【庭園物語】(1)
(C)Eriko Kawaguchi 2005-01-03
普請奉行の松坂はそこに作られた巧妙な重力式水汲み上げ機構(サイフォン)を見て感動の声を上げた。
「見事じゃ。誰がこんなものを作ったのだ?」
「は、八重作でございます、お奉行様」
人足頭の六兵衛が答えた。
「八重作は色々と工夫するのが得意で、これも子供の頃に遊びで作っていたものを応用したのだそうです。この八重作の工夫がなければ、水をこの高台まで汲み上げるのは大変でした」
松阪は六兵衛の説明を聞くととても満足そうに頷き、その八重作を呼ぶように言った。
「そちがこれを考えたのか。でかした。褒美を取らせるぞ」
八重作は奉行から直接お褒めの言葉をもらえるとは思ってもいなかったので緊張したが、かろうじてこう答えた。
「ありがとうございます。でももし良かったら、その褒美は郷里の女房の所に送って頂けませんか。あっしが持ってたら飲んで無くなってしまいそうで」
奉行は笑って「うむ。よいよい。そうすることにしよう」
と言い、お付きの侍に指示を出した。
水分村では多くの若い男たちが城下町での普請があるというので徴用されて男手が不足して、農作業に苦労していた。
「今年は天候が良かったからいいものの、かあちゃんも済まないね」
ツルは実家の村から来て作業を手伝ってくれている母に感謝して言った。
「いや、いいよ。おかげでこうやって孫娘とも遊べるし」
と言って母はまだ3歳の娘の頭を撫でる。
ツルがその日の作業を終えて家に帰ろうとしていた時、庄屋の息子が声を掛けてきた。
「ツルさん、すぐ来てくれ。御城下からお使いが来ている」
ツルは夫の八重作に何かあったのでは青くなり、娘を母に託すとすぐに飛んでいった。
しかしそこにはにこやかに談笑する庄屋と立派な身なりの侍の姿があった。
「村上様、ツルが来ましたよ」
「おぉ、そちが八重作の女房か?」
「あ、はい」
ツルは雰囲気が柔らかいので異変があった訳ではなさそうだと思ったが、一体なんだろうといぶかった。
「そちの亭主の八重作が、この度の普請で、ひじょうに良いものを考え出してくれたので、これはお上からのご褒美じゃ」
といって侍は紙に包んだものをツルの前に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
ツルはびっくりして答えた。
「主人はちゃんとまじめに働いておりますでしょうか。あの人、お酒さえ飲まなければいい人なので」
「そうか?わしも普請の現場や宿所などを時々見ているが、八重作が酒を飲んでいるのは見たことないぞ」
「ほんとですか!じゃ出かける時に私とした約束守ってくれているんですね」
ツルは何だか嬉しくなった。
八重作は以前はほんとに酒癖が悪かったし、酔っていると女癖も悪かった。
「これ以上浮気したら、あんたの一物、切り落としてやろうか?」
と言って、ツルが包丁を持って迫ったことがあったくらいだ。あの時、八重作は済まんと言って、二度と酒は飲まないから許してくれと誓った。
村上と庄屋とツルの3人はしばらく色々話をしていたが、やがて村上が帰っていった。ツルは初めて紙の包みを開けてみた。小判が5枚も入っていた。ツルは息を呑んだ。
「庄屋様、これ何かの間違いじゃないでしょうか?こんな大金」
庄屋は厳しい顔をしていた。
「のう。ツルや。お前の旦那はもう戻って来んかも知れんな」
「え?」
「そんなすごいことを考えた者が万一、江戸の密偵にでもつかまってみい。たいへんなことになる。この普請が完成した時多分。。。。」
庄屋はそこで言葉を停めてしまった。ツルは呆然としてその小判を眺めていた。
庭園は完成に近づいていた。八重作はその後も色々工夫を凝らしては奉行から褒美をもらっていたが、少額だったので、あとで女房の所に送ろうと思い自分で蓄えていた。その頃、城下のある屋敷で密談をする者たちがいた。
「反対です」
難しい顔をして主張したのは普請奉行の松阪だった。しかし彼を説得しようとしているのは上役の総奉行・木鳥だった。
「考えてもみろ。この庭園は現在のわが藩の技術の粋が集められている。この内容が今同様に立派な庭園を造っている隣藩にもれると面倒だし、幕府などにも知られたら、わが藩は将軍様にたてつくことだって可能なくらいの力を持っているのではないかと疑われる。絶対に秘密は漏れてはいけないのだ」
「しかしそれなら何故わざわざこういうものを作ったのですか」
松阪は何とか上司の論理を切り崩したいと考えていた。
「それはやはり実験だ。正直隣藩の庭園は凄い。負けられない。そしてやってみなければ分からないものも色々ある。わが藩のいざという時の力を確認しておく必要があったのだ。わが藩の侍たちの志気を維持するためにも」
議論は深夜まで続いていた。そして翌朝、人足たちに普請奉行の交替が告げられた。松阪が急病により普請奉行の任を解かれ、新しい普請奉行は作事奉行の金岩が当面代行すると伝えられた。
その夜、その新しい普請奉行に八重作と、もうひとり高岩村から来ている与吉が呼ばれた。八重作は人足に呼ばれたもののあまり体力がなく最初のころ随分苦労していた。この与吉も同様にからだが貧弱で苦労していたので、ふたりはこの普請の初期の頃からずいぶんお互いに精神的に助け合ったものであった。
新奉行の金岩は単刀直入にふたりに用件を話した。
「実はお上からの命令により、今回の普請に参加した人足は秘密を守るために全員殺されることになっている」
二人は絶句した。
「ただ全員といっても全部で100人以上いる。殺害は明日の明け方実行される手はずになっているので、おまえ達はもう宿所に戻ってはいけない。日が昇った頃にはもう全て終わっているので、おまえ達ふたりにはその後、死骸の後始末の作業をしてもらいたい」
「その後はどうなるんですか?」
と与吉がおそるおそる尋ねた。
「何も決してしゃべらぬことを条件におまえ達だけは開放する。故郷の村に戻るもよければ、博多あたりに行くのもよい。褒美としてそれぞれ百両渡す」
百両というとんでもない金額にふたりは驚いた。
「それだけの金を貰えばしゃべらないだろうという奉行の御配慮だ」
