【Les amies 振袖は最高!】(1)

次頁目次


 
小夜子はその日の興奮を少し鎮めてから帰ろうと思い、夜の街を当てもなく歩いていた。夜風が冷たくて気持ちいい。街灯りが退廃的でなぜかほっとする。歩道橋を渡っていたら下を通る車のヘッドライトがなぜか新鮮に思えた。しばし眺めてみる。
 
子供の頃、こうやって友達と一緒にずっと車の行くのを眺めていたりしてたななどと思った時、誰かにいきなりぎゅっと抱きしめられた。
 
あまりに驚いたので声が出ない。『きゃー、これって悲鳴出さなきゃいけない?』
などと思った時、小夜子を抱きしめた人影が大きな声で言った。
「早まっちゃいけない。生きてれば何とかなるものだから」
『はあ?』
小夜子は訳がわからずに周囲を見た。
「ねえ、君少しゆっくり話そう」
 
少し離れた所に人が2人ほどこちらを見ている。
ようやく少し事態が理解できた。
「違います。私死んだりしないから離して」
「大丈夫?」
小夜子を抱きしめていた女性?が腕の力を緩めた。
「ただ、夜景を見ていただけです。自殺じゃないです」
「ほんとに?」
といってこちらを心配そうに見るこの人・・・あれ、この人は?
「ええ、だから離して」
その人物はやっと小夜子を解放してくれた。
「アッキー?」と小夜子は戸惑いながらその人物の名前を言う。
「あれ、なんだサーヤだ。久しぶり」向こうも気づいたようで懐かしい愛称を口にした。
「うん、ほんと久しぶりね」
 
「その子、お姉ちゃんの知り合い?」
少し離れて見ていた中年の男性が声を掛ける。
アッキーは「ええ、そうです。ちょっと連れてって話をしますから」
「別に、私話をすることはないんだけど・・・」
「いいから来いよ。ちょっと下の方を見てごらん」
小夜子ははじめて歩道橋の下に目をやる。
きゃー。なんか凄い人だかりが!!
 
「夜中に女の子がひとりで寂しげに歩道橋から下を見てたら自殺かと思うさ。さあ、行こう行こう」
結局、小夜子はアッキーに促されて、歩道橋を降りた。
そこにパトカーがやってきて、警官が降りてきた。
「身投げしそうな人がいると通報があったのですが」
「あ、大丈夫です。私、知り合いなので連れていきますから」
「おお、無事だったか。それは良かった。じゃゆっくり話を聞いてあげて」
「はい」
 
「私別に・・・」
「いいじゃん、説明していると面倒だ。どこかで甘いものでも食べよう」
アッキーは小夜子を少し離れた所にあるファミレスに連れ込んだ。
ここは24時間営業の店だ。
「何か食べる?ボクおなか空いちゃって」とアッキーが言う。
「私、コーヒーでいい」と小夜子は答える。
アッキーはちょうど水を持ってきたホールスタッフに
「ピザ・マルゲリータ1つ、ホットチキン1つ、シフォンケーキ1つ、お汁粉1つ、それにドリンクバー2つ」と注文した。
「そんなに食べるんだ」と驚いたようにいう。
「サーヤもおなか空いたら後で追加して。今日はボクのおごりにしておくから。今夜は晩ご飯食べ損なったんだよ。新人さんの練習に付き合ってたら。あ、コーヒー持ってくるから座ってて」
 
小夜子は「ふう」とようやく息をついてあらためてまわりを見渡した。もう12時近いのに、テーブルは7割方埋まっている。
 
アッキーがコーヒーをふたつ持ってくる。
「はい、アスパルテーム。サーヤはこれが良かったよね」
「うん」
といって小夜子はあらためてアッキーを眺めた。
「そうやってると、完璧に女の人にしか見えない」
「うん、そう思われるのには慣れてるから、そう思われても気にしない」
アッキーは白いブラウスの上にモスグリーンのカーディガンを着、下は黒いフレアースカートだ。
「別に女装しているつもりはないんだけどなあ」
「まあ、個人のファッションの感性は自由だと思うよ。もう私も関係無いし」
「美容室のお客さん、女の人がほとんどでしょ。髪型とファッションは切り離せないものだし、女性のファッションが理解できてないと髪型もデザインできないと思うんだよね。それでこうやって女性の服を自分でも着てみているだけで」
「仕事場でもそんな感じ?」
「うん。スカート穿いてることが多い」
「でもアッキー、確かにそういう格好が似合ってるよね。『女装してる男』には見えない。ちゃんと女の人に見えちゃう」
「うん、まあ子供の頃からそれは言われてたけど、ボクは別にGIDではないし、性転換とかするつもりは無いから。あくまでボクは男だよ」
「うん。知ってる」
アッキー・・・・晃がとても男性的な性格で、決断力や行動力にすぐれていることは小夜子がいちばんよく知っていた。思えば晃と別れたあと付き合った男性はみんな優しそうと思ったら頼りなく、しっかりしてると思ったら独善的だったりで、結局誰とも長続きしなかった。晃は性格的には凄くバランスが良かった。気は優しくて力持ち。よく気が回るし、こちらの微妙な心理をよく読んで配慮してくれた。性格だけ見れば最高かも。でも、この女装?趣味に付いていけなかったのだった。
 
「でもサーヤ、しっかり美人になってる。彼氏いるの?」
「ありがと。恋人はいないけど、アッキーとまた恋人になるつもりはないから心配しないで。でもアッキーも随分美人になったんじゃない?」
「ありがとう。昔からするとお化粧の技術が上がったからかな。一応プロだし。それとボクもしばらく恋するつもりはないから大丈夫だよ」
「お客さんのメイクとかもするの?」
「するよ。若い女の子向けにミニ・メイク教室とか美容室でやったりもしてるよ。けっこう女性の美容師さんでも系統だてて説明できる人はいなくて」
「へー」
「まあ少人数の美容室だから、そういう仕事もやらせてもらえるんだろうけどね。大手だと、メイクとか着付けは女性の美容師さんの独占だ」
「ああ、前の美容室やめたのね」
「うん。あそこでは一応シニア・スタイリストまで行ったけど、大手は基本的に分業方式だからね。ひとりのお客さんの、髪を切る人、シャンプーする人、パーマ掛ける人がぜんぶバラバラ。どうかすると左右で別の人がパーマ掛けたり。それでは『その人の髪』にちゃんと責任を持てないと感じて、マンツーマンで、ひとりのお客さんの髪について全部ひとりの美容師が担当する方式の所に移ったんだ。給料は安くなったけどね」
「へー」
「おかげで、ここではメイクとか着付けとかもさせてもらえる」
「着付け?相手は女性よね」
「うん。ただし肌襦袢までは女性の美容師さんにやってもらって、その後だよ」
「びっくりした。でも、それでもお客さん、男の人に色々触られるの嫌がらない?」
「一応、30歳未満のお客さんは全部女性の美容師さんがする方針。
30歳以上のお客さんで、ボクでもいいという人を担当してる」
「でもアッキーだと、ふつうの男の美容師さんとは女の側として受ける印象が違うかもね。半分くらい女の同類かも知れないから、まいっかという感じになるかも」
「うーんと・・・・まあ、いいや。そうだ!」
 
「何か?」
「唐突だけど、サーヤさ、着付けの検定のモデルとかやってくれないかなあ。サーヤ着物好きだったよね。モデル代も払うよ」
「検定のモデル?」
「実は今年から着付けの国家試験ができたんだ。それでうちでも着付け担当しているスタッフは全員受験することになって。夏に筆記試験があって、これは楽勝だったんだけど、12月に実技があるんだけど、これが人間のモデルに振袖の着付けをしないといけないんだ」
「12月・・・再来月か・・・うーん。特に予定とぶつからなかったらしてもいいよ。私確かに着物好きだし。訪問着くらいなら自分でも着れるし、振袖もうちに10着くらいあるよ。で、肌襦袢とか補正は女性の人がしてくれるんだよね」
「いや、これは検定なので、補正や肌襦袢からボクがしなくちゃいけない」
「えー!?」
「それで、実は頼める人がいなくて困ってたんだ」
「うーん・・・・」
「12月7日なんだけど、どうかな」
「アッキー、彼女とかいないの?」
「君と別れたあとは、彼女も彼氏も作ってないよ。忙しかったこともあるし」
わざわざ『彼氏』とまで付けくわえるのがアッキーらしいと思った。
実際、以前交際していた時も、この人実はホモではと思ったりすることもあった。本人が言うにはバイではあるけど男性との恋愛経験はないという話だった。『言い寄られたことはあるけど好みじゃないから断ったよ』などと言っていた。
 
