【夏の日の想い出・愛と別れの日々】(下)

前頁次頁After目次

1  2 
 
 
前回来た時は半月ほどの滞在だったのだが、今回は私も千里もしっかり仕事をしていることもあり、滞在は長期間に及んだ。もっとも私も千里も各々のやむを得ない用事で、何度か島外に出ている。千里が出ている間は私は子供たちと政子!の世話で仕事にならなかったし、私が出ている間は千里も仕事にならなかったろう。
 
また正望・貴司さん・青葉の指導者の菊枝さん、和泉・美空・小風、★★レコードの八雲(旧姓氷川)課長・サマーガールズ出版の風花、千里の友人溝口さんや佐藤さんなどが度々島を訪れ、ついでに子供たちと少し遊んでいってくれた。特に風花は、こちらと東京の連絡役として毎週東京と宮古島の往復をしていた。菊枝さんはアナウンサーの仕事で自由の利かない青葉に代わって政子の心のヒーリングもしてくれた。
 
また亮平さんまで1度「大輝の顔を見に来た」と言って島を訪れたが、彼は宮古島の空気がとても気に入ったようで、引退したらここに住みたいなどと言っていた。
 
「でも大輝、なんでお前スカート穿いてんの?」
「おねえちゃんがはけっていった」
「お前女の子になりたい?おちんちん取っちゃう?」
「おちんちんはとられたくないよぉ」
 
亮平さんはどうもまだ政子に気があるようだったが、政子は「ごめん。まだ私、恋愛する気持ちにはなれない」と言っていたし、亮平さんも無理はしない感じであった。
 
八雲さんも「せっかく東京から2000kmも移動してきたから」と言って出張に有休を組み合わせて一週間も滞在し、島の空気を満喫して「うちの子供も連れてくれば良かった」などと言っていた。
 
「おばちゃん、左手のくすりゆびに、ゆびわつけてる」
と早月やあやめが言う。
 
「結婚してる人は付けるんだよ」
と八雲さん。
 
「うちのママとお母ちゃんは結婚してるけど付けてないよ」
とあやめが言う。ママというのは私のこと、お母ちゃんは政子のことである。
 
「あやめちゃんのママとお母さんはおそろいのプラチナのブレスレットをしてるでしょ。あれが指輪代わりなんだよ」
と八雲さんは教えてあげる。
 
「そうだったのか!」
 
「うちのお父さんはつけてるけど、お母さんはつけてない」
と京平。ややこしいのだが、京平の言うお母さんは千里でお父さんは桃香のことである。京平は実の父である貴司はパパ、実の母である阿倍子はママと呼んでいる。
 
「京平君のお母さんはバスケットをしてるから付けてないんだよ。バスケットをする人は付けるの禁止なんだ」
 
と八雲さんは答えていたが、千里は普段付けてはいないものの結婚指輪を2本所有している。桃香と一緒に買ったものと貴司さんと一緒に買ったものだ。信次さんと買ったものは三回忌の時にお母さんに返したらしい。
 

月があらたまり、4月2日(日)。この日は大輔と良輔の百ヶ日法要の日であった。実際には東京の大輔たちの実家の方に集まる人は皆無で、お母さん・リンナに須藤さんと付き添い役の悠子(ついでに美季)、それに大輔の事務所の元社長・レコード会社の元部長さん(どちらも今回の事件で引責辞職している)という7人でお寺に行き、お坊さんにお経を上げてもらったらしい。
 
ずっと後から聞いたのではこの時、須藤さんは初めて悠子が良輔の娘であることをお母さんに打ち明けたという。お母さんは、自分の孫が夏絵以外にも存在していて、こんなにも立派になっており、可愛い曾孫まで居ることを知って、随分元気づけられ、立ち直りのきっかけをつかんだらしい。その後、お母さんはしばしば悠子の家を訪れては、曾孫の美季と遊んであげる生活になったようだ。
 
宮古島でも私と政子に夏絵の3人で島内のお寺に行き、お経を上げてもらって故人の冥福を祈った。(「かえでも連れて行かないの?」と言ったら政子は「小さいからいい」と言った)政子は向こうのお寺の住職に、大輔の戒名を書いてもらった細長い紙を持ってきていて、それまでは毎朝その紙を取り出して夏絵と2人で「なんまいだー、なんまいだー」などと言っていたのだが、この日このお寺さんにその紙を納めて、それ以降は毎朝のお祈りもやめてしまった。
 
「もういいの?」
「うん。もう大輔との縁はこれで切れた」
「相変わらずドライだね!」
「千里も前の旦那が死んでから百ヶ日で仕事に復帰したらしいし、私もこれから仕事に復帰するよ」
「ほほぉ」
「ここのところずっとサボってたけど、今日からは毎日ちゃんと歌の練習をする。ピアノとヴァイオリンとフルートも気が向いたら練習する」
 
「よしよし」
 

実際この頃から政子が日々書く詩の品質も、まだ本調子ではないものの、かなり良くなった。
 
一方4月なので、京平は2年生になるが、そのままこちらの学校で2年生を迎えさせることにした。(埼玉の小学校には4月中くらいに戻ることを伝えており、教科書・教材なども確保してもらっている)
 
「ね、千里」
と私は前から疑問に思っていたことを尋ねたくなって千里に声を掛けた。
 
「何?冬」
と私と並びのデスクで作曲作業をしながら千里は返事をする。
 
私たちは紅川社長が用意してくれた部屋でデスクを並べ、ふたりともキーボードを接続したパソコンで仕事をしていた。
 
「京平君って、もしかして狐憑きか何か?」
「どうしてそう思った?」
「あの子、稲荷寿司が異様に好きだよね。それと私たちがここに来てから、紅川さん宝くじが2度も当たったって喜んでいた。それもしかして京平君のせいのような気がして」
 
「京平のお母さんは、離婚して2人で暮らし始めてから、早々にうちの貴司からの養育費をもらえなくなっちゃったんだけど、宝くじが頻繁に当たるもんだから、それで実は生活費が何とかなっていたらしい。でも京平を手放した後は全然当たらなくなったんだって。逆に京平と暮らすようになってから桃香は2度も100万円を当てている」
 
「それって何だか凄い」
「でも京平は狐憑きではないよ。少なくとも」
「でも何か似た系統の憑きもの家系?」
「秘密」
「むむむ」
 

「だけど京平君、けっこうスカート好きみたい。よく穿いてるし、学校にもそれで行ったりしてるね」
と私は言う。
「あれは桃香が唆している面もある。でも大輝ちゃんもよくスカート穿いてるね」
と千里。
 
「あれはあやめの悪戯。でも緩奈ちゃんは、ずっとタックしてるんだね。あやめは一緒にお風呂に入っても緩菜ちゃんが男の子だってのに気付いてないようだし」
「タック外すの嫌がるから」
 
「やはり自分は女の子だって意識なんだろうね、それ」
「冬も小さい頃からタックしてたんでしょ? 政子から冬の4歳くらいのヌード写真見せてもらったけど、お股の所女の子みたいにしてた。その頃性転換済みかとも思ったけど、さすがにそんな小さい頃に性転換はしないだろうから」
 
