【続・受験生に****は不要!!・春】春は入学の季節

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鶴田春紀は高校受験を目指していた中学3年の冬休みに勉強もせずにおちんちんいじりばかりしていると母親から叱られ、おちんちんを手術で取られてしまった。
 
「何度言ってもやめないんだったらもう、おちんちん取っちゃうしか無いわね」
 
などと言われるので、単に警告かと思ったら本当に取られてしまった!
 
それで高校3年間は女子の制服を着て、女子高生として通学した。しかもその間に、喉仏も削られてしまったし、女性器の移植手術まで受けてしまった。
 
春紀は自宅から離れた高校に通ったので、下宿をしたのだが、それは中学時代の同級生・亀井美夏の伯母さんの家で、美夏もまたそこに下宿していた。ふたりは高校自体は別の学校であったが、隣り合う部屋で暮らし、3年間一緒に勉強をしている間に、「女同士」ではあっても、愛し合うようになっていった。
 
最初は春紀の「女体」は大学に合格するまでで、合格したら(冷凍保存されている男性器を再接合して)男の身体に戻してもらうという話だったし、本人もそう言っていたが、美夏は多分春紀は男に戻るつもりは無いのではなかろうと思うようになっていった。そのことでイライラしたりもした美夏だったが、次第に女の身体ではあっても自分を愛してくれる春紀のことを愛おしく思うようになり、また「レスビアン・セックス」にもはまってしまった。
 
そして春紀と美夏はそろって東京大学に現役合格した。春紀は文Iで法学部への進学を目指し、美夏は理IIで薬学部を目指している。そしてふたりは入学前に結婚した。
 

結婚式に出席したのは、春紀と美夏、双方の母、春紀の姉の優子、美夏の伯母の遼子、もうひとりの伯母、春紀の母の親友ということにしている桜木ユミ医師、春紀の高校の友人である西川玲子(京大に合格したのだが、わざわざ京都から来てくれた)、美夏の高校時代の友人の高橋慶子、バイト先で知り合った春紀・美夏共通の友人である飯島早苗、といった面々である。
 
最近は何かと相談相手になってくれている前島和宏も誘ったのだが、遠慮しておくと言ってご祝儀と祝電だけくれたので出席者は全員女性になった。
 
新婚旅行はしなかったが、結婚式の日は市内のホテルに泊まって初夜を楽しんだ。
 

ところで、今日では多くの大学で「教養部」が廃止されてしまったが、東大は現在でも教養部制度を維持している。昔の多くの大学では大学入学後1年半は教養部で学び、後期2年半は専門課程で学ぶ方式だった。東大の場合、教養課程は2年間になっており、法学部の場合、教養部の文科I類で2年間一般教養科目を勉強した後、法学部に進学して2年間専門科目を勉強するシステムである。
 
ただ実際問題として、東大など帝大クラスに合格するレベルの学生たちにとって教養部の授業は高校受験よりもレベルが低い内容も多くとても退屈であり、時間の無駄と考える学生も多い。そのため東大でも教養部を廃止すべきという意見は根強い。
 
教養部から専門課程への進学は、希望と成績による選考が行われるが、春紀たちの時代は文Iから法学部へは希望すればよほどのことがない限り進学することができた。
 
それで、春紀は少しでも余裕のある1−2年のうちに可能な限り学資を稼いでおきたいと考えていた。しかし美夏は「バイトに終始したら何のために大学に行くのか分からない」と言い、取り敢えず夏休み前までには基本の六法(憲法・刑法・刑事訴訟法・民法・民事訴訟法・商法)の条文くらいは暗唱できるようにし、コンメンタール(判例などを挙げた法令の解釈本)も熟読するように課題を出した。
 

婚姻届けを出す時、ふたりの姓は美夏の方の姓を選択した。春紀がいっそ苗字を変えた方が、中学時代までの「鶴田春紀」を知っている人に遭遇しても大丈夫だからということで、そう決めたのである。そもそも母が春紀を「お嫁さんにしたい」と思っていたふうなのもそれを後押しした。実際結婚式ではふたりともウェディングドレスを着たのである。
 

高校の卒業式から合格発表、入学手続きとアパート探し、そして結婚式、東京への引っ越し、大学の入学式といった流れは慌ただしかった。
 
「ありゃ〜、持って来た荷物にナプキンが入ってないや。春紀持ってない?」
と美夏が旅行カバンを開けて言う。
 
「私の方も持ってない。いつも持ち歩いている生理用品入れに3枚あるだけ」
「私もそのくらいはあるんだけどね。じゃ、突然来たら貸してよ」
「美夏が生理来たら、私も来るよ」
 
ふたりの生理は連動しているのである。女の子同士がいつも近くに居ると生理の周期は「移り」やすいらしい。
 
それで仕方ないので、他にもいろいろ買い物があるしということで一緒にドラッグストアに行った。
 
「あん、私の好きな資生堂のセンターインが置いてない」
「他のところに行く?」
「ううん。とりあえず他のでもいいから買っておく」
「じゃ、私はいつものユニチャームのソフィで」
「あ、だったら春紀のしばらく貸してよ」
「いいけど」
 

「だけど生理って、最初来た時は戸惑ったけど、なれてくると結構煩わしいね」
と春紀は言う。ふたりはついでに、洗剤や食品なども一緒に買い物かごに入れていた。
 
「そうだね。12歳くらいから50歳くらいまで、延々と続くし、そのたびに結構憂鬱になるし」
と美夏。
 
「なんか生理の前後って自分でも精神不安定になる気がする」
「それは仕方ないよ。ホルモンが変動するから」
「生理って結局何回くらいあるんだろう」
「うーんと、仮に38年間に毎年13回くらいあるなら、13×38で、えっと・・・494回。約500回だね」
 
2桁のかけ算を暗算でできるところが、さすが理系女子である。(春紀は筆算するか電卓をたたかないとできない)
 