「まいっか。今日の分の借りを返すというところで。7日なら今の所予定入ってないし。有休とってモデルしてあげる」
小夜子は手帳を開けて予定を確認して言った。
「助かるよ、ほんとにどうしようかと思ってた」
「それで検定前にもできたら練習で着付けさせてもらいたいんだけど」
「練習か・・・・どのくらいの頻度で?」
「できれば毎週1回くらい。検定の前の数日間は可能なら毎日」
「毎日!?」
「時間帯はそちらの都合に合わせる。深夜でも早朝でも構わない」
「・・・・まあ試験だしね。いいよ。そうだ、今からうちに来て、ちょっと着付けしてみてよ」
小夜子はピザをつまみながら言った。実はピザもチキンもほとんど小夜子が食べていた。お汁粉とケーキは全部小夜子が食べていた。アッキーはたぶんピザ一切れくらいしか食べていない。
「今から?夜中だけどいいの?」
「ためらうような仲でもないしね」
 
ふたりはレストランを出るとタクシーを停め、郊外の小夜子の家まで行った。「おかえり。随分遅かったのね」小夜子の母がまだ起きていたようだ。
「うん。でもお友達と一緒だったから大丈夫。今夜泊まってもらうから」
「あ、すみません。お邪魔します」晃は慌てて小夜子の母に挨拶した。「あら、美人のお友達ね」と小夜子の母がにこやかに言う。和服を着ている。なんと大島紬だ。しかもかなり糸が細かい上等な品。これが普段着か。しかも、さりげなく着こなしている。
 
「泊まってもらうからって・・・・」
「Hは無しだからね」
「いや、ボクは着付けをさせてもらえば充分で」と晃は少し困ったように言う。「どれにしようかな・・・・やはり、これにしよう」と小夜子が取り出したのは白地にピンク系統の豪華な模様が入った上等な振袖だ。
「値段は聞かないことにするよ。しかし見事だね、これ。友禅・・・加賀友禅?」
「うん。私のいちばんのお気に入りなの。『雅の鳥』という名前なのよ。帯はこれね。袋帯・全通でいいんだよね。検定の時、これ使ってよ」
「うん。ありがとう。全通でも六通でもいいけど、この振袖に六通は使いたくないよ。しかしこの帯も凄いな。やりがいがある」
「今、肌襦袢・長襦袢とか持ってくるね」
 
小夜子は和服用の下着セットを持ってくると、晃の前でためらうことなく下着姿になった。晃もプロ意識になり、よけいなことは言わずに補正を始める。
「でも普段はどうやって練習してるの?」
「着付け練習用のボディを自宅に用意してるから、それで毎日4回くらいやってる。朝起きてから1回、帰ってから3回。練習用の和服も、振袖、訪問着、付下げ、留め袖、浴衣と揃えてるよ。」
「おおさすが。でもマネキン相手か・・・・でも生身の人間とは感覚が違うでしょう」
「自分も練習台にして着付けしてるよ。休日はそのまま街に出て散歩したりもするけど」
「ああ、自分で振袖着れるんだ」
小夜子は突然アッキーにも振袖を着せてみたい気がしてきた。
 
「もちろん。でも訪問着などからすると難易度が高いよね」
「うん。私も街着や訪問着は自分で着るけど、振袖は無理。どうしても崩れちゃうから、お母ちゃんに着せてもらうんだよね」
「練習すればできるようになるよ」
「じゃ、教えて。12月までに。練習に付き合う報酬ということで」
「いいよ」
 
振袖を着せ終わり、帯を作っている時に、トントンとノックがあり、小夜子の母が入ってきた。
「まだ起きてるみたいだから、お邪魔かもとは思ったけど」
とお茶とお菓子を持ってきてくれている。
「あら、加賀友禅を着てるの?」
「うん。彼女美容師さんで、今度着付けの検定受けるの。それで
着付けのモデルを引き受けたんだ」
「すみません。面倒なことお願いしまして」と晃は少しはにかみながら言った。
「あらそうなんだ。少し見せてくださる」
「ええ、これで・・・完成です」と晃は『ふくら雀』を仕上げて答えた。
 
小夜子の母はどうも着付けの状態をチェックしているようだ。
「あなた、腕力があるのね。しっかり締まっている」
「ありがとうございます。でも着付けは全身運動ですね」
「ふくら雀もきれいにできてること。ふんわりして形が上品。私もこんなにきれいには作れないわ。さすがプロね」
小夜子の母は鋭い視線で着付けの状況をチェックしていたが、やがて
満足そうな笑みに変わった。どうやらお母様の眼鏡に適ったようである。
 
「それでさ、私も彼女に教えてもらって振袖自分で着る練習しようかと思って」
「あら、いいわね。じゃ、いっそ小夜子がこの方にも着せてあげたら」
「うんうん、そう思ってた!」
「え!?」と晃はびっくりして言う。
「まずは人に着せて基本を覚えて、それから自分で着るのがいいよね」
「まあ確かに」
「自分で着るときは前で結び目作るから、うまくできたかなと思っても最後に帯を180度回して後ろにやる時に全部崩れちゃう。あちこち誤魔化しながらやってるからなあ」
「あの回すのは気合い」
と晃は苦笑して言う。
 
「そうだ。まだお名前を聞いてなかったわ」
「あ、すみません、浜田晃と申します」
晃は美容室の営業用の名刺を出して小夜子の母に渡した。
「あきらさんなのね。まあデザイナー。デザイナーってスタイリストの上でしょ?」
「いや、小さな美容室なもので」と晃は照れながら言う。
「私とは古い友達で、サーヤ、アッキーの仲なの」
「小夜子がサーヤと呼ばせるのは、かなり仲の良いお友達ね。あ、ごめんなさい、私もお名刺、差し上げますわ」
小夜子の母は部屋を出ると少しして戻ってきた。
『○○流華道正教授 総華督 松阪華鈴』と書かれている。
そうか。お花の先生か。そういえばサーヤも準教授だかの肩書き持ってたな。
 
「本名は五十鈴なの」と小夜子の母は付け加えた。
「きれいなお名前ですね」
晃はそのようなやりとりをしながら、この小夜子のお母さんは自分を女と思っているのだろうか、それとも男と分かっていて気にしてないのだろうかあるいは自分をニューハーフの類と思い女性に準じる扱いをしてくれているのだろうかと疑問を感じた。しかしとにかくも自分をこの家の客として迎え入れてくれているのは確かなので、それ以上考えないことにした。
 
五十鈴が下がったあと、晃は小夜子の求めに応じて記念写真を何枚か撮り、今度は着物を脱がせていった。終わったのはもう4時近くだった。
「えへへ。久しぶりにこれ着たし。mixiの日記に載せちゃおう」
「サーヤ仕事は?」
「私は今日は休み」
「ボクは9時半にはお店に出ないと。余ってる毛布とかあったら、恵んでくれる?部屋の隅で寝るから」
「あら、ベッドで一緒に寝ましょう。セミダブルだからふたりで寝れるよ」
「え、だって」
「遠慮する仲でもないでしょ?あんな所まで舐めあったことのある仲だし」
「あのねぇ・・・」
「Hはしないよ。我慢できるよね」
「我慢も何も、純粋に睡眠を取りたいから」
「じゃ、一緒に寝よう。私パジャマに着替える。私ので良ければパジャマ貸すよ」
「うん、助かる」
晃は小夜子のパジャマを借りると手早く着替えてベッドに潜り込み奥の方で丸くなって眠り込んだ。
 
小夜子はそんな晃をなんとなく愛おしいような視線で見ていたが、やがて自分もベッドに潜り込み、もう熟睡している感じの晃の額に軽くキスするような真似をすると、少し離れた位置で目を閉じ眠りの世界に入っていった。
 