「あれ、うちのお母ちゃんが悪戯で時々やってたみたい」
 
タック(男性器を体内に押し込み、まるで女性のような割れ目ちゃんを手術無しで作ってしまう方法)が女装者の間で知られるようになったのは2001-2年頃で、実際には私が小さい頃にはまだあの方法は確立されていない。雨宮先生によると先行して1998年頃、アメリカで医療用ホッチキスで留めてしまうのを公開していた人が居たというが、MTFの人ではなくSM系の人が去勢の疑似体験をするためにしていたもようである。ただ、単純に中に押し込んでしまうのは、昔からやっていた人は多いのではと雨宮先生は言っていた。雨宮先生は高校生の頃、剃毛した上で中に押し込んで、荷造り用テープで留めてから女物のショーツを穿くと男性器の形が分からなくなるのでよくやっていたと言っていた。ただし荷造り用テープ程度では長時間もたないし、裸になるのは不可能。また現在の「テープ・タック」のように割れ目ちゃんまで形成してしまう方法は思いつかなかったと言っていた。
 
きっと、小学生の頃から女湯に入っていたMTFなどというのは私や千里たちの世代が最初だ。
 
「私も冬も骨格が女子だと青葉は言ってたね」
と千里は言う。
 
「うん。私が白骨死体で発見されたら、十中八九女性の白骨死体と判定されるよって、奈緒(小学から高校までの親友で現在群馬県内の病院で医師をしている。クロスロードの参加者)も言っていたよ」
と私も言う。
 
「実はね。私が性転換して即女子選手として認められたのは骨格が女子だったかららしい。つまり第二次性徴発現前に性転換したと認められたから」
と千里はやっとそのあたりの事情を明かす。
 
「ああ、そういうことだったのか。ふつうは性転換してから2年経たないと女子選手としては認められないはずなのにと疑問に思っていた」
「だから、薫は去勢してから2年掛かったんだよ」
「そんなこと言ってたね」
 
「冬は停留睾丸だったんでしょ?」
「そのおかげで男性化が遅れたみたい。声変わりは5年生の時に来たけど」
「私は声変わりは高3の時。私、小学4年生の頃からずっと睾丸を体内に押し込んでいたから。おかげで二次性徴の発現が遅れたみたい」
 
「でもお互いよくそれで精子が作れたね」
と私は言った。
 
「睾丸ってしぶといんだよ」
と千里。
 
「それは同意。熱湯に曝しても皮膚病治療用の赤外線照射を毎日2時間掛けても、使い捨てカイロで常時暖めていても死なないんだから」
と私。
 
「何か壮絶なことしてるなあ。でも生殖細胞って45度くらいで死滅するらしいから、それいったん死滅した後でまた復活してるよ」
「そうかも。でも千里もそのくらいしたでしょ?」
 
「まあ金槌で叩くくらいのことはしてるよ。するりと逃げるから逃げないように片手で押さえておいて叩く」
「うんうん。すぐ逃げるから押さえておく。でも結構痛いよね」
「気を失いそうになった」
「それでも潰れない」
「たぶん潰れるくらいの力で叩く勇気が出なかったんだよ」
「それはあるかもねー。自分で切り落とそうとしたこともあるでしょ?」
「それは私たちみたいな子は、みんな何度もやってるよ」
 

やはり百ヶ日法要で政子なりに気持ちの整理が付いたのであろう。4月も中旬になった頃、やっと政子らしい詩が復活してくる。
 
「良い詩を書くね〜」
と紅川さんが感心したように言うと
「私天才ですから」
と政子は答えた。
 
「いつもの政子だ」
と千里が言った。
 
「じゃ、そろそろ帰る?」
と私は言った。
 
「この島の生活も楽しいんだけどなあ。泡盛も美味しいし」
と桃香。
「宮古の泡盛が気に入ったのなら少し送ってあげるよ」
と紅川さん。
「わあ、欲しいです!」
 

私たちは結局4月20日の日食を見てから帰ることにした。
 
この日食は東京都区内では見られない。房総半島の館山で0.009くらいのわずかな食分、紀伊半島の潮岬で0.025、九州の鹿児島で0.029 だが、那覇で0.149, 宮古島では0.155まで欠けるのである。それで日食を見るためにわざわざ沖縄まで来る人も居たようである。(南大東島で0.206 小笠原の父島で0.270 海外ならグアムで0.702 オーストラリアの北西のケープレンジ国立公園付近では皆既になるので皆既を見たい人の多くは実際にはオーストラリアに行ったようである)
 

この日、テレビの取材班が乗る観測隊第1群は3機のジェット旅客機で南アフリカのヨハネスブルグを日本時刻の7時(現地時刻で午前0時)頃に離陸して一路観測地へ向かった。時速1100km程度のいわゆる遷音速で4時間ほど飛行し、インド洋南、フランス領南方南極地域ケルゲレン(Kerguelen)諸島付近に到達する。
 
ケルゲレン諸島は地図で見ると一見、紅葉の葉のような形をしたひとつの大きな島に見えるのだが、実はとても小さな島が多数で構成された諸島なのである。島と島を区切る水路はまるで川のようであり、良港に恵まれ、高緯度海域を航行する船のかっこうの待避所になっている。
 
日食が始まるポイントはこのケルゲレン諸島の北西、48゚27.1'S、63゚37.5'Eの位置である。日出直後で最初は金環食で始まる予定だったのだが・・・・
 
雪である。
 
観測ポイントに浮かべた船の上でリポートするNHKの人気女子アナが悔しそうな表情で風雪に荒れる夜明け空の中継をしていた。
 
しかしジェット機は雲の上を飛ぶので雨も雪も関係無い。安全間隔ギリギリの10km程度の間隔をあけて飛ぶ3機の飛行機は、各々アメリカ・日本・ロシアに所属していて、共同で取材をしている(パイロットはアメリカ空軍・航空自衛隊・ロシア空軍所属の、曲芸飛行の経験もある熟練パイロット)。テレビにはこの3つの飛行機から太陽を映した映像が並んで表示されている。
 
日本所属の観測機に乗る横浜の民放テレビの30代ベテランアナウンサーが「雲の上は晴れです。東の海から欠けた太陽が登ってきました」と報告する。この第1群の観測ポイントはケルゲレン諸島の北東、南緯46.5度・東経71.6度付近、日食開始ポイントから600kmほどの距離の場所である。
 
そして日本時間の11:37(現地時刻6:37)、日食はこの地点で金環食から一時的に部分食に変化した後、皆既食に変化した。テレビの画面では最も西を飛ぶロシアの飛行機の画面が金環食から部分食に変化し、そのわずか2秒後に最も東を飛ぶアメリカの飛行機の画面が部分食から皆既食に変化して「ハイブリッド食」というのがどういうものか中継されている各国の一般家庭に伝わったようである。この変化する間、真ん中の日本の飛行機の映像は部分食のままであった。
 