「そんなにあるのか!」
「でも戦前の女性は10分の1くらいしか生理来てないんだよ」
「嘘? そんなに早くあがってたの?」
 
「戦前の女性はたくさん子供産んでるから」
「あ、そうか! 妊娠中は生理来ないもんね」
「出産してから1年くらいも来ないよ」
「でも昔って避妊もしてないだろうから、生理が再開したらすぐ妊娠したりして」
「そういうこと。だから、まともに生理が来てたのは、初潮が来てから結婚するまで、そして最後の子供を産んでから閉経するまでの間」
「昔の人って結婚年齢も低いよね?」
 
「うん。逆に初潮は遅い。そして閉経は早い。だから仮に14歳で初潮が来て16歳で結婚し、2年おきに子供を12人産んだ場合、最後の子供を産むのが39歳。でも42歳で閉経しちゃうと、最後の出産をして生理が再開してから閉経までは2年間しかないから、結婚前の2年間と合わせて4年、50回くらいしか生理は来ていなかったことになる」
 
「ほんとに今の10分の1なんだ」
「人によっては閉経することで出産サイクルを終えていたと思う」
「むしろそう考えた方がいいかも」
 
「そして昔の女はしばしばその閉経くらいの年齢で死んでたんだよ」
と美夏は厳しい顔で言う。
 
しばらくふたりは沈黙していた。
 
「じゃ更年期以降に長い人生があるのは、いいことなんだ?」
と春紀は言った。
「そうだよ。女を卒業したあとの人生」
と美夏は笑顔に戻って言う。
 
「私、女を卒業した後で、男の体に戻ろうかな」
と春紀。
「ふーん。まだ男に戻る気あったんだ?」
と美夏。
「あるよぉ、私、一応男の子なんだから」
と春紀は口をとがらせて答えた。
 

入学式が終わり、授業が始まるという時に、春紀は学生課から呼び出しを受けた。入試の成績が「女子の中で上位」だったので、奨学金がもらえるという話だった。「女子」という所にひっかかる春紀だったが、懐事情が苦しかったので、ばっくれてもらってしまうことにした。
 
春紀の書類は高校の生徒名簿に女子として登録されていたため、大学でも女子ということになっているのである。
 
受験時の書類が「鶴田春紀」になっていたのに、入学手続きが「亀井春紀」になっていたので
「お母さん、離婚したの?」などと訊かれる。
「あ、いえ。私が結婚したので」と答える。
「へー!」と驚かれる。
 
「結婚している人は本当は推薦対象外なんだけど、もう決まっちゃってるから推薦時はまだ未婚だったってことで、いいことにしとくね」と学生課の人。
「ありがとうございます」
 
「相手も学生さん?」
「はい。理2に入りました」
「ああ、同級生か何か?」
「ええ。高校は別ですが、中学の時の同級生で、ずっと一緒に勉強していたので。でも理2も文1も忙しくてあまりバイトできないから奨学金は助かります」
「うん。その分、勉強は頑張ってね」
 
春紀が書類を提出して出て行ったのを見送り、学生課の主任は
 
「しかしあんな可愛い子がもう結婚してるなんてね」と呟いた。
 
相手はどんな奴なんだろ。理2って言ってたわね....えっと亀井、亀井....亀井美夏?こいつか?? ミカなんてまるで女の子みたいな名前ね。いや、ヨシマサとでも読むのかな。ま、いいか。春紀ってのも男の子みたいな名前だし。最近の親の名前の付け方ってサッパリ分からないわ」
 
50代の主任は肩を叩いて端末の学籍簿のページを閉じた。そしてその件はすっかり忘れてしまった。
 

学生課でも本人が言ったように、春紀たちの生活は苦しかった。
 
一応双方の親から2人で合計12万の仕送りをしてもらっている。そのほか日本育英会(現・日本学生支援機構だが、この当時はまだ日本育英会)の奨学金が各々月額4万円あった。これで月の収入は約20万。
 
ふたりが住んでいるのは家賃4.7万円のぼろアパートである。バスタブが無くてシャワーだけなのだが、底値だろうと思って借りた。しかしクラスメイトに3.4万などという家賃の所に住んでいる子がいてびっくりした。さすがにそこは風呂が無い。空気を入れて膨らませるビニールプールを買ってきて、やかんでお湯を沸かし入浴しているらしい。根性だ。
 
そして授業料は半額に減免してもらったのでふたりで4万。ふたりとも少食なので食費はあまり掛からないが、それでも月3万くらい。しかしやはりふたりとも本代がかなりかさむ。法律関係・薬学関係の本の購入費が月6万近く掛かった。洋服代や一部の化粧品(化粧水・乳液など)は共用がきくのでその分、安く済むものの、それでも雑費が月に2〜3万というところで、費用は毎月20万ほどかかる。
 
つまりバイトをしなければギリギリの生活である。
 
その中で春紀がもらえることになった月額2万円の奨学金はとても助かったのである。
 

そこで春紀は美夏に運転免許を取るように勧めた。免許を取りに行くとなればその費用がかかる問題以上に時間が削られる。勉強の時間は絶対に削る訳にはいかないので結果的に免許を取り終えるまではバイトができない。
 
美夏は渋ったが確かに取るなら1年の内に取っておかないと上の学年になるほど厳しくなるのは目に見えている。
 
「私もがんばってバイト探すからさ、ローンにすれば月2万くらいの支払いで済むから、何とか払えるよ」
 
「でも春紀のほうが大事なのでは? 女の子は免許なくてもどうにかなるけど、男の子は免許無いと、仕事に就くのにもバイトでもやばいよ」と美夏は言う。
 
「美夏が取ったら、そのローンが終わった後で、私が行くよ。美夏の方が運動神経いいから楽に取れるだろうし」
「確かにそうだね」
 
美夏は100mを14秒代で走れる。春紀は22〜23秒かかる。美夏はクロールで遠泳を何キロも泳げるが、春紀はクロールは10mか15mがやっと。そもそも息継ぎがかなり怪しい。美夏は中学時代は剣道をしていたが、春紀はスポーツ部には無縁であった。
 