 
翌朝、晃が小夜子の家を辞そうとすると、五十鈴に呼び止められ
朝ご飯をごちそうになった。
「あの子、あまりお友達を連れてきたりしないので、よかったら仲良くしてやってくださいね」
「はい。ありがとうございます」
いつでも歓迎ということなのだろうけど、これってずっと自分はサーヤの「女友達」扱いということかな?と晃は思った。『ま、いっか』晃は心の中で苦笑しながらも、この上品なお母さんの手作りらしい朝ご飯を頂いた。ちなみに小夜子はまだすやすやと眠っていた。
 
結局晃は毎週水曜と土曜の夜に小夜子の家を訪問し、着付けの練習をさせてもらうことになった。まず晃が小夜子に着付けした後、小夜子が教えられながら晃に着付けする。それが終わったら再度晃が小夜子に着付けするというコース。自分で着付けした後で一度模範演技を見れば確認になるからと小夜子が言い出したのであった。
 
初日こそ数百万はしそうな加賀友禅を使ったが、さすがに毎回それを使うわけには行かないので、晃が手持ちを持ち込んだ練習用の振袖2着と、小夜子が普段のお出かけに使っているという普及品クラスの振袖3着を練習に使うことにした。
 
「アッキー、おっぱいあるのね」と小夜子が晃に着付けをしながらわざとブラにさわってくる。「ブレストフォーム付けてるから。シリコン製の偽乳だよ」
「でもおっぱい無い方が着物って着やすくない?」
「いやだから、おっぱいある人に着せる練習しなくちゃいけないから。普段の仕事ではそこの部分をやらせてもらえないから自分の体で補充練習している。今Bカップになるフォーム付けてるけど、Dカップになるフォームも持ってるよ」
「そっかあ、補正の練習が不足気味なのね。いっそうちにずっと泊まり込む?毎朝やらせてあげるよ」
「試験の前一週間はそのくらいさせてもらうと助かる。あ、着付け練習用のボディとか、ここに持ち込んで良い?サーヤが休んでいる間もそれで練習できるし」
「いいよ、いいよ、何でも持ち込んで」
小夜子は晃とそういうやりとりをしながら、自分が晃を完全に同性の友人として見ていることに気づいた。
同性の友人・・・・・私たちって男女の恋人としてはうまく行かなかったけど、女友達としてなら、ずっと仲良くできるのかも。アッキー、いっそホントの女の子になってくれないのかな。そんなことも考えたりしていた。
 
「ねえ、性転換手術の費用無いんだったら、私出してあげるよ」と小夜子は唐突に言った。晃が小夜子の家に来るようになってから半月が過ぎ、もう11月に入っていた。試験まであと1ヶ月である。
「いや、なんでそうなるの。ボクは男だし、女になりたい訳じゃないから」
「性転換手術までしなくても、去勢して女性ホルモン飲むだけでもかなり女らしいボディになれるんじゃない?」
「いや、だからボクは単に女の子の服を着るのが好きなだけだから」
「本物のおっぱいとか自分のものにしたくない?」
「ないない。パッドで充分」
「一服盛っちゃおうかとも思ったんだけど。食事に女性ホルモン混ぜちゃうとか」
「こわいことやめて。一応、ボクも可能なら将来女の人と結婚して子供も作りたいし」
「私、産んであげようか?」
「はあ?」
「アッキーの子供を私が産んで。そうねえ、2人くらい子供作ったら、スパッとおちんちん取っちゃうとか」
「なぜ取る必要がある?」
「でも、何かの事故でおちんちん無くなっちゃったらどうする?」
「まあ、無くなっちゃったら仕方ないけど」
「あ、やはりそこが普通の男の人とは違うと思うな。普通ショックだとか絶対嫌だとか反応するでしょ。アッキーは女の人としても充分適応していけると思うよ」
「そうかなあ。。。。でもさ」
「うん?」
「ボクとサーヤって、子作りというかHしない関係の方がうまく行きそうな気がする」
「うん」
小夜子はまじめな顔に戻って頷いた。
 
毎週土曜の夜は着付けの練習の後、そのまま泊まっていくのが常になっていた。いつも同じベッドに仲良く寝ていたが、Hどころか抱き合うこともなかった。小夜子は一度裸で先にベッドに入り、いたずらっぽい視線で見つめたりしたが、晃は困ったような顔をして「ちゃんと服着ないと風邪引くよ」と言い、軽く頬にキスしただけで、壁のほうを向いて寝てしまった。自分に魅力がないから何もしなかったというより、自分を大事にしてくれるから何もしなかったというのを、晃の優しいキスで感じ取っていた。
 
「でもさあ、私達が恋人に戻らないとしたら、私が他の男の人と結婚しても平気?」
小夜子はまた別の機会に晃に聞いてみた。
「ショックだけど、受け入れるよ。君が選ぶほどの人なら。それに・・・・ボクはたぶんサーヤの夫としては振る舞いきれない」
「ふーん。やはりショックなんだ」
「そのあたり、あまり突っ込まないで欲しい」
「うふふ」
「何だい?」
「いいの」小夜子は少し楽しい気分で微笑みながら晃の腰に手をやった。晃は腰に触っているくらいなら、振り払わずに受け入れてくれていた。
「ボクたちって、たぶん女友達という関係でいいと思う」
小夜子は心の中で頷きながらも敢えて返事はしなかった。
 
「アキちゃん」
その日。水曜日なので小夜子の家に行くのに定時で上がり、お店を出ようとしていた時、店長が晃に声を掛けた。
「はい」「検定のモデルをやってくれる人、決まったと言ってたわね」
「はい。古い友人で。今も毎週2回水曜と土曜に練習に付き合ってくれています。今日もこれから行きます」
「良かった、良かった。どうしても見つからないときは私がモデルしてあげないといけないかなとも思ってたし」
「すみません。ご心配頂きまして」
「一度ここに連れていらっしゃいよ。髪のセットでもパーマでもサービスで」
「そうですね。当日もこちらで髪をアップにセットしてから会場に行きます」
「うんうん。でもさ」「はい?」
「ここ1ヶ月ほどで、アキちゃん、ますます女らしくなった気がするわ」
「ええ!?」
「水曜はいつもすぐ帰るし、恋人でもできたのかとも思ったけど、ほんとに練習だったのなら、そういう訳でもないわよね。でももう、うちのホームページのスタッフ紹介の所にあなたを男性として表示してていいのかどうか悩み始めてた所」
「えーっと」
「だって男の人かと思って指名してみたらほとんど女の人だったというのでは詐欺みたいだしねえ」
「一応ボクまだ男ですから」
「ふふ。『まだ』男なのね」「いや、それは」
「うん。好きなように生きていいのよ。うちは腕さえ確かなら性別は気にしないから」
「あ、はい・・・・」
店長は楽しそうな顔をして奥の部屋に戻っていった。
 
その日は急に冷え込んできた。駅で晃はトイレに行きたくなった。
スカート短すぎたかな・・・・
いつものように多目的トイレに入ろうとしたら、ふさがっていた。
仕方ない待とう・・・・
しかし多目的トイレは、なかなか空かなかった。
う・・・・ちょっと辛いな。仕方ない。
晃は男子トイレに飛び込む。すると中にいたおじさんが晃に言った。
「お姉ちゃん、こっち違う。女子トイレは向こう」
「あ、すみません」反射的に入口に舞い戻った晃は、多目的トイレがまだ空いてないのを見てふっとため息をつくと、意を決して女子トイレに入った。
幸いにも個室がひとつ空いていた。そこに飛び込む。
それが晃が初めて女子トイレを使った日であった。
 
用を達して個室を出ると、女性が3人、列を作っていた。
晃は軽く列の人に会釈をして手洗い場へ行った。
晃はなぜか男子トイレにいる時より気が落ち着く思いだった。
 
電車を降りて小夜子の家に歩いて行く途中。晃は気になって、携帯で自分の美容室のページをのぞいてみた。晃の紹介で性別が「?」になっていて、晃は苦笑いした。
 
小夜子の家に着き、着付けをしながら、まずは美容室に一度来ないかと誘うと、では今度の土曜日の閉店前に行き、そのまま一緒に帰ろうということになった。
 
そのあと、ホームページの性別問題を笑いながら話すと「ああ、それはむしろ『女?』くらいでいいよ」などと小夜子も笑いながら答えた。
 
その日は小夜子が晃に振袖の着付けをしたあと、自装してみたいというのでところどころ注意しながら、させてみた。最後の帯を180度回すところで少し崩れたが修正可能な範囲だった。
「だいぶうまくなったね」
「そろそろ免許皆伝?」「うーん。もう少しかな」
「私頑張るね。検定までに私も合格ラインに到達しなくちゃ。こないだから何度かアッキーの来ない日に自分でやってみてたんだけど、なかなかうまく行かなかったのよね。今日は今まででいちばんの出来かも」
「わあ、頑張ってるんだ。ボクも頑張るよ」
 