この様子は日本とアメリカはもとより、韓国や台湾・インド・ロシアなどにも中継されているのだが、幻想的な天体ショーにかなり沸いたようである。
 
なお、この金環→皆既の変化が起きたのは、時間的には開始点でのレポートがあってからわずか36秒後。日食はこの付近では時速6万kmという猛スピードで移動しているのである。スペースシャトルが宇宙空間を飛行する速度の倍であり、この速度に比べたらジェット機など停止しているに等しい。この様子を飛行機の中から撮影したのは「雲の上で撮影する」という意味しか無い。
 

中継はその後、オーストラリア北西端(12:29)、東ティモール(13:15)、ニューギニア島北西部(13:49)の定点観測地点から、##放送、◇◇テレビ、ΛΛテレビの女子アナがレポートをし、幾つかの洋上観測ポイントでの中継もあり、またオーストラリア近辺でロシアの超音速ビジネスジェット機Tu-144に乗る佐賀の民放局の22歳新人女子アナを含む国際報道団がマッハ1.8の速度で日食を完全に追いかけ10分間にわたって皆既食の様子をレポートした。地上での皆既継続時間は最大でも1分程度である。
 
日食の軌跡→ http://1.usa.gov/1zHDwqh (NASAのサイト)
 
日食は月が地表に落とす影なので、地球の表面が太陽と成す角度により移動速度は変化する。太陽を真正面に見ることになる中心区域では2000km/h程度だが、端の方になるほど地面が斜めに向いていることになり速度が上昇する。朝と夕方の影が長くなるのと同じ現象である。日食の開始ポイントでの移動速度が物凄かったのはこのせいである。
 
宮古島に居る私たちは13:25頃、全員日食グラスを持って表に出て南から少し西の方にある太陽を見る。大輝・かえで・葉月の幼い3人は、千里が見ておくよと言って家の中である。
 
「まだ欠けてないよ」
と政子が言う。
 
「もう少しだよ」
と私は答える。
 
「あ、左側が少し欠けてきた」
と最初に声をあげたのはあやめであった。
 
宮古島での日食は13:28に始まった。
 
「これもっと欠けるの?」
「いや、ここではちょっと欠けるだけ。一応最大食は14:16くらい」
 
「なんだつまらない」
などと政子は言うが、あやめや夏絵などの4歳児連合、京平や哲夫などは太陽が少し欠けているのを見て、充分大騒ぎをしていた。
 
「でもけっこう長時間継続するね」
と桃香が言う。
 
「終了は15:01かな」
 
途中で私は家の中に入り
「千里、交代するから見ておいでよ」
と言った。
 
千里も「ありがとう」と言って、私と交代で表に出て部分日食を見ていたようである。
 
「ぼくはみちゃいけないの?」
と大輝が訊くが
「大きくなってからね」
と言っておいた。
 

青葉が乗る特別観測機は日本時刻の12時(現地時刻13時)前にグアムを飛び立ち、マーシャル諸島南方海域へ飛ぶ。1000km/h程度で3時間近く飛行し、かつての日本最東端であったミリ環礁(ミレー島)の南南西160kmの海上 4.58N 171.14E 付近に到達する。
 
「太陽は現在皆既食です」
という青葉の声がテレビから響いたのが日本時刻14:50(現地時刻17:50)くらいであった。
 
「あ、あおばおばちゃんだ」
と京平が声を挙げるが、京平の声はやや、おびえている!?
 
「おにいちゃんって、あおばおばちゃんをこわがってるよね」
と早月が言う。
 
「私がいる限り大丈夫だよ」
と千里は言っている。いったい何があってるんだ!? 青葉がこんな小さな子供をいじめるとも思えないが。
 
「川上さん、なんか凄い服を着てますね」
とスタジオが呼びかける。青葉は耐G耐熱スーツを着ていて顔も宇宙飛行士のようなヘルメットで覆われている。
 
「はい。この服を着ていなかったら数秒で失神するそうです。でもこれ年齢も性別も分かりませんね」
と青葉は応じている。
 
「現在既にマッハ3.2 (3800km/h)で飛行していますが、これより加速するそうです」
という声のあと一瞬画像が乱れる。この特別機が付けているロケットブースターに点火したのである。
 
「現在速度はマッハ7.8 (9400km/h)に到達しました」
と青葉はレポートする。
 
この飛行機はアメリカ海兵隊が管理している最新鋭のジェット観測機で、機体の外装は超音速飛行のため発生する350度もの高温に耐えるチタン合金。単独でもマッハ3.6まで加速することができるのだが、スペースシャトルの打ち上げに使用するような巨大なブースターに点火することで最高マッハ8近くまで加速することができる(スペースシップワンと同様の方式だが、スペースシップワンはマッハ3しか出ない)。
 
ただし最高速で飛べるのはせいぜい6-7分である(もっともその6分間で900km 福岡から那覇くらいの距離を飛ぶことができる)。飛行時にはとんでもないソニックブームが発生するのでこういう海の真ん中でしか最高速飛行はできない。
 
このジェット機は制作費用が1機1兆円も掛かっておりアメリカもわずか3機しか所有していない。定員は操縦士2名を含めて8名。民間人は日米の大学の先生1名ずつと女子アナ1名=青葉。撮影は同乗している航空自衛隊の技術将校さんがしてくれている。非常に貴重な場所に陣取っているのだが、青葉も大学の先生たちも、加速時に掛かる凄まじいGと、機内冷却装置でも冷やしきれずに50度近くになる室温に耐える宇宙飛行士並みの訓練を受けさせられている。
 
(もっとも青葉は訓練中に米軍中尉さんから「うちの部隊に入隊しない?」と勧誘されたという噂がささやかれていた)
 
14:54頃「もうすぐ皆既食が終わります。ダイヤモンドリングが光りますからよく見ていてください」と青葉は言う。そしてすぐに「今終わりました。確かに光りましたね!」と興奮した口調で語った。
 
「よくわからなかった!」
などと由美と夏絵は言うが
 
「ひかったのみえたね」
と早月やあやめは言っている。緩菜は何のことやら分からない様子。私はそれを見て、どうも早月もあやめも霊感を持っているなというのを感じた。霊感を持っている人というのは、大事なシーンを視覚外でキャッチして、しっかりとそれを見る習慣がある。時計をふと見たら3:33だったとか、4:44だった、とかいう体験の多い人は概して霊感の持ち主である。
 
そして青葉は皆既食の終了を告げると、ほんの一瞬の後、続けて
「今金環食が始まりました!」
とアナウンスした。
 
この間、わずか2秒半、移動距離では数km。速度は9000km/h程度である。
 
そしてこの金環食も2分ほどで終了する。そして金環食の終了後すぐに太陽は(光っている側を上にして)西の空に沈んでしまう。
 
「三日月のような太陽が今沈んでいきます。約3時間の素晴らしい天体ショーを私たちに見せて。この感動をたとえれば、男の子がスカート穿いて魚を釣っているようなとでも言いますでしょうか」
 
