【チョコが好き!】(1)

目次
 
毎年この時期が僕は嫌いだ。お正月も過ぎると、ショッピングモールやコンビニには、いっせいに「バレンタイン・デー」のピンクの垂れ幕やポスターが張り出される。デパートの地下に「バレンタイン・チョコ」コーナーが出来て、若い女の子でいっぱいになる。
 
チョコは実は僕の大好物である。お寿司かチョコか選べと言われたら絶対チョコを選ぶくらい好きで、週に3〜4回は買っている感じだ。しかしこの時期にチョコを買うと、まるでバレンタインに女の子からチョコをもらえないので、自分で買って、貰ったかのように装う男の子、みたいに見られそうな気がして、買うのがためらわれるのである。また、バレンタインの特設コーナーには、色々変わったチョコが置いてあるので、チョコ好きの僕としては見てみたいのだけど、あの女の子たちの集団の中に入っていくのは、かなり気が引ける。
 
今年もそういう訳で、あのピンク色の看板を見て「はぁ」とため息が出てしまった。
やれやれと思いながら、今日はコンビニのオリジナルブランドの「ひとくちチョコ」
(100円)を選び、レジの所に持って行き、電子マネーで払う。
 
「このままでいいよね?」顔見知りの女子大生のバイト、沢口さんが言うので「うん。OK。袋に入れるのはもったいないからね」と答える。
 
「でもこの時期憂鬱」
「どうしたの?」
「バレンタインは女の子から男の子にチョコ送るって、誰が決めたんだろうね」
「ああ・・・山村君チョコ好きだよね。よく買ってるもん」
「うん、好き。でもこの時期に買うと、くれる人がいないから自分で買って、さも女の子からもらったみたいに見せてる男の子、みたいに思われないかって」
「私みたいに、いつも山村君がチョコ買ってるの、見ている人なら大丈夫だけどね」
 
「デパートの特設売り場とかも、変わったのが無いか見に行きたい気もするけど女の子だらけだからなあ」
「確かにあの中に男の子が突撃するのは勇気いるかもね」
「ちょっとあの集団を見ただけでちょっと。去年は1度突入したけど、場違いな感じがしてすぐに撤退してきた。チョコは3個ゲットしたけど」
「わあ、すごい。山村君、女の子だったら良かったのにね」
「ほんとほんと、この時期だけでも女の子になりたい気分だよ」
 
その日はそんな会話をして店を出た。
 

 
大学に出て学部の図書館に行き、資料を借りてきて院生室のコピー機で必要な箇所をコピーしていたら、ふらりと担当教官の篠原準教授が入ってきた。
 
「やあ、みんな元気してる?」
「なんか先生がそういう言い方する時って怪しい」と同室の篭原さん。
 
「君たち、こないだノースカロライナ大学で、超音波で避妊する方法が開発されたというニュースは聞いた?」
「ああ、ラットの睾丸に超音波を当てたら生殖細胞が減ったという奴ですよね」
と真崎君。
 
「実は僕も似たような実験を1年前からやってたんだよね。先越されたか!と思ったけど、向こうもまだ技術として完成してる訳ではないみたいだね」
 
「あれ、可逆的って書いてありましたが、本当に可逆的なんですか?生殖細胞減らすのはいいけど、もう戻らなくて永久に不妊になったりしないんですか?」
 
「向こうのはどうか知らないけど、僕の実験ではちゃんと戻るよ。だいたい4ヶ月もあれば、ほぼ元の通り回復する。一番遅かった個体でも6ヶ月で回復した」
「へー」
 
「女性の卵母細胞は、生まれる前に完成していて、その後は静かに卵子になる日を待つだけで、損傷すると元に戻らないから、それで女性の高齢出産はトラブルが起きやすいのだけどね。男性の精原細胞は事故とかで数が減っても回復する仕組みなんだよ。分裂によって本来なら精子に変える分を変えずに精原細胞を増やす方向に使うんだよね」
「なるほど」
 
「それでさ、僕もラットではかなり実験したんだけど、人間でも実験してみたくてね」
「そんなの、御自分で実験してください!」
「実験した」
 
「したんですか!?」
「ラットと同様に、超音波を当てると確かに数が減る。まあ1〜2割程度減るくらいで停めたけどね」
「きゃー」
「それで1〜2ヶ月もすれば元の状態に戻った。これまで3回試した」
「じゃ、技術として確立ですか?」
 
「確立するにはもっと大量にサンプルを集めないと。今はまだ開発中。でも、僕は38歳だからね。もっと回復力の高そうな20代の人でも試してみたいんだよねぇ」と篠原は楽しそうに言って、院生たちを見ている。
 
「とりあえず私は関係無いわね」と篭原さん。
「そうだね。君は睾丸持ってなさそうだから」
 
「あの・・・・俺、婚約者いるんでパスさせてもらえませんか?」と中原君。
「そうだね・・・もし不妊になっちゃったら悪いしね」
 
「ちょっと待って下さい、不妊になる可能性あるんですか?」と僕は尋ねる。
「うーん。ラットでの実験では不妊になっちゃった個体は無かったよ。みんな生殖能力を回復した」
「人間では?」
 
「まだ人間は、僕自身でしか試してないからね。真崎君か山村君か、どちらか協力してくれないかなあ」
 
僕は真崎君と顔を見合わせた。
「ラットでは全個体、回復したんですよね?」
「うん」
 
「じゃんけんでもする?」と僕は真崎君に訊く。
「生殖細胞が減った結果、勃起能力とかに影響が出る場合は?」と真崎君。
「僕は大丈夫だったよ。生殖細胞減らしても毎日ちゃんとオナニーしてた。
むしろ毎日ちゃんとオナニーするのが回復させるのにいいだろうね」
 
「よし、山村、ジャンケンしよう」「うん」
 
ということで僕は真崎君とジャンケンした。僕が負けた。
 
「おお、生け贄は山村君に決定」と篭原さん。
「生け贄なの!?」
「科学の発展には尊い犠牲は付きものなんだよ」と準教授。
「犠牲になるんですか?」
 
「でも、先生、万一のことあったら、責任取ってくださいよ」と僕は言う。
「もちろんだよ。責任取って結婚してあげるから。僕もまだ独身だしね」
「結婚するんですか?」
「お嫁さんにしてあげる」
 
「なんでお嫁さん?」と僕は呆れて言うが「だって僕が男だから。君の男性能力が無くなっちゃったら、もういっそ性転換して女性になってもらってもいいし。手術代くらい出してあげるよ」と準教授。
「ひぇー」
「あ、それいいかも」などと篭原さんも楽しそうに言ってる。
「山村君なら、女の子になっても生きてけると思うよ」
「それ、どういう意味?」と僕は篭原さんに文句を言った。
 