そうか。だから私と春紀と見比べられたら私がタチと思われるのかな、と美夏は初めて少し納得がいった気がしたが、少々不愉快だった。
 
ふたりが恋人であることを明かすと、みんなそれは受け入れてくれるものの、大抵の人が「春紀ちゃんの方がネコちゃん?」などと言うのである。実際にはふたりの関係では特にどちらが男役というのもなく、相互にお互いの女性器を刺激していたしふたりは、変な道具とかも使っていなかった。
 

美夏が大学生協を通した割引料金で自動車学校に申し込み、一方春紀はバイト情報誌で、ファミレスのバイトを見つけて面接に行った。ここで春紀ははなっから「女子」としてバイトをするつもりであった。履歴書の性別も女に○を付けている。それで即採用してもらい、勉強に差し支えないよう、深夜時間帯と土日を中心に週4回ほど働くことにした。
 
入学してまもなく、大学の新歓コンパがある。会費が1000円と聞いて、お金のない春紀も、そのくらいならいいかなと思って出て行った。
 
大学1年のクラスは文1(法学部)・文2(経済学部)を合体して第二外国語の選択をベースに35人単位ほどで二十数クラスに分けられている(文1と文2の1学年の人数は750人ほどでそのうち女子は130人程度)。
 
春紀のクラスは女子は春紀を入れて5人であった。学内の会館を借りて、コンロと鍋を出しスキヤキをしたが、女子は材料を切ったり食器を準備するのにかり出される。未成年のはずなのにビールが用意されている。
 
「でも、未成年者飲酒禁止法で、第一条、満二十年ニ至ラサル者ハ酒類ヲ飲用スルコトヲ得ス、と書かれていますけど」
「堅いこと言わない」
「ビールくらいお酒のうちに入らないよ」
「えーー!? そうなんですか?」
 
とても未来の法律家や政治家たちの卵とは思えぬ会話である。
 

新歓コンパは盛り上がり、春紀も来て良かったと思った。コンパでは女子は散ってといわれて、あちこちのテーブルに1人ずつ配されて、男子たちとおしゃべりする。さすが東大、みんな頭良さそう、などと思いながら春紀は彼らの話を聞いていた。このあたり、春紀は元々が男子なので、男子たちと話すのは全然問題ない。特に田村君という宮城から出てきた子と、岩津君という佐賀県から出てきた子とは何となく話が合った。どちらも、春紀同様、中学まではあまり目立たなかったものの、高校で頭角を現してきたタイプのようであった。ふたりとも大規模な私立の進学校ではなく、県立高校の出身である。
 
「じゃ、田村君は検事志望、岩津君は裁判官志望なんだ?」
「俺、あまりしゃべるの得意じゃないから、弁護士は無理。顔が優しいから、おまえの顔じゃ検事なんて無理って、高校の先生に言われてた」
と岩津君。
 
「私もあまりしゃべるのは得意じゃないけど、私には裁判官って無理。死刑の判決なんて書き切れない気がする」
と春紀が言うと
 
「亀井さん、弁護士志望? でもしゃべるの鍛えないと、弁護士はつとまらないよ。死刑確実って犯人の弁護をして、何とか無期懲役に落とすところが弁護士の腕の見せ所だよ」
と田村君は言う。
 
「私、弁護士も無理かなあ」
「そんなことない。鍛えればいい」
「鍛えて改善されるもの?」
「話し下手な人にはよく誤解している人がいるけど、話すのって技術なんだよ。性格の問題じゃないんだ」
「そういうもの?」
 
すると田村君の向こう側に座っていた2年生の片山さんが言う。
 
「亀井さん、ちょっと内向的な雰囲気だよね。そういう人が実は優秀なセールスマンや弁護士になれるんだよ」
「えーー!?」
「確かに、元々がベラベラしゃべるタイプは弁護士には向かない。弁護士って言って良いことと言ってはいけないことをきちんとコントロールできないといけないから」
「そう言われたら、そんな気もしてきた」
 
「亀井さん、予備校はどこに行ってるの?」
「予備校? いえ、私は現役合格ですけど」
 
「大学に入る予備校じゃないよ。司法試験に合格するための予備校」
「え? そんなのあるんだ。知らなかった」
「司法試験目指すやつはたいてい入っているよ」
 
「あ、でも私お金無いから」
「ふーん。だったら、学内でやってるゼミに顔を出す? 話してやってもいいよ。ただ、最低限の法的な知識はないと話にならないんだけど・・・」
と片山さんは迷ったように言う。
 
「片山先輩、この子は文1の女子の中ではトップ合格だったらしいですよ」
と田村君が言うと
 
「へー。それならむしろ誘いたいな」
と片山さん。
 
トップ合格? そんな話は聞いてなかった。でも田村君はそんな情報をどこで得たのだろう?
 
そこで春紀は言う。
「じゃ、ゴールデンウィーク明けに良かったら誘ってもらえませんか?それまでに基本の六法の条文を全部頭にたたき込んで来ます」
 
「それだけじゃ足りない。刑法・刑訴法・民法・民訴法・商法の有斐閣から出ているコンメンタールくらいは読んでおかないと」
「読みます」
「よし、それじゃ話してあげるよ」
 

それで春紀は4月中にそれらの基本的な法律の条文を頭にたたき込む上にコンメンタールを読むことにしたのである。春紀は六法全書の条文を生協でコピーを取り(本当はいけない)、それをいつも持ち歩き、バイトに行く電車の中やファミレスのバイトの空き時間に読んで暗唱できるようにした。覚えたら捨ててしまう(食べる人もいるという伝説もあるが、条文を印刷した紙を食べても記憶には残らないと思う。ドラえもんの暗記パンでもない限り)。
 
昼休みは春紀はいつもひとりで食事をし、そばにコンメンタールを置いて読みながら食事をする姿がクラスメイトたちに目撃されている。同じクラスの女子で彰子なども似たような感じでひとりで食事をしながら文献を読んでいたし、こういう「変人」型の学生は東大には結構いたので、春紀も特に奇異には思われず、同じクラスの女子である定子や安子なども、彰子や春紀が声をかけても大丈夫そうな時は声をかけて、一緒にケーキなど食べに行ったりすることもあった。
 
