはこのようなことが書かれていました。
黄金を生み出すロバが無くなり、お前もどこかに去ってしまって、最初私はショックだった。でもお前が遺してくれた4人の孫のために私は頑張ろうと思った。そして今にして思えば、自分の子供であるお前と結婚しようなどと考えたのは、ロバに、たぶらかされていたせいかも知れない。子供と結婚するなんて、恐ろしい考えだと思う。
だから、私とお前の婚約は取り消そう。
そしてポリーヌは私の娘ということにしないか?
だからお前が女として生きていくのなら、これからはシャルル王の娘・ポリーヌを名乗りなさい。
そして赤の国。王宮に正午を告げる鐘が鳴り響きました。
ポリーヌはジル王子の前、急遽用意された毛氈の上でひざまずいて言いました。
「この国に居る全ての者が来てよいということでしたので参りました」
ジル王子が訊きます。
「そなたの名前を教えて欲しい」
「私は青の国のシャルル王の娘で、ポリーヌと申します」
とポリーヌは初めて自分の身分と名前を名乗りました。
ジル王子も、その両親の王様・お妃様も驚愕しています。
しかしジル王子は言いました。
「君がシャルル王の姫君だったのか!だったらさ、僕、君がまだ5歳くらいの時に僕と結婚してとプロポーズしているよ」
「はい、覚えていますよ、王子様」
「だったら、僕と結婚してくれる?」
「その指輪が私を受け入れてくれましたら」
と言って、ポリーヌは左手を王子の前に出します。
王子はゴクリと唾を飲み込むと、ケーキの中から出てきた黄金の指輪を手に持ち、ポリーヌの左手薬指に填めました。
指輪は他の娘が試した時のように逃げたりはせず、きれいにポリーヌの指に納まりました。
そして指輪が指に填まった瞬間、ポリーヌは自分のお股の付近が突然“動きまわっている”のを感じました。ああ、きっとボクは女の子に変わりつつあるんだ。男の子のボク、さようなら。そして女の子の私、こんにちは。私はこれから女として生きていこう。ジルって少し頼りなさそうだけど、彼とは親子関係とか無いから、安心して結婚できる。
ポリーヌは微笑みながら、そんなことを考えていました。
「指輪が君を選んだ。僕の妃になってほしい」
「謹んでお申し出を承ります。よろしくお願いします」
と言ってポリーヌは礼をしましたが、ジルはポリーヌにキスをしました。
王様・お妃様など周囲の人々がみんな拍手をしてくれました。
楽隊がおめでたい音楽を演奏し始めました。
ポリーヌは赤の国の王宮に部屋が与えられ、取り敢えず数日滞在してから一度青の国に戻ることになりました。取り敢えず数人の侍女も付けられました。
ひとりになった時に、おそるおそるあの付近を見てみましたが、おちんちんは無くなっているし、割れ目ちゃんができているので、思わずため息を付いてしまいました。まあ、女になることは自ら望んだことだし、別にいいよね?さようなら、私のおちんちん。
でもおっぱいも随分大きくなったなあ。重たいくらいだよ。
“ポリーヌ王女”が赤の国のジル王子と婚約したことが青の国に報されると青の国では国中が歓迎ムードになりました。青の国と赤の国は今後友好国として、共に栄えていきたいという、ポリーヌとジルの共同メッセージも公開されました。
3ヶ月後の春の日、ポリーヌ王女とジル王子の結婚式は盛大に行われ、両国の貴族たちが大勢出席しました。
ポリーヌは青の国で行われた婚約報告・祝賀会では“月のドレス”を着て、赤の国で行われた結婚式・披露宴では“太陽のドレス”を着ました。
結婚式が行われた夜、ポリーヌはベッドの上でため息を付きながら待っていました。状況は2年半前に青の国・王宮の一室で娘たちの訪問を待っていた時と似ていますが、あの時は男だったのに今回は女の側です。
女に変わってからまだ3ヶ月ですし、うまくできるかな・・・と少し不安はありましたが、きっと何とかなるだろうと思いました。
やがてジル王子が緊張した面持ちで部屋に入ってきます。
「結婚式は終わったけど、今から本当の僕たちふたりだけの結婚式だよ」
「はい。愛しております、ジル様」
「うん。僕も愛しているよ、ポリーヌ」
王子様が服を脱ぎ、ベッドに入って来ます。
そしてあちこち触られます。きゃー、こんなことまでされるの?と少し恥ずかしくなる場面もありましたが、やがて王子が自分の中に入ってくると
「これ本当に気持ちいい!」
と思いました。
ジルは結局1回逝っただけで眠ってしまいました。ポリーヌはその背中を優しくなでていました。
“夜の営み”って、女の方が男より気持ちよかったんだ!私、女になってよかったかも!