とそばで難しい顔をして控えていた与力の村上が言い添えた。
「人足の中で確実に秘密を守ってくれそうな者として私がおまえたち二人を奉行に推薦した」
と村上は言った。その村上の苦渋の表情を見て、八重作は様々な事に考えが及んだ。
ふたりは奉行の屋敷の奥の部屋に入れられた。襖が閉じられたが廊下には侍が控えているようだ。
二人は取り敢えず寝ることにしたが、やはり眠られなかった。1年近くにわたって、一緒に作業をしてきた多くの仲間の顔が浮かんでは消える。どうにも目が覚めてしまって起きると、与吉も起きていた。
「眠れないよな」
「んだ」
「おまえ何考えてる?」
と与吉が聞く。
「皆の事を考えていた」
と八重作が答えると、与吉は呆れたように溜息をついた。
「今更それは助けようがないから考えるな。それより自分達の事を考えよう」
八重作がポカンとしていると与吉は声を潜めて言った。
「俺達は死体の始末係としてとりあえず数時間は生かされる。100人もの死体を片づけるんだ。1日掛かりだろう。そして明日の夕方頃、死体の始末がついたら」
「ついたら?」
「俺たちも殺されるって事だ」
「え?そうなのか?」
「おまえ、仕事の工夫とかは頭が働くのにこういうことには頭が働かないな。当然そうなるに決まってるだろ」
「じゃどうする」
「逃げよう。今夜の内に」
八重作たちは襖をそっと少しだけ開けてみた。侍が一人番をしている。さすがに深夜で疲れてきたのか若干船を漕いでいる感じではあるが、人がここを通り抜けようとしたら気付くだろう。
八重作たちは襖をしめると、静かに畳をあげた。こういう仕事は彼らは得意である。そっと床下に降り、屋敷の裏口の方へ音を立てないように静かに這って進んだ。
長い時間を掛けて床下を通過してそっと外を見る。誰もいないようだ。ふたりは静かに床から出ると裏口の戸の所に行き、そっと閂を開けて戸外に出た。ふたりが静かに戸を閉めた時、八重作は肝を潰した。
そこに与力の村上がいた。
「どこへ行く?」
八重作は観念して答えた。
「村に逃げ帰ろうと思っていましたが、もう観念しました」
「私は散歩をしていただけだ。何も見ていない。ただ村には帰るな。家族のことを思えば辛いだろうが、村に帰っておまえ達家族と合流した所を捕まれば、家族ごと殺されるぞ。辛いだろうが、大坂か京、あるいはいっそ江戸か、人が紛れてしまえる所に行け。博多はやめろ。お前達が逃げたらふつう博多方面に逃げるだろうと思われるから」
そう言うと、村上は八重作にずっしりと重い布袋を渡した。かなりの大金が入っていることが分かった。
二人は村上に深くお辞儀をすると、闇の中に走り去った。村上は何事も無かったかのように、またのんびり夜道を散歩しはじめた。
奉行所の中が大騒動になったのはその約1時間後であった。散歩から帰ってきた村上は涼しい顔で興奮している奉行に答えた。
「逃げた二人は手配書を出して、関所で押さえましょう。きっと西国へ逃げようとするでしょうから西の関所を警戒させるのです。死体始末係の代わりは水分村の吾作と川添村の勘八にしましょう」
奉行は配下の侍に、村上が指名した2人を連れて来るよう指示した。
八重作と与吉は大坂へ行こうと話し合い、夜の街道をひたすら東へと歩いた。時折馬の走る音などが聞こえると街道の脇に隠れてやり過ごした。やがて前の方から日が昇ってくる。八重作が足を止めた。与吉も気付いてふたりして自分たちが来た方角をみつめ合掌した。
ふたりは昼間もひたすら歩き続けた。食糧や水を持って出なかったのできつかったが、そんなことも言ってられなかった。お金は持っているが、藩内ではあまり使いたくない。自分たちの痕跡をできるだけ残さないためである。
夕方近くに隣国との境界に近い所まで辿り着いたが、ここでふたりは関所を越える方法がないことに気付いた。
「どうする?」
「夜中にこっそり山を抜けるしかないだろう」
「しかし山の中は色々仕掛けがしてあるぞ。特に夜ではそれに気付かない」
「しかしそれしか手はないだろう」
「取り敢えず夜までどこかに身を隠しておこう」
ふたりは隠れられそうな場所を物色してやがて他の家々から離れた所にある道具小屋のような感じのところにそっと入った。疲れていたのでふたりともすぐに眠ってしまった。
「これこれ。おまえさん達、誰じゃ?」
声を聞いて八重作はびっくりして飛び起きた。与吉も起きる。そこには提灯を持った変わったいでたちの男がいた。
「済みません。旅の者です。疲れてついここで寝てしまいました」
「私はこの村の医者の仁庵という。おまえ達、飯は食ったか?」
ふたりが首をふると、医者は飯くらい食べさせてやるから付いて来いと言う。八重作は与吉と顔を見合わせたが、相手は親切そうだ。付いていくことにした。
「今日は珍客の多い日だ」
仁庵がそう言って家に入っていくのに続いてふたりが入ると、ふたりはそこに異様な風体の男がいるのを見て驚いた。どうも南蛮人のようである。
仁庵が何か訳の分からない言葉をしゃべるとその南蛮人も訳の分からない言葉で返してニコニコとしてふたりを見て、いきなり手を伸ばしてきた。仁庵が言う。
「握手を求めているんだよ。南蛮人の挨拶の仕方だ。手を握りなさい」
八重作がおそるおそる手を伸ばすと、南蛮人は彼の手を強く握って振った。続いて彼は与吉にも手を出し、与吉とも強く握手をした。
その南蛮人は序流寿(ジョルジュ)と名乗った。オランダ人の医師で江戸に将軍に謁見するため向かう途中、特に許可を得て一ヶ月ほど仁庵の所に滞在しているということであった。話を聞いて八重作はこの医者が実はけっこう偉い医者なのではないかということに気付いた。それを尋ねると仁庵は
「うむ。私は昨年まで殿様の侍医をしていた」
とあっさり言ったのでふたりは驚いた。そして仁庵はさらにふたりが硬直するようなことを言った。
「さっき急病人が出て関所に行って来たのだが、そこでおまえ達ふたりの手配書を見た。おまえ達何者だ?」
呆然としているふたりに仁庵は更に言葉を続けた。
「何かの咎人(とがにん)のようにも見えないからな。話だけでも聞いて、お上に突き出すべきかどうか考えようと思ったのだ。まぁ私の気まぐれだな。取り敢えず呑め」