みんなで一緒に篠原準教授の実験室に行った。
 
「脱いだほうがいいですか?」
「ズボンの上からでも超音波は当てられるけど、自分で試したのではやはり至近距離から当てたほうが確実に生殖細胞を減らせる。それに超音波を当てる前の生殖細胞の数とかもチェックしておきたいし」
「あ、そうですよね」
 
「最初に射精して欲しいんだけど」と準教授が言うので、実験室に付属する個室に入って容器に出してきた。準教授が顕微鏡でチェックする。
「あれ? 君、昨日か一昨日、射精した?」
「えっと・・・3日前です。昨日も一昨日もしてないです」
「3日間溜めてこれってのは、君精子がふつうの人より少ないね」
「あ、そうですか?」
 
「山村君、男性能力あまり強そうじゃないもんね」と篭原さん。
生理学の研究室なので、彼女は射精とか精子とかいう話は聞くのも言うのも平気である。
 
「睾丸の中の組織を少し取りたいから注射器刺していい?」
「はい」
 
ベッドに横たわり、注射器を刺された。細い針を使っているので、あまり痛くない。
 
「ふーん。生殖細胞の数はわりと普通だなあ。活性が悪いのかな。君、ブリーフじゃなくてトランクスにした方が少し生殖能力上がるかもよ」
と準教授が顕微鏡を見ながら言う。
「あ、はい」
 
「じゃ、超音波当てるね」
「はい」
 
アメリカの研究チームは水の中で超音波を当てたようであるが、準教授は超音波を出す機械の探触子を直接陰嚢に接触させるようにして当てていく。篭原さんも含めてみんなが見ている。このあたりはもう羞恥心は吹き飛んでいる。ストップウォッチを見ていた準教授は1分で超音波を当てるのをやめた。
 
「もう1回組織検査するね」
と言われて、また睾丸に注射針を刺されて組織を取られる。
 
「あれ−。僕が自分でやったのでは60秒で1割しか減らなかったのに、君のは60秒で2割減ってるな」
「大丈夫ですか?」と真崎君が心配そうに訊く。
「うん。僕自身も120秒当てて2割減らすのも試したけど1ヶ月半で回復したから。山村君、このあと禁欲して3日後にまた精液を採取させて欲しいんだけど」
「了解です。3日間禁欲します。普段もそんなもんだし」
 
「俺なら3日禁欲が辛いな」と真崎君。
「山村君はふだんは毎日してないの?」と篭原さん。
「えっと、週に1度くらいかな。原書とか夢中になって読み出すと1ヶ月くらいしない時もあるし」
「それは君の世代の男子では珍しいね」と準教授。
 
「先生、これあまり良いサンプルじゃなかったかも」と篭原さん。
「かもね。でももしかしたら、安全限界値がチェックできるかもね」と中原君。
「ああ、これ以上超音波当てたら、ダメという限界値だね」と真崎君。
「そうそう。山村君に少しずつ長時間当てて試してみて、もう回復しなかった時の数値が危険数値。山村君で大丈夫ならふつうの男の人でも大丈夫」
と篭原さん。
 
「ちょっと待って。回復しなかったら、僕どうすればいいの?」
「その時は、性転換手術受けて、篠原準教授のお嫁さんになればいいのよ」
「えー!?」
 

 
翌日の夕方、僕は田舎に住む妹の彩佳がこちらに出てくるというのを聞いて、駅で待ち合わせて、晩御飯を一緒に食べた。
 
「これ、成人式の写真」
と言って、彩佳はキャビネサイズの写真を渡す。
 
「おお、綺麗に写ってるなあ。馬子にも衣装ってやつかな」
「お兄ちゃん、女の子の褒め方が全然なってないね。26にもなって彼女ができないわけだよ」
「そうか?でもこれ可愛い振袖じゃん。借り賃、高かったろう?」
「ああ、もうここまで酷いと、救いようがないなあ」
「別に結婚するつもりもないし。女の子の褒め方とか分からなくてもいいよ」
 
「お兄ちゃん、ホモなの?それともアセクシュアル?」
「ホモのつもりは無いけどなあ。アセク・・・って何?」
「うーんと、恋愛とかセックスにあまり興味無いの?」
「興味無いことはないけど、今は勉強に集中したいから、恋愛まで手が回らない」
 
「うーん。。。。お兄ちゃん、ひとり暮らしで寂しいってことはないの?」
「別に。研究室や図書館に籠もって1日過ごしてると、時間のたつの忘れちゃうし、電顕なんか触ってると、楽しくて楽しくて」
「はあ・・・・私、先にお嫁に行っちゃうからね」
「まあ、お嫁に行くのは彩佳が先だろうね。僕はお嫁に行かないだろうから」
「・・・お兄ちゃん、もしかしてお嫁さんに行きたいの?ひょっとしてTG(ティージー)?」
「ティー・・・って何?」
 
「まいっか」
「でも彩佳、誰か嫁のもらい手があるのか?」
「ボーイフレンドはいるけどね。。。。まだ結婚とかまでは考えてない」
「彼氏いるんだったら、出来ちゃった婚とかにならないように、先にちゃんと籍入れろよ」
 
「『出来ちゃった婚』なんて単語は知ってるのね?」
「まあ、そのくらいはね。ニュースとか見てると、芸能人とかほとんど、できちゃった婚じゃん。あいつら、コンドームとか知らないのかね?」
「節操無いよね。でも、お兄ちゃんはコンドーム知ってるのね?」
「使ったことはないけどね」
「使うような相手が早くできるといいね。お兄ちゃんが先に結婚してくれたほうが私もやりやすいしなあ」
 
「え?でも僕はお嫁さんには行かないよ」
「別にお嫁さんに行かなくたって、お嫁さんをもらえばいいんだけどね」
「あ、そうか」
「いや、ほんとにお嫁さんに行きたいんだったら、行ってもいいよ。私そういうの理解あるつもりだから」
「男がお嫁に行けるわけないだろ」
「いや、最近は手術して女になっちゃう人、珍しくないから」
「しゅ、手術?」
「・・・・・あのさ、もし本当に女の人になりたいんだったら、どうせなら、早く手術した方がいいよ。年齢が若い内のほうが、より女らしくなれるからね」
「そ、そうなの?」
 
彩佳は「女の人になりたいんなら、これあげる」などと言って、道を歩いていてもらったという、化粧水と乳液のサンプルを渡して帰って行った。
 
「いや・・・・こんなのもらってもなあ」と思いながら僕は妹の乗った電車が出ていくのを見送った。
 

その翌日の午前中、読んでいた専門書が途中で良く分からなくなり、頭を空っぽにするのに、町に出てぶらぶらしていたら、何か人だまりがあったので何だろうと思い寄って行った。すると「あ、あなたいい感じだ。ぜひお願いします」といきなり女性の人に言われた。
 