しかしそういうことまでしていたので、その夜はすっかり遅くなり終電時刻をすぎてしまった。そこで結局、その日は泊まっていくことになった。
 
「土曜だけでなく水曜も泊まっていけばいいのに、といつも思ってたのよ」
仲良くベッドに入ってから、小夜子がそう言った。
「いや週2度も泊まるのは悪いかなと思って」
「遠慮するような間柄じゃないのに」と小夜子が苦笑する。
「うん。そうかな」「そうそう」
 
「サーヤ・・・・」「ん?」
「ボク今日は一線を越えてしまった」「え?誰か男の人とHしちゃったの?」
「いや、そんなんじゃなくて。って、ボクは恋人居ないよ。彼氏も彼女も」
「恋人じゃなくても、やられちゃうことはあるでしょ。ハプニングとか」
「ちょっと待って」「今からハプニング起こさない」
「ボクが絶対しないと知ってて、そんなこと言うし」
「えへへ。で何があったの?」「女子トイレに入っちゃった」
といって晃が状況を語ると、小夜子は笑いをこらえきれない感じだった。
 
「えー。アッキーはいつも女子トイレ使ってると思ってた」
「だって自分は女という自覚がある人なら女子トイレ使っていいと思うんだけど、ボクは一応性自認は男だし。それが使うのはまずいだろ?」
「でもアッキーの格好で男子トイレに入れば『こっち違うよ』と言われて当然」
「だから男女の別が無い多目的トイレをいつも使ってたんだけど」
「もう諦めて、私女になりますと宣言しちゃえば?きっとそのほうが今より楽だよ」
「うーん」
「だってアッキーの周囲の人は皆アッキー女になりたいんだろうと思ってるって」
 
「ごめんカムアウトする。実は自分の性自認は揺れてる」
「今更カムアウトしなくても私は分かってるよ」
「一応男のつもりなんだけど、しばしば自分は女かもと思う時もある」
「顔つきで分かるよ。男の子の顔してる時と、すごく女っぽい時がある」
「あ、それは自分で鏡見ても思う時ある」
「でさ、その女っぽい顔してる時間が最近増えてきている感じ」
「そう?そういえば店長にもそんなこと言われた気が」
「きっと体内のホルモンバランスが変動してるんじゃないかな」
「サーヤ、ボクに一服盛ったりしてないよね」
「してない、してない。だいたい女性ホルモン剤なんて入手できないし。でもホルモン飲むのならちゃんとお医者さんの診断受けてからのほうがいいよ。自己流で飲んでたら体壊しちゃう。きっと」
「ありがとう。でもボクはまだ自分の体改造する気はないよ」
「ヒゲや臑毛は永久脱毛してたよね」
「フラッシュ脱毛だけどね。毎日処理するのが面倒だからやっちゃった」
「あそこも思い切ってやっちゃえば? どうせ取るなら若い内がいいよ」
「そのつもりない・・・筈だけど、その内その気になっちゃうかもと自分が怖い」
「まあ、無理することもないけどね。気持ちが固まってからでいいだろうけど。でもこれは断言しちゃう。アッキーはもう男の人には戻れないよ」
「うん。。。そうかも」晃は素直に頷いた。
 
とうとう検定まで一週間となった。検定は火曜日だが、晃は前の週の火曜日に美容室が休みなのを利用して、荷物をまとめ、車で小夜子の家に向かった。これから一週間は小夜子の家に泊まり込んで練習である。
 
小夜子の着付けの腕もかなり上がっていて、晃はその日の練習で小夜子に免許皆伝を告げた。
「私もその着付け検定受けたら2級くらい取れるかなあ」
「サーヤは最初から2級のレベルはあったよ。目指すなら1級と思うけど実務経験が無いと受けられないから。なんならうちの美容室でバイトする?」
「面白そう」
「成人式とか卒業式とか七五三とか、シーズンは忙しいから。もし手伝ってくれるなら店長に言っとく」
「そのくらいなら少し考えてもいいかも」
 
一週間お世話になりますと五十鈴に言うと、五十鈴はにこにこして
「なんでしたらずっと居てくださってもいいのよ」などと言った。
晩御飯はごく普通の、カレイの煮付けにほうれん草の白和えだった。
変に異様な歓待をしないで、こちらに気を遣わせないようにしてくれるのが嬉しい。一週間もお世話になるので少しお金を入れると言ったのだが
小夜子は気にしないでと言った。その代わり試験が終わったら聞いて欲しいお願いがあると言っていた。何をお願いされるのか怖い気もしたが晃は了承した。
 
朝起きてから1回着付けをして、お互い職場に出かける。
帰宅したら夕食後に1回着付けをしたあと、晃は練習用ボディを使って色々ポイントを確認していく。その間に小夜子は自分で着る練習をしている。そして最後にまた、小夜子がモデルになって着付けをするというパターンで進めた。何度か五十鈴もモデルを志願して、練習台になってくれた。
 
「補正がさ、やはり最初の頃からすると手際よくなってるよ」と小夜子が言った。
「ありがとう。たくさん練習させてもらったおかげだよ」
「同じモデルだから同じような補正になるのは申し訳ないけど」
「いや、本番もこのモデルだし。それにお母さんにも練習させてもらったから」
 
確かに今まであまりやってなくて不安だった部分をこの2ヶ月近い小夜子との練習で、かなりカバーできたことを晃も感じていた。
 
またこの一週間で、小夜子が持っている振袖をぜんぶ着付けしてみることにした。「普段用」としていつも練習に使っているものも充分良い品だが、その他のものはみなかなりの逸品で晃はさすがに緊張した。しかしその緊張感が、ついついいつも同じモデルでやっていて「慣れ」てしまっていた部分に良い刺激を与え、きちんとした手順を再度体に刻み付けることになった。
 
前日。
本番で使う加賀友禅『雅の鳥』で着付けをしてみる。ポイントを確認しながら少しゆっくりしたペースでやってみた。着付け終わり、また記念写真を撮ってから脱いで、そのあと衿綴じをやり直しておいた。明日使う道具を今一度確認整理してバッグに詰める。
 
当日。
朝早く家を一緒に出て、誰もいない美容室に鍵を開けて入り、小夜子を椅子に座らせ、髪をアップにセットする。銀色の鈴付きのかんざしで髪をまとめた。
 
ちょうど終わる頃に晃の次の時間帯に受験する美容師さんが2人やってきた。ふたりの内先輩格のトップ・スタイリスト、内村さんに美容室の鍵を渡す。モデルさんたちもじきに到着する筈だが、その前に小夜子と晃は店を出て、会場に向かった。
 
小夜子は洋装だが、晃は付下げを着ている。試験の後で和服のままそろって記念写真を撮りたいという小夜子の希望でこういうことになってしまった。この付下げは小夜子が着る予定の『雅の鳥』と雰囲気が似ているものを、小夜子が自分の持ち物の中から選んだ。着付けしたのも小夜子である。
 
「アッキーにも振袖着せたかったな。私せっかく練習したのに」
「さすがに振袖では作業がしづらいから、これで勘弁して」
 
会場に着くと朝早いのに物凄い人数が会館に集まっていた。モデルの人は洋装のはずだが、晃と同様に和服の人もいる。受験者かその付き添いであろう。
 
やがて案内されて試験会場に入り、試験の進行について説明があった。見渡す限り女性ばかりである。この中に男の人が混じってたらかなり違和感あるかなと小夜子は感じた。アッキーは女として埋没してるもんね。和服姿の受験生は珍しいので、それを見る視線が来ている。しかし攻撃的な視線ではない。
 
小夜子が服を脱いでいく間、晃は熱心に道具の再点検をしている。あわせて頭の中で手順を確認しているような感じだ。緊張はしてないわね。試験会場には独特の雰囲気がある。これに飲まれてしまうと、ふだん出来ていることができなくなってしまう。アッキーは大丈夫だ。
 