といって仁庵は酒をふたりにつぐ。与吉は自分を落ち着けようとするかのように一気に呑んだが、八重作は手を付けなかった。
八重作はここは事情を説明して、その後はこの医者の考えに身を任せるしか無いと考え、これまでのことを全部話した。
「なるほどな」
医者は頷きながら聞いていた。
「災難だったな」
「はい」
「取り敢えず私は通報しない。おまえたちに任せるが、逃れるすべは少ないぞ。あの関所は簡単には越せない。山の中には至る所に触ると大きな音が鳴る仕掛けがあるから、夜中などに越そうとするならすぐにそれに触れて気付かれてしまう」
「やはりそうですか」
八重作は力無く答えた。
「じゃほとぼり冷めるまで藩内で何とか隠れて過ごすしかないのかな」
「それも難しい。作事奉行配下の侍が多数、街道沿いの村の探索をしているなどと、関所の役人たちが話していた。今は城下町から西の方面への一帯を探しているようだが、そのうち東側にも来るだろう」
「どうしよう」
与吉はもう思考停止しているようだ。八重作もいい案は浮かばなかった。
「そこの南蛮さんみたいに、今のおいらたちと全然違う風体にでもなったらバレないかも知れないけどな」
と八重作は苦笑しながら言う。
「はっはっは。南蛮人になるのは無理だな。第一おまえ達南蛮の言葉を知らないだろ?」
と仁庵もまるで笑い事のように答える。
「言葉か。それなら女になるんだったら誤魔化せるかもな。女言葉なら何とかなりそうな気もする」
と与吉がつぶやく。
「女の格好するのか? 確かに俺もおまえも背は低い方だから見た目は誤魔化せるかも知れないが」
と八重作は答えた。しかしすぐにその先に考えが及んで
「関所を女が通る時は検見の婆が、身体を触ったりして調べるぞ」
と付け加えた。
「そうか。服だけ女の服着たってだめか」
そんな会話をしていた時、仁庵の目が光り出した。
「おまえたち。いっそ女になってしまうか?」
「え?お医者様は、やはり女に変装するのが良いと思いますか?」
「違う。服装だけ女の服を着て、女に変装するのではない。本当の女になってしまうのだ」
「はぁ?」
「身体もちゃんと女になって女の服を着ていれば検見の婆に触られても問題ない」
「身体も女に?」
「そういう南蛮の秘術があるのだ」
「どうすれば女になれるんですか?」
「男と女の形の違う所を変えるだけのことだよ。お前さんたち腹にはけっこう脂肪が付いとるのう」
と仁庵はふたりのお腹を触った。
「この腹のところから余っている肉を少し取ってそれを胸にくっつければ、女のような乳房になる」
と仁庵は何だか楽しそうに説明しはじめた。八重作と与吉はどきっとして自分たちの胸を触った。
「でもお医者様、もっと違う所がありますが」
と与吉が尋ねる。
「それも合わせ付ければいいこと。棒と袋を取って穴を開け割れ目を作る」
「と、取る?」
与吉は引きつったような顔をして復唱した。
「それ後で元に戻せるんですか?」
「無理だな、この秘術をした以上、一生女のままだ」
と仁庵はあっさり答えた。
「おまえたち完全に女になってしまえば、何とか関所を抜けることができるだろう。手形を持っていなくても、お伊勢参りに行くと行って、多少の金を包めば通してくれる」
と仁庵は言う。
「お伊勢参り!」
八重作と与吉は声をあげた。その言い訳に気付いてなかった。
「しかし、男のままであったら多少の変装をしてもバレて城下に送られ、首を撥ねられるだろう」
「う・・・」
「というわけで、ここで魔羅を切って女になるほうがいいか?それとも魔羅を切るのはやめて首を切られるほうがいいか?」
八重作と与吉は顔を見合わせた。どっちも嫌だ。しかし。。。。。。
八重作は村の女房と娘の顔が浮かんだ。自分が下手な捕まり方をすれば女房たちにも害が及ぶかも知れない。しかし自分が永久に発見されなければ、監視くらいは付くかもしれないが、拘束されたりまではしないだろう。向こうも騒ぎをあまり大きくはしたくないはずだ。
「お医者さん、やってください」
と八重作は言った。
まだ決断が付かずにいた与吉は驚いたように、その八重作の顔を見た。
(C)Eriko Kawaguchi 2005-01-04
八重作が「やってください」と言ったことで与吉もやっと気持ちが決まったようであった。
「分かりました。おいらも御願いします。ところでお代は?」
男を女に変える秘術など高そうだ。
「そうだな」
仁庵は序流寿となにやら南蛮の言葉で話していた。
「10両くらい欲しい所だが、おまえさんたち幾ら持っている?」
「待って下さいまし」
と八重作は自分の懐を探った。まず自分の財布が出てきたが中身は、工賃と褒美でもらっていたお金を貯めたもので全部で3両と1分あった。更にもうひとつ袋を出す。仁庵の目が険しくなる
「その財布は?」
「はい。実は私たちを逃がしてくださったさるお方が下さったものです。どなたかは詮索しないで頂けますか?」
「ああ。そういうことなら構わない」
その中を出してみると7両と2朱あった。この端数が如何にも手持ちのお金をくれたという感じだ。八重作は村上に感謝した。
「これで何とか10両に」
「あ。でも、もしかして1人10両ですか?」
「その7両2朱を財布ごと貰おう。そのような立派な財布をおまえ達が持っていては怪しまれるだろう。私が適当に処分しておく。3両1分はこのあとの路銀用に取っておけ」
「ありがとうございます」
「それと確かに本来は1人10両なのだが、今回は1人分はタダだ」
「それはまたどうして」
「実を言うとな」
と仁庵はふたりに笑顔で話し始めた。
「そういう秘術があることを私もさっき序流寿医師から聞いて知ったばかりでな。手本に序流寿が1人手術して、それを私が見学して、もう一人は私が自分でやってみようと思っているのだよ。私の分は勉強を兼ねてだからタダで良い。しかし序流寿医師の分は払ってもらいたい、というわけだが、7両2朱おまえたちに出してもらって残りは私が自分の勉強代で出すことにする」
自分たちは実験台か!とふたりは少し嫌な気分になったが、お陰で安くしてもらえるのであれば仕方ない。
「で、どちらが序流寿に手術されたい?」