ポリーヌはその年の暮れ、玉のような男の子を産みました。赤の国の王様・お妃様は世継誕生に大喜びでした。
もっとも産んだポリーヌは
「赤ちゃん産むのがこんなに辛いとは思わなかった!」
などと、青の国から来てくれたリリアにこぼしていました。
「コレット様も、ポール様とした時は気持ち良かったけど、ソレイユ様やコスモス様を産む時が辛かったとおっしゃっていました」
「コレットとまたしたい気持ちもあったけど、もうできなくなっちゃったしなあ」
「まあ女になってしまったのですから、仕方ありませんね。ジル様にたくさん愛してもらってください」
「うん、そうする」
そんなことを言いながら、ポリーヌは自分の乳房に吸い付いているレオの背中をゆっくりと撫でてあげていました。
この後、ポリーヌはジル王子の子供を3人(レオ・ローズ・アポロ)産みました。それで彼女はポールとしては5人の王子王女の父親になり、ポリーヌとしては3人の王子王女の母となったのです。
ちなみにポリーヌがジルの王子レオを産む4ヶ月前にコレットはポールの第2王子コスモスを産んでいました。
ずっと姿を見せないポール王子について国民の多くが「実は亡くなったのでは」と思っていたので、コレットが今更産んだ子についても「誰か他の男の種では?」と考えました。しかし、コスモス王子が廷臣たちや地方長官などにお披露目されますと、その美しい金色の髪や耳の形がポール王子に生き写しだったので、
「コスモス王子は間違いなくポール様の御子だ!」
「ポール様は姿は見せないけど生きておられるのだ!」
と人々は言いました。そしてコスモスがシャルルの孫であり、ポール王子、ソレイユ王子の次の第3王位継承権を持つことを認めてくれました。
ずっと後には、赤の国の王子レオと、青の国の王女ルナが結婚したのですが、レオはジルを父、ポリーヌを母とする王子であり、ルナはポールを父、バルバラを母とする王女であり、ふたりは世間体的には従姉弟ということにはなっていますが、本当は姉弟です。
またその翌年には青の国の王子ソレイユと赤の国の王女ローズも結婚したのですが、ソレイユはポールを父、コレットを母とする王子、ローズはジルを父、ポリーヌを母とする王女で、こちらのふたりも世間体的には従兄妹ですが、本当は兄妹です。
でもどちらも異母姉弟/異母兄妹でも異父姉弟/異父兄妹でもない不思議な関係でした。
なお、ポール王子の消息についてシャルル王は「王子は海外に留学中」と死ぬまで言い続けました。そしてシャルル王が亡くなった後は、『ポール王子が辞退したので』と称し、ポリーヌの助言もあって、孫のソレイユ王子が後を継いで次の王になりました。
※野暮な解説
青の国の“王女”が3枚の豪華なドレスをもらったので、これを赤の国の王子が主催する3回のパーティーに一晩1枚ずつ着て出席したら、完全にシンデレラと同じパターンになるのですが、前半の流れから、“王女”が積極的な行動に出るのは不自然ですし、彼女はシンデレラのように低い身分の者でもないので、この物語では3日目のパーティーにだけ出る形で物語を構成しました。
グリム版の物語ではここで王女がひじょうに積極的になっており、不自然さがぬぐえません。
指輪の適合について原作では物理的な適合の話になっていたため、シンデレラと同様に指を削って填めようとする娘たちが出るのですが、シンデレラの問題点としてもあげられるように、細ければいいのなら幼い娘なら填められるはずです。今回の物語では“物理的な鍵”ではなく“霊的な鍵”(電子キー?)にしたことでこの問題を回避しました。
ペロー版「ロバの皮」では、王女の父は反省して、隣の国の王子との結婚が決まった娘を祝福し、両者は和解することになっています。これに対してグリム版のほぼ同じ話である「千匹皮」では、王女の父のその後のことは何も書かれていません。
しかし実はグリム「千匹皮」の“初版”では、王女は隣国に逃げ出すのではなく、王宮に留まり、結局父王と結婚してしまいます。ですから「父のその後」を書く必要はなかったのです。近親相姦をおかすので“いったん畜生の身に落ちた”というのが、動物の皮をかぶった意味なのではという解釈もあるようです。
グリム版は、実は2つの話をくっつけたもののようです。そのため前半と後半の王女の性格が違うなど、色々問題点が出てきてしまいました。グリム自身も違和感を覚えたものと思われ、第2版では、後半の王様というのは、別の国の王様ということにして結果的に近親婚も回避しています。