この青葉の言葉は中継されている国に同時通訳でその国の言葉で伝えられたが「As if a boy on skirt fishing」と聞いたアメリカやインドの視聴者は、日本人の感覚はぶっ飛んでる!などとネットに書き込んでいたようである。日本のネットワーカーの間では「意味が分からん!」という意見が多かったようだ。
 
天体ショーの終了地点は 北緯2度58.9分、西経178度48.2分で、ハワイの南西300kmほどの場所である。実際この飛行機は観測終了後、速度を次第に落としてハワイに向かい日本時刻の15時半(現地時刻4月19日20時半)頃、ホノルル国際空港に着陸した。
 

この天体ショーを、青葉がレポートする太平洋上の中継まで見てから、私たちは宮古空港に移動し、帰途に就いた。紅川さん一家が空港まで見送りをしてくれたが、すっかり仲良くなった子供たちが別れを惜しんで泣いたりするので、
 
「じゃ、また夏休みに来るよ」
と言って私たちは飛行機に乗り込んだ。
 
夕方の飛行機で那覇に移動し、那覇からの最終便で私たちは東京に戻ったが、政子の実家に戻って子供4人を寝かせてから、私と政子は深夜、新宿のマンションに行った。
 
大量の郵便物の山がある。急ぎのものは姉や麻央が時々チェックして連絡してくれていたのだが、緊急ではないものは山のようになっていた。
 

「あれ、同窓会の案内が来てるよ」
「どの同窓会?」
「高校の時の。今週末。土曜日、つまり明後日」
「久しぶりだね」
「なんだ。佐野が幹事になったのか」
「ほほぉ」
「今まで生徒会長した飯田君が幹事していたんだけど、もう5年くらい実質活動できない状態が続いていたんで、佐野君が引き継ぐことにしたらしい。それで、新幹事になって第一回の同窓会だって」
 
「佐野君が幹事なら行かざるを得ないね」
「まあそうなるね」
 
佐野敏春は、私の姉・萌依の夫である小山内和義の妹の麻央の夫である。麻央は私の小学校の時の親友だし、佐野君自身、私や政子とずっと交流があった。まあ要するにほとんど身内だ。
 
私たちはその夜はマンションに泊まり、翌金曜日にレコード会社・放送局・事務所などに東京に戻ってきたことを報告して回った。そして土曜日、できるだけ質素な服装で、同窓会会場になっているビアレストランに出て行った。
 

会場に入っていくと、
 
「おお、唐本〜、愛してるよぉ」
などと言って佐野君がいつもの台詞を言って寄ってくるが、私に抱きつく前に麻央から蹴りを食らっている。
 
「麻央も来たんだ?」
「私関係無いと言ったんだけど、アシスタントで付いてこいと言われた」
 
「まあ配偶者同伴は構わないはず」
 
「あれ、唐本のフィアンセは来てないの?」
と近くに居た菊池君。
 
「正望は今大きな訴訟抱えていて忙しいみたい。私も1ヶ月くらい会ってない」
と私。
「お前ら七夕夫婦に近いだろ?」
と佐野君。
 
「そうなんだよねー。メールは毎日してるけど」
「そりゃメールも途切れたら自然消滅だろうな」
 

副生徒会長だった紗恵が乾杯の辞を述べて乾杯し、あとは適当に食事を取りながら歓談する。私は政子があまり食べないので、旅疲れであまり食欲が湧かないのかなと思って眺めていた。
 
しかしさすがにこの年齢になると女子の出席者は少ない。女手が足りないので私や政子、麻央もけっこう忙しかった。私たち以外で来ていた女子は、奈緒、琴絵、仁恵、詩津紅、紀美香、理桜、紗恵、など、何だか私と特に親しかった子が多い。学年は400人居たのだが、来ているのは男子100人・女子20人くらいである。
 
「女子は俺が個人的なコネで一本釣りした」
などと佐野君は言っている。
 
「なるほどねー」
 
それでこのメンツか。
 
「私、着ていく服が無いと思ったんだけど、佐野君から聞いた来てくれそうなメンツ聞いて、そのメンツなら普段着でいいかと思って出てきた」
と理桜。
 
「年収億ある人たちが、ユニクロ着てるからなあ」
と紀美香。
「私たちは普段着こんなもんだよ」
と私。
 
「那覇の国際通りで100円で買ったTシャツ着てこようかと思ったんだけど、さすがにやめとけと冬に停められた」
「庶民的だな」
 

宴が半ばになった頃
 
「ごめーん。遅れた」
と言って入って来た人物がある。政子がドキっとした表情で私の手をぎゅっと握りしめた。政子の表情を見るとどうも来ることを知っていたようだ。それであまり食べていなかったのかと私は思い至った。しかし政子は何だかもじもじしている。
 
「マーサ、挨拶だけでもしてきなよ」
「うん」
 
それは政子と一時恋人関係になっていた松山貴昭だった。彼と政子は2012年秋から2015年秋まで恋人であった。しかし2014年夏に彼が大阪本社に異動になった後はどうしても会う頻度が落ちていたようであった。また政子はなぜか最初から彼とは《友だち》という立場を崩さなかった。3年間も付き合ったのに、おそらくセックスは10回くらいしかしてない。結局、貴昭は2015年秋に同じ会社に勤める女性と婚約し、2016年春に結婚した。ふたりの間には子供も2人できたことを私は佐野君を通して聞いていた。
 
政子がなかなか動こうとしないので、私は政子の手を引いて彼の傍に行った。
 
「こんにちは」
と私が挨拶すると、貴昭は政子を見てドキッとしたような顔で
 
「久しぶり」
と言った。政子も何だか乙女のように恥ずかしがりながら
「久しぶり」
と挨拶する。
 
「松山君、大阪から来たの? 大変だったでしょ?」
と私は言う。
 
「いや、僕は4月3日付けで東京支社に転勤になったんだよ」
「あれ、そうだったんだ?」
 
「実はさ、誰からも聞いてなかった? 女房が去年亡くなってね」
「え!?」
 
「あ、その話、実は俺も昨日知ったんだよ」
と佐野君が言っている。
 
佐野君も知らなかったのなら、こちらまで伝わってくる訳が無い。
 
政子は唇に手を当てて本当に驚いているようだ。政子も知らなかったのだろう。
 
「それで僕も小さい子供2人抱えて途方に暮れて。昼間は保育所に預けてたんだけど、夕方引き取りに行くのが大変で。実際仕事の都合で行けなくて、こういうのは困るって随分保育所からも言われていたんだよ」
と貴昭。
 
「父子家庭って母子家庭以上に辛いんだよね」
と私は言う。
 
「奥さん、どこの人だったっけ?」
と佐野君が言ったら
 
「鹿児島県なんだけどね」
と貴昭が言ったのに続いて、政子が
「甑島(こしきしま)って所。川内(せんだい)から高速船で1時間半かかる」
 
となぜか政子が言う。貴昭はふーんといった感じの顔で政子を見ている。
 
「せんだいって宮城県?」
と佐野君。
「鹿児島県だって」
と近くに居た菊池君。
 
「それでうちの母さんにふだんの世話を頼めないかと思って東京に転勤させて欲しいと上司に訴えて、それでこの春にやっと東京に戻れたんだ」
と貴昭。
 
「じゃ、今、実家に住んでるの?」
と私が訊くと
「それが実家には兄貴夫婦が同居してるから、さすがに居候はできなくて、**町にアパートを借りたんだよ」
と貴昭は言う。
 
