【雛祭りは女の子のもの!】(1)

目次

「どう?可愛い?」
僕がスカートの裾を持ち、女の子っぽく首を横にかしげて笑顔を作ると、母は目を丸くしていた。


白い木の箱の中に横たわり、お花でいっぱいに埋め尽くされた姉の姿を見て、「お姉ちゃん、どうしたの?」と僕は訊いたが、誰も何も答えてくれなかった。
ただ幼心にも、もう自分は姉に遊んでもらえないのだということだけは理解していた。ただ取り乱した母が「あんたがお姉ちゃんにあまり甘えるから、こうなったのよ」と僕に言った。それから僕は「甘える」ということを、母にも祖母にもしなくなった。

あれから8年がたった。僕と姉は8つ離れていたので、ぼくはちょうど姉が死んだ時の年齢になった。毎日黒い詰め襟の学生服を着て、中学に通っている。
祖母も僕が小学4年生の時に亡くなり、今は母と2人暮らしだ。

その母が半年くらい前から、男の人と付き合っているようなのには気付いていた。
今までもそんな感じのことは何度かあったが、今回はかなり長続きしているようだ。
でも僕ももう子供でもないし、その件については特に何もいわず、母が遅くなったときは勝手に自分で晩ご飯を作って食べて宿題して寝ていた。僕がひとりでもちゃんとやっているのを見て安心したのか、母は度々朝帰りするようになった。
そのうち母が「紹介したい人がいるんだけど」などと言い出すかもな、などと僕は想像していた。しかしその想像は完璧に外れてしまった。

その日、母はひどく酔っていた。こんな母を見たのは生まれてはじめてだった。
僕は何か言っても慰めにはならないと思ったから母をそっとしておいた。翌朝、母は泥酔していたことを謝っていた。そのあとしばらく母はかなり落ち込んでいる雰囲気だった。ボーっとしていることも多かった。それで僕はあんなことを思いついてしまった。

「ねー、来月はひな祭りじゃん。うちでもパーっとひな祭りしない?ひな人形飾って、ひな祭りケーキでも買ってきて、白酒飲んで」
「何言ってんの?ひな祭りなんて、女の子のいる家でするもんだよ」
「僕が女の子になってあげるよ。ちょっと待ってて」
というと、僕は自分の部屋に行き『お着替え』してから居間に戻った。
そして、その姿を初披露した。

「どう?可愛い?」
「あんた、その服・・・・・」「お姉ちゃんの制服だよ」
「あの子の服は全部捨てたと思っていたのに・・・・」
「えへへ。これだけ取っておいたんだ。ひな人形も物置のいちばん奥にあるね」
「あれは処分するに忍びなくてね」
「ね。僕が女の子になってあげるから、パーっとひな祭りしよう」

母は苦笑していた。
「ま、たまにはいいか。でもあんた、そうしてるとあの子そっくりだね」
「姉弟だもん」
「ふふ。まあいいわ。あの子が死んで以来、ひな祭りなんてやってなかったしね。
ぱーっとやろうか」
僕は久しぶりに母の笑顔を見た気がした。

翌日は土曜日で学校も母の仕事も無かったので、母と僕は物置の奥からひな人形と飾り段を出してきて、仏間に飾り付けた。8年間放置していた割りにはあまり傷んでなかった。5段飾りの立派なものだ。「物置自体の防湿が良かったんだね」
「そうね。季節違いの服とかもしまってるから、除湿・防虫には気をつけてたし」

一番上にお雛様とお内裏様。次の段に三人官女、三段目に五人囃子、四段目に右大臣・左大臣と三人上戸、いちばん下の段には右近の橘・左近の桜に、御所車・駕籠・重箱。ほかに、金色の屏風・ぼんぼり・プラスチックの菱餅が入っていた。