「何ですか?」と僕は戸惑いながら尋ねたが「ね、いいでしょ?あなた凄く雰囲気良いもん」
「あ・・はい・・・?」と僕は曖昧な返事をしたらOKの意味に取られてしまったようだ。
「あ、助かります。じゃ、こちらに来て」と数人の男性が集まっている所に連れて行かれる。
「あと1人欲しいですね」と何だか責任者っぽい40代の男性が言う。
やがて、僕を捕まえた女性は、もうひとり若い男性を連れてこちらに来た。
 
「よし、これで人数足りた。じゃ、行こう」
というと、僕らはそばに駐まっていたワゴン車に乗せられ、どこかへ移動しはじめる。
「えっと、すみません。これ何ですか?」と僕は隣の男性に訊いた。
「あれ?聞いてなかったの?『金リロ!』の『人間鑑定局』に出るんだよ」
「金リロ?テレビ番組か何かですか?」
「知らないの?人気番組なんだけどなあ。その中に『人間鑑定局』ってコーナーで、本物と偽物を並べて、タレントさんに見分けさせるってのがあるんだよ」
「へー」
 
「本物のお医者さんと偽物のお医者さんを並べたり、本物の体操選手と偽物の体操選手を並べたり。でもいちばん人気があるのが、本物の女性と偽物の女性を並べるやつで、僕らはそれに出るんだよ」
「偽物の女性?」
「つまり女装した男」
「ってことは・・・」
「ここにいる男、全員女装させられるってことね」
「あはは・・・・」
「勘違いでここに来てて、女装が嫌なら今の内に言った方がいいよ」
「うーん。。。ま、いっか」
 
僕はこないだから、あちこちで「女になったら」とか「性転換したら」とか言われたこともあり、ちょっと女装してみるというのにも興味を感じた。
思えば、これがもう「地獄の一丁目」だったのだろう。
 
車が放送局に着く。僕らは案内されて、楽屋のような所に連れて行かれた。
女装させられる人全員にひとりずつスタッフが付いて着替えさせられる。
 
ズボンを脱いでと言われ、脱ぐと足にシェービングフォームを付けられ、足の毛をきれいに剃られる。腕もチェックされたが、僕は腕はあまり毛は無いので「このままでいいですね」と言われた。ヒゲが少し伸びてますねと言われ、それも剃られる。更には「眉毛を剃らせてもらっていいですか?」
と言われたので「はい」というと、それもかなり細く剃られた。鏡の中の自分の顔が少し変な感じだ。
 
「女物の下着を着けてもらいますが、ちょっとやり方があるので、おまたの付近に触ってもいいですか?」と言われた。
「はい」と答えると、まずパンツを脱ぐように言われる。僕がブリーフを下げると、スタッフの人は僕に女物のショーツを穿かせ、上に上げ切る前に僕のたまたまを押さえ込むようにしながら、おちんちんを後ろに向けて、そのままショーツをぴっちり上に上げきった。更にガードルを穿かせて、それをしっかり押さえる。
 
「もしかして女装経験ありますか?」
「いえ、無いですけど」
「失礼しました。触っても大きくならなくて楽に穿かせられたので。ここで大きくなっちゃって、苦労する人が多いんですよ」
「へー」
 
上の服も全部脱いで、ブラジャーを付けられた。カップの中にパッドを入れられる。更にキャミソールを着せられ、ブラウスを着せられた。鏡の中の自分を見ると、何だか不思議な気分になる。更にスカート!を穿く。
「わあ・・・」と思いながら穿かされたら、何だか不思議に頼りない感覚だ。
まるで下半身に何も付けてないような感じである。
 
「似合ってますね!」とスタッフさんから言われた。
「やっぱり、木村ちゃんは素質のある人を見分けるのがうまいな」
などと言っている。
「そんなに似合ってますか?」
「ええ。これだけで既にちゃんと女の子に見えてるから」
 
更にパンティストッキングを穿かせられ、パンプスを履かされた。
「ショーツ、ブラジャー、キャミソール、パンティストッキングといった直接肌に付くものについては全部新品を使っていますので、ご安心下さい。
ブラウスやスカート、靴はテレビ局の衣装を使っています」
「はい、分かりました」
「下着に関しては番組の収録が終わってからそのまま記念にお持ち帰りいただけますので」
「はあ」
 
更に髪をブラシで少し整えられた。
「あなたは髪が長いから、ウィッグ付けなくても行けますね。ちょっとだけ前髪切ってもいいですか?」
「はい」
 
美容師さんが使うようなシザーを取り出すと、僕の伸び放題になっている前髪を少し切る。手際がいい。本職の美容師さんだろうか?「うん。凄く女らしくなりましたよ」
と満足そうに言う。
「お化粧しますね」
「はい」
 
よく分からないが化粧品のポーチを取り出しては、何やら色々塗っていく。
「この化粧品も衛生上、新品を使っています。終わったら記念に差し上げますので、気が向いたら使ってみてください」
「はい」
 
僕はスタッフさんの手でどんどん顔の雰囲気が変わっていくのを、不思議なものでも見るように見ていた。お化粧なんてする機会はめったにないだろうけど、なんか気持ちいい感じだ。肌がマッサージされている感覚なので、それも気持ちいいのだろう。お化粧は15分くらい掛けておこなわれた。
 
「完成。すごい美人になりましたよ」
「わあ」
僕は自分で鏡の中の自分に見とれていた。
 
そこにさきほどの責任者の人が回ってきた。
 
「あれ?今日は女性の出演者もこちらでメイクとかしてるの?」
などと僕を見て言う。
「いえ。女性の方は3号楽屋です。この方、男性ですよ」
「えー!?うそだろ。ほんとにあんた男?」
「はい、そうですけど」
 
「ああ、声を聞いたら男だけど、聞かなかったら女性にしか見えないな」
「でしょ。この人、凄いですよ」
「あなた、女性の人たちの間に座ってもらおうかな。これ、今日はみんな不正解だぞ」
と何だか楽しそうに言っている。
 

やがて番組の収録が始まる。僕は2番の席に座るように言われた。同じ楽屋で変身させられていた人が4,6,7,8の席に座る。4番に座ったのは車の中で僕に番組のことを教えてくれた人だった。彼(彼女?)もかなりきれいな美人に仕上がっている。1,3,5番の席には見たことのない人が座る。本物の女性なのだろう。男女ともに全員、喉仏の部分を隠すため、スカーフを巻いている。
 
ディレクターさん?から番組の進行が説明される。番号を呼ばれたら返事はせずに笑顔で席を立ち、少し前の方に引かれている線の所まで歩いて往復してくる。二回目はお茶と和菓子のセットが配られるので、番号を呼ばれたら急須から湯飲みにお茶を注ぎ、和菓子を食べながらお茶を飲んで下さいということであった。そのお茶を飲む時に、喉仏が見えないように気をつけてと言われ、少し練習させられた。へー、こういう飲み方すると喉仏が見えないのか、と面白く思った。
 