試験がスタートした。
 
 
試験がスタートした。最初は足袋をはかせ、肌襦袢を着せるまで。晃にとってはウォーミングアップのようなものだ。
 
次は体型にあわせた補正をして、長襦袢を着けるところまで。これまで50回以上やっていることだが、晃は慌てずきれいにタオルで補正をしていった。いつもより手際がいいじゃない、と小夜子は思う。試験会場独特の緊張感が晃の心身にアクセルを掛けているのだろう。でも焦らなくていいからね。
 
会場では経過時間がコールされていた。前半の時間終了。手際が悪くまだ完了していない人も数人いたようである。注意されている。晃は所定時間より2分ほど早く作業を終えていた。試験官がひとりひとりのモデルをチェックしてまわる。小夜子もチェックされる時はちょっとどきどきしたが、晃のほうがもっとどきどきしているだろう。
 
やがて試験の後半が始まる。これが本番。振袖を着せて帯を締め「ふくら雀」の結びを作り、草履を履かせる。後で他の人たちに聞くと、試験ということで緊張してふだんより力を入れて帯を締めた受験生が多かったようである。晃はいつも通りの力加減で締めてくれた。帯は緩いと着崩れするし強いと着ていて苦しい。
 
タイムアップ。
晃はとうに作業を終えていたが、やはり終わってないところがあり、まだ帯の結び目で苦戦したり、あちこち崩れたところを直そうとしている人たちがいる。所定時間でちゃんと終わらせるというのはたぶんちゃんとそういう練習してないとできないんじゃないかなと小夜子は思った。晃はストップウォッチを作動させながら練習していた。
 
「パーマのスティック巻くのとかもストップウォッチ持って時間計られて鍛えられたからね、駆け出しの頃」と晃は笑って言っていた。
 
たぶんこういう試験は若手の受験者に有利。自分流になっているベテランが危ない。途中でも手順が守られていないとか指定にない道具を使っているとか注意されている受験者がいた。これ、高年齢の大先生達がけっこう落ちるな、と小夜子は思った。
 
チェックタイムに入る。晃はもう「まな板の上の鯉」の気分だろう。
ひととおり試験官がモデルを見てまわったあと、受験生は退場させられモデルだけ再度のチェックが行われた。
 
小夜子は他のモデルさんたちが着ている振袖そのものに関心が移っていた。普及品からかなり上等な品までいろいろだ。その中にひとり小夜子と同様に加賀友禅を着ているモデルさんがいた。向こうも気づいたようで一瞬目があった。こちらが軽く会釈すると、向こうも穏やかに微笑みながら会釈した。この子とはあとで仲良くなるのだが、高木由美さんといって元々金沢の出身なので母親のお嫁入り道具だった加賀友禅を借りて持ち込んだらしい。
 
長いチェックが終わり、モデルたちも解放された。
「ありがとう。お疲れ様」といって晃が駆け寄ってきた。その後ろに次の時間に受験する晃の同僚2人がモデルさんらしき人と一緒に並んでいる。晃は内村さんにカメラを頼み、小夜子と並んで晴れやかな表情をした。きっと自分でも力を出し切ったという気持ちなのだろう、と小夜子は思った。
『アッキーいい表情してる。ついでに凄く女っぽい』
小夜子はほほえんだ。私ってやはり女らしいアッキーが好きなんだ。
変態かなあ、こんなの。でもそもそもアッキーが変則的な存在だしいいよね。
 
ふたりは別室で着替えて洋装にすると、振袖やお道具を車に乗せて小夜子の家に戻った。小夜子の家には晃の道具が大量に持ち込んであったので、それを協力して車に乗せると、晃は五十鈴に丁寧に挨拶をして去っていった。
 
「試験はどうだった?表情がいいし合格?」と母が聞く。
「あ、結果発表は1月なんだって」と小夜子は答える。
「でもたぶん通ってるよ」
 
試験の翌日は水曜日だ。
これまでなら、晃が夕方やってきて、着付けを始めていたのだが、もう試験は終わってしまったので、当然来たりはしない。
 
「あら、晃さん、今夜は来ないの?」
「うん。試験終わったし」
「あらあら、晃さんの分まで御飯炊いてたのに」
「私がその分まで食べるよ。モデルやってる間は体型できるだけ変えないようにしたいと思って控えてたし」
五十鈴は面白そうにほほえんでいた。
 
次の土曜日。晃とは電話は掛け合っているのだが、もちろん小夜子の家に来たりはしない。なんか物足りない・・・・小夜子は思った。その表情を五十鈴は静かに見ていた。
 
その次の土曜日、小夜子は何かイライラする気分だった。
仕事の関係で覚えなければならない技術に関する本を読んでいたのだが、ぜんぜん頭に入らない。思わず本を投げ飛ばした所を母に見とがめられた。「本は大事にしなきゃ」「ごめん」
 
「あきらさんはいらっしゃらないの?」
「だって試験終わったし。私が習っていた分も免許皆伝と言われたし」
「別に試験と関係なくてもお呼びすればいいのに。友達呼ぶのに理由なんて必要?」
「あっ」
「でしょ?」
「そういうことは思いつかなかった」
「やれやれ。あなたたち、ほんとにのんきね。私をいつまで待たせるのかしら」
「え?」
「あきらさんと、あなた以前交際してたでしょ。もう7〜8年前だっけ」
「よく覚えてたわね。。。。うちに連れてきたことなかったのに。
 あれ?お母さん、彼女が男の子と分かってた?」
「そりゃ分かりますよ。まあ少し普通の男の人とは違うみたいだけど、あなたが選んだ人なら間違いないわ。仲直りして復縁したのかと思っていたのだけど」
「いや、アッキー・・・あきらとは恋人として戻ったんじゃないの。あくまでお友達」
「普通のお友達には見えないわね。あなたが彼女・・・といっていいのかしら?を見る目は恋をしている目だったし、彼女があなたを見る目も愛おしむような目だった」
「お母さん・・・・・」
「電話したら?」
「お母さん、私・・・・・・あきらと結婚してもいい?」
「今時、男同士や女同士の結婚もけっこうあるみたいだしね。あなたがそれでいいのなら、お母さん反対しないわよ。世間体気にするような家でもないし。娘も30すぎたら、早く片付いて欲しいし。もらってくれる人がいたら誰でも熨斗付けて進呈。それにあの子、ほんとにいい子。私気に入っちゃって。孫は欲しかったけど諦めるわ」
「孫・・・・うまくすれば見せてあげられるかも」
小夜子は携帯のアドレス帳を開くと、先頭にある晃の番号に掛けた。
 
「ごめん。仕事中だった?」「うん。手短にだったら」
「今夜、うちに来ない?」「え?でも着付けの練習は終わったし」
「お母さんも会いたがってるし」「あ、お母さんからの呼び出し?」
小夜子はハッと思って言い直した。
「違う。私の呼び出し。私がアッキーに会いたい」
小夜子は言い切った。
「分かった。年末でたてこんでて、少し遅くなるけどいい?」
「待ってる」
 
小夜子は電話を切ったあと少し考えてから「あった方が口説きやすいな」と呟くと「ちょっとコンビニ行ってくる」と五十鈴に言って短時間出かけて来た。
 
その晩、晃がやってきたのは22時過ぎだった。
「ごめん。遅くなって」
「ううん。急に呼び出しちゃったし。あ、ごはん食べた?」
「まだ。何かあったら食べさせて」
小夜子はシチューの鍋をIHヒーターに乗せて再加熱する。母は・・・自分の部屋に引っ込んでしまったようだ。御飯を2人分、茶碗に盛る。
「あれ?もしかして食べずに待っててくれたの?」
「うん」小夜子は素直に頷いた。その仕草を晃はとてもかわいらしく感じた。小夜子はシチュー用の皿を出して、そちらも2人分盛りつけた。
 