「橘と桜って、どっちが左だっけ?」「えっと左が橘で右が桜。左近の桜って、向こう側から見て左だから、こちらから見たら右」「あ、なるほど」
「じゃ、左大臣・右大臣は左大臣が右?」「そうそう」
「なんか、こうやってお人形の飾り付けしてると、楽しいね」「うんうん」

僕たちはきれいに飾り付けが終わったひな人形を見て、思わずハイタッチした。
「菱餅はプラスチックの乗せたけど、本物買ってこようか」
「いいね。あと白酒も。日本酒でもいいけど」
「あんたには早い。高校出てから飲みな」
「じゃ、僕、お姉ちゃんの制服に着替えてくるよ。記念写真撮っていいよ」
「あ、待って。あの服は私も思い出が詰まってるからさ。。。。ひな祭り本番の時だけにしようか」「いいよ」「代わりに、ふつうの女の子の服買ってくるからそれを着てくれない?」「あはは、いいけど」「だって女の子がいなくちゃね」
「お姉ちゃんが亡くなってからしばらく、僕よくスカート穿かされたな」
「ああ。。。ずっと穿かせておきたかったんだけど、兄さんに叱られてやめた。
ちょっとサイズ計らせて」といって母はメジャーを持ってきた。

「ウェストは・・・細いな。61か。道理であの子の服が着れるわけだ」「へへ」
「バストは77。ブラはB75でいけるな」「え?ブラも付けるの?」
「中学生の女の子ならブラは付けるもんだよ。心配しなくてもパンティも買ってあげるから」「うーん、まあいっか。僕が言い出したんだし」「なんなら一緒に行って試着してから買う?」「いい。お母さんに任せる」「よし。やる気出てきた」
母はサイズをメモすると、楽しそうに出かけていった。

僕がご飯を炊いて、お昼の準備をしていたら母が戻ってきた。「もうすぐお味噌汁できるから」「お。昼ご飯できてるか。感心感心。あんたには一通り料理は仕込んだからねえ。いつでもお嫁にやれるわ」「僕、お嫁さんになるの?」「なってもいいよ。なんなら、おちんちん切ってあげようか?」「遠慮しとく。でも小さい頃おちんちん切るぞと脅かされて、おちんちんに大きなはさみとか突きつけられたこともあったなあ」「男の子を叱るのには定番よ。火遊びとかした時じゃないかな。
でもあの時切ってたら、それから毎年ひな祭りが出来てたんだなあ」「あはは、あまり本気にならないように」「じゃ、今日はおちんちん付いたままでもいいから女の子になってもらおうか」「はーい」

僕は昼ご飯が終わり、後片付けが終わると、母が買ってきてくれた女の子の服に着替えてみた。

母が着せてあげようかと言ったが、遠慮して自分の部屋に持ち込み、まずは袋から出して並べてみた。ちょっとドキドキする。パンティー、ブラジャー、スリップ、ブラウス、スカート、セーター。まずは自分の着ている服を全部脱ぎ、パンティを穿いてみる。「うーん。ちょっとこれがなあ・・・」僕はそれを下向きにしてみた。「あ、いけるいける」次にブラジャーを付ける。肩紐を通し、ホックを後ろで・・・・・はまった!しかしこれ女の子は毎日大変だよな。慣れると簡単にはめられるようになるのかな??スリップを着ける。ナイロンのすべすべした肌触りが心地いい。

ブラウスを着てみる。ボタンの付き方が男物と反対だし、ボタン自体が小さいからちょっと苦労したが、なんとかボタンは留められた。スカートを穿く。足を通し腰まで上げてからファスナーを締める。このファスナーの位置は前?横?後ろ?よく分からなかったので、とりあえず左側にしてみた。タイトスカートなので、足にぴたりと吸い付く感じが不思議。姉の制服はヒダスカートだから、あれとはまるで感触が違う。セーターを着る。ピンクのモヘアだ。暖ったかそう。