ふたりは顔を見合わせる。
「南蛮人さんにされるのは何だか怖いな」
と与吉がつぶやいた。
「じゃ。俺が先に南蛮人さんにしてもらうよ。俺が先にやってくれと言ったし」
と八重作が言った。
翌朝。ふたりは仁庵の療養室の寝台の上で痛みに耐えていた。喩えようのない凄まじい痛さで、ふたりともこの手術を受けたことを、かなり後悔していた。
が、選んでしまった道は後戻りできない。もう男の印は切ってしまった。ふたりは自分たちでも気付かない内に女の服に着替えさせられていたようだ。髪型も変えられていた。どうも化粧までされているようだ。
そして仁庵からは
「お前たちはもう女になったのだから、この後は男言葉は使ってはならない。全部女言葉で話せ」
と命じられていた。ふたりは練習にお互い女言葉で会話してみたが最初はどうしても吹き出してしまったりして、なかなかうまく行かなかった。
ふたりはずっと寝ていた。半月ほどしても痛みは引かなかったのでふたりはとにかくひたすら寝ていたが、ある日、仁庵医師宅に作事奉行配下の侍がやってきた。
「ここにおるのは将軍様の所に行く途中の南蛮医師と患者2人だけだぞ」
「先生、その患者とは村のものですか?」
2人と聞いて侍は緊張したようであった。侍は元侍医が相手なので敬語で話している。
「旅の者だ。先日近くで行き倒れになっていたので連れてきて治療した」
「どのような者です?」
侍が乗り出してくるが
「女だぞ」
と医師が言うと、侍はがっかりしたようだった。
「念のため、人相を改めさせて頂けますか?」
「うん。よい」
仁庵は侍をまだ苦しんでいるふたりの部屋に案内した。侍は手配書とふたりの顔を見比べたが
「全然違う顔だな」
とつぶやいた。
髪型を変え化粧までしていてはさすがに同じ顔には見えなかったようである。
「患者さん、申し訳ないが、女の人の場合ここまで確かめろと言われているので」
と言うと、侍はいきなりふたりの股ぐらを触った。激痛が走ってふたりは悲鳴をあげた。
「無礼申した。確かに女でござった。隠れるために女の格好をしている場合もあるからということで言われておりましたので」
侍はふたりと仁庵に謝って退去した。この時ふたりはやはり手術を受けて良かったのだと確信した。
八重作たちが普請場を逃げ出してから2ヶ月たったが、何の手がかりも得られなかった。作事奉行兼普請奉行の金岩も総奉行の木鳥もかなりイライラしていた。
金岩が
「どうしましょう。木鳥様。ご家老に報告してもっと探索の手を広げましょうか」
と尋ねたが木鳥は
「馬鹿。そんなことしたら、我々の不手際が分かってしまうではないか」
と叱りつける。しかし叱り付けても仕方ないことであった。その時、同席していた与力の村上が
「おそれながら」
と口を開いた。
「取り敢えず監禁している死体始末係のふたりなのですが」
「あぁ、そうだった。あいつらも始末しなければ」
「いえ。村に帰してやってはどうかと思いまして」
「何?そんなことができるわけが」
と金岩が言いかけたが木鳥が遮った。
「なるほど。一石二鳥になるかも知れない。よい。おまえに任せる」
と言った。村上は一礼して出て行った。金岩はまだ意味が分からずにいた。
村上が死体始末係の吾作と勘八に各々百両渡して奉行所から解き放った。ふたりはてっきり殺されるものと思って毎日震えて過ごしていたので、この処置に驚いた。
「もしかしたら松阪様が何かしてくださったのでは?」
勘八は吾作に言うと
「これからどうする」
と尋ねた。
「もちろん村に帰るさ」
と吾作は言う。
「そうか」
と勘八は少し考えているようだったが、お互いの幸を祈ってふたりは別れた。
『あいつらにも逃げる時間は与えていた。仕方ない』
村上は心の中で呟いた。
吾作が水分村に戻ってくると村人達は驚いた。工事中の事故で全員死んだという報せが届いていたので、吾作の妻は泣いて喜んだ。そして吾作にとって平和な日々が戻ったかと思ったのだが、そうではなかった。
吾作は村共同の農作業をしたり、庚申待ちの寄りに出たりしながら、次第に周囲の視線が冷たいことに気付き始めた。たまりかねて解放される時に渡された百両を
「工事で死んだ仲間の供養のために」
とお寺に寄進したが、その百両がまた疑惑を招いたようだった。
いつしか吾作は毎日夕方寺のお堂で念仏を唱えるようになった。その様子を見て多くの村人たちは吾作を許してやってもいいのではないかという雰囲気になってきた。しかし中には納得していない者たちもいた。
ある日の夕方、念仏を唱えていた吾作の所に八重作の妻・ツルがやってきた。ツルはしばらく八重作と一緒に念仏を唱えていた。そして吾作の念仏が108回繰り返されていったん中断した所でツルが一言尋ねた。
「吾作さん、あなたも多分とても辛い思いをなさったんでしょうけど、もし教えてもらえることがあったら何かひとつでもいいから教えて下さい」
吾作はしばらく沈黙していたがやがて迷いを振り切るかのようにこう言った。
「八重作はひょっとしたら生きているかも知れない。でもあんたに会うことはないと思う。もし会おうとすればあんたたちごと捕まる」
ツルはもう八重作とは会えないのだろうということは覚悟していたが、生きているかも知れないと聞いて、少しだけ嬉しくなった。それに付いてツルがもっと聞こうとした時だった。お堂の戸が開いて、やはり人足に出ていて死んだ弥平の妻・トメが荒々しく入ってきた。
「もう我慢できない。吾作、うちの人は本当はどうなったんだ?」
吾作は何も答えられなかった。弥平の妻は次々と吾作を詰問するが吾作はただ
「済まん」
と言うだけで何も言わない。
たまりかねた弥平の妻が吾作につかみかかる。しかし吾作は抵抗しなかった。ツルが止めようとするが、突き飛ばされてしまう。ツルはこれは自分の手に負えないと思い、寺守を呼びに行った。
しかしツルが寺守の老僧と一緒にお堂に駆け戻ってきた時、そこには呆然としているトメと、もう息がなくなって倒れている吾作がいた。
村人たちは吾作は事故で死んだことにして、トメの罪は問わなかった。吾作の妻も泣く泣く状況を受け入れることにした。