やがて収録が始まる。見たことのある男性アイドルグループのメンバーの人が司会をしている。僕たちは最初はただ笑顔で座っているだけである。回答者の人たちが、いろいろ勝手なことを言っているが、どうも1から5番までが女性という意見が多く、僕は少し楽しい気分になった。
 
回答者が1度目の回答を提示する。どの人が男性かというのを提示しているのだが、「78」「678」という回答が多く、「5678」「3678」という回答もあった。
僕と4番の人は、みんなが女性と思い込んでいるようである。
 
次に歩いている所を見てのチェックの時間となる。僕らは番号で呼ばれると順番に席を立って、線のところまで歩いて来て、また座った。1番の人から順に歩いたのだが、僕は1番の人が歩いた時に、戻って来た時の座り方が重要だということに気付いた。そこで1番の人の次に「2番の人」と呼ばれると、静かに立ち上がり、ごくふつうに歩いて往復してきて、座る時に足を揃えて丁寧に座った。「あ、この人は女だ!」という声が飛んでいるが、黙殺して何も反応しない。
 
8番の人まで順に歩いてきたところで2度目の回答提示となる。5番の人(本物の女性のはず)がわりと大股で歩いたので、この人を男性と思い込んだ人が多かったようで、多くの人が「5678」と答え、何人か「35678」、1人だけ「345678」にしていた。相変わらず、僕と1番の人は女性と思われているようである。5の人はどうもワザとやってる気がしたので、そう振る舞ってくれと指示されているのかも知れないと思った。
 
最後にティータイムとなり、ひとりずつ、お茶を湯飲みに注いで和菓子を食べた。この和菓子美味しい!そう思いながら食べたので、自然といい感じの笑顔になったようであった。「可愛い!」という声が飛ぶ。僕は、ああ、なんかこんな感じでチヤホヤされるの良いな、などという気分になってきた。
 
8人全員が食べ終わり、最終回答の時間となる。「5678」と「678」に答えが割れた。1人「35678」、1人「4678」の人がいた。
 
「では正解です」と司会者の人が言い、8番の人から順に名前と性別を声を出して言う。
「8番、たかのり、男です」「7番、かずや、男です」「6番、たけし、男です」
とここまでは、全員の予想が当たっている。
 
「5番、れいこ、女です」という答えに、半分くらいの回答者が「あぁ!」
と失意の声を出す。
「4番、ひろみ、男です」という答えには「えー!?」という声が圧倒的であった。4番の人はほんとに女らしい感じで、仕草なども女性的だったので、ほとんどの人が女性と思っていたようであった。4番を男性と回答していたのは一人である。その回答者は「やった!」と叫んでいる。残りの1番から3番はみんな女性だろうと思っているようである。
 
「3番、さくら、女です」という答えには、みんな頷いている。さて、僕の番だ。
僕はわくわくして回答する。
 
「2番、のぶお、男です」と僕が笑顔で答えると、「うっそー!?」とスタジオは一種のパニック状態になった。
 
「あなた、女でしょ?男みたいな声出してるんじゃないの?」
「えーっと、男ですけど」
「ちょっと、誰か、ほんとに付いてるかどうか確認してよ」
などとひとりのタレントさんが言うと、4番の人が「あ、僕が確認しましょうか?」
などと言って立って寄ってくる。
 
「いい?」
「うん、いいけど」
と言うと、彼は僕の股間に触る。
「確かに付いてますよ」
と4番の人が言うと、「嘘だ−!」「信じられない!」という声があちこちから出て、しばしスタジオは騒ぎが収まらなかった。
 
「静粛に、静粛に!」と司会者が言い「最後に1番の人、よろしく」と言う。
 
「1番、あい、女です」と答える。
しかしまだスタジオの興奮は収まらない。
 
司会者の人が「そういう訳で、今週は正解者が出ませんでした。今週の賞金10万円は来週にキャリーオーバーとなります」と言って、番組は終了した。
 

 
「今日は凄く女っぽくなった人が2人もいて、凄く盛り上がりましたね」
などと、スタッフの人が言っている。僕と4番の人はディレクターさんに握手を求められた。
 
僕らは楽屋に移動して、クレンジングをもらってお化粧を落とし、女物の服を脱いで、元の服に戻った。お礼に、と出演した人全員がファミレスの御食事券をもらった。テレビ局のワゴン車で、それぞれ都合の良い駅まで送ってもらいぱらぱらと解散となった。僕は4番の人、宏海さんと握手をして別れた。
 
帰宅してから「記念に」などと言われてもらった、女物の下着と化粧品セットを畳の上に置いてみた。女装なんて、めったにない体験だけど、ちょっと面白かったな、と僕は思った。
 
その日見た夢の中で、僕は女装して、女の子の友人数人と一緒に甘いココアを飲みながら、何か会話をしていた。
 

その翌日。例の睾丸に超音波を当てる実験をしてから3日たったので、僕は篠原準教授の研究室に行き、精液の採取をした。個室に入って容器に射精してそれを準教授に渡す。
 
「あれから何か変わった感じは無かった?」
「あ、はい。別にふだんと同じですが」
「ふーん」
と言って顕微鏡で精液のチェックをする。
「え?」と準教授が言ったので、僕は「どうかしました?」と訊いた。
 
「いや。。。そんな馬鹿な。。。」と準教授は明らかに焦っている。
「何かあったんですか?」
「精子が全く無い」
「えー!?」
 
「すまん。組織検査していい?」
「はい」
 
準教授は僕の睾丸に注射器の針を刺して、採取した組織を顕微鏡でチェックする。
 
「うーん。生殖細胞の数は3日前とあまり変わらないね。微増しているから回復が始まっているよ」と準教授。
「だったら、精子が無かったのは一時的な現象でしょうか?」と僕。
「あ、そうか。生殖細胞の増殖が優先されているから、精子はあまり生産されないんだ」
「あ、じゃ、問題無いですね」
 
「うん。たぶん。でも僕が自分で実験した時は、生殖細胞を2割減らした後でも精液の中に精子はちゃんとあったんだけどなあ・・・・この3日間、禁欲してるよね?」
「はい。1度も射精してません」
「うーん。じゃ、様子を見るか。一週間後にも再度チェックさせてもらっていい?」
「はい」
「一週間とか禁欲できる?」
「あ、全然問題ありません」
 

 
番組の放送は、収録があった週の金曜日だった。時間を教えてもらっていたので、自宅で、専門書を読みながらテレビを付けて見ていたのだが、すごく綺麗に映っているので「わあ」と思う。これ自分じゃなかったら、思わずデートに誘いたくなるかも、などと思ってしまった。
 