こんなものかな?というところで、居間に戻ってみた。
「おお、可愛い」
母が嬉しそうに声を上げた。「でもタイトスカートでよく歩いて来れたね」
「一歩目で転びましたけど」「ま、即席女の子なら、そんなものだろうね」
「鏡に映してみようっと・・・・あ、我ながら可愛い」「うん、素質あるね」
「おかまの素質?」「いえいえ、可愛い女の子になる素質だよ。もっと女の子の服買ってくるから、ひな祭りまでそれ着ない?」「いいよ」
僕はそれで母が少しでも気が晴れるなら、いいかなと思い承知した。
それに、女の子の服を下着から初めて着てみて・・・実は気持ちが良かった。
なにかほっとするような感覚がある。不思議だ。母は僕を雛飾りの横に立たせて嬉しそうに写真を撮っていた。

それから僕は毎日家に帰ってくると、母が用意した女の子の服に着替えて、寝るまでの時間を過ごすことになった。最初は僕もけっこうドキドキしながらスカートやパンティー、ブラジャーなどを着ていたものの、一週間もすると、それが全然ふつうになってしまった。実は最初の数日は興奮してしまって、女の子の服を着たまま「おいた」をしてしまったが、慣れてしまうとそんなこともなくなってしまった。トイレは最初スカートをめくり、パンティーを下げて立ったまましようとしたものの、すぐに無理と分かり、座ってする方式に変えた。「便座がいつも降りているのは良いことだ」などと母は言っていた。

ひな段に飾るのに菱餅と白酒を買ってきた。菱餅はパックに入っているので、ひな祭りまでもつな・・・・と思ってたら、母は「食べよう。食べよう」といいひな壇から降ろしてしまった。「食べ物は食べなくちゃね」「ま、いいけど。
また明日買ってくるね」「うん。よろしく」「でも、美味しいね、これ」
ここ数日、僕は母と『仲良し親子』という感じになっていた。母とはどちらかというと必要なことしか話していなかったのだけど。。。これ、はたから見たら『仲良し母娘かな』と僕は思い、心の中で笑った。その時僕はふと何かの視線のようなものを感じた。『え?』と思って見た方向には、おひな様があった。

10日ほどした日、夕飯の支度をしていたら、キッチンペーパーが切れているのに気がついた。「あ。ごめん。忘れてた。ちょっとコンビニまで行って買って来て。炒めるのは私やっとくから」と母が言う。「うん、じゃ着替えて行ってくる」と言い、部屋に戻って男の子の服に着替えようとしたら母が停めた。
「その格好のまま行ってこようか」「ええ?知ってる人に会ったらまずいよ」
「大丈夫、あんた女の子にしか見えないから。痴漢で捕まったら身元引受人になってあげるから」などという。なぜ女の子の服を着ているだけで痴漢になるのか、母の論理は分からなかったが、僕は思いきって、スカートを穿いたまま買物に出た。

ここしばらく家の中でスカートを穿いていてスカート自体には慣れていたものの、それで外を歩くのはまた別問題だ。さすがにちょっと恥ずかしい。道を行く人とすれ違う時は、つい下を向いてしまった。それに、家で穿いてた時は気付かなかったが、2月の気候ではスカートって寒い!僕はコンビニに着くなりトイレに行きたくなった。奥の方に行き、トイレに飛び込もうとしたが・・・・

どっちに入る?

ここはトイレが男女に分かれている。左側が男子トイレ、右側が女子トイレ。
いつもは左に入っている。でも今日はスカート姿だし、ブラジャーを付けて、胸も出ている。これで男子トイレには入れない気がするけど、女子トイレに入っていいんだろうか???しかしあまり悩む必要は無かった。男子トイレは使用中だった。待ってるのはちょっと辛い。緊急だからいいよね、と僕は自分に言い聞かせると、右側の女子トイレに飛び込んだ。