水分村に入っていた密偵から吾作が死んだことが作事奉行の元に伝えられた。一方、西の国境の関所から、勘八が関所を破ろうとして捕まったことが伝えられた。作事奉行は関所に勘八の処刑を命じる伝令を出した。勘八の首は
《関所破りの重罪人》
として川添村に運ばれて晒された。勘八の息子も連帯責任で処刑すると言われたのだが、村の有力者たちが必死に嘆願し、出家させることで命だけは助けられることになった。勘八の妻も尼になることになった。
12歳になる息子が頭を丸めたところに役人が来た。
「命令なので覚悟してもらう」
と言って刀を抜いたので
「そんな! 出家すればこの子は助けるというお話だったのでは?」
と勘八の妻が息子をかばおうとしたが、役人は
「心配するな。命は取らん」
と言うと、息子の服を脱がせ、褌を剥がすと、股間の突起をつかみ、刀を振り下ろした。
激痛に息子はうめき声をあげた。
「煩悩の元を絶ってやったから修行の助けになるはずだ。御家老様の御高配に感謝しろ。運が良ければ生き延びられるであろう」
役人はそう言うと、息子から切り取った、魔羅と玉袋を持参の革袋に入れて持ち去った。そばにいた村の住職が、薬師(くすし)の所に走った。息子は3ヶ月ほど生死の境を彷徨ったが、最終的に何とか命を取り留めた。
結局息子は男の根本が無くなってしまったので、男の僧にはなれないことになってしまった。むしろ女と同じということになり、戒名も女の名前を付けられて、母と一緒に尼寺に入ることになった。
「お母ちゃん、結果的には一緒に暮らせるようになったんだから良かったんだよ」
と元息子の娘は言った。
「そうかも知れないね」
と勘八の妻も新しい娘をいたわるように言った。
「お前、顔立ちも可愛いから、女として生きるのもいいのかもね。お前声変わりもまだだったから、ちゃんと女で通せるよ。実を言うと私も女の子が欲しかったんだ」
「じゃこうなって親孝行なのかなあ。でもまだ小便する時に座ってするのが何だか変な気分だ」
「すぐに慣れるよ。女はそれが普通なんだから」
木鳥総奉行は八重作と与吉の手配を解除した。これ以上長期に手配を続けるのは上層部から照会された時にまずいという判断もあった。
「故郷の村に帰れば吾作と同様のことになるだろう。関所を抜けようとすれば、手形を持っていない以上、関所を普通には通れない。抜け道を通ろうとすれぱ関所破りの重罪。勘八と同じ目になる。おそらくはふたりとも藩内のどこかの山の中にでも潜伏しているのだろうが、身動きが取れないだろう。死んだも同然だから放置してよい。もし御家老に尋ねられたら、ちゃんと全員始末が完了していますと答えておけ」
木鳥は金岩に説明した。
松阪が普請奉行を解任された日から1年が経っていた。
その日、八重作と与吉は仁庵の屋敷を出発し、東へと向かった。八重作は「エイ」、与吉は「キク」と名前を変えていた。1年の間に手術の傷も癒え、また女としての立ち居振る舞いなども身につけることができていた。
関所の通過はかなり緊張したが、筑紫の豊後の出で、お伊勢参りに行く途中である旨を告げると、検見の婆に身体のあちこちを触られて女であることを確認された上で、予め包んでいたお金を渡すと、すんなり通してくれた。
ふたりは幾つかの関所を越えてやがて上方までやってきた。仁庵は結局、屋敷を出る時に餞別だと言って少しお金をくれていたので、ふたりはこのまま伊勢までも行けるし、充分まだその先、尾張や江戸などへも行くことができる状態だった。
上方の開放的な雰囲気はふたりを少し気分的に酔わせていた。ふたりは旅の疲れも休めるため半月ほど滞留することにした。ここで初めてふたりは湯に行ったが、女湯に入るのは初めての経験でかなりドキドキした。しかし中に必ずしも若い女がいないので、何だかホッとした。中年の女たちに紛れると少し体つきが骨っぽいふたりもそう目立たないのであった。
エイ=八重作はツルとの約束をまだ守り決して酒を口にしなかったが、キク=与吉はけっこう酒を飲んで男と遊んでいた。一晩中帰って来ないこともあった。そして男からお小遣いをもらったりもしているようであった。エイは自分が女として振る舞う事には慣れたものの、男と付き合うのには抵抗感を感じていた。
ある晩、キクはまた夜遊びに行っていたが戻ってくると昂揚した声で
「おい、八重作。伊勢まで行かなくてもいいぞ」と言った。
「どうして?」
「伊勢帰りの男から、伊勢の御札をふたつ分けてもらった。
お前の分、これな」
ふたりは普段人前ではちゃんと女言葉で話しているがこうして二人きりの時だけは男言葉に戻っている。エイはしばらくその御札を見ていたがやがて
「いや。俺はちゃんと伊勢まで行くよ。ズルするみたいで嫌だから」
と言う。
「そんな。これ高かったんだぞ」
「すまん」
「まぁいいや。俺はこの伊勢の御札でお伊勢参りの帰りという主張ができるからこのまま国に帰る」
「国に?それは危ないだろう」
「城下にいるさ。村には草のような隠密がいて情報を城下に流しているだろうし、そもそもこの身体では帰れないしな。城下には人がたくさんいるからそこに紛れてしまう。こういうのは案外相手の足元にいたほうが見つからないもんなんだぜ。それに城下なら、身分が不確かな者でも雇う所も幾つか知っているし」
足元の方が見つからない、というのはなるほどそうかもという気もした。
「で、おまえはどうする?」
「俺はまず伊勢に行ってから、それからまた上方に戻って仕事探してみるよ」
「分かった。じゃ今夜が最後だ。後は、もしどこかで会っても知らぬ同士だぞ」
「うん。わかった。じゃ、達者でな」
「お前もな。って男言葉を使うのはこれが最後かな」
「そうだな」
二人は杯を合わせて別れを惜しんだ。
エイ=八重作は翌朝、キク=与吉と別れて宿を出て、西へと向かった。半月滞在する予定を結局10日で切り上げたのだが、国から上方までの旅の疲れはもう癒えていた。
初めて見るお伊勢は素晴らしかった。二見浦では二度どころか5〜6回振り返ってその美しい景色を見た。外宮・内宮の広い境内を歩いてお参りしていると心が洗われるようで、自分が新生していくような気分であった。自分は今ほんとうに女として再び生まれ直したんだ。そんな気がした。