番組が終わってから、携帯に妹の彩佳から電話が掛かってきた。
「お兄ちゃん、テレビ見たよ」
「あ、えっと」
「いや、お姉ちゃんと言うべきなのかなあ」
「いや、町を歩いてたら、テレビ局の人に捕まっちゃって」
「すごく美人になるんだね!」
「自分でもちょっとびっくりしてる」
「やっぱり、普段から女装してるんでしょ?でなきゃ、あんなに綺麗になる訳無いもん」
 
「いや、ほんとにしてないって」
「隠さなくてもいいよ。私、応援してあげるからね」
「いや、応援されても・・・・」
「お父ちゃんは知ったらびっくりするだろうけど、お母ちゃんにはそれとなくほのめかしておいてあげるね」
「いや、ほんとに、女装とかしてないって」
「恥ずかしがらなくてもいいよ。じゃ、またね」
と言って妹は電話を切った。
 
うーん。なんか勝手に誤解されてるなあ・・・・ 

 
翌日、大学に出て行き、院生室に行ったらその日は誰もいなかったが、部屋の端末を使って、少し事例の調査をしていた時に篭原さんが入ってきた。
 
「こんにちは〜」
「あ、こんにちは」
 
「ね、ね、昨日のテレビ見たよ」
「わあ」
「山村君、女装すると、あんなに美人になるんだね」
「いや、お恥ずかしい」
 
「恥ずかしがらなくてもいいじゃん。もしかして、普段から女装してる?」
「してない、してない」
「ほんと?だって、あんなに美人になるのに。女装しないの、もったいないよ」
「そう?」
「うん。いっそ、性転換しちゃってもいいんじゃない?」
「あはは」
 
「あちら、回復してきた?」
「それが、3日後に検査したのでは、精液の中に精子が全く無かったんだよね」
「へー。そうなるんだっけ?」
「先生の話では、たぶん生殖細胞の回復の方に使われているから、精子の生産が減っているんだろうって」
「ああ、なるほど。それなら納得できるね」
「でも、先生が自分で実験した時は、精子は完全には無くならなくて、一応あったらしいんだけどね」
「個人差が大きいのかな?」
 
「確かに生殖細胞が減った場合、回復優先になるから、それ考えると、この方法って、生殖細胞を少し減らすだけでも、かなり精子の数を減らすことができるんじゃないかって、言ってた」
「それって、凄く効果的な避妊法じゃん」
「だよね。でも個人差が大きいと、どのくらいで避妊になるかがつかみにくいから、ある程度事例を積み重ねないと、なかなか実用化できないかもって」
「じゃ、次は真崎君が生け贄だな」
「あはは」
 
「でも先生ったらさ、もしほんとに精子の数がずっと回復しなくて無精子症になっちゃったら、ごめんね、なんて脅すんだから」
「その時は、ホントに性転換しちゃえば?」
「えー?」
「だって、あんなに美人になれるんだもん。女の子になっちゃってもいいよ」
「うーん。。。」
「それで、先生の奥さんにしてもらったら、お金の心配無しでずっと研究してられるじゃん」
「うーん。。。それもいいかな、って気がしてきた」
「うふふ。もし女の子になりたくなったら、色々教えてあげるよ、女の子のこと」
「ははは」
 

 
大学を出てから、大型書店に寄りたかったので町に出て、目的の本屋さんに入り、しばしあれこれ立ち読みする。今日のところは、いまいちピンと来る本が無かったので、結局買わずに店を出た。お腹が空いたので、近くのマクドナルドに入り、えびフィレオのセットを頼んで食べていたら、「あれ?信生さん?」という声がしたので、そちらを見ると、隣のテーブルの女性がこちらを見ている。
 
「えーっと・・・」と僕は戸惑うようにスカートスーツの女性を見る。誰だっけ?「あ、分からなかった? 私、宏海です」
「・・・えー!?」
 
それは先日のテレビ番組収録で一緒になった、「4番の人」宏海であった。
僕はトレイを持って隣のテーブルに移る。
 
「こんばんは。でもその格好は?」と僕は尋ねる。
「あ、私、夜はいつもこういう格好で」
「あの・・・お仕事か何かですか?」
「うん。この後、◇◇ホテルのラウンジでピアノ弾くんだよ。ピアノ弾く時はドレス着るけどね」
「へー!」
「私、昼間は男として会社勤めしていて、夜には女としてピアニストなの」
そう語る宏海の声は女声である。
 
「声が・・・」
「あ、私、男の声も女の声も出せるから」
「すごい」
 
「いやあ、あそこで『人間鑑定局』に出てって、スタッフの人に腕掴まれて頼まれた時は、私みたいな、いわば本職が出ていいもんだろうかって思ったけどね。でも、その後、信生さんが連れて来られて『わ、もっと凄い人いるから、私はいいよね』と思ったんだけどね。信生さんも普段女装してるんでしょ?」
 
「いえ、してないです。あれ、初めての女装でした」
「ほんとに?てっきり同系統の人だと思ったのに」
「でも、女装楽しかったです」
「だよね。凄くなじんでる感じだったし」
 
「あ、私のピアノの演奏、7時から8時までなんだけど、もしよかったら、その後、少し飲まない?」
「ええ、いいですよ。じゃ、宏海さんのピアノ演奏も聴かせてください」
「うん」
 

マクドナルドでバーガーを食べながら、しばし世間話などをする。僕たちは携帯のアドレスと番号を交換した。その後一緒に◇◇ホテルに行く。控え室に行くと、宏海は持っていた衣装バッグの中から白いドレスを出し、それに着替えた。下着は最初から女物の下着を付けていた。
 
「会社行く時は男物の下着なんだけどね。いったん家に戻って、女物の下着を付けて、女物の服を着て、お化粧して。その変身していく感覚がたまらなく快感なんだよね」
「ああ、何となく想像が付くなあ。こないだの女装、気持ち良かったもん」
「でしょ?信生もこれまで経験無かったんだったら、いい機会だし、女装始めちゃいなよ。お化粧とか、教えてあげるよ」
「あ、お化粧はちょっと覚えてみたいかも」
 
一緒にラウンジに行く。宏海が「こちら付き添いです」と僕のことを言ってくれたので、そのまま中に入り、隅の方に並んでいる椅子に座った。ウェイトレスさんが「どうぞ」と言って、お茶を持ってきてくれた。お茶くらいはいいだろうなと思い「ありがとうございます」と言って頂く。
 
宏海の演奏が始まる。最初は『スターダスト』だ。美しいメロディーが宏海のピアノから流れ出してくる。ああ、自分もピアノとか習いたかったなあ、などと思った。妹が幼稚園の頃からピアノを習いだしたので、自分も習いたいと言ったら、親から「男がピアノ習ってどうする?」などと言われてしまった。
 