「えー? 春紀ちゃん既に結婚してるんだ?すごーい」
「えへへ。実は高校時代も同じ屋根の下で暮らしてた」
「わあ、ふしだら〜」
「一応別の部屋に住んでいて、お互いの部屋に入るのは禁止されてたんだけどね。でもおばちゃんの目を盗んで時々入ってた」
「なるほど、なるほど」
「でもうっかり妊娠したりしないように気をつけなよ」
「うん。大丈夫だよ。ちゃんと避妊してるから」
「きゃー、避妊ってやっぱりアレ使うの?」
「うん。コンメンタール使ってるよ」
 
「ん?」
「コンメンタールでどうやって避妊する?」
「間違った!コンドームだった」
「きっと侵入してきた精子に、ここに入るのは法律違反であると通告して退去させるんだよ」
「言うことを聞く精子だといいね」
 
ある時は電車の中で、いかにも、か弱い感じの春紀が何かを読みながら無防備に吊り革につかまって立っているのを見て、ひとりの男がムラムラとして、春紀のお尻に触ろうとした。しかし男は触る直前、春紀が読んでいるものが何か法律の条文のようであることに気づき、ぎょっとして、すんでのところで触るのをやめた。「危ない危ない。婦警だろうか?女弁護士だろうか。とにかく関わらない方がいい」と男は思った。
 
そうして春紀はしばしば痴漢の被害に遭わずに済んでいたのだが、そのことを春紀自身は知るよしもない。
 

バイトの方では、連休中は帰省する学生がいる上にお客さんは多いので春紀はお店から頼まれたこともあり、たくさんシフトを入れたが、その通勤時間が春紀にとってとても良い勉強の時間になった。電車で移動中というのは、物を覚えるのには非常に良い集中のできる時間なのである。
 
そして連休明け、先輩の片山さんに連れられて本郷キャンパスのゼミをやる教室に出て行った。
 
ご存じの通り、東大のキャンパスは教養部が駒場(目黒区で最寄り駅は駒場東大前)、専門課程の多くは本郷(文京区で最寄り駅は本郷三丁目)にある。春紀はこちらに来るのは入学当初の頃に来て以来まだ2度目であった。
 
最初に主宰者の院生・栗原さんから簡単な問答を受ける。
 
「民法第735条を言える?」
「直系姻族との婚姻禁止の件ですね。直系姻族の間では、婚姻をすることができない。第728条又は第817条の九の規定により姻族関係が終了した後も同様とする」
「その規定というのは?」
「728条は離婚や配偶者死亡による婚姻の終了です。ですからたとえば息子の嫁とは息子夫婦を離婚させても結婚できない。817条の九は特別養子縁組によって戸籍から抜けた場合です」
 
別の院生・吉塚さんから別の質問をされる。
 
「ある男が銀行に押し入り、行員に金を要求したが行員は応じなかった。男は怒って持っていた灯油をカウンターに掛け、火を付けた。これは現住建造物放火罪になるか?」
 
「なりません。カウンターは建物の一部ではなく、そこに置いてある物にすぎないので、その段階ではまだ建物に放火したことにはなりません」
「では、どこまで燃えたら建物に放火したことになるか?」
「その建物の一部とみなされるものです。たとえば天井や壁に燃え移った場合は建物への放火が成立します」
 
4年生の竹森さんも質問する。
 
「笑っていいともに、よく性転換して女になった人とかが出てきているけど、あの人たちは男性と結婚することは可能か?」
 
「できません。性転換手術を受けて体が女性になっていても戸籍上の性別は変更できないので男性のままです。男性と男性は結婚できないので彼女たちが男性と結婚することは不可能です」
 
(この時期はまだ特例法の施行の遙か前で、性転換しても戸籍の性別は変更できなかった時代である。性転換して戸籍を変更できたのはおそらく1980年のbokeさんのケースのみ)
 
「男性同士が結婚できない根拠は?」
「日本国憲法第24条に、結婚は両性の合意に基づいてとあります。両性と書かれている以上、結婚は男女間でしかできません。民法には実は同性婚を禁止する条文が存在しないんですけどね」
 
「法的な問題はそれとしてそのような事例について君の見識は?」
「外国では数は少ないですが、同性の結婚を認めている国もあります。公式な結婚でなくてもドメスティックパートナーといった呼び名で事実上夫婦に準じる関係を認めている国もあります。また性転換した人の法的な性別変更を認めている国、法的な制度はなくても訴えに応じて認めた実績のある国はありますので、今後日本でもそのような方向に法的な制度が変更されていく可能性はあると思います。現状のままですと同性で実質結婚している夫婦が共同オーナーであった会社で、たとえば片方が死亡した場合、遺産の相続ができず会社の運営にまで問題が生じる可能性があります」
 
「基本的な法的知識はあるみたいね」
「背景的なこともある程度勉強しているみたい」
「うん。さすが今年の女子トップ」
 
「なんかぼーっとしている感じなのに、結構落ち着いて話すところは法律家、どちらかというと弁護士向きな感じもする」
「あ、私、もっと慌てろと言われることよくあります」
 
「とりあえず参加を認めようか」
「ありがとうございます」
「ただし今の段階では仮に参加を認めた状態。レベルが足りないと思ったら、以後の参加を断る場合もあるから」
「そうならないよう、しっかり勉強します」
 
「じゃ参加する以上は積極的に発言して」
「はい」
「毎回、交代で30分ほど講義もしてもらうから、順番が回ってきた時はがんばるように」
「はい、がんばります」
 
それで春紀は毎週土曜日の午前中にこのゼミに出席することになった。ゼミの内容は、設定したテキストを使った30分の講義をした後、判例の事例研究をして、その後ディベート合戦をした。くじ引きでチーム分けをして、何かのテーマに関して(たとえば卵が先か鶏が先か、ピカソとダリはどちらが凄いか、など)、お互いに相反する主張をして討論をするのである。このディベート合戦で春紀はかなり弁論を鍛えられることになった。
 