用を達してからふっと息をつき、あらためてまわりを見回すと内装が薄いピンクで統一されている。壁も床のタイルも、便器も手洗い台も。女の子になると、いつもこういう色に囲まれて過ごすのかなあ、などとふと僕は思った。

しばらく座っていて体調が戻ったので、トイレを流して手を洗い、外に出た。
実はトイレから出る時にちょっとドキドキした。僕を男の子と分かって咎められたりしないかな?と思ったけど、そんな心配は無かった。トイレの前で若い女の人が待っていたけど、僕はニコリと会釈して店内に戻った。

キッチンペーパーを買い、レジを済ませ店を出る。レジでも少しドキドキしたけどバレてないようだ。店員さんの手元を見ていたら「19の赤」を押された。
きゃー。今この世の中から、男の子がひとり減って、代わりに女の子がひとり増えてるんだなと僕は思った。エコバッグに入れてもらったキッチンペーパーを持ち外に出る。やはり外は寒い。足が冷たい。でもトイレに行った後だから、なんとか平気。僕は家に戻ると「ただいま」と言って大きく息を付いた。

「どうだった?初女の子外出は?」「足が寒い」「ああ、慣れたらある程度は平気なんだけどね。でも明日レギンスでも買ってあげるね」「もしかして毎日この格好で外出しろとか?」「正解。その格好でお買物に行ってもらおうかな。
今度はスーパーとかに」「ひぇー」

そういうわけで、それから毎日僕は母に言われて、スーパーに夕飯の買物に行ったり銀行のATMにお金をおろしに行ったり、特に用事が無い場合は、自販機にジュースを買いに行ったりさせられた。初めはほんとに恥ずかしくて堪らなかったが、どうも周囲からふつうに女の子に見られているみたいと思うとだんだん開き直りが出てきて、平気になってきた。
土日は朝から晩まで女の子の服を着ているので、むしろ平日学校に行くのに学生服を着ている時のほうが、変な感じがした。学校では何度かうっかり女子トイレに入りそうになり、寸前で踏みとどまることもあった。また男子トイレに入っても小便器を使うのは変な気がして、個室の方を使っていた。

そんな僕に同じ英語部の木下さんと稲葉さんがこんなことを言い出した。
「最近、見てて女の子っぽい気がするんだけど」
「え?僕が?」「他に誰かいる?」
英語部は実際の部員は15人ほどいるはずなのだが、実際に部に出て来ているのは僕たち3人だけだ。
「うーん、カマっぽいかな?」「おかま、というより女の子だよね」
「うんうん。なんか一緒にいて男の子がこの場にいる感じがしないのよね」
「それはやはり雛祭りが近いからだよ」「意味分かんない」

「そうだ、3月3日にうちで雛祭りやるからさ、ふたりとも来ない?」
「あれ?お姉さんか妹さんかいたっけ?」
「姉さん、いたけど死んじゃったんだよね、僕が5歳の時に。それ以来雛祭りなんてやってなかったんだけど、今年は久しぶりに雛祭りやろうよということになって。でも女の子いないと寂しいから、来てくれると嬉しいかな、とか」
「へー、何だかよく分からないけど、食い物あるなら行ってもいいよ」
「ケーキとか、チキンとか、用意しておくよ」
「私、スコッチエッグ食べたい」
「いいよ、用意しておく」僕は笑顔で答えた。

母はここの所、とても楽しそうだった。しばしば可愛い服を買ってきては「これ着てみて」などといって僕に着せてみる。ちょっと着せ替え人形にでもなった気分だ。「男の子じゃおしゃれさせても張り合いないからね。女の子はいいわあ」
などと言っていた。まあ、こんなことで母が日々張り合いが出るならいいことだ。
どうせ3月3日までの期間限定のお遊びだし・・・・・たぶん。でも、時々こういう格好するのも悪くないかな、などと僕は思った。母はしばし途絶えていたお花のお稽古にもまた通い始めた。母はほんとに最近とても活動的になっていた。僕の「女の子ごっこ」は予想以上に効いているみたいだ。