類話の年代
1634 Giambattista Basile「雌熊」
1694 ペロー「ロバの皮」
1812 グリム「千匹皮」(初版)
1819 グリム「千匹皮」(第2版)
1893 Joseph Jacobs「猫の皮」
古代エジプト“新王国”第18王朝の末期はひじょうに複雑な近親婚が行われている。
“鍵”となる人物は大神官アイ(Ay)である。アイの同母同父の妹がティイ(Tiy)で、アイの最初の妻がテイ(Tey)と、この2人の名前が紛らわしい。ネットに流布している書き込みの中にはこの2人を混同しているものも見掛けられる。
アイの妹ティイはアメンホテップ3世と結婚して2人の間にアメンホテップ4世(別名アクエンアテン)が生まれる。一方、アイとテイの間にはあまりにも有名なネフェルティティ(エジプト三大美女の1人)が生まれる。
ネフェルティティは最初叔母の夫であるアメンホテップ3世と(ティイの死後)結婚したが、アメンホテップ3世死後はその息子(ティイとの子)アメンホテップ4世と結婚した。つまり義理の息子(従兄妹でもある)との結婚である。
アメンホテップ4世とネフェルティティの間には6人の娘が生まれた。特に重要なのが長女メリトアテンと三女アンケセナーメン(別名アンケセンパーテン)である。
アメンホテップ4世の別の妻(詳細不明)との間に息子・スメンクカーラーが生まれるが、ネフェルティティ亡き後、アメンホテップ4世は自分の息子であるスメンクカーラーと結婚して共同統治者になった。エジプトでは王族の娘と結婚しなければ王の地位を保てないので、苦肉の策だったのかも。スメンクカーラーは死後、墓に女装で埋葬されている。ひょっとすると古代のトランスジェンダーMTFだったのかも。もっともスメンクカーラーはメリトアテンとも結婚している(あるいはメリトアテンの死後、性転換し、女になってアメンホテップ4世と結婚したか?)。
アメンホテップ4世亡き後は、アメンホテップ4世と更に別の女性との間の息子(スメンクカーラーの異母弟)であるツタンカーメンが王となり、アンケセナーメンと結婚した。
ここでアンケセナーメンは父がアメンホテップ4世、その母がティイであり、また母はネフェルティティでその父がアイである。つまり母の父と父の母が兄妹である。
そしてツタンカーメンの死後は、アイが(自分の孫娘である)アンケセナーメンと結婚して王の地位にあがった。
この付近はあまりにも複雑すぎて系図に書くのが困難である。3回くらい書き直してみたが、結婚線・親子線が入り込みすぎていて、図を見てもさっぱり分からなかったので、系図は省略する。
この物語の年表。
ジャンヌが亡くなった年を00年で数えた場合
00.05 ポール10歳
00.06 ジャンヌ死去
01.05 ポール11歳
01.06 没後1年
01.09 第1回のパーティー
01.12 第2回のパーティー
02.03 第3回のパーティー。ポリーヌが見いだされる
02.05 ポリーヌ12歳
02.06 没後2年
02.07 ポリーヌが実はポールだっとことを王が知る
02.09 4人の娘が妊娠判明。空のドレスをねだる
02.12 空のドレス完成。月のドレスをねだる。
03.03 月のドレス完成。太陽のドレスをねだる。
03.05 ポリーヌ13歳
03.06 太陽のドレス完成。娘たちが出産。ロバの皮をねだり王宮を去る。
03.06 没後3年
03.09 リリアが訪問。ドレスと指輪を渡す。
03.12 ジルが初めてロバの皮を見る
04.01 ジルが2度目にロバの皮を見る
04.02 ジルが3度目にロバの皮を見る。ロバの皮と話す。
04.05 ポリーヌ14歳
04.06 没後4年
04.07 ジルが病気に。ケーキをねだる
04.09 ジル回復。
04.10 最初のパーティー
04.11 2度目のパーティー
04.11 シャルル王への手紙。その返事をコレットが持ってくる。
04.12 3度目のパーティー。ジルとポリーヌが婚約する。
05.03 ジルとポリーヌの結婚式
05.05 ポリーヌ15歳
05.06 没後5年
05.08 コレットの第2王子コスモス生まれる
05.12 ジルとポリーヌの長男レオが生まれる
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【ロバの皮】(2)