またゼミ参加者の多くが予備校にも通っているので、そちらでやっているテキストを春紀に見せてくれたりもして、春紀は更に鍛えられていくことになる。
 

5月の下旬、春紀はひとりで新宿の町を歩いていて、二人連れの男性に声を掛けられた。
 
「ねえー、君ア○ア○って知ってる?ちょっとモデルにならない?」
 
春紀はア○ア○でよく街頭のスナップなどが載っているのを見ていたので、軽く「いいですよ」と言って付いて行ったら、ホテルに連れ込まれてしまった。今時こんなのに気付かずに引っかかるのは、よほどの、おのぼりさんである。スカウトしている側も付いてくるということは「その気」があるものと思い込んでいる。
 
「じゃ、ちょっと脱いでみて」と男は言った。
「え?洋服着ている所の写真撮るんじゃないんですか?」
 
男たちは顔を見合わせている。
「えっと、これはアダルトビデオの撮影だから、当然裸を撮るんだけどね」
「そんな話、しなかったじゃないですか?」
 
男たちも、これは本当に知らずに付いてきたのか。今時こんな女の子がいるなんてと思って戸惑っている。
 
「あ、えっと君、可愛いしさ。ちょっと考えてみない?ギャラは10万円あげるし」
「え!? 10万ももらえるんですか?」
 
春紀はそんなにもらえるなら考えてみてもいいような気がした。
 
「どんなのを撮影するんですか?」
「これはレイプものだから。町で男に誘われてホテルに行ったら、無理矢理強姦されちゃうって筋なんだけどね」
「じゃ、強姦される真似をすればいいんですか?」
 
「いや、真似じゃなくて本当にインサートする」
「え!?」
「今時ほんとに入れた映像でなきゃ売れないからね」
「でも、本当に強姦したら、刑法177条の強姦罪になりませんか?」
 
彼らは顔を見合わせる
 
「いや、君がそれを事前にOKしているという前提だけど。レイプったって演技なんだから」
「でもそれでも違法性が高いですね。本人が同意していたら強姦罪は成立しませんが、対価をもらって性交をするとなると今度は売春防止法違反の疑いがあります。この場合は、売春防止法第五条あるいは第七条または第十一条のどれかにひっかかる可能性があると思いますが」
 

注意.
 
この場合は単発であり、反復して出演する訳では無いので「不特定」の相手と性交するという条件にはあてはまらず、売春防止法違反にはならないのだが、春紀はAVに無知なので、よく分からずに言っている(ただし実際に単発であっても再出演の意志があったとみなされると違法性が認定される可能性はある)。
 
またそもそも春紀は戸籍上男性なので裁判になった場合、春紀と男性との性交が法的な意味では性交とみなされない可能性がある(もっとも国内では例がないが韓国では性転換した女性への強姦が通常の女性への強姦と同等と認定されて有罪になった例がある。しかしこの付近は裁判してみないと分からない)。
 
なお、職業的AV女優・AV男優の場合は売春防止法第三条違反になるが、この法律には売春行為自体を罰する規定は無く、売春側も買春側も罰せられない。勧誘・斡旋などを処罰する規定があるのみである。これは元々売春をする女性は困窮している女性であり、処罰ではなく保護すべきものという思想が背景にあるためと言われる。ただし法律家が売春をした場合は、罰則はなくても法律違反である限り、倫理上の問題を追及されるのは確実である。
 

男達はまたまた顔を見合わせている。
 
「あんた、まさか婦警さん?」
「いいえ。ただの法学部の学生です」
 
男達は苦い顔をした。
 
「いや、済まなかった。この話は無かったことにしよう。これ、あげるから君も僕たちとは会わなかったことにしてくれない?」
と言って、男は1万円札入りのポチ袋を渡そうとした。
 
「え?お金ですか?それは不要ですよ。私は弁護士の卵ですから、クライアントの秘密は守ります。守秘義務が守れないで法律家はできませんから。それにまだ正規の弁護士の資格は取っていませんから、報酬を貰うと弁護士法72条に違反します」
「そ、そう?」
 
「じゃ帰っていいですね?」
「あ、どうぞ、お帰り下さい」
 
彼らは深くおじぎして春紀を送り出した。
 

その翌日、美夏が新宿の町を歩いていたら、ふたり連れの男たちに声を掛けられた。
 
「ねえー、君ア○ア○って知ってる?ちょっとモデルにならない?」
「ふーん」
 
と言って美夏はふたりの男を見た。趣旨は何となく「分かった」。が東京に出てきて初体験だし、しばし付き合ってみるかなと思う。でもなるほどね、ア○ア○って知ってるか?と言っただけで、ア○ア○の記者だなんて一言も話してないもんね。
 
「でも今日は暑いね。アイスコーヒーでも飲まない?」と美夏は言った。
「あ、じゃそこのカフェにでも入ろうか」
 
と言って男達は近くのカフェに入る。アイスコーヒーを3つ注文して飲みながら話す。
 
「お姉さん、物わかりが良さそうだね。で、どう?君可愛いからギャラ8万出すよ」
 
美夏は彼らが春紀には10万出すと言ったのを知らないが、知ったら憤慨する所だ。
 
「内容は?」
「レイプものなんだけどね」
「ふーん。でもそれってインサートは真性?」
「真性。うちは真性以外は撮らない」
 
「うーん。興味は感じるけど(だって入れられること永久に無いし)、やっぱりパスかなあ。私恋人がいるから悪いし」
「そう?でも1回くらい、いいじゃん。ちゃんとコンドームは付けるから」
「へー。付けるんだ」
「妊娠させて裁判沙汰とかにはしたくないし、病気感染も怖いじゃん」
「案外しっかりしてるのね」
「じゃ、やってみる?」
 
「うーん。。。。やっぱりパスかなあ。ごめんね。あ、これアイスコーヒー代」
と言って、美夏は500円玉をテーブルに置いて立とうとする。
 
が男のひとりが美夏の手をがっしり掴んだ。
 
「そう言わないでさあ。君ほんとに可愛いから特別に10万だしてもいいや」
「離して」
「男優さんうまいから、彼氏との夜の生活にも役立つかもよ」
「ああ。なるほど。でも手を離して」
「ストーリーとしてはレイプだけどさ、実際には充分濡れたの確認して入れるから痛いことないよ」
 