そしてひな祭りの前日。僕は学校から帰ると、いつも通り女の子の服に着替えて勉強をしていた。今日はグリーンのセーターに濃紺のジーンズの巻きスカートだ。
母はお花のお稽古に寄ってくるからと言っていた。晩ご飯にシチューを作り、母が帰るのを待つ。そろそろかな?と思っていた時、玄関のベルが鳴った。

「お帰り早かったね」と僕はてっきり母と思ったので玄関を開けてしまった。
「あ、済みません。いらっしゃいませ。どちら様でしたでしょうか?」
玄関の前に居たのは知らない女の人だった。
「あ、えっと。沙織いる?」
何の前振りも無く初対面の相手に出す言葉としては不適切極まりない。誰だ?これ。
「母はただいま外出しておりますが」
「沙織の娘さん?えっと、私沙織の友達で・・・少し中で待たせてもらえない?」
「済みません。母の留守中に勝手に人を上げたら叱られるので」
「ただ、待たせてもらえればいいのよ。夕方で寒いし、駅まで戻るのも遠いし」

確かに今日は吹雪いているし、外はもう暗い。
男の人なら絶対お帰り頂くところだが、女性だし、見た感じ、わりと華奢な雰囲気だ。何かあったら腕力で圧倒できるだろうと僕は踏んだ。

「じゃ、とりあえずどうぞ。母に連絡してみます」
僕はその女性を家の中に入れ、居間に案内した。そして部屋を出て居間の襖を閉めてから、携帯で母を呼び出した。コール音が2回、3回と鳴る。
なかなか出ないな・・・と思っていた時、突然襖が開いて、僕は後ろからその携帯を奪われた。「え?」

僕はその女性を家に上げたことを完全に後悔していた。彼女はさっきまでとはまるで雰囲気が変わっていた。視線が逝ってしまっている。彼女は僕の携帯の電源を切ってしまった。「何するんですか?」

「連絡しなくてもいいのよ」
「あなた、誰ですか?」僕は女性と少し距離を取った。
「沙織の友達・・・・いえ恋人だったの」
僕は頭の中が一瞬混乱した。

「でも先月、いろいろあって別れてしまって。私が浮気したのがいけなかったんだけど・・・・でも後悔して、やはり沙織と仲直りしたいと思って、話をしようと思って家を出たんだけど・・・・・でも途中で気が変わって」
そういうと、その女性はバッグから大きな包丁を取り出した。げ!?

「私、沙織に黙ってたけど乳癌なの。。。。来月手術しなきゃいけないのだけど、おっぱい失うのが哀しくて。。。あんたも女の子なら分かるでしょ?」
元々おっぱい無いので分かりませんと思ったが、ここは突っ込む所ではない。
「いっそ死んじゃおうかなと思ったんだけど、一人じゃ寂しくて。。。。
でも来てみたら沙織いないし。。。。沙織の代わりにあんたでもいいわ。
お願い一緒に死んでくれない?」

そんな話、丁重にお断りしたいところだが、あの包丁はやっかいだ。飛びついて奪えるだろうか? 振り回されると、こちらもある程度の怪我は覚悟しないと。
うまく相手の手首を掴めたらいいのだけど。こんな格闘したことはないけど、本気で行けば、相手はそんなに強そうには見えない。やるか?

女性は少しずつこちらに近づいてくる。僕は飛びかかるタイミングを計った。
ある程度の距離まで来たところで、向こうの懐に飛び込めば・・・・・

その時だった。
居間の奥の襖がすっと開いた。え?