「私の実家の近くだ」
と政子が言う。
 
「借りた時に、それは一瞬考えた」
と貴昭も言う。
 
「取り敢えず出勤前に娘2人を保育所に連れて行って、夕方は母さんに引き取りに行ってもらっている。そして僕が会社が終わったら実家から回収してくる。母さんができない時は、兄貴の嫁さんが行ってくれる場合もある。でも娘2人がうちの母さんとあまり合わないみたいでさ。行儀がなってないって随分叱られているみたいだし、食事の習慣とかが違うのも困惑してるみたい。うちは関西風というか九州系の食事だったから」
 
「なんだか苦労してるね」
 
「ねぇ、その子たち、昼間はうちの実家につれてこない?」
と政子は言った。
 
お、政子にしては積極的だと私は思った。実際この時、政子がこんなことを言い出していなかったら、その後の展開は無かったろう。
 
「ああ、それはいいね。うちなら誰か世話する人がいるよ」
と私も援護射撃をしておく。
 
「うち今4人子供がいるからさ、そこに2人くらい増えても構わないから、うちに連れてきたら、御飯やおやつくらい食べさせるよ」
と政子。
 
「中田さん、子供4人もできたんだっけ?」
と貴昭。
「3人産んだし、1人は拉致してきた」
と政子。
 
「でも、旦那さんに悪くない?」
「私、結婚してないよ」
「その子たちの父親は?」
「4人の子供の父親が3人なんだけど、1人は死んでるし、1人とはお互いに結婚の意思は無いし、1人とは法的に結婚できない相手だし」
 
と政子は言った。危ない言い方である。死んだのが夏絵・かえでの父である百道大輔、結婚の意思がないのが大輝の父である大林亮平、そして法的に結婚できないのがあやめの父である私だな、とその時私は考えた。
 
「なんか複雑っぽいね」
「だからこれ以上複雑になっても平気」
 
「政子のお母さんが九州出身だから、うちの食事も基本は九州系だしね。松山君の娘さんたちとも合うかもよ」
と私は言っておく。
 
「それにうちは行儀なんて存在しないし」
と政子。
 
「まあ、お前たちって、食事以前の生活習慣が問題外だよな」
と佐野君。
 
「躾にはよくないだろうけどね」
と私。
 
「守らせているのはゲームは1日1時間以内というのと9時までには寝ることかな」
「いや、それはけっこうしっかりしている」
と麻央が言った。
 
「助かるかも」
と貴昭は少し考えながら言う。
 
「じゃ決まったね」
と私は言った。
 

月曜日、早速朝から貴昭がふたりの娘を連れてくることになった。
 
しかしその日朝から政子は(正確には私が)大量のサツマイモと格闘していた。実は桃香の親戚で千葉に住んでいる人がサツマイモを作っていて、大量のサツマイモをもらったらしい。宮古島でお世話になったお礼と言って、その大半をこちらに持って来たのである。
 
「これどうするのさ?」
「食べるから、冬、焼き芋にしてよ」
「結局私がやるのか!」
 
それで私は朝からサツマイモを洗ってはアルミホイルに包み、ロースターで焼くというのを何度も繰り返して、テーブルの上に大量の焼き芋を積み上げた。政子のお母さんが目を丸くしている。
 
そこに貴昭が来訪する。
 
「済みません。お世話になります」
と言って貴昭は紗緒里と安貴穂を連れてきた。
 
「いらっしゃい」
と政子の母が2人を笑顔で歓迎する。
 
「おはようございます。私が紗緒里(さおり)、こちらが妹の安貴穂(あきほ)です」
とお姉ちゃんの紗緒里が代表してしっかりと挨拶する。紗緒里は5月で6歳になるのだが母親を失ったことから、かえって自立心が高まっているのかも知れない。
 
「おお、偉いねえ、ちゃんと挨拶できるんだね」
とお母さん。
 
すると焼き芋を食べていた政子は
 
「サホちゃんもアキちゃんも、ほら、お芋食べなさい。美味しいよ」
と言った。
 
娘たちをうちに連れて来なよと言ったということは政子はまだ貴昭君のことが好きなんだろうけど、その好きな貴昭君の前でも政子って食欲を隠さないんだなと思って、私は微笑ましくそのシーンを眺めていた。
 
紗緒里は一瞬ためらったようだが、3歳の安貴穂が
 
「わあ、おいしそう。どのくらいまでたべていい?」
などと政子に訊く。
 
「10本でも20本でも100本でも食べていいよ。足りなくなったら、冬子おばちゃんが買いに行ってくれるから」
などと言う。
 
それで安貴穂が
「いただきまーす」
と言って、食べ出すと、紗緒里も最初遠慮がちに1本小ぶりのを取って食べ出す。
 
「おいしい!」
とふたりとも笑顔になる。
 
「これほんとに美味しい芋だよ。ふたりともどんどん食べなさい」
「はーい!」
 
それを楽しそうに見て、貴昭は出勤して行った。
 
そしてこの日から、私たちは6人の子供を育てることになったのである。
 

2023年5月23日(月)友引。この日富山県に住む青葉が、長年の恋人・鈴江彪志と結婚式を挙げた。
 
ふたりは随分昔から2022年か2023年に結婚しようと約束していたらしい。彪志は1993年11月生れで30歳になる前に結婚したいと言っていた。青葉は2020年春に大学を卒業して就職するので、就職してから最低2-3年は仕事をした後での結婚にしたいと言っていた。それでこういうスケジュールになったのである。
 
「でも凄く長い交際期間になったね」
と政子は私に言った。
「彪志君のお母さんが普通の女の子と結婚させることを諦めて、この際青葉でもいいかと思ってくれるのにも時間が必要だったんじゃないかと桃香は言ってたよ」
と私は答える。
「性別の変更って重たいんだね」
 
実際の結婚式の日取りを聞いた時、私は青葉に
「仕事は構わないの?」
と訊いたのだが
 
「うん。別に私たちはアイドルという訳でもないし。中央局の場合はまた違うみたいだけどね。結婚してもいいからあと5年は仕事を続けてくれと社長から言われた」
と青葉は言っていた。
 
「だけど結婚後、どこで暮らすの?」
「私は仕事があるから、ずっと高岡だよ」
「彪志君は東京だよね?」
「この4月に名古屋支店に転勤になったんだ」
「そうなんだ?でもどうすんの?」
「だから彪志は名古屋で暮らすよ」
「同居しないの〜!?」
 