「ね。。。離してくれないと、刑法第208条・暴行罪が成立するよ」
 
男の顔がピクッとする。
 

「あんた、まさか婦警さん?」
「ううん。でも私の恋人が法学部の学生だからね、しょっちゅうそばで法律の話されてるから、私も少し覚えてるのよね。何の罪が何条かなんて、暗記の手伝いしてたから、こちらまで覚えちゃったよ」
 
法学部の学生?彼らは顔を見合わせて昨日の女の子のことを一瞬いやーな思いで連想した。
 
「お見それしました。どうぞ、お帰りください」
「あ、そう。じゃあね」
 
「あの、これは少ないですが、こういうことは無かったものと思ってください」
と言って、腕を掴んでいた方の男が1万円札入のポチ袋を渡す。
 
「あら、素敵ね。え?1万円も。悪いわね。ありがとう」
と言って、美夏は出ようとしたが、踏みとどまった。
 
「しまったー。私罪を犯すところだった」
「へ?まだ何か?」
 
「だって、恋人が法学部の学生なんだからと言って、それで何もせず1万円もらっちゃったら、それって私があなたたちを恐喝したことになるじゃない。刑法249条恐喝罪。危ない、危ない。でもこの1万円は今私確かに受け取っちゃったからな。今から返しても罪は消えないんだよな。そうだ、ねぇ、その映画にレイプされちゃう子の友達とか出ないの?その役やってあげるよ」
 
「えーっと、そんな役は無いんですが.....」
「サービスでパンチラくらい写させてあげるからさ」
「パンチラですか?うちの映画は過激さが売り物なので、スカートの中を盗撮するような感じだったら」
 
「うん、そのくらいいいよ」
「では、少しセクシーなパンティーなど付けていただければ」
「うーん、それくらいいっか。私も生娘じゃないし」
「分かりました。30分待って下さい。台本を書き直します」
 

男のひとりがパソコンを取りだして台本の修正を始める。その間にもうひとりの男は町に出て、女の子をスカウトしに行く。美夏はカフェに残って台本を修正している男と、AVをネタにあれこれ雑談をする。美夏が興味津々という感じなので、男は饒舌になっていた。
 
「でも君、ちょっと不思議な雰囲気持ってるね。ひょっとしてレズ?」
「えー?そんなの分かるんだ!」
「君、リバでしょ?」
 
(注.リバ(reversible)とはタチ(男役)・ネコ(女役)のどちらもする人のこと)
 
「すごーい。みんな私を見たらタチですか?って訊くのに」
「そりゃ、僕もたくさんレズの女の子見てるから。今度レズものとか撮らない?」
「ごめーん。パス」
 
やがてスカウトされてきた女の子と一緒にホテルに移動する。すぐに男優さんも着て、レイプシーンの撮影を始めた。スカウトした女の子の気が変わらないように、最初にレイプシーンを撮ってから、その前のシーンを撮るらしい。実際のレイプシーンを美夏は『きゃーっ』と思いながら見ていた。やっぱ、私このシーンの撮影は無理だったわあと思う。
 
でも男の人ってこんなに激しいセックスするのね・・・・と思って春紀との夜のプレイを思い出す。私たちはなんかお互い包み込むようなセックスだもんなあ。春紀って、もともとレズ向きなのかも知れないという気がした。
 

ホテルでのシーンの後、町中での撮影、エスカレーターを使ったスカート内盗撮をするシーンの撮影などを終えて、この日の撮影は終了した。サービスでレイプされる役の女の子と抱き合うシーンなども撮った。
 
「いい映画が作れそうですよ。これお礼です」
「さっき貰ったよ」
「いえ、あれだけでは少ないので、これは追加です」
というので袋の中を見ると2万円も入っている。凄い!
 
「じゃ、もらっとこ。さっきの1万と合わせて出演料ね」
「はい、そうです」
「ありがとう。じゃあね!」
 

春紀は時間が取れる時はよく裁判所に行くようにした。実際の法廷を傍聴して勉強するためである。もっとも、裁判というのはたいていつまらないものである。それほど大きな争いがあるわけでもなく、淡々と審議が進んでいく。法廷推理小説のようにドラマティックではない。というか、全ての裁判があんな感じであったら、検事も弁護士も身が持たない。
 
6月のある日、春紀が深夜のファミレスでバイトをしていると、来客があり、水を持って行った。メニューを渡し
 
「ではごゆっくりお選び下さい。おきまりになりましたらベルでお呼び下さい」
と言って、いったん引き上げようとしたが
 
「あ、和風ハンバーグステーキセット。パン、サラダ付き。それとドリンクバー」
とすぐに注文をする。
 
「かしこまりました」と言って端末に入力し、メニューを下げる。
 
「あれ、君こないだ裁判所にいたよね?あの事件の関係者?」
「えっと、あの事件というと?」
 
たくさん傍聴しているから分からない
 
「いや、ほら銀座のホステスの窃盗事件」
「あぁ、あれですか。あれは結審しましたね。判決は来月でしたけど、前科も無いし執行猶予が付きますでしょう? あ、私は法科の学生なんで見に行っているだけですよ」
 
「へー。しかし、法科なら忙しくて、こういう所でのバイトは大変なんじゃないの?」
「お金無いから仕方ないです。掃除したり食器の片づけをしながら頭の中で条文の反復したり関連性を考えたりしてますから」
 
「ふーん。刑事訴訟法210条言える?」
「210条というと緊急逮捕の要件ですね。『検察官、検察事務官又は司法警察職員は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができない時は、その理由を告げて被疑者を逮捕することができる。この場合には、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない。逮捕状が発せられない時は、直ちに被疑者を釈放しなければならない』第2項も必要ですか?」
 
「凄いじゃない」
「それは基本的な法律の条文くらい頭に入ってますよ。でもお客様済みません。長時間、お客様と会話をしてはいけないことになっていますので、もうよろしいですか?」
 