「ねえ、来週はクリスマスじゃない。イブから2日越しのデート、というか一緒に過ごさない?女2人で楽しみたいな」
「ごめん。クリスマスは書き入れ時で。イブも当日も予約いっぱい」
「うーん、仕方ない。その翌週は?年末年始をふたりで」
「31日は17時で閉店で、1日から4日まではお休み」
「じゃ閉店したあと、ふたりで4日まで」
「そんなに長時間何するの?」「ゆっくり話したいの」
「まあいいよ。ボクも少しゆっくり話したい気はしてた」
「今夜もちょっとだけゆっくり話せるよね」
「そうだね。この時間に来て終電では帰れないし夜2時くらいまでは付き合うよ」
「夜2時に帰っちゃうの?」
「うん泊めてよ。でも2時に寝る。明日も朝から仕事だから。年末お客さん多くて」
「ボーナスも出るしね。あ、私もパーマしようかな。してよ、アッキー」
「営業時間外にずれ込んでもいいなら予約ねじ込むよ」
「じゃ24日の最終予約を」
晃は苦笑した。「いいよ。そのあとミニデートね」
「うん。本番は年末年始」
 
ふたりは食事の後小夜子、晃の順でお風呂に入り、小夜子の部屋に入った。小夜子はベッドの中で待っていた。
晃は少し困ったような顔をして自分もベッドに入った。
小夜子は裸だった。
「アッキーも服脱いで」「いいよ」晃は素直に服を脱いだ。
小夜子は抱きついてきたが、晃は拒否しなかった。
「ベッドの中でお話ししてたら2時までもたずに寝ちゃうかも。お風呂にも入ったし」
「寝ちゃうまででいいよ」
 
「アッキーのおっぱいに触るの好き」
「確かに不必要なくらい触ってたね。着付けの時も」
「気持ちいいじゃん。私のも好きなだけ触っていいよ」
「ありがとう、じゃ遠慮無く」アッキーは優しく小夜子の乳房を愛撫した。「私、アッキーに謝らなくちゃ」「え?何を?」
「アッキーに性転換しないの?とか、ホルモンしないの?とか、勝手なこと言って」
「言われ慣れてるから気にしないよ」
「私さ、以前恋人として付き合った時より、今回ほんとに女友達同士の感覚ですごした2ヶ月間のほうがずっと楽しかった」
「それはボクも。ボクは男としては女性を喜ばせられないのかも」
「それでさ、アッキーが本当の女の子になってくれたら、ずっと女友達のままでいられるのにとか思って、だから女にならないの?とか言っちゃったのかなと反省して」
「・・・・・」
 
「でもアッキーはアッキーなんだよ。私が無理にアッキーを男か女かどちらかに分類しようとしたことが間違い。男とか女というフレームで捉えちゃいけないんだ。私とアッキーは仲良く付き合っていける。でも私がアッキーを男として捉えようとしたり、逆に女として捉えようとすると、無理が来ちゃうんじゃないかって。そう思ったの。だからもう私、アッキーのこと、男だとか女とかいった分類はしないから。アッキーのあるがままの姿を私は受け入れることにする」
 
「・・・ありがとう・・・まさにそれかもね・・・ボクは自分を男とか女とかあまり意識してないというのはある。・・・だけど、世間的には男か女かどちらかでないと受け入れてくれない。・・・それでボクは自分は男です、と周囲に言い続けてきたんだけど。・・・でもボクを女に分類してくれる人もけっこういて。・・・自分が女ですと言い切る自信無いんだけど、そういう人の前では無理に女を演じてしまっている時もある気がするんだ。でもボクの実際の気持ちは、男なのか女なのか、けっこう曖昧。女の部分のほうが強いかなという気はするし、実は電車の定期も女で登録してるし」
 
「私もそういうのに加担してたんだよね。アッキーが本当は女の子になりたいんじゃないかと勝手に思って、それで応援したくて、性転換したらとか言ってたけど、アッキーに無理矢理男か女かという枠組みをはめないようにする・・・つもり。どこまでできるか分からないけど」
 
「そうだね。でも明日突然性転換する気になっちゃうかもよ」
「しちゃってもいいよ。そういうアッキーも受け入れる」
「それか突然女の服着るのやめて背広着て通勤し始めるかも」
「あ、それはあり得ない」
「そうかな・・・うん。ボクも背広は無理な気がする」
 
「でさ」
「うん」
「そういう男とか女とかいう枠組み外して、私アッキーのこと好き。
男女の恋人として好きとか、女友達として好きとか、そういう枠組みではなくてアッキーという人そのものが好き」
「ボクもサーヤのこと好きだよ。自分が男か女かは置いといて」
「じゃ結婚しよう」「え?」
「好きなら結婚できるよね」「・・・・・」
「別に無理に『夫』を演じなくてもいいから。ふつうにしてくれて、ただ一緒にいてくれればいいの」
「ボクもそれしかできないよ」
小夜子は晃に熱いそして長いキスをした。
 
24日の夕方、小夜子は会社が終わるとお気に入りの洋菓子店でクリスマスケーキを買ってから晃の美容室に行った。これまでの何度かの訪問でみんな顔なじみになっている。アシスタントの前田リサさんがコーヒーを出してくれた。ありがたく頂いて美容室の中を眺める。8個の椅子は全部埋まっていてスタイリスト達はフル回転のもよう。お客さんもまだかなり残っている。こりゃ順番がまわってくるのはだいぶ先かな。小夜子は雑誌でも読みながら待つことにした。ファッション誌総なめしちゃおうか・・・・・
 
ページをめくっていたら季節柄、初詣の特集が組まれていた。和服の女性が鳥居の前でポーズを取っている。小夜子は微笑んだ。
 
その夜の「ミニデート」が始まったのはもう21時過ぎだった。
晃にパーマをかけてもらったのが20時すぎ。そのあとお店の片付けや予約の確認、打ち合わせなどをしていたら21時近くになった。小夜子と晃が仲良さそうに手をつないで出て行ったのを見て、店長と内村さんが思わず会話を交わした。「あのふたり、恋人・・・ですよね?」「そんな感じね」
「女の子と付き合うんだったら、アキちゃん男の子に戻っちゃうのかしら」
「あ、それはなさそうよ。あるがままのアキちゃんでいいと言われたからとか言ってた」「へー」「それに、あの子と付き合い始めた頃から、急にアキちゃん、それまでより女っぽくなったじゃない」「そうそう、10月頃からですよね。私も変化に気づきました」「女っぽくなったから、男の人と交際しているのかと思ったら、そうじゃなかったみたい」「難しい・・・でも男の子に戻ったりしないなら安心。私も女の子のアキちゃんが好きですよ」「私は男の子のアキちゃんを想像できない」「店長。アキちゃん着付け検定の手応え良かったみたいだし、きっと合格してますよ。私はダメかもだけど。それでアキちゃん、あれだけ女っぽいし、若い女性のお客様に当ててもいいと思う」「それは私も考えてたの。制限は外してお客様次第ということにしようかね・・・・」
 
一方、小夜子たちは小夜子の叔母が経営しているビストロでクリスマスのディナーを楽しんでいた。来店時間が読めないという無茶な予約を受けてくれていたのであった。席が足りなくなったらスタッフルームででも、などと言っていたが、行くと暖炉の近くの特等席に案内された。
叔母に遅れたお詫びを言うとともに晃を「お友達」と紹介したが、叔母はにやにやして「五十鈴から聞いてるよ。結婚するんでしょ。お幸せにね」
と答えた。小夜子も晃も真っ赤になった。
 
ディナーは美味しかった。食べ頃の量をセンス良くまとめてあり、女性でも苦にならない感じだった。お値段も手頃である。
 
「でも以前付き合ってた時はクリスマスを1度も一緒に過ごせなかったね」
「なんかタイミング悪かったよね」
「あれからお互い色々な経験をしてきて、それぞれ少しずつおとなに
なって、それで私たちうまくやっていけるようになったのかも」
「うんうん。あの頃はボクも若かったし、自分に自信が無かった」
「だけどさ、アッキー」「ん?」
「アッキーって、他の人と話す時は一人称が『私』なのに、私と話す
時は『ボク』って言うよね。ふつうの男の子が使う『僕』とは少し
アクセント違うけどさ。でも、無理しないで『私』か『あたし』でいいよ」
「うーん。他の人と話す時が多少演技入りなんで、少し女っぽくシフトして『私』なのかも」晃は頭をかきながら弁解するように言った。
「なるほど。自分を女という枠に填めているのね」
「そうそう」
「で、私と話すときは男の枠に填めてるんじゃ?」
「ああ・・・・それはあったかも」
「一人称って自分の意識をかなり変えるでしょ?」
「うん」
「じゃ『あたし』と言ってみよう」「えー!?」
「ほらほら」
晃は少し悩んでいたが、やがて大きく息をついて言葉を出した。
「あたし、無理してたかな」
「うん。してた。自分の心に忠実に行こうよ」
「ありがとう」
 