女性もびっくりしたように振り向いた。そこには背広を着た20歳くらいの男性が立っていた。誰だこれ?今日はいったいどういう日だ? しかしその男性は鋭い視線で、女性を見つめてから、一言、こう言った。

「お帰り下さい」

「・・・わかった。。。。。。なんだ。彼氏を連れ込んでたの?すみにおけないわね、今時の女子中学生って。さよなら」

女性は包丁をバッグにしまうと、慌ただしく玄関に行き、靴を履きながらドアを開けようとした、ところで先にドアが開いて女性は前のめりになった。
「あ!」「あ?」

玄関の外にいたのは母だった。一瞬の間があった。
「あんた!何しに来たの?」「何でもない。さよなら」
女性は駆け出して行った。母は一瞬追いかけようとしたが、その前に僕の方を見ると「何もされなかった?」と尋ねた。「僕は大丈夫」それを聞くと母は携帯を取り出し、掛けながら玄関の外に出ていったんドアを閉めた。
「どういうつもりなの?」母の大きな声が聞こえた。

僕はハッとして、居間の奥の方を振り返った。背広の男性はこちらを見て、ニコリと笑うと、振り向いてそのまま奥の仏間の方に戻った。僕がそちらに行くと、雛段の前に、今の男性と、同じくらいの年の振袖姿の女性が並んで笑顔でこちらを見ていた。その女性が口を開いた。

「気をつけてね。油断したらダメよ」
「・・・・もしかして、お姉ちゃん?」
「雛人形出してくれてありがとう。でもその格好似合ってるよ。可愛い」
「ありがとう」
「いつも、助けてあげられるとは限らないから。じゃあね」
「あ、お母さんにも・・・・今来ると思うし」
「あなたがお母さんにとっては、たったひとりの子供よ。親孝行してあげて」
「うん」
「あ、そうそう。あの女の人はもう来ないから。それと手術も成功するから」

姉がニコリと笑うとふたりは光の玉に化して、お雛様とお内裏様の中に吸い込まれていった。その時、玄関のドアが開いて、母が中に入ってきた。
「お帰りなさい」ぼくは普通の笑顔で母に言った。
「ただいま。ほんとに何もされなかった?」
「うん。大丈夫。家にあげるつもりなかったんだけど、吹雪だからと言われて。でも今度からは気をつける。知らない人を上げない」
「やはり何かしたのね?」
「大丈夫だよ。結局何もなかったんだから」

母はため息をつくと居間のソファに座り込んだ。僕はお茶を入れてきた。
「お母さん、あの人のことについては何も聞かないから」
「やはり何かしゃべったのか、あいつ・・・」
「でも、もう来ないよ、あの人」
「そう? あんたがそういうのなら、そうなのかもね」
母はまだ少し悩んでいるようだった。

しかし、母はてっきり男の人の恋人と付き合っていると思っていたのに、女の人の恋人だったとは!僕だって恋愛というものが、男女間だけではなく、男の人同士とか女の人同士でも成立するくらいのことは知っている。
でもこう身近にそういうことが起きていたとは思わなかった。

「そうだった!鯛焼き買ってきたんだけど食べる?」「うん」
僕の入れたお茶を飲みながら、鯛焼きを食べ始めると、母は少し落ち着いた感じだった。僕も鯛焼きを食べながら、体の緊張が解けていくのを感じた。
(あ・・・けっこうビビってたんだな、自分・・・・)「そうだ。シチューできてたんだ。少し暖めてくる」
僕は鯛焼きを食べ終わると言った。

ひな祭り当日。学校が終わってから木下さんと稲葉さんを家に案内した。
学校から直接のつもりが、その前に買い物したいというので、それに付き合うことになった。サンリオショップに寄って、キャラクターものを漁っている。
「これどっちがいいかな?」などと稲葉さんに訊かれる。「うーん、シナモエンジェルスのほうが可愛いかな」と答える。すると木下さんが「よく、これがシナモエンジェルスって知ってるね」と驚いたように言った。
「あはは、ちょっと訳があってね」と僕は適当に誤魔化した。元サンリオ・フリークの母にしっかり鍛えられたおかげだ。1ヶ月前ならシナモロールも怪しかったところだ。