1曲演奏が終わると、客席のところどころから拍手が鳴る。僕も笑顔で拍手をした。曲目はそのあと『マスカレード』『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』
『ダニー・ボーイ』『ムーンリバー』『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』
『メモリーズ・オブ・ユー』『ミスティ』とジャズのスタンダードナンバーが続いていく。夜のラウンジには、ほんとにジャズが似合う。
 
宏海の演奏は「技術的に巧い」だけでなく「聴かせ方が上手い」という感じだ。
ピアノは、シンセサイザーなどと違い一種類の音色しか出ないはずなのに、そこから、まるで極彩色のような豊かなサウンドが出てくる感じであった。
素敵な演奏だと思って、僕は聴き惚れていた。
 
ヴァレンタインデーが近いからか。『バレンタイン・キッス』『チョコレイト・ディスコ』を弾いたあと、最後は『セレソ・ローサ』で締めた。この最後の曲だけは弾き語りをした。宏海は美しい女声でこのラテンの名曲を歌い上げる。
客席から一際大きな拍手が起きた。宏海は客席の方に向かってお辞儀をして退場。僕もそれに従った。
 

 
宏海が元のスカートスーツに着替えたあと、一緒に居酒屋さんに行き、鶏軟骨の唐揚げや焼き鳥、フィッシュフライなどを食べながら、水割り片手にいろいろ会話をした。
 
「へー。じゃ、物心付いた頃から、女の子になりたかったんですか?」
「うん。でも、今みたいな時代と違うから、親の理解なんて全く得られなかったしね。ほんと、密かに女装していた感じ」と宏海は言う。
 
「高校出てから一人暮らし始めて、やっとおおっぴらに女装するようになって。
大学には女装して出て行ってたけど、そのまま就職できないから仕方なく、男装で就職して、今みたいな二重生活になっちゃった。ピアノ教室にはずっと女装で行ってて、ホテルのラウンジの演奏は先輩が結婚してやめる時に後任にって推薦してもらったんだよね。ホテル側は私の性別のことは承知の上で、あなたくらいに女らしければいいでしょうと言ってもらえた」
「よかったですね」
 
「でも大学を出て就職する時、髪を切るのが悲しかったなあ。学生時代は、胸くらいの長さにしてたんだけど、さすがにそれでは男として就職できないから、切ったんだけど。今は仕方ないから、こうやってウィッグ付けてる」
 
「大変ですね。昼間のお仕事は何してるんですか?」
「銀行員」
「へー。でも銀行って、何か残業が大変そうなイメージなのに」
「私は支店勤務の一般職採用だし、役職付けるよとか総合職に変わらない?って言われるのから逃げてるから、残業はまず無いよ。どうにもならない時は、ピアノ教室関係の友人にピンチヒッターを頼むこともあるけどね」
「わあ」
 
その晩は結局、かなり遅くまで飲み、終電が無くなってしまったので、宏海はカプセルホテルに泊まると言っていたのを、うちに来ませんかと誘い、僕の家に泊めた。
 

 
翌朝、ありあわせのもので朝御飯を一緒に食べていたら「ねえ、女装してみない?」と宏海から言われた。
「えー?」
「いいじゃん。こないだの女物の下着や化粧品はまだ持ってるでしょ」
「うん」
「上着やスカートは私の予備を貸してあげるし。お化粧も手伝ってあげるよ」
 
宏海は今着ているスカートスーツ以外に、衣装バッグの中に、何かあった時のための着替え用の普段着を1セット入れていた。それを貸してくれるということらしい。
 
僕は宏海にうまくおだてられて「じゃ、ちょっと女装してみようかなあ」などと言ってしまった。
 
まずお風呂場で足の毛を剃ってくるように言われる。自分で剃ろうとしたが、うまく剃れないので、ヘルプを頼むと、少し剃ってくれて、剃る時の要領を教えてくれた。
「でも、ほんとに女装したことなかったのね」と宏海はあらためて言う。
「無いですよー」
 
そのあとこないだ使った女性用の下着(洗濯済み)を身につける。あの付近の収め方は宏海が口で説明してくれたので、やってみたらうまく出来た。これはちょっと面白いと思った。ブラジャーはホックを留めきれなかったので、宏海に留めてもらう。その後、借り物のブラウスを着るが、ボタンの付き方が逆になっていると、こんなに留めにくいとは思わなかった。
 
「慣れだけどね−」と宏海は言う。
 
スカートを穿くが、どちらが前か分からない。
「うーん。スカートって、しばしば本当にどちらが前かよく分からないもの、あるのよね。このスカートの場合は、ファスナーが前かな」
 
鏡に映してみる。可愛い! 
「ほんとに可愛くなるなあ。信生、女装の素質あるよ」
「それって、使い道のよく分からない素質だなあ」
「女の子になりたい、とか思ったことは無いの?」
「無い、無い」
「それなら、ストレス解消とかで、お遊びで女装してみるのもいいかもね」
「なるほど」
 
そのあと、お化粧をやり方を教えてもらいながら、ひとつひとつやってみた。
眉毛の処理はうまくできないので、カットしてもらう。
「眉毛用のコームと眉毛切りのセットが100円ショップにあるから買っておくといいよ」
「へー。何でも100円であるもんだね」
 
ファンデは取り敢えず顔全体に塗る。アイカラーは塗る範囲がなかなか難しい。
「ある程度試行錯誤して、いい雰囲気になる塗り方を覚えるといいね」
「うん」
 
アイライナーは怖くて自信が無かったので、これもやってもらった。塗られていてもちょっと怖い。アイブロウを丁寧に1本ずつ入れていく。それからマスカラを塗ってビューラーでカールさせる。これがなかなかうまく睫毛を掴めない。
「これも練習あるのみね」
「女の子たち、よくこれを毎日やってるなあ」
「やってると楽しくなるよ」
「ああ」
 
チークを2種類の色で入れ、最後にルージュを塗る。「口角」などという言葉を初めて聞いたので、思わずどんな字を書くのか尋ねてしまった。
 
鏡に映してみる。なんか癖になりそうな感じだ。いいなあ、と思ってしまう。
 

「一緒に外出してみようよ」などと言われる。僕はそれはちょっと恥ずかしい、と思ったのだけど、うまく乗せられて、一緒に町に出た。
 
女物の服を少し買いそろえるといいよ、などとうまくおだてられて、婦人服売場に行った。きゃー。何だかここ、目のやり場に困る。女性仕様のポロシャツ、セーター、それにスカートをとりあえず1着ずつ買った。それから下着売場に行く。ブラジャーを付けたマネキンとかを見て「ひぇー」と思ってしまう。
何だかじろじろ見るのも・・・と思っていたが、宏海はそのマネキンが付けているブラに触り「ほら、触ってごらんよ。これ凄く肌触りいいよ」などと言ってる。
 