レストランを出て散歩していると、教会の鐘が鳴った。
「0時。クリスマスか・・・・」
「うん。でもあたしたちクリスチャンでもないし」
「本番はお正月ね」
「何するのさ?そのお正月」「いちゃいちゃ」
「いいけど」晃は苦笑した。
 
 
ふたりは終電で小夜子の家に戻り、まだ起きてくれていた五十鈴と一緒にクリスマスケーキを食べ、ワインで乾杯した。
 

ふたりの間で結婚の約束をした翌朝、晃は自分は戸籍上男であることをきちんと言い、また自分の生活スタイルはたぶん変わらないと言った上で、それでも小夜子を愛しているので、できたら結婚させて欲しいと五十鈴に申し入れたのである。五十鈴は快諾した。
「他の女の人とも他の男の人とも浮気したりしないならOKよ」
などと五十鈴は付け加えていた。
「あと、もし将来あなたが性転換したとしても、結婚していたら戸籍を女に変更できないけど、その場合、どうするの?」
「結婚の維持が優先です。そもそも私は自分の戸籍上の性別は気にしてないので」
「その点は私も聞いたのよね。私としては事実上の結婚が維持できていたら、書類上離婚して性別変更してもいいよと言ったのだけど、性別なんて些細なことだって。あと子供ができたらその子が20歳になるまで性別変更できなくなるけどね」
「何それ?」
「日本の法律がそうなってるの」
「おかしな法律ね」

 
「それで、あなたたち、結婚式とかはあげるの?」ワインを片手に五十鈴が尋ねた。
「それなんですが、女の格好している男と本物の女の結婚式なんて、どこも拒否するんじゃないかと思ってたのですが、先日お得意様でニューハーフの人が来まして、何か知らないかなと思って聞いてみたら、K市のK神社が同性婚の結婚式をやってくれるというので、その筋では有名らしくて。それで問い合わせてみたら私たちのケースもOKだそうです」
「あら、よかったじゃない」
「でも、そこ希望者が殺到しているので予約がいっぱいらしくて、でも、ちょうど1件キャンセルがあったらしく、3月22日に枠があるというので即予約しました」
「何曜日?」
「火曜日です。うまい具合に美容室休みだし、美容室の人にも声かけてみようかなと思ってます」
「あなた、ご両親とかは?」
「実家とはほとんど絶縁状態なんですが、事が事なので連絡しました。母と妹と叔母が来てくれるそうです」
「北海道だったかしら」
「はい」
「一度私を連れてって。結婚式の前にいちどご挨拶に行っておきたい」
「はい。連絡してみます」
「でもさ、この結婚式、宮司さん以外は、新郎新婦から参列者から全員女性ばかりという式になったりして」
「あ、そうね。美容室のお友達もみんな女性でしょうし、こちらから出るのもきっと女ばかりだわ。小夜子の職場も女ばかりよね」
五十鈴は面白そうに笑った。
 
「今夜は夜通しいちゃいちゃしたかったのになあ」
お風呂からあがり、部屋に入ってきた小夜子が言う。今日は晃が先にお風呂を頂いていた。実は小夜子があがってくるまで晃は少し仮眠していた。
「明日も準備で早めに出ないといけないから。いちゃいちゃはお正月に」
「うん」
小夜子はベッドにもぐりこんで晃にキスをした。
「晃は豊胸手術とかしないの?」
「えー?パッドやブレストフォームで充分」
今日も晃はDカップのブレストフォームを胸に貼り付けている。
小夜子はその胸を揉んでいたが、小夜子はその感触が好きだった。
 
「おっぱいあったら、温泉とかに行ったとき、一緒に女湯に入れるのに」
「そんな無理に女湯に入らなくても家族風呂とかあるじゃん」
「あ、そのほうがいちゃいちゃできるか」
「何も温泉でまでいちゃいちゃしなくても。それに豊胸手術で体内にシリコン埋め込むのも、体外にブレストフォームでシリコン貼り付けるのも、大差ない気がして。それなら何も高いお金払って、痛い思いしなくても、という気もしてさ」
「なーんだ。痛い手術受けるのが恐いんだ」
「はいはい、あたしは意気地無しですよ」と笑って晃は小夜子を抱きしめた。
 
12月31日は思ったほどお客さんは来なかった。たいていの人が髪のセットは早めに済ませてしまったようだ。16時半のオーダーストップの時点で既にお客さんは2人しかいなかった。それで閉店の少し前からいろいろ片付けをはじめ、閉店後すぐに今年最後のミーティングをし、コーヒーとショートケーキで簡単な打ち上げをしてお開きとした。晃が3月22日に結婚式を挙げることを伝えると、みんなが祝福をしてくれた。当日はK神社で式を挙げたあと、小夜子の叔母のビストロでお食事会をすることにしていた。「ご祝儀は謹んで辞退することにしてますので、ちょっと変なカップルを見物してやろうかという方で予定の空いている方はぜひ気軽に普段着でいらしてください。一応食事代の実費で3000円ということで」
店長と内村さん、それに村上さんが結婚式にも出席してくれるということだった。
 
店が終わった晃は、途中で小夜子と待ち合わせて、年末最後のショッピングを楽しみ、そのあと一緒に電車で小夜子の家に戻った。
「ねえ、もう年明けたら晃のマンションは引き払って、うちで一緒に暮らさない?」
「確かにそれもいいかもね」
「家賃1年分で性転換手術代くらいたまったりして」
「あはは。1年分じゃ、ちょっと足りないかな。」
 
「それでね、お正月にしたいことなんだけど」
「うん。モデル代だよね」
「ふたりで振袖着て、初詣に行こうよ」
「ああ、いいね。あたしがサーヤに着付けて、サーヤがあたしに着付けるんだよね」
「そうそう。私『雅の鳥』着るから、サーヤは京友禅の『春花』を着ない?あれすごく晃に似合ってたし」
「ああ、あの柄、好き。あ、だけど初詣に行って人混みにもまれるのはやばいよ」
「人の少ない時間帯を使えばいいよ。みんな年越しでお参りするから、午前2時くらいならわりと少なくなると思う。以前お正月の巫女さんのバイトした時にそんな感じだったよ」
「じゃ12時まではのんびり過ごして、それからお互いに着付けして、ぼちぼち出かけようか」「うんうん」
 
小夜子の家では晩御飯に少し具が豪華な年越しそばを食べ年末のテレビを見ながら五十鈴も交えて3人で暖かいくつろぎの時を過ごした。五十鈴は遠慮しているからふたりでゆっくり過ごしたらと言ったのだが、晃は小夜子さんとは4日までたっぷり楽しみますから、年越しはお母さんも一緒にと言ったので、小夜子の好きなトアルコトラジャのコーヒーを飲みながら、3人でののんびりとした年越しになった。
 
年明けてから振袖を着て初詣に行くというと、神社まで車で送ると五十鈴が言う。たしかに振袖を着ての運転はしにくいので素直にお願いした。
「でも、私子供がもうひとり欲しかったのよ。でも小夜子を産んだ後すぐ旦那死んじゃって。娘がもうひとりくらいいたらなと思ってたんだけど、こうしているとなんかその夢がかなった気分だわ」と五十鈴はにこやかに言った。
 
近所のお寺の除夜の鐘が聞こえてきた。
五十鈴がまた12時前に来るといって自分の部屋に下がった。
 
「お母さんいない内に少し核心に迫ってみよう」
「なんだ、なんだ?」
「除夜の鐘は108の人の煩悩を取り除いていくんだって。アッキーって心の中にたくさん悩み事あるでしょ。この鐘に乗せて少し減らすといいよ」
「そんなに悩み事あるように見える?」
「うんうん。それとアッキーは心の中には、男の心と女の心が同居してる」
「うん。たしかに」
「その男の心の方、捨てちゃいなよ、この鐘に乗せて放流しちゃう」
「ああ・・・・・」
「心の荷物が多いとそれだけ悩むことも多くなるし、運気も上がらないよ。それにさ、アッキーは自分の性別認識が男と女の間で揺れているといったけど、その男に揺れる部分って、世間体を意識したり、アッキーを無理にでも男として分類したい人達に少しだけ迎合したり、あと結婚して子供作るには男である必要があるとか思ったり、そういう余計な部分がけっこうあるんじゃないかな。アッキー私と結婚するんだし子供も私産んであげるから、もうそのあたりまでの部分を全部捨てちゃおうよ」
「簡単に言うなぁ・・・・」
 