「土日は彪志が高岡に来るし、私は月火が休みだから名古屋に行くし」
 
青葉はスポーツ中継やイベントなどのレポート(時には司会)が多いので土日に仕事して月火が休みのパターンになっている。水木はローカルの情報番組の司会をする。
 
「別居生活なんだ?」
 
「金曜日の夜に彪志がフリードを運転して高岡に来て、日曜日の夜に私が運転して一緒に名古屋に移動。火曜日の夜行バスで私は高岡に戻る。だから週の内、土日月火の4日間は一緒に過ごせるんだよ。まあ昼間はどちらかが仕事に行くから一緒なのは夜だけだけど」
 
「ハードな新婚生活だね!」
 

挙式披露宴は、青葉の仕事の拠点である金沢市で行うということであった。
 
岩手県から彪志の親族や青葉個人の友人など、東京や千葉から彪志の大学時代や仕事の友人、名古屋からも彪志の同僚を呼ぶので、その交通費・宿泊費だけでも膨大なものになったようである。出席者は100人を越えている。
 
「青葉、これいくら掛かった?」
と私が訊くと
「あはは。私も800くらいから先は集計不能になった」
などと言っていた。
 
式は金沢近郊の白山比ロ羊(しらやまひめ)神社で午前中に行われたが、出席したのは、青葉側が青葉・朋子・桃香・千里・私・政子・和実・菊枝・瞬高・慶子・天津子・舞花・テレビ局の制作部長さん、彪志側が彪志・宗司・文月、宗司の兄夫婦、文月の妹夫婦、文月の弟夫婦、彪志の上司の部長さんといった構成だった。
 
しかし青葉側に、青葉をはじめとして、菊枝・瞬高・天津子というとんでもない霊能者が並んでいるせいか、式を挙げるのに入って来た神職さんがギョッとした顔をしていた。
 
「えっと、私が結んでもいいんでしょうか?」
などと、いちばん凄い雰囲気を漂わせている瞬高に訊き、瞬高が
「ええ、お願いします」
と笑顔で言ってから、式は始まった。
 

結婚式が終わってから披露宴をおこなう金沢のホテルに移動するバスの中で、菊枝さんが私に話しかけてきた。
 
「披露宴の出席者名簿見てたんですけど、青葉の知り合いが幾つかのグループに分かれてますよね」
「私もそれ考えてました」
「青葉の大船渡での友人、高岡での友人、金沢の大学時代の友人、アナウンサー学校での友人、放送局に入社してからの友人、霊のお仕事で関わっている人、音楽関係で関わっている人」
「それにクロスロードの面々です」
「あと、若干千里さんの知り合いが入ってますよね?」
 
「ええ。千里の妹さんと叔母さんが北海道から来ているし、バスケ関係で特に親しい友人が数人来てくれています」
「震災の直後に、私は天涯孤独の身になっちゃったなどと言って泣いてたのが嘘みたいですよ」
と菊枝は言う。
「青葉は自分で人のつながりを作って来ましたね。あれから12年の間に」
と私も言った。
「そうですね。震災前の青葉って、むしろ自分から孤独に生きる道を選んでいた感じだったのに」
と菊枝は遠くを見るような目をしながら言った。
 

披露宴の司会は、青葉と同期で入社したものの昨年春からはフリーになっている森本アナウンサーが楽しく進めてくれた。「青葉ちゃん、私の結婚式の時は司会してね」などと言っていた。この模様は、わざわざ同局夕方の情報番組の中で録画だが10分以上も流したようである。出席者の顔ぶれが物凄いので局としても公共の電波を使って流すだけの価値があると判断したようだ。
 
余興はやりたがる人が多すぎて、かなり制限させてもらい、残りは二次会でということにした。私と政子も歌を歌ったし、鮎川ゆまは彼女が率いるレッド・ブロッサムで演奏を披露したし、スリファーズやスイート・ヴァニラズも演奏をする。青葉の高校時代の友人・空帆が率いるホローズはわざわざこの結婚式のために作った曲を披露してくれた。また青葉の友人の奈々美、千里の夫の貴司、千里の友人の溝口さん・佐藤さん・花園さんが千里も入れて6人でバスケット・パフォーマンスを披露した。元日本代表が何人も並ぶ豪華な顔ぶれだ。
 
さすがに動けない町添社長の代理で出席してくれた加藤部長が
 
「この様子をビデオで発売したい」
などと言っていた。
 
出席者間の交流も盛んだった。竹田宗聖さんが随分人気でサービスでオーラ鑑定などをしてあげていたし、音楽関係者同士で「今度一緒に何かやりません?」など話をしている人たちもあった。雨宮先生はナンパしようとして、お目付役?の新島鈴世さんから、蹴られたり!していた。
 

「なんか凄い霊能者さんたちが来てない?」
などと従姪の槇原愛が私に訊く。彼女は随分青葉が「鈴蘭杏梨絵斗(すずらんあんりえっと)」名義で提供している曲を歌っている。
 
「あの黄色いドレスを着ている上品な女性は高知の山園菊枝さん。青葉の実質的な先生だよ。黒い背広を着て頭を丸めているお年寄りは瞬高さんと言って、大阪の大きなお寺の住職で、青葉や菊枝さんたちの一派《長谷川一門》を統率している大僧正さん」
と私は説明する。
 
「きゃー。なんか凄そうな人だと思った」
 
「あの可愛い花柄のワンピース着て豪華な真珠のネックレスしている子は北海道在住の海藤天津子さん。青葉が唯一認めるライバルらしい」
「へー!」
 
「あと、竹田宗聖さん、中村晃湖さん、火喜多高胤さんは知ってるよね?」
「うん。3人ともテレビで見たことある。あんりえっと先生って、随分凄い人達と知り合いなのね」
 
「まあ青葉はその中でも恐らくトップ3のひとりだと思う」
「そんなに凄いんだ!?」
 

「なんか披露宴に出席している人の中にMTFさんが随分居るみたいな気がする」
と桃香が言う。
 
「まあ花嫁本人に千里に和実、淳さん、あきらさん、私に春奈に、青葉の高校時代の友人のヒロミさん、雨宮先生。それに会場には入ってないけどロビーでうろうろしてる緩菜ちゃん」
 
「やはり結構いるな」
「他にもいるかも」
 
そんなことを言っていたら、千里が寄ってきて
「今この会場に緩菜以外で男の娘さんが12人、女の息子さんも3人いるよ」
などと言う。
 
「そんなにいるのか」
「まあ性別なんて一種の方便だし」
「それは新説かも」
 
そこに更に瞬高さんまでやってきて
「なんか会場に人間ではない存在が紛れ込んでない?」
などと千里を見て話しかける。
 
「まあ数人神様が紛れ込んでますね」
「やはり!」
 
「瞬嶽師匠も見かけましたよ」
「あ、居たよね?僕の見間違いじゃなかったんだ?」
「愛弟子の結婚式だし、出席したくて出てこられたんでしょう」
「師匠も、生死を超越してるなあ」
 
「きっと弘法大師とか役行者(えんのぎょうじゃ)って、師匠より凄かったと思いますよ」
「だから超生伝説が生まれたのかもね」
「だと思います。実際に超生してたんだと思います」
 