「あ、ごめんごめん。他の客の迷惑だよね、済まなかった。あ、名刺あげとくよ」
「では頂いておきます」
 
<東京地方検察庁検事・斉藤和繁>と書かれていた。ふーん。検事だったのか。
 

その判決の日。検事席に斉藤がいた。春紀と目が合う。春紀は仕方なく会釈した。すると彼はこちらへ歩いてくると
 
「あとでちょっと話がしたい。今はファミレスの勤務中じゃないからいいだろ?」
「斉藤さんこそ勤務中でしょ?」
「もちろん、だから後で」
 
判決は予想通り。懲役1年6ヶ月、執行猶予3年。平凡な裁判だ。しかし裁判の99%はこういう平凡なものなのだ。自分が身を置く法律の世界での日常的な光景だ。
 
「検察庁、見学させてあげるから一緒においでよ」と斉藤は言った。
 
「一般の者が見学していいんですか?」
「法科の学生なら構わないさ。えっと君どこの学生だったっけ?」
「東京大です。まだ正式の法学部生ではなくて文1ですが」
「すげー、さすが。そして切れそうに見えないところがすげー。俺は田舎の大学出だからな」
 

一方の美夏は5月中旬までに運転免許を取得した後、日々ハンバーガーショップでバイトをしていた。
 
ここのところ毎日やってきては一番安いハンバーガーセットを頼む男が妙に自分に熱い視線を送ってくる。掃除をして回っていると声を掛けられる。しかし何だか普通の男と違う雰囲気だ。
 
ある日帰ろうとしたらその男が待ちかまえていた。
 
「ねぇ、少し付き合わない?」
「済みません。私このあと用事がありますので」
 
「用事って?この後って、どこか夜のお店でもバイトしてるの?そしたら同伴出勤にしましょうよ」
 
しまった。父親が門限に厳しいとでも言えば良かった。
 
「お答えする必要はないと思いますので失礼します」
「ねぇ、何もしないから。このまま、おうちに帰るんだったら、送っていくわ。女の子がこんな時間一人で帰るのあぶないわよ」
 
いやおまえがよほど危ない、と美夏は言いたくなった。しかしいつの間にか女言葉、というよりお姉言葉になってる。こいつホモか?それで雰囲気が違うと思ったわけだ。でもホモならなぜ私を誘う??
 
「一人で帰れるので大丈夫です。失礼します」
 
美夏は通りに走って出ると、ちょうど通りかかったタクシーを止めた。本当は自転車置き場に寄って自転車で帰りたいがこいつに追われるのは嫌だ。しかし美夏の考えは甘かった。どうも付いてくる車がいる。くそー。
 
「運転手さん、追われているみたいなの。追加料金払うから振り切ってくれない」
「ん?あの車? よっしゃ、そんな料金要らないよ。メーターの分だけ払ってくれ。何とかするから」
 
運転手はランプの近くで突然進路変更して強引に高速に乗った。回数券を渡してすぐに通過する。
 

美夏がほっとしてタクシーを降りてアパートの方に歩み始めた時、電信柱の影からさきほどの人物が現れた。
 
「可愛い子ね、あたし前にもあなたの自転車の後をつけて、ここは知ってたの」
 
こいつストーカーしてたのか?
 
「ね、わたしあなたの出てたビデオも持ってるのよ。レイプされちゃう子よりあなたのほうが可愛くて。私あなたのほうをレイプしちゃうところ、いつも想像してたの」
 
なぬー!? あんなもの見る奴なんていたか。
 
どうしよう。こいつあまり強くなさそうだし、ぶん殴ってひるんだ隙にアパートに駆け込もうか。しかし鍵を開けている間に何かされるかも知れない。鍵は「防犯のため」二重に掛けてあるので開けるのに時間が掛かる。
 
そこに車が止まる。中から春紀が出てきた。美夏はホッとした。
 
「どうしたの美夏?」
 
彼は一瞬ギクッとしたが女二人なら大丈夫かと開き直ったようだ。
 
「あら、あなたも可愛いじゃない。お友達?ねぇ、一緒に遊びましょうよ」
 
その時車から運転手席を通り越して助手席側から降りた斉藤がその男の腕をがっしり握って、いきなりこんなことを言った
 
「田中**郎だな。刑法第百七十七条・強姦の容疑で緊急逮捕する」
「ゴーカン?斉藤さん、私たちまだ何もされてないよ?」
「こいつは連続強姦魔として手配されているんだよ。さ、いくぞ」
「えー!?」
 
きゃー、そんな男だったのか、と美夏はホッとするとともに震えが来た。
 
「斉藤さん、手錠かけないんですか?」
「俺は検事であって刑事じゃないから、そんなもの持ち歩いてないよ」
「じゃ、運転できないでしょ?私がそいつを後部座席で抑えてます」
「春紀ひとりじゃ無理よ。私も乗っていく」
 
そいつは女の子二人にはさまれて、両腕をつかまれ、まんざらでもない感じでニヤニヤしていた。
 
「そいつ、軟弱な感じだから女の子が油断するんだよ。実は柔道の黒帯なんだ。気を付けてくれ。おい田中、俺がここにいるんだから、変なことするなよ」
「はい、旦那」
 
しかし美夏が運転免許を持っていると言うと、それなら美夏が運転して春紀と斉藤でその男を捕まえておいた方がよいという話になる。それで美夏はアパートの中から若葉マークを取ってきて、斉藤の車の前後に貼る。そして車を近くの警察署に向けた。
 

強姦魔を警察に引き渡した後、斉藤はあらためて春紀たちを送ってくれた。
 
「君たちお友達?もしかして一緒に住んでいるルームメイト?」と斉藤が訊く。
 
春紀は美夏にこづかれて、ちゃんと言った。
 
「斉藤さん、物わかり良さそうだから正直にいいます。私たち結婚してるんです」
「え?女の子同士で?」
「ええ。ですから斉藤さんとは、お友達ということにさせてもらえませんか?」
 
「参ったな。まぁいいか。じゃ男の子にも興味無いんだよね。うん、残念だけど、いいよ。お友達でいよう。もし検察官を志望するんだったら俺、口を聞いてあげるからさ、頼ってきてよ」
「はい」
 