「宏海、場慣れしてるね」
「だって、私ふだんは女物の下着ばかりだから。会社行く時だけだよ。男物使うのは」
「あ、そうか」
「信生もハマっちゃったら、きっとそうなるよ」
「ああ、何だか自分が不安になってくる」
 
服を少し買った後、フレッシュネスバーガーに入り、軽食を取った。
「洋服代、かなり使わせたし、ここは私がおごってあげるね」と宏海。
「ありがとう」
 
「でも、まずは自宅にいる時に女物の服を着て、少し慣れるといいよ。それに慣れたら、自販機にジュース買いに行くのとか、そのまま出ちゃったりするとだんだん平気になっていくよ」
「ああ、なるほど」
 
「でも本当はこうやって、町中を歩くのがいちばん慣れるのにはいいんだけどね。都会って、みんな他人のことあまり見てないから、わりと溶け込みやすいんだよ」
「ああ、それはあるかも」
 
そんなことを話していた時、宏海の携帯が鳴った。
「はい。。え? わあ、それは! 分かりました。えっと、私、今私服なんですけど、構いませんか? あ、はい。私は構いません。じゃ、すぐ行きます」
と言って電話を切る。
「お仕事?」
「うん。銀行のATMのシステムが落ちたらしい。緊急に各支店の窓口を開けて払い出しに対応することになった。行かないと」
「その服で行くの?」
 
「うん。自宅まで帰ってる時間が惜しいから。どっちみち窓口の人数が足りないから、この際、女子行員の制服を着て、窓口の対応してよって言われた」
「あらら。ふだん女装していることは言ってるんだ」
「うん。同僚の女子とは、女装で休日に会ったり、女子会に出たりしてるからね」
「すごい」
「ごめん。ひとりでも大丈夫かな?」と宏海は僕を心配そうに見る。
「何とかなると思う」
「じゃ、服は今度返してもらえばいいから。じゃ、行くね」
「うん。お疲れ様」
 
宏海は急いで店を出ていった。
 

僕はひとりになると、急に不安になったが、こうなったら開き直るしかない。
とりあえず、携帯サイトなど見ながら、ゆっくりとハンバーガーとポテトを食べ、ドリンクを飲んだ。
 
今日はこのまま帰るかなと思い、店を出て、駅の方へ向かう。専門店街から駅ビルに通じる通路を歩きながら、壁に貼ってあるポスターを何気なく見ていたら、前から来た女性と衝突してしまった。
 
「あ、ごめんなさい」
「いえ、こちらこそ」
 
などと声を交わしたものの、こちらが男声なので向こうはあれ?という表情をしている。ああ、これはやむを得ないなあ。宏海みたいに女の声が出せるようになったらいいのに、などと思ったのだが、次の瞬間、そのぶつかった女性に見覚えがあることに気付いた。
 
「あれ?」
「あ!山村さん?」と彼女。
「こんにちは、沢口さん」と僕はもう半ばどうにでもなれ、という気持ちになりながら笑顔で言った。それは、行きつけのコンビニのレジ係、沢口さんだった。
 
「わあ、びっくりした。でも可愛い!」
「そうかな?」
「そうそう。こないだ、テレビに女装で出てたよね」
「何だか、みんなに見られてるなあ」
「だって、あれ凄いインパクトあったもん。完璧に女の子してたから」
「ちょっと恥ずかしい」
「でも、ふだんから、こんな格好するんだ?」
「いや、しないんだけど、これ友だちにうまく乗せられちゃって。僕を乗せて女装させた本人は急用が出来て、帰っちゃったんだよね」
 
「へー。あ、今どこ行くとこ?」
「女装させられて、ひとりで放置されて心細いから、もう帰ろうと思ってたとこ」
 
沢口さんは少し考えている風だったが、やがてこう言った。
「ね。私、ヴァレンタインのチョコを££デパートに買いに行く所だったんだけど、一緒に来ない? 山村君も、特設コーナー行きたいんじゃなかった?」
「あ、行きたい!」
「じゃ、一緒に行こうよ。誰かと一緒なら、そんなに不安じゃないでしょ?」
「うん」
 
「じゃ、今日は女の子同士だし、名前で呼び合おうよ。リサって呼んで」
「じゃ、僕はノブくらいで」
「うん。そうしよう、ノブ」
「OK、リサ」
 

そういう訳で、僕は駅の近くからUターンして、リサと一緒に££デパートに行き、地下のヴァレンタイン特設会場に行った。
 
会場が若い女の子で一杯である。わーと思うが、自分も女の子の格好をしていると、不思議に、男の格好で来た時と違って、あまり場違いな気分にならずに済んだ。リサと一緒に様々なチョコが並んでいるのを見てまわる。試食できるところでは少し試食したりして、「あ。これも行けるね」などと言ったりして楽しむことが出来た。
 
「でもさ、ノブ、こういう所にひょっとして場慣れしてない?」
「うーん。お菓子売場には慣れてるけど」
「女の子の集団の中にいるのは緊張したりしない?」
「あ、それは全然。でもふだん、男の格好していると自分が浮いてるんじゃないかって思っちゃうけど、この格好なら、そういうこと考えなくて済むからいいって感じ。女装外出なんて、初めての体験だけど、いいね、これ」
「ふーん。ハマっちゃったのかな?」
「これ、絶対癖になりそう」
「ああ、なっちゃうだろうね」
 
リサと一緒に会場内を一通り見て回った後で、本命チョコ選びに協力した。
 
「**屋の生チョコ・トリュフと、&&&のワインチョコ、あたりがいいかな、って思うんだけど、どうかな?」
「彼氏はお酒強いの?」
「ふだん、あんまり飲んでる所見ない。居酒屋行っても、最初ちょっとビール飲むだけだもんね」
「じゃ、お酒入りはやめといた方がいいかもね」
「だよねー。じゃ、トリュフにしようかなあ」
 
一緒に**屋のコーナーに行く。少し列ができていたが、それに並んで無事、リサの本命チョコを確保した。
 
「後は少し友チョコを仕入れていくかな」
「僕は自分で食べたいのを仕入れよう」
 
一緒にまた会場を見てまわりながら、めぼしいものを適当にゲットしていく。
リサは4種類のチョコを確保、僕も6種類の、なかなか普段は見ないチョコをゲットした。
 
「でも今日は、リサのお陰で、珍しいチョコをたくさんゲットできて幸せ」
「良かったね、ノブ。でも、その格好でなら、またここに来れるんじゃない?ヴァレンタインまで時間があるし」
「やっぱりまだ1人で出かけられる自信無いよ」
「私でも良かったら、付き合うよ。その格好でなら」
「そう?」
「だって、女の子の友だちと一緒に出歩くのは全然問題無いから」
「そうだよね!」
 