上方に戻り、仕事を探しながら(色事の無い)飯屋で働いていた所、ある問屋さんに雇ってもらえることになった。エイは一所懸命働いた。生来の真面目さと、元々が男なので普通の女よりは無理がきく体質であること、そして工夫好きの性格で、旦那の注目する所となる。年齢は行っているが、うちの息子の嫁にならないかとまで言われてしまったが、さすがにそういうのは苦手だし、跡取りを産めない身体でもあるので遠慮させてもらった。すると店をひとつ任せると言われて、最初、堺の町の小さな店に派遣された。
そこは今まで旦那の息子の一人がやっていたのだが放蕩がひどく父親としても堪忍袋の緒が切れたのであった。エイが行ってみると店はその息子がアテにならなかったので気難しい顔の老番頭が取り仕切っていた。老番頭は女に何が出来る?という顔をしたが、エイが頭の回転が速いことと如才がないことにはすぐ気づき、やがて何でも相談して物事を決めていくようになった。堺の店の成績はぐんぐん良くなっていった。
2年後、今度は彦根に新しく出す店を最初から任されることになる。エイは現地に行き幾つかあげられていた候補地の内、どれが最適かの選定をし、店の建築を進めながら販路の開拓をしていった。彦根35万石の城下町だけあって町人の町である上方や堺とは雰囲気が違っていた。武士たちは保守的な者が多く女性のエイの話をちゃんと聞いてくれる者は少数である。そこでエイはペアを組むことになった若い男性の番頭をうまく表に立てて、その付き添いのような顔をして商談に参加した。男性との恋愛は勘弁でも、お酌をしたりシナを作ってみせる程度は平気でできるようになっていたので、硬軟両面遣いでどんどん得意先を増やしていった。3年後、店が軌道に乗った所でエイは本店に呼び戻された。
エイがこの店に入ってからもう8年の歳月が流れていた。エイを評価してくれていた旦那が病の床に就いていた。本店を切り盛りしているのは息子達の中で最も出来の良かった三男・栄助で、エイはこの息子とは考え方が一致することも多く比較的仲が良かった。嫁にならないかといわれた当の本人である。
病床の旦那が最初に口にした国の名前はエイの内心を動揺させるものであった。
「たしかエイさんの出身地だったと思ったのだが」
良く覚えているものである。さすがに本当の出身地は言えないので、その国の出身ということにしてあった。本当にその国の出身であった仁庵から当地の言葉も一応叩き込まれている。
「そこの城下で大きな作事があるのだが、その木材その他の納入を取り仕切ってもらえないかと言われてね」
言われることの想像は付いた。しかし、あまり関わりたくない類いの話だ。そもそもその国に行くためには当然途中、本来の自分の出身国を通過する必要もある。
「この件をエイさんにやってもらえないかと思っているのだよ」
「分かりました。で誰と一緒に?」
エイはこの老人をがっかりさせてはいけないという気持ちから迷わず返事をした。しかし老人の答えは意外なものだった。
「今回は番頭格は出さない。その代わり、そこに居る速水零之進どのに同行を御願いしようと思っている」
その侍の事は気になっていた。どこかで会っている気がするのだが、名前を知らない。一度名乗り合った相手の名前なら決して忘れない自信があったので、名前は名乗り合っていないと思うがどこで会ったかの記憶が無かった。最近本店に関わっている人かとも思ったのだが、栄助の反応から、そうでもないようだという気がした。
「エイさん。彦根藩の御家老のお屋敷でお会いして以来ですね」
と侍がにこやかに言う。
それで思い出した。まだ彦根の店ができる前、事前挨拶に回っている時に有力者の引き立てがあって御家老の屋敷に挨拶に行くことができた。その時、部屋の隅の方で控えていた人物だ。向こうはこちらの事を覚えていたようである。
その店はこの問屋の支店の中でも一番の成績を上げるようになっていた。
ただエイは、それ以外の場所でも会っている気がしてならなかった。
(C)Eriko Kawaguchi 2013-07-26
エイが実は自分は人別帳に登録されていなくてというのを言うと、旦那は色々手を回して、きちんと登録してくれた。そして西国まで行く手形も作ってくれた。それで速水と一緒に、筑紫の豊後国まで行くことになった。
旅に出て最初の夜は、西宮の旅籠に泊まった。男女の客なので、てっきり夫婦者と思われてしまったようで、同じ部屋に通された。
「エイ殿が着替えたりする時は、後ろを向いて目を瞑っておきます故、ご心配無く」
と速水は言った。元々紳士的で真面目な感じなので、エイも信頼することにした。
それでお風呂に入って来てから夕飯を食べ、暗くなってきたので寝ることにする。行灯の灯りを消して、おやすみなさいを言って、うとうととし始めた時、速水が自分の布団に侵入して来た。うっそー! さっきの言葉は何なの〜? 男ってこんなに節操無いの?
「エイ殿、済まない。拙者はどうしても確認しておきたいのだ」
そう言うと、速水はエイの服を脱がせてしまう。エイはここで抵抗しても仕方無いと思ったので、不本意だが、速水に身を任せた。乳を吸われる。自分もかつて男だった頃は女房の乳を吸ったものだということを思い出した。ツルは無事でいるだろうか・・・・
しかし自分はもうツルにも、そして娘にも会うことはできない。
やがて速水は自分のものをエイのあそこに入れて来た。女になってしまってから10年。放置しておくとそれは縮んでしまうからと言われて、毎日「護謨(ゴム)」
という南蛮渡来の柔らかい素材で作られた陽型を入れて縮まないようにしていた。しかし今自分が受け入れているのは、陽型ではなく、本物の陽物である。キャーと思ったものの、むしろいつも入れている陽型よりスンナリ入って来た気がした。
しかし・・・男の人とこんなことをするとは・・・と思ったものの、何だか少し気持ちいい気もした。そういえば、上方に最初出てきた時、与吉(キク)は随分男と寝ていたよなあ。毎晩こういうことを男としていたのかと思うと、何だか・・・・自分もしておけば良かった!という気さえしてきた。これ、そんなに悪くないじゃん!