家まで来て、雛飾りのある仏間にふたりを案内すると、ふたりは「凄い。家庭で五段飾りって、今時あまり見ないよね」などと言っている。「うちは男雛・女雛だけ」「うち、雛人形無いや」「うちの家系で30年ぶりに生まれた女の子だったんで、おじいちゃんが張り切ってくれたらしい」「それでその女の子が中学生で死んじゃったら悲しすぎる」「僕はまだ小さかったからね」

僕がふたりを仏間に置いたまま台所で料理を作っていたら、二人も来て手伝ってくれた。二人は僕の手際の良さに驚いていた。「凄ーい。お嫁さんに行けるよ」
などと木下さんに言われた。ふたりとも揚げ物は自信ないというので、フライドチキンとスコッチエッグは僕が全部揚げた。ちらし寿司は木下さんがやってくれた。
稲葉さんは調理は苦手と言って茶碗を並べてくれた。大体できた所で母が帰ってきた。

「お帰り」「ただいま。あ、いらっしゃい。ケーキは6人分と言われて6個買ってきたけど、よかったのかな?」「うん、それでいい」と僕は言うと、「じゃ着替えてくる」といい、自分の部屋に行って、姉の制服を取り出すと身につけた。『お姉ちゃん、借りるね』

そして居間に行くと「じゃじゃじゃじゃーん」と言って、女子制服姿を友人2人の前で初披露した。「きゃー」「嘘!?」などと二人は驚いていたが、「でも可愛い」「似合ってる」「ちゃんと女の子に見える」「やはりお嫁さんに行くつもりなんだ?」などと言う。

「これ、姉ちゃんの制服なんだ。ケーキはお姉ちゃんの分、陰膳ね。きっと今もこの雛祭り、どこかで見てるだろうから」と僕は、お雛様を見ながら言った。
「でもケーキ2個余分だよ」と母が言う。「お姉ちゃんが、お雛様だろうから、お内裏様の分でもうひとつ」と僕は説明しながらお内裏様を見る。気のせいか、お雛様とお内裏様が笑った気がした。

「つまり私たちが2個ずつ食べていいのね」と稲葉さんがいう。
「うん、いいよ」と僕は笑顔で言った「雛段にお供えしてからね」
「よしよし」といって、木下さんが小皿に乗せたケーキを1個ずつ、お雛様とお内裏様の横に置く。記念写真撮ろうというので、女子制服姿の僕と、木下さん・稲葉さんが並び、母がうちのデジカメと木下さんの携帯で1枚ずつ写真を撮ったあと、母も入ってセルフタイマーでもう1枚撮影した。
僕は心霊写真になってなければいいけどなどと、ふと思ったりした。

ひな祭りの夜は楽しく過ぎていった。会話は弾み、内容も完全な女子トークの雰囲気になっていた。僕が女の子になっているので、木下さんも稲葉さんも、いつも学校で話している時とはネタの刺激度がまるで違う。それを母が更に煽っている感じだ。いつしか僕たちは苗字ではなく名前で呼び合うようになっていた。母が勝手に僕に「ひかり」という女の子名前を付けてしまったので、和美(木下さん)はその名前で僕の携帯番号を登録しなおしていた。

「よし、来週はうちで雛祭りやるから、みんな来てよね。ひかりはちゃんと女の子の格好でね」「えー!?」「おひな祭りは4月3日が本番なんだよ、まだ1ヶ月あるから。いいですよね?お母さん」「OKOK。それまでに去勢して完全な女の子にしとくから」「なんなら私が取り押さえておきますから、その間に包丁ですぱっと」「よし今からやるか?」と母が嬉しそうな顔で言い、包丁を取ってきた。「ちょっと、和美もお母さんもそれ冗談に聞こえない」と僕は困ったような顔で言って、母にリンゴを渡した。「じゃ、このリンゴ剥いてからね」と母は鼻歌を歌いながら、リンゴを剥き始めた。

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