「ほら、除夜の鐘の音を聴いて。心が洗われていく感じしない?」
「うん。気持ちいい」
「神社のお祓いの鈴とかも同じ効果だよね」
「諸々の罪・穢れを洗い給い、清め給い、と」
「そうそれ。『払い給い清め給え』だけど。で、私が今いったようなアッキーの心の中で本質的じゃない男の心を全部洗い流してしまっても、たぶんね、少し男の心って残ってると思う」
「あ、それはそんな感じがする。あたしって本質的な部分でも100%は女になりきれてない」
「だから安心して、じゃまな部分は捨てちゃおうよ」
「そうだね。そうしちゃおうかな。全部は捨てきれないかも知れないけど」
「私もいろいろ雑念を捨てることにする。この鐘に乗せて」
ふたりは静かに除夜の鐘に聴き入っていた。
 
やがて、港の船が放つ「ボー」とい汽笛が新年の訪れを告げた。
たくさんの汽笛が鳴り響く。
 
五十鈴が部屋から出てきた。
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとうございます」
「おめでとう」
 
しばらくテレビの中継など見たあと、小夜子と晃は部屋に入り、振袖の着付けをはじめた。まずは小夜子が晃に『春花』を着付け、そのあとで晃が小夜子に『雅の鳥』を着付けする。自分も振袖を着たまま、振袖の着付けをするというのは何か不思議な感覚だった。純粋に豪華な加賀友禅と、静かに美しい京友禅が並ぶと、これがまた素敵な様になった。
 
五十鈴もできあがったふたりの友禅の競艶を見て、思わずうなった。
「お母さん、記念写真お願い」
「うんうん。ほんとに素敵ね。これを見たかったんだわ、私は。
晃さん、このまま私の娘になってね」
「はい、そのつもりです」
 
五十鈴の運転で神社まで行く。道が混んでいたので着いたのは2時半だった。しかしおかげで神社の参拝客は少ない。
「駐車場がいっぱいだから、お母さんそのあたりをぐるっと回ってくるわ。1時間後にここに戻ってくるわね」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
 
ふたりで手をつないで参道を行く。
友禅を着たふたりが歩いていると、いやでも目立つので、周囲の視線が集まる。その視線を心地よく感じながら、ふたりは拝殿への道を歩いた。
 
前の人のお参りが終わるのを待ち、神前に進んでお賽銭をふたり同時に入れ、二礼二拍一礼する。特に合図とかはしなかったが、自然にふたりの拍が揃った。軽くおじぎをして神前から下がる。
 
「おみくじ引こうね」
「うんうん」
 
晃が引いたのは「十八番吉」だった。
暗きを離れて明るきに出る時、麻衣は禄衣に変じる 旧き憂いは終いに是退く 禄に遇いて応さに輝きと交わる
「要するに暗い運気が終わって、明るい運気がやってくるし、憂いも消えてしまう。心も服も着替えよう、ということかな」
「うんうん。もう男はやめて女一筋にすればいいのよ」
「あはは。あ、婿取り・嫁取り吉と書いてある。あたしたちは嫁同士か」
「うんうん」
「サーヤのは?」
 
小夜子が引いたのは「四十三番吉」だった。
月桂まさに相い満つ。鹿を追いて山渓に映る。貴人乗りて遠き矢をす。 好き事始まり相祝う
「絶好調ということかな。鹿を追って矢を撃って、獲物を得たんだよね。獲物はサーヤかな?」
「あはは」
「それとも・・・・・あ、子供は女の子だって」
 
「・・・・・ちょっと待って。サーヤ妊娠した?」
「まさか。ちゃんと付けてやってるじゃない。私は生でもいいと言ったのにアッキーったら結婚するまではちゃんと付けると言い張るし」
「はじめての日は、サーヤがちゃんと用意してたしね」
「無いからできないとは言わせないための用意」と小夜子は笑いをかみしめる。
「実は自信も無かった。もう長いことしたことなかったし」
「でもちゃんと最後までできたね。で、生理が遅れてるのよね」
「遅れてる?」
「たぶん、久しぶりのHでリズムが乱れてるだけだと思う。あと一週間くらいしても来なかったら、念のため妊娠検査薬使ってみるけど」
「うん」
小夜子はあれが特製の『ニードルワーク』済みのものであったことは黙っていた。(だってタンポポの種は飛んでいく前に採取しておかないと・・・・)
 
「それでさ、アッキー、お願い」
「なに?」
「私、こども2人くらい欲しい。だから、もし去勢したいとか女性ホルモン使いたいとか思っても、2人目の子供ができるまでは待ってくれない?」
「いいよ。というか、当面そういうのするつもりは無いけど」
 
ふたりが破魔矢を求めたり、絵馬を書いたりしていたら、大きなカメラを持った女性が声を掛けてきた。
「すみません。○△という雑誌の記者なんですが、お写真撮らせてもらえませんか?」
「ええ、いいですよ」
と小夜子がにこやかに答える。
「あちらの拝殿そばの街灯の近くが明るいので、あそこで拝殿をバックに撮っていいですか?」
「はいはい」
「素敵な振袖ですね。友禅ですよね」
「はい。私のが加賀友禅、この子のが京友禅です」
「お友達?姉妹?」
「姉妹ですよ」
晃はえー!?という顔で小夜子を見たが、確かにフィアンセですと言っても混乱させるだけだろうから、それでもいいだろう。小夜子のお母さんにも私の娘になってねと言われたし、それなら姉妹みたいなものか・・・・・
 
「下の名前だけでいいのでお名前教えてください。差し支えなかったら年齢も」
「私がサヨコ、この子がアキコ、カタカナにしておいてください。
年は私が27、この子が25です」
「ありがとう」
記者さんは満足そうにメモして行った。
 
「年はかなりサバ読んだね」
「まあ、そんなものでしょ。でもアッキーは25で通ると思うよ」
「サーヤだって、そのくらい行けるでしょ」
「私がお姉さんという感じの設定だったしね」
小夜子は楽しそうだった。
 
ふたりは三色団子を買って食べながら、大きな木の下に立って人の流れを眺めていた。
「この木、何かいい香りがするね」
「これは楠だね」
「へー。ああ、樟脳とかカンフルとか取る木だよね」
「うん。この木は雌雄同体だよ」
「あら」
「おしべとめしべがひとつの花の中にある」
「あ、そうか。あれ?もしかして植物って雌雄同体が多い?」
「うん、実は被子植物はほとんどが雌雄同体。楠は被子植物だよ。裸子植物には結構雌雄異体がある。銀杏は裸子植物で雌雄異体。でも杉は裸子植物だけど雌雄同体」
「む、むずかしい。私にも分かるように言って」
「楠も杉も雌雄同体なんだけど、少しタイプが違うんだよね。楠はひとつの花の中におしべとめしべの両方がある。両性花というんだけど。杉はおしべだけの雄性花と、めしべだけの雌性花が、ひとつの木に両方できる」
「うーん。そもそも男か女か分からないタイプと、男っぽい所と女っぽい所の両方を持つ人との違いみたいな」
「あはは、そうかも」
「植物は男女両方の性質を持ってて、ちゃんと生殖できるのね。人間は不便ね」
「まあ人間に生まれたんだから仕方ない」
「植物に生まれ変わりたい?」
「ううん。次も人間がいいな」
「男の子?女の子?」
「女の子がいい。振袖着れるから」
「あら、男の子に生まれてもこうやって振袖着れる」
「あはは。でもあたしたちの子供、女の子がいいなあ」
「振袖着せられるから」ふたりは同時にそう言って、笑った。
 
そろそろ五十鈴が迎えに来る時刻だ。ふたりは仲良く手をつないで鳥居の方へ歩いていった。雅な神楽の音が境内に響き渡っていた。
 
次頁目次

【Les amies 振袖は最高!】(1)