「超生って、死んだ後も生きてるってこと?」
と桃香が訊く。
「そのやり方は、わりとみんな知ってる」
と千里が言うと
「まあ、本当にできるのかは死んでみないと分からないけどね」
と瞬高さん。
 
「死んでみなければ分からないことを、なぜ生きている君たちが知っている?」
と桃香。
 
「塩を入れた料理はしょっぱくなるだろうと想像するようなもの」
と千里が言うと瞬高は頷いていたが、桃香は
 
「私には分からん話だ」
と、少し引いている雰囲気に答えた。
 

音楽関係の人たちが大量に出席しているので、ご祝儀は恐ろしい金額になっていたようである。集計作業は、桃香が途中で音を上げたので、私がしてあげた。
 
「これお返しが大変だ」
と桃香は言っている。
 
「千里がやったらいいのに。業界関係者さん」
と言ったら
「私がやったら絶対数字が合わないから無理」
などと本人は笑っている。
 
「千里って、カメラはまともに使えないし、電化製品に弱いし、電卓で足し算させても間違うし、メールもよく宛先間違えるし、とても理系女子とは思えん」
 
などと桃香が言う。
 
「私、本当は文学部か何かに行きたかったんだけど、お父ちゃんが水産学部に行けとか言うからさ、妥協で理学部を選んだんだよ。高校の時は教頭先生との約束で医学部も受験したけど、私が医者になってたら大量に患者を殺してたと思う。私、血圧と脈拍を混同するくらいだから」
などと千里。
 
「それでよくSEなんかやってたね!」
「千里ってSEやってて、前の旦那と知り合ったんだったよね?」
 
「いや、実は私はプログラム組めないんだよ、ここだけの話」
と千里。
「プログラム組めない人がSEできるわけ?」
「あれはできるふりしていただけだから」
「よく分からん!」
 
「前から疑惑があったんだよね」
などと言って、雨宮先生が寄ってくる。
 
「千里って、高校2年生頃から音楽の仕事をしてたけど、その仕事は巫女さんやファミレスのバイトしながら理学部などという忙しいはずの大学生生活をしていた時期、それからSEの仕事をしていた3年間も途切れていない。それどころか、超多忙だったはずのSE時代の2016年に小野寺イルザが歌ってミリオンセラーになった『マジック・スクエア』を書いている。つまりだね」
と雨宮先生はいったんことばを切る。
 
「千里は3〜4人いるとしか思えないんだよな」
 
「ケイ3つ子説というのは昔からあったね」
と千里は他人事のように言う。
 
「千里も3つ子説か」
 
「きっとバスケしてる千里、SEしてた千里、音楽してる千里がいるんだ。だから実は音楽している千里はプログラムが組めない」
と雨宮先生。
 
「その説に賛成」
などと言って千里の妹の玲羅さんが寄ってくる。
 
「お姉ちゃんって時々物理的に移動不能なはずの遠距離で同時期に目撃されていたりするんだよね」
と玲羅。
 
「お姉ちゃんが雨宮先生たちと沖縄にいたはずの日に、千葉でお姉ちゃんは塾の夏季講座の講師をしていた。東京で仕事をしていたはずの日に、大阪で貴司さんの浮気阻止をしていたりする。バスケの試合で北海道に居たはずの日に貴司さんと大阪でデートしたりしている。これ何人かの人から聞いた話を総合していくと、その手の矛盾が浮かび上がってくるのよね」
 
「その手の伝説はケイにも多いなあ」
といつの間にか寄ってきている政子が言う。
 
「まあ、謎は謎のままで」
などと言って千里は笑っていた。
 

青葉の披露宴は13時から始まっていったん15時半に終了したものの、16時半から21時まで4時間半にわたって二次会が行われ、多数の友人たちが余興を披露した。千里、天津子、そして最後は花嫁の青葉自身と3人が続けて龍笛を吹いたのには、出席者は皆身震いをしてその超絶な音色の洗礼を受けることになった。
 
演奏自体も凄かったが、物理的な事件!?も多発する。
 
千里の演奏中には落雷が何度もあるし、天津子の演奏中にはホテルの窓が何枚も割れて悲鳴が上がるし、青葉の演奏中には停電してホテルの人が慌てて走り回っていた。
 
「こんな体験、きっと2度とできないよね」
と鮎川ゆまが物凄く感動したように言っていた。私も頷いた。
 
「私このホテルからお出入り禁止くらうかも」
などと花嫁は言っていたが
「壊したものの弁償は私がやっとくから心配しないで」
と私は言っておいた。
 
またこの2次会をやっている最中、千里は友人の花園さんと会場内に持ち込んだバスケットの移動式ゴールを使用してスリーポイント対決をしていたが、途中休憩を入れながら合計3時間以上シュートを撃って、ふたりが外したシュートはその間、お互い4本ずつのみで、「私はあんたたちを再度日本代表に推薦したくなった」などと、青葉がチームの応援歌を作曲した縁で出席していた北陸に本拠地を置く実業団バスケットチーム(花園さんが以前所属していた)の監督さんが言っていた。
 

なお、青葉は本来月火だけしか休みがないのだが、今回は特別に一週間お休みをもらったということで、彪志と一週間の新婚旅行に出かけた。青葉が休んでいる間の担当番組は、この局の元アナウンサーである森本さんが代行してやってくれたようである。スタッフの少ない地方局では、こういう時に元社員を臨時登用するのが、わりとよく行われるようだ。
 
青葉たちの新婚旅行の行き先は未定で車で気の向くままの旅をするということであったが、実際にはふたりは東北方面を走り回ったようである。
 

私と政子は結婚式の翌日、5月24日(火)に東京に戻った。この間、私たちの4人の子供や貴昭の2人の子供の世話は政子の母と私の母がしてくれていたのだが、なかなか大変だったようである。
 
24日は貴昭は仕事が残業になってしまい、遅くなるということだったので、紗緒里と安貴穂はうちに泊めることにして、2階の6畳の部屋に、あやめ・夏絵といっしょに2人も寝せた。女の子4人で随分騒いでいて、普段は温厚な政子の母に4人とも叱られていた。
 
大輝は2階の四畳半の部屋で私がかえでと一緒に寝かせ付けた。そして政子がひとりで1階の居間で貴昭の帰りを待っていた。
 
貴昭は結局12時すぎに帰って来た。
 
「お帰り、松山君。お疲れ様」
と政子が声を掛ける。
 
「遅くなってごめんね」
「サホちゃんとアキちゃんは2階で寝ているよ」
 
紗緒里は『さおり』であって『さほり』ではないのだが、政子はいつもこの子を「サホちゃん」と呼んでいて、紗緒里自身もその呼ばれ方がわりと気に入っているようである。
 
「悪かったね。ちょっと一息付いたら連れ帰るから」
「もう遅いもん。起こすの可哀想だよ。このまま寝せておきなよ」
「そうだなあ、そうしようか。明日の朝、顔を見に来るから」
 