その後、少し疲れたね、などと言って、デパートの中の喫茶コーナーに入り、甘いミルクティーなど飲んだが、彼女とは何だか話が盛り上がった。内容はお菓子の話や、芸能人の話、また最近ネットで話題になっていることなどであったが、意外に話が合うことに驚いた。僕は彼女とも携帯の番号とアドレスを交換した。
 
「なんか時々こんな感じで会いたいね。他の友だちにも引き合わせちゃっていい?」
「えーっと、この格好で?」
「もちろん」
「ま、いっかな。たまに女装するのも楽しい気がするし」
「『たまに』か・・・・それが『時々』になって、『頻繁』になって、その内『いつも』になっちゃうかもね」
「僕ね・・・・それがちょっと怖い気がしてる」
 
「女装は癖になるって言うもんねー。でもさ、今日は自分で食べるチョコばかり買ってたみたいだけど、『本命チョコ』は要らないの?」
「え?僕、別に好きな男の子とかいないし」
「・・・・やはり、ノブ、恋愛対象は男の子?」
「え、そんなこと無いと思うけど。だって、チョコって好きな男の子に贈るんじゃないの?」
「ノブは別に好きな女の子に贈ってもいいんじゃない?」
「うーん。。。。特にそういう人いないしなあ。あ、でもこないだ、指導教官からお嫁さんにしてあげる、なんて言われたけどね」
 
「ふーん。お嫁さんになりたいの?」
「えー?そんなつもり無いけど」
「でも、そんなこと言ってくれた人にチョコでもあげる?」
「そうだなあ。あげてもいい気がしてきた。恋愛とか関係無く、お世話になってるし」
「ふふふ」
 
結局、僕たちはその後、また特設売場に引き返し、僕の「本命チョコ」と何個か「友チョコ」を仕入れた。リサもまた少しチョコを追加していた。
 
「じゃ、リサ、これ友チョコ」と僕はデパートを出て駅の方に向かいながら、リサにチョコを1個渡した。
「わあ、ありがとう。じゃ、私もこれノブに友チョコ」と彼女もひとつ渡してくれた。
「なんか友だち同士でこういうの交換するのも楽しい気がしてきた」
「でしょ?」
 

僕は翌日の夕方、例のホテルのラウンジに行き、洗濯した着替えを宏海に返すと共に、友チョコをひとつ渡した。「わあ、ありがとう」と言って宏海は受け取ると、バッグの中に入れていたチョコをひとつ「じゃ、私からも友チョコ」
といって渡してくれた。
 
「でも、信生、今日はひとりで女装で来れたのね」
「ちょっと、勇気出して試してみた」
「ハマり掛けてるね」
「そんな気がする!」
 

翌日は大学に行き、篠原準教授の研究室に行って、精液の採取と睾丸の組織検査をされた。
 
「うーん。相変わらず精液の中に精子は無いね。でも生殖細胞は確実に数が増えてるよ。もう少し様子を見るかなあ」
「生殖細胞が増えているんなら大丈夫だと思います」と僕は言う。
 
「じゃ、次は2週間後に検査するから、ふつうに毎日オナニーしててくれる?」
「えっと、僕、ふだんそんなにオナニーしないんですけど」
「あ、そうだった。じゃ、ふだんのペースでいいよ」
「はい」
「あ、そしたらオナニーした日を記録してくれないかな。出した量も計ってもらうと、もっといいのだけど」
「あ、計ります。学校の器具借りていきますね」
「うん、頼む」
 
院生室の方に戻ろうとした時、僕は「あれ」を思い出した。
 
「あ、そうだ。先生、これヴァレンタインのチョコです。先生にあげます」
「へ?」
「お嫁さんにしてあげるなんて言われたし」
「えっと」
「あ、あまり本気にしないでくださいね」と僕は笑って言う。
「うん」と先生は頭を掻きながらチョコを受け取った。
 

院生室に行くと、いつものメンバーがいた。
 
「こんにちは〜。これみんなに友チョコ」と言って、中原君、真崎君、篭原さんにチョコを1つずつ渡す。
 
「わあ、ありがとう。じゃ、私もみんなに友チョコ配っちゃおう」
と言って、篭原さんもバッグの中から、小さなチョコを出すと、みんなに1個ずつ配った。
 
「あれ、これ##堂のだね」と僕は篭原さんに言った。
「山村君のは§§屋さんね。どこで買ったの?」と篭原さん。
「££デパートの特設売場」
「わあ、あそこ行ったんだ?私もあそこで買ったのよ」
「僕もこれ割といいなと思ったんだけどね。重ならなくて良かった」
 
「でも、山村君、ひとりで男の格好であそこ行ったの?」
「へへへ。女装して、女の子の友だちと一緒に買いに行った」
「おお、やはりそうなっちゃったんだ」
「でも女装外出はまだ2度しかしてないよ」
 
「何?何?山村って女装するの?」と中原君。
「中原君、こないだの『金リロ』見なかった?」
「あ、あれ見てない」
「もしかして、山村あれに出たの?」と真崎君。
 
「そうそう。凄く可愛い女の子になってたんだよ」
「へー、見たかった、それ」
 
「でも、山村君、というかノブちゃんって呼んじゃおうかな。女の子の格好するんなら、ヴァレンタインの翌日に医学部の院生女子で集まって女子会するんだけど、それに出ない?」
「あ、面白そう。でも、僕、まだお化粧に自信がなくて」
「そしたら、手伝ってあげるよ」
 
「あ、いいな。女子会」と真崎君。
「真崎君も女装して出席する?」
「うーん。ハマりそうで怖いからやめとく」
「山村はハマっちゃったのか」
「そうかも」
 
「だったら、大学にも女装で出てこない?」
「なんか、それやりたくなっちゃうかも」
 
「今、ノブちゃん、生殖細胞の回復中で、無精子状態になってるらしいけど、女の子になっちゃうんだったら、そのまま無精子でも構わないよね」
「えー?そうなってるの? やっぱり超音波怖いな」
「次は真崎君が生け贄って話」
「ちょっ。俺、聞いてないよ、それ」と真崎君。
 
「でも、睾丸取っちゃえば、精子あるなしなんて関係無いよね」と篭原さん。
「確かにペニスも取って、ヴァギナに改造しちゃうんなら、もっと関係無いね」
と中原君。
 
「でも、どうせ取っちゃう睾丸なら、その前にやはり限界試験に協力してあげるといいよ」と真崎君。
 
「なんかいつの間にか変な道筋が作られつつある気がするんですけど」
と僕は困ったように言った。
 
「取り敢えず、山村が性転換するというのは既定路線で」
「可愛い女の子になりそうだなあ」
 
僕はどう答えていいのか分からないまま、性転換か・・・と考えて、そんなこと本当にしたくなったら、どうしよう、などと考えていた。
 
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