やがて速水は自分の中に放出して果てた。
しばらくふたりとも放心状態だった。
「済まなかった」
と速水は言う。
「いえ。夜のお相手くらいは、速水様がお望みなら、いつでも務めさせてください」
とエイは言ったが、自分で何を言ってるんだ?と思う。
「実は、そなたが本当におなごなのか確かめておきたかった」
「あらあら、私が男に見えますか?」
「実は昔関わった藩の庭園の工事現場で、そなたによく似た男を見たことがあって」
エイはドキっとしたが平静を装って答える。暗闇だから表情が見えないのは幸いである。
「まあ、私の親戚か何かでしょうかねぇ」
「あるいはそうかも知れないし、他人の空似かも知れん。ただ、その男は行方知れずになっていたから、もしやと思って。しかし男が女になる訳が無いから、そなたはやはり別人のようだ」
「そうですね。神様か仏様でもなけりゃ、男を女に変えたりはできないでしょうね」
「全くだな。でも済まなかった。このような無体なこと、二度とはしない」
エイはその速水の真面目そうな言葉に心が緩んだ。
「私、こんなこと今してしまったからかも知れませんけど、速水様のこと少し好きになってしまったかも知れません。妾にしてとかは言いませんから、もし私を抱きたい気分になった時は、いつでも抱いて構いませんよ」
「そ、そうか?」
速水の方が少し焦っている感じだった。
旅の途中、速水はその後特にエイを求めなかったが、エイの本来の生国に入った晩と出た晩、そして豊後の国に着いた晩だけ、ふたりは愛し合った。それは何となく、自然な結びつきだった。
豊後の国での仕事はそんなに難しいことでは無かった。庭園の補修作業だったのだが、エイは大坂の問屋の「女番頭格」という肩書きで、建材の手配や時には実際の工事の助言などもした。ただ細かい技術的なことは速水に頼んで、速水から言ってもらうようにした。そのあたりは速水との間に無言の了解と連携ができていた感じもあった。
速水とエイは、当地でも、夫婦に近い関係なのだろうと見なされ、ひとつ屋根の下で暮らしていた。速水は毎晩ではなかったが、時々特に疲れているような時にエイを求め、エイもそれに快く応じていた。
その庭園は50年くらい前に、当時の名人的な職人が設計施工したものだということであった。エイは、この仕事をしながら、その素晴らしい設計に感嘆した。そうか、こういうやり方もあったのかと思う所がたくさんあった。ただ、実際に工事に当たっている人夫たちや、それを指揮している侍たちも、この庭園の仕組みは理解していない雰囲気だった。
そしてエイは、自分がそういう設計の中身に気付いていることも、全く表情には出さないようにし、むしろ、何だかよく分からないような顔をしていた。
知っているということが知られれば命に関わる。
工事現場では「事故」くらい、いくらでも起きるんだから・・・・
豊後の国での仕事を1年掛けてほぼ終えた頃、大坂から旦那様が亡くなったという報せが届いた。それでエイは、後事を現地の商人に託して、大坂に戻ることにした。
速水と一緒に東へと旅をして、やがてエイの生国に入る。ここはあまり長居したくないので足早に歩いていたのだが、城下町を少し過ぎたところで日がかなり落ちてくる。
「もうこれ以上は行けない。城下まで戻ろう」
と速水が言うので
「はい」
と言ってエイも従う。
それで戻っていた時、向こうから豪華な駕籠がやってきた。装飾が多い。どうも身分の高い女性用の《女乗物》のようである。殿様か家老クラスの姫君か妻妾か。
エイと速水は道の端に寄り、控えて駕籠の通過を待った。
ところがその駕籠が、ふたりの前で停まってしまう。なんだろう?と思っていたら、傍に居た腰元が、エイの所に来て
「ちょっとこちらに」
と言った。
エイはびっくりしたが、来いと言われたら行かねばならない。恐る恐る乗物に寄る。中の人物が細く戸を開けた。
「エイちゃん、久しぶり」
と言って笑顔を見せたのはキク(与吉)であった。エイは驚愕した。
「ちょっと付き合わない?」
そこでエイは速水に旅籠(筑紫に向かう時に泊まった宿にしようと申し合わせた)で待っててくれるように言い、キクに付き従って、大きなお屋敷まで行った。
キクは人払いをした。
「びっくりした? どうしたの?」
エイはもう女言葉が身に染みているので、男言葉では話せない気がして女言葉で尋ねた。
「私ね、殿様の側室になっちゃった」
「嘘。信じられない!」
「城下で最初魚屋の下働きをしていて、その内、お琴の師匠の女中になってね。そんな時、お忍びで来ていた若様に見初められちゃって。当時は若様は部屋住みの身だったんだけど、3年前にお世継ぎが亡くなって突然お世継ぎになって。それで昨年殿様が亡くなって、藩主になっちゃったんだよ」
キクも完全に女言葉になっている。ただお互いにどうしても低い声なのはどうにもならない。
「それはまた凄い出世だね」
エイは懐かしくて、キクとお互いのことをたくさん話した。自分がゆえあって子どもが産めない身体であることは殿様にも打ち明けているが、殿様には由緒正しい家から娶った正室もいるし、他にも数人の側室がいるので、別に子どもができないのは構わないということらしかった。それでも夜の相手としては相性が良いらしく、かなり頻繁にお渡りになるらしい。
今夜は泊まっていかないかと言われたが、先を急ぐし、連れもあるのでということでその晩は帰ることにした。
屋敷を辞して、旅籠に戻る。今日の宿は混んでいるようで、別の侍夫婦と相部屋であった。向こうは四国で浪人していたものの、知人から上州で仕官の口を紹介してもらえることになったということで、東へ行く途中ということだった。
何となく会話を交わしている内にけっこう親しくなる。それで、向こうの夫と速水、エイと向こうの妻で、それぞれ一緒にお風呂に入りに行った。エイは最初の頃は女湯に入るというだけで随分緊張したものだけど、最近はすっかり平気になったなあなどと思いながら、その奥方と一緒にあれこれおしゃべりしながら、湯を楽しみ、そして部屋に戻った。それで少しまた4人で話していた時、速水が
「急用を思い出した。ちょっと失礼」
と言ってエイを連れ出した。
「どうしたの?」
とエイが訊いたが速水は難しい顔をしている。
旅籠の廊下に出たかと思うと、すぐ隣にある布団部屋に連れ込んだ。
「何?こんな所で」
「エイ殿、今から何を見ても聞いても絶対に声を立ててはいけない」
と速水は小さな声で言った。
「はい?」
数人の侍のような足音が聞こえた。
「何者?」
「何をする!?」
「ぎゃっ」
「うっ」
小さな悲鳴が聞こえた後、静寂が訪れる。行灯の灯りも消えてしまったようだ。エイは声を出すなと言われたものの、つい声を出しそうになったのを速水に口を押さえられていた。
その後、女の足音がする。
「仕留めたか?」
という声はキクの声だ!