斉藤は家に帰ると服を全部脱いでベッドに横たわった。
 
ああは言ったものの、やはり失恋のショックは大きい。友達でとは言ったものの、春紀のことは忘れてこちらから連絡を取ったりもしないようにしようと思っていた。
 
お腹がすいたのでレトルトの御飯付きカレーをチンする。
 
そして食べながらアレを処理しようとしたができない。失恋のショックは意外に大きかったようだ。しかし、しないと今日は眠れそうにない。
 
そうだ。斉藤は先日、大学時代の友人からもらっていたアダルトビデオのことを思い出した。無造作に押し入れに放り込んでいたのだが、出してきて封を開けるとデッキに入れて見始めた。そして画面に映った女の子の顔を見て、思わずむせてしまった。
 
ちょっと待て。巻き戻す。これ春紀ちゃんの彼というか彼女というか、あの子だよな。えっと美夏ちゃんって言ったっけ。
 
うーん。こんなバイトまでしてるのか。ほんとに苦学生してるな。
 
斉藤はその子がレイプされてしまう役ではなかったので少しほっとしながらビデオを見ていた。そして、自分の処理を終えた後で、ベッドに横たわりながら
「やっぱ、春紀ちゃんたち、放っておけないや。何か援助できないかな」
と思ってふと、あることに気付いた。
 

翌日、斉藤が仕事が終わってから夜11時くらいにうちに来たいと言うので春紀はバイトに出る時間を遅らせてもらうことにして待っていた。美夏も今日はバイトが10時で終わって家に戻っている。
 
斉藤は大きな段ボールを抱えて入ってきた。重たそうだ。美夏を見た瞬間昨日のビデオが頭に蘇ってちょっとドキっとする。正確には、そのスカートの中のセクシーな下着だ。今もあんな下着付けてるんだろうか、と一瞬思ってからあわててそういう自分を否定した。
 
だめだめ。この子も男の子にはきっと興味無いのだ。好きになっても仕方ない。と思ってクビを振ると、
 
「古いので悪いんだけどパソコンもらってくれないかなと思って。君パソコン持ってないって言ってたろ。今時そんなの無しでは大変だよ。中に国内で施行されている全ての法律・政令・地方の条例・条約と主な判例のデータベースも入ってるし、役に立つんじゃないかと思って。今モニターも持ってくるから」
 
と言って、斉藤は段ボールの中からパソコン本体とキーボードを出し、あらためて車からモニターを持ってきてその上に置いてコードを接続した。
 
「古いマシンだけど一応Pentium 75MHzのDOS/V機で、メモリー5MB、ハードディスク80MBだから、Windows95が動く」
 
「すごーい!95が動くんですか?うちの母はまだMSDOS 3.1の動いてる日立B16ですよ。でもそれまさか検察庁のデータじゃないですよね?」
「ちゃんと一般に公開されているものだから大丈夫。それをボクが個人的に整理しているだけさ。時々新しいデータをまた持ってきてコピーしてあげるから」
 
斉藤は電話回線の接続もしてあげるよ、と言ったのだが、壁の端子を見たら、なんと古いネジ式である。これではどうにもならないというのでNTTに連絡してモジュラー式に交換してもらうことにした。
 

それでその工事が終わった後で、斉藤は再度春紀たちのアパートを訪れ、設定をしてくれた。
 
「56000bpsモデムだから少し遅いけどね。もっと速いのがいいと思ったらISDNの契約をするといいよ。すると64000bpsになるから」
「高そうだからいいです」
 
「このモデムもパソコンと同様、僕が捨てようと思っていたものだけど、君たちに譲るから」
「では無価値物ですね」
 
法律家同士なので、面倒な問題が発生するのを事前に防ぐ口上を言っておく。
 
「君たち、通信のアカウント持ってないよね?」
「持ってません」
「じゃアカウントを取らないといけないけど、どこがいい?」
「斉藤さんはどこのをお持ちですか?」
「僕はニフティなんだけどね」
「じゃ、私たちもそこで」
「OK。ニフティはその場で取れるのがいいんだよね」
 
斉藤はその場でニフティの接続ポイントfenics roadに接続すると、公開されている登録用idで接続し、取り敢えず美夏の名前でニフティのidを取得した。
 
「支払いは取り敢えず僕のカードで登録したから、毎月の代金は僕に払ってもらってもいいし、銀行引き落としに変更してもいい」
 
「じゃ銀行引き落としに変更しますので、それまでの間、そちらのカードをお借りします」
 
それで改めてニフティのHyper roadのアクセスポイントを使ってインターネットへの接続設定を行った。
 
「通信していると電話代もかかるから、テレホーダイを契約した方がいい」
「テレホ?」
「テレホーダイ。夜間の通話を定額でできるんだよ」
「へー!いいですね。そんなのがあるんだ!」
 
「でもパソコンすごく助かります。先輩が作っていた薬のデータベースをフロッピーでコピーさせてもらってきて、放り込んだんですよ」
 
「データベースは何使ってるの?」
「データベースエンジンはうちの学科の院生の人が書いたもので、B-trieveみたいなシンプルで高速なデータベースなんです。やはりB-treeを使用しているそうです。ユーザーインターフェイスの部分はその先輩が自分で書いたものです。どちらもMicrosoft C で書かれていて基本的には MSDOS 上で動作します。別の先輩がMFC (Microsoft Foundation Class)を使ってWindowsで動作するユーザーインターフェイスも作ったんですけど、MSDOSで十分ですよ」
 
「書いちゃうのがすごい!」
「だってデータベースソフトって市販のものは高い上に操作性が悪いし、根本的に遅いじゃないですか」
「なるほどねえ」
 

「ところで、春紀ちゃんは弁護士志望だったっけ?」
 
「ええ、検察官とか弁護士って女は差別されそうだし」
「うん。まあそれは今の日本ではなかなか改善が難しい所だね」
 
実際はふつうの女ならまだいいが、戸籍が男である女なんて、多分門前払いだろうと春紀は思っていた。
 
「民事?刑事?」
「民事ですよ」
「よかった。刑事畑だと、君と法廷で対決しなきゃいけないこともありえるから」
「あ、それは私もしたくないですね」
 
 
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【続・受験生に****は不要!!・春】春は入学の季節