「うん。ごはんも食べて行ってね。今シチュー暖めるから」
と言って政子はテーブルに乗っているIHヒーターのスイッチを入れ、こげないようにかき混ぜるる。料理が苦手な政子でも、シチューを温める程度はできる。
 
「ありがとう中田さん」
 
政子は何か考えているようであった。
 
「ビールでも飲む?」
「そうだなあ、もらおうかな」
 
それで政子はファンからのもらいものの、レーベンブロイを開けて貴昭に勧める。
 
「ありがとう」
と言って貴昭も受け取り、1口飲む。
 
「美味しい!」
「仕事で疲れた後の1杯は特に美味しいって、よく言ってたね」
「ちょっと懐かしいね、あの頃」
 
と貴昭も昔を思い起こすかのようであった。
 
ふたりは何となく、高校時代のことに始まって、大学生時代、そして大学を卒業してからしばらくまで、ふたりが熱い関係であった頃の昔話をした。貴昭が遅い晩御飯を食べるのに、政子も付き合って一緒にシチューを食べている。
 
「しかし中田さんに寝ている間にメイクされちゃって、服まで女物を着せられていて、途方に暮れたことがあったな」
 
「私、基本がレスビアンだから」
「まあ、僕も小さい頃は女の子になりたいと思ってたし」
「今はもう女の子になりたくないの?」
「諦めた」
「サホちゃん・アキちゃんが成人した後で性転換しちゃうというのは?手術代くらい出してあげるよ」
「その時考えるよ」
「奥さんの服をこっそり身につけて寝たりしないの?」
 
「どういう趣味だよ?」
と言って、貴昭は笑っている。
 
「でも女物の服が着れる体型でしょ?」
「僕はウェストが66・ヒップ94だから、男物の既製服が着られない。いつもイージーオーダーしてるよ」
「レディスを着ればいいのに」
「持ってないよ」
「露子さんの服も取ってあるんでしょ?」
 
「露子の服とか化粧品は東京に引っ越してくる時全部処分したよ。甑島から出てきてくれた妹さんに、持っていきたいものは持っていってと言って、それ以外は全部廃棄した」
 
政子は少し考えていた。
 
「捨ててよかったの?」
「一周忌も済んだし」
「それまでは露子さんのパンティ穿いたり、露子さんの口紅付けたりしてたんだ?」
「だから僕はそういう趣味は無いってのに」
「何なら私のパンティあげようか?」
「要らないよ。どうも中田さんは昔から、そういう変な道に僕を誘(いざな)おうとする」
「まあ、そういう趣味だから。タックくらいするんでしょ?」
「しないよー。立っておしっこできないと困るもん」
「せっかく教えてあげたのに。女子トイレなら座ってすることになるよ」
「女子トイレには入らないよ!」
「入っても絶対騒ぎにならないと思うけどなあ。むしろ男子トイレでお姉ちゃんこっち違うとか言われない?」
「言われないって。そういう方向に僕を誘い込まないでよ」
 
「ふふふ。だって、こういうのに反応するから貴昭君って面白いんだもん」
 
政子はここで彼のことを名前で呼んだ。すると少しだけ考えて貴昭も
 
「政子さんって、人が自主的に抑えたり控えたりしているものを、刺激して唆すのが趣味だよね。政子さんと付き合ってなかったら、唐本さんもきっと性転換に至ってないよ」
 
と言った。
 
「うん。冬は私が唆してなかったら、きっと30歳近くまで性転換に踏み切れないでウダウダしてたと思う」
 
と政子も自分が名前で呼ばれたことを自然に受け止めて言った。
 

ふたりの会話は一緒におやつなどもつまみながら2時近くまで続いた。
 
「すっかり遅くなっちゃった。ごめんねー。そろそろ帰るから」
「でもバスとか走ってないよ」
「タクシー呼んで帰るよ」
「それもったいない。うちの離れ、空いてるから泊まっていけば? サホちゃんとアキちゃんも泊まっているんだし」
 
「そうだなあ。じゃ泊めてもらおうかな」
「案内するね」
 
と言って政子は貴昭を案内して離れに行った。玄関の鍵を開けて2階への階段を登る。階段の照明は階段の上でも下でもオンオフできるタイプである。
 
「1階は物置なんだね」
「前面シャッターだからガレージにもなるようにしてる。だから車をもう1台置けるよ」
「なるほどー」
 
階段を登ったところで2階の電気のスイッチを入れる。2階は畳敷きの8畳ほどの部屋である。キッチンがあり、1階にはユニットバスも付いているので、この離れだけでも生活できるようになっている。
 
「あれ?エアコン付けるの?」
「この付近、今くらいの時期までは明け方結構冷えるんだよ」
「ふーん」
 
「今布団敷くね」
と言って、政子は部屋の隅に畳んで重ねている敷布団をひとつ敷いて、シーツもかけ、その上に毛布・掛け布団を掛けた。枕も1個置く。
 
「じゃお休み」
と政子が言うと
 
「うん。お休み」
と貴昭は言う。
 
しかし政子は部屋を去らない。ふたりはしばし見つめ合っていた。
 
「まぁちゃんはどこで寝るの?」
と貴昭は訊く。
 
政子は8年ぶりに《まあちゃん》などと呼ばれてドキっとした。
 
「母屋の2階の4畳半で、冬がかえでと大輝と一緒に寝ているから、そこで寝るよ」
 
「4畳半に4人も寝るの、狭くない?」
と貴昭。
 
政子はかなり考えてから返事をする。
 
「そうだね。ここでたぁちゃんと一緒に寝ちゃおうかな」
 
と政子も8年ぶりに彼のことを《たぁちゃん》と呼んだ。
 
「うん、そうしなよ。ここもうひとつ布団敷けるよね?」
と貴昭。
 
「敷けるけど面倒くさいなあ。布団1個で間に合わせちゃおうかな」
と政子。
 
「それでもいいよね」
と貴昭は言う。
 
それでふたりは微笑んだ。
 
「私、裸で寝るのが好きなのよね」
「前からそうだったね」
「たぁちゃん、背広で寝るの?」
「まさか。脱ぐよ」
 
と言って貴昭は背広とズボンを脱ぐ。政子もトレーナーとTシャツ、スカートを脱ぎ、お互い下着姿になる。
 
「たぁちゃん、男物の下着をつけてるのね」
「なんでー」
「女物をつければいいのに」
「そんな趣味無いってのに」
「自分のブラジャーとかショーツくらい持ってないの?」
「結婚前に捨てた」
「また買えば?」
「だから、そういうの唆すなよ」
 
結局ふたりとも裸になってしまう。部屋はエアコンのおかげで既に暖かくなっている。
 
「露子さんのこと好きだった?」
「もちろん。亮平さんや大輔さんのこと好きだった?」
「そんなでもないかも」
「そうなの〜?」
 
それで、灯りを消して一緒の布団に入った。
 
「おやすみ」
「おやすみ」
 
と言い合う。
 
初夏の夜は静かにふけていった。
 
前頁次頁After目次

1  2 
【夏の日の想い出・愛と別れの日々】(下)