「はい。宿の者を締め上げて、侍の夫婦が泊まっているのはこの部屋と確認しております」
「でかした。万が一にも妾(わらわ)の秘密が知られてはならんからな。仁庵医師にも、あの世に行ってもらったし。これで妾(わらわ)の秘密を知るものは居なくなった」
とキクは言った。エイは顔が真っ青になった(と思った。多分ほんとに血の気が引いていたであろう)
「それで、菊の方様」とひとりの侍が言う。
「ん?なんじゃ」
「御家老様の命にございます。御免」
と言うと、続いてキクの「うっ」という声が聞こえた。
エイは更にびっくりした。
「何をする・・・・?」
「殿の御側室が、元は男であったなどということは絶対にあってはならないことでございます。申し訳ございませんが、お方様にはここで亡くなっていただきます」
「そんな・・・・」
「御方様の秘密を知る者も全て居なくなった。これで我が藩も安泰」
そう言い残すと、侍たちは静かに去って行った。
やがて全てが静寂になった。
速水は再度小さな声で「何も言うな」と言うと、エイをそっと布団部屋から連れ出し、旅籠の裏口から出て、闇の中を東に向けて歩き出した。エイは半ば呆然としながらも、速水に付き従った。
夜中に国境の手前の宿場まで来る。速水はその中の一軒の家に行った。
小判を10枚、その家の主の老人に渡す。老人は頷いてふたりを伴い関所まで行った。関所は夜なので当然閉まっているが、老人が見張りの者に何か告げると門は開いた。そして速水とエイは静かに関所を通過した。
「あんな通り方があるんですね・・・・」
とようやく明け方近くになって少し気分が落ち着いて来たエイは速水に言った。
「どこの関所にも《通り方》はあるんだよ。自分は実は公儀隠密だ」
「えーー!?」
「だから、どこの関所でも抜け方を知っているのさ」
「そうだったんですか・・・・」
「エイ、君が務めていたお店には悪いけど、もう君はあの店には戻れない」
「・・・・そうでしょうね」
「私と一緒に越の国に行かないか?」
「越ですか! それはまた遠い所に」
「越の加賀国で近々、大きな造園が行われることになっている。君の力をそれに使わないか?」
「・・・・速水様、いったい私のことをどこまで知っているのですか?」
「君が、あの藩で造園の設計に関わったこと。そして元は男だったこと」
エイは脱力したように笑った。
「全てお見通しだったんですね」
「しかし信じられないな。君はどう見ても女だし。どうやって女に変わったのだ?」
「いろいろあって・・・」
「まあよい。普通の女と違うと言えば、声がちょっと低いくらいだが、その程度の声の女も時々居るし。それからあの藩のことはあまり心配することはない。あそこは近い内にお取り潰しになる。色々と問題となることの証拠はつかんでいる」
「・・・・そうですか」
「そして、私の妻になってくれ」
エイは、そんなことをいつか言われるかも知れない気はしていたので微笑んだ。でも・・・
「いいんですか?元は男なのに」
「今、女なのだから問題無い」
「私が子どもを産めないことは承知ですよね?」
「私には子どもは生まれない方がいいのだよ」
「え?」
「私は養子なんだ。旗本をしている父に子どもが生まれなかったので、私は養子にもらわれて来たのだが、私が養子になった途端、子どもができてしまった」
「よくある話です」
「だから、その子を私が養子にしている。それで私に実子ができてしまうと、物凄くややこしいことになるんだよ」
「御武家様もたいへんですね」
「加賀国で作る庭園は、技術の粋を集めたものになる。加賀百万石は外様ではあっても、親藩と同格。前田様は大規模な造作はするものの、他意が無いことを示すために、幕府側の技術者も入れて、工事を行うことで、江戸との話がついている。江戸から何人か他にも技術者が派遣されるが、それにエイも参加してくれ。エイが持っている技術はおそらく、代え難い」
「工事が終わった後、始末されるなんてこと無いよね?」
「前田様は、そんな馬鹿なことはしないよ」
速水はそう言って、朝日の中で微笑んでエイに口付けをした。
金沢での造園の仕事は15年の歳月を要した。工事が完成する頃、速水にもエイにも頭には白髪が混じるようになっていた。速水は結局、加賀藩にそのまま召し抱えられる形になり、旗本の家は、速水の義父の実子が継いだ。そしてエイは加賀藩の普請方の武士の妻として、また珍しい「女職人」として工事に携わった。
そんなことをしている間に、エイの生国では藩主が切腹させられて御家断絶。別の殿様が入った。そしてあの庭園も完全に造り直されることになった。その造園工事には、エイがここ金沢で指導した職人も何人か行ったが、工事の後で始末されたりすることは無論無かった。
速水がツテを通してエイの元妻と娘のことを調べてくれた。娘は働き者の男に嫁ぎ、孫が2人産まれていること。そしてツルも元気であることを聞き、エイは涙を流した。やがてツルの元に毎年10両の為替が「やくも」という名前で届くようになった。ツルは不思議に思って村の寺の住職に尋ねた。
「古い和歌があるのじゃよ。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が妻を娶った時の歌じゃ。《八雲立つ、出雲八重垣妻籠みに、八重垣作る、その八重垣を》とな。これ以上は言わなくても良いな?」
ツルも涙を流した。やがて20年ほどしてその毎年のお金が届かなくなった年ツルは密かに1枚の位牌を作った。
【庭園